「そちらからの要求は旅先での環境や生態データの入手、カイオーガの観測、そしてハルカにこれから先もポケモンバトルについて教えること。こちらからの要求は後ろ盾、足の手配、少額の資金援助、身体データの解析」
オダマキ博士がテーブルを挟んでソファに座っている。最初こそ真面目な雰囲気だったのに、オダマキ博士の隣のハルカはみかんを黙々と食べ続けているため、何とも言えない表情を作らせていた。
みかんの皮を剥く際に微妙に汁が飛ぶ。今にも契約書に飛び散りそうで怖い。所詮形式上のものでしかないけれども、一応大切じゃない?
ハルカさん、いつにも増してフリーダムですね。何かの抗議です?
「うん。そうだね。生態データに関しては出来ればでいいから週1か週2でパソコンで送ってもらいたい。メインはハルカのポケモンバトルに関する学習や、カイオーガの観測だからね」
ノートパソコン買っても電波が飛ばせなきゃ意味ないからなぁ。
「となると、森などに入る際は事前に連絡したほうがいいですね。電波の届かない場所なんてそこらじゅうにありますし」
これで抜けはないはずだ。ハルカの身の守りは基本自分でということだが、俺の性格を読んでのことだろう。
「足についてですが自転車を2人分お願いしたいです。走るより速いですし、人力の方が信用できる場合もありますから」
構造が楽だから直しやすいというのもあるけどね。それに炎ポケがいる世界で燃料持ち運ぶのは怖すぎる。そして何よりも、速い代わりに通れる道が限られかねない。
「あと、血液サンプルと解析データ転送の件、必ずお願いします」
主目的はコレだ。身体について情報を手に入れる事こそが重要なんだ。この契約はこの為の手段でしかない。
「トクサネ宇宙センターにだね? 知人も居るから任せておきたまえ。ハルカからは何かないのか? 今なら付け足しできるかもしれんぞ?」
うむ。ただし、いつもランチに2,000円以上使うこととかは無しな! 基本的に、奢る時はバイキング以外無いと思ってほしい。
「ラーメン」
先程からなんでそんなに不機嫌なんです? オダマキ博士何かやったの? ちらりとオダマキ博士の方へ目線をやると、そのまま逸らされた。ああ、はい。
「さて、じゃあこれで内容は決まりだな。早速契約書にサインと指印を――」
「――ラーメン!」
ぴしゃりと割り込むように言い切った。いったいどういうことだってばよ。
「――後で食いに行こう。オダマキ博士の奢りで」
それにみかん2袋食べておいてまだ食うのか。家でお母さんが晩ご飯作ってるんじゃないの?
「では出発は準備が出来次第という事で。なるべく4日以内にしましょう」
「わかった。こっちが準備している間キョウヘイ君はどうする?」
正直、元々一人で旅に出ると思っていたのだから、もう既に準備自体は出来てるんだよな。追加で準備するとしても、機材の確認くらいだろうか。ただ、これに関してはハルカが使い慣れているとの事だし、メンテナンス方法の確認をしておけば、とりあえずは十分かな。
「世話になった人に挨拶して、101番道路の主に貢物をするつもりです。それでも時間が余ったらトーテムポールの続きでも作っています」
そろそろ一番上の
「キョウヘイ先生、トーテムポール作ってたの?」
今までの不機嫌そうな表情をコロッと変えて、こちらに質問してくる。これ、先程までの事を突くとこっちにまで飛び火しそうだな。うむ、日和ろう。
「アクセサリー程度だけどね。旅の記念と過去を忘れないためにね。進化前はこうだったんだっていうのを残したいんだ」
少し前からハマって以来、ずっとこういうの作るの好きなのよ。お陰で指先がかなり器用になった。それでも気が付いたら指に怪我していたりもするけれど。
「アクセサリー……かわいいのとかも作れる?」
「やろうとすれば作れるけど……なんだったらハルカも作るか? 作り方なら教えるぞ。そこまで難しいわけでもないし」
「面白そうかも! 材料は何?」
思いの外食い付きが良いな。ちょっと予想外。こういうのはあんまり興味なさそうだと思っていた。
