天才は夢を見ない   作:小池蒼司

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7.宿泊研修with天才

 

宿泊研修。

それは、遠月で行われる厳しい選抜合宿である。

 

高等部一年生は全員参加。

連日課される課題をこなし、合格点に届かなければ即退学となる。

 

遠月に在籍していたという経歴だけでも、料理の世界では箔がつく。

それでも、ここで脱落するために入学してきた者などいない。

 

通称、地獄の合宿。

 

尾崎たちもまた、その出発の日を迎えていた。

 

「荷物、多くない?」

 

バスを待つ列の中、紀ノ国が尾崎の荷物を見て言った。

視線の先には、海外旅行にでも出かけるような大きなキャリーケースがある。

 

「……そう?」

「何をそんなに詰めてきたの」

 

尾崎は考える素振りをした後、一言だけ「着替えとか…」と言った。

 

「絶対嘘でしょ!!」

 

紀ノ国が言うと、尾崎はそっと視線を逸らした。

 

「着替えは入ってる」

「他には?」

「……本」

「何冊?」

「必要な分だけ」

「答えになってないわよ」

 

紀ノ国はため息をつき、改めてキャリーケースを見下ろした。

 

「持ち上げられるの、それ」

「ここまで持ってきたもの」

「転がしてきたんでしょう?」

 

ちょうどその時、列が動き始めた。

尾崎は前へ向き直ると、何事もなかったようにキャリーケースを引いた。

 

「バス、来たよ」

「話終わってないんだけど」

 

乗車口の脇では、荷物を積み込むために一色が鞄を下ろしていた。

 

「それも預けるのかい?」

「ええ。」

 

尾崎は荷物を預け、一色は頷いた。

そして、キャリーケースの取っ手を持ち上げかけた腕が、一度止まる。

 

「……尾崎くん」

「何」

「着替え以外には、何が入っているのかな」

 

紀ノ国が隣で頷いた。

 

「私も今、それを聞いていたところよ」

 

尾崎は視線をズラす。何も答えなかった。

聞くだけ無駄か。一色と紀ノ国は諦めてバスへと乗り込んだ。

 

それから、尾崎がバスの入口から乗り込んですぐ、奥の方から聞き覚えのある声がすぐに飛んできた。

 

「おーい!尾崎ちゃんこっちこっち!!」

 

視界に入ったのは、手招きして隣の席を叩く久我だった。

尾崎は首を傾げながらも近づいていく。

 

「なに?」

「ほら、隣空けといたから!」

 

久我がもう一度、座席を叩く。

尾崎はその席を見てから、後ろを振り返った。

 

「寧々」

 

唐突に呼ばれた名前に、紀ノ国はドキリとする。初めて名前で呼ばれた。いや、どうして突然?紀ノ国はいろんな考えが頭を巡る。

 

「……何?」

必死に出した言葉が少し掠れた。

 

「一緒に座ってもいい」

 

久我の笑顔が固まった。

 

「ちょ、尾崎ちゃん? 今オレが誘ってんだけど?」

「先に約束してたもの」

 

紀ノ国は一瞬目を丸くした。

確かに、バスの席順について乗り込む前に話してはいたが。それが約束なのかは分からなかった。

 

ただ、紀ノ国は尾崎の言葉が嬉しかった。断る理由なんてない。

 

「そうね。尾崎さん、こっち空いてるわ」

 

通路を挟んだ斜め後ろの席へ、紀ノ国が鞄を置く。

尾崎が座ろうとして、紀ノ国に顔を向けた。

 

「凛でいい」

「え?」

「呼んで、名前。」

 

尾崎が席に座って、改めて紀ノ国を見る。

なんだか恥ずかしくて、紀ノ国は照れた顔で凛の名前を呼んだ。

二人の光景を見た久我と一色は、自分たちの入る隙がないと思ったのか途端に大人しくなる。

 

「隣、いいかい?」

「……どーぞ」

 

久我が渋々鞄を足元へ下ろすと、一色は笑って腰を下ろした。

 

「残念だったね」

「うっさい。まだ合宿始まってないし」

 

紀ノ国の隣で、尾崎が早速本を取り出していた。

その厚みを見て、眉を寄せる。

 

「本?わざわざ持ってきたの」

「これはお父さんの本。勉強しとこうと思って」

「……そう」

 

尾崎の父は日本人初の三ツ星を獲得したフランス料理の天才だ。こんな分厚い本も出していたのか、と感心した。

 

「ねぇ、あなたの食戟を受ける受けないの基準ってなんなの?」

 

ふと、紀ノ国はずっと気になっていたことを聞いた。

この前一色から久我の件を聞かされた紀ノ国は、尾崎の食戟に対する感覚が一体どういう基準なのか知りたかった。

全く受けない訳でもないのに、久我に対して食戟はくだらないと、そう言い放った尾崎。

 

