「――――でした。次はホウエン地方全体のお天気です。お天気予報お姉さーん」
「はーい。お天気予報お姉さんでーすよー!」
うーん……ぎりぎりお姉さんで通せる……か? 化粧で頑張っているようだが……最近の電化製品は残酷である。
白衣を着たお天気予報お姉さんが図を用いながら今週の天気を教えてくれるらしい。テーブルを挟んで、真正面で宿題を行っているハルカの顔色をパソコン越しに伺ってみると、なんとも微妙な顔をしていらっしゃるようで。ハルカ的にはアウトだったようだ。
「北ホウエンはまだまだ晴れが続く模様ですね。上空では西から東へ向かう風が強く、ヒマワキシティ在住の方は洗濯物を干す際に火山灰に注意したほうが良いかもしれません。西ホウエンも晴れなのですがゲリラ豪雨が局所的に降る恐れがありますので、傘などの雨具の用意をお忘れなく! 最後に東ホウエンですが、大きな雨雲が広範囲に居座ってしまっている為、今週も雨が続きそうです。ですが、西からの風で雨雲が動くと予想されている為、週末には晴れ間が見られるかと思われます。以上お天気予報お姉さんからでした」
ハジツゲ、フエン、ヒワマキが北ホウエン。ミナモ、トクサネ、ルネ、サイユウ、キナギが東ホウエン。残りが南ホウエンという分け方に未だに慣れない。南ホウエンに街が偏りすぎじゃないの? これ。北の開拓が進んでいないからなのか、それとも他に原因があるのかね?
それにしても――
「――まだまだこっちは晴れなのか」
明日ぐらい雨が降ってくれたっていいんだぜ?
太陽仕事しすぎだろう。ぶっちゃけ、あんまりにも陽の光が強いと明日のフエンジム挑戦に弊害が出てしまうから、主婦の皆様には悪いが俺個人としては土砂降りな空模様を望んでいる。しかし、そんな俺の心を踏みにじるが如く、テレビ画面には晴れマークが続いていた。
どうやらここ数週間、フエンタウンやハジツゲタウンでは晴れがずっと続くという異常が続いているらしい。俺達がオダマキ研究所を出発した時も晴れだった気がするんだがね。水自体は他の街から持ってきているようだがこれ以上長引くと街の生活基盤を破壊しかねないだろう。
ここまで晴れが続くのは、やはり特性:日照りのグラードンが近くに居座っていたせいなのだろうか? それともハルカが買ってきた本に出てくる色違いキュウコンの仕業か?
……いや、グラードンはともかく件のキュウコンがそれをやる意味がないだろう。守っているはずの森の木々も死にかねんのだ。ただ、グラードンが原因だとして、移動した後も効果が残り続けているのはおかしいな。もしかすると、そう遠くへ逃げておらず、近くの火山にいるのかもしれない。
これぐらいか?
とりあえず、現状の考察も書き終えた。ボールペンを置き、長時間の作業で曲がっていた背筋を伸ばす。
「ああ゛~……」
肺が圧迫され、自然と声が漏れる。
「んむ? キョウヘイ先生もうやること終わったの?」
ハルカはいつの間にかノート閉じていた。そこまで簡単な問題じゃあなかったと思うんだがな……理科系の問題は他の問題よりもするする解いているように思える。関心が高いせいかね?
「大まかには書けたな。俺の体についての現状の考察も書きなぐったし、資料もスクラップブックに貼り終えた。明日フエンジムが営業しているかも確認した。装備の点検もしたし、明日の為の作戦会議も終わっている。うむ、今日やることはもうないな」
ハルカが買った本は砂漠の道中でも読めるだろうからそこまで急ぐ必要もないはずだ。確かに伝説は気になるが、その前にジム戦や自分のことで精一杯という感じでもあるしな。
「じゃあもう部屋の電気消していい?」
「おう。構わないぞ。すまんな、付き合わせて」
「いいよ。キョウヘイ先生から出されてた宿題進めてただけだし」
そう言って、ハルカが電気を消そうとした瞬間にピコンッ! という独特な電子音がパソコンから飛び出してきた。現状、このパソコンのアドレスを知っているのは一人しかいない為、差出人については見なくともわかる。
「お父さんかな?」
「パソコン宛となるとオダマキ博士からだろうな。ただ、こんな時間にメールとは珍しい……」
既に23:00を過ぎている。夕立なんかは、御神木様相手に遊び疲れて寝てしまっている時間帯だ。いつもならもっと早くに定期連絡が入るのだが……何かあったのか?
