天才は夢を見ない   作:小池蒼司

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8.宿泊研修with天才2

 

「始めるぞ」

 

ホテルに用意された研修用の厨房で、誠二は一言言った。

 

あの、尾崎誠二に審査して貰える喜びと、これから何が行われるのかという恐怖。全員体が震えていた。

 

「まず、調理服に着替える前に話をする。それを聞いてからこの試験をやめるか、続けるか。自分で決めてくれ」

 

続けた誠二はこう言った。

「俺は料理人が嫌いだ」と。

 

どういうことだ。周りがキョトンとする。

凛も例外ではなかった。

 

「俺は、質のいい食材を使うとか、手間暇かける工程を必ずしないといけないとか、そういうのにはこだわってねえんだ。素材の味も勿論大事だが、頭で考える料理は好きじゃない。意味分かるか?」

 

誠二が辺りを見渡す。

凛と目が合うが、すぐに目を逸らした。

 

「……簡潔に言う。食(しょく)っつーのは本能だ。お腹が減る、美味いもんを食う。それは欲求であり本能なんだよ。それを作る俺達も本能で求めて作らなきゃいけない。だから俺はただ作るだけの料理人は嫌いだ」

 

冷たい目が、どことなく凛に似ている。

 

「あー、勘違いすんなよ。知識も技術も要らねえって話じゃない。それがなきゃ、作りたいもんも作れねえ」

 

誠二は腕を組み、生徒たちを見る。

 

「ただ、手順が正しいとか、高い食材を使ったとか。そんなもんを、美味い理由にすんなって言ってんだ」

 

凛の指が、わずかに動いた。

 

「お前ら、自分で作ってて腹が減るか?」

 

誰も答えなかった。

 

「焼ける匂いを嗅いで、早く食いてえと思うか。味見して、もう一口欲しくなるか。食わせる前から、相手がどんな顔するか楽しみになるか」

 

凛は視線を落とした。

 

最近の味見で探していたのは、足りないものばかりだった。

もう一口食べたいかどうかなど、考えもしなかった。

 

「俺は、それがねえまま出てくる料理が嫌いなんだよ」

 

誠二は調理台へ手をついた。

 

「じゃあ、課題を言うぞ」

 

全員が次の言葉を待った。どんな課題が出されるのか。

 

「今、一番自分が食いたいもんを作れ」

 

一瞬、誰も動かなかった。

 

食材の指定も、料理のジャンルもない。

生徒の一人が、恐る恐る手を挙げた。

 

「あの……本当に、何でもいいんですか」

「自分が食いたいもんならな。使える食材は向こうだ。調理服に着替えて戻ってこい。制限時間は、その後に伝える」

 

戸惑いを残したまま、生徒たちが動き始める。

 

凛もその流れについていった。

 

今、一番食べたいもの。

 

考えれば、料理はいくつも浮かぶ。

父の得意な料理。最近読んだ本に載っていたもの。何度も作ってきた、自信のある一皿。

 

けれど、どれも選べなかった。

 

「尾崎くん」

 

隣を歩いていた一色が、少し歩調を緩めた。

 

「何を作るか、決まったかい?」

「……まだ。貴方は?」

「いくつか迷っているよ。食材を見て決めようかな」

 

凛は頷いた。

 

それなら、自分も。

実際に見れば、作りたいものが見つかるかもしれない。

 

 

◇

 

 

着替えを終えた生徒たちが、食材の前へ集まっていた。制限時間は40分。短い時間の中で食材選びから調理までこなさないといけない。

 

凛はその少し後ろから、並べられたものを見渡す。

肉も、魚も、野菜もある。必要なものは、十分に揃っていた。

 

ふと、鴨肉に目が留まる。

 

あの時出したコンフィを思い出した。また作るか、いや、40分じゃ間に合わない。そもそも、父に出したばかりだ。同じ料理では、また——。

 

凛は視線を逸らした。

 

今度は魚を見る。

香りを生かすなら。ソースとの組み合わせは。あの先輩だったら、何を選ぶだろう。

 

そこまで考えて、唇を結んだ。

 

ーーまただ。

 

「何か足りないか」

 

