とある魔道具店店員の手記   作:シュワシュワ

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プロローグ
1 再出発①


【初めまして】

 私の身の上を語るよりも先に、まずはある女性の発言を記しておきたい。

 

「この手記はですね、なんと自分の名前を書くだけで、登録しておいた過去の地点へとタイムスリップできる、凄い魔道具なんですよ!

(中略)

 ――欠点ですか? 記憶が失くなることですかね。それと、過去に遡れるのは本人だけなので、もれなく全裸になります。って、手記を使ったあなたなら、そこはご存知ですよね。……えっ、知らないんですか?」

 

 さて。

 この発言だけでも、今の私が置かれている状況について、おおよそ推し量れるだろう。

 だが念のため、はっきりと記しておこう。

 この手記――魔道具を用い、実際に過去へ飛んできたのは、他ならぬこの私である。

 

 記憶を失い、身につけているものは一切ない。

 そんな有様で、見知らぬ時代の、未知の土地へと、一方通行で放り出されたわけだ。

 

 ……イカれている。正気の沙汰ではない。

 記憶を失った今の私ですら、その判断には深刻な疑いを抱かざるを得ない。

 もっとも、その狂気の跳躍を決行したのは他でもない私なのだが。一体何を思って、そんな暴挙に出たのやら。

 

 私の最も古い記憶は、既にタイムスリップを果たした後のものだ。

 目覚めたときには、見知らぬ部屋のベッドに寝かされていた。

 

 ちなみに手記本体は、未来に置いてきている。

 代わりにこの時代にある同一の手記には、魔道具の力が発動した証として、私の名前がしっかりと刻まれていた。

 

 冒頭の発言をしたのは、その手記の持ち主でもある女性――ウィズという名の人物だ。

 人(・)物というか、元人間のリッチーだけど。

 彼女は、魔道具店の店主……に将来なる予定であり、同時に私を保護してくれた恩人でもある。

 

 順序としては、まず彼女がこの時代の転送先を登録し、それを目印に私が飛んできた。

 つまり、この出会いは偶然ではない。仕組まれたある種の必然だった。

 

 彼女自身はこの魔道具を心底素晴らしいものだと信じているようで、私にも熱弁してくれた。

 現在も何かとお世話になっており、足を向けて眠れないほどの恩義があるのは間違いない。

 それでも、一言だけ言わせてもらうなら。

 ウィズはひょっとすると、少し頭がおかしいのかもしれない。

 

 もちろん、現時点では断定するには早い。

 何しろ私自身、記憶を失っていて、この世界の常識も、自分の背景も定かではない。判断を下すには情報が足りていない。

 

 ともあれ、手記は正式に彼女から譲り受けた。

 一度使用したことで転送先の登録はリセットされ、魔道具としての中核的な機能は既に失われている。

 今では、ただの手記も同然だ。

 

 とはいえ、せっかくなので、今後もこうして手記として活用させてもらうとしよう。

 

 


 

 

【首無し中年死体蹴り事件】

 事実は小説よりも奇なり、とは言うものの。

 まさか、自身の居住する城の中で遭難する羽目になるとは。予想外にもほどがある。

 

 事の顛末に触れる前に、まずは現在の住まいについて簡単に説明しておこう。

 私が身を寄せているのは、魔王城。名の通り、魔族で構成される魔王軍の中枢、その総本山である。

 この広大な城の一室を、私は居室として貸し与えられている。

 もっともこれは、私が交渉して得た待遇ではない。そもそも魔王本人とは、面識すらない。

 

 現在、魔王軍は人間諸国との間で戦争状態にある。

 その本拠地に、よりにもよって人間である私が滞在しているのは、常識的に見れば異常極まりない状況だ。

 本来なら問答無用で排除されてもおかしくなかったところを、専らウィズの取り成しによって命拾いしている。

 幸いにも現在では、『魔王公認の客人として、城に人間がひとり滞在している』という情報は、城内の兵士たちにも概ね周知されているらしい。

 

 さて、本題に戻ろう。

 引きこもってばかりでは退屈が過ぎるし、取り立てて外出を禁じられているわけでもない。

 そこで最近の私は散策を日課に取り入れ、徐々に行動範囲を広げていた。

 理由は他にもいくつかあるが、端的に言えば、無為に時間を浪費するのが性に合わなかった。

 