メールボックスからさっき届いたメールを選択し、タイトルを確認すると差出人はやはりオダマキ博士だった。タイトルには『仕事の資料や情報について』と書かれている。追加の仕事はダイゴさんやオダマキ博士から頼まれた依頼ぐらいのはずだからその関係だな。念のためウイルスに感染していないか確認してから開く。
「仕事の内容なんだったらメール読み上げて欲しいかも」
「はいよ」
届いたメールに目を通しているとハルカから鶴の一声がかかった。お姫様の要望に応えるとしようかね。
「『キョウヘイ君へ。依頼を受けてくれたと聞いたので資料を添付しました。そしてデボンコーポレーションから今回の依頼についてで重要な情報が入ってきたのでお伝えします』だとさ」
あの依頼ってデボンも関わって居るのか。新事実だ。思っていたよりも関係者が多いな……ん? なんでデボンが遺跡調査に関わるんだろうか? 遺跡や化石の発掘部門でもあるのかね? ……ああ、そういえば化石からポケモンを復元するなんて技術もあるんだし、デボンコーポレーションにそういう部門があってもおかしくはないか。
「重要な情報?」
「そう焦るな。今続き読むから。えーと……『一部の遺跡や砂漠の地域でモンスターボールがうまく作動しないという情報が入ってきています。つきましてはボールのメンテナンスだけでなく、緊急時にモンスターボールを分解して、ボールの中からポケモンが出てこれるようにしておくべきかと思い、安全な分解方法を明記した資料をお送りいたします』……なんですと?」
モンスターボールが使用できないとか聞いてないっすよ猿渡さん! デストラップか何かな?
「それって、一部の遺跡や地域でポケモンの捕獲ができないってこと……かな?」
ハルカが苦笑いしながら希望的観測を言ってくれているが、続きの文章でその可能性は完全に潰されてしまっている。
「いや、これはもっと酷い方だ。ポケモンの出し入れもできなくなるっぽいぞ」
「……拙いじゃない!?」
「だなぁ。とりあえず遺跡に挑戦する前に、このボールの安全な解体法を身に付けておくべきだろう」
こればっかりはいつもの後は野となれ山となれ作戦が使えそうにない。無計画にバチコーンとしたらそのまま俺達も弾けそうだ。
この情報を知らないと本当に拙いことが起こるだろう。そういえば死体で発見されたマグマ団員達も誰か、ないしは何かに襲われた時にポケモンが出せなかった団員がいて、戦力不足から圧殺されたのかもしれない。いや、そもそも全員がポケモンを出す事ができなくてそのまま殺され、その後モンスターボールごとポケモンを砕き潰した……とか? それなら死因が圧死なのも頷けるだろう。
まぁ、どちらにせよロクな予想じゃあないな。とりあえず、こんな俺の妄想みたいなことにならないようにしないと……
「じゃあ、明日はジム戦の後にボールの買い出しに行かないとね!」
ハルカはさらっと言っているが、ボール解体の技術を学び始める前提にはまずフエンジムで二人共勝って、バッジを貰っているのが前提条件だ。仮にジム戦で負けて、バッジを貰えなかった場合は依頼や遺跡巡りよりも通常トレーニングを優先すると前から言ってあるのだ。それを気にしないということは、ハルカの中では既に勝てると踏んでいるらしい。
「ついでに他の物も買いに行かない?」
「んー……了解」
「なら今日はもう寝て、早く明日に備えよう!」
凄くうきうきとしていらっしゃるようで。
なんでかは分からないが買い出しがとても楽しみらしい。草タイプの多い俺達は、フエンジムとは相性がキツいんだがなぁ……まぁ、それに胡座をかくようなジムトレーナーなら楽に勝てるだろうけど。
上手く作戦がハマってくれれば、明日のメインは網代笠と大賀になるだろうな。御神木様は名脇役に留まってもらう。障害物のいやらしさを味あわせてやろうじゃあないか!
