天才は夢を見ない   作:小池蒼司

12 / 13
11.四宮小次郎with天才

 

 

 

「……どっちも美味しいのよね」

 

小皿を二つ並べ、凛は腕を組んだ。

 

夜の研修用厨房には、まだ何人もの生徒が残っていた。

包丁の音に、換気扇の音。時折、誰かが時計を見上げては作業の手を早めている。

 

凛が資料をめくる。朝までには一品完成させ、お客さんの投票で順位が決まる。

ただし、必ずしも順位と合否が比例する訳では無い。

 

味はもちろんだが、手に取って食べたいと思うような見た目も重要になってくる。

 

隣で試作をしていた紀ノ国が、凛の手元を覗き込んだ。

 

「もう二つ作ったの?」

「少しずつだけどね」

「朝食の主菜でしょう?何と一緒に出すかも考えないと」

「ええ。だから迷ってるの」

 

凛は片方の皿を、自分の方へ引き寄せた。

 

パンと合わせるなら、こちら。

けれど、朝起きて最初に食べたいのは——。

 

考えかけた時、別の調理台から香りが届いた。

 

凛が顔を上げる。

 

少し離れた場所で、一色が鍋を覗き込んでいた。

いつものように誰かへ話しかけることもなく、少量をすくって味を確かめている。

 

彼も大広間で課題をちゃんと聞いていたんだと、少し安心した。

 

凛はスプーンを置いた。

 

「……一色、何を作ってるの?」

 

声をかけられた一色が振り向く。

凛の視線が自分の鍋へ向いていると気づいて、その口元が緩んだ。

 

「気になるかい?」

「ええ」

 

即答すると、一色は小皿へ手を伸ばした。

そのやり取りを、紀ノ国は隣で見ていた。

 

凛は紀ノ国の視線には気付かず、味見をする。

 

「…!」

 

まず、香ったのは鰹がメインの和風出汁。それからきのこの風味。

このふたつがあんとなり、鮭の上からかかっていた。食べなくても分かる、これは絶対に美味い。

 

凛は一口食べてから、無意識に「美味しい…」と口にした。

 

凛はもう一度、皿へ目を落とした。

 

鮭とあんを一緒にすくい、今度はゆっくり口へ運ぶ。

出汁の香りが抜けたあとも、鮭の旨味が残っていた。

 

「朝でも、重くないのね」

「うん。ただ、あんの加減はもう少し試したくて」

「これより?」

「あんの硬さで、口の中に入れた時の感覚が変わるだろう?もう少し改善したいんだ」

 

凛はスプーンを止めた。

小皿の中のあんを、少し傾けてみる。

 

「……大きな器に盛った時も考えないとね」

「そうだね、今の量だと丁度いいけど…」

 

一色が隣へもう一枚、皿を置いた。

 

「少し付き合ってくれるかい」

「ええ」

 

凛は迷わず頷いた。

 

一色が鍋へ向き直る。

火を調整し、少量を別の鍋へ取り分ける手を、凛はすぐそばで見ていた。

 

「…変える」

「え、今から?」

 

凛は考えていたメニューを全て取りやめて、新しい料理を作ることにした。

 

一色が振り返る。

凛はもう、自分の調理台へ戻っていた。

 

並べていた二つの皿を端へ寄せ、ノートを開く。

けれど、何かを書こうとして、ペンを置いた。

 

ーー先に、試したい。

 

「さっきの二つは、どうするの?」

 

紀ノ国が尋ねる。

凛は冷蔵庫から鮭を取り出しながら答えた。

 

「どっちも美味しい。けど、もう一つ作ってみたいものができた」

「一色のを食べて?」

「ええ」

 

迷いなく頷かれ、紀ノ国は口を閉じた。

 

凛は必要な食材を並べ始める。

疲れていたはずの手が、また忙しく動き出した。

 

一色はその様子を眺め、鍋の火を弱めた。

 

「僕の料理、何か参考になったかい?」

「……悔しかったの」

 