 そして、件(くだん)の遭難に至ったわけだ。

 ふと全身から力が抜け、そのまま通路の床に崩れ落ちた。単純なスタミナ切れである。

 今にして思えば、兆候はあった。だがそれを見過ごすほどには、『疲労で動けなくなる』という事態に慣れていなかった。

 そうして帰路の途中、完全に行き倒れることとなった。

 状況から見ても、これはもう立派に城内遭難と呼んで差し支えあるまい。

 

 無人の廊下に横たわること暫し。

 そこへ通りかかったのは、首を小脇に抱えたアンデッドの騎士――デュラハンだった。

 後に知ったことだが、ベルディアという名の魔王軍幹部を務める大物だった。

 

 私を見つけるなり、彼は素早く駆け寄ってきて、安否を気遣ってくれた。

 私もその厚意に素直に応じ、事態はすんなりと解決へ向かう――かに思われた。

 

 だが直後、何かに思い当たったのか、ベルディアは不意に沈黙した。

 その場でぴたりと動きを止め、先ほどまでの親身な態度が嘘のように消え失せる。

 代わりに、濃密な警戒心がその目に宿っていた。

 

 この急変は、一体何を意味するのか。私は静かに首を傾げる。

 心当たりは無い。……ほんのちょっぴりしか。

 寝転がったまま、このデュラハンの潜在的な利用価値を、こっそり腹の内で査定していたくらいだ。

 

 場が凍りついたその絶妙なタイミングを狙ったかのように、仮面をつけた悪魔――バニルが、近くの床からにょきにょきと生えてきた。

 比喩ではない。本当に、物理的に生えたのである。

 

 この登場に、ベルディアが悲鳴を上げた。

 黒光りする俊敏なあの恐怖の大王を目撃したときのような、強烈な拒絶の籠もった叫びだった。

 彼は間髪入れず飛び退き、間合いを大きく取る。その挙動からして、『絶対に関わり合いになりたくない』という意思は明白だった。

 一方の私はと言えば、悪魔の未知の生態にすっかり感心し、寝転がったまま呑気に観察を決め込んでいた。

 

 そんな私たちを一顧だにせず、バニルはいつもの、ネジの外れたような高笑いを響かせた。

 続けて、問われてもいないにもかかわらず、勝手に状況解説を始める。

 

 曰く、つい先日の出来事。

 この中年騎士――かつては人間であり、今なお騎士道精神を胸に己を律するベルディアが、足を挫いて蹲っていたサキュバスと遭遇したという。

 

 困っている女性を見過ごせるほど、彼は不実ではない。

 逡巡もなく助けの手を差し伸べ、おぶって目的地まで送り届けることにした。

 ……その背中で、ふたつの柔らかな感触が押し付けられているのに鼻の下を伸ばしながら、だが。

 

 しかし、それこそが罠だった。

 そのサキュバスの正体は、化けたバニル。

 つまりは、彼のスケベ心を利用したドッキリだったわけである。

 

 そもそも、悪魔に性別はない。ましてやバニル本人の外見は、体格のいい仮面を被った大男だ。

 知らなかったとはいえ、ベルディアはそんな相手に欲情してしまった。

 しかもその後、落胆する彼にはさらに追い打ちがかけられ、羞恥の悪感情を徹底的に搾り取られている。

 以来、あの一件は彼にとって忘れ難い、苦い記憶となっている。

 

 そして、今回の件である。

 通路に倒れ伏す私を目にしたベルディアの脳裏に、かの出来事がフラッシュバックするのも無理はない。

 似たような構図。似たようなシチュエーション。またしてもバニルの罠か――そう警戒するのは、もはや反射に近かったのだろう。

 

 もっとも実際の私は、単なる体力切れによる行き倒れにすぎず、バニルとは何の関係もなかったわけだが。

 まさしく、幽霊の正体見たり枯れ尾花。

 ベルディアは過去のトラウマに囚われ、ただの小娘相手に過剰な警戒心を燃やしていたのである。

 

