とある魔術と科学の虚空書録《アカシックレコード》 作:田芥子慧悟
上条当麻はメロスさながら、街を駆け抜ける。
実は能力者や魔術師より個人的によっぽど厄介な現実の武器を振り回す連中に追われる人生を歩んできたおかげか、上条には持久力というものが備わっていた。
不本意だが、こればかりは己の不幸に感謝せねばなるまい。
そして、少々浅はかだった。
時には赤信号を渡ったとしても、歩道を行く人たちには気を遣っていた上条だったが、あらゆる可能性を考えておくべきだった。
路地裏から人が飛び出してくる可能性を。
ダンッ!
激突音とともに、両者後ろへ投げ出される。
「す、すみません!とても急いでて、前を見てませんでした」
今のは十割上条が悪い。そう思って、右手を差しのべるのだが突き飛ばした少女の姿を見て、冷や汗が滲み出た。
御坂美琴である。
ところが、彼女は意外に穏やかだった。電撃を浴びせられることはないくらいには。
「まったく、気をつけなさいよね。大きな怪我を治療してもらったばっかなのに」
そう言って、彼女は上条の右手をとった。
その瞬間、
美琴が騙し討ちで電撃をお見舞いしようとした訳ではない。第一、右手に触れた状態で騙し討ちなど不可能と彼女も心得ているはずである。
だが、右手は美琴の手に影響を及ぼす何かを打ち消した。
反射的に手を離した美琴、いや、
「(しまった……。こいつの右手は魔術に対しても有効なのか…!)」
ソイツは心中を押し殺し、平然と別れを告げて、さっさと去っていく。
上条は直感でアレが超能力ではなく、魔術であると踏んだ。
大きな怪我の治療、超能力者が魔術を使用した際の副作用。
反応も
当然、魔術を知らない美琴にそんなことができるはずはない。思いつく限り、たった1つの例外も除いては。
少なくとも、辻褄は合っている。
不幸体質の分際で、上条当麻は博打に出た。あの何者かに当たりを付けたのだ。
結果、博打は成功した。
無人の広い空き地に入ったタイミングで尾行を止め、何者かの肩に触れる。
「アンタ、何なのよ!もしかして、ストーカー…?アンタも黒子と同じタイプなの!?」
いい加減、頭に来て、何者かはそう言った。
(あんな変態、白井以外にいねぇよ……)
失礼な返事は心の中にしまっておく。
「うるせぇっ!!お前が御坂じゃないってことぐらいわかってんだよ!」
上条は怒鳴って返す。
突き付けた仮説はこうだ。
「1つ。お前は大きな怪我の治療と言ったな?それは超能力者が魔術を使ったときに出る副作用じゃないのか?御坂は
人差し指を立てる。
「2つ。俺の右手に触れた瞬間、
中指も立てる。
「3つ。現在、
薬指も立てる。
「悪魔が召喚されたとも聞いている。それで全部説明がつく。お前がサタンとかいう悪魔だろ。違うか?」
点と点が繋がり、一つの説が完成した。
図星である。吐き捨てるように放たれた電撃を右手で払う。
「天使が人間の位に落ちただと?そんなはずあるまい。セフィロトの木は常に満席のはずだ。我輩のような召喚とは訳が違う」
諦めてサタンは自身の口調を取り戻す。
「まあ、そこら辺は俺にもわからないけどな。お前は俺が止める。覚悟しろよ、サタンッ!!」
「魔術すら消したお前の右手は厄介だ。必ず我輩の計画の邪魔になる。ここで殺しておいた方が後味良いよなぁ、クソガキィッ!」
両者の怒りと闘志が激突する。
まず、目の前を黒いものが巻き上がって、サタンの左手に剣を形づくる。
『砂鉄の剣』。電流が生む磁場を利用した応用技。サタンは美琴の身体を乗っ取ったどころか、その能力まで支配してしまったらしい。