包丁を持ったまま、凛が顔を上げる。

 

「私、自分の料理を二つ食べて、どっちがいいか考えてた。でも貴方のを食べたら、明日の朝はこれが食べたいって思ったの」

 

一色の手が止まった。

 

「だから私も、食べたら迷わずこれがいいって思うものを作る」

 

一色は少し黙ってから、笑った。

 

「それは、楽しみだね」

「貴方も、まだ変えるんでしょう?」

「うん。君がそう言うなら、僕も今ので満足してはいられないな」

 

凛が微笑んだ

誰かとこうして高め合うことが初めてで、楽しかった。

 

「出来たら食べてほしい」

「もちろん。僕のも、もう一度頼むよ」

 

紀ノ国は二人の間に立ったまま、自分の皿を見下ろした。

冷めかけた自分の料理へスプーンを入れる。

 

——私の時は。

 

浮かんだ言葉を、飲み込む。

隣ではもう、凛が新しい鍋を火にかけていた。

 

 

 

◇

 

 

翌朝。朝と呼ぶにはまだまだ早い時間に会食会場へと集まった生徒たちは、用意された設備と会場の広さに驚いた。

 

普段はビュッフェスタイルで朝食を出すという会場には、いくつもの調理台が設けられていた。

その向こうに、まだ誰も座っていないテーブルが並んでいる。

 

窓の外は暗い。

凛は一度だけ欠伸を噛み殺し、自分の番号を探した。

 

「眠そうだね」

 

隣を通りかかった一色に言われ、顔を上げる。

彼はいつもと変わらない様子だった。

 

「……貴方、ちゃんと寝たの?」

「少しは。君は?」

「寝たけど、足りない」

 

一色が笑う。

 

「試作、最後まで付き合ってもらったからね」

「それはお互い様でしょう」

 

凛も少し笑って、自分の調理台へ向かった。

 

紀ノ国は、もう準備を始めていた。

器具を一つずつ確かめ、必要なものを手の届く位置へ並べている。

 

「おはよう、寧々」

「……おはよう」

 

返事はあった。

けれど、顔は上がらなかった。

 

凛は隣へ鞄を置いた。

 

「昨日、先に帰ってたのね。気づいたらいなかったから」

「試作は終わったもの」

「そう。ちゃんと眠れた?」

「ええ」

 

紀ノ国は短く答え、包丁の位置を直した。

 

凛は少し迷ってから、続きを口にする。

 

「今日の、終わったら食べてもいい? 昨日のも好きだったから」

 

紀ノ国の指が止まった。

 

昨夜から考えていた。

一色の作るものに、凛はあれほど心を動かされた。

自分の料理にも美味しいと笑ってくれた。それは嬉しかった。

 

けれど、その先はなかった_

 

「……昨日と、ほとんど変えてないわよ」

「ええ」

「それでも?」

 

凛は不思議そうに頷いた。

 

「寧々が、それで出したいと思ったんでしょう」

 

紀ノ国は顔を上げた。

 

凛はもう、当たり前のように自分の道具を取り出している。

試作を変えなかったことを、不思議がる様子もない。

 

紀ノ国は何か言いかけた。

 

その時、会場へ堂島の声が響く。

 

「全員、手を止めろ。これから最終確認を行う」

 

凛が壇上へ向き直る。

 

紀ノ国も用意した器具から手を離した。

少し離れた調理台では、一色が説明を聞きながら、自分の献立を書いた紙を伏せていた。

 

あの下に、昨夜より先へ進んだ料理がある。

 

紀ノ国は視線を戻した。

 

自分の献立は、変えていない。

試して、確かめて、これで出すと決めた。

 

今さら、その判断まで疑いたくなかった。

 

「昨夜の説明を聞いていない者は、今から話す内容をよく聞くように」

 

堂島の声に、生徒たちが姿勢を正した。

 

