ブルースクリーン・オブ・デスの画面が頭の中に大きく浮かび上がってきた。ああこりゃダメだ。再起動しないと。フラフラとした体をその場で屈ませて、バランスを崩して転ばないように体を支える。頭に手を置くと猫の毛に似たサラサラとした感触が掌全体に伝わって心地いい。
「ああー…………すぅ……はぁ、よし」
ゆっくりと呼吸を繰り返して、精神と思考を再起動させてゆく。一周回って落ち着いたわ。ついでにバグっていた頭に活を入れ直す。
「確かにありえなくは……ないん……だよな?」
アルセウスは神話に載る程度には古いポケモンだ。ホウエンとシンオウでどっちの歴史が古いかは専門家に聞かなきゃわからんが、載る以前にホウエン地方に訪れていてもおかしくはないだろうし、載った後だとしてもそこまで不自然ではない。なぜなら定住していただなんて情報はないのだから。
そもそも、今までなんでシンオウ地方のポケモンである
なるほどこれが答えか。
あいつ、昔ホウエン地方に居た時期があった訳だ。だからホウエン地方についての知識もあると。やっぱりカイオーガの件は碌でもない気がしてきたなぁ……
となると砂漠の絵の中で堂々と立っているアルセウスに対し、家のようなものの中で怯えるナニカ達の心情も理解できなくはないな。もし仮に、これがホウエン地方で初めてアルセウスが確認された瞬間だとすると、そりゃあ怯えもするだろう。
俺がスイクンと対峙した時でさえ、その場から動くことすらできなかったのだ。ゲームのデータがこっちでどれだけアテになるかは分からないが、アルセウスは純粋に種族値だけで考えてもスイクンの2回りぐらいは強い。少なくとも他の世界から俺を引っ張って連れてくる事ができるような馬鹿げた力を持っているのは確かだ。ついでに物体の移送もできるみたいだし。
そんな力の塊みたいな奴が突然家の近くに現れたら疑問が浮かんだり困惑もするだろう。そんな天災が不意に降りかかってきたら諦念もするだろうさ。
そう考えると、家のようなものに隠れているモノがとても人間らしい行動をしているように思えた。どこか親近感すら感じる。降って湧いた意識のある災害に対して、抵抗などは意味がなく、そうなれば最早諦念するしかない。
その意識が自らに向かないように伏して縮こまるしかないのだ。
――――『それでも…………それでも、身を屈めて縮こまる事で天災が過ぎ去るのを待つのではなく、対決をして天災を乗り越えて欲しかった』
……ん? なんか思考が飛んだな。まぁいいや。いつものことだ。最近また多くなってきた気もするが、どの道対処の方法なんてない。
とりあえず、この絵について自分的には納得できたし、そろそろ固まってないで石版を紙に写し始めるか。
「ブイィ?」
ぽんと膝に前足が乗せられる。少しだけ目線を上げると夕立が心配そうな目をしていた。何か心配かけさせちゃったかね。
「大丈夫、軽く脳内で再起動かけてただけだ。落ち着いたから心配すんな」
軽く夕立の頭を撫で回すと、心なしかまだ観察されているように見えた。そんな夕立が見守る中、バックパックから紙やペンを取り出して立ち上がる。とりあえず1枚目の石版から写していこう。
「「「カゲカゲカゲ!」」」
ノートに石版の文字を写そうとすると、背後ではまるで関係ないとでも言うようにカゲボウズ達が大笑いしているのが耳に入ってきた。
視線を向けてみると、何が面白いのかわからないがほぼ全員が虚空を眺めて騒いでいる。いったい何を見ているん? そこから少し離れた場所で、酔いから微妙に覚めたジュペッタや進化が近いのか身代わり人形の中に入り込んだカゲボウズだけが、この部屋の入り口の方をじっと見ているようだ。
意識的に何かを警戒しているのだろうか? 警戒する必要があるという事は相手は徘徊している? 先ほど注意されたモノと同じでいいのかね。
「カゲゲゲゲ」
カゲボウズの1匹がゲラゲラと笑い転げている。うーむ……本当にあのジュペッタが警戒するような相手がこの遺跡にいるのか? どうにも緊張感が薄すぎる気が……
「こーの酔っ払い共め」
だから飲んでも飲まれるな。飲む時はしっかりとつまみも食べてアルコールの吸収を抑えろとあれほど……あ、こいつら怨みを食ったせいで酔ってるんだったか。
冷静になった頭でここまで考えて、ふと今の言葉に違和感があった。今まで調べてきたポケモンの情報で、ゴーストタイプが怨み等の仄暗い感情を好むというのは判っているが、それらを彼らが食べる度に酔っていたのだろうか?