サタンは右に左に剣を払う。上条はかわして、かわして、上から振り下ろされるその隙へ右手を伸ばす。
触れた瞬間、電力を失い、磁力を失い、剣は元の砂鉄となって散る。
だが、後ろからも『砂鉄の剣』は迫っていた。それも難なく右手で散らす。裏をとったとして、それが異能なら触れさえすれば無意味なのである。
「お前が御坂の脳内を覗けるってんなら分かるはずだ!こんなのいくらやったって無駄だって……!」
上条は言ってやるが、サタンは余裕の表情だった。
「バーカ」
不敵な笑みと共に言われる。
気付けば少しばかり大きな影に呑み込まれている。
上を見ると、何本かの鉄骨が無造作に浮き上がっていた。
「逃げろよ。背を向けて」
言われなくても、そうした。とにかく全速力で遠くを目指す。
それでも、敵から目を離さなかったのが功を奏した。
コインの白い光がこちらを睨んでいる。
「嘘、だろ……」
擦過覚悟で無理矢理、地面へ飛び込んだ。
次の瞬間。
ガギュンッ!!空気を引き裂く超音速の金属弾が、顔のすぐ上を突き抜ける。
御坂美琴の代名詞、『
続く鉄骨の猛襲からも地面にダイブする大胆な策でなんとか逃れる。
紙一重を二つ乗り越え、肩から肘にかけてできた大きな擦り傷。あのまま
「今のを躱しやがるか……!」
悪魔らしく狡猾な異能の連撃だったが、戦闘不能にさせられずサタンは歯噛みする。
「生憎、こっちは右手一つでいくつもの死線を乗り越えて生きてきたんでね……」
と煽ってやった。
「フハハハ……!では、ここに数の暴力ってヤツも混ぜることにしよう」
すると、サタンはそう言って美琴の身体を一旦捨てる。
「超能力者が魔術を使ったときの副作用と言ったか、あの怪我は?そんなつまらぬものでそこの素晴らしい受肉体を失うわけにもいかんのでな。人界などつまらぬ世界と思っていたが、魔術も使わずあんなものを実現するとはな……。どうせ離れる世界だが、もう少し楽しんでおきたいのだよ」
そう言ってほくそ笑むサタンは残忍な目、歪んだ双角、鋭い牙や爪、背中には黒の翼とまさに悪魔という姿であった。
美琴の身体を取り戻そうと走る上条だが、地面に描かれた無数の黒い魔法陣から小さな悪魔が次々と飛び出して、その行く手を阻む。
なす術なくサタンは美琴の身体に戻ってしまった。
「実は密かに砂鉄で法陣を描いてたのだよ。悪魔王たる我輩の狡猾があの程度のものだと思ったか」
奴がそう言って合図を送ると、小さい悪魔的なのが雪崩のように押し寄せてきた。
しかし、ミニ悪魔は右手に触れたものから消失していく。まさかと思って、胸を圧迫している悪魔の一体にも右手で触ると同じ結果を呈した。
そう言えば、あの時もそうだったではないか。
以前の
もしかすると、この右手は魔術で現界した存在であれば、元の場所へ帰還させることが可能なのかもしれない。
ミニ悪魔の大軍を退けるのに、数分取られた。
上条はしたり声で立ち上がる。
あちこち噛みつかれたせいで体中、血濡れた歯型だらけになっていた。どこからかも分からない疼痛が喧嘩でもするように訴えかけてくる。
「何っ…!?貴様の右手はそんな芸当もできるのか!」
サタンも驚愕の一言だった。しかし、奴は上条にとって致命的な弱点にも気付いてしまう。
「だが、今ので分かったぞ?貴様の力は右手にしか宿っていないのだろう?」
見透かされて、脈が速くなる。
「こっちも気付いたぜ。お前がいくつの魔術で自分を守ろうが、全部ぶち壊して直接触れちまえば俺の勝ちだってな」
矜持で言い返し、サタンへ突っ込んだ。
互いに勝利への道を見定め、戦いはクライマックスへと突入する。