ーー彼女の食戟に対する考えが、知りたい。

 

「…相手がしつこすぎる時に、そのまま研究で受ける時もある」

「研究?」

「試したかった料理がある時とか、暇つぶしがてらにそこで試したりしてる」

 

「……食戟を、試作の場にしてるってこと?」

 

「審査員がいるでしょう。自分以外の意見も聞けるし」

 

紀ノ国は少し黙った。

負ければ代償を払う勝負を、そんなふうに利用しているとは思わなかった。

 

「でも、それなら久我の時も受ければよかったんじゃない?」

「試したいものがなかったから」

「……それだけ?」

「後は本人にも言ったけど、戦うための料理をしてるわけじゃない。」

 

紀ノ国は何も言えなかった。料理の本質は確かにそこにある。遠月にいると、食戟のせいか勝負の為に料理を使っているが、"料理人"としての正解はきっとーー

 

「誰かが美味しいって言って笑って幸せになる。そのための私だから」

 

紀ノ国は、凛を見つめた。

食戟で相手を圧倒する姿や、普段の素っ気ない態度からは、想像しなかった答えだった。

 

「だから、あの日は食べるだけならいいって言ったのね」

「そう」

 

凛は本へ視線を落とした。

 

「食べてみたいって言われたから。それなら、作ろうと思った」

 

紀ノ国は、その横顔を眺めた。

知れば知るほど、尾崎凛という人間が少しずつ分かってくる気がした。

 

氷結の女王。

そんな呼び名とは裏腹に、彼女は料理にも、食べる人間にも無関心ではない。

 

美味しいと言われた言葉を覚えている。

また食べたいと言われれば、次に作る料理を考える。

 

それを知ると、膝の上にある分厚い本さえ、先ほどとは違って見えた。

 

才能があれば、授業に出なくてもいい。

初めて彼女を意識した時、自分はそんなことを考えていた。

 

紀ノ国は、そっと目を伏せる。

 

彼女が授業の外で何を学び、何を作っているのか。

知ろうともせず、才能の一言で片づけていた。

 

烏滸がましかったのは、勝とうと思うことではない。

相手のことを何も知らないまま、分かったつもりでいたことだ。

 

「私、今まで他人に興味なかった。けど、寧々となら仲良くできる気がしたの。……勝手に名前呼んでごめんなさいね」

 

紀ノ国は顔を上げた。

 

凛は本を開いたまま、こちらを見ていた。

さっき名前を呼んだ時には平然としていたのに、今は返事を待つように指先を揃えている。

 

「……謝ることじゃないでしょう」

 

少し、声が硬くなった。

紀ノ国は一度息をつき、言い直す。

 

「私も、凛って呼ぶし、それでお互い様よ」

「嫌じゃなかった?」

「嫌なら、最初に言ってるわ」

 

凛は微笑んで、頷いた。

 

 

◇

 

 

バスが着いたのは、遠月リゾートだった。

遠月茶寮料理學園 の中でも観光部門が運営する巨大リゾート施設だ。

その建物を見上げ、バスを降りた生徒たちが次々と声を上げる。

 

「……立派ね」

 

紀ノ国が呟いた。

凛も頷いたが、その視線は建物の入口へ向いていた。

 

制服姿の生徒たちを、ホテルの従業員が手際よく案内している。ここが今日の宿泊地なのだろうか。

 

「尾崎ちゃん、荷物それ?」

 

背後から声をかけられ、振り向く。

久我が凛のキャリーケースを見下ろしていた。

 

「何入れたらそんな大きさになんの?」

「……着替えとか」

「それ、もう聞いたわ」

 

紀ノ国に言われ、凛は口を閉じた。

 

「……山奥って聞いてたけど、ここで研修するのね」

 

凛はそびえ立つ高い建物たちを見上げた。

ホテル、旅館、アクティビティ施設、そして多数の観光客たち。

 

確かに、ここで実践出来ればかなり力になるだろう。だが……凛は不思議に思った。これで退学になるような事が起きるというのか、と。

 

料理を作り、客へ出す。

もちろん簡単な仕事ではない。けれど、それは凛にとって幼い頃から見て、経験してきたことでもあった。

 

「……何をしたら、退学になるのかしら」

 

呟くと、紀ノ国が顔を向けた。

 

「課題をこなせなければ、でしょう」

「それは分かるけど」

 

凛はロビーへ入っていく客たちを眺めた。

従業員に案内されながら、楽しそうに何かを話している。

 

その横を、自分たちと同じ制服の生徒が緊張した面持ちで通り過ぎた。

 