しかし少なくとも、一般的なゴーストポケモンの生息地であり大型の墓地である送り火山で、ゴーストポケモンが酔っていただなんて話や論文は見たことも聞いたこともない。
模写し終わったらその辺りの事をジュペッタに聞いてみるか。
◇ ◇ ◇
「ゴンベは【しねんのずつき】で押さえ込んで!」
「ゴンベ!!」
体が重く沈むように感じるほどの強いプレッシャーの中、ゴンベが額に念力を込めた頭突きを行ってサマヨールを押さえ込もうとする。しかし、【しねんのずつき】が当たる直前でサマヨールの包帯だらけの右手に止められてしまった。
「ゴン!?」
ゴンベがそこから押し込もうと力を込めているのに、サマヨールはビクともしていない。それどころか、ただただ前へ進むだけでゴンベとの力比べに押し勝ってしまっている。体格差のせいか、まるで大人に対して子供がじゃれついているようにさえ見えて仕方がない。
ガーディの特性:威嚇込みでも物理攻撃力が足りないとなると、かなり不味いかも。
サマヨールがこちらへ3歩進んだ頃にはゴンベは完全に体勢を崩されて押し負けてしまっていた。上から押し付けてくるようなプレッシャーが更に増した瞬間、ゴンベの踏ん張っている足が地面にめり込んだ。それとほぼ同じタイミングで設置した時にバランスが危ないかなと思っていたテントの一部が
なんで遠くに設置されたテントが倒壊して……ん、押しつぶされた? ――――――まさか【じゅうりょく】!? キョウヘイ先生からダブルバトルで有効な技だって聞いたことがあるけれども、ここまで攻撃的な技だとは聞いていない。
完全に体が重たいのはプレッシャーのせいだと錯覚していたけど、上手くカモフラージュされていつの間にか相手に場を整えられてしまったかも。
「ガーディは【かみつく】で援護!」
「ガウッ!」
ガーディがサマヨールの足に【かみつく】を行って援護をするも、ダメージが通っているようには見えない。どこか朧げな琥珀色の世界の中、ゴンベを真正面から押し出し、ガーディを引きずり、左手を濃い紫色に光らせながらこちらへ向かって歩みを進める。
(…除……する)
何故か頭の中で声のようなものが響いた気がした。
「2匹がかりでも止まらないの!?」
「クギュルルル!!」
御神木様がサマヨールの背中へ【やどりぎのタネ】を植え付ける。無防備だった背中に種が直撃し、包帯の内側へ根が張られてゆくと根に押し出されたのか、左胸の辺りから淡く透明なピンク色の光を放つ純度の高そうな輝石が顔を見せた。
「ゴ!?」
「く、クギュ!?」
それに気がついたサマヨールが鬱陶しいとばかりに右手で握っていたゴンベの頭を軽々と持ち上げて、体を捻る要領で御神木様へ投げつける。咄嗟に御神木様が【こうそくスピン】でゴンベを受け流そうとするも、質量差からか完全に受け流すことができずにボウリングのピンのように弾き飛ばされてしまった。
「ゴ……ン……」
御神木様に投げつけられた後、地面を転がりながら受身を取ったゴンベは足をガクガクさせながら立ち上がったが、御神木様は動きがない。今までのダメージが蓄積してしまって完全に戦闘不能にさせられてしまったようだ。
サマヨールの攻撃はそれだけに留まらず、追撃するように空間を大きな歪みが風と共に走り抜けてゴンベに直撃し、再度壁へ叩きつけられて戦闘不能になってしまった。
「ゴンベ!?」
一瞬で御神木様とゴンベが倒されたことに戦慄する。ダメージをかなり食らっていたとは言えゴンベは特殊防御力が高い。その上でとなると今のは【サイコキネシス】かも。
やっぱり今まで戦ってきたポケモンの中で一番強く、無慈悲だ。
サマヨールは止めの一撃を受けてゴンベが戦闘不能になるのを見届けると、そこから反対に捻るようにして拳を構えた。わたしまではまだ届かない。だとすると――
「飛び退いて!」
――声を聞いてガーディがエビのように後ろへ飛び退く。そのガーディの顔スレスレをサマヨールの【シャドーパンチ】が通り、メシャリと鈍い音を立てて地面を陥没させた。もう少し遅かったらあの拳が直撃していただろう。
相手にとってチャンスだった攻撃が躱されたにも関わらず、まるで無関心のように体勢を立て直してからサマヨールは再度歩き始める。
このまま近づかれたら拙いと感じて後ろへ下がろうとした時にふと、ほかの色を飲み込むように赤く光る目と視線が合った。それに気が付くとまた背筋が凍りつき、足がすくんでその場から後ろへ下がれなくなる。
最初のように不意に殺意を受けた訳ではない。それなのに体が恐怖で引きつってしまっている。
おかしいおかしいおかしい……何かが変だ。呼吸が乱れて引きずられるように思考も乱れる。何故か動けなくなってしまったわたしを見たガーディが、再度サマヨールの右足に【かみつく】をして妨害して時間を稼ごうとする。しかし、引きずられてしまいほとんど意味をなせていない。
乱れた頭の中でまたもや誰かの声が響く。
(排除……する)
「ガ……ディ……ッ!」
酸欠からかだんだんと霞む視界の中で、ガーディは無防備だった脇腹へ紫色に光る【シャドーパンチ】が振り下ろされ、中央テントの方へそのまま殴り飛ばされてしまった。
(契約……に……従い……侵入者……を……排除……する)
契約? 排除? ……だめだ。頭の中がボヤけてしまって思考が定まらない。意識が遠のいて視界が白く霞む。
「ナックラーッ!」
不意に体が今まで固まっていたのが嘘のように動き出した瞬間、メキャッと金属を叩き潰したような凄まじい破砕音が響いた。
「ゲホッ! ハーッ、ハーッ……」
バランスを崩した体勢で呼吸を整える。ピントの合わない目で必死に状況確認をすると、いつの間にかワカシャモがわたしを守るように目の前で身を挺して守ってくれていたようだ。
「あ、ありがとうワカシャモ」
「シャモ」
お礼よりも前を見ろと注意されて改めて前をしっかりと確認する。サマヨールの方は今まで眠らされていたナックラーが万力のような口で、殴ろうとしていた右手を横から文字通り【かみくだかれて】いた。【かみくだく】ってあそこまで威力があっただろうか?
すぐにナックラーは払い退けられてしまい、地面を滑り転がるようにして受身を取る。
「ナック……ラー……?」
声をかけてみるけれど、ナックラーの様子や目がおかしい。
「ラ゛ァァァアッ!」
その攻撃的な目は完全に憤怒に染められてしまっているように見える。わたしが攻撃されたから……という訳ではなさそうだ。もしかするとナックラーはこのサマヨールについて何か知っているのかもしれない。
サマヨールが真っ赤な目を光らせながらナックラーを見るが、そんなこと関係ないとばかりに咆哮をあげながら【かみくだく】で足を潰そうと下からの攻撃を繰り返す。
「……目?」
そうだ。最初はともかく、さっき体が固まる前にあの真っ赤で印象的な目と視線が合った。でもナックラーもサマヨールと視線ぐらい合っているだろうし、他にも条件があるのかもしれない。あの時わたしはどうしようとしていた?
――――後ろに下がろうとした? いや、もっと言うと
その目を見たポケモンは逃げられなくなる技、【くろいまなざし】だ。でも見た感じはアレは全然黒くない。ナックラーは後ろに下がる気がないから効いていないのかも。でもあんな捨て身の攻撃を繰り返していたらすぐにバテてしまうだろう。現に、ナックラーの【かみくだく】の隙を突かれて何度か【シャドーパンチ】のカウンターを食らってしまっている。
せめてもの救いは、最初のナックラーの一撃で利き腕と思わしき右手を破壊したことだろうか。そのおかげで【シャドーパンチ】の威力が少し落ちている。また、攻撃の頻度も少ない。どうやら噛み潰されないように注意しているようだ。
今のうちにゴンベ達を回復させたいけれども、今バックパックはガーディが殴り飛ばされた中央テントの中にある。
わたしが自力でバックパックを取りにサマヨールから離れようとしてみるも、予想通りすぐに体が動かせなくなってしまった。向こうが離れるのは問題ないけれども、こちらが離れようとすると足が動かなくなるようだ。【くろいまなざし】がこんなに強制力の強い技だなんて聞いたことがない。どう考えてもおかしいとは思うけれど抗う術がない以上、この状態で倒し方を考える必要がある。
その上で、やっぱりどう考えてもこのままナックラーが倒されてしまったら
「ワカシャモ、中央テントの中にあるバックパックを持って来て」
ワカシャモが無言のまま頷いて中央テントの方へ走り始める。今自由に動けるワカシャモに回復を頼んで、最悪の場合はこれを使って自力でどうにかするしかない。そう考えながら腰にかけてある鞭に手を触れる。まさか前習った鞭を遺跡で本当に使うことになるとは思ってもみなかったけど。
サマヨールも音を聞いてワカシャモが中央テントへ走り始めたのを認識してしまったようだ。しかし、ナックラーが捨て身の攻撃を続けているため、下手にワカシャモへ攻撃を行うとそのまま足に【かみくだく】が直撃するだろう。
ナックラーと攻防を繰り広げている間にバックパックを見つけたワカシャモが中央テントから出てくる。その瞬間、サマヨールの動きが変化した。完全にナックラーを無視したのだ。
ゴンベの時のように足を止めて、【サイコキネシス】独特の大きな空間の歪みがワカシャモへ向かって凄まじい速度で走り始める。
しかし、ナックラーもその隙を見逃さずにサマヨールの右足を【かみくだく】。凄まじい音を立てて包帯を巻いた足をあらぬ方向へひしゃげさせたが、それでも尚サマヨールの攻撃は止まらない。片足で器用に立っているようだ。
「シャモ!?」
急に不可思議な力でバランスを崩されたワカシャモが空中へ持ち上げられ、上下に勢いよく叩きつけられる。最初はバックパックを守るように丸まっていたが、6回目の叩きつけで完全に戦闘不能になってしまったのだろう。だらりと手足が伸びきり、そのままサマヨールに投げ捨てられた。バックパックは中央テントの入り口付近に落下する。
バックパックとわたしの距離は鞭を使えばギリギリ引っ張ってこれる程度の距離。ワカシャモが繋いでくれたこの僅かなチャンスを無駄にはできない! 巻き付かせて無理やり引っ張る!
「絶対にやり遂げるんだ!」
鞭をバックパックへ伸ばす為にその場で体を捻ろうとするが、やはり途中で体が動かなくなる。呼吸が苦しくなり、背筋が冷たくなってゆく。
――でもそんなこと知ったことか! ここでバトンを繋げるんだ。つった足を無理やり伸ばすように、体を無理やり捻じ曲げながら勢いよく鞭を伸ばす。しかし、意思と意地で舗装しても痛みで手元が狂う。目標としていた部分からは少し外れ、バックパックのサイドポケットのチャックに鞭の先が引っかかるように巻き付いた。
ずっと手元が狂ったことに絶望している暇なんてない。焦る気持ちそのままに無理やり鞭でバックパックを引き寄せようとする。僅かな手応えを感じ、やった! ――――――と、そう思った瞬間に全身を浮遊感が包み込み、わたしの近くへ吹き飛ばされたナックラーと共に床に叩きつけられた。
「ナック……」
「ぐぇッ!」
鉄っぽい味が口の中いっぱいに広がるのと共に、カエルが潰れたような声が自分の口から漏れ出て静かな部屋の中に響く。ほんの少しだけわたしの行動が遅かったのか、ボロボロになったナックラーからは掠れたような僅かな呼吸音しか聞こえてこない。もう少し鞭の練習をするべきだったのかも。
(契約…者…以外…………全員……排除……)
うるさい。声を無視して僅かに残った力を振り絞って鞭を探すが見つからない。遠くへ転がってしまったのかも。それでも何かないか探す。
(足掻く……な)
うるさい! 何か、何か手はないか。這いずるように顔を上げると、右手が潰され、右足がひしゃげても尚、何事もないように進むサマヨールが見えた。その近くにはバックパックのサイドポケットに入れていた石や道具が散らばっているようだ。
(諦……めろ)
ゆっくりと顔に寄ってくるサマヨールを睨みつける。
「うるさい! もう二度と昔みたいにならないって決めたの! たとえそれがどれだけ滑稽でも、この子達が繋げてきた今を諦めてたまるもんですか!」
「ワ゛オ゛ウ゛ゥゥゥゥ――――ッ!」
心からの声を叫び上げた瞬間に後ろから呼応するように遠吠えが聞こえ始め、部屋全体に広がっていた琥珀色を眩い光が包み込む。
理解が追いつかない。いったい何が……
(
眩いほどの光量は薄れ始めた瞬間、すぐ横を何かが凄まじい勢いで通り抜けてサマヨールを弾き飛ばす事で距離を空ける。
「あ……」
そこには猛々しい容姿のポケモンがいた。
「ああ……!」
少し涙が滲んでしまっているせいで輪郭が捉えづらくなってしまっているけれども、もふもふとした体毛でオレンジ色を基調としていて、アクセントのようにオレンジに近いような白い長毛や黒い模様が足や胴に浮かんでいる姿にはどこか見覚えがあった。この子は――
「――ウインディ!」
「ワ゛ォ――――ン」
以前に比べて少し声が野太くなったけれども、仕草はガーディの頃のままだ。ただ雰囲気が少しだけ大人っぽくなってしまっている。
進化して体力が回復した? ……違う。たぶん御神木様が最初に植え付けた【やどりぎのタネ】がずっとウインディの体力を回復させていたんだ! ウインディはとても元気そうに全身に力を張ってサマヨールと対峙している。
さぁ、ここから反撃を始めようと言っているように感じた。
「ウインディ【かみつく】!」
指示を受けたウインディは、今までわたしが見てきたポケモンの中で1、2を争うような速さで琥珀色の世界を駆け抜けてサマヨールの懐へ潜り込む。そしてそのまま大きな口を開けて左手に噛み付くことで、相手が自由に攻撃をすることができないようにコントロールして攻撃を繰り返す。その勢いは今までの【かみつく】とはまったく異なっていた。
もしかして、【かみつく】が【かみくだく】になったの?
ここまで見続けてふと我に返る。このまま見惚れている訳にはいかない。サマヨールの事はウインディに任せ、その間に散らばってしまったバックパックのサブポケットの中身から元気の欠片を探し始める。進化したばかりのウインディの勇姿は見たいけれど、ナックラーを今すぐに回復させないと死んでしまうだろう。
全身を打ち付けたせいでジクジクとした痛みがとてもキツい。でも軽く泣く程度の余裕は出てきたかな。
少しだけ余裕が出たせいか、探し始めてからすぐに地面の上に転がっている元気の欠片自体は発見できた。しかし、どうにも場所が悪く、落ちているのはサマヨールの反対側だ。わたしが自分で取りに行くには、【くろいまなざし】による苦しみを無視してでもサマヨールから離れようとする必要がある。
――でもそれはわたしが自分の足で動いて取りに行く場合だ。もう一つの探し物の柄を握って感触を確かめる。指はしっかり動くし、手首も問題ない。一度目は挑戦できた。だから二度目は成功させよう。
「今度こそッ!」
振り向く際にまた体が固まるが、それらを無視して拾い上げた鞭で元気の欠片を巻きつけてこちらへ引き寄せる。ウインディが戦ってくれているから今度は邪魔も入らない! 無事に引き寄せた元気の欠片をナックラーへ使うとかなり苦しそうな声や表情を出したが、呼吸音が少しだけマシになった気がした。ギリギリで間に合ったらしい。
「サマヨール……!」
顔を上げてウインディを確認すると、【シャドーパンチ】を食らいながらも確実に【かみくだく】で左手を攻撃し続けているようだ。
対するサマヨールは今までのナックラー達の攻撃でまともな部位は左足だけなのに、まだ戦いを続けている。ここまで……ここまでウインディがダメージを与えているのにまだ倒れないの!?
