カイオーガを探して   作:ハマグリ9

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目覚めと洞窟

 ふと気が付くと、星そのものと言われたら納得できるほど圧倒的で巨大なうねりに全身が飲み込まれていた。水面で漂っているような浮遊感に包まれて微睡む。循環し続けるように流れ込んでくるソレがとても心地よい。永遠にここに居たいと、この場所こそが目的の場所だと満たされてきた体が訴えてくる。

 

 しかし、この居心地よさはすぐに自分の中から訴えてくる声によって掻き消された。声の主は、幾重にも重なる鎖と錠前によって雁字搦めにされた厳重そうな箱。だが、厳重だったはずの箱には鎖や錠前を避けるようにそこらじゅうにヒビが入り、最早見る影も無いほどボロボロで継ぎ接ぎだらけだ。

 

 快楽に流されるな。抵抗して身を律せよ。諦めてたまるものか。箱はただただ同じ言葉を、魂が砕かれたような絶叫で繰り返す。それによって心地よかった微睡みから叩き出されてしまった。

 

「うう……」

 

 ――――いつの間にか夢を見ていたらしい。寝ぼけ眼のまま目の前の状況を確認すると、淡く暖かい色合いの光で照らされた土壁が視界一面に広がっている。

 

 土壁……ここは洞窟か? ゆっくり深呼吸すると僅かに磯の匂いが鼻をくすぐる。なぜか、どこか懐かしい匂いに近い気がした。すぐ近くに恐ろしい程莫大な力の塊があるのも要因の一つだろう。

 

「ここ……どこだ……?」

 

 目を凝らして注視しようにも目やにが酷い。久方ぶりに体を休ませることができていたせいだろうか。目を擦ろうとして右手で顔に触ると予想を反してそこにマスクの感触は一切なく、右手から垂れた雫がそのまま顔を濡らす。不思議に思いながら視点を体に向ける。すると、上半身と顔以外は水の中に沈んでいるのが見えた。

 

 ――――なぜか上衣には霜のようなものが一面に張り付いている。どうやら長時間、顔と胸周りだけ水面に浮かんでいる状態らしい。

 

 もう一度手を水に付けて顔の前に持ってくる。水よりも少し粘度が高いな。重力に引っ張られて垂れる雫をぼうと眺めていたが、垂れ続けるソレが不思議と魅力的に感じて惹かれるように一口舐めてみる。

 

 少ししょっぱい……海水? でもそんなに塩っぽくないな。汽水か? 色々と不思議な水だ。よくわからないけれども、とりあえず顔を洗うのに困ることはなさそうだ。寝起きでその場から動かずに支度できるって結構便利だな。

 

 そのまま記憶を辿るために働かせてみた瞬間、頭の奥底に違和感を覚えた。最初はただむず痒いだけだったが、次第に痒みを通り越して脳が暴れだしたようにズキズキと痛みだし、同時に視界がブレて胃の奥底から急な吐き気が襲いかかってきた。先ほどと一転して、今の体調はかなり酷い二日酔いが襲いかかってきている状態に近い。

 

 気持ちの悪さを抑え、海水のような液体に漂いながらバシャバシャと顔を洗う。吐き気があるのに食欲は少しも減退していないのが不思議でならない。人体の神秘だ。

 

 …………皮膚がふやけていないのも人体の神秘だ。きっと。たぶん。

 

「あー……三つ葉を添えた濃いしじみの味噌汁が飲みたい……」

 

 心温まる優しいあの味を五臓六腑に染み渡らせたい。()を浮かべたお吸い物でも可とする。ジュンサイも捨てがたいなぁ。

 

 このまま現実逃避し続ける訳にもいかず、自己主張の強い痛みを無視することで馬車馬のごとく無理やり脳みそを働かせ始める。その結果、ハルカ達と共に幻影の塔を登り、時間を稼ぐためにカガリやレジロックと遅滞戦を繰り広げていた辺りまで思い出した。相変わらず遅滞戦の最後の方が曖昧だが。何かを最後に見た気がする。

 

 そんな中、記憶の隅の方で俺自身が結構な重症を負っていたような気がしたので、軽く体をまさぐってみる。濡れた手でベタベタ触っていると、すぐに衣服についた霜が溶けた。しかし、変化らしい変化はそれだけで、記憶に反して血が溢れ出ることもなければ、触れたことによる体の痛みすらも一切生じていない。むしろ今まで以上に肩の可動範囲が増えていた。とりあえず、記憶の中にあった重症化した部位というのはなさそうだな。こりゃあ夢でも混じったかね。