◇ ◇ ◇
「……ん」
顔周辺にゾワゾワとした視線を感じてふと目が覚める。なんなんだいったい。
「お そ よ う ございます」
「うおッ!?」
耳の近くで急に声を掛けられ、布団から飛び起きるとニコニコしたハルカが真横に座って居た。ちょっと……いや、ごめん。かなりビビった。心臓に悪すぎるぞ。
ハルカに目をやると既に着替えや支度は終わっているらしく、いつもの赤いキャミソールに黒のタンクトップ、白のショートパンツにお馴染みのスパッツ。そしてうさぎの耳のように緑バンダナを結んでいるようだが……どうにも様子がおかしい。
「……え? 何? どうしたのさ?」
なんだか笑顔が恐ろしく感じてしまう。笑顔とは本来攻撃的なものであるという言葉が頭の中を走り抜けてゆき、同時に納得できた。俺は寝ている間に何かやってしまったのだろうか? 一瞬ヤバい方向のことを考えたが、俺の拒絶反応はなかなかに凄まじく、寝ていても発生する。なのでマチガイ等は起こっていないはず。そもそも前後不覚になるほど飲んでもいない。
「キョウヘイ先生、横の時計見てみてください」
言われた通りにギギギと錆び付いたロボットのように首を回し、掛けられている時計へ目を向ける。この時点でなんとなく察しはついたが、一応。念のための確認である。目を瞑り、何かの間違いであってほしいという祈りを込める事も忘れない。
覚悟を決めて薄目を開きで時計を見ると――――――時刻は既に13:00を過ぎているようだった。本来ジム戦を予定していた時間帯は10:00頃……
ああ、やっぱりダメだったよ……
「……キョウヘイに何か落ち度でも?」
「落ち度しかないだろうが」
とても静かな声で怒られてしまった。
おこなの? とか言ったら火に油だろう。ここの選択肢は慎重に行かなければならない。俺の中にあるライフカードはどれを切るべきか……うーむ。
いや、既に選択肢などないのかもしれん。ここは伝説のごめん寝をして許しを請うしかないだろう。
いやはや、寝過ごしたなんてことになったのはいつ以来だろうか。ここ数年そんな記憶はない。砂漠の時でもなんとか予定時間には起きていた。ただ、昨日は与作……もといケントさんとの対戦や、自分の体に対する新しい仮説なんかでだいぶ精神力使っていたからその辺が原因なのかもしれないな。
「ごめん寝」
寝ながらまるんと丸まり、この場で最上級の謝罪を行う。どうだろうか?
「あ゛?」
笹食ってる、もとい布団で寝ている場合じゃねぇ! おこだよ! ハルカさん激おこぷんぷん丸やムカ着火ファイヤー、ムカ着火インフェルノォォォォオオウを通り越して激オコスティックファイナリアリティぷんぷんドリームレベルだよコレ!?
「誠に申し訳ございませんでした!」
すぐさま姿勢を正し、右手で敬礼を行う。
「…………はぁ。まったく……とりあえずさっさと準備してジムに向かってもらいます」
「Yes ma'am! すぐに準備いたします!」
呆れた声と共に冷たい視線が突き刺さる中、出発の準備を行う。この辺りの視線の使い方は母親似なのかもしれない……だが、だがしかしだ! 昔はその【ぜったいれいど】な視線に対抗策がなかったが、今の俺にはその視線に対する対抗策がある! それは――――
――――――この凛々しいペンギンマスクだ!
他のマスクでは冷気に耐性が無さすぎる。しかし、このマスクは違う! 極寒の地で生きるモノの力を借り、俺は立ち上がるのだ!
「キョウヘイ先生、また変なコト考えていません?」
「滅相もございません!」
なんでそんなに勘が鋭いんだ。
「……今日のジムバトル、
「ははははは……勿論ですとも、ハルカ様……ちなみに」
「何?」
「期待に添えなかった場合はどうなるのかなぁと」
「……そのマスクを剥ぐ」
「全力で挑ませて頂く所存です!」
負けられない戦いがソコにある!
◇ ◇ ◇
御神木様達全員から冷ややかな視線を浴び、軽く準備運動をした後にフエンジムへと向かう。誰か起こしてくれたってよかったじゃないという俺のボヤキは受け取り拒否されてしまっているらしい。悲しいね。
急ぎ気味の自転車で向かったからか14:00より少し前にはフエンジム前に到着した。
ジム戦はキンセツジム以来久方ぶりだ。オダマキ博士やハルカ曰く、これでもだいぶテンポが速いらしいがそんな実感は正直あんまり無い。それにカナズミジムはともかく、前回のキンセツジムは相手が既にボロボロだったからなぁ……だが今回のフエンジムはそうはいかないだろう。気を入れ替えないとな。
「あ、コンビニでちょっと飲み物買ってくるから先にバッジの数とか記入しておいて」
……いや、まぁ俺が悪いんだけれどね。本当に大賀とか俺を起こしてくれても良かったのよ?
