とある魔道具店店員の手記 作:シュワシュワ
【新規アルバイターの雇い入れ】
バニルが討伐された。
またしても、例によって例のパーティーが立役者だ。
キールのダンジョンにて俄に出没するようになった謎のモンスター――バニル人形。
これを調査するためにと、他多数の冒険者と共に赴いたところでバッタリ出会した。そこから戦闘へなだれ込んで決着するに至る。
バニル本人からの伝聞なので、情報ソースには疑う余地がない。
悪魔族には残機と呼ばれる特有の体質がある。早い話が死んでも復活するのだ。死ねばそれまでの人間からすると、こういう場合はまったくもってややこしい。
そこは横に置くとして。
この討伐への貢献が認められ、晴れてサトウカズマの身の潔白は証明された。
彼に課せられていた、嫌疑を解くための課題は二点ある。
一つは、魔王の手の者ではないことの証明。もう一つは領主の屋敷の弁償。
魔王軍幹部バニルを討ち取ったことで、スパイ疑惑は解消。
加えて、バニルに懸かっていた多額の賞金も入手。弁償金はおろか、アクアが仕出かした洪水被害分の返済目処も立った。
これは、彼を店の経営のキーマンと位置づけるバニルにとっても悪い流れではない。
その仮面悪魔も、前々から辞めたがっていた幹部の役職からこの度解放された。一度死亡した段階で、魔王と結んでいたその辺の契約が強制解除のだ。
そういうことであるから、これまでのしがらみを捨て去り、以降バニルは自らの夢のため当店で働くことに邁進できるようになったのである。
めでたしめでたし。
なるほど。
これはまた随分と、仮面悪魔にとって都合のいい結末で落着している。
上述の変化はすべて、バニル討伐を起点に発生した事象だ。もっと遡ると、ダンジョンに引きこもって仮面人形を量産したことが契機。
換言するなら、一連の出来事のイニシアチブはバニルにあった。
リターンに対して失ったものは、山ほど溜め込んでいる残機のうちひとつのみ。石ひとつを投じてたくさんの鳥をボトボトと落とすような、多大な成果を上げている。
有り体に言って、見通す悪魔にとってこの顛末は予定調和だったのではと私は訝しんでいる。
どこまでがそうかは不明だし、今となってはあえて問い詰める意味もない。まともな回答が得られるかはどの道怪しい。
恐らくは、すべてが思惑通りだったわけでもあるまい。
話し振りからは、少なくともドM騎士の性癖にはかの地獄の公爵でさえ相当に振り回されたのが伝わってきた。
ともかく真相は重要ではない。
それより着目すべきは、本日よりウィズ魔道具店に勤労意欲旺盛なバイト仮面が新たに加わったことであろう。
だいぶ良くはなったものの、ウィズの復調にはもう暫し掛かりそうな具合。そんな次第であるから、新人への研修等は私の役目だ。
見通す悪魔に必要かは若干懐疑的だけども。
【スパイ疑惑の正式撤回並びに借金返済の完遂、誠におめでとうございます】
サトウカズマより、私が魔王軍のスパイではないかと疑われてしまった。
彼の内心を見通したフリーダムな大悪魔が、出し抜けにこれを暴露してきた。
本人を前にして行われた突然の暴挙に、カズマは慌てふためいた。
もっとも指摘されるまでもなく、態度を観察する中でそんな彼の心中はとっくに見透かしていたが。今さら過ぎる。
ウィズの友人を討伐したと打ち明けねばならない罪悪感から重い足取りで現れ、だがその悪魔本人より盛大におちょくられての出迎えを受けたダクネス共々、酷い死体蹴りだった。
残機制について知らなかったそうな。悲しい事件である。
それはさておいて。
彼が私に疑念を持ったのはそれなりに根拠あってのこと。
ダクネスの私に対する異常な反応、めぐみんから聞いた話など、端から怪しむだけの下地は多少あった。
また最も私と近しい人物はウィズとバニル。どちらも魔王軍だ。
これに付け足すダメ押しが、先頃私が行ったレクチャー。
ドレインタッチ習得のいきさつを誤魔化すために、嘘を感知するベルの仕様を逆手にとる『嘘を吐かずに相手を騙すためのテクニック講座・初級編』を彼に教授した。
真っ当に生きる人なら、知悉してるはずのない知識。そんなものに精通する人はいかがわし過ぎる。
そこに自身がスパイと疑われていた経緯が重なり、実は私が魔王軍関係者ではないかとの着想を得たとか。
なるほど。彼の立場に立って俯瞰してみれば、不審に思うだけの要素はある。
だが、大ハズレだ。
今にして振り返ると自分でも意外に感じるが、私は魔王軍には属してない。どころか、日頃は世のため人のためになる行いをしている。
社会に貢献していることを私が力説すると、ウィズが怪物を見る信じ難い目で凝視してきた。
ふと、ドネリー家にお家騒動の火種を撒いて着火した件が脳裏を過る。だがあれは善行故、きっと無関係に違いない。
そんな彼女の様子を察知したカズマからも疑わし気なジト目を頂戴するも、スパイ疑惑そのものは同僚二名の後押しで最終的には払拭。
現行の品行方正系キャラロールに関してはとうに限界。そっちはもう見切りをつけた。
別に、現状はまだまだこちらの想定範囲内なのだ。むしろ今日までよく保った。
店と私を取り巻く環境は、半年前と比べると激変した。バニルの加入は、時宜を得たとの見方もできる。
これを転換期と受け止めて、次へと切り替える頃合いか。
【もちろんダメでした】
神妙顔のウィズが、図書館で借りてきたエリス教関連の本を私に手渡してきた。
神の理に逆らうアンデッドの分際で宗教にドハマりした、というわけではない。エリス教の教えを通して私に人並みの道徳観を身につけさせようとの試みらしい。
昔から時たまあるが、またのようだ。いい加減諦めたらいいのに。
此度はエリス教を教材に選んだ模様。
私自身、倫理感ゆるキャラな自覚はある。
周囲の印象をどう操るか、常に頭の片隅に置いて振る舞うからこそ、自らの異端性は他者を鏡とすることで容易に察せる。
対人関係でさして躓かなかった所以もそこにある。
これはウィズ相手でