カイオーガを探して   作:ハマグリ9

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幻影と赤い月(下)

 揺れが大きくなるにつれ、天井と壁の亀裂から湿り気を孕んだ砂が振り撒かれてゆく。ただでさえ黄昏時で薄暗いのに、巻き上げられた砂埃のせいで余計に視界が悪くなるのは面倒この上ない。外から入り込んでいるのか? それともあれだけ湿らせたのにまだ湿度が足りないのか。

 

 しかも厄介なことに、大地震という普通の生物程度では到底抗えない天災に全身をがっしりと掴まれてしまった。このどうしようもないほどの強い揺れは、些細な抵抗すら許さないとばかりに俺達を四方八方へ好き勝手に振り回し続ける。

 

 そんな状態なのだから当たり前と言えば当たり前だが、レジロックへの対策として組んでいた隊列は完全に崩壊してしまった。御神木様達は誰ひとりとして攻撃できる状態ではない。これほどボロボロという言葉が似合う状況はあまりないだろう。最早、今居る立ち位置は意味をなしていないのだ。

 

「クソッ、冗談じゃないぞ!」

 

 地震発生のタイミングが悪すぎる。日頃の行いが悪かったか。まるで、狙い撃ちされたかのように最悪な状態だ。引きずりまわされるように床の上を転げ回るが、それでもレジロックから目を逸らす訳にはいかない。

 

 現にレジロックとカガリは幻影の塔が崩壊しかねない程の酷い地震の中、しっかりとした足取りでこちらへ近づいて来ている。その足取りはそもそも地震など起きていないかのようにも見える。予想通りとは言え、不公平にも程があるな。

 

 さぁ、死神がやってきたぞ。自分でも冷静さが欠け始めてきていると感じているのに、焦げ付くような焦燥感がとまらない。

 

 まずいマズイ拙いよなぁ! どうにかして復帰しないとここで死ぬ! ああ、諦めてなどなるものか! 足掻くにはどうすればいい? もがく為にどう動く? 軽くパニックに近い状態になりながらも思考だけは動かし続ける。

 

 だがしかし、こちらのそんな事情など知ったことかとでも言うように、地震は止まるどころか弱まる気配すらも感じさせない。依然として揺れの強さは維持され続けている。

 

「ブイッ!?」

 

 不運な事故は連続するものらしい。

 

 夕立が隠れていた部屋から投げ出された瞬間、頭を打ち返されるように壁に殴りつけられて、その場でだらりと体から力が抜ける。アレは完全に目を回してしまっているな。

 

 昏睡状態となると、元気の欠片と回復の薬の薬漬けコンボを使用しても復活には時間がかかるだろう。夕立は完全に戦闘続行不能だ。かく乱役が潰れたのは痛い。

 

 しかも波に引っ張られるように、昏睡状態のままどんどんとレジロックの前へ押し出されてしまった。まともに回復できない今、レジロックからの追撃を食らう方がもっと拙い。転がされながら無理矢理にでもボールに戻そうと試みる。

 

「戻れ夕立!」

 

 ボールベルトの左側にある夕立を入れていたボールを右手で取り出し、無理な体勢のままボールを夕立へ向けた。ボールから赤いラインは真っ直ぐに空中を突き進む。地震に対して何の抵抗もできずに揺れ動く夕立の体に赤いラインが掠るように当たると、そのまま全身が赤い光となってボールの中へ戻っていった。なんとか上手くいったようだ。

 

 ここに来てようやく揺れも収まり始めて来ている。これならまだ立て直せる。

 

 振り回されながら必死に考えた無茶苦茶を実行に移そうとその場から動き出すが、流石に現実はそこまで甘くなく、状況がそれを許さなかった。

 

「――――――【ストーン、エッジ】!!」

 

 今までのボソボソとした声とは異なり、少し掠れながらもハッキリと明確に、カガリが指示を言い切る。

 

 カガリの隠し玉は【()()()()()()()】か! それに合わせるように反応しようにも、無理な動きが続いたせいか、夕立をボールへ戻した直後の体勢のまま硬直して動かない。ここで態々切り札を切ってきたのだ。どうやらカガリは何が何でもここで決着をつけたいらしい。

 

 レジロックは岩でできた重たい体を鞭のようにしならせながら、右腕でヒビ割れた左壁を殴りつける。まるでこの幻影の塔を守る為に侵入者を排除する罠を作動させた番兵のようだ。この場で絶対に仕留めるという意気込みを感じる。

 

 重たい岩同士が強く擦れ合うことで、戦慄が走るような酷い不協和音を後方から通路全体に響く。

 

「キノコォッ!?」

 