「たーのもー」
中に入ると綺麗な紅葉と露天風呂のような石畳、そして水の流れる音、追加で大量の湯気に迎え入れられた。どうやら内部に温泉を引いているようだ。金かかっているなぁこのジム。あ、でも仕事終わりに温泉入るなんてこともできるのか。流れる温泉……アリだな。
――――あれ? 何軽く流しているんだ俺よ。流れる温泉だけに思考も流しましたってか? おい。俺の記憶の中にあるフエンジムとだいぶ異なっているんだぞ。どういうことだ? だいぶどころではない。温泉を使っていたのは覚えているがあんな大掛かりの流れる温泉なんてなかったはずだ。
今まで挑戦してきたカナズミジムやキンセツジムは
「お。元気しとぉや! 未来のチャンピオン! ここのジムに挑戦か?」
俺がジム内に入って固まっていると、それに気がついたジムアドバイザーが声をかけてきた。独特なジムアドバイザーだなぁ……ゲームでもこうだったっけか? 流石にこの辺りまでは覚えていないんだよな……
「はい。今日はどれぐらい人が来ていますか?」
気を取り直して記入用紙に名前、年齢、現在所持しているバッジの数、その他必要な記入を行ってゆく。戸惑いはあるものの、この状況は俺に完全に有利だ。水場があるのなら……タイプ相性なんて簡単に覆せるな。最後にルールを読んで合意するにチェックを入れる。さて、これでようやく正式なフエンジム挑戦者となった訳だ。
「あんましえらいたくさんはなか。今んところ挑戦者は6人だな!」
6人か。キンセツジムの時は俺とハルカがジムに着いた時点で60人超えてたからあの時の1/10の数しか挑戦者がいない。空いている……いや、アレと比べるのはマズイか。決して人気がないとかそういう訳ではないのだろう。アレが異常なだけなはずだ。
「そいで内2人のバッジばゲットしとるな」
そう言いながらジムアドバイザーが自身が立っている横の石像を指さした。石像にはディスプレイが埋め込まれておりに本日のバッジ入手者の名前が出ているようだ。
「キョウヘイ先生、記入終わった?」
そして狙いすましたかのようなタイミングでハルカが帰って来る。
「今さっき書き終わったところ」
本日のフエンジムジムリーダーアスナ認定トレーナーと書かれたリストの中に見慣れた名前が一つ。ハルカの名前が一番上に表示されている。わー、しゅんごーい。
「ああ、やっぱり先に挑戦しに来たんだな」
正直そんな気はしてた。時間あったもんね……うむ。全面的に俺が悪い。
「えっへん」
同年代の平均以上の胸を張って威張るハルカ。後で用意していた
「む、あんだ達は知り合いばってんいたんか?」
ジムアドバイザーが目を丸くしている。
「ええ。一緒に旅をしていまして」
「わたしの個人教師です」
「ペンギンの先生なんかい。変わっちいるなぁ……なして一緒に朝いっちゃんに並んで挑戦しなかったんだ?」
すっと視線を左横にズラす。右側からの圧力が凄まじいです。はい。すみません。
「……俺が寝坊いたしまして」
「あははははは! 面白か先生やねぇ。いい、そーだ。一応聞いておくばってんこんジムで戦う際んアドバイスは必要か?」
個人的にはなくても良かったんだけれども……こうもジムが様変わりしているとなると予想外の所で躓きかねない。聞いておいた方が無難だろう。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥とも言うしな。
「お願いします」
「わかった。ではこんジムについて説明しゅる。まず移動はこんレール付きん板に乗っち下に降りたり、上に昇ったりしゅるんだ。上でしか通れんけん道っち下でしか通れんけん道のあっけんから注意せんねちゃ。最奥まで進んだらフエンジムジムリーダーアスナと戦闘だ。炎タイプのポケモンの使い手で、ポケモンに対する情熱は火山よりも激しくあちぃっ! うっかり近づくと火傷するから水で冷やしながら気張ってこーな!! ……お、ジムトレーナーん準備の出来よるげな」
その言葉を聞いて目の前にある板に目をやる。アレはなんなんだ? そして安全面的にはどうなんだろうか? いや、まぁ他のジムも安全面的にどうなんだろうと思う物も多かったけれどさ。
「わたしは見学を希望したいのですけれど……」
「お嬢ちゃんは右っかわ側にあっけん事務室ば抜けるっち個室んカメラ付き観覧席に繋のっちおるからスタッフに案内しゃしぇちゃう」
「あ、ハルカ。録画貰えないか事務員さんに聞いてみてくれ」
「わかったかも」
さて、じゃあ俺はとりあえず先に進むとしようか。そう考えて先に進もうとした時――――
「挑戦者はちょこっと待てくれ」