でもここまでダメージを与えたんだ。次の一撃で必ず仕留められる!
「ウインディ【かみくだく】!」
「グルルルルルラァアアア゛!」
多少の反撃ならそのまま受け入れられるはず。その意思を汲んだウインディが止めとばかりに一気に踏み込み、犬歯をむき出しにした大きな口でサマヨールの首を【かみくだく】。
「……え?」
わたしもウインディも反撃を予想していた。しかし、サマヨールは【かみくだく】を受け入れて、そのままウインディに押し倒されてしまった。
「どういうこと……?」
いったいどういうことかと動揺していると、紫色の手のようなものがウインディとサマヨールに群がり始め、だんだんとウインディに傷が増えてゆく。対照的にサマヨールは傷が癒え、右手と左手が回復してしまった。
「キャウン!?」
先ほどのお返しとばかりに【シャドーパンチ】でウインディが殴り飛ばされる。
ここまで来ると一周回って最早笑いがこみ上げてくる。なんなんだこのポケモンは。まだ戦う意思があるのか。人には散々諦めろだのなんだの言っておきながら自分は対象外だって? ふざけるんじゃない。契約だかなんだか知らないけれども、いったいどんな契約を行えばここまで酷いことになるのだろう。
サマヨール自身も、第二回戦だとばかりにこちらを真っ赤な目で見つめてきている。体力は【あさのひざし】で回復できるし、緊急用の回復薬は元気の欠片を探している間に見つけることができた。となるとこのままキョウヘイ先生が帰ってくるまで千日手かも?
そう思った瞬間、サマヨールが出てきた通路から凄まじい轟音が響き渡るのと共に、今まで琥珀色だった部屋の色が見る見るうちに一般的な茶色に近いような砂岩の色へと変化してしまった。
「な、何事!?」
(契約……切れた……)
色々と理解が追いつかない内に、だんだんとサマヨールの姿が透け始める。
(送り火山……帰る……)
そう一言わたしの頭の中で伝えると、亡霊のようにそのまま明かりの中へ消えてしまった。
「……え、え?」
え?
◇ ◇ ◇
1枚目、2枚目、4枚目の石版の模写を終えたところで軽く一息つける。とりあえず一番厄介そうな物が残ってしまった訳だ。文字らしい何かに関しては1枚目、2枚目を写してきてなんとなく感じは掴めてきた。問題はこの抽象的な絵だ。
4枚目にあった砂漠のような絵の感じではなく、一つの大きな球体が一番上に描かれており、その周囲にはグニャグニャと曲がりくねった曲線と共に妙に輪郭がぼやけた何かが沢山描かれている。その下に書かれているモノも数が多く、液体っぽいモノや個体っぽいモノと節操がないな。
どうにも、今まで彼らが作ってきた美学的なものとはだいぶ異なっているように感じる。
この絵ってどっちから読めばいいんだろう。上から読む場合だと、一つの球体から何か様々なモノへ変化? していく様子か? 下からだとその逆な感じ? このうねうねはなんだ。まさかうねの角度にも意味が有るとかそういうオチもあるか?