 声に反応して後ろへ振り向く動作よりも早く、網代笠が凄まじい勢いを維持したまま前方へ跳ね飛ばされる。そのまま、起き上がろうとして無防備だった大賀の後頭部に直撃した。

 

 網代笠の後ろから【ストーンエッジ】で強襲したのだろう。本来ならそこまで攻撃種族値が高くないはずのレジロックが、御神木様達の攻撃を合わせても破壊できなかった砂壁を一撃で破壊しているのだ。個体練度が凄まじく高いことが伺える。幾らタイプ的に有利でも高練度個体の超強力な一撃が直撃したら、あまり耐久力のない網代笠ではひとたまりもない。

 

 加えて巨大で分厚い壁を生成する事で後ろへの逃げ道を塞ぐ。大した隠し玉だ。こっちが後ろの岩を破壊するには手番が足りない。もし仮に、無事岩を破壊できても逃げ出す前にこちらが攻撃を受けてしまうだろう。

 

「ス……スブ……ブ…………ブブ」

 

 二匹ともただでさえ今までの連戦で削られていたのに、予想していないタイミングで背中や後頭部に直撃を受けたせいだろう。大賀が起き上がろうと力を振り絞ったものの、そのまま耐えることなく力尽きてしまった。追撃を喰らう前に大賀と網代笠をボールへ戻す。

 

「無理させて悪いな。少し休んでいてくれ」

 

 ……これは手帳を奪うのは諦めないと死ぬな。文字通り絶体絶命のピンチである。自分の意思で残って失敗したら世話がないわな。

 

 力の入らない左腕をだらりと垂らせながら床を這うように立ち上がる。被っている黒ヤギのマスクもボロボロだ。一部破れているかもしれない。

 

 巨岩で塞がれてしまっているから後ろに逃げるのはできない。御神木様が最大威力の【ジャイロボール】で砕く場合でも手数がいる。となると残りは右横と正面。だが右の部屋は袋小路だ。入ったら入口を抑えられて詰む。

 

 ならば残るのは正面。床の砕けた元T字路まで進むしかない。

 

 ――しかし、カガリから見たらそうではない。一応選択肢は3つあるが、まぁ流石に部屋については袋小路だと気が付いていると思う。だから進める方向は前と後ろの2つ。

 

 ここで今までの行動が活きてくる。俺は鬼ごっこが始まってから勝てると判断したとき以外、レジロックに接近することを極端に嫌うように行動してきた。だから今までと同じくこの場で逃げだけを貫くのなら、手数を稼いで背後の巨岩を砕きにいく選択をするだろう。

 

 そう、普通ならここでレジロックに立ち向かうことはしない。例え巨岩を砕いたとして、もう一度【ストーンエッジ】を放たれる事がわかっていたとしても。逃げるためには当たらないことを祈りながらそう行動するしかないんだ。ただし、その運ゲーが最大7回は発生する。故に、カガリの視点では逃走経路というものが詰んだ状態で1つだけある状態。

 

 ここが重要だ。選択肢を間違えるな。

 

 逃走する際にとりわけ相手の度肝を抜く方法は、正面へ向かって逃走する事だ。袋小路へ飛び込まず、相手に背を向けるリスクを取らないのであらば、正々堂々相手の真正面から奇襲を食らわせるしかない。

 

「アハァ…………チェック、メイト」

 

 声に惹かれて視線を奥の床からレジロックの後に隠れているカガリへ戻すと、いつの間にかフードを被り直していた。何故だ? 怪我……ありえない。もっと単純に考えろ。表情を隠したいのか? 無表情がデフォルトの人間が? 

 

 よく観察しろ。今までのカガリと変化した部分は何だ? 肩が細かく動いている。呼吸が荒い? 疲労か?

 

 ああ、そうか。当たり前だがこっちがキツければ相手もキツイんだ。確かにこっちはバリアのせいで一方的にダメージを食らっていたが、カガリはカガリで近距離で【タネばくだん 地雷】といった技を浴び続けている。いくらダメージを受け流すと言っても、会話できているのだから爆音の一部は届いているのだろう。至近距離なら衝撃はなくとも爆発時の閃光は浴びているはずだ。

 

 しかも予想外な事に、相手はバリアに対してまともな攻撃ができるかもしれない。そのせいで、いつバリアを貫通させてくるか戦々恐々としながら、顔色に出さないように想定外のデータを取り続けていた訳だ。そもそも亀裂が入ってもなおバリアに自信があるのなら、レジロックの後ろには隠れないでもっと突撃させていたはずだし。

 

 その上、ワカシャモに持久走で勝てる俺を追い続けている。結果、レジロックから離れる事ができないから【ロックカット】を駆使して攻撃をするなら走らなきゃならない。

 