 癒えぬ心の深傷を容赦なく抉られ、ベルディアはその場で悶絶した。

 しかも、よりにもよって少女の私の目の前で、過去の恥部を白日の下に晒されたのだ。

 彼とて、大人としての見栄を張りたかっただろうに。それを思えば、あまりにも非情な死体蹴りである。

 さすがは悪魔。血も涙もない。

 

 ――と、感心した私は、自然な流れでバニルに加勢することにした。

 

 仮面悪魔の、あの洗練された煽り技術に強く惹かれたのだ。

 実に参考になる。どうせなら、もう少し観察しておきたい――そう思い、まず表情を整える。

 ドン引きの仮面に、ほんの少しの怯えを添えた顔。

 まるで『この首無し騎士、弱みに付け込んで何かしようとしている変態では?』とでも思っているかのような、そんな顔つきで。

 

 もちろん、顔芸だけではなく、言葉でもしっかり援護射撃を加える。

 無論、私は理解していた。ベルディアの助力は真心からのもので、下心など微塵もなかったことを。

 それにサキュバスの一件など、私にとってはどうでもいい些末事だ。

 今この瞬間、私の関心は完全にバニルの手腕に向いており、標的にされた気の毒な中年騎士のメンタル事情には、はっきり言って興味がなかった。

 

 要するに、私は最初から冷徹な計算の元で行動していた。

 このままベルディアが心を折られて再起不能になろうと、構わない。むしろその対価として、バニルに私を部屋まで運ばせる算段だ。

 斯くして首無し中年騎士は、私の知的好奇心を満たすための捧げ物として、その役割を確定させられたのである。

 

 そしてベルディアの反応は、実に劇的だった。

 『好みはバインバインのお姉さん系で、子供にそんな目は向けない』などと、焦りのあまり、耳を疑うような弁明を口走ったのである。

 聞くに堪えない。中年男の性的嗜好など、少女相手に開陳する話ではなかろう。

 しかも、自ら『子供』と明言した上で私を引き合いに出してしまった辺り、セクハラ発言としても致命的だ。

 

 私は自らの所業を棚に上げつつ、そっと眉をひそめた。

 この件、ウィズに軽く吹き込めば、それなりの制裁を加えてくれるだろう。そう思いつつ、暫し静かに思案を巡らせるのだった。

 

 ベルディアをこれでもかと嬲り倒したバニルだったが、それでは飽き足らなかったらしい。

 あろうことか、助力した私にまで矛先を向けてきた。

 ただ歩いただけで見事に遭難を果たすという、常人にはまず真似できない珍芸を披露した私の一件を、一片の躊躇もなく嘲笑った。

 か弱き少女を助けるどころか、追い討ちをかけてくるとは。まったくもって外道にも程がある。

 

 だが、それで済まないのが悪魔たる所以だろう。

 バニルはまず前置きとして、私の身体能力のあまりの脆弱さについて丁寧に言及してきた。

 曰く、『素手の喧嘩なら人間の五歳児にすら、ギリギリ敗北するレベル』とのこと。

 さらにその上で、『以後の日常生活では十分な警戒と対策が必要』と、アドバイスを装った煽りまで添えてくる徹底ぶりだった。

 

 私は、五歳児にすら勝てないらしい。

 この情報をどんな顔で受け止めるべきか一瞬迷ったが、とりあえず悪魔が期待しているであろうしょんぼり顔を装っておくことにした。

 実際には、それほどショックでもなかった。

 ただ、もう少し悪魔の口上を聞いていたかった。だからこそ煽りに乗った振りをして、調子付かせておくのが得策と判断したのである。

 

 ……が、あっさり見破られた。

 私から悪感情が供給されなかったことに加え、見通す力を行使したようだ。

 結果、バニルだけは私の芝居を看破したが、他方で、特に標的でもなかったベルディアだけが名演にまんまと騙され、同情の眼差しをこちらに向けてきた。

 

 結末として、私はその場でバニルと別れ、ベルディアに背負われて部屋まで運んでもらうことになった。

 加えて彼は、私でも実践できそうな簡易的な体力づくりのメニューまで考案してくれた。

 バニルの煽りを真に受けた憐れみからだろうが、彼なりに気を遣ってくれたらしい。

 

 私は特段気にしていなかったが、都合が良いので訂正する理由もない。

 ベルディアには、親切な世話を焼いてもらい、バニルを観察するための生贄としても役立ってくれた。

 この一連の貢献に免じて、彼が漏らした数々の失言については、今回はウィズに告げ口せずにおこうと思う。

 

 


 

 

【暇潰しの材料を探して】

 ウィズが訪ねてきた。

 以前にも触れた通り、私を最初に保護してくれた女性だ。商人を志しているらしい。

 こうして足繁く顔を出しては、何くれとなく世話を焼いてくれる。現状、私が最も親しくしている人物と言って差し支えない。

 

 此度の来訪は、寝込んでいる私の見舞いが主目的だった。

 原因は言うまでもなく、前日の遭難による過労と筋肉痛である。

 

 このところ、特にやることもなく暇を持て余している。

 談笑の最中、私はその旨をウィズに打ち明けてみた。

 彼女は室内をぐるりと見渡し、暫し思案に沈む。やがて書棚に目を留めるや否や、『読書はどうか』と提案してきた。

 

 いや。それはもう試した。

 この部屋の本は一通り読破済みで、ついでに二周目にも手をつけてある。

 手慰みに手記を綴ってみたこともあるが、それも費やせる時間は限られている。

 

 私の返答は、どうやらウィズにとって相当な衝撃だったらしい。目を丸くして私を見つめ、再び書棚に視線を移すと、小首を傾げながらぽつりと呟いた。

 

「えっ、あの量をもう読んだのですか? まだそんなに日は経ってないのに……ちょっと早すぎるような」

 

 そんな独り言が漏れていた。

 

 大袈裟な。

 私自身、読書に馴染みがあるわけではない。むしろ最初の頃は、随分のんびりと読み進めていたつもりだ。

 

 初めて手に取ったのは小説だった。慣れない行為に手こずり、読み終えるまでに朝食を平らげる程度の時間を要した。

 けれど、そこから徐々に慣れ、読む速度も自然と上がっていった。

 今では、あの頃の拙さと悠長さに、つい苦笑が漏れる程度には成長している。

 

 それとも何か? 私の読了ペースは、そんなに異常だったとでも?

 

 


 

 

【特技が生えてきた】

 異常だったらしい。

 

 順を追って記そう。

 ウィズが『余所から本を見繕って持ってきましょうか』と申し出てくれた。その好意に、ありがたく甘えることにした。

 そして早速、山のような本が私の部屋へ運び込まれた。――これが昨日の話である。

 

 明けて本日。

 前日に届いた分をすべて読み終えた私は、次のおかわりを所望した。すると、ウィズから予想外に激しいツッコミが入った。

 曰く、『あの量で一週間は保つと思っていた』とのこと。

 確かに、昨日も彼女は似たようなことを言っていた記憶がある。

 とはいえ、蓋を開けてみれば読了には半日もかからなかった。私自身、そのズレには若干の違和感を覚えていた。

 

 というわけで、実際の様子を検証することになった。

 ウィズの目前で私が手に取ったのは『暴れん坊ロード』――痴呆気味の元君主が、介護係の二人を引き連れ、世直しを掲げて領内を徘徊するという物語。その第一巻だ。

 

 この一冊を私が読了するのに要した時間は――僅か数秒。

 コップ一杯の水を一気に飲み干すのと、ほとんど変わりない。

 

 傍から見れば、私はただパラパラとページをめくっているだけに見えたらしい。

 とはいえ、内容にはきちんと目を通している。

 ウィズがストーリーに関するあれこれを尋ねてきたが、どのページの何行目にどんな文言があったか――それすらも正確に答えたことで、彼女は感心を通り越して呆気に取られた。

 

 例えるなら、畑で育つはずのサンマが、突如として大海原を回遊しているのを目撃したような顔だった。

 ウィズの中に築かれていた常識が、派手に崩壊した瞬間である。

 

 ちなみに、これでも私の速読速度はなお上昇中だったりする。

 もっとも、ページをめくる手が追いつかず、動体視力にも限界がありそうなので、そろそろ頭打ちかもしれないが。

 

 


 

 

【見通す悪魔と手記】

 魔王軍の幹部にして、地獄の公爵。

 魔王より強いかもしれないと評判の大悪魔、バニル。

 

 悪魔とは、主に人間の悪感情を糧とする生き物だ。

 ただしその好みには個体差がある。バニルの場合、残念に思う気持ちや羞恥心を殊に好むらしい。

 この嗜好故に、この悪魔は人間に危害を加えない。悪感情を生み出す対象が減れば、それだけ食糧が減少するからだ。

 精々からかって苛立たせる程度で、直接的な害はない――と、本人及びその友人であるウィズは主張している。

 

 だが、つい先日目撃した、見るも無惨なベルディアの悲劇を思い返すと。

 ……言うほど無害か?