 

 そのままぼうと濡れた服を眺めていると、再起動したことで多少はまともになってきた頭が疑問を投げつけてきた。

 

 ――――あれ? なら今この状況はどうなっているんだ? あの後マグマ団に囚われた? そうだとすると普通は檻に入れられるんじゃないか? これが檻だとすると、中に腐食性の液体溜りがあるとか斬新な設計だな。きっと、設計者は余程疲労が溜まっていたのだろう。あとこの相手をするのも馬鹿馬鹿しくなりそうなレジロックの数百倍はある力の塊はなんだ? 新兵器か? あ、今更だがバックパックやボールベルトもない…………だとすると、御神木様達はどこにいる?

 

 ここまで思考が回ったことで、さあっと血の気が引いていく。今まで曖昧だった意識が一転して完全に覚醒した。

 

「色々と状況がヤバすぎるだろッ!」

 

 ただでさえ、突如エベレストが近所に現れたような異様な存在感を放っている正体不明の天災がこの近くにいるのだ。今はこんなのんきにアヒルボートよろしく水面に浮いている場合じゃない。大きな水音を立てながら慌てて上半身を起こす。

 

「スブッ」

 

 すると、真後ろの方向から大賀の声が聞こえてきた。どうやら大賀が後ろの方に居たらしい。そこに居たのなら、すぐに声をかけてくれたっていいじゃないかという言葉を飲み込んで、声の方向へ体を向ける。霜に覆われきった地面の上に、大賀が白い息を吐き出しながら胡座をかいて座っていた。

 

 すぐ横にはこの洞窟内を照らす光源となっているバッテリー式のスタンドライトが設置されている。大賀が設置したのだろう。

 

「大賀! 無事だったのか!」

 

 大賀は軽く頷くと、無言のままサムズアップして、その場から立ち上がって奥にある出入り口から出て行ってしまった。その一連の動作に焦った様子は見られない。何時から待機していたのかはわからないが、単純にここにずっといるというのが寒かっただけなのかもしれないな。

 

 ――――なら、なんですぐに俺を回収してくれなかったん? こんな場所で放置プレイです?

 

 とりあえず追いつくために泳ぎ切って岸の(へり)に手を置くと、ザクザクと音を立てながら手の形に霜柱が崩れた。その冷たさを感じないのにも、もう慣れた。霜柱の厚さがなかなかにあるな。6cmはあるぞ。

 

 塩水で全身を滴らせながら改めて周囲を見回すと、すぐ近くのスタンドライトの地面と接している部分が完全に霜に覆われきっていた。やはりそれなりに長い時間俺はここにいたらしい。

 

 また、起きて一番最初に目に付いていた天井は、とても綺麗な球体ドーム状になっていることに気がついた。自然にこうはならない。また、土壁には窪みなど一切なく、その滑らかさは磨き抜いた泥団子よりも数段上だ。最早壁が手に張り付いてくるレベルだな。全く侵食されていないのも気になる。

 

 この壁の造り方には見覚えがあるぞ。砂漠遺跡の内部に似ていることから考えて、ここは古のものに作られた湖だろうか? もしそうだとするならば、俺達はどうやってそんな場所に入り込んだんだ? いや、まず俺達は今どこに居るんだ? ポケナビのGPS機能が生きている事を祈る。

 

 土壁と水面の間には氷が形成されている。かなり室温が低いように見えるけど……普段からこんな温度なのか? ……いや、霜と一緒に岩のりのような海藻が凍りついているな。普段はもっと暖かい環境なのかもしれない。潮の匂いだってそうだ。これは水温の高い海ではあまりしない。普段からこれだけ冷え切った場所なのだとしたら、水温は低いだろうから潮の匂いだってもっと強いだろう。いったいどういうことだ?