 そんな奴を追いかけるためにグルグル走り回されて、常に地形を考慮した奇襲を受け続けてきた。攻撃によってダメージを喰らわないと分かっていても、既にバリアにはヒビが入っているのだから余計に精神は削られる。ましてやそれが、日が昇っていた時間から夕方まで、休憩はなく、飯も食わずに続いている。ついでに下でショゴスと戦っているであろう部下のことも考えなければならない。

 

 そりゃあ疲労だって溜まる。

 

 ――――カガリはここで勝負を決めに来たのと同時に、決めに来さざるを得なかったのか。

 

 狩る側が獲物に焦りを見せたらダメじゃないか。自然と笑みがこぼれてくる。

 

「クギュゥ……」

 

「そう心配すんなよ。大丈夫だ」

 

 しかし、かと言って戦局が好転した訳じゃない。負傷している御神木様だけではレジロックとのまともな戦闘は無理だ。だからこそ、ここで相手の度肝を抜く。

 

 カガリが急いて決めに入った今、本来なら死んでいた一手が活路を開く一手となる!

 

 あのバリアが破壊できなかったら死ぬしかない。なら最初から破壊に失敗した場合の事は考えなくていい。

 

 隙さえ作ることができれば逃げ道がある。あそこを通り抜ける事ができれば、地震の負荷で砕けた床の穴から下の階層へ逃げればいい。ある程度逃げれきれば回復も行える。

 

 残るは懐へ飛び込むタイミング。

 

 右に避けるか、左に避けるか、直前でバックステップか。基本的にはこの3択だな。今までのレジロックの動きを考えろ。レジロックはどっちの腕を多様していた?

 

 思い出すのは最初のワカシャモやゴンべを払った一撃。あれは右腕だったはずだ。次に力の乗ったスイングによる【うちおとし】……これも右腕。時たまフェイントで左腕を使っていたが、基本的に右腕で攻撃をしていた。

 

 そうだ。そのまま整理しろ。では相手は右腕で攻撃してくるか? 恐らくそうだ。他にも隠し玉もありそうだが、黄金の左がいきなり現れることはない。相手は絶対的な優位に立っているのだ。既に詰んでいるのだから策など必要ない。

 

「グウ゛ウ゛ウウゥゥゥ!!」

 

 気合を入れ直すように右腕で左肩を掴み、力で無理やり嵌め治す。まともな治療法じゃないが、今は一時的に動くだけでいい。

 

「ハァ……ハァ……フゥ…………」

 

 地震の時に受けた体の痛みはもうない。この異様な回復力に感謝だな。左肩がジクジクと熱を帯びて存在を訴えているがこれも問題ない。ある程度動けばいいんだ。最後の足搔きに必要な両足もしっかり動く。

 

 呼吸を整えて御神木様を拾い上げてその体を観察する。かなり無理な戦闘を続けたせいか、御神木様も自慢のボディに擦り傷や凹み傷が多くなってしまっているな。棘に至っては折れ曲がっていたり、砕けて先が無いものもある。

 

 御神木様はこんな棘は気に入らないだろう。岩肌相手には効果が薄そうだが、その分人肌のようなソフトスキンには肉を抉ることで効果的に攻撃できそうだ。

 

「クギュ……」

 

 なんだ。今まで類を見ないほどボロボロな状態のせいか、珍しく不安げじゃないか。無理無茶無謀なんていつものことだろう?

 

「なぁに、この程度何の問題もないさ」

 

 安心させるために自信たっぷりで御神木様に言い放つ。指揮するものは常に自信満々であれってな。相手から顔色も見えないんだ。ハッタリは大きく。相手の目を眩ませられるほどにがいい。珍しく緊張しているせいかやけに喉が渇くな。

 

 体の震えがバレないように右腕で御神木様を少し強めに抱え込むと、砕かれてささくれだった棘が服を貫通して腕や腹に突き刺さる。しかし、興奮しているからなのか、それを別段痛いと感じない。

 

 さて、状況から考えて煙玉は使わない方がいいだろう。相手は一撃でこちらを潰せるのだ。ただでさえ薄暗いだけじゃなく砂もあるのだから、これ以上視界が悪くなってしまうと攻撃を避けられなくなる可能性が高くなる。イヤイヤボールを投げたとしても異様な軌道を描いて外れるのがオチだ。

 

「今から言う技は全力じゃなくていい。すぐに反転できる程度の力でやってくれ」

 

「クッ」

 

 小声で話すと意図を理解してくれたのか、相手から視線を逸らさずに御神木様が小さく鳴いた。

 

 危機的状況なのはわかっているはずなのに、何故か笑みがこみ上げてくる。ここまで酷いのはそうないだろう。笑いだしそうになるのを堪えて再度前を向き、レジロックと相対する。

