1.紀ノ国寧々with天才
ーー才能があれば来なくていいんだ
紀ノ国寧々は前に一つだけある空席を眺めながらそう思った。
遠月茶寮料理學園 、ここの厳しい授業に着いていくには一日でも休むと即退学。そんな中で休みやサボりなどを行う生徒はいない、はずだった。
「尾崎凛、またアイツ休みか」
「この前も授業サボってたよな」
「いいなぁ才能あるやつは自由にできて」
通常の学校に比べ、一クラスの人数が少ないこの学園では一つでも空席があると目立つ。
そのせいか、生徒達からの標的に選ばれるのは一瞬だった。
(尾崎凛……中等部からいるけど実際に会ったことない、かも)
紀ノ国はクラスメイトの愚痴を流しながら頭の中で尾崎がどんな人物なのか想像した。
噂程度にしか知らないが、フレンチの巨匠尾崎裕次郎の孫で父親は日本人で初の三ツ星シェフ。幼い頃から鋭い嗅覚、味覚を持ちその才能は大人顔負けのものであると……そこまでは誰もが知っている彼女の情報だ。
それに加えて紀ノ国が聞いたのは
・何があっても笑わない
・人を見下している
・氷のように冷たい態度
・先生も逆らえない程の権力を持っている
等、同じ学年の人間なのか疑う噂だった。
別にそれを信じている訳ではないが、中等部の頃から学園で好き勝手している彼女にいい印象はない。ましてや天才などと呼ばれている人間と仲良くするつもりもない。どうせ、傲慢で自己中心的な女性なのだろう。
そんなことを考えていた時、教室の扉が開かれた。そこに立っていたのはこのクラスを担当している教師、水原だった。彼女はいつも通り淡々とHRを始めようとしたその時、一人の生徒が手を挙げた。
「あの、今日も尾崎さんがいないんですけど」
それは紀ノ国の隣の席にいる女子生徒、小日向だった。
彼女もまた、尾崎の噂を聞いており心配しているようだったが、水原は表情を変えずに答える。
「あぁ、気にしなくていいぞ。あいつはそういう奴だからな」
「そういう奴って……高等部に上がってから一度も来てないんですよ!?実習授業にも出てないし……」
「まぁ落ち着け、そのうち来るさ。じゃあHRを始めるぞ」
まるで話を早く終えたいかのように、そのままはぐらかされ小日向の質問は終了した。紀ノ国はしょげる小日向を気にもとめなかったが、それから少し心がモヤモヤするのを感じていた。
結局その後、水原は何も説明せずにHRを終え、何事もなく日常が過ぎる。
そして放課後、紀ノ国はその日に出された課題をこなすため図書室に向かった。しかしそこには先客がいたようで、机の上に大量の本が積み上げられていた。
「おや、君も今から勉強かい?」
「一色慧……」
その声は同じ学年で幼馴染の一色慧だった。彼は遠月の中でも成績優秀であり、特に和食に関しては右に出る者はいないと言われている。だが、紀ノ国は少し彼が苦手であった。
幼い頃から知っている仲だからこそ分かる彼の部分が紀ノ国にとっては屈辱的に感じていた。
そんな彼を見て紀ノ国は溜息をつく。
「あなたこそ、こんな所で何をしてるの?図書室で勉強なんて柄じゃないと思うけど」
「あぁ、そうだね。ただ僕は本を返しに来ただけだよ」
そう言って一色は山積みになっていた本を全て返すと鞄を持った。どうやら帰るらしい。
「そろそろ帰ろうと思ってたんだ。良かったら一緒に帰らないかい?」
「遠慮しておくわ。まだ課題終わってないもの」
「相変わらず真面目だねぇ君は。もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかな」
紀ノ国はそう言われると、ギロリと彼を睨みつける。すると一色は両手を上げ、降参のポーズをとった。
そんなやり取りをしていると、ふと図書室の入口から視線を感じた。
その方向を見ると、そこには制服姿の少女が立っていた。
少女は紀ノ国を見つけると、ゆっくりとこちらに向かってくる。
ーーその顔には見覚えがなかったが、なんとなくそれが誰なのか紀ノ国には分かった。
(あれは……)
その少女は、肩より少し長い紫色の髪を揺らしてこちらへ歩いてくる。彼女の名前は確か…… そこまで考えたところで一色が先に口を開く。
「やぁ尾崎くん、珍しいね」
その少女の名前は、尾崎凛だった。
紀ノ国が彼女について知っていることは、名前と容姿、それと噂程度。実際に会うのは初めてだった。
(この人が……)
紀ノ国は目の前にいる彼女が本当に噂通りの人物なのか、少し興味があった。
しかし彼女は紀ノ国に目もくれず、そのままスタスタと歩き出す。
その様子に紀ノ国は違和感を覚えた。
(私には挨拶すらしないの……?)
