日本トレーニングセンター学園────トレセン学園。ここは、日本におけるウマ娘養成機関の最高峰である。日夜、数多くのウマ娘が自らの出走するレースに勝利するため、日々トレーニングを重ねている。
そして、日頃トレーニングを行っているウマ娘達は、夜には当然床につき、溜まった疲れを取るため眠りに入る。
────しかし、太陽が完全に地球の裏側へと沈み、学園の灯りが消える頃。練習レース場へ影を落とす一人のウマ娘がいた。
「・・・・・・ふっ・・・・・・」
そのウマ娘は、レースに出るウマ娘ではない。引退して、普通のヒトとして就職をし、昼頃はトレセン学園の理事長秘書として働いている。
朝には必ず門前に立ちウマ娘達の登校を見守り、昼には事務作業を行う傍らウマ娘のため、と身銭を無闇に切ろうとする理事長を止めたり、ウマ娘について悩むトレーナーや、ウマ娘たちの話を聞いたりしていた。
そして夜は、ここにいる。トレセン学園のレース場、芝用に作られたそれを一歩一歩確かめるように、足取り軽くはしり続けていた。
「・・・・・・ふぅ」
現役時代自分が走っていた距離、2400mを走り切り、一息つく。
彼女の名は駿川たづな。またの名を、トキノミノル。今尚「幻のウマ娘」と語り継がれるウマ娘、その人である。
その頭に浮かぶのは、自分の現役時代、そして引退の瞬間だった。
自惚れながら、競走成績は凄いものだっただろうと、彼女は思う。
優駿達が群雄割拠するトゥインクルシリーズ。どんな絶対的な王者がいたとしても、土をつけられないことなどあり得ない。そんな中、彼女は出走した10のレースで、すべて勝利した。勝利をまっさきに喜んで、泣くまでしてくれた自分達のトレーナー・・・・・・今で言う教官や、チームの仲間たちと勝利を喜び合い、分かち合う。とても充実した時間だった。今で言う東京ダービー、東京優駿を勝ったときなどは、その最たるものだった。
これから先どんなレースに出てみようか、誰と戦ってみようか。自分を追ってくれるライバルや、これからともに走るであろう後輩に思いを馳せ、練習を積んでいた。
その時が来るまでは。
破傷風。今となっては、ワクチンの導入が進みあまり聞かなくなった病気。彼女はそれに罹患した。
初めは、走っているときに少しだけ顔や首筋の違和感があるだけだった。少し経ってから、それは全身に拡がり・・・・・・地獄を味わった。
治療できたのがあと少し遅ければ死んでいただろう、と、当時治療を担当してくれた医師は言った。彼女自身、良く生きていたものだ、と思っていた。
だが、走れる体ではなくなった。
泣きっ面に蜂と言わんばかりだが、同時に肺炎にも罹ってしまったのだ。全力で走ろうとしたときに走った痛みや、慟哭もできず、ただ蹲ることしかできなかった絶望感は今でも鮮明に記憶している。
そして、引退を余儀なくされた。
今となってはどちらとも完治し、日常生活を支障なく送るどころか、こうしてまた走ることもできている。とても幸せなことだ、と彼女は思いながら、あと一本だけ走ろうかとまた芝を蹴り始めた。
────だが、ああ。もう一度あの場所でレースがしたい。鉄火場の様な緊張感を持ちながらゲートに入るあの瞬間。他のウマ娘を避け、先頭に出るとき見えたあの景色。勝利を掲げて、自分を打つ歓声。仲間の喜ぶ顔。あの場所へ、あと一度だけでも。
「・・・・・・ッ!」
頭を振るいながら、スパートをかける。何を馬鹿なことを考えるのか、引退したこの身で、何を考えるのか!こうやって走れるのだから、それでいいだろう。
────だけど、あの一瞬。ゴール板を通り過ぎるあの一瞬を、忘れられるものか。
頭を色々なものが埋め尽くす中、彼女は2000mをもう一度走りきった。
火照った身体を冷やしながら、年でもないのに、恥ずかしいことを考えてしまったと独りごちるように自嘲する。現在時間を確認すると、もう夜の10時を回っていた。
早く帰って寝なければ。明日も登校する生徒たちを見守らなければならない、と少し急ぎながら身支度を始めようとして。
「────キミっ!」
それを止めることとなるのだった。
たづなさんしゅきなの
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