 

 バニルは『見通す悪魔』の異名を持つ。

 この世の万象を見通すと自称するその力は、伊達ではない。

 未来予知に等しい特異な能力で、他者の思考はおろか、過去や未来の出来事すら手に取るように読み取る。

 私が芝居を仕掛けようとして失敗したのも、この異能のなせる業だ。

 

 さて。ここでひとつ、素朴な疑問が湧く。

 その能力で、私の失われた記憶も掘り起こせるのではないか?

 

 結論から言う。無理だった。

 奇妙な話だが、私の脳には、そもそも記憶というデータが物理的に存在していない。

 思い出せないのではなく、最初から無いのだ。

 これは単なる失念ではない。タイムスリップに際し、過去の記憶を丸ごと未来に置き去ってきた、というわけである。

 

 ……森羅万象を見通す悪魔をもってしても太刀打ちできないとは。ウィズもまた、とんでもない魔道具を発掘してきたものだ。

 もっとも、あまり皮肉を言うと、使用者である私自身にブーメランが刺さる。この辺りで筆を収めておこう。

 

 視点を変えてみる。

 記憶という内的情報にアクセスできなくとも、私が歩んできた出来事の軌跡を辿ることで、過去を追えるかもしれない。

 が、これにも複数の困難が立ちはだかっている。

 

 第一に、私が元いた未来が、現在の時間軸からあまりにも遠い。

 しかもそこは、私が魔王城へ来なかった可能性――言わば平行世界としての未来。

 バニルが見通すべきは、そんな不確かな未来の、遥か彼方だ。

 ダメ押しに、タイムスリップ直前の出来事に近づくほど、何らかの障害によって視界が妨げられるという。

 その何某かが邪魔で、見え辛いのだとか。

 

 この大悪魔、思ったよりも使えない。

 わざわざ見通してもらったというのに、私はため息まじりにバニルを見遣る。

 その瞬間、私の中に生じた落胆の悪感情を摂取したらしい。だがバニルは、なんとも言えない複雑な表情を浮かべていた。

 扱いが雑だし、今回の件は見通す悪魔の名折れでもある。プライドが傷ついたのだろう。

 

 それでも無理を押して、少しだけ追加で視てもらった。

 そうして得られたのは――いつかの朝か昼か夜か、あるいはおやつか深夜かに食したと思しき献立の情報。

 しかも、それが私の食事だったかどうかすら怪しく、当時近くにいた赤の他人の献立という可能性もあるという。

 

 それはもう、限りなく無意味な情報では?

 ちなみにメニューは、カエルの唐揚げ定食とシャワシャワ。

 

 今回手を貸してくれたのは、先日バニルの悪感情収集を手伝ったことへの、ささやかな謝礼らしい。

 その言葉に脳裏をよぎるのは――完全に私の演技に騙され、精神を粉砕されたベルディアの姿。

 とはいえ、あれはあくまで純朴な少女とベルディアの二人が、バニルに振り回された末の悲劇。私はむしろ、被害者の立場だ。

 表向き、そういうことになっている。

 

 私は何も知らないという顔で首を傾げ、いかにも困惑した様子で誤魔化す。

 ただし、報酬はしっかり受け取る。

 何とも空虚で白々しい茶番である。

 

 


 

 

【求人案内が来た】

 ウィズにも聞かれたことだし、この機に改めて明言しておこう。

 元の時代に帰りたいか。その問いに対する、私の答えはノーだ。

 

 記憶は無い。郷愁を誘う品々も一切存在しない。そんな状態で望郷の念を抱けというほうが、無茶な話だろう。

 未知の未来より、多少なりとも縁があり、状況を把握できている今を選ぶ。私にとっては、ごく自然な帰結でしかない。

 強いて言うなら、この魔王城こそが、今の私にとっての故郷と呼べるかもしれない。

 ……かつての私が何を目論んで手記を使ったのか。そこは気になるところだが。

 

 閑話休題。

 今回のウィズの来訪は、新たな相談事があったからだった。

 今度開く魔道具店で、店員になってみないか。

 彼女はそんな風に、妙に緊張した面持ちで切り出してきた。

 

 ……正直、想定の範囲内だった。

 子供で、虚弱で、しかも現状の境遇にはウィズ自身も深く関わっている。

 彼女の性格上、そんな私を放っておけるはずもない。現に、日頃から私の様子を何かと気かけてくれている。

 

 ただ当の私はというと、魔族だらけのこの環境をさして気にも留めず、マイペースに日々を過ごしている。

 それをウィズも分かっているからか、彼女の言葉に切迫感は大して感じられなかった。

 

 もし彼女が見通す悪魔の友人でなければ、その罪悪感に付け込むことも吝かではなかったのだが。

 まあ、悪手なのが明らかだからやらないだけだ。

 それにしてもあの二人、善性の権化と畜生の体現者で水と油に見えるのに、どうして友人関係を築けているのか。不思議でならない。

 

 脱線した。話を戻そう。

 ウィズの誘いは予測していた。それでもなお、私はまだ返事を決めかねている。

 気心の知れた相手だ。選択肢としては悪くない。

 ただどうにも、彼女のあの商売センスが引っかかる。

 

 初めて出会った日のことが、未だに記憶にこびりついている。

 あのガラクタ手記を、目を輝かせて『素晴らしい逸品』と語っていた姿。

 当時は正気を疑ったし、どこか不気味にさえ感じた。……今となっては、単なる思い過ごしだったけれども。

 ただし、正気のままあれを絶賛できるというのも、それはそれで別の意味で尋常ではない。

 

 冷静に考えれば、そこまで疑うのは神経質すぎるし、言ってしまえば揚げ足取りだろう。

 仮に彼女が商才に乏しかったとしても、それだけがすべてではない。

 ウィズには他にも長所があり、それらは些細な欠点ひとつで帳消しになるようなものではない。

 

 ……それでも、やはり引っかかる。

 何がそこまで気になっているのか、自分でもよく分からないのだ。

 あえて言うなら勘、だろうか。

 

 ともあれ、今日のところは判断を保留することにした。

 ウィズには『また改めて』と伝えて、ひとまず引き取ってもらった。

 

 


 

 

【記憶にも色々あるらしい】

 またしても、ウィズが勧誘に来た――まではいいのだけど。

 なぜか、その横に仮面悪魔までくっついてきた。

 

 たかが人間の小娘一人を相手に、ノーライフキングと公爵級悪魔がタッグを組んで出陣。

 これはもう、あまりに由々しき事態だ。

 城の屈強な魔族たちですら、この組み合わせを前にすれば裸足で逃げ出すか、土下座して命乞いを始めるだろう。オーバーキルにもほどがある。

 

 私はわざとらしく顔をしかめてみせた。

 が、鬼畜仮面は無視を決め込み、ド天然リッチーに至っては気づきすらしなかった。

 用件を問い詰めるも、バニルはどこ吹く風といった態度で答えた。

 曰く、『友人から相談を受けたので、身の振り方に迷う若者の力になりに来た』とのこと。白々しいにもほどがある。

 

 この仮面は、そのような善意で動くタイプではない。付き合いが浅い私ですら、そのくらいの見極めはついている。

 私と同様、己の利のためなら他人を利用することに些かも躊躇しない。

 最低限の体裁は整えているものの、策謀の気配は隠す気もない。いっそ清々しい。

 まったく、実に友(・)人(・)思(・)い(・)な悪魔だ。

 

 ウィズはというと、多種多様な魔道具を取り出し、私の前にずらりと並べてきた。

 そして唐突に、『これらの鑑定をしてみてほしい』と言い出した。

 ちなみに、これらはバニルが事前に集めておいた品々だそうで。随分と用意周到なことだ。

 どうやら仕込みの段階で、既に私は後手に回っていたらしい。

 唐突かつ脈絡のない要求だな、と思いつつも、とりあえず試してみることにした。

 

 ……できてしまった。

 