「これから、このホテルに宿泊しているお客様が朝食を取りに来る。君たちには、鮭を使った朝食の主菜を一品、用意してもらう」

 

堂島は会場の時計へ目を向けた。時刻は六時だ。

 

「提供時間は午前七時から九時まで。それまでに仕込みを済ませ、七時には最初の一皿を出せる状態にしておくこと」

 

紀ノ国は時計を確かめた。

仕込みの時間は、十分とは言えない。

昨夜決めた手順を頭の中で辿る。

 

「料理には氏名ではなく番号を表示する。お客様には、食べた中で『もう一度食べたい』と思った一品へ投票していただく」

 

周囲で、小さく声が上がった。

 

「ただし、得票数だけで合否は決まらない。講師による味、見た目、衛生管理、調理工程、提供速度の評価も合わせて判定する。票を集めるために、必要な工程を疎かにすることは認めない」

 

堂島が、生徒たちを見渡す。今初めて説明を聞いたものはもちろん、昨日聞いたはずの生徒たちも全員緊張が走っていた。

 

「お客様にとっては、普段どおりの朝食だ。そのことを忘れるな。以上、取り掛かれ」

 

一斉に、人が動き出した。

 

紀ノ国は食材へ手を伸ばす前に、一度だけ息を吐いた。

 

献立は決めた。

今は、それを最後まで作り切るだけだ。

 

隣では凛が袖を整え、鮭の状態を確かめている。

 

「寧々」

 

呼ばれて顔を向けると、凛が小さく笑った。

 

「終わったら、一緒に食べよう」

 

紀ノ国は一瞬黙り、それから頷いた。

 

「……ええ。約束よ」

 

凛は満足そうに自分の台へ向き直った。

 

紀ノ国も包丁を取る。

もう、一色の調理台は見なかった。

 

 

◇

 

 

時刻はあっという間に七時になった。

あれだけザワついていた会場も、今は皆真剣な顔つきで料理を作り、調理する音と荒い呼吸のみ聞こえてくる。

 

凛は五番、一色は八番、紀ノ国は九番を割り振られた。

遠くにいる久我と叡山が見えるが、何番を割り振られているのかまでは把握できなかった。

 

「っ…」

 

熱い熱気の中、凛は蒸し器の蓋を開けた。

ほわぁ、と漂う蒸気と同時に香る出汁の匂いに、思わず笑みがこぼれる。

 

昨日遅くまで 試作した自信作。早く見て欲しい、食べて欲しい、ーー食べたい。

 

凛の目が、燃えていた。

 

蒸し器から一つ取り出し、表面を確かめる。

滑らかな卵の上には、鮭ときのこ、ほうれん草。匙を入れれば、その下からも具が顔を出す。

 

それは、茶碗蒸しというには具がメインで、サイズも通常の茶碗蒸しより大きい。

 

凛は試食用の小さな器へ匙を入れた。

少し冷まして、口へ運ぶ。

 

柔らかな卵がほどけ、出汁が広がる。

続いて鮭を噛むと、脂の甘みが重なった。

 

もう一口、と手を伸ばしかけて、凛は時計を見る。同時に扉が開き、

 

「おはようございます」

 

従業員の声とともに、客たちが入ってくる。

料理を眺めて歩く人。先にパンや飲み物を取る人。

凛は器を並べ直し、顔を上げた。

 

早速、一人の女性が五番の前で足を止めた。

 

「これ、茶碗蒸し?」

「はい。鮭を使った、具だくさんの茶碗蒸しです。キノコ、ほうれん草、鶏肉、など色々入ってます」

「凄く綺麗…美味しそう」

 

女性はまず、見た目の美しさに目を奪われた。それから出汁の匂い。よだれでも出てしまいそうな程料理に夢中になる。

 

それを見て、凛は温かい器を受け皿へ載せた。

 

「蒸したてなので、お気をつけください」

 

女性が受け取り、連れの男性も手を伸ばす。

二人分が台からなくなった。

 

凛はその背中を、少しだけ見送った。

 

