天才は夢を見ない   作:小池蒼司

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5.司瑛士with天才

「十傑には興味がないのかい」

 

極星寮のリビング。

黙々と本を読む尾崎に、一色が問いかけた。

 

遠月十傑。

学内評価の上位十名に与えられるその肩書きに、憧れる者は多い。

 

彼女なら、いずれ声がかかってもおかしくない。

一色はそう思いながら、向かいの席に座った。

 

「興味ない」

 

ぱたん、と本が閉じられる。

予想どおりの返事に、一色は笑った。

 

「そう言うと思ったよ」

「なら、どうして聞くの」

「君の口から聞いてみたかったのさ」

 

尾崎は一色を見たあと、テーブルのカップへ手を伸ばした。

 

「やること、増えるでしょう」

「まあ、そうだね」

「料理や本を読む時間が減る」

「それは困るねえ」

 

同意する声がどこか楽しそうで、尾崎は少し眉を寄せる。

 

「……貴方は?」

「僕?」

「十傑になりたいの」

 

一色はすぐには答えなかった。

尾崎が自分へ問いを返してきたことが、少し意外だった。

 

「なれたら、やってみたいことはあるよ」

「例えば」

「極星寮の畑を、もっと充実させるとかね。育ててみたい野菜もあるし、使ってみたい設備もある」

 

尾崎の視線が、一色へ戻った。

 

「……研究に使えるの?」

「十傑の権限や予算を、ということかい? 料理のためなら、随分とできることが増えるらしいね」

 

尾崎はカップを置いた。

それまでとは違う沈黙に、一色の口元が緩む。

 

「少し興味が湧いた?」

「……話を聞いてるだけ」

「うん。じゃあ、もう少し話そうか」

 

尾崎は返事をしなかった。

けれど、閉じた本を開き直すこともなかった。

一色はそれを確かめて、自分のカップを引き寄せた。

 

「……私が十傑になって、メリットが大きければ目指すかもしれないけど。肩書きや順位に意味があるとも思えないし」

「なるほど。じゃあ、肩書きに何がついてくるかは気になるんだね」

 

尾崎は否定しなかった。

 

「使える食材や設備が増えるなら、考える」

「君らしいね」

 

一色は頬杖をつき、閉じられた本へ目を落とした。

 

「ちなみに、今は何を試したいんだい?」

「……どうして?」

「さっきから、同じページを何度も読んでいただろう。何か気になることがあるのかと思って」

 

尾崎は手元の本を見た。

 

しばらく迷ったあと、もう一度開く。

一色にも見えるよう、向きを変えて差し出した。

 

「これ。材料が揃わなくて、まだ試せてないの」

「どれどれ」

 

一色が身を乗り出す。

尾崎は文章の一節を指で示し、説明を始めた。

 

先ほどまでの短い返事とは違い、今度は言葉が続く。

途中、一色が質問をすると、彼女は少し考えてから別のページを開いた。

 

「……ここにも、似た方法が載っていて」

 

一色は相槌を打ちながら、その指先を目で追った。

 

十傑の話をしていた時より、ずっと楽しそうだった。

 

「その材料なら、仕入れ先に聞いてみようか」

「手に入るの?」

「約束はできないけれど、聞くだけならね」

 

尾崎は一色を見た。

 

「……お願いしてもいい?」

「もちろん。その代わり、僕も試食に参加していいかい?」

 

「手伝ってくれるなら、最初からそのつもりだけど」

 

当然のように返され、一色は一瞬黙った。

それから、ゆっくり笑う。

 

「それは楽しみだ」

 

尾崎は小さく頷くと、試したい手順を説明し始めた。

 

一色も椅子を寄せ、二人で一冊の本を覗き込んだ。

 

 

 

 

△▽

 

 

 

翌日、放課後の調理室で試作をしていた尾崎は、何度目かの失敗で思わずため息をついた。

 

作りたいのはこれじゃない。そう思いつつも、肝心な食材が手元にないのだから上手くいくわけがない。

諦めようか、と思っていた時だった。

 

「……あ、ごめん。今、少しいいかな。そのキノコなんだけど」

 

後ろから声をかけられたことに、最初は気付かなかった。

尾崎は声の主を見た。白髪の、少し背の高い人。きっと先輩だ、とすぐ分かった。

 

「邪魔したかな」

「あ、いえ……」

 

尾崎が首を振ると、彼は調理台の上へ視線を落とした。

 

「そのキノコ、代わりに使ってるの?」

「……本当は、香茸を使いたくて」

「ああ、やっぱり。だったら、こっちの方が合うと思う」

 

