俺とオダマキ博士は厳しい面持ちで黙って、助手のジョシュウさんの愚痴を聞きながら車に乗っていた。そう二日酔いだったのだ。
「まったく、博士も博士です。あんな夜遅くにIDを新しく発行して欲しいだなんて」
「ごめんよ。スピードが求められる状態だったんだ。あの機械を動かすためにもね」
先程から車の運転をしているジョシュウさんの顔だちはかなりのイケメンだ。根は真面目なのだろう。会話の端々でオダマキ博士をチクチク攻撃しているのは、日頃の鬱憤のせいなのだろうか?
そして――
「なんで俺はこんな縛られ方しているんですかねぇ」
――俺は今、手首と腕を縛られた状態で後部座席に座らされている。
「ハハハ、馬のマスクを着けた頭にハスボーを乗せ、上半身裸なうえ両手でテッシードを持ち、ただひたすらにスクワットしていた男に対する対応としては適切なはずです」
確かに不審人物のように見えるかもしれない。だが、あれも大切なポケモンとの朝の触れあいなのです。そうだろ? 視線を二匹に向ける。
しかし、
でも、しょうがないじゃないか。御神木様の重さってダンベル代わりに丁度いいんだよ。同時にマッサージを行う事で握力も鍛えられるのだ。
まぁ、それはそれとして、だ。俺が言いたいのはそういう意味ではない。
「違う! そこじゃない。なんでこんな縛り方なんだ! こんな甘い縛り方だと縄抜けできてしまうではないか!」
するりと手と肩の関節を外して縄抜けをする。まだまだ甘いな! こんな無駄に大きく縛り上げるのではなく、結束バンドで親指と手首を縛る方がまだ抜く難易度が高いと思うぞ。
「なんでこの変態は無駄に高性能なんだ!」
「世間体と戦う変態だからだ」
まだまだ甘いなジョシュウさん。そんなんじゃ、真の変態や脅威からは身を守れんぞ。ズレ込んだ骨をすぐさまはめ治し、腕と肩の筋肉を慣らす。この一連の流れは最早慣れたものだ。
「やっぱり博士の知り合いには、奇人変人しかいないじゃないですか」
ジョシュウさんは苦笑いしながら運転を続けている。しかし、多少の困惑はあったものの、思っていたよりも嫌悪感を覚えていないように見受けた。
まだ知り合って半日も経っていないはずなんだがなぁ。思っていた以上にグイグイ来るぞこの人。普通あんなことしている人間、関わり合いになりたくないと思う筈なのだけれども。うーむ……オダマキ博士の友人達で慣れてるせいか? もしそうだとするのなら、こうなるまでいったいどれだけの苦労を経験してきたというのだ。
軽く同情してしまう。
同情心を気づかれないように視線を外して後部座席から景色を眺めると、家がポツポツと建っている程度の、これまた牧歌的な風景が広がっていた。いつの間にかミシロタウンの中に入っていたようだ。
「もうそろそろ研究所にたどり着くので服を着てください」
「しょうがないなぁ、ジョシュ太くんは」
素直にジャージを着る。そこまで替えの服がないから、最近この服装ばっかりだな。他に今手元にあるTシャツは、やどんの絵が描かれたTシャツと、ピクシーの絵にローマ字ではピィ、カタカナでピッピと書かれた矛盾Tシャツぐらいだ。ローテーションの関係で、どうしてもまだまだ酷使することになるだろう。
服を着てから更に10分ほど経つと、ポケモン研究所らしき建物が見えてきた。
「私は一度家に帰ってから研究所に向かうから、キョウヘイ君を先に研究所内へ案内してほしい」
「わかりました。まぁお酒臭い状態なのでまたハルカちゃんに怒られると思いますがね」
時間がかかるということだろう。先にオダマキ博士を降ろし、そのまま研究所へ。また更に10分ほど進むと研究所に着いた。
「着きましたよ。では早速地下へ向かいましょう」
……ちか? ちか……地下? え? 唯の平屋研究所じゃないの……?