早く食べてほしい。

でも、熱いから急がないでほしい。

 

落ち着かない気持ちのまま次の器を並べると、今度は別の客から声がかかった。

 

「これは、下にも鮭が入っているの?」

「ええ。今が旬で脂が乗っている時鮭を上に。中にはサクラマスが入っています」

「ほう…じゃあ、一ついただこうかな」

 

凛は頷いた。

 

隣の蒸し器を確かめる。

昨夜、一度に全部仕上げるのではなく、順に蒸し上がるよう手順を組み直した。

 

次の客にも、今と同じものを出したい。

器の残りを数え、次の組へ火を入れた。

 

使っている鮭の脂や卵の食感を滑らかにするため、蒸すのには弱火で長時間かけるように手順を組んだ。

一度に大量に蒸すのではなく、時間をずらして蒸せるように蒸し器も六台設置。

 

少し離れた九番では、紀ノ国も料理を渡していた。

客の反応を確かめながら、盛りつけを整える。

 

(寧々も頑張ってる。私も頑張ろう)

 

 

 

◇

 

 

課題がスタートしてからすぐ、紀ノ国は驚愕した。

五番の台での行列、それは別の台へまでも浸食していた。

 

「……凄い」

 

歩く人、見える範囲のテーブルでも凛の茶碗蒸しが見える。

一見主菜にはならない茶碗蒸しも、凛の手にかかればここまで食べ応えのある料理に出来てしまう。

 

その事実が、悔しかった。

 

「九番、もう一ついただけますか」

 

声に、紀ノ国は顔を上げた。

先ほど料理を渡した客が、空の皿を手に立っていた。

 

「美味しかったから。連れにも食べさせたくて」

 

嬉しかった。自分の料理も、ちゃんと届いている。

それでも、五番へ向かう人の流れが視界に入ると、胸が痛んだ。

 

「……はい、ありがとうございます!」

 

しっかりしよう。寧々は鼓舞も込めて自身の頬を叩く。

こんなことで気を散らしていてはいけない。目の前にあるお客さんと料理に集中しよう。

 

寧々は改めて自身の料理へ向き合う。

 

その時だった、目の前を見た事がある人物が通る。

その人は私服だったが、眼鏡の奥の鋭い目つきには覚えがあった。

 

——四宮小次郎。

 

紀ノ国は思わず、その姿を目で追った。

彼が向かったのは、五番の列だった。

 

 

◇

 

 

五番の最後尾へ並んだ四宮は、調理台の向こうへ目を向けた。

 

蒸し器から器を取り出し、受け皿へ載せる。

客へ渡したあとは、すぐに次の蒸し器の様子を確かめる。列は長いが、滞ってはいなかった。

 

「何やってんだ、四宮」

 

声に振り向き、四宮は組んでいた腕を解いた。

 

「……ようやく見つけました」

「俺を探してたのか」

「ご挨拶に。こちらにいらっしゃると聞いたので」

「連絡すりゃよかっただろ」

「しましたよ。何度か」

 

誠二はポケットへ手を入れ、何もないことを確かめてから頭をかいた。

 

「悪い。部屋に置いてきた」

「でしょうね」

 

ため息をつく四宮の隣へ、誠二が立つ。

 

「銀は知ってんのか」

「一応連絡したので」

「時間は?」

「長居はできません。このあと出るので」

「それで、並んでまで朝飯かよ」

「気になるものを見つけただけですよ」

 

列が進み、四宮も前へ詰めた。

誠二はその場に残り、彼の視線を追う。

 

「茶碗蒸しか」

「ええ。主菜として出すには、随分思い切った選択ですね」

「どうだろうな」

「……何ですか、その顔」

 

誠二は口元を手で覆った。

 

「いや。お前が何て言うか、楽しみで」

「まだ食べてもいませんよ」

 

四宮は再び調理台を見た。

 

器の中には、鮭や野菜が彩りよく収まっている。

受け取った客が連れへ見せると、その連れも列へ加わった。

 

「少なくとも、手に取らせるところまでは成功していますね」

「ああ」

 

誠二の返事が妙に穏やかで、四宮は横目で彼を見た。

 

「……知っている生徒ですか」

「娘」

「……はい?」

 

誠二が五番の台を指した。

 

「あれ。俺の娘、凛」

 

四宮は誠二を見て、それから凛を見た。

 

「先に言ってください」

「今、言っただろ」

「そういうことではなく」

 

眉間に皺を寄せた四宮へ、誠二が笑う。

 

「気ぃ遣うなよ。食って思ったこと、そのまま言ってやってくれ」

「そのつもりです」

 

即答してから、四宮はもう一度、凛の手元へ目を向けた。

 

器を取り出す手と、受け皿を寄せる手が淀みなく動く。

客への説明を終える頃には次の一皿が用意され、空いた場所もすぐに整えられていた。

 

速い。それなのに、急いでいるようには見えない。

 

作業の速さもさることながら、調理をしている光景が見ているだけでうっとりするほど美しい。

まるで舞、だ。

 

「……綺麗だ」

 

四宮は目を細める。本当に学生なのか?と疑うほどに、レベルが高い。

 

「おいおいやめてくれよ、年の差考えろって」

「そういうんじゃありませんよ!」

 

思わず声が大きくなり、近くの客が振り返った。

四宮は口を結び、誠二を睨む。

 

「……調理の話です」

「分かってるよ」

 

誠二は肩を揺らして笑った。

 

その声に気づいたのか、凛がこちらを見る。

父の姿を認め、次いで隣の四宮へ視線を移した。

 

けれど、すぐに目の前の客へ向き直る。

 

「お待たせしました。熱いので、お気をつけください」

 

四宮は黙って、その一皿が渡されるのを見届けた。

そうしてる間にもどんどん列は迫り、四宮の順番が来る頃にはちょうど新しい蒸し器の蓋を開けたところだった。

立ち上る湯気の向こうで、彼女が顔を上げる。

 

「次の方、どうぞ」

 

五番の台の前へ進んだ。

一つください。ただそれだけを口にするのに、柄にも緊張した。

なぜなら、その料理が美しかったからだ。

 

遠目じゃわからなかったが、茶碗蒸しの卵のツヤ、それから上に乗せられた豪華な具。

そして、香りと蒸気。

 

「あの、熱いので気をつけてください」

 

固まる四宮に、首を傾げた凛が言う。

我に返った四宮が小さく返事をしたあと、足早に席へと向かった。

 

席へ座った四宮は、おもむろにスプーンで一口。

 

「……美味い」

 

それは溢れ出た言葉だった。口を押さえて言う姿は、美味いというつもりがなかったようにも見える。

 

四宮の手が、震えていた。

 

「お前がそこまでなるなんてな」

 

後ろから誠二がやってきて、隣に座った。

 

「これを、1年が作ったって言うんですか…」

「俺の育て方が良かったのかな」

「あながち否定できないところがなんとも」

 

四宮は茶碗蒸しを食べながら米もかきこむ。

腹が空いて飢えたケモノのように朝食をとった。その姿を見た他のお客さんが同じものを食べたい、と思うくらいに。

 

「誠二さんに挨拶したら帰ろうと思ってたんですが、うちに欲しいですね。娘さんもフレンチを?」

「ったりめーだろ!だけど残念。俺んとこが決まってんだな〜」

「それは本人が決めることでしょ、俺が聞いたら分かりませんよ」

 

誠二の笑顔が、わずかに固まった。

 

「……やらねえぞ」

「決まっているなら、そんな顔をしなくてもいいでしょう」

 

四宮はもう一口、茶碗蒸しをすくった。

誠二は椅子の背へ体を預け、腕を組む。

 

「今は、学園にいたいんだと」

「断られたんですね」

「今は、って言ってんだろ」

 

四宮の口元が少し上がった。

 

「それなら、俺にも機会はありそうですね」

「お前、挨拶に来たんじゃなかったのか」

「ええ。来てよかったです」

 

空になった器へ匙が触れる。

四宮はそれを置き、五番の台へ目を向けた。

 

凛はまだ、客へ料理を渡している。

 

「……フレンチで育った子が、この課題でこれを選んだ。理由を聞いてみたいですね」

 

誠二も娘を見た。

 

「本人に聞いてみろよ。終わってからな」

「そうしたいのも山々ですが、時間がないので改めて会いに来ます。"尾崎凛"に」

 

 

 

◇

 

 

九時。課題は終了し、お客さんが帰った頃には十時を目前にしていた。

結果発表を前に、生徒たちは疲労か緊張か分からない冷や汗が流れている。

 

片づけを終えても落ち着かず、時計を見上げる者もいた。

 

紀ノ国は、自分の調理台に残した二つの皿を見た。

客への提供とは別に、最後に用意したものだった。

 

「寧々」

 

凛が受け皿を手にやって来た。

上には、茶碗蒸しが二つ載っている。

 

「食べられる?」

「……ええ」

 

近くの空いたテーブルへ、向かい合って座る。

凛は紀ノ国の料理を前に置くと、早速箸を取った。

 

「いただきます」

 

紀ノ国も匙を手にした。

 

卵の下から鮭をすくい、口へ運ぶ。

まず舌に来たのは鮭の旨味。それから出汁、卵……そして食べ応えのある鶏肉。親子丼のような、違うような。米が欲しくなる、そんな茶碗蒸しだ。

 

一口目を飲み込んでから、しばらく器を見つめた。

 

昨日、一色の料理を食べたあと、凛が作り直した一皿。

 

「……美味しい」

 

そう言うのが、悔しかった。しかし、身体はこの美味しさに鳥肌が立っている。

これを別の言葉では誤魔化したくなかった。

 

「よかった」

 

向かいで凛が笑う。

紀ノ国はもう一口食べてから、匙を置いた。

 

「ねえ、凛」

「何?」

「私の料理を食べて、どう思った?」

 

凛が箸を止める。

 

「美味しい。昨日も思ったけど、私——」

「そうじゃなくて」

 

遮ってから、紀ノ国は唇を結んだ。

凛の笑みが消える。

 

こんな聞き方をしたかったわけではない。

それでも、今やめたら、また言えなくなる気がした。

 

「昨日、貴方は一色の料理を食べて、悔しいって言ったでしょう」

 

凛は静かに頷いた。

 

「私も、そう思わせたかった」

 

言ってしまうと、顔が熱くなった。

 

「美味しいって言ってくれるのは嬉しい。でも、貴方が自分の料理を変えたくなるくらい……私だって、そういうものを作りたいの」

 

凛はすぐには答えなかった。

紀ノ国は膝の上で手を握る。

 

「……ごめんなさい。困らせたいわけじゃないの」

「困ってはいない」

 

凛は箸を置いた。

 

「でも、悔しかったって言ったら嘘になる」

 

紀ノ国は顔を上げた。

胸が痛んだ。それでも、曖昧に慰められるよりよかった。

 

「……分かってる」

 

息を吐き、もう一度匙を取る。

 

「だから、次は言わせるわ」

 

凛が紀ノ国を見た。

 

「貴方にも。一色にも」

 

今度は、目を逸らさずに言えた。

凛は少し驚いたあと、頷いた。

 

「ええ。私も、今日よりもっと腕を磨く」

 

紀ノ国の口元が、わずかに緩んだ。

 

「そこで待っていてはくれないのね」

「寧々も、そのつもりでしょう?」

 

返事の代わりに、紀ノ国は茶碗蒸しを口へ運んだ。

 

美味しい。

悔しいのに、もう一口食べたくなる。

次に自分の皿を出す時は、貴方にも___

紀ノ国は、残っていた鮭をすくった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。