誠二の声がした。

いつの間にか、食材台の反対側に立っている。

 

「……いいえ」

「じゃあ、どうした」

 

凛は答えられなかった。

 

周囲では、生徒たちが次々と食材を手に取り、自分の調理台へ運んでいく。

 

自分も早く決めなければ。

そう思って肉へ伸ばした手が、途中で止まる。

 

「それ、食いたいのか」

 

凛は手元を見た。

 

どう調理すれば父を納得させられるかは、考えていた。

食べたいかどうかは、まだ分からなかった。

 

誠二はそれ以上何も言わず、別の生徒の方へ歩いていった。

 

凛はゆっくりと手を下ろした。

 

「……ずっと引っかかっているんだね」

 

食材を選んでいた一色が、凛の様子を見て声をかけた。

引っかかっている。そう、凛はあの日からずっと悩んでいた。

自慢の嗅覚も、味覚も。あれから機能していないかのように。

 

「尾崎くん、君がバスで言っていたことは本心だったんだよね。誰かが美味しいって言って笑うのが君の意味なんだろう」

 

だから深く考える必要ない、と一色はそう言った。

凛は少し考えた。

誰かが美味しいと言って笑う。その言葉に、昔の記憶が蘇る。

 

ーーおいしいね、ぱぱ!

 

昔、幼い頃の自分。誠二の作った料理を食べて笑ってる自分。それを見て幸せそうに微笑む両親。

 

「そうか…」

 

凛は呟く。

あの頃は、何が正しいかなんて知らなかった。

 

父が厨房へ立つと、そばへ寄っていった。

バターの溶ける匂いが好きだった。フライパンを覗こうとして、危ないから離れていろと何度も言われた。

 

それでも、皿が出てくるのを待っていた。

 

早く食べたかった。

美味しいものを、もう一口。

 

凛は並べられた食材をもう一度見た。

メインの食材はもう大体持っていかれた。残っているのは形の悪い牛肉や野菜のみ。

 

しかし、凛にはそれだけで十分だった。

 

「ありがとう、一色」

 

振り返ってそう言った顔を見て、一色は続けようとしていた言葉を飲み込んだ。

 

「……うん」

 

凛は食材を取るとすぐ調理台へと向かった。

その動きに迷いはない。

 

牛肉は粗いミンチに叩き、味付けはシンプルな塩とコショウのみ。

強く練らないように混ぜたあとは成形し、焼いた。

 

ジャガイモなどの野菜も切り、一緒に焼く。

香り付けにオリーブを少々。

 

フライパンを片手に調理する凛の姿は、誰が見ても楽しそうで、まるで踊っているようだった。

 

ーー楽しい、早く食べたい

 

早く、早く早く早く____

 

隣の台を使う一色が凛を一瞥する。一瞬、目が燃えているように見えた。

 

一つずつの作業が、淀みなくつながっていく。

急いでいるように見えるのに、必要なところでは必ず待つ。

 

やがて、一皿を持った凛が調理台を離れた。

 

「お願いします」

 

誠二の前へ置かれたのは、牛肉の粗挽きステーキだった。

焼いた野菜が添えられている。飾り立てたところはない。

 

誠二は皿を見て、それから娘を見た。

凛の視線は、父の顔よりも肉へ向いていた。

 

「ステック・アッシェ…これが食いたかったのか?」

「ええ」

 

今度は、すぐに返事があった。

 

誠二がナイフを入れる。

切り分けた一口を口へ運ぶと、凛もつられるように、その手元を目で追った。

 

香ばしい。

続いて、噛み応えのある肉から旨味が溢れる。

 

塩は控えめで、肉の味を引き出し、焼けた脂の甘さを際立たせている。

噛む度に、闘牛が暴れ、観客が声を出し盛り上げる。そんな情景が頭に浮かぶ。肉々しい。

 

もう一口、とフォークを伸ばしかけて、誠二は止まった。

 

「……お前」

 

顔を上げる。

 

凛が、わずかに前のめりになっていた。

父が何を言うのか待っている。けれど、あの日のように欠点を指摘されるのを恐れている顔ではない。

 

「美味しいでしょう」

 