今までそんな経験がなかった紀ノ国は少し戸惑ったが、すぐに冷静になる。
きっと噂通りの人物なのだから、他人に興味がないのだろう。
「ははは、相変わらず彼女は冷たいな」
一色の笑いを無視し、きっと彼女はそういう人なんだと紀ノ国は思い込み、近くの机へと赴いた。
「……それじゃあ、私は課題を終わらせてくるから」
紀ノ国はそう言うと、課題に取り掛かった。
しかし、紀ノ国の頭の中には先程の彼女の態度が引っかかっていた。
(どうしてあの人はあんな態度を取ったのかしら)
紀ノ国は彼女の態度が気になり、課題を進める手が止まってしまった。
「彼女が気になるのかい?」
「別に。噂通りの人みたいだし、興味ないわ」
本当はどこか彼女に惹かれている。気になっている。天才と呼ばれ授業にも出ずその実態を知りたい。けれど、それを一色に言ったところで何になるだろうか。
そんな様子を見ていた一色は不思議そうな顔をしていたが、すぐに納得したようににこやかな笑みを浮かべた。
そして彼は帰る前に、もう一度紀ノ国に声をかける。
「君たちは似ているかもしれない」
その言葉の意味がわからなかった。紀ノ国は眉間にシワを寄せ、首を傾げる。
そんな彼女に微笑むと、彼はそのまま図書室を出て行った。
紀ノ国は課題を進めながらも、頭の中は尾崎の事ばかり考えていた。
彼女は一体どんな人間なのだろう。
彼女は何故、人と関わらないのだろう。
彼女は……何を考えているのだろう。
◇
次の日、紀ノ国はいつものように教室に入ると自分の席に座った。
教室にはまだ誰もおらず、静寂だけが教室を支配していた。
紀ノ国は席に座り、鞄から教科書を取り出す。今日は実習授業がある為、早めに来て準備をしていたのだ。
その時、教室の扉が開かれ一人の女子生徒が入ってきた。
その姿を見た瞬間、紀ノ国の心臓がドクンと跳ね上がる。それはあまりにも美しく、妖艶で、それでいて神秘的なオーラを放っていたからだ。
その女子生徒は真っ直ぐこちらへ向かってきた。そして紀ノ国の前で立ち止まると、うっすらと微笑んだ。よく見ないと分からないくらいの変化だが、それは確かに笑っていた。小さな微笑みはまるで天使のような美しさで、紀ノ国の顔が熱くなるのを感じる。
そして少女はゆっくりと口を開いた。
「おはよう。」
「え、えぇ……おはよう」
突然話しかけられた事に驚きながら、紀ノ国は返事をする。
その少女、ーー尾崎凛は自分の席に座ると黙ったまま準備を始めた。
紀ノ国はそんな彼女を横目にチラリと見る。
(綺麗な髪……それに肌も白くて、スタイルも……)
紀ノ国は改めて彼女を見て、その美貌に見惚れてしまう。
すると、彼女の方からも視線を感じそちらを見ると彼女と目が合った。
紀ノ国は慌てて目を逸らす。
(まさか、ずっと私の事を見てたの……!?)
紀ノ国は動揺し、頬を赤く染めた。
それから数分後、続々とクラスメイト達が登校してくる。
紀ノ国の周りには人が集まり、会話が始まる。誰も尾崎の事には触れなかった。いや、触れられなかった。噂通りと言うべきか、紀ノ国からみても冷たいオーラは感じていて朝の挨拶が夢だったかのように思う。
しかし紀ノ国は、彼女の事が気になって仕方がなかった。
(どうしよう……私、変な子だと思われてるかな……。でも、どうしても気になるのよ……!)