差し出されたキノコを見て、尾崎は少し考えた。

試すつもりのなかった種類だった。けれど、理由を聞けば納得できた。

 

「少し、使ってもいいですか」

「うん。どうぞ」

 

彼は尾崎の隣へ立った。

手を出すことはせず、調理を見ている。

 

キノコを変え、もう一度火を入れる。

先ほどまで気になっていた香りのぶつかり合いが、今度はなかった。

 

尾崎は少量をすくい、口へ運んだ。

 

「……美味しい」

 

思わず声が漏れた。

 

何度調整してもまとまらなかった味が、すんなりと舌に馴染む。

後味に残っていた重さも消えていた。

 

彼も味を確かめ、小さく頷く。

 

「うん。これなら、もう少しソースを軽くしてもよさそうだね」

「軽く……」

「キノコの香りが、もっと分かると思う。今のソースだと、このキノコの香りが少し隠れるから」

 

尾崎は鍋を見る。

確かに、今のキノコなら、その方がいい。

 

別の小鍋に取り分け、調整した。

今度はソースと合わせて食べる。

 

美味しかった。

さっきより、さらに。

 

「よかった。これでまとまったね」

 

尾崎が頷くのを見て、彼は少し表情を緩めた

 

まとまった。

それは間違いない。

 

けれど、自分はこんな料理を作ろうとしていたのだろうか。

 

もう一口食べる。

キノコの甘みがあり、香りがある。ソースはそのどちらも邪魔せず、口の中で綺麗にほどけた。言うなれば"キノコ"の味が際立った。

 

不満を挙げようとしても、出てこなかった。

 

「あの」

「うん?」

「私は、もう少し……」

 

言いかけて、尾崎は黙った。

 

何を残したかったのか。

最初に思い描いた味を探すのに、今食べた料理が邪魔をした。

 

「もう少し、香りを強くしたかった?」

「……はい」

「なら、こっちも試してみる?」

 

彼は別の食材へ手を伸ばした。

乾燥舞茸。確かに香茸に香りは似てるいるがーー尾崎の指が、箸の柄を強く握る。

 

きっと、それも美味しい。

今よりもっと、よくなるのだろう。

 

だが、その先に自分の作りたかったものがあるのか、分からなかった。

 

「……今日は、ここまでにします」

 

彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。

 

「そっか。ごめんね、色々言って」

「いえ。助かりました」

 

嘘ではなかった。

一人では辿り着けなかった味だ。

 

礼を言うと、彼はどこかほっとした様子で厨房を出ていった。

 

尾崎は残された皿を見る。

 

一口目には、あれほど驚いた。

それなのに今は、食べるのをためらっていた。

 

彼は一度も、包丁にも鍋にも触れていない。

 

作ったのは自分だ。

食材を切り、火を入れ、味を決めた。そのすべてを、自分の手で行った。

 

なのに、これは誰の料理なのだろう。

 

尾崎はスプーンを置いた。

 

——怖い。

 

もう一度会えば、また意見を聞きたくなる。

その答えを、自分はきっと試してしまう。

 

それが分かってしまったことが、何よりも怖かった。

 

「尾崎くん?」

 

呼ばれた瞬間、肩が跳ねた。

 

入口に立っていた一色が、足を止める。

手には小さな箱を抱えていた。

 

「……驚かせたかな」

「一色」

 

名前を口にして、ようやく息が吐けた。

一色は尾崎の顔を見てから、手元の箱へ視線を落とした。

 

「香茸が届いたんだ。まだ調理室にいるかと思って、あちこち探したよ」

 

尾崎は箱を見た。

昨日まで、あれほど待っていたものだった。

 

「……ありがとう」

「うん。ここへ置いても?」

 

頷くと、一色は調理台の空いた場所へ箱を下ろした。

すぐに蓋を開けることはせず、その隣に立つ。

 

尾崎は皿を片づけようとして、スプーンに指をぶつけた。

金属の触れ合う音が、やけに大きく響いた。

 

「何かあった?」

 

拾い上げたスプーンを握ったまま、尾崎は黙っていた。

 

何を話せばいいのだろう。

失敗していたところへ先輩が来て、助言をくれた。

そのとおりに作ったら、美味しくなった。

 

それだけのことだった。

 

 

 

◇

 

「……先輩が来て」

「先輩?」

「作ってるところを見て、教えてくれたの。キノコを変えた方がいいって」

 

一色は調理台の皿を見る。

それから、尾崎へ視線を戻した。

 

「どんな人だった?」

「白い髪で……少し、前屈みで。話し方は静かだった」

 