 

 湖そのものは澄んでおり、色は光の屈折の関係で透明度の高いコバルトブルーに近い。光が底まで届かないことから、水深は……50m以上か? かなり深いな。

 

 そんなことを考えていると、光が届くかどうかという位置の水中の壁付近で何やら蠢いている物体が見えた。目を凝らしてその姿を観察してみるものの、青暗い影がその場で揺らめいて見えるのみで、その姿ははっきりとはわからない。

 

 スタンドライトの光を水面の上から当てたとしても、反射してしまい余計に見づらくなってしまう。その姿をはっきりと確認するためには、重りを付けたケミカルライトを落とす必要があるだろうな。とりあえず攻撃してくる気配がないことから敵対生物ではないとは思うけど……少し気になる。

 

「スブブ」

 

 前のめりになって水面を覗いていると、あんまりにも遅かったせいか大賀が早く来いと急かし始めた。まぁ、湖にいた生物の観察は後でいいか。そこまで急いでいる状態じゃあないみたいだし、軽く観察する程度の時間はあるだろう。

 

 大賀の後ろに付いて歩き、霜が蔓延った部屋から出る。そのまま体が入口を通り抜けた辺りで不意に、勢いの乗った自転車が追突してきたような衝撃が左胸に突き刺さった。

 

「うおッ!?」

 

 上半身が仰け反り、勢いを殺しきれずに何かに押し倒されそうになる。このままでは頭をぶつけかねないと判断している間に、反射的にヘソを見るように顎を引いて体を縮こまらせてゆく。その動作に連動して縮まってゆく腹筋に更に力を入れた。

 

 ――――すると、完全に体勢を崩されきった状態だったにもかかわらず、自前の筋力だけで倒れきることを回避できてしまった。勢いよく尻尾を振っている何かを胸の中に抱えたまま、録画を観ている時に一時停止を押したかのように、地面スレスレでSの字を横に倒したような姿勢を保たせている。

 

 完全に予想外だ。

 

 今の俺の姿を端から見たら、凄まじく気持ちの悪いオブジェになっているに違いない。間の抜けた表情も相まって、普段の気持ち悪さの2乗、いや3乗にまで至るだろう。最早、これは一周回って芸術の域ではなかろうか。

 

 そして、このままリンボーダンス大会に出場したらダントツで優勝間違いなし。羞恥心と常識を犠牲に賞金を手に入れることができるだろう。

 

 今あるものを代価にして代わりのものを得る。これが、これこそが等価交換の原則……!

 

「スブブ……」

 

 心なしか大賀からの貫くような視線が痛い。ごめんなさいバカなこと考えてました。もうそろそろ現実逃避するの止めますんで許してつぁさい。

 

 過去最高と言っていい体のキレの良さや大賀からの待遇に疑問を抱きながら、そのままの体勢を維持しつつ押し倒す勢いで突っ込んできた何かを抱えあげる。

 

「ブイィ……」

 

「…………夕立さん、何故にそんな疲労してはるん?」

 

 持ち上げられた夕立は、訓練で長時間の全力疾走をして疲れきった時のようにぐったりしている。お前さんついさっきまで体力が有り余っていたじゃないか。

 

「スブブブブ……」

 

 大賀に夕立を渡すと、大賀は()()()()()()無茶すんなみたいニュアンスを含ませた声色でぼやいて頭にあるハスの葉に乗せた。俺被害者だよね? ついさっき、結構な勢いで突っ込まれた俺に対してかける言葉は何もないんです? なんで俺ならそれぐらいできて当然みたいに流されてるんだ。うーむ……納得がいかないぜよ。

 

「クギュル」

 

「キノッ!」

 

 御神木様と網代笠の声が聞こえた方へ顔を向ける。大きめの部屋の中で、御神木様と網代笠は狛犬のように通路を挟んだ状態でたたずんでいた。勝手にバックパックから木の実でも漁って食べていたのか、全員体力的に問題はなさそうだ。ただ、先のバトルの影響で、御神木様の棘は未だに欠けたりヒビが入っていたりとボロボロなままだ。視覚的には痛々しいが、御神木様的にはそこまで気にしている様子はない。たぶん生え変わりが近いのだろう。

 

 部屋の四隅にはライトが設置されている。恐らく大賀が設置したのだろう。撤去がし易くなるように配線を纏めているのがとてもそれっぽい。

 

 御神木様と網代笠に挟まれている奥につながる通路は――――

 

 ――――【ステルスロック】と【やどりぎのタネ】を隙間なくぎっちり詰めたように埋められている。【やどりぎのタネ】は埋められた通路だけでなく、壁にも深く根を張っており、内側からならともかく外側からは簡単に除去することはできそうにない。