「ここで働くわけじゃないからね」

 

一色が隣へ並ぶ。

 

「僕らは研修を受ける側だ。どんな条件で、何を求められるかは、まだ分からないよ」

「そうね…」

 

「尾崎ちゃんなら余裕っしょ!」

 

久我が軽い調子で口を挟んだ。

 

凛は返事をしかけて、やめた。

 

以前なら、そのまま頷いていたかもしれない。

今は、自分がどんな料理を出すのかさえ、上手く思い描けなかった。

 

握っていた持ち手を、握り直す。

 

「……そうだといいけど」

 

小さな返事に、一色が彼女を見た。

 

けれど何かを尋ねる前に、集合を促す声がロビーに響いた。

 

凛たちは急いで案内された大広間へと走っていく。

途中、後ろから来た生徒にぶつかられ、凛はそのまま体勢を崩して倒れ込んだ。

 

「チッ、でけぇ荷物なんか持って……邪魔なんだよ」

 

ぶつかった生徒は凛を一瞥したあと、吐き捨てるように去っていった。

すかさず紀ノ国や一色たちが凛を立ち上がらせてくれるが、凛は先程の生徒を目で追ったまま口を結ぶ。

 

「……大丈夫か?アイツ、確か叡山枝津也、だったよな」

 

久我が凛のキャリーケースを拾い、そう言った。

 

「気にしなくていいわよ。彼、元からああだから」

 

紀ノ国は凛の手を握った。その手には力が入っている。よっぽど凛にした事が苛立ったのだろう。

 

「ありがとう、私は大丈夫」

 

凛は三人を見た。

 

紀ノ国はまだ眉を寄せている。

久我は去っていった生徒の方を睨み、一色は凛の制服についた埃を軽く払ってくれた。

 

「手、痛くないかい?」

「……ええ」

 

凛には友達がいた事がない。だからどんなものかも分からなかったが、もし友達と呼べるなら、きっとこの3人をそう呼んだだろう。

 

 

◇

 

 

大広間に集められた生徒たちは、用意された椅子へ座る。椅子には紙が置いてあったが、まだ開くなと言われていた。

 

少ししてから、ステージ上で「試験は今から始める」と、そう言ったのは尾崎誠二だった。

 

凛は少しも驚かなかった。こうなる気がしていたからだ

 

誠二は理由がないと日本へ来ない。自分の為だけに一時帰国するわけが無い。凛はただじっと誠二の顔を見続けていた。

 

「これから適当に4つのグループに分ける。試験内容はそれぞれ違うが、こなせなければ即退学。説明はそれだけだ」

 

誠二はマイクを投げるように、近くにいた遠月リゾート総料理長ーー堂島銀へ渡した。

 

最初はあの有名シェフの"尾崎誠二"にどよめいた会場も、今は即退学。その言葉にザワついていた。

 

その中、誠二は壇上を降りた。

生徒たちへ目を向けることもなく、脇の扉から出ていく。

 

「……お父さん、来てたのね」

 

紀ノ国が小声で言った。

凛は扉が閉まるのを見届けてから、頷いた。

 

「知っていたの?」

「来るとは聞いてない。でも、そんな気はしてた」

 

凛は自身の手を握りしめた。

 

——合宿が終わって生き残れたら、もう一度食わせてみろ。

 

あの言葉を口にした時には、もう決まっていたのだ。

ここで、自分を審査するかもしれないことも。

 

「静粛に」

 

堂島の声が響き、周囲の会話が途切れた。

 

「各自、紙を開いて指定された研修室へ移動するように。担当講師から課題の説明を受けることになる」

 

案内に従って、生徒たちが席を立ち始める。

凛も立ち上がり、自分の割り当てを確かめた。

 

紀ノ国が隣から覗き込む。

 

「私は別ね」

「……そう」

 

凛はもう一度、紙に目を落とした。

 

担当講師の欄には、尾崎誠二と記されていた。

 

「尾崎くん」

 

顔を上げると、一色が自分の紙を示していた。

 

「僕も同じだ。一緒に行こうか」

 

凛は頷き、紙を閉じた。

 

 

△▽

 

 

指定された研修室へ入ると、誠二は既に調理台の前に立っていた。

入ってくる生徒を一人ずつ見て、凛と目が合っても何も言わない。

 

凛も会釈だけをして、空いた台へ向かった。

 

荷物置き場へ荷物を置き、姿勢を正す。

隣では一色が袖を整えていた。

 

全員が揃ったところで、誠二が時計を見る。

 

「始めるぞ」

 

先ほどまで残っていた話し声が止まる。

凛は顔を上げた。

 

ここにいるのは、家で料理を食べてくれた父ではない。

自分に合否をつける、講師だった。

 

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