 

「ふふ、ふははははははは! さぁ、大勝負と行こうか! 巨岩へ【ジャイロボール】!」

 

 堪えきれなかった笑いが漏れ出てしまった。これは相当精神にキテるな。

 

「クギュルルルルルッ!」

 

 まず始めに巨岩へ向かって【ジャイロボール】を行い、メキメキと巨岩に亀裂を作り込む。それに釣られたように少し遅れてレジロックが動き出した。

 

「ざざ……ザり……」

 

 予想通りその場で岩を造り出すだけで近づいてこない。ここからが本番だ。

 

「そんなの……無駄……【うち、おとす】……!」

 

「反転しろォッ、御神木様!」

 

「クギュルルルルルルルル!」

 

 その場で御神木様がぐりんと180度反転して【ジャイロボール】を行い始めた瞬間、レジロックの【うちおとす】によって大岩が打ち出される。これで動き出すタイミングは整った!

 

 通路とはいえそこまで互いの距離が離れている訳ではない。封鎖された事もあり、おおよそ接触まで残り15m程度だ。

 

 即座に直撃した2つの塊はあっけないほど簡単に、片方を完全に破壊した形で決着がついた。

 

「……なに?」

 

「クギュルルルッ!」

 

 最大まで攻撃を高めた状態の【こうそくスピン】で同等まで持っていけるのなら、攻撃最大、素早さ最鈍という最高条件下での【ジャイロボール】なら絶対に押し切って破壊できると確信していた。

 

 今までとは打って変わり、大したダメージを受けずに大岩を破壊すると、レジロックへ向かって【ジャイロボール】を維持したままゆっくりと進撃し始めた。遅いと言ってもそれは初速だけで、スパイクの効いた御神木様はどんどんと加速してゆく。離れすぎないように俺もすぐ後ろで追走する。

 

 俺達が打って出る事が完全に予想外だったのか、カガリの反応が一瞬遅れた。こうなると最早【うちおとす】では止まらない。かと言って【ストーンエッジ】の動作では間に合わない。ならばそのまま近づけさせてくれるのか?

 

 ――――そんなはずはない。何もせずに俺達をバリアへ近づけさせるぐらいなら、【ばかぢから】か【ロックカット】をする。

 

「【ロック、カット】」

 

 やっぱりか。

 

 目の前からやって来る岩でできた巨体。そのまま押しつぶそうと全身に力を入れると、重たい足音を周囲に響かせながら更に加速した。今までで一番の威圧感(プレッシャー)だ。これほど凄まじいプレッシャーを浴びせられる経験なんてもう一生感じる事はないだろう。今なら背中に垂れる汗の詳細な数まで分かる気がする。

 

 接触まで残り10m。さぁ、どっちだ。お前はどっちの腕で、どのように攻撃するんだ? 細心の注意を払い、目に意識を集中させる事で一瞬でも早く反応できるように体勢を整える。極限状態での集中のせいか、世界から雑音が消え始めた。異様な静寂が耳を支配する。

 

 さぁ、俺はいつでも動けるぞ? 

 

「止め…………【ばかぢから】」

 

 接触まで残り7mを切った辺りで、カガリの溢れたような小さな声が聞き取れた。同様に聞き取ったレジロックが腕を光らせながら振り上げる。振り上げられたのは右腕――

 

 ――――――だけでなく、左腕もだ。姿勢こそ走った姿のままなのだが、どこか人形じみた奇妙な体勢を維持しながら、両手を大きく振り上げてぴたりと止める。

 

「跳ねろォおおおおおおおおおッ!!」

 

「クギュッ!」

 

 ギリギリのタイミングで御神木様を跳ねさせた。

 

 一連の動作に失敗は許されない。バクバクと心臓の鼓動が内側から胸を叩く。今の心拍数は200を超えているかもしれない。ひりつく様な空気の中、御神木様をラグビーボールのように右腕で抱えてキャッチした。

 

「クッ!?」

 

 しかし、落とす訳にはいかないと力を込めて抱えた結果、技の効果が消えきっておらず、棘が服と一緒に肉の一部を抉り取る。御神木様にとって意図しない形でささくれだった棘が予想通り肉を噛み、耕すように傷口が広げてられてゆく。体が固まったら死ぬ。痛みで怯んでいる暇はない。そもそもこんな痛み今更だろう。出血が鬱陶しい。

 

 更に深く集中しなければならない。

 

 色が掠れて白黒になった世界でレジロックの動きを認識した瞬間、傷だらけの御神木様を抱えたまま、レジロックの懐へ飛び込んだ。慣性を受け入れながら両足に全ての力を込めて、レジロックの肩の位置より高く跳ぶ。

 