 慣れない作業ではあったが、それでも私は、魔道具の性質を的確に読み取った。

 例の手記に比べて、造りが簡素だったのも大きいだろう。

 私の成果を見て、ウィズとバニルはやはりと言わんばかりに頷いた。

 

 私は然程意識せずにやってのけたが、魔道具の鑑定とは、専門知識なしにこなせるような技術ではない。

 つまり、私が魔道具に関する知識を備えていることを、ウィズは最初から見抜いていたのだ。

 きっかけは、私があの手記に初めて触れた時だったらしい。

 無意識のうちに、その構造や性質を解析しようとしていた私の様子を見て、彼女は確信したのだという。

 

 すなわち、私は魔道具店の店員として極めて有望だと、彼女は主張している。

 ウィズの中では、返答を保留しているのは職務に対する不安が理由、ということになっているらしい。

 

 さて、話は変わるが。

 これまで私は『記憶喪失』とひと括りにしていたけれど、実際はもう少し複雑な話らしい。

 バニルによれば、私が失ったのは『思い出』に関する記憶だけで、知識や技能といった情報は、脳にしっかり残っているという。

 

 確かに私は今、読み書きもできるし、会話にも支障がない。

 要するに経験則として身につけたものは、きっかけさえあれば引き出せるということだ。

 今は家族の名前すら思い出せないけれど、ある日ふと、その一部を思い出すこともあるかもしれない。そんな話だった。

 

 こうしてみると記憶というものは、随分枝分かれの多い、入り組んだ構造をしているようだ。

 もしこれらの記憶もすべて消えていたら、私は今頃赤子同然の存在だったかもしれない。それはそれで、中々に恐ろしい話だ。

 

 さて、二人が退室しようとする間際。

 ちらりとこちらを振り返ったバニルは、『せっかく高いポテンシャルがあるのだから、それを活かせば良い』と言い残した。胸中を見透かしたように、呆れた様子で。

 

 あの悪魔が何かを企んでいるのは、間違いない。

 だがその意図は、少なくとも私を陥れるような害意とは異なるように思える。

 むしろ、まだ自覚しきれていない私の能力を見込んで、いち早く囲い込もうとしている。そんな印象さえ受けた。

 

 


 

 

【就職内定しました】

 魔道具店の件だが、結局、誘いを受けることにした。

 

 そんな次第で、私は晴れて店員の肩書きを獲得した。

 とはいえ当面は待機だ。やることがない。というのも、肝心の店舗がまだない。

 ウィズによると、現在進行形で物件探しの真っ最中らしい。それが片付くまではこちらも手持ち無沙汰、というわけだ。

 

 商才への不安で及び腰になっていたことは、今はもう棚に上げにした。

 少なくとも、それ以外に明確な難は見当たらない。

 性根は善良、魔道具の見識も申し分ない。むしろ当たりの部類だ。

 合理的に考えれば、多少の瑕疵があったとしても、十分に目を瞑れる範囲だろう。

 

 ……なのに、胸の奥に引っかかりが残る。

 何かを見落としている。そんな予感が拭えない。

 

 例えばウィズの商才のなさが、私の想定を遥かに上回っていたとか?

 だがそれならそれで、どこかの時点で本人も限界を悟って身を引くだろう。そこまでのこととは思えない。

 もしも異次元級のポンコツっぷりを欠片も自覚せず、今日まで邁進してきたのだとしたら。

 それはもう、私の理解を超えている。シンプルに頭がおかしい。

 

 そんな突飛な仮定まで視野に入れるのは、もはや疑心暗鬼の域だ。

 天から隕石が降ってくるかもと、大真面目に憂うのと大差ない。




・タイムスリップの魔道具
モチーフはドラクエの冒険の書。

・恐怖の大王
異世界ゴキブリ。『恐怖の大王』は恐らく種族名。
一匹でも殺すと、その日の夜に集団で逆襲する恐るべき習性を持っている。

・暴れん坊ロード
『爆焔』一巻より。水戸黄門と暴れん坊将軍のオマージュと思われる。
暴れん坊ロードの第一巻は、乱心して領地ごと根切りにしようとする痴呆老人の脅威に、悪徳領主と村人達が確執を乗り越えて一致団結。撃退して仲直りするというストーリー。
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