一色の表情が、わずかに止まった。

 

「……司先輩かな」

「司?」

「司瑛士。僕らの一つ上の先輩だよ」

 

尾崎は小さく頷いた。

名前に聞き覚えはあるらしい。けれど、それ以上は何も言わなかった。

 

一色はもう一度、皿へ目を向ける。

 

——司先輩か。

 

尾崎が誰かの料理に刺激を受けることは、悪いことではない。

むしろ、彼女にはそういう相手がいた方がいいと思っていた。

 

だが、今のこの顔は。

 

「食べてもいいかい?」

 

尾崎がスプーンを差し出す。

受け取った一色は、残っていたソースを絡めた。

 

一口食べ、ゆっくり飲み込む。

 

「……美味しいね」

「うん」

 

返事が沈んでいた。

 

「先輩の言うとおりにしたら、美味しくなった。自分で作ってた時より、ずっと」

 

一色はスプーンを置いた。

 

「でも?」

「……違うの」

 

尾崎の視線が皿へ落ちる。

 

「私、香茸を使いたかったでしょう」

「うん。そのために、取り寄せたんだよね」

「それがなくても、こんなに美味しくなるなら……」

 

そこで言葉が途切れた。

 

一色は何も言わず、続きを待った。

 

「何を残して、何を変えたらいいのか、分からなくなった。ひとつ分かるのは、私の作りたいのはこれじゃない」

 

声が震えたことに気づいたのか、尾崎は口を閉じた。

一色は隣の椅子を引いた。

 

「少し座ろうか」

 

司に悪意があったとは思わない。

上手くいかずにいた後輩を見つけ、手を貸した。それだけだろう。

 

ただ、彼女が何を作りたかったのかを話す前に、皿が完成してしまった。

 

その味を理解できる尾崎だからこそ、なおさら厄介だった。

自分の選びたかったものより、示された答えの方が優れている。そう感じたままでは、次もその答えを頼りたくなる。

 

一色は、持ってきた箱を彼女の前へ寄せた。

 

「香茸、見てみない?」

「……今?」

「届いたばかりだからね。状態を確かめたいんだ」

 

尾崎はためらいながら、箱の蓋へ手をかけた。

 

開いた隙間から香りが立つ。

 

「いい香り……」

 

彼女の指が止まった。

 

一色はその横顔を見て、ようやく少し息をついた。

 

「昨日、これをどう使いたいって話してくれたっけ」

 

尾崎が箱を見つめる。

 

「……ソテーにしたくて」

「うん」

「でも、香りを残したままだと、ソースやバターの量とか加減が難しいから」

 

一色は頷いた。

 

今は、司の料理を解説する必要はない。

彼女の考えを聞く方が先だった。

 

「それで?」

「……二通り、試そうと思ってた」

 

尾崎が、ようやく一色を見る。

 

「付き合ってくれる?」

「そのつもりで探していたんだよ」

 

一色が笑うと、尾崎は小さく頷いた。

 

調理台には、まだ司の助言で完成した皿がある。

一色はそれを片づけず、試作のための場所を空けた。

 

「正直、びっくりしたの。私の味がなくなることがあるんだって」

 

一色は、調理台に残された皿を見た。

 

「そうだろうね。君の料理が、誰かの助言でそこまで変わることは滅多にないだろうから」

「そうね……だからこそ分かった。あの人は只者じゃない」

 

尾崎は一色へ顔を向けた。

 

「何者なの?」

「司瑛士先輩。十傑の一人だよ」

 

尾崎は黙った。

それから、確かめるようにその名前を繰り返す。

 

「司、瑛士……」

「もし君が、この学園の頂点を目指すなら。いつか、勝負をする相手になるかもしれないね」

 

今度は、興味がないとは言わなかった。

 

尾崎は皿へ視線を戻す。

あの人にとっては、後輩へのちょっとした助言だったのだろう。自分がこんなにも考え込んでいることさえ、知らないはずだ。

 

「……次は」

「うん?」

「私の料理を食べてもらいたい。直してもらう前の、ちゃんと完成させたものを」

 

一色は彼女を見た。

 

先ほどまでの怯えは、まだ少し残っている。

けれど、その目はもう伏せられていなかった。

 

「じゃあ、まずはこれを試そうか」

 

香茸の箱へ手を添えると、尾崎は頷いた。

 

「ええ。今度は、最後まで自分で決めたい」

 

一色は笑って、隣の作業台を空けた。

 

彼女が司に興味を持ったことには、少し気がかりがある。

ただ、それを理由に止める言葉は持ちたくなかった。

 

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