 

 以前、自分達と相手が洞窟内部に居る場合に、どうやって侵入経路を封鎖するかを決めたことがある。目の前にそびえ立つ土砂モドキはその方法の1つ。完全に逃走不能な場合、救助が来るまで持ちこたえる為の時間稼ぎに使うと決めた逃げの一手。

 

 だから――――これは御神木様達が意図的に通路を封鎖した訳だ。現に、偵察慣れしている網代笠は通路から目を離さずに、じっと監視を続けている。

 

「……これ、今どういう状態なんだ?」

 

 どうも敵に襲われている訳ではなさそうだ。それならもっと慌ただしい。既に戦闘を行った様子も見られない。また、仮に天災と戦っていたら欠片すら残らないだろう。ならば、俺が動けなかったから念の為に? それにしては仰々しすぎると思うが。

 

 少し離れた場所にいる天災と敵対はしていないが、すぐに動けるように注意はしているってところか。

 

 見たところ誰も目が死んでいない。いいね。実にいい意志だ。たとえ途方もないほどの強敵で、最早災害と言い表してもいい相手にであったとしても、諦観せずに立ち向かおうとする闘志。その()()()()()。それは何よりも尊い。

 

 今までの旅路の中で、作戦立案時に重点に置き続けた結果がこうして身に付いているのだ。それがこれ以上ないほどに頼もしく、同時にそれが羨ましくもある。これなら――――

 

 ――――俺が死んでも、御神木様達は足を止めることもなく前へ進める。

 

「スブ」

 

「ん? ああ、ありがとうな」

 

 感慨に耽っていると、大賀がポケナビやバックパック、ボールベルトを持ってきてくれた。バックパックがボロくなっているが、修繕は時間があるときに回そう。あと、態々ポケナビを別で渡してくる辺り、すぐにハルカと連絡をつけろとでも言いたいのだろう。

 

「電源はっと………………ん? 反応しない?」

 

 ポケナビの電源ボタンを押しても反応がない。ボタンが壊れたという訳でもなさそうだし、とりあえず充電切れと判断して充電器を差しながら電源を入れ直してみる。すると、バチリと何かが弾けた音を響かせて、ポケナビは完全に沈黙してしまった。バッテリーボックスの入っているカバー裏から、白っぽい煙がモクモクと昇ってゆく。慌てて充電器を引き抜くが、煙の勢いは一向に衰えない。

 

 俺のような素人でも一目でわかる。ポケナビは死んだんだ。いくら呼んでも帰ってこないんだ。もう連絡が取れるだなんて幻想は棄てて、今のこの状況と向き合う時なんだ。

 

 くそッ! なんて時代だ!

 

 応急修理は……見た感じ無理そうだな。白煙からして電子回路の絶縁体が焼き切れた(ショートした)のだろう。予備の回路だなんて持ち合わせていない。外装まで伝わっていないが、近いうちにポケナビそのものもかなりの熱を発し始めるだろう。このままだと内部データの全てがダメになってしまう。

 

 そうなってしまう前に、ICカードとメモリーカードを抜き取る。すると、刹那のタイミングでポケナビがとうとう発火し始めた。その熱によってバッテリー付近の外装がドロドロに溶けて、ポケナビを持っていた左手にへばりつく。

 

 しかし、不思議と溶けたプラスチックの熱さを感じない。とうとう冷たさだけでなく、熱さも感じなくなってしまったらしい。視覚的にはかなりの勢いで燃え盛っているし、左手は熱によって爛れ始めているのに、感じるものはジンジンとした痛みだけ。本格的に体が狂ってきている。何よりも不味いのは、この状況を他人事のように捉えている俺の心の方かもしれない。

 

 残された時間はどれだけある? アルセウスの報酬が先か、予言通りに壊れきるのが先か。このままだと後者なんだろうけど。

 

 ぼうと溶け出したポケナビを眺めていると、バッテリーから黄と白の色が付いた火花が自己主張するかのように煌めきながら、勢いよく吹きだす。手の中はお祭り騒ぎだ。咄嗟に火花が御神木様達に降りかからないように調整する。

 

 火花は稲穂のような軌道を空中に描きながら輝く。なんかススキ花火みたいだな。

 

「ブイ……」

 

 御神木様達も見慣れない物を見たせいか、視線を外すこともなく目を丸くしている。ふむ……これ何かに使えないかね。まぁ、そのままだとコストパフォーマンス悪すぎるけどな!