紀ノ国はどうにかして、話ができないかと考えた。昨日一色に言われたからではなく、今日を逃すともう二度と彼女と話せない気がしたからだ。
しかし、彼女は誰とも会話をする気がないのかクラスメイトに話しかけられてもまともな返事はしなかった。そんな所に紀ノ国が話しかけられる訳もなく、あっという間に実習授業の時間がやってきた。
今日の授業は、2人組でのペアワークだった。男女関わらずそれぞれ二人ずつのグループを作り、お題に沿った料理を提供する。そして最後にその料理を食した教員が評価をつけるというものだった。紀ノ国が相手を探すと、既に何人かのクラスメイトが集まっておりその中には尾崎の姿もあった。
(あの子…)
ポツンと一人立つ尾崎をクラスメイト達は避けるようにして会話をしている。少しイラッとしたが、今はそんな事を言っている場合ではない。
この様子じゃ他の人にとられる心配もないが、紀ノ国は急いで彼女の元へ向かった。
「ねぇ、私と一緒に組まない?」
「……」
紀ノ国は勇気を出して尾崎に話しかけたが、彼女は無言のまま紀ノ国を見つめていた。
「……私じゃダメかしら」
「別にいいけど」
「ありがとう」
素っ気ない返事だったが、紀ノ国は喜びを抑えて見えないようにギュッと手の甲を抓った。尾崎は気にせず淡々と準備を進める。
「お題は?」
尾崎の一言で紀ノ國は黒板を見る。今日のお題は『豆乳』だ。
この実習授業を取り仕切るのは担任である水原香代子。乳製品のスペシャリストで妹はイタリア料理店のシェフをしている。味に関しては厳しいだろう。しかし、豆乳は乳製品ではないのにこのお題を出すとは。そう思いつつも、紀ノ国はレシピを考える。
大豆から作る豆腐は低カロリーで健康にも良く、女性にも人気の高い食材だ。豆乳に拘らなければ湯葉などもある。あくまでお題は豆乳で、豆乳を出せばいいわけじゃない。
「紀ノ國、さん。私が考えたレシピで良ければ手伝ってくれないかしら」
悩んでいると、隣にいた尾崎がぎこちなく声をかけてきた。紀ノ国は驚いた表情を見せるが、そのレシピを聞くと提案を受け入れた。
尾崎が提案したメニューは、紀ノ国にとってとても魅力的なものだった。
尾崎は紀ノ国の反応を見ると、手際よく調理器具を並べ支度をする。その速さに目を疑った。
材料の用意から下ごしらえまでこの速さでできるならば、それはプロしかいない。紀ノ国も負けじと作業を進めていく。彼女の指示は的確であり、無駄がなく、効率が良い。
「オートミールは少し砕いて」
「わかった」
「ベリーは添える程度でいい」
二人の息は料理が完成する頃にはピッタリになっていた。他の生徒も自分の作業を止めて二人を観ているくらいには、芸術の域に達していた。
「……できた」
二人は完成した料理を水原の元へ運ぶと、すぐに審査が始まった。
「待ってたよあんた達の料理!珍しい組み合わせだとは思ったけどいいコンビなんじゃない?それに、早めに完成したにしては、最後に持ってくるなんて何か狙いがあるのかしら」
「はい。あります」
相変わらず淡々と答える尾崎。
そして、出された料理を見て水原は思わず笑う。
「なるほど、デザートってわけね。」
尾崎はコクリと小さくうなずく。
そして、料理を口に入れた水原はゆっくりと口を開く。
「ん、んっまぁぁぁ!!」
水原は蕩けた顔でそう叫んだ。
その言葉に、教室中が静まり返った。
その叫びに紀ノ国は目を大きく見開いた。水原が料理をこんなに美味しそうに食べて蕩けているのを初めて見たからだ。
「ベリーのパルフェ、最初見た時は大したことないように思ったけど……オートミールと豆乳。それからこれは……カスタード?卵なんて用意してないのにどうやって」
そこまで言って、ハッとした様子の水原は慌てて手で口を覆い驚いた様子を見せた
「もしかして……卵を使わずにカスタードクリームを作ったって言うの!?」
クラスメイト達は皆、興味津々と言った感じでこちらを見ており、そんな周りを他所に尾崎は淡々と話を続けた。
「はい。豆乳と米粉、それからメープルシロップで作ったカスタードクリームです」
「豆乳の風味を残しつつベリーの甘みを際立たせるヘルシーなパルフェ。最後に出したのもデザートってのだけが理由じゃないんでしょ?」
「はい……紀ノ國さんがどうせなら女性が食べやすい胃に優しいデザートをと提案してくれたので」
突然名前を出され困惑する紀ノ國。確かにその提案をしたのは紀ノ國だ。尾崎が「ね」と無表情ながらに同意を求めてくると、紀ノ國は、はい。と答えた。
「……すごいわ。まさかここまで完璧に仕上げてくるとは思わなかった。合格よ!」
そう言った瞬間、クラスが一気に盛り上がる。紀ノ國も嬉しかった。今まで、誰かと協力する事などなかったから。
紀ノ國は尾崎に話しかけようとしたが、彼女は既に席に戻っており、話しかけられなかった。
(もう少し、彼女と話をしたかったんだけど……。でも、まあいいわ)
紀ノ国は、尾崎との会話を思い出していた。
彼女は誰とも仲良くするつもりはないと言っていたけど、本当は違うんじゃないかと思ったのだ。
紀ノ国は、彼女が自分と同じ匂いを感じた。だからもっと知りたいと思った。
(いつか、彼女と友達になれたらいいな)
紀ノ國は、いつの間にかそんな事を思っていた。