言い切ったあとで、凛自身が瞬きをした。

 

誠二は娘を見つめた。

それから、もう一切れを切る。

 

「……ああ」

 

凛の口元が緩んだ。

誠二はその顔を見てから、再び皿へ目を落とした。

 

「俺が…昔よくお前に作った料理だな」

 

ステック・アッシェはフランスの伝統料理で、日本のハンバーグとは違いつなぎを一切使わない。

フランスのランチでは定番料理だ。

 

凛は一色の言葉で、あの頃を思い返していた。見失いそうになっていた料理をする理由。思い出して、形にした。

 

これは凛の決意が詰まった一皿だった。

 

「うん。食べたくなったの」

 

凛は皿を見た。

 

「お父さんが作ってくれるの、いつも楽しみだったから」

 

誠二は返事をせず、付け合わせのジャガイモを肉と一緒に口へ運んだ。

 

覚えのある料理だった。

けれど、自分が作っていたものと同じではない。

 

肉の刻み方も、焼き目のつけ方も違う。

噛みしめるほどに旨味が広がり、野菜を挟めば、また肉へ手が伸びる。オリーブオイルの香りが、頭にいる闘牛を宥める。

 

誠二はもう一口食べた。

 

娘が何を食べたかったのか、今はよく分かる。

そして、自分まで同じものを欲しがっている。

 

「……合格だ」

 

凛が顔を上げた。

 

「次に作る時も、今日と同じになるとは限らねえぞ」

「分かってる」

 

凛は頷く。

 

「次は、次に食べたい味にする」

 

誠二の口元が、わずかに上がった。

 

「それでいい」

 

振り返ると、一色と目が合った。

彼は自分の調理を続けながら、小さく頷いてくれた。

 

 

 

◇

 

 

最初の試験が終わり、再び大広間へ戻るように指示された凛たちは荷物を持って大広間へと歩を進めた。

 

「正直、一色も合格出来るとは思わなかった」

 

不意に、隣を歩く凛がそんなことを言う。一色は驚いた顔を見せる

 

「どうしてだい、僕も結構やれる方だと思うけど」

「そうね、普通にこなせると思う。でも、それだけじゃ合格にしない人だから」

 

ふ、と小さく笑う凛は、きっと誠二を思い出しているのだろう。

一色は普通にこなせるという言葉に引っかかった。

 

「…確かにね、いつもの僕なら本気は出さなかったかもしれないね」

「今日は本気だったの?」

「柄にもなく、君にあてられてしまったみたいだ」

「私に?」

 

凛が顔を向けると、一色は頷いた。

 

「随分と楽しそうに作っていたからね。見ていたら、僕も作りたいものが増えてしまった」

「……自分の料理に集中して」

「はは、それはごもっともだ」

 

一色が笑う。

凛も少し口元を緩めたあと、前へ向き直った。

 

「でも、よかった」

「合格できて?」

「ええ。また一緒に料理ができるから」

 

一色は、返そうとしていた言葉を忘れた。

凛は気づかずに続ける。

 

「同じ寮なのに、うるさいのが減ったら寂しいでしょ」

「僕そんなにうるさいかな」

「しつこいし急に脱ぎ出すから騒がしい」

 

でも、助けてくれてありがと。凛はそれだけ言うと先に大広間へ行ってしまった。

 

「本能、か…」

 

一色は自身の手を見つめた。誠二が言っていた食は本能を思い出す。

今まで自分の力を抑えてきた一色にとって、その言葉は大きく深く刺さった。

 

何より、本能のままに料理を作る凛を目の前にした時、自分の何かが突き動かされた感覚がした。

 

もしこれが本能というのなら、自分はまだやれる事があるんじゃないか、そう思った。

 

一色は指を軽く握り、開いた。

 

——貴方が作ったものを食べてみたい。

 

いつか、彼女にそう言わせてみたいと思った。

こちらの手元が気になって、自分の料理から目を離してしまうくらいのものを。

 

大広間の入口で、凛が振り返っていた。

 

「一色、来ないの?」

「今行くよ」

 

一色は笑って、彼女の方へ歩き出した。

 

次は何を作ろうか。

もう、そんなことを考えていた。

 

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