 

 出費損だと精神にダメージを受けるから何か違う形で活かそう。なにか、こう、【フラッシュ】を上手く使って気を逸らさせる感じで……やっぱり【フラッシュ】の早期入手が待望されるな。

 

「スブブブブッ!」

 

 そんなことを考えていると、大賀にポケナビをひったくられる。そして、そのままお祭り状態のポケナビを通路とは反対方向の壁に向かってぶん投げた。うん、まぁそうするのが正解だわな。爆発したらことだし。手持ち無沙汰になった左手でボリボリと頭を掻きながら反省する。

 

 さて、思考をリセットしよう。

 

 現状の確認として外部との通信は不能。ここの出口は一つ。しかし通路は埋め固めている。その通路を埋め固めた壁は御神木様達が外にいる天災に対しての物。御神木様達はある程度回復している。

 

 うーむ。選択肢ないな、これ。ジリ貧になる前に装備品の確認をして、壁を崩して先へ進もう。さっきまでいた湖はしっかり調査できそうにないな。かなり後ろ髪を引かれる思いだが仕方がない。

 

   ◇  ◇  ◇

 

「とりあえずこんなもんか」

 

 黒ヤギのマスクを被り、バックパックに確認した道具類をしまう。予想外と言うべきか、モンスターボールが全滅していたのが痛い。御神木様達を入れていたボールもそうだが、未使用のボールすら壊れている。ここからは脱出できるまで全員ずっと出ていてもらわなければならない。

 

 他にもノートパソコンや短距離無線などの機械類も死んでいた。Cドライブだけ抜き取ったけど、データは生きているのだろうか。故障原因は不明。直すときに幾らかかるのか聞くのが怖いな。テープレコーダーが使えるから磁気が原因ではないと思うんだが。とりあえず今無事な機器類は、わざマシン入れやバックパック、昔ながらのテープレコーダーぐらいだ。バックパックが生きていてくれて助かった。

 

「全員、準備はいいか?」

 

「クギュルルルル!」

 

 天井に張り付いた御神木様が代表するように返事をした。気合の入ったとてもいい返事だ。待っている間に【のろい】を積んでもらっていた甲斐があった。

 

 既に破壊し易くなるように、【ステルスロック】と【やどりぎのタネ】によって埋め固めている通路に対して【れいとうビーム】を当てて、【やどりぎのタネ】を凍らせる調整も終わった。幾ら外側からの攻撃や衝撃に強いやどりぎでも、内側から完全に凍らせてしまえば何の問題もなくなる。更に、掘った穴から吹き出すであろう粉塵の対策として【みずあそび】で室内を湿らせている。あとは適度に【みずあそび】なり【バブルこうせん】なりで湿らせてやればいい。

 

 また、元々の通路自体は古のものの技術のせいかとても頑丈だ。はっきり言って俺達では削る、あるいは欠けさせることはできても、破壊することはできないだろう。だがそれは、裏を返せば通路の縁は俺達が何をやっても崩れてこないことになる。

 

 実際は多少穴を開けて、そこに【タネばくだん 地雷】を突っ込んで発破した方が早く開通できるだろう。だけど音やら衝撃やらで色々と派手すぎるからなぁ。自爆しかねないのも怖い。

 

「よし、夕立は御神木様に【てだすけ】、御神木様は恩恵を受けた状態で【ジャイロボール】! 上の部分を攻撃してくれ!」

 

「クギュルゥ!」

 

 埋めた通路上部の【ステルスロック】に対して、御神木様が小さな掘削機のように壁を破壊して進む。ゴリゴリという掘削音はしているが、思っていた以上に小さい。ここで大賀が【なげつける】を覚えていたら、もっと威力を上げる事ができただろう。技なしでそれやってみてもいいが、それだと狙った所に命中させられるかわからんしな。発破もそうだが、決壊からの生き埋めコンボはゴメンだ。

 

「次に大賀は【かわらわり】、網代笠は【きあいパンチ】だ」

 

「スブブ!」

 

「キノコッコ!」

 

 大賀と網代笠には凍った槍と化したやどりぎを叩き折ってもらう。これを6セットも行えば、人ひとりが匍匐(ほふく)前進出来る大きさになるだろう。

 