――――ジムアドバイザーに呼び止められた。ちょいちょいと手で招かれているので不審に思いながらもとりあえず頭を寄せる。
「今回初めに当たるジムトレーナーなんだが、午後から初めて挑戦者っち戦う新人でな。先輩ジムトレーナーっち戦わしぇて見ても、『先輩達は俺様よりも長く戦っているから負けても仕方がない。だけどジムの挑戦者なんかには絶対に負けるはずの無いからこの態度も変える必要がない』っち、どげんにも尊大な態度の抜けなかねら躾ん為に戦う時は全力で叩いて貰いたいんだ。協力してもらえなかちゃろうか?」
「……それは単純にそちらの新人教育が失敗しただけでは?」
「ぶっちゃけ、新人くんジムトレーナーが居る意味を履き違えているんだよね。ここはあくまで実力を見極める為の場であって、全力で蹴落とす為の場ではないし、何よりも挑戦者を見下すのはあってはならないんだ」
急に標準語で真面目に喋られると、なんか戸惑いを超えて違和感が出てくるな。ただ言いたい事はわかる。
ジム戦というのは言わば確認の場である。タイプ毎の特色を前面に出したジムがあり、その傾向を予習し、対策を練って復習しているかの確認を行う。ジムトレーナーは明らかにそのレベルに達していない者を篩い別ける為の基礎問題のようなものだ。
その本来基礎問題であるはずのジムトレーナーが、最初から全力で応用かましてきたら問題になるだろう。高校生が小学生相手に実技面でマウント取ろうとするようなものだ。
「まぁ……こちらも俺が寝坊したせいで、後ろの予定が詰まっているから全力でまかり通るつもりですが……まずなんでその話を俺に?」
「あんお嬢ちゃんん教師役っちゆうこつな、あんお嬢ちゃんちゃりも強かんやろ? いいつは新人ん中ではいっちゃん強かからヘタなトレーナーではこん話ば任しぇられんけんんだ。だからデビュー戦で鼻っ柱ばへし折っち貰いたい」
ああ、キャラをそっちに戻すんですね。うーん……まぁ、いいか。元より手を抜く余裕もないし。
要はタイムアタック気分で最初から最後まで進めばいいんだろう? これ以上ヘタに遅れるのだけは拙いし。俺の方こそおごった態度とも取られかねんが、それだけの自信がなければ弱点タイプのジムなどに挑戦できん。
「わかりました。ただ、どうなっても知りませんよ?」
「いりのたい。では挑戦頑張っちくれ!」
ジムアドバイザーからの激励を受けてから明らか様にこれに乗れ! と主張している板の上に乗って少し待つと、ゆっくりと板ごと下の階層に降り始めた。どうやら下はパイプ状のガラスで覆われているらしい。ビート板の上で立っているような浮遊感を感じる。パナマ運河の水位エレベーターに近いようなものなのかもしれない。
……どんだけ金かけているんだよ。ロマンなのはわかる。わかるけど……メンテナンス費が凄そうだなぁなんてのも考えてしまう。
完全に下の階層に板が降りると、ガラスのパイプが上へ収納される。ほへー、とそれを眺めながら一歩踏み出すと、ばしゃりッ! とツナギの裾を盛大に温泉の中に沈ませてしまった。下を見ると足場である石畳の上にも流れる温泉で満たされており、ここは本当に炎タイプのジムなのかと葛藤を覚える。まぁ俺的には構わないけれどさ。むしろ大歓迎です。
両足を流れる温泉に突っ込んでみると、くるぶし以上脛以下程度の深さだということがわかった。意外と水深があるようで、これ着地にミスると足を取られる可能性があるな。
既に色々と崩されっぱなしだがこれから先はもう気にしないでおこうと心に決め、前に進もうと顔を上げると、少しぽっちゃりとしたジムトレーナーと目が合った。件の第一村人との遭遇である。
「お前が俺様の初犠牲者か。俺様の名前はアガヨシ、不甲斐のなさすぎる先輩方に変わってシダケポケモン学校最優秀卒業者の俺様が相手になってやるのだから光栄に思うといい。ああ、お前の名前は聞かないよ。ザコの名前なんて覚えても意味ないし、いちいち聞いても仕方がないだろ? ま、せいぜい大火傷しない程度に逃げ回るといいさ! 行けよ! ドンメル」
「メルゥ~」
なんだろう……この残念な子は。13~14歳ぐらいだろうか? そしてこのステージで、いや、こんなステージでドンメルか。ドンメルって図鑑か何かの説明で水に触れるとマグマが冷えて動きが鈍るとか書かれていた気が……いや、支給されたポケモンなのかもしれないし、そもそも炎タイプのジムなんだ。ポケモンの選出については間違いではない……はず。
「まさか初対面の人間に初っ端から喧嘩を売られるとは思わなかったな……なぁ、御神木様?」
「クギュ」
御神木様も同意してくれている。これは相当だぞ!?