 一瞬の硬直。すぐに最高点に到達したのか、つかの間の浮遊感が全身を支配する。しかし、それに対抗するように体を空中で無理やり回転させ、空中回転踵落としの体勢を取った。それによって体が悲鳴を上げるが、どうせ回復力だけは凄まじいのだ。だからこそ、今はこんな痛み(こと)はどうでもいい。

 

 接触まで残り2m。縦回転を行いながら軽く空中を滑空していると、レジロックの隙間からちらりとカガリが視界に映った。カガリは表情を崩し、驚愕と言ったように目を見開く。完全に予想外だったのだろう。それはそうだ。上に跳ねてもレジロックから逃げ切れる訳ではない。一手で死ぬのが二手で死ぬのに変わっただけだ。こんな状況では普通なら選択肢に上がるはずがない方向。それが上への跳ねだ。

 

 ――――だからこそ。ここで攻める必要があった。カガリの時、利き腕の全力の掌底程度では威力が足りなかったから。ならば腕よりも筋肉量のある足で攻撃しなければ、あのバリアのようなものを破壊する事は困難だろう。かと言って単純に飛び蹴りなんかしてしまったら、当たるまでの予備動作が長すぎて見てから叩き落されかねない。

 

 意表を突く絶対の一撃が必要不可欠だったんだ。

 

 それに対して反応し、レジロックが白く輝かせながら振り下ろした両腕を、元々狙っていた位置よりも高い位置へ狙いをズラしこもうと修正する。関節部に入り込んだ砂をザリザリすり潰す音が耳障りだ。それだけ力が込められているのだろう。

 

 しかし、修正は間に合わず、飛び上がる前まで俺の腹があった空間辺りにシンバルでも鳴らすかのような勢いで、左右から挟み込むように振り下ろしてゆく。振り下ろした両腕は俺のすぐ足元で衝突し、重たい音を響かせながら停止した。やはり右や左を選択していたら直撃して死んでたな。

 

 だが俺はこの読み合いに勝った! 俺の一撃程度なんてポケモン相手にどこまで効くかわかったもんじゃないが、それでもあのバリアには効果があるはずだ。まずは勝者の一撃を食らうがいい!

 

「これが俺のッ! 真正面からのサプライズ(奇襲)だッ!」

 

 斧のように振り下ろされた左足がレジロックへ直撃する瞬間、レジロックを覆うように半円状バリアが現れる。最早避けることはできない。受け流されたら足はあらぬ方向へ折れ曲がるだろう。

 

 そのまま振り下ろした左足がバリアと()()すると、耳を覆いたくなるようなけたたましい衝撃音と共にレジロックの腕に装備されていた腕輪がその場で粉々に砕け散った。

 

 あのバリアを貫通できたと認識した瞬間、粉々になったバリアだったものが粒子状になって浮き上がり、俺の体を取り囲むように周囲を回りだした。粒子による回転の幅はどんどんと小さくなり、それと同時に左足に異常な程の熱を覚える。

 

 体が異常な程軽く感じて、今までは全身に重りをつけて呼吸もせずに動いていたと錯覚しかねない程だ。全身が()()()()()()()()()()と歓喜しているのに、心は()()()()()だと戦慄いている。

 

 気分が高揚し、今ならば無茶だと考えて諦めていた大体の事ができるぞとナニカが囁く。これは何なのだろうと考えながらも、何故か()()()()が真実なのだと頭のどこかで理解してしまっている。まったくもって訳が分からず、無性にキモチワルイ。

 

 何かに酔っている間に、左足を移動し切るよりも早くレジロックが構え直す。次に自分がどうなるのかを察し、先んじて手前に御神木様を解放する。その直後、レジロックが右足を大きく前へ出しながら合わせた両手を振り上げ、凄まじい力で打ち上げられた。このままでは勢いの乗ったちゃぶ台のように天井へ叩きつけられて即死だろう。

 

 ――――しかしどういう訳か、その程度では死ぬことが()()()()と直感的に理解できた。

 

 砂岩で作られた天井にヒビが入るほどの勢いで体がぶつかる。反射的に右腕で受身を取るが勢いは殺しきれず、激痛と共に全身の骨がメキメキと悲鳴を上げた。きっと一部は折れてしまっている。

 

 だが()()()()だ。受身として使った右手に力を入れると、ミシミシと軋みながら指が砂岩に突き刺さった。本能に従って右手の握力だけで体を引き上げ、天井に張り付く。

 

「ゴホッ……ゴポッ……」

 

 息苦しさはないが、呼吸に水音が混じる。口から体液が溢れ始めた。口の中だけでは抑えきれなくなった体液は、一気にこぼれだすと表皮を伝ってマスクの隙間から下へ伝っていく。

 

 似たようなことになる症状を昔どこかで聞いた気がする。もしかすると肋骨が折れて肺を突き刺しているのかもしれない。陸で溺れるなんて初めての感覚だ。

 

 体液に気を引かれてそのまま下を見る。そこには大きな赤い斑模様があるだけで、他には何も散らかっていない。バックパックが破壊されると思ったのだが、思っていた以上にコレは頑丈らしい。ボロボロには汚れても、破れたり千切れた様子も無い。やっぱりこれも古のものの技術を用いているのかもな。

 

 何故か怯んだかのように固まってしまっている空気の中、溢れてくるモノを飲み込んで、好機とばかりに指示を出す。

 

「軸足へ【ジャイロボール】」

 

 死なないと理解しているからだろうか? これほど奇妙に体が高ぶっているのに、声は凍えるほどに冷たい。どこかモザイクがかったように聞こえる声は、まるで自分の声ではないかのように思えてしまう。

 

「クギュルルルルルルルルッ!」

 

「…………!!」

 

 素の状態から6段階の攻撃上昇。素の状態から6段階の素早さの低下。最高の条件で御神木様の【ジャイロボール】はバリアに受け流されることはなく、しっかりとレジロックの右足に直撃した。

 

「クギュルゥッ!」

 

 とうとうレジロックへ直接的なダメージを与える事ができたな。

 

 今までのお返しとばかりに、御神木様がガリガリとレジロックの足を電動ヤスリのように削る。この一撃が芯に響いたのだろう。破砕音と共に抉り取るように岩でできたレジロックの足に大きな亀裂が入る。すると、レジロックは驚いたかのように目をピカピカと明滅させ、重力に従って左側へぐらりとバランスを崩した。

 

「レジロック……!」

 

「おっと」

 

 眺め続ける訳にはいかない。反撃を喰らう前に張り付いていた天井から降りて、御神木様を回収しながら前転。その刹那、ブンと重たい音が響く。すぐ後をレジロックの裏拳が風を切り裂きながら通り抜けたらしい。転んでもただでは起きないか。まぁ、ただバランスを崩しただけだからな。またすぐに体勢を立て直すだろう。

 

 その前に目的を達成しないと。カガリへ向かって全力で走る。普段よりも体が軽い。全身から血が滴っているとは思えない程だ。

 

「クッ……」

 

 抱えこんだ御神木様が震えている。レジロックへ一撃を与えた達成感からだろうか。それにしても、もうさっき受けた痛みが少し引いた気がする。今は水気の混じった呼吸音は聞こえない。

 

「……やっぱ、り……あなた……クレイジー…………ハァ、…………アナライズ、失敗」

 

 何やら言っているが、今は相手の発言の内容なんてどうでもいい。どうにも酔っ払った時のように頭の中が白んで働かないな。霧がかったように普段通りの思考が続かない。薬物でも使ったかのように、ぶわっと体中の血が激り始めたのがつぶさに感じとれる。

 

 体の調子はまず間違いなく過去最高のキレなのに、頭と心の調子は過去最悪でズレきっている。精神と【カラダ】の歯車が致命的に噛み合っていない。チグハグすぎてキモチガワルイ。

 

 ナニカにヒっ張らレテいる。物理的ではないけれども、ヒッパラレテ、以前よりも体中に広がった。

 

 以前も同じものを感じたことがある気がする。既視感だろうか? また自分の中の何かが絶叫を上げながら崩れていくような感覚を覚えた。これ以上ここにいるべきではないと警告している。もとよりこれ以上ここに残るつもりもないが。

 

 勢いに乗ったままカガリへ駆けて、そのまま抱えているメモ帳へ手を伸ばす。軽く押し流されるような感触を無視して踏み込むと、パリンとガラスが割れるような軽い音が響いた。達成感が湧き上がり、同じぐらいの喪失感の濁流に飲み込まれる。

 

 直後にまた左足が歓喜するように熱くなって、連鎖的に体の奥から何かが溢れ始めた。ナニカが再び滾り出す。成長痛に似た痛みが全身を包むが、それもまたすぐに消えた。これからの行動に支障は出ない。

 

 何も、問題は、ない。

 

 カガリはメモ帳を奪われないように両手が抱え込んだが、今更その程度の抵抗で時間が稼げると思っているのか? ガードを緩ませる為にカガリの顔の前で猫だましをする。音と衝撃で体を硬直させて目を瞑った瞬間に、抱え込んだ腕の下からメモ帳を強奪することに成功した。

 

 ようやく目標を達成できた。後は逃げるだけだ。氷の膨張と大地震によって崩壊したトラップゾーンへ走り抜ける。そこから下に降りようとしたが、一瞬黒く蠢くモノを見かけた。十中八九ショゴスだろう。

 

 今は戦うべきではないと感じて、右側の壁を蹴って穴の空いた壁まで跳ねるように移動する。

 

「【ロックカット】!」

 

 文字通り身を削って軽くしたレジロックがカガリとの間に入り、崩落した穴を挟んでこれ以上向こうへ進めないように目の前の道を塞いだ。復帰が早いな……もう体勢整えてしまったのか。

 

 よくよく見ると、道を塞ぐというよりはカガリを俺から守っているようにも見えなくない。忠誠心が高いのか、そういう本能なのか。目を明滅させながら全身で威圧を仕掛けてきている。

 

 その目いいな。とてもいい。ゾクゾクしてくる。このままレジロックからの攻撃を受けたくなる衝動に駆られるが、腕の中の痛みを思い出した。思い留まるべきだと心が強く訴えかけてくる。

 

 後ろ髪を引かれる思いだが仕方がない。通路を塞がれてしまった以上、行く手はひとつしかないのだから。先ほどまでとは逆へ行こう。前が埋まったのなら後ろへ、だ。

 

「なぁ御神木様よ。空を飛ぶってどんな感じなんだろうな?」

 

「クギュル……?」

 

 何を言っているんだこいつみたいな目で見られた。まぁ、気にせずに進むのだが。何故かはわからないけれど、これからやることは別段問題ないと確信している。

 

「…………何を……?」

 

 【タネばくだん 地雷】によって穴の空いた壁に手をかける。薄暗い夕空の向こうには巨大な赤い月が煌々と輝きながらこちらを照らしている。見惚れるほどに綺麗な濃い朱を誇る月。どこか作り物めいたように感じる月。ソレからはヒトを異様なほどに惹きつけられる魔性が秘められているように感じた。

 

 そもそも今日はハニームーンだったか? 

 

 少しの疑問を感じながら後ろへ振り返ると、カガリが訝しげにこちらを見ている。いや、俺だけでなく、後ろにも目を向けているのか? まぁ……どうでもいい。

 

「次は潰す…………必ず潰す」

 

 負け犬の遠吠えに過ぎないが、それでも口から言葉が溢れ出た。普段ならこんなの言わないのだが。

 

 今から行うことに対する恐怖心はない。しかし、自分自身の行動に若干の疑問を覚える。しかしもう止まらない。止まれない。一歩進むと砂漠の冷たい風が全身を包んで通り抜けた。

 

 そして――――重力を感じる為に体勢を更に前へ倒した。

 

「クギュルッ!?」

 

 本当に紐なしバンジーをするとは思っていなかったらしい。ひみつ道具も、画期的なアイディアも無い。誠に残念ながらこの先はノープランだ。今はとりあえず風の気のままに流されながら、夕空の中のスカイダイビングを楽しもう。だんだんとクレバスの方向へ流されている気もするが気にしない。きっと気のせいだ。

 

 それからもう十秒も経つと今まで霞んでいた思考が急にクリアになり、改めてさっきまでの自分が何をしたのか思い出せなくなってしまう。

 

 状況に混乱しながらもどうにかして勢いを抑えようと、御神木様を抱えている右腕以外を広げて時間稼ぎを行う。だがしかし、多少時間を稼いでも意味がない。最早引き返すことも、落下を止める術もないのだから。落ちるべくして落ちたのだから。

 

 それからまたすぐに、今まで潜めていた全身の激痛もぶり返す。

 

「グギガア゛ア゛ア゛ア゛アアアアァァ゛ッ!」

 

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 

 尋常じゃない程の脂汗が体中を伝い、滲み出る痛みを少しでも体から追い出そうと腹の底から獣の咆哮に似た叫びが溢れ出す。右手に握っている何かにもそれだけ力がかかる。

 

 微かに残る集団墓地の時の痛みに似ていて、とてもまともな思考ができる状態ではない。とうとう五感を感じにくくなり、視界がぼやけ始めた。

 

 意識が途絶える前にせめてもの対策をしよう。鈍い体にムチを打ちながら反転し、ボールベルトを御神木様に巻きつけてから御神木様を抱え込む。棘の痛みなど今更だ。むしろ意識を保つために使えるのだから今は有益だろう。

 

「クギュッ!?」

 

 すると、何かを見たのか微かに御神木様が何かに驚いたような声を上げた気がする。

 

「ようやく()()()()か……【キョウヘイ】」

 

 意識が途絶える前、焦点が定まらない目で最後に見た光景は深紅の月を背にしたアルセウスだった。

 

   ◇  ◇  ◇

 

 ダイゴさんのエアームドの後ろに相乗りさせてもらい、ナックラーのナビの下、最大速度で幻影の塔へ戻ってきた。砂嵐による妨害もなかったから、たぶん15分もかからなかったはずだ。少しズレはあるかもしれないけれど、おおよそ間違ってはいないはずなんだ。

 

 だからこそ、この短時間での砂漠の変わりように呆然としてしまった。

 

 目的地まで暑い風を切りながら砂漠の空を進むポケモン達を、とても頼もしく思えていた。いや、今もそう思っている。熟練のトレーナーが何十人もいるんだからきっとキョウヘイ先生を助けられると、そう信じている。

 

 まだ大丈夫だと心に言い聞かせて、焦る気持ちを押さえつけながら、今この瞬間の少し前まで、わたしもダイゴさんに砂漠での出来事について話していた。

 

 そのはずで、そう認識している。でも今は、静まり返って誰も一言も話そうとしていない。ダイゴさんですら、無言で魅入られてしまっている。

 

 ――――皆、異様すぎる空を見て空気が凍ってしまった。暴れたりはしていないけれども、ポケモン達はここに居続けることを嫌がっているのがわかる。

 

 砂漠の空を進んでいる途中から、時間の割にやけに暗くなってきたとは思っていた。でも……でも!

 

「何なのよ……これ……!」

 

 ふと気が付けば、いつの間にか全員がこの砂漠の空気に飲み込まれていた。辺り一帯は異様なほど静まり返り、黄昏時を過ぎて夜の帳が降り始めている。とても戦闘が起きているとは思えない。その夜空の中央には、今まで見たこともないほど巨大で濃い色の紅い月が我が物顔で居座っている。

 

 言外に、全てが遅すぎたと示されている気がした。

 

 今まで通ってきた砂漠は、上空から野生のポケモンを見つけることができた。しかし、ここにはまともな生物がいるようには思えない。

 

 本当についさっきまでわたし達はここに居たのだろうか?

 

 それに()()1()3()()3()8()()()()、なんでこんな巨大な紅い月が出ているの? 先程から止まらないこの寒気は何なのだろう。理解が追いつかない。理解してはいけない物だと、本能が訴えかけている。カタカタと震える体に落ち着けと言い聞かせてもほとんど効果がない。

 

 全てにおいて幻想的という言葉が近いように感じる。でも同時に、砂漠遺跡でポチエナの死体を見た時のような忌避感が全身を駆り立ててくる。ここに長居したくない。確固たる意思を持っていたのに、気持ちそのものが捻じ曲げられかけてしまう。

 

 長く紅い月と目を合わせていると、不意にわたし自身が無機質な紅い月にまるごと食べられたような恐怖と喪失感が溢れ出てきた。

 

 これに似たようなものをほんの少し前に経験したことがある。忘れられるはずがない。ショゴスと対峙したときだ。

 

 ――――失敗した。すぐに心の中でそう思った。

 

 それに気がついて頭を振って活を入れ直す。いいや、まだそう決まった訳じゃない。きっと、きっとキョウヘイ先生は大丈夫! だってあんなに強いのだから。普段とは様子が違っていたけれども、何時もみたいに何でもなかったとでも言いながら現れてくれるはず。

 

 今砂漠が静かなのは、キョウヘイ先生達が自力で撤退できたからなんだ。

 

 一縷の思いを込めて、改めて幻影の塔へ目を向けると至る所に穴が空いていた。どうすればここまで酷くなるのだろう。今にもボロボロと崩れ落ちそうな塔を監視するかのように、あの時助けてくれたフライゴンが上空を旋回し続けていた。

 

 もしかすると、フライゴンがキョウヘイ先生を助けているのかもしれない。そうよ! わたしを助けてくれたのだから、あの後キョウヘイ先生だって助けられているに違いない。今は幻影の塔に不審者が来ないように見張って――――

 

「フラァァアアアァァアアアアア゛ッ!!」

 

 ――――そんなわたしの祈るような思いを遮り、幻影の塔の周りを旋回していたフライゴンが吠え上げた。すると、この世のものとは思えないほどの轟音を響かせながら【地面が割れるように裂けて】、呆気ないほど簡単に幻影の塔は周囲の砂ごと亀裂に飲み込まれて崩壊した。

 

 まるで、ここにあった全てが太陽の熱や月の光によって見せられた砂上の幻影だったかのように。全て跡形もなく消え去った。今まで幻影の塔があった場所には大きなクレバスが一つあるだけ。それもすぐに砂で埋まりきり、何事もなかったかのように、巨大な赤い月が砂漠を照らし続けている。

 

「きょう、へい……せん……せい……?」

 

 上空からそれを見て、間に合わなかったと理解できてしまった。

 

 




……おや!? 【キョウヘイ】の ようすが……!

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