「クギュルルル!」

 

 凍ったやどりぎを殴り折っていると、貫通させた穴を通って御神木様が帰ってきた。爆発音なしで帰ってきたということは、すぐ目の前に敵対存在はなかったということか。ここで戦闘にならず、少し安心できる。ではもう一度【てだすけ】を受けて【ジャイロボール】をしてもらおうか。

 

 そのまま予定通り6度の【ジャイロボール】掘削を終えて、順番に開通した穴を通り抜けてゆく。まずは同時に穴を通れる御神木様と網代笠。出た先で陣地構築と偵察を行ってもらう。次に夕立と大賀。回復要員と護衛。最後に仕事がない俺だ。どうにも、御神木様達は俺を前に出したくないらしい。

 

 穴を通り抜けると何かが服に張り付くような感覚を覚えて、すぐにライトを点灯させる。するとやはりというべきか、【みずびたし】によって湿らされた穴を通った結果、多少泥まみれになっていた。ここにいる全員が泥まみれだ。だが、汚れなんて今更気にするような事でもない。

 

 気を取り直して、ライトで先を照らす。網代笠の業務用ヘッドライトと共に照らしだした場所は、分岐点となっていた。一つは正面をまっすぐに続いている道。もう一つは左手に曲がる道。件の天災の気配は左手から感じ取れる。ならば、これはまず正面の道に行くべきだ。もしかしたら出口に繋がっているかもしれない。そう理性が考えるのと同時に――――なぜか本能的に、妖しい雰囲気を醸し出している正面の道にこれ以上ないほど惹かれていた。食べ物の匂いを感じ取った訳でもないのに食欲が刺激され、口の中から唾液が溢れ出てくる。

 

「ス、スブブブッ!?」

 

 そのままふらふらと、引き寄せられるように分岐路を超えて道を歩く。この先にある部屋が異様に気になって仕方がない。後ろの方で大賀が何か言っているが、その声すらどこか遠く感じる。何度呼んでも歩みを止めない俺に対して、呼び止めるのを諦めたのか網代笠が横をすり抜けて先行するように部屋の中へ入っていった。

 

 網代笠に少し遅れて部屋に入る。捻じ曲がるように全体が歪んだ長方形の部屋の中には、風化した様々な骨や牙、皮、琥珀、鉱石といった物が入り混じり、山を複数作っていた。貯蔵庫……という訳ではなさそうだ。また、歪んだ場所からは土砂が噴出しており、一部の山を覆っている。恐らく、元々この長方形の部屋は歪んでいなかったのだろう。

 

 先んじて入っていた網代笠は少しの間部屋を観察していたが、敵がいないと分かるとすぐに興味をなくして外を監視し始めた。気を引くような物はなかったらしい。

 

「キノコッ」

 

「ブイィ」

 

 それから少し遅れて網代笠を除く御神木様達が追いついてきた。御神木様達も最初こそ気を引き締めていたようだが、網代笠と話すとすぐに転がっている鉱石へ興味が移ったようだ。御神木様が厳選した鉱石を、大賀と夕立が一箇所に纏め始めている。

 

 すると、程なくして御神木様が山の中から()()()を発見した。箱の大きさは20cmほど。一見すると、ソレはポケモンに近しいような生命体を(かたど)った、不均整な形状の奇怪な装飾箱だ。土の中に埋まっていたにも関わらず、その色味は一片の陰りすらも見当たらない。全体的に黄金に近い黄色がかった金属でできていて、蝶番の蓋にも金属糸を束ねた細やかな装飾が華美にならない程度についている。

 

 少しの間それを遠くから眺めた後、アレは目的の物ではないと見切りをつけた。アレはあるべき中身がない。だから欲している物はこの部屋の別の場所にある。そう感じて部屋全体に目を配らせていると、不意に部屋の一番奥にある左隅の山と目があった気がした。

 

 本能に導かれるまま、あるいは魅入られて引き寄せられてしまったかのように、他の山には脇目もくれずに一番奥にある土砂の被った骨の山を目指す。その合間に何を踏み砕こうが関係ない。

 

 目的の山の前でしゃがみこんで下から素手で掘り返していくと、すぐにヘドロのように腐敗した土が姿を現した。そこから更に掘り返すと、酸化した鉱石や風化してボロボロになった骨に混じって新たに装飾箱が一つ現れる。しかし、その装飾箱もまた鍵が掛かっておらず、欲している中身がない。ハズレだ。

 

 装飾箱を退かして深く掘り進めてゆくと更に一つ、今まで見つけた装飾箱よりも一回りは大きい装飾箱を発見する。おどろおどろしいにも関わらず、どこか神秘を感じさせる不思議な装飾箱。醸し出している雰囲気が、先に部屋で見つかった他の装飾箱とだいぶ異なる装飾箱。魅入られてしまったかのように、目の前の装飾箱から目を離すことができない。

 

 装飾箱は、ライトの光を一身に浴びて煌びやかに輝く――――その瞬間、新たに大きな重力が部屋の中に発生した。物が積み重なって出来た山は重力に負けて、音を立てながら平にならされてゆく。潜り込むように山を掘っていた俺もその影響を受けて土砂と瓦礫に飲み込まれる。

 

「クギュル!?」

 

 山に飲み込まれた状態にも関わらず、ライトを黒ヤギのマスクの口で固定化して、装飾箱に手を伸ばす。上から圧力がかかっているのだから開く筈がないと、理性では理解しているはずなのに。しかし、そんな現実的な予想に反して、暗闇の中に陽炎のように浮かび上がった装飾箱に手が触れると、錠前がカチリと音を立ててゆっくりと開き始める。

 

 装飾箱の中には、多面体の石が鎮座していた。多面体は直径約15cm程の不規則な卵形に近い結晶体で、不揃いな大きさの切子面を数多く備えている。色は漆黒で、ところどころ赤い線が入っていることから宝石のようにも見えなくもない。しかし、内部から黒い輝きを放ち続けているソレは、明らかに一般的な宝石とは似ても似つかない物だ。また、金属製の帯と箱の内側から伸びている7つの腕のような支柱に支えられていて、装飾箱の内面に触れぬように宙吊りの状態になっていた。

 

 暗闇の中で浮かび上がるように妖しく輝く多面体。その周囲に陽炎の揺めきを幻視し、何かが現れそうな気配を感じる。しかし、そんな瑣末なことには気にも留めず、魅入られたように、惹かれるまま、右手を黒く輝く多面体へ伸ばし――――

 

『手が触れた瞬間、支柱ごと引きちぎるように装飾箱から多面体を奪い取り、ちぎった物ごと()()で多面体を飲み込んだ』

 

 ――――ん? 何やっていたんだっけ? またほんの一瞬、意識を失っていたらしい。その直後、何者かに足を掴まれて引きずり出されかける。慌てて装飾箱の縁に手を突っ込んで装飾箱も一緒に引きずり出されるようにすると、刹那のタイミングで山の中から引きずり出された。

 

「スブブブブ……」

 

「何度もすまんな。いや、うん。本当にごめん」

 

 大賀が疲れきったような顔をしていらっしゃる。なんか目覚めてからずっと大賀に迷惑をかけている気がするぞ。

 

 しかし、なんでこれに惹かれていたのか分からないな。()()()()()()()()()()()()()。だが事実として、こうして見ているだけで満腹感を覚えるのは確かだ。とりあえず、この装飾箱はバックパックの中に突っ込んで持って帰ろう。

 

「クギュル!」

 

「ブイッ!」

 

 そんなことを考えていると、御神木様と夕立が自己主張し始めた。すぐ傍には、先に見つけていた装飾箱が一杯になるほど鉱石が詰められていた。そっちも持ち帰れという事ですね、わかります。

 

「これまた凄い量だな……ビスマスのこんな巨大な結晶とかどこで見つけてきたんだ」

 

 流石に虹色をした御神木様と同じ大きさの金属の塊についてはわかりやすい。だが、他のは特徴的なものがない為種類こそわからないが、とりあえず様々な高純度の鉱石が入っていることぐらいはわかる。御神木様がやりきった顔をしているのも判断の一つだ。

 

 装飾箱や入りきらなかった鉱石を詰め込んで、一部の骨や牙や琥珀を採取袋に入れて、それから改めて部屋を出る。結局、この部屋に出口がなかった以上、天災のいる部屋に向かわざるを得ない。分岐点まで戻り、網代笠と共に通路の先を確認する。

 

「キノコッコ」

 

「……よし、何もないな」

 