少し困惑しながらジョシュウさんの後ろを付いて歩くと、入ってすぐ左にかなりしっかりとした造りの地下行きのコンクリート階段が鎮座していた。確かに地下室があるらしい。そのまま階段を下りてゆくと、だんだんと機械類の音が五月蝿くなってきた。ゴゥンゴゥンと何かのエンジンが動いている音が聞こえる。
「良い音でしょう。余裕の音だ。火力が違いますよ」
いったいなぜ、ポケモンの分布調査についての研究に火力が必要になるのか、今の僕には理解できない。発電力じゃないん? いや、そもそもそういうのって予備で用意しておくものであって、常に稼働させ続けるものではないだろう。
ならば外の電線は何のための物だと言うのだ。謎が謎を呼ぶ研究所だな、ここは。
「ここです。分析機が奥にあるのでしっかり固定してください」
地下三階、突き当りにはエレベーターのようなものが見える。突き当りまでに扉は5箇所。目的地は手前から二つ目の扉のようだ。ジョシュウさんはそこにIDカードを差し込んで先に行ってしまったので、慌てて自分も貰ったIDカードを差し込んで中に入る。すると、そこには3m四方の大掛かりな機械が置いてあった。この装置だけでかなりの値段となるに違いない。
これ、【あいいろのたま】を検査した瞬間に、ぶっ壊れるなんてことになったりしないよね?
とりあえず奥の装置の固定皿に【あいいろのたま】を設置、固定する。おそらく上の照射器で感知するのだろう。
「照射を始めますので、観測室に来てください」
すぐ隣の観測室へ入ると、コーヒーのいい匂いが鼻を擽った。画面が敷き詰められた机とは別に台が設置されており、その上に電気ケトルとペーパードリップで淹れられたコーヒーが鎮座している。
資料を置くスペースが足りていないのか、部屋の隅には分別用の文字が書かれたダンボールの山があった。ざっと換算して15箱ぐらいだろうか? ただでさえそこまで広くない部屋だからか、視覚的に物凄い圧迫感を感じるな。
「私も1杯貰っていいですか?」
「どうぞ、紙コップは机の下にあります。切れてたら洗い終わっているフラスコでも使ってください。砂糖とミルクは横の冷蔵庫です」
おおう、フラスコでコーヒーとかドラマでぐらいしか見たことないぞ。…………フラスコでカクテルなら飲んだことがあるが。
ジョシュウさんはフラスコに薬品が残留している可能性を気にせずに、青いテープの巻かれているフラスコにコーヒーをぶっこんだ。たぶん、このフラスコは試薬を入れたりしないのだろう。
……なら、フラスコである必要性はないのでは……? あ、いや。気分やロマンがあるか。それはそれとして、熱通して火傷しそうだけど。
残りを一人で独占するのもアレか。御神木様と大賀をボールから出し、コーヒーを渡す。御神木様は恐る恐るといった様子で棘を浸けて吸収していくが、案外お気に召したらしい。顔色がぱっと明るくなり、味わうように飲んでいる。
一方で、大賀は首を振っていた。匂いだけでもあんまり好きそうな様子はない。砂糖やミルクを入れた物を飲ませてみたが、お気に召さなかったらしい。やはり苦いのは嫌いなようだ。臆病が確定したかな? バックパック内に突っ込んでいたモーモーミルクを取り出し、混ぜ合わせてコーヒー牛乳を作ってみる。ミルクに砂糖アリアリだ。すると、ようやく飲める物になったらしく、ちびちびと飲み始めた。
一口コーヒーを飲むと、適度な渋みと爽やかな酸味が舌を刺激してきた。
「お、美味しい。豆はどこの使っているんですか?」
「104番道路のフラワーショップで買った豆ですね。安いのに味がいいので、この近辺の中では一番オススメです」
あまり行く気はなかったのだが気が変わった。次行くとき必ず寄ろう。途中で見つけられるであろうタンポポを使ったたんぽぽコーヒーも美味いんだが、旅をしながらだと天日干しが辛い。あれしっかりしないと嫌な雑味が増すんだよなぁ。
「情報提供ありがとうございます。ちなみにジョシュウさんは、酸味が強いのと苦味が強いのどっちが好きなんですか?」
「私はどちらかと言うと苦味ですかね。この仕事をするようになってからブラックで飲む事が増えましたよ」
苦笑いをするジョシュウさん。期限もあるだろうしやっぱ研究職は大変だのう。暇なのか、御神木様と大賀がじゃれ合っているのが視界の隅に入ってくる。
「さて、先程照射を始めましたので明後日にはデータが出ると思います」
そこからデータの洗い出しか。大きく見積もって1週間はお世話になる感じかな。
「そうですか…………あぁ、ついでに身体検査ってここでできますか? 最近ちょっと体調が悪くて」
こちらとしても、そろそろ本題に入ろう。
「飲み過ぎでは?」
「ははははは、アルコールは命の水ですから大丈夫ですよ。ただ、昔ですが入院していたことがありまして」
言葉の意味的に問題はないはず。
「……そうですか。そういうことならここでやっておいた方がいいでしょうね。後で空いている時間に診断を入れておきましょう」
少し顔が真面目になったな、キリッとしたイケメン顔め。コーヒー片手に資料を読む姿が無駄に映えるんだよちくしょう。
「ありがとうございます。その分外部協力者としてお手伝いしますよ」
これで何かわかればいいのだがね。大賀がみんなが使った紙コップを集めている。捨てるのを手伝ってくれるらしい。
「そうですね……では早速、この部屋の隅にあるあのダンボール箱を地下1階の資料室に持って行ってもらえますか?」
あのダンボールか、アレ? ここさっきエレベーターあったよ? まさか……これは。
「了解です……あの……ちなみにエレベーターは?」
「今日ようやく点検しに来ましてね…………頑張ってください」
何だその笑みは。確信犯だろこいつ。
ダンボールを運んで、8往復した頃にジョシュウさんに呼ばれた。気が付けばもう12時半を過ぎていたのだ。いつの間にやら御神木様達がいなくなっている。あいつらどこに行ったのやら。
「この研究所ってお昼はどうしているんですか?」
「弁当派と外食派がいるね。ポケモン達はここの職員がポケモンフーズを先程あげていたから、私たちもとりあえず近場の食堂に行こうか」
いつの間にかいなくなっていたが飯食いに行ってたのか。気付かなかった。ジョシュウさんについていくと研究所から10mも離れていない位置に食堂があった。
「本当は一般食堂なんだけれどね、この時間帯はうちの研究員ばかりになってしまうから実質社員食堂みたいなものかな。社員割も利くし、一品オマケしてもらえるんだ」
そう言ってから中に入っていくジョシュウさん。続いて中に入ると、既に席の3/4は埋まっている状態だった。なかなかの人気店のようだ。
「おばちゃん! 2人席お願いします」
「あいよ、空いているところに座っておくれ」
たまたま空いていた壁際の2人席に座り、馬のマスクのあごをさする。メニューの他にも、日替わりや本日のオススメなどがあるようだ。運動した分腹が減ってきたな。そこらじゅうから美味しそうな飯の匂いがするのも、胃袋活性化の一端をかっているだろう。
「ジョシュウさん、ここのおすすめってなんですか?」
やはりここは、よく来るであろう人のオススメを聞いておくべきだ。
「そうだねぇ……基本ハズレがなく美味しいけれどオススメするとしたら……日替わり定食と焼き魚定食、あとは小鉢のおひたしだね」
ふむ、本日の日替わりは……肉野菜炒め定食でご飯大盛り無料とな。味噌汁とお新香がついてなんと驚きの450円。ちなみにご飯と味噌汁はおかわりできるらしい。これで店が回せるのか。焼き魚の方は……今日はホッケか。焼き魚の方は550円だが、向こうから考えると十分安い。じゅるりとよだれが出そうになる。
「ほうほう……どれも美味しそうで目移りしちゃいますな」
どれにするか悩んでいると隣の席の注文が聞こえてきた。
「本日の日替わり2つにホッケの開き1枚、両方ともご飯大盛りでください!」
1品ものとして頼む! そういうものもあるのか。なるほど、向こうでそんなに頼んだら出費が酷くなるから頭の中から選択肢として消えていた。ここならホッケの開き1枚追加で頼んでも800円。なんという値段か! どうやって生計立てているんだこれ。単純に物価が安いのか? それともダンピング?
「決まったかい?」
「はい、日替わり定食にご飯大盛り、そしてホッケの開き1枚頼むことにします」
「お、食べるねぇ。じゃあ僕も日替わり定食にしようかな。すみませーん!」
「はい、御注文をどうぞ」
「日替わり定食2つにホッケの開き1枚、片方はご飯大盛りでお願いします。あと特製おにぎり4個持ち帰りで」
持ち帰り? 研究所で誰かに渡すのかな?
「ご確認させていただきます。日替わり定食2つにホッケの開き1枚、片方はご飯大盛り。特製おにぎり4個持ち帰りでお間違いありませんでしょうか?」
「はい、問題ありません」
「かしこまりました。少々お待ちください」
定員さんが注文を厨房に伝えたのを確認してから、思考を値段設定に戻す。
なんでこんなに安いんだ? …………単純に考えると原材料費や人件費があまりかかっていないとかかね? 魚は数が少ないならあんな値段にはならんから養殖か。人件費はポケモンで賄えばなんとかなるのか? 労働費は作った野菜で満足するのやもしれん。
時給もわからんからなぁ。たぶん8~900円前後だろうけれど、あの店員さん女将さんの娘さんっぽいし家族経営かな。結論として物価がわからんな。生産体制がだいぶ違うことは予測できるが、うーむ。
「どうしたんだい? そんなに難しそうな顔をして」
「いえ、どうしてこんなに安いのかなと思いましてね」
「ああ、それはトレーナーやコーディネーターが手伝っているからだよ」
ん? どういうことだ?
「トレーナーやコーディネーターには義務ってわけじゃないけれど、仕事をしている人が困っていたら助けるようになっているんだ。そっちの地方では違ったのかい?」
そうなのか。知らなかった。だからダイゴさんもトウカシティで手伝えと言っていたのか。
「どうにも、その辺りについてはよく知らないでここまで来てしまって。お恥ずかしい限りです」
「まぁ、キョウヘイさんは船防衛だとかしているから問題ないんじゃないかな? 今までだってこうやって手伝って来たんだろう?」
「まぁ、……そうですね」
一応雑用はしていたな。
「でしょう? 話を戻すけれど、そういうお手伝いには人件費は発生しないんだ。雇い主が個人の判断で渡すのは別だけどね。元々いろいろな経験をするために旅に出ている人が多いから、喜んでやってくれる人も多いよ。だからその分ポケモンセンターなどを無料で通えるようにしたり、フレンドリーショップの一部の品物が安くなったりするんだ」
だからお使いイベントや撃退イベントを主人公たちが解決していたのか。
でもそれって相手の善意が前提だよな。
…………あぁ、悪意を持った人間は、どっかしらでポケモンからのしっぺ返しを喰らうのか。そういえばこの世界には武器なんてほとんど見かけないし、武器を持ったらポケモンは消えるだろうとかシンオウ地方の神話もあったな。トバリの神話だったっけか?
「あぁ、それとお手伝いをしていると偶にポケモンが進化するらしい。そういう目的を持ってお手伝いしているトレーナーも多いと思うよ」
そんなメリットもあるのか。よく考えると経験なのだから無理にバトルで稼ぐ必要もないのだろう。やはり知識の穴が多い。しっかり調べなおす必要がありそうだ。
「少し納得しました。でもロケット団みたいなのもいますよね?」
「そういう時のための国際警察さ。それにさ、ポケモン達はこのお手伝いが好きだからこんな社会になったんじゃないかな?」
ソレは……どうなのだろう。ふーむ。今この場に居ない二匹を思い浮かべてみる。確かに自力で試す。或いは手伝ってみるという行動は多い気がするな。だけど、お手伝いが好きかと問われると微妙ではないだろうか? 日向ぼっこの方が好きな印象があるぞ。
うむ、いろいろと面白い世界だなここは。だが悪くない。
「お待たせしました。日替わり定食2つにホッケの開き1枚です。ご飯大盛りの方は……」
「あ、私です」
「頭が痛くなりそうな話は止めて美味しいものでも食べようか」
「そうですね」
経済も研究も、傍から見たら頭が痛くなる分野だと思うのだが。まぁ、いいか。また一歩この世界に馴染んだ気がする。