俺達の先鋒は御神木様。確かに普通に考えたら選択しないポケ選だろう。ただ、自分にとって有利なポケモンが無用心に出てくるなんて、普通は逆に用心する状況だろうに。
それにステージ自体もそこまで広くはない。横は大きめの地下鉄の通路ぐらいだろうか? 少し奥行がある程度だな。足場には流れる温泉、うん。そこまで問題になりそうなものは無いな。
今回持ち物は、御神木様が食べ残し。大賀がオボンの実。網代笠が木の実ジュースを持たせた。このステージと組み合わされば、例え炎タイプが相手でも十分以上に働けるだろう。ハルカならこういうステージでは俺に戦いを挑まないだろうな。
「ぷッ、アッハッハッハッハッハッハハ。お前タイプ相性すら知らないのか? なんでそんなおつむの奴が俺の初戦相手なんだよ。情弱なお前に心の広すぎる偉大な俺様が施しを与えてやろう。貴様が出したそいつは炎4倍弱点なんだぜ? これで一つ賢くなったな?」
「御託はいいからさっさとやらないか?」
これ以上長引かせてハルカの機嫌を損なうのは頂けない。相手がこちらを舐めきっているのなら上手く刺激して早めに終わらせよう。
「お前ェ! せっかくの俺様の好意に唾を吐くのか!」
「この勝負、合意と見てよろしいですね?」
白いハーフYシャツに黒のズボン。あとは赤い蝶ネクタイか。おおう……なんか以前に見たことのあるレフリーですね。具体的にはカナズミジム辺りで。何? 双子なの? 瞬間移動なの? ストーカーなの? ガチでジョーイさん達みたいに兄弟なの? 五飛教えてくれ、御神木様は俺に何も言ってくれない。
「それでは――――第1戦目、ポケモンバトルゥーーーファイトォ!!」
「ドンメル! 【ひのこ】だ!」
「メルメル~」
ドンメルはお湯に足が浸かっているせいか非常にゆったりとした挙動なのだが、それでも先攻を取ったようだ。その独特な背中から【ひのこ】を御神木様に向かって撒き散らす。かなり狙いが大雑把だな。それに通常なら4倍弱点という俺達にとってとても驚異となりうる技だが、ここでソレは悪手だろう!
「御神木様【ステルスロック】」
そう指示を出した瞬間、御神木様にドンメルの放つ【ひのこ】が直撃し、黒い煙が立ち上らせてゆく。しかし、ワンテンポおいてから乱雑に【ステルスロック】が辺りに撒き散らされる。
ゆっくりと黒煙が晴れるとその中から元気そうな御神木様が現れた。その場でいつも通り回転している。
「なんで倒れていないんだ!? 4倍弱点だぞ!?」
その動揺は命取りだな。
ハルカのワカシャモが放つ【ひのこ 大玉】は流石に無理だが、【ひのこ】程度までなら御神木様は素の耐久力だけで受け切ったりできるんだ。足元に水があって、尚且つハルカのワカシャモよりも特攻が低いドンメルが一撃で倒せるはずもないだろう。ただ、俺が想定していた以上に元気なのが不思議なところであるが……まぁ都合が悪い訳ではないし今は流しておく。
さて、久方ぶりの、なんの変哲もない【ステルスロック】だ。ただ、今回のこれは後の為の布石であり、昔見たものよりもゴツゴツと角張っていて、尖りよりも大きさや数を優先している。これが乱雑な障害物として活きてくるのだ。
「次、【ステルスロック 大石槍】」
「クギュルルルルゥ!」
その場で回転数が上がってゆき、足下から水を巻き上げて表面に薄い水の壁を作り上げる。擬似的な【みずあそび】状態に近いだろう。これによって炎タイプの威力を1/2としながら攻撃の準備を行うのだ。一石二鳥とはまさにこの事だな。
回転音が変わった瞬間に18本もの大石槍が生み出され、順次発射体勢が整った。さぁ反撃を行おう。
「串刺せ、御神木様!」
「ドンメル【なきごえ】だ!」
「ドンメメル~――――ルッ!?」
「クギュルルルルッ!」
このドンメルを犠牲にして、御神木様が居座らないように【なきごえ】で負荷をかけてきたか。だが残念だったな。俺は最初から次は網代笠を出すと心の中で決めていたのだ。なので特に問題なかったりする。
御神木様から放たれた何本もの石槍が、相手側の【ステルスロック】を破壊しながらドンメルに直撃してゆく。下手に御神木様の攻撃を下げてしまったせいだろう。なかなか倒れることができず、結局16発もの石槍がドンメルに叩きつけられ、標本のようになってからドンメルは倒れた。ドンメルが居た辺りの【ステルスロック】は完全に砕けきって広場のようになってしまっている。
「……ドンメル、戦闘不能!」
まずは一匹。あと何匹なんだろうか?