 通路は途中で色が変わっており、色が異なっている場所から先は苔むしていて、砂漠遺跡で見かけたオレンジ系の暖かい光を放っていた。

 

 通路に危険はないと判断して先へ進み、丁度色が変わる部分を確認してみる。先程までいた場所は全て石で壁を作っていた。しかし、ここから先に壁として使われている材料は木材だ。この木材の通路はどうにも今までの通路よりも2回り小さいようで、壁に使われている木材の断面がはっきりとわかる。その断面はボロボロで今までの壁に比べて余りにもお粗末と言っていいもので、横にした木材を圧倒的な力で上下に引きちぎったように見受けられた。足元に至っては5cmほどの小さな穴が空いており、通路が繋がっていないのがわかる。

 

 丁度そのタイミングで、跳ねて移動しようとした夕立が偶然蹴った石が穴に落ちていった。その際どこかにぶつかったのか、一度カンッと乾いた音を発してから暫くして反響音が聞こえてくる。どうにもかなり底がありそうだ。ケミカルライトを軽く折って穴に投入する。すると、少し経った辺りで急に横に跳ねて暗闇の中に消えてしまった。だいたい……240mぐらいか?

 

 また、ケミカルライトは落下しながら周囲を照らしていた。だからこそ、横にある建造物がどういった状態なのかを確認することができた。建物の下の方は、まるで押しつぶされたような状態。まさしくパンケーキクラッシュ(層崩壊)を起こした典型的な姿だ。同時に、通路の壁が2種類になった原因を理解できた。できてしまった。

 

 整えられた物とはいえ、あの大きさの湖を上層階に作る必要はない。つまり、最初俺達が居た湖は地底湖だった訳だ。だから、さっきまで俺達が居た場所は低い階層、あるいは地下だったのだろう。しかし、この通路が続いていた建造物は何らかの理由で押し潰されて、その分上層階が地下まで陥没してしまった訳だ。

 

 結果、一度閉ざされていたこの通路は運良く、たまたま、奇跡的に他の通路と繋がった。だから――――この先の部屋で大技を繰り出したら、既に歪んで不安定になっている建物が衝撃によって更に倒壊して、相手諸共生き埋めになる可能性も理解できてしまった。

 

「…………これ詰んだか?」

 

 割と冗談抜きで洒落にならない。ただでさえ相手の攻撃1回食らったら死亡のオワタ状態に追加で、攻撃を避けても生き埋めになるとかどうしろと。マジで御神木様の幸運に賭けるしか選択肢がなくなってきているぞ。足掻き方を考え直す必要がある。最早、倒壊前提に逃走経路を組んだ方が良さそうだ。仮に倒壊に巻き込まれたとして、御神木様と大賀がいればポケモンチームはなんとかなる。後は俺だけだが『どうせ倒壊程度では、死ねないし――――

 

「こちらが想定していた以上に力を蓄えたじゃないか」

 

 ――――不意に、囁くような、されど力強く威厳のある中性的な声が耳元で聞こえた。そう感じて振り返った時にはいつの間にか今まで居た通路ではなく、影一つ無い純白の空間に取り込まれていた。

 

「キノォ!」

 

「クギュル!」

 

「スブブブブブブッ」

 

「ブイィッ!」

 

 御神木様達が一斉に戦闘配置につく。同時に俺自身も後ろへ下がって、相手を視認する為に空間全体を確認する。

 

 辺りには石柱を最大限活かした様々な彫刻が並べられており、その技術の高さと完成度は砂漠遺跡で見たソレを遥かに凌駕している。そんな彫刻の中で雲間から降り注ぐ光で編んだような天蓋と、深い森のように荘厳である玉座を発見する。古のものが持ちうる全ての技術をつぎ込んで創りあげたものなのだろう。

 

 そして、そんなものを持っている奴を、俺は一匹しか知らない。玉座の中央部には、灰色の毛を包むように先端から脛のあたりにかけて黄色に近い金色の装飾がついている四足の獣が佇んでいた。

 

 今まで感じたことのないプレッシャーに押し潰されかけながらも、なんとか言葉を紡ぎ出す。

 

「……ようやく直接会えたな。アルセウス!」

 

 古のものの文明を破壊し尽くし、カイオーガとグラードンすら倒して、俺に【あいいろのたま】を渡してきたアルセウスがとうとう目の前に現れた。

 

 




直径15cmはだいたいケーキの5号。

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