「基本的に木を使うから用意する道具は彫刻刀とやすりだけでいい。それに最悪、木材は森で拾えるからな……あぁ、色が塗りたいのならマスキングテープとスプレー、もしくは筆と絵の具が必要だ」
生木でも存外何とかなるし、落ちた枝は乾燥している物が多い。練習にはなるだろう。パレットは煮沸した木の板で代用出来る。
「すぐ買ってくる! その時にお母さんも呼んでくるからそのままラーメン食べに行こ!」
ハルカは嵐のように残っていたみかんを全て食べて部屋から出て行った。結局、俺とオダマキ博士はまだ一つも食べてないんだけどなぁ。あとお母さんも呼ぶって言った辺りからオダマキ博士の汗の量が増えた。まぁ、なんだ。人間生きていれば、いつかいいことあるさ。うん。
オダマキ博士の方を向いて一言。
「安心しなよ、オダマキ博士」
「キョウヘイ君……」
感動的な場面だろう? これ。
「すぐに財布の中を楽にしてやろうじゃないか」
「そういうことだろうと思ったよ!」
提案した俺が助けるつもりなどもとよりない。これも教訓だ。ハルカの機嫌の悪い理由絶対にあなただろうが。巻き込んだのだから被害は補填されるべきだろう?
「まぁ、自分の分ぐらいは自分で払いますよ」
ハルカのやけ食いとか洒落にならない被害が出そう。いったいあの成長期ながらも細くしなやかな身体のどこに、大容量の食物が蓄えられているのだろうか? 正直、燃費悪すぎない? リッター当たり何キロ走行よ?
「ああ……頼む……」
真っ白な灰になってやがる。財布が燃え尽きた未来を受信したのかもしれない。
「それではジョシュウさんも呼んでくるので、ここでご家族を待っていてください」
そう言って現場から全速力で離脱する。ジョシュウさん誘って少ししてから部屋に入るとしよう。家族の団欒を邪魔しちゃ悪いもんな!
◇ ◇ ◇
ジョシュウさんを誘い、風呂に入った後に応接室前で集合することにした。誘った際に目つきが少し変わったのが気になるところ。ラーメン苦手でしたっけ?
「さて、運命の時間ですが中から声は聞こえてきませんね、ジョシュウさん」
内部に人間が居るはずなのに、一切音が聞こえないというのも怖い。オダマキ博士はいったいどうなってしまったんだ。
「奥さんは美人だけどポケモンコンテストの最高舞台、グランドフェスティバルで優勝できるぐらいの腕を持ったトップコーディネーターですから。喧嘩された場合、何をされているかわかったもんじゃないですね」
トップコーディネーターと、何をされるかわかったもんじゃないという言葉の間の繋がりが一切わからないのですが、それは。
扉を開けて中に入ろうとしたが、なぜが扉が開かない。何かに押し付けられているようにも感じる。不思議に思い、久方ぶりにフルパワーで扉を開くとそこは――――
「中に入ると、そこは雪国でした……どういう事?」
――――どういう訳か一面が白く、応接室に雪が降っていた。局地的大寒波の襲来である。何をやったらこうなる…………あれか、【あられ】でも使ったのか?
扉の隙間から部屋の奥でオダマキ博士が妙齢の女性に頭を下げているのが見えた。視線を感じたのか、オダマキ博士がこちらに視線を向ける。
「あ、お構いなく」
パタンと小さな音を立てて扉を閉める。ワニは変温動物なのです。冬眠はごめんでござる。
何を言っているのかわからないと思うが、俺も理解できていない。慌てて扉を閉めたぐらいだ。アレは断じて超能力や幻覚じゃねぇ! もっと恐ろしいものの鱗片を味わってしまったようだ。あの奥さんの特性が雪降らしでないことを祈りたい。
「どうします?」
「どうしようか……そういえばハルカちゃんは?」
そういえば部屋内にはいなかった気がするな。うまく逃げた……というか擦り付けて来たのだろう。あいつその辺の判断上手いなぁ。ああいう計算づくしの行動を小悪魔というのだろうか。どうせ後でオダマキ博士にアメを与えるに違いない。
「……いや、小悪魔で許されるのかコレ?」
幾ら何でも限度があるのでは?