「クソッ!! なんなんだコイツ! だがまだドンメルが一匹倒れた程度だ。それに自分で設置した【ステルスロック】を破壊してやがるし、これなら俺様のポケモンはダメージを喰らわない! 行け、マグマラシ!」
「マグマラシッ!」
おお。金銀版の俺の相棒じゃあないか! 高めの素早さから放たれる【かえんぐるま】や【えんまく】は驚異と言えるだろう。そしてバクフーンに進化したらスカーフ装備の【ふんか】が対戦では猛威を振るうのだ。あの時代は受けループが恐ろしかったんだよなぁ……懐かしい。
「戻れ御神木様。まぁ、だからと言って負けることはないかな。なぁ? 網代笠」
「キノコッコ!」
御神木様を戻して網代笠を繰り出す。ここからが今日の本題だ。御神木様がフィールドにお膳立てをしてくれている。あとはこの環境をどれだけ活かせるかだ!
「――――さぁ、状況に、環境に順応して見せろ網代笠! お前にはソレができるはずだ」
繰り出された網代笠はすぐさま近くにある【ステルスロック】に身を隠す。作戦開始だ。苦手なタイプのポケモンでもかき回してやれ!
「まず【しびれごな】を周囲に撒け!」
「キッノ!」
ボフンッと網代笠の周囲に黄色い【しびれごな】が舞い上がる。巻き上がった【しびれごな】が周囲に不可侵域を作り出すのだ。そしてこれで相手側からは完全に網代笠は見えなくなった。そして、その瞬間に網代笠は【ステルスロック】の陰で温泉に身を浸す。だいたい体の半分ぐらいが浸かる感じだ。
あれなら相手からの苛烈な攻撃に耐えられるだろう。
「……奴はなんであんな遠くで【しびれごな】を撒いたんだ? まぁいい。引火して自爆したいのならそうさせてやろう! マグマラシ、【ひのこ】!」
「ラシィッ!」
アガヨシはガジガジと親指の爪を噛みながら必死に考えているようだが想定通りだ。礼を言おう。下に流れている温泉でハンカチを濯ぎ、口に当てる。
飛来した【ひのこ】によって【しびれごな】は引火し、黒煙や焼けた匂いを出しながら一気に燃え広がる。突如出現した黒煙のせいでかなり視界が悪くなってしまう。そして、それに対応するようにジムの換気扇が一斉に唸り声を上げ始めた。
――――これを、この瞬間を俺達は待っていたんだ! 音を立てないようにゆっくりと、静かに立ち上がった網代笠に追加で指示を出す。ここからは時間制限付きだ。
「網代笠、【かげぶんしん】を出して周囲の岩陰に走らせろ!」
無言の網代笠からすぅッと色の薄い分身が11体ほど現れ、様々な方向へ一斉に走り出始める。黒煙で視界を覆い、【かげぶんしん】によって音で判断できないようにする。【ステルスロック】に流れる温泉が当たって様々なところから水音がしているのは想定外だったが、こちらに分があることに変わりはない。ここからは狩りの時間だ。
いつまでも自分達が強者だと思っているから、こうやって足元を掬われるんだぞ。
「させるか! マグマラシ、【かえんぐるま】だ!」
「グマッ!」
ゴシャッ! っと凄まじい音を立てて【ステルスロック】の一部が破壊されたが、音はかなり見当違いの方向からだ。なんの問題もない。
「クソッ! 外したか。だが奴の攻撃もこれなら当たらないだろう」
「甘いな、甘すぎる。ミルクと砂糖アリアリのココア並に激甘な思考だ。網代笠、【タネマシンガン】」
「何!?」
「グ、グママッ!?」
流れる温泉に混じって微かな発射音が3発分聞こえ、確かな着弾音が辺りに響いた。岩に当たった音じゃあないな。しっかりと直撃させたらしい。まだまだ大賀に比べて精度は甘いが流石である。
「なんで! どうして攻撃を当てられるんだ!」
そいつは網代笠の目の良さだ。相手より先に見つけて戦闘になる前にさっさと逃げるという特性:早足の恩恵だよ。教えないけど。と言うか特性を覚えていないのか?
「そのまま黒煙が晴れるまで隠れながら【タネマシンガン】を継続!」
視界が悪い中、隠れ、逃げつつもチクチクと【タネマシンガン】で攻撃する。時折、視界が晴れてアガヨシの顔が見えるが凄まじい形相になっていた。あれを鬼の形相というのかもしれない。そろそろ齧っている親指から血が流れ始めているかも?
