天才は夢を見ない   作:小池蒼司

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10.宿泊研修with天才3

 

 

午後も課題は続き、部屋へ戻れた頃にはすっかり夜だった。昼休憩を挟んだといえど、全員お腹はぺこぺこだ。

 

案内された部屋へ向かうと、既に紀ノ国がベットに腰掛けて待っていた。

どうやら2人部屋のようだった。

 

「お疲れ様」

 

紀ノ国は凛をみると軽く声をかけた。

凛は紀ノ国を見て少し安心する。知らない人と同部屋だったらどうしよう、なんて考えていたからだ。氷結の女王なんて呼ばれているが、冷たく見えるのは凛の人見知りも関係している。

 

「寧々、課題どうだった?」

「そうね…簡単ではなかったけど、勉強になったかしら」

 

紀ノ国は朝より疲れた顔をしている。

きっと壮絶な課題をこなしてきたに違いない。

 

「そう…。更に人も減ってるし、このままじゃ私達しか残らないかも」

 

凛は紀ノ国の隣に腰掛けた。冗談ぽくいう言葉に、紀ノ国は思わず苦笑する。

 

「私が退学したらどうするの?」

「寧々はしない。それに、一緒に帰りたいもの。私がなんとかする」

 

紀ノ国は返事に詰まった。

凛はもうキャリーケースを開けようとしていて、こちらを見ていない。

 

「……私だって、そのつもりよ」

 

小さく答えたところで、ケースの蓋が開いた。

 

開かれたケースの中にはぎっしり詰まった本。

思わず紀ノ国は身を乗り出した。

 

「ちょっと待って」

「何?」

「それ、全部本?」

 

片側には着替えが収まっている。

もう片側には、隙間を埋めるように本が詰められていた。

 

「全部じゃない。着替えも入ってる」

「今朝も聞いたわよ、それ」

 

凛は一冊を取り出し、枕元へ置いた。

 

「……本当に読む時間、あると思ってるの?」

「寝る前に少し」

「その前にご飯とお風呂。もうすぐ集合時間でしょう」

「そうね。確かにお腹空いた」

 

素直に本から手を離した凛を見て、紀ノ国は少し笑った。

 

 

それから二人で部屋を出る。

廊下には同じように夕食へ向かう生徒たちがいて、昼間よりも話し声が少ない。

 

エレベーターを待っていると、紀ノ国がふと思い出したように顔を向けた。

 

「そういえば、叡山とはどうだったの?」

「二人で合格した」

「それは分かってる。そうじゃなくて……」

 

凛は少し考えた。

 

「後は…計算が早くて、料理の腕も悪くない、かな」

「……そう」

 

意外な答えだったのか、紀ノ国は眉を上げた。

 

「一緒に作るのも、楽しかった」

「朝、あんなことをされたのに?」

「でもそれは謝ってもらったから」

 

紀ノ国が凛を見た。

 

「……謝ったの?」

「ええ」

「叡山が?」

「他に誰がいるの」

 

エレベーターが到着し、扉が開く。

凛は乗り込みながら、動かない紀ノ国を振り返った。

 

「寧々?」

 

紀ノ国は慌てて後に続いた。

 

「貴方、何て言ったのよ」

「謝ってくれない?って」

「……それだけ?」

 

凛は頷き、夕食会場の階のボタンを押した。

 

「だって、あの人自分が悪いことしたって思ってないんだもの。態度が。後からムカついてきちゃって」

 

紀ノ国は凛を見た。

普段なら口にしなさそうな言葉が出てきて、少し意外だった。

 

「……貴方でも、ムカつくことあるのね」

「ある。転んだ時、痛かったし」

 

凛は自分の手のひらを見下ろした。

 

「でも、一緒に料理してる時は忘れてたの。終わってから思い出した」

「それで、謝ってって言ったの?」

「ええ。次に会う時も、嫌な気分になるのは面倒でしょう」

 

紀ノ国は一度俯いた。

けれど、堪えきれずに笑いが漏れる。

 

「……何?」

「叡山、どんな顔をしたのかと思って」

「ずっと嫌そうな顔だったから、あまり変わらなかった」

「ちょっと、やめて」

 

凛まで少し笑った。

 

エレベーターが止まり、扉が開く。

廊下へ出ると、夕食会場から話し声と食器の音が聞こえてきた。

 

「謝ってくれたなら、もう怒ってないの?」

「うん。片付けもしてくれたし」

「それはペアなんだから、当然でしょう」

「ふふ、そうね」

 

二人で受付を済ませ、席を探す。

 

すぐに、奥のテーブルから手が上がった。

 

「尾崎ちゃーん! 寧々ちーん!」

 

久我が大きく手招きしている。

その隣では、一色が空いている椅子を引いてくれた。

 

「お疲れさま。二人とも同じ部屋だったんだね」

「ええ」

 

凛が腰を下ろす。

紀ノ国も隣へ座り、まだ少し笑いながら言った。

 

「凛、叡山に謝らせたんですって」

 

久我の手が、卓上のお冷を持ったまま止まった。

 

「……は?」

「寧々、それもう話したでしょ」

「私にしか話してないでしょう。もう一回聞きたいわ」

 

一色が凛へ顔を向けた。

 

「それは、少し気になるね」

 

「俺の話か?」

 

背後から声がして、紀ノ国の笑みが止まった。

 

振り向くと、トレーを持った叡山が立っていた。

四人を見回したあと、凛へ目を留める。

 

「何吹き込んでんだ、お前」

「ちゃんと謝ってもらったって話」

「言いふらすことかよ」

「寧々に、課題はどうだったか聞かれたから」

 

凛は隣の紀ノ国を見た。

紀ノ国も頷いたが、口元はまだ少し緩んでいる。

 

「ちゃんと謝れたのね、叡山」

「うるせえな」

 

久我がとうとう吹き出した。

 

「何? 尾崎ちゃんに怒られたの?」

「テメェに関係ねえだろ」

「あるある。今、めっちゃ興味ある」

 

叡山の眉間に皺が寄る。

凛は二人を見比べたあと、隣の空席へ置かれていた自分の鞄を下ろした。

 

「座る?」

「……は?」

 

叡山だけでなく、久我も凛を見た。

 

「料理、冷めるでしょう」

 

凛は彼のトレーへ目を向けた。

叡山は椅子を見て、四人の顔を見た。

 

一色が笑う。

 

「どうぞ。ちょうど、君たちの課題の話を聞こうとしていたんだ」

「話すことなんかねえよ」

 

そう言いながら、叡山はトレーを置いた。

椅子を引いて腰を下ろすと、久我が身を乗り出す。

 

「で、どうやって謝らせたの?」

「まだ言うかテメェ」

「普通に謝ってくれたわ」

 

凛が答える。

叡山が横から睨んだ。

 

「お前もいちいち答えんな」

「じゃあ、この話は終わりね」

 

凛はあっさり頷き、自分の食事へ手を伸ばした。

 

紀ノ国と一色も、それぞれ箸を取る。

久我だけが物足りなさそうに口を尖らせたが、凛の皿を見て別の話を始めた。

 

叡山は少し黙ってから、水の入ったグラスへ手を伸ばした。

 

騒がしい席なのに、素直に座るところが凛には少し面白かった。

 

 

 

 

◇

 

 

 

食事が終わり、お風呂に行こうと紀ノ国と歩いていた時、前からやって来た誠二が片手をあげて声をかけてくる。

 

「よ」

「どうしたの?」

 

紀ノ国は軽く会釈すると、二人を交互に見た。

そんな紀ノ国を見て、誠二は凛の肩を抱き寄せた

 

「悪いな、凛借りるぞ」

「え?ちょっと…」

 

引っ張るように連れていかれた先で、凛は小さく口を開く。

これは、父親としてなのか講師としてなのか、分からなかった。

 

「凛」

 

誰もいない休憩スペースで、誠二は振り返った。

その姿は父親だった。

 

「どうしたの」

「フランスに戻ってこないか」

 

凛は父を見た。

 

「……今日、合格したでしょう」

「ああ」

「まだ、私の料理じゃなかった?」

「いや。美味かったよ」

 

誠二はすぐに答えた。

 

その言葉に、凛は少し戸惑った。

なら、どうして。

 

「戻ってきたら、俺の厨房に入れ」

「……お店に?」

「見学でも手伝いでもねえ。料理人としてだ」

 

凛の指が、持っていたタオルを握った。

 

幼い頃から、入りたかった場所だった。

父の隣へ立とうとするたび、今のお前にできるのはここまでだと、仕事を区切られてきた。

 

そこへ来いと、父が言っている。

 

誠二は近くの椅子を引き、腰を下ろした。

 

「今日のお前を見て、向こうで何を作るか見たくなった。俺が教えた料理を、ああいうふうに返してくるとは思わなかったからな」

 

凛は俯いた。

 

父の料理を、父に美味しいと言ってもらえた。

それだけで、今日は十分なはずだった。

 

「……前は、遠月反対だから帰れって言ってたのに」

「今も心配はしてる。そりゃ、お前」

 

誠二は頭をかいた。

 

「娘だからな」

 

凛は黙った。

誠二も、それ以上急かさなかった。

 

休憩スペースの向こうを、生徒たちの話し声が通り過ぎる。

風呂へ向かっているのだろう。寧々を待たせていることを思い出した。

 

「……帰らない」

 

誠二が顔を上げた。

 

「今は、まだ」

 

凛は言い直した。

 

「お父さんのお店には、入りたい。でも、ここでもっと作ってみたいの」

「誰と」

「……一色とか、寧々とか。久我くんも」

 

少し迷い、付け足す。

 

「あと、今日組んだ人とも」

 

誠二は娘の顔を眺めた。

極星寮で見た姿とは違う、強い姿に誠二は笑うしかなかった

 

「はは、分かった。俺は待ってる。父親としても、料理人としても」

「うん」

 

凛と誠二は軽くハグした後、じゃ。と別れた。

久しぶりの親子としての時間だった。

 

 

◇

 

 

来た道を戻ると、大浴場入口の近くで紀ノ国が待っていた。

凛を見つけると、壁から背を離す。

 

「お話、終わった?」

「ええ。待たせてごめんね」

「そんなに待ってないわ。行きましょう」

 

暖簾をくぐり、脱衣所へ入る。

課題から解放された生徒たちの話し声が、あちこちから聞こえてきた。

 

空いている籠を隣同士で使い、凛は着替えを取り出した。

紀ノ国が髪をまとめながら、鏡越しにこちらを見る。

 

「……何のお話だったの?」

「フランスに戻らないかって」

「え?」

 

紀ノ国の手が止まった。

 

「お父さんのお店で働かないかって、誘われたの」

「それで……どうしたの?」

 

凛は畳んだ服を籠へ入れ、顔を上げた。

 

「断ったわ。まだ、ここにいたいから」

 

紀ノ国は凛を見つめたあと、止まっていた手を動かした。

 

「父は元々遠月反対してたから、まだ嫌なんだと思う。でも、今は寧々たちがいるから帰りたくない」

「……そう」

 

鏡の中で目が合う。

凛が少し笑うと、紀ノ国は先に浴場の扉へ向かった。

 

「ほら、早く。今日はゆっくり温まりたいわ」

「私も」

 

扉を開けると、湯気とともに、広い浴槽が目に入った。

凛は思わず足を止める。

 

「広い…」

 

流石の遠月と言うべきか、大浴場のサイズが桁違いだ。向こうに見える露天風呂も快適そうだ。

何人もの生徒たちが極楽を味わっている。

 

紀ノ国と凛も体を洗った後にゆっくり湯に浸かる。

激戦だった課題をこなした後だ、それはそれは体に染みた。

 

「明日もあるのが、ちょっと憂鬱かも」

 

凛は顎下まで湯に潜る。

 

「貴方でも、そんなこと思うのね」

 

紀ノ国が隣で肩まで湯に浸かる。

凛は顔を少し上げた。

 

「疲れるもの。明日は何時に起きればいいのかも分からないし」

「そうね。今のうちに休んでおかないと」

 

しばらく、二人とも黙っていた。

誰かの笑い声と、湯の流れる音が聞こえる。

 

凛は湯の中で指を開いた。

昼間は気にならなかったが、腕も肩も重かった。

 

「…私ね、食戟しようと思う」

 

先に口を開いたのは凛だった。

紀ノ国が聞き返す前に、続きを語る。

 

「ちょっと前に、司瑛士って人に料理の助言を貰ったの。…でも、その人の助言通りのものを食べてから、自分の作りたいものが分からなくなっちゃって」

 

淡々と語る凛に、紀ノ国は黙って話を聞いた。

 

「……それで、朝はあんな顔をしていたのね」

 

紀ノ国が言うと、凛は頷いた。

 

「美味しくなったのは分かった。でも、私が作りたかったものとは違った。それを上手く説明できなくて」

 

凛は湯の中の手を見つめる。透き通る湯の中で、ハッキリと手が見えた。何度も包丁を握り、フライパンを振ってきた手。

 

「今日、ようやく自分で選べた気がする。正しいからじゃなくて、私が食べたいから、あれを作ったの」

「それを、司先輩にも食べてもらいたいの?」

 

「……ええ。でも、今度は勝負として」

 

紀ノ国は凛を見た。

 

勝つために料理をしているわけではない。

バスでは、そう話していた。

 

「どうして食戟なの?」

 

凛はすぐには答えなかった。

湯の流れる音を聞きながら、少し考える。

 

「また教えてもらう後輩として行ったら、あの人の答えを待ってしまいそうだから」

 

顔を上げ、紀ノ国を見る。

 

「私も一人の料理人として、自分の料理を出したい。あの人にも、本気で作ってほしいの」

 

紀ノ国は黙って、その言葉を受け止めた。

 

「……勝てると思う?」

「分からない」

 

凛は答えた。

けれど、その声に朝のような迷いはなかった。

 

「でも、勝ちたい」

 

紀ノ国は目を見開いた。

凛が自分からその言葉を口にするのを、初めて聞いた。

 

「十傑の席は」

「席はいらないわ」

 

凛は首を振る。

 

「私が欲しいのは、あの人と勝負する機会。それだけ」

 

紀ノ国はゆっくり息を吐いた。

 

同じ課題に合格し、同じように疲れて、隣で湯に浸かっている。

それなのに凛はもう、その先を見ていた。

 

「……申し込む時は、教えて」

「寧々?」

「応援くらい、させてよ」

 

凛は少し驚いた顔をしたあと、小さく笑った。

 

「ええ。ありがとう」

「今は興味がなくても、もし、いつか凛が十傑を目指すなら……私も目指すわ」

「どうして」

 

紀ノ国は凛の目を見る。視線がぶつかり合う時間が、妙に長く感じた。

 

「一緒にいたいから」

 

真剣に放たれたその一言がくすぐったくて、凛は頬を染めた。

 

紀ノ国も、自分で口にしてから恥ずかしくなったのか、視線を湯面へ落とす。

 

「……変かしら。そんな理由」

「ううん」

 

凛は首を振った。

 

ちゃんと知り合って、まだ一ヶ月ほど。

それでも、フランスへ戻るのを断った時、寧々の顔が浮かんだ。

 

自分だけがそう思っていたわけではない。

それが嬉しかった。

 

「私も、寧々と一緒にいたい」

 

紀ノ国が顔を上げる。

今度は凛の方が、照れて目を逸らした。

 

しばらく、二人とも何も言わなかった。

 

「……そろそろ出ましょうか」

「ええ。のぼせそう」

 

湯のせいだけではないと、お互い分かっていた。

 

 

 

◇

 

 

 

お湯で体が温まった後、館内アナウンスにて生徒は大広間へ集まるよう告げられた。

課題をこなし、リラックスした後だったせいか、凛はかなり瞼が重かった。

 

どうやら明日の課題を言い渡されるらしい

大広間には既に生徒が集まっていた。

 

「君たちに明日の課題を伝える」

 

壇上の堂島がそう言った時、大広間の扉が締められる。

ざわつく中、堂島は続けた。

 

「館内アナウンスが鳴ってから10分以内にここへ来れなかった者は明日の課題を知らないまま参加してもらう。今から聞く君達も口外はしないように。もし口外したことが発覚した場合は、即時退学してもらう」

 

凛の眠気が、少し薄れた。

 

隣の紀ノ国と目を合わせる。

廊下で話し込んでいたら、間に合わなかったかもしれない。

 

扉の向こうから、駆け寄る足音が聞こえた。

続いて、扉を叩く音。

 

堂島はそちらを見なかった。

 

「明日の課題は、朝食の主菜を一品。今回は、全員に同じ条件で取り組んでもらう」

 

生徒たちの視線が壇上へ集まる。

 

「主な食材は鮭。遠月リゾートで朝を迎える客に、君たちが何を提供したいか考えてもらう」

 

凛は顔を上げた。

 

鮭。

焼く、茹でる、蒸す。

思い浮かんだ料理の中から、一つを選びかけて、続きを待つ。

 

「詳細と使用できる設備は、配付する資料を確認すること。今夜のうちに試作できる厨房も用意してある。ただし、明朝の集合時刻に遅れることは認めない」

 

周囲で紙のめくられる音がした。

紀ノ国も資料を受け取り、すぐに目を通し始める。

 

凛は集合時刻を確認してから、余白へ視線を落とした。

 

「……凛、何か思いついた?」

 

小声で尋ねられ、頷く。

 

「まだ、でも試作したいものが二つ」

「私も行くわ」

 

その返事に、凛は小さく笑った。

 

つい先ほどまで、早く眠りたいと思っていた。

けれど今は、鮭を使ったメニューを頭で想像している。

 

「それでは、解散」

 

堂島の声とともに、生徒たちが一斉に立ち上がった。

 

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