天才は夢を見ない   作:小池蒼司

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9.叡山枝津也with天才

 

 

大広間に戻ると、驚くことに人数が四分の一ほど減っていた。

空席は退学者なのか、それともまだ集まっていないだけなのか。

 

凛は入口で足を止め、室内を見渡した。

 

「あ、凛!」

 

紀ノ国がこちらに気づき、立ち上がった。

近づいてきた彼女は、凛と一色を順に見て、少し肩の力を抜く。

 

「二人とも合格したのね」

「ええ。寧々も?」

「何とかね」

 

そう言いながら、紀ノ国は空いた椅子へ目を向けた。

 

「私のところ、何人か戻ってこなかったわ」

「……そう」

 

凛もその視線を追った。

 

最初の課題を聞いてから、まだ二時間も経っていない。

その間に荷物をまとめ、ここを去った者がいる。

 

自分も食材の前で立ち尽くしていた。

一色に声をかけられなければ、何を出していただろう。

 

「尾崎ちゃん!」

 

考えかけたところへ、久我の声が飛んできた。

手を上げて近づいてきた彼は、凛の顔を見るなり足を緩める。

 

「……何かあった?」

「どうして?」

「来た時と顔違うじゃん!」

 

凛は自分の頬へ手を当てた。ぺたぺたと触るその隣で一色が笑った。

 

「美味しいものを食べたんだよね」

「……そうね」

「へー!何作ったの?」

 

凛が答えようとした時、入口の方で物音がした。

 

一人の生徒が、大きな鞄を肩にかけて廊下を歩いていく。

大広間には入ってこない。

 

久我がそちらを見た。

紀ノ国も、途中まで開きかけていた口を閉じた。

 

生徒の姿は、そのまま入口の向こうへ消えた。

 

「……座ろうか」

 

一色に促され、凛たちは空いている席へ向かった。

凛は腰を下ろしてから、もう一度入口を見る。

 

次に誰かが戻ってきたら、1つ席をズレて座ろうか、なんて話もした。

全員そう思って待っていたが、それから入口の扉が開くことはなかった。

 

 

 

◇

 

 

凛の大きなキャリーケースや、紀ノ国たちの荷物もここで全て回収され、どうやら係の人が部屋に置いてくれるらしい。とはいえ、自分たちの部屋がどこかも知らないのだが。

 

そして、大広間では次の課題が言い渡された。

壇上に立つ堂島が、「次の課題は二人一組で行ってもらう」と宣言した。

 

「組み合わせはこちらで指定する。掲示された名前を確認し、速やかに移動すること」

 

同時に、前方へ大きい掲示板が置かれる。残った生徒たちの名前がずらりと書かれる中、自分の名前を見つけ、その隣を読む。

 

ーー叡山枝津也

 

場所はこのホテルではなく、別の場所へバス移動するらしい。詳細が書かれていないので少し不安だ。

 

「叡山?よりにもよってなんで…」

 

凛の隣で紀ノ国が訝しんだ顔を向ける。

その反応で、ようやく朝ぶつかった人か、と気付いた。

 

「行ってくる。また後で」

 

凛は掲示板から紀ノ国へと視線を移した。

また後で。それはお互い必ず生き残ることが前提の言葉だった。

二人は軽い握手をしたあと、手を振って大広間を後にする。

 

ペアの叡山が一体どんな人間で、どんな料理を作るのかは分からないが。朝の様子を見るからに、あまりいい印象は持たなかった。

 

 

 

◇

 

 

バスに乗りこんで移動すること、十五分ほど。

到着したのは、先ほどのホテルよりも小さな建物だった。

 

入口の脇には、本日の昼食メニューが掲示されている。

窓の向こうにはテーブルが並び、従業員が食器を置いて回っていた。

 

「ここ、レストランなのね」

 

凛の独り言に、隣を歩く叡山は答えなかった。

 

バスの中でも、一言も話していない。

空いている席へ隣同士で座りはしたが、叡山は資料を眺め、凛は窓の外を見ていた。

 

 

建物を見る凛の隣で、叡山が手元の名簿から顔を上げる。

 

「尾崎凛……」

 

確かめるように名前を読み、凛を上から下まで眺めた。

それから、口の端を吊り上げる。

 

「お前が、あの“氷結の女王”か」

 

凛は返事をしなかった。

叡山は構わず、鼻で笑う。

 

「大層な呼び名の割に、今朝は随分あっさり転がってたな」

「貴方がぶつかったからでしょう」

「邪魔な場所に突っ立ってっからだろ」

 

悪びれる様子はなかった。

凛はしばらく彼を見つめたあと、入口へ視線を移した。

 

案内の係が生徒たちを裏口からレストランへと案内する。更衣室で着替えを済ませたあと、中に入ると見た目よりも広いフロアと厨房、そして昼時だからか満杯のお客さんたち。

 

厨房からは、肉を焼く音と短い指示が絶え間なく聞こえてきた。

出来上がった皿を従業員が受け取り、入れ替わりに注文の伝票が差し込まれる。

 

凛はその動きを目で追った。

 

「こっちです。通路は空けてください」

 

案内されたのは、営業用の厨房に隣接した調理スペースだった。

並んだ調理台には、それぞれ二人分の器具が用意されている。

 

「時間がないので、すぐに説明します」

 

講師が用紙を配りながら言った。

 

「皆さんには、この後来店する五十名分の昼食を、一組ずつ担当してもらいます。主菜と付け合わせを一皿にまとめ、指定された時間に提供してください」

 

叡山は用紙を受け取ると、すぐに目を走らせた。

 

「使える食材と価格は、その一覧のとおり。予算内で必要な量を申告すること。申告後の変更は認めません」

 

「客は全員、同じものを食うんですか」

 

叡山が聞いた。

 

「ええ。今回は団体予約のお客様です。食物アレルギーなどの情報も用紙に記載しています。必ず確認してください」

 

凛も手元を見た。

料理を出す時刻まで、四十分。

その前に試食用の一皿を提出し、提供してよいか判断を受けるらしい。

 

「味、原価、提供までの段取りを審査します。二人とも合格とは限りませんので、自分が何を担当したか説明できるように」

 

隣の組で、小さく息を呑む音がした。

 

凛は厨房へ目を向けた。

自分たちの説明が続く間にも、料理は次々と運ばれていく。

 

客は、試験が終わるまで待ってくれない。

 

「では、始めてください」

 

声と同時に、叡山がペンを取った。

 

「鶏肉。付け合わせはジャガイモとニンジンでいく」

「調理法は?」

「来る時間に合わせてまとめてオープン。最後リソレ。ソースはまとめて仕込む」

 

凛が用紙を覗くと、既に分量と金額が書き込まれていた。

必要な数を計算する手が、一度も止まらない。

 

「……早いのね」

「こんなもんで時間使ってどうすんだよ」

 

叡山は答えながら、合計額へ線を引いた。

 

「お前は肉をやれ。焼くくらいできんだろ」

「ええ。皮を香ばしくしたいから、ソースは下に敷くか、別に添えたい」

「何でもいい。盛りつけに手間かけんなよ」

 

凛は一覧へ視線を落とした。

 

「レモンも使いたい」

「予算見ろ」

「見てるわ。だから、相談してるの」

 

叡山のペンが止まった。

凛は彼の書いた数字を指す。

 

「付け合わせの量は減らさずに、こっちの規格へ替えられない? 切って使うなら、形は揃ってなくてもいいでしょう」

 

叡山は一覧を見直した。

単価を確かめ、数字を一つ消す。

 

「……切り揃える分、仕込みは増えるぞ」

「間に合わせる」

「言ったな」

 

用紙が凛の方へ押し戻された。

 

「レモンは二個。それ以上は出ねえ」

「十分よ」

 

凛は用紙を受け取り、残りの予算を確かめた。

 

「貴方、こういう課題は得意なのね」

「今さら気づいたかよ」

「料理は?」

 

叡山が顔を上げた。

 

凛はまっすぐ彼を見ていた。

煽っている様子はない。それがかえって、癪に障った。

 

「……食えば分かんだろ」

 

凛の口元が、わずかに緩む。

 

「じゃあ、ソースはお願いしてもいい?」

 

叡山は彼女を一瞥し、ペンを置いた。

 

「肉、焦がすなよ。女王様」

「貴方こそ、味見はさせて」

 

二人はそれぞれ、食材を受け取りに向かった。

 

団体客とは言えど、提供される料理の味にばらつきが出てはいけない。基本的なレシピは守りつつ、どう美味しく作るか。そして、今回の課題で重要になったのは"原価"だった。

 

店で提供する以上、料理は商品であり、原価は経営するにおいて最も大事だ。金がなければ食材も買えない。

 

だが、安く済ませるだけなら誰にでもできる。

この値段で、また食べたいと思わせるものを出す。そのために、どこへ金と手間をかけるのか。

 

叡山は、迷わず数字を並べていた。

 

凛は受け取った野菜を調理台へ置く。

大きさも形も揃っていない。けれど、切ってしまえば同じことだ。

 

包丁を入れ、火の通りが揃う厚さに切り分ける。

その傍らで、叡山が鍋を火にかけた。

 

「切り落とし、こっちに寄越せ」

「ソースに使うの?」

「ああ。皮だけ厚く剥いて捨てんなよ」

「分かってる」

 

凛は使える部分を小さな容器へまとめ、彼の側へ押し出した。

 

肉の下処理へ移る。筋を切り、一枚ずつ状態を確かめた後、厚さを揃えていく。

 

叡山の手が、一瞬止まった。

 

先ほどまで山になっていた野菜が、もうバットへ収まっている。

切り口を見れば、雑に急いだわけでもない。

 

「……早えな」

「時間、ないでしょう」

 

凛は顔を上げずに答えた。

 

叡山は時計を見て、自分の作業へ戻った。

彼女が肉と野菜の準備を進める間に、ソースを仕上げる。そこまでは予定どおりだ。

 

ただ、凛は一度も作業の順番を聞いてこなかった。

 

必要な場所を空け、使い終えた器具はすぐに下げる。

叡山が鍋を移そうとした時には、既に鍋敷きが置かれていた。

 

「厨房には慣れてんのか」

「幼い頃から立っていたもの」

「親父の店か」

「ええ」

 

短い返事のあと、凛が鼻先をわずかに動かす。

 

「……そろそろ?」

「何が」

「ソース。味見してもいい?」

 

叡山は鍋を見る。

ちょうど、煮詰める火を弱めようとしていたところだった。

 

無言で小皿へ取り分け、差し出す。

 

凛は少量を口へ運んだ。

もう一度、鍋へ目を向ける。

 

「ん、美味しい」

 

叡山は返事をしなかった。

 

「でも、肉と合わせてから味を決めたい。もう少しバルサミコ酢使える?」

「そのつもりだ」

「そう。よかった」

 

凛は小皿を置き、レモンを手に取った。

 

「皮はここに入れたいの。全部じゃなくて、最後に少し」

「酸味は?」

「付け合わせに。肉を食べたあと、もう一口欲しくなるように」

 

叡山は、彼女の用意したバットを見た。

 

見栄えのために欲しがったのだと思っていた。

だが、二個のレモンには、既に使い道が決まっている。

 

「……先に言えよ」

「聞いてくれなかったでしょう」

 

凛はそう返し、肉の状態を確かめた。

叡山は舌打ちしたが、今度は背を向けなかった。

 

「仕上げ、どう回すつもりだ」

 

凛が顔を上げる。

二人の間へ、手順を書いた用紙が置かれた。

 

「なるべく差が出ないようにレシピの通りやるつもり。でも…美味しすぎて出せないかもね」

 

凛は冗談ぽく笑う。その顔を見て、叡山は手が止まった。

 

「…お前、冗談とか言うんだな」

「ごめん、ちょっと楽しくて」

 

叡山は凛を見たまま、眉を寄せた。

 

「遊びに来てんじゃねえぞ」

「分かってる。ちゃんと五十人分、出すわ」

 

凛は用紙へ視線を戻した。

 

「私が肉を仕上げるから、貴方に盛りつけをお願いしたい。付け合わせとソースを先に用意して、肉が焼けた順に渡す」

「一度に全部仕上げんなよ。出せねえ分が冷める」

「ええ。客席の様子を見て、何皿ずつ出すか教えて」

「……分かった」

 

叡山が用紙へ書き足す。

凛はその間に、試食用の皿を温め始めた。

 

さっき笑っていた顔は、もう調理へ向いている。

けれど、口元にはまだ少し笑みが残っていた。

 

「何がそんなに楽しいんだよ」

 

聞いてから、余計なことを言ったと思った。

凛は肉から目を離さず、答える。

 

「貴方のソース、美味しかったから」

「……は?」

「これと合わせたらどうなるか、早く食べてみたい」

 

叡山は黙った。

凛は彼の反応を確かめることもなく、焼けた肉を取り出す。その姿が何故か輝いて見えた。

 

肉を少し休ませて切り分け、ソースと合わせた一口を小皿へ載せた。

 

「味見、お願い」

 

差し出された皿を受け取り、叡山は口へ運ぶ。

 

皮が軽く割れた。

香ばしさのあとから肉汁が広がり、自分が作ったソースと重なる。

 

塩は、これ以上足さなくていい。

鍋だけで味を決めていたら、少し強くしていたかもしれない。

 

「……これでいくぞ」

 

凛は自分でも一口食べ、頷いた。

そして試食用の一皿を仕上げていく。

 

叡山も隣で、提供に使う皿を数え始めた。

 

 

◇

 

 

試食審査と昼食の提供を終えた頃には

試食が提供できるレベルに達せず、帰らされた組が3組。

提供スピードが間に合わない組が2組。

 

そして6組中ーー合格、1組。

 

「最後の皿、出ます」

 

凛が声をかけると、叡山が皿の縁を確かめ、従業員へ渡した。

 

五十皿目だった。

 

空になった作業台を見て、凛は息を吐く。

隣では叡山が時計を確認していた。

 

「……間に合ったな」

「ええ」

 

途中、叡山は何度も客席の状況を確かめた。

皿を運べる人数と速さを見ながら、凛へ仕上げる数を伝える。

 

凛もその指示に合わせて手を動かした。

急かされても焼く時間は縮めず、代わりに別の作業を先へ回す。叡山が次の皿を用意する頃には、肉が仕上がっていた。

 

「二人とも、こちらへ」

 

講師に呼ばれ、凛と叡山は顔を上げた。

 

提出した原価表と作業記録が、机に並んでいる。

 

「予算内。提供時間も厳守。試食で確認した仕上がりを、最後まで維持できていました」

 

凛は隣を見た。

叡山は講師の言葉を聞いたまま、表情を変えない。

 

「尾崎さん。仕上げの判断は?」

「私です。提供する数と順番は、叡山くんに見てもらいました」

「叡山くんは、調理も担当しましたか」

「ソース。それと、肉を焼いてる間の付け合わせの仕上げです」

 

講師は記録へ目を落とし、頷いた。

 

「二人とも合格です」

 

この会場に集められた六組のうち、試食審査を通過できなかったのが三組。提供が間に合わなかったのが二組。

最後まで課題をこなしたのは、凛と叡山の一組だけだった。

 

凛の肩から、少し力が抜けた。

 

「ありがとうございます」

 

頭を下げてから客席を見ると、ちょうど最後に運んだ料理へナイフを入れる人がいた。

 

一口食べ、向かいの相手へ何か話しかける。

相手も頷き、自分の皿から肉を切り分けた。

 

凛はしばらく、その様子を見ていた。

 

「何してんだ。片づけんぞ」

 

叡山に言われ、厨房へ向き直る。

 

「ねぇ」

「あ?」

「謝ってくれない?」

 

叡山の手が止まった。

 

「何を」

「朝、ぶつかったこと。私が転んだあとも、邪魔だって言ったでしょう」

 

凛は淡々と言った。

それを今言うのか、と叡山は顔をしかめる。

 

「まだ根に持ってんのかよ」

「謝ってもらってないもの」

 

少しの間、二人とも動かなかった。

めんどくせぇ、と叡山は悪態をつく。

 

隣の厨房から、皿の触れ合う音が聞こえた。

 

「……試験は終わっただろ」

「試験の話はしてない」

 

凛は彼を見た。

 

「今日、一緒に料理できたのは楽しかったし、ソースも美味しかった。でも、それと朝のことは別でしょう」

 

叡山は口を開きかけ、閉じた。

 

褒めるなら褒める。

怒っているなら怒る。

どちらかにすればいいものを、凛は両方を同じ顔で言う。

 

「……悪かったよ」

 

凛が瞬きをした。

 

「聞こえたろ。二度も言わせんな」

「ええ。ありがとう」

 

あっさり頷かれ、叡山はかえって居心地が悪くなった。

 

凛はもう、使い終えた器具へ手を伸ばしている。

 

「そっちは私が洗う。調味料、戻してくれる?」

「……指図すんな」

「じゃあ、洗う方がいい?」

 

叡山は返事の代わりに、調味料の容器をまとめて持ち上げた。

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