とてもまずいことになった。端的にそう思った。
目の前のトレーナー────坂本トレーナーは、私のよく知るトレーナーである。
レースやウマ娘に並々ならぬ情熱を持ち、目端が効く優秀なトレーナーだ。度々私ともウマ娘について語り合い、情熱が余って語り過ぎ、朝帰りまでしてしまったこともあるほどだ。
そんな人だから自らが担当するウマ娘にも全力でかかり、よく夜中までトレーナー室は灯りがついている。体にガタが来なければいいのだが・・・・・・。ともかく、そのため彼のトレーナー室に灯りが付いているか、いつも確認していた。今回も消えていることを確認していたのに・・・・・・
冷や汗を一筋垂らしながら、現状を整理する。が・・・・・・まずい。とてもまずい。10時を回り、夜間レース場を照らすライトも全て消え、月明かりに照らされて仄暗い。夜風や月明かりに包まれたレース場はとても走っていて気持ちがいいが・・・・・・トレーナーに見つかったとき、誤魔化しが効かないのだ。
こんな時間に見つかるとは思わなかった、と自身の想像力を嘆きながら、どう切り抜けようかたづなは考え出す。
相手はトレーナーだし逃げれば大丈夫だろうか?いや、そうなると警備が厳しくなる可能性もあるし、今対面しているのだから顔も────
「キミっ、どうしてこんな時間に・・・・・・いや、それより!見ていたよキミの走り!思わずタイムを測ってしまった!トレーナーは付いているのかい!?」
「・・・・・・えっ?」
・・・・・・どういうことだろう。にわかに興奮した様子で坂本トレーナーは話す。このタイムは凄い、とか、学年は何年か、とか。
思っていた台詞と大分違うことを話されて一瞬困惑したが・・・・・・
────もしかして。私の顔は見られてない?
確かに、月明かりしか光源の無い中で顔を判別するのはかなり難しい。髪型も気持ちよく走るためにおろしているし、走るためと持ってきていたジャージは、この暗い中ならトレセン学園指定の物と変わらないように見えるだろう。
だとすれば、私は「情熱が行き過ぎて寮を抜け出した一般生徒のウマ娘」にみえてもおかしくはない────!
「えっ、えっと、その、トレーナーさんは付いていなくって・・・・・・選抜レースでも思うように走れなくって、どうしようって・・・・・・」
ならば、その認識に乗るべきだ。幸いにして、彼は現在担当しているウマ娘に集中していて、選抜レースを見に来ることはなかったはず。彼の優しさに付け入るようで、凄まじい罪悪感を感じるが・・・・・・背に腹は代えられない。理事長秘書がこんな夜中にレース場で走っているなどと、噂になったら信用に関わる。
ごめんなさいトレーナーさん、本当に・・・・・・後でラーメン奢ります・・・・・・
「キミ程のウマ娘が選抜レースに・・・・・・?そんなまさか!キミならダービーどころか、三冠だって夢じゃない!・・・・・・・・・・・・そうだ!キミ!名前は何と!?」
「えっ、ええぇっと、・・・・・・ミ、ミノルです。」
「そうか、じゃあミノル!僕とトゥインクルシリーズを走らないか!?」
「・・・・・・えっ」
「キミの足は素晴らしい!僕はキミの足に夢を見た!遥かな伝説を築く夢を!喝采を!手に入れたくないか!?ゴール板を過ぎた途端響く割れんばかりの歓声!キミにだけ与えられるそれがキミを包むんだ!夢を、掴まないか!?」
────そんな、ことは。私はもうとっくに引退しているウマ娘だ。今走っているのだって、気持ちがいいだけで。歓声だなんて、夢だなんて、伝説だなんて・・・・・・
けれど、言葉に想起させられる。あの歓声を。
────ワアアアアアアァァァァァァァァァ!!
────トキノミノルが逃げ切る!トキノミノルが逃げ切った!レコード勝ち!
────凄いよ、ミノちゃん!私、私・・・・・・背中がっ、遠かった!
「欲しい、です。私。」
・・・・・・何を言っているんだろうか、私は。
「レースに出て、勝ちたいで
す。」
止めなければ。私は引退したウマ娘だ。そもそもレースに出られない。
「勝って、あの響く歓声を、感動を、味わいたいで
す。」
「だろう!!」
まずい。すごくまずい。だって、隠し通せるわけがない。トレーナーとして接していく中で必ず私がたづなだとバレる。そうしたら、終わりだ。関係が変わったら、彼とウマ娘の談義をすることだって出来なくなるかもしれない。今のうちに話さなければ。傷を広げないうちにっ。
「・・・・・・っ、でっ、でも、あの。実は私────」
「いや、分かる。分かるつもりだ。今は夜中、キミも門限を破って寮を抜け出しているウマ娘だ。その情熱は素晴らしいものだと思うけど、いきなり来てしまった僕に対して混乱することもあるだろう。
僕は坂本という。トレーナー室はトレセン学園の西側、離れにポツンとあるから、すぐに分かると思う。もし予定が空く日があったら、是非おいで。そこでもう一度話し合おう。」
「あっえっと、ありがとうございます・・・・・・じゃなくって、その────」
「ほら、早くウマ娘寮に帰らなきゃ!ちょっと曲折してしまったけど・・・・・・僕はトレーナーだ、事情があるとはいえこんな遅くに出歩いているウマ娘を見ていたら、寮長に報告しないといけなくなる。キミにとってだって、それは都合が悪いだろう?話は明日にしよう!じゃ、待ってるからね!」
「えっ、いや、その、あの・・・・・・」
じゃあねー!と、トレーナーは去っていってしまった。
・・・・・・どうしよう。結局話せなかった。
これで、行かなかったらどうなるのだろうか。いや、考えるまでもない。めちゃめちゃに凹むだろうし、最低でも2ヶ月は引きずる。彼の担当ウマ娘が引退したとき、私に話していた時のようなきらきらとした目をこれでもかとしょぼくらせて、引退してほしくないと泣き上戸になっていたのを思い出す。
・・・・・・本当に、どうすればいいのだろうか。
悩みながら、勢いに押されて忘れてしまっていた身支度を始める。明日も、仕事があるのだ。レースを想っている暇などない。生徒を見守るこの仕事にはたしかに誇りを持っていて、手放したくない幸せなのだ。
────だけど、あのトレーナーさんについて行ったらもしかしたら────
「・・・・・・ッ!」
首を振って考えたことを散らす。そんなこと、許されるはずがない。
・・・・・・明日になったらキチンと話そう。明日になったら、話せるはずだから。
確証も無い祈りのような気持ちを胸に、身支度を終えて帰路につくこととなった。
んあー、たづなさん好きなのねー
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