それに一方的に攻撃されるストレスというものは凄まじいものだ。FPS系のゲームでスナイパーに狙われ続けるとか……恐らく頭の血管切れる奴が現れるだろう。顔真っ赤になった奴は行動が単純化しやすい傾向になるのに。
「クソックソックソッ! フザけたマスク付けたような奴にここまでいいようにされるだと!? 巫山戯るなよ! マグマラシ! 【かえんぐるま】をさっさと当てろ!」
かなりお冠らしい。
「巫山戯ているのはどっちだよ。自分が勝てないからって駄々こねても意味ないぞ。一発でも良いのが当たったら俺達は負けかねないんだから、慎重になるのは当たり前だろう? だからこれはしょうがないことなんだよ」
あえて神経を逆撫でして煽る。もう黒煙も薄くなり始めているし、そろそろ一度様子見しようか。
「網代笠、一旦【タネマシンガン】の追加をしろ! 動きは任せる」
【タネマシンガン】の追加を要求しながらマグマラシの方に目をやると、もうそれなりにボロボロになっているように見えた。なるほど、網代笠はかなりよいスポッターになれる素質があるな。性格意地っ張りを矯正できるとは俺も思っていなかったけれども。
そしてなかなかにドSなようだ。ニコニコと笑っているのがここから見える。手でも降ってみようかね?
「! あそこから【タネマシンガン】が放たれたぞ! マグマラシ、【かえんぐるま】!」
「グッ、グマッ!」
マグマラシが【かえんぐるま】を纏って攻撃を行うが残念。そこは先程まで網代笠が居た場所だ。それにしても、先程から何度も何度も【かえんぐるま】で【ステルスロック】ごと影を潰しているせいか、流石のマグマラシもバテ始めているようで完全に肩で息をしている。
――――ならそろそろ締めのアレをやろうか!
「網代笠、プランBだ」
「キノコッ!」
昨日の夜から決めていた作戦名プランB。それは――――
「キノコココココォ!」
「アレだ! 今移動しながら【タネマシンガン】を放っていたのが本体だ! 今までの鬱憤の分、全力で【かえんぐるま】を叩き込んでやれ!」
「グママママッ!」
マグマラシが全力で網代笠に走り寄って行き、右回りで岩陰に隠れた網代笠に追撃をかますように【かえんぐるま】を叩き込む。全身全霊の【かえんぐるま】という一撃によって岩は木っ端微塵に砕け散った。そうして砕けた岩や炎が後ろに隠れて居た網代笠に直撃する。
すると網代笠の体は吹っ飛びながらゆっくりとかき消えてしまった。
「……え?」
――――岩陰での【かげぶんしん】の影と本体のスイッチだ。歪な6を描くように岩陰を回り込み、その陰で入れ替わることで影を一体犠牲にして無理やり隙を作る。そうしないとアレが当てづらいだろう?
「その隙は見逃せないな! 網代笠、構え!」
「キノォッ!」
一瞬、呆然としてしまったマグマラシの左斜め後ろから、回り道をしていた網代笠が勢いよく現れる。腰をひねりながら飛び上がり、未成熟な腕を光らせて【きあいパンチ】を構える。
「!? マグマラシ【かえ「遅い! 【きあいパンチ】!」」
そのまま唸りをあげる右腕が、軌跡を描きながらマグマラシの後頭部を捉え、そのままステージの壁へ叩きつけた。
「ぐ、ぐ……ま……」
壁に叩きつけられてもなお、その場でガクガクと足を震わせながら立ち上がろうとするマグマラシ。これほどのダメージを受けてもまだ立ち上がろうとするのか! 凄い根性だな。
「ま……きゅう」
だが今までの攻撃で完全に精神力は使い果たしていたようで、とうとう崩れ落ちた。
「マグマラシ戦闘不能! よってこの勝負、挑戦者の勝利!」
手持ちは2匹だったのか。これでとりあえず先に進めるな。
「よし、まずは一勝だな。御神木様も網代笠もお疲れ様。おいしい水を進呈しよう!」
「クギュ」
「キノコッ!」
バックパックからおいしい水を2本取り出して、キャップを開けてから2匹に差し出す。
「おい!」
すると、アガヨシに呼び止められた。その表情は先ほどの憤怒の表情から打って変わって無表情としまってなっている。
「なんだ?」
「お前の名前は?」
名前……どうしようかね? プリニーって言うか、それとも本名を言うか……いや待て。認定トレーナーになったら石像の電光掲示板に名前が載るから知られるのは時間の問題だな。言うか。
「……キョウヘイだ」
「……キョウヘイか……覚えたぞ」
そう一言呟いてからアガヨシは通路奥のスタッフ用の扉を開けて帰ってしまった。
「これで良かったのだろうか?」
とはいえ、まだまだフエンジム攻略は始まったばかりだ。こんなところで後ろ髪を引かれている場合ではない。さっさと攻略しなければ……