「キョウヘイ先生何か言いました?」
いつの間にかハルカが合流していたらしい。食べやすいようになのか赤色のパーカーを着ており、全体的にゆったりとした服装なのが印象的だ。
「いや? 最近の冷房器具は凄いなと呟いただけだ。体の芯まで冷やしてくれそうだもんな」
「科学の力って凄いですよね?」
「そうなのか」
互いに白々しいこと言ってるなぁ、おい。
「……君たちの会話っていつもこうだったっけ?」
少し前からです。最初にハルカが口を滑らしたのだ、仕方あるまい。
「互いにボロが出てき始めていたので、だったら素でいいんじゃね? ということになりまして」
「この会話は素に分類されるのか……」
今のところで俺に対して一番適応できてるのがこの娘だと思います。
「で、どうします? このままオダマキ博士が冷凍保存されるまで待つか。それとも冷蔵保存で取り出して自然解凍するか」
言外に誰か助けに行けよ、俺は嫌だぞという雰囲気を出すが全員がスルーしている。勇敢なファーストペンギンはここにはいなかったらしい。ちらりと御神木様達のボールに目をやるも、震えて拒否された。解せぬ。
仕方がない、オダマキ博士がフリーズドライにならないことを祈ろう。
「先に席取っておいたから早く行こ? ほら、ジョシュウさんも!」
「あ、ああ、行こうか」
ジョシュウさんはハルカのこういう行動は見たことなかったのかね? ……なかったんだろうなぁ。
「どこの店の席取ったんだ?」
人通りのそれなりにある道を、のんびり歩きながら目的の店に向かっている。やはりこの時間は帰宅者が多いようだ。このあたりは向こうと何ら変わりないんだが、みんな歩くのがそこまで速くない。焦っている人が少ないんだろうな。
「ラーメン皇国
テンション高いな。そんなに楽しみか。
「ラーメン皇国漢屋ってどんなところだ? ハルカが予約してる時点で美味いのは確かだろうが」
「カイリキーが麺を打ち、店主のオクタさんが麺を切り、コータスが火力で茹るお店! とんこつがおすすめです!」
メモを片手にビシッと決めた! みたいに満足げだがあんまりキマってないぞ。
「雑誌等には載らないのですが地元民は知っている人が多いですね。他の街に住んでいたのに、ここのラーメンのために引っ越してきた人もいるらしいです。とんこつラーメンはストレートの細麺で女性にも人気なのですが、裏メニューで漢屋油そばというのもありますね。あと接客はサーナイト2匹が担当しています。ポケモンバトルもなかなかに強く、バッジを6つ持っているようです」
しょーなのぉ? 色々と貴重で有用な情報をどうも。凄いな、とんこつみたいな味が濃厚で少し油が多いイメージのあるラーメン屋に女性客が来るのか。女性客もよく来るラーメン屋は基本的に当たりの店が多い気がする。気のせいだろうか?
「ジョシュウさんもよく通っているんですね?」
「む!? なぜそれを?」
「なぜって自分で裏メニューもあるとか言ってたじゃないですか」
なんかみんな俺が身内側になったからって腑抜けてきてないか? 色々と甘くなってるぞ?
「……まぁいいでしょう。ちなみにポケモン用のラーメンもあるのですが……食べれます?」
「どうなんでしょうね?」
前に果物や木の実、鉄、ポケモンフーズは食べていたが麺を食べさせた記憶は無い。そんなことを考えているとボールから御神木様と大賀が出て、定位置であるバックパック上と頭上に乗る。何やら相談するらしい。
「ボー」
「クギュル」
人の上で話し合う事5秒。一言で意見が決まったらしい。少なくとも頭の上で頷いているのはわかる。初ラーメンですな。
「食べるらしいです。ポケモン用の注文は本ポケができるんですか?」
「できるはずだよ」
それならば細やかなニーズにも対応できそうだ。トッピングなんかも出来るだろう。
「へぇ、なら御神木様たちは自分で注文できるな」
御神木様達を抱えて撫でまわしながら歩くこと20分、ラーメン皇国漢屋に着いた。着いたのだが……うーむ、これは。
「デカくね? 3階建てのラーメン屋とか初めて見たよ」
ラーメン専門でこうならば、それだけ人気のある店なのだろう。
「2、3階は個室メインになっています。1階は4人席が10個で40人まで入れますね」
なんでこいつらここまで張り合ってるんだ。譲れないものがあるのか?
「君達、別に情報で張り合わなくていいんだぞ?」
これがファンの心なのか。てかジョシュウさん思ってた以上に美食家だな! ラーメン食いに行かね? って誘いに行った時目つきが変わったのはこのせいか?
先にハルカが中に入って一言。
「おじさん! 予約していたハルカです!」
ハルカに付いていくと、中から胃を刺激するいい匂いが立ち込めてくる。美味しそうじゃないか! ちょっとテンションが上がった。
奥からサーナイトが現れて2階へどうぞと念話をしてくる。当たり前のように使ってくる複数人に向けた念話。俺でないと見逃しちゃうね。マジで地味なようで無茶苦茶高等技術だぞ、それ。
階段を登っている時に写真が目に入った。大食いの記念なのだろうが……なぜか俺の前の人と後ろの人が写っている。 ギリギリで前の人が勝ったらしい。
こっちが原因だったか。でもこの時は本性出していなかったんだろうなぁ。個室席に案内されたのでとりあえず下座に座っておく。ハルカは上座に座っていた。これは意識してなのだろうか?
ピリっとした空気をスルーして周囲を見回す。かなり清潔感がある部屋だな。黒と緑で統一されている。ポケモン用のテーブルや台座も用意されているようだ。ちらりと視線を戻すとバチバチとした視線のやり取りに変化していた。
「おかしい……なんでラーメン屋でこんな修羅場な雰囲気になっているんだ……? 大賀が怯えているじゃないか」
ただ御神木様は、いいぞもっとやれと言わんばかりに楽しそうだ。アチャモはアチャモで我関せずを貫いている。
「それはこれが聖戦だから」
「それはこれが聖戦だからです」
無表情で声をハモらせるなよ。怖いじゃないか。
「お、おう」
さいですか。なんか、珍しく俺が後手に回ってるな……俺が後手に回るだけでここまで個性が強くなるのか。お前らも十分我が強いじゃない。
◇ ◇ ◇
それから10分ほど経過してからオダマキ博士たちと合流した。
「ごめんなさいね。遅くなってしまったわ」
妙齢の女性とオダマキ博士が入って来た。見た目で何も変化がないというのも、余計に意味深気な考えを助長させてくる。恐ろしい。
オダマキ博士が俺の隣に座るがこっち下座ですぜ、旦那。
「初めまして、恭平と言います」
「初めまして、ハルカの母のミツコです。旅の時にハルカのことよろしくお願いします」
ミツコさんね。とてもあの惨状を起こしたようには見えないのだが……まぁいいか。触らぬ神に祟りなしだ。周りには聞こえないように小さな声でオダマキ博士に話しかける。
「この聖戦へようこそ。歓迎しよう、盛大にな」
変なプレッシャーで胃が痛い。二人の背後からは龍と虎が現れて威嚇し合っているように見えた。なんだこの幻覚。え? 食事だよね? バトル漫画じゃないよ? 世界観間違えてない?
「大方ジョシュウとハルカが好みで争っているんだろう? 昔からああなんだよ」
「こうなるとは露にも知らんかった。すみませんね」
素直に謝っておく。こいつは誤算だ。やはり主導権は奪わないとダメだな。
あと今気がついたが、なんで家族紹介みたいになっているんだろう? あれか? ポケモン側の席に座るのが正解だったのか?
最初は真面目だった話から、どうしてこうなった…………いや、まぁ……昼間っから酒飲んでたでFAだろう。