時間かかりそうだなぁ……とりあえず先に文字の方を埋めるか。あ、ついでに作業をやりながらジュペッタの話を聞こう。
「おーい、ジュペッタ。ちょっと来てくれ」
呼ぶとなに? と顔を傾げながらふわふわと低空飛行をしてやってきた。
「いや、単純な疑問というか好奇心というかな、ジュペッタ達って今までも怨みだの妬みだのを食べてきた訳だよな?」
とりあえず前提を聞いてみると頭を縦に振って肯定の意が返ってきた。
「だよな。その全てがここで食べた時みたいに酔った感じになったのか?」
すると、今度は首を横に振って否定してきた。
「そうか……」
む、やっぱりおかしい。なんでここで食べた怨みでは酔っ払って、他の土地で食べた怨みでは酔わないんだ? ここの土地が特殊なのか?
「ちなみに、送り火山に居た事は?」
「ジュ」
肯定か。
「そこでも酔わなかった?」
「ジュジュジュ」
これも肯定。うーむ、ここの地質か? もっと考えると遺跡群との関連性もありうる。
「聞きたいことは聞けたかな。ありがとう」
礼を言うと、またもや入口の監視へ戻っていってしまった。どうにも部屋の出入り口が気になるらしい。まぁ、何かあれば行動に出るだろう。監視してもらって損はないしな。
そう考えてから20分程かけて絵の模写を終えるまで、結局出入り口からは何も現れなかった。問題がないのは結構だが、そこまでして行動しているとなると俄然興味が沸いてくるというものだ。残るは部屋の奥にある巨大結晶塊だけだし、早めにこの部屋の探索を終えて情報を聞きながらベースキャンプへ戻るとしよう。
改めて部屋奥の壁から生えている結晶塊に近づくが、やっぱりデカイな。
ここまで巨大だとロマンと共に、こう……なんだろう、ある種の魅力のような何かを感じる。時代の覇者がこういった世界で1品しかないモノを好みそうだし、場所が場所なだけに付加価値も付くだろう。
とりあえずダイゴさんへの提出用に一部削らせて貰いますか。
どこがいいかなと軽い気持ちで巨大な結晶塊に手で触れた瞬間、結晶塊の中に溜め込まれていた何かが体の中心へ一気に流れ込んでゆくような不思議な感覚と共に、サラサラと結晶塊が端から灰のようなものへ変化していった。
同時に部屋全体から何かが抜け落ちるような違和感を覚え、どこかの部屋が崩壊したような轟音も響き渡る。
「うおおおおおおお!?」
何かが流れ込めば込むほど異様な満足感と満腹感が爆発的に増え、気分がどんどんと高陽し始めた。俺の体のどこかが久方ぶりに満たされる感覚。どこかで一度、これに似た感覚を味わったことがあった気がする。これは――――これ……は……
フラッシュバックするのは燃えたぎるあの日の病院の屋上。そこで……ああ……そうだ……
『まだギリギリ蠢いている燃えた粘体に手を突っ込んで、先輩を中から引きずり出した時だ』
記憶を思い出すとグチャグチャと頭と脳の造形を弄られるような激痛が頭に走り、今思い出していたモノが痛みの濁流に飲み込まれてしまった。
「あ、ああ、あああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
とうとう耳がおかしくなったのか、自分の叫び声がモザイクがかったように聞こえてくる。
そんな中で、先ほどの何かが俺の中に流れ込み続けているような感覚はその対象を変え、いつの間にか両手の中にあったバスケットボール程度の大きさまで成長した【あいいろのたま】に吸い込まれ始めた。
代わりにミキサーにでもかけられたかのような、細胞単位で切り刻まれる痛みが全身に襲いかかる。最早何に触っているのかも、ナニが俺に触っているのかもわからない。
無意識にその場でのたうち回って少しでも痛みを拡散させようとするが、その行動が一切無意味であることは何故か冷静である理性がわかっている。まるで、以前にたような経験をしたことがあるように。
そのまま激痛にいたぶられながら暗闇に飲み込まれたが、やはりまともに動けるように回復するまで5分もかからなかった。
――あれほどの痛みがあったはずなのに、今さっきあった事の内容を
本格的にイツキさんが占った予言が近いのかもしれない。今はなんとなくだがそう感じている。せめて俺の体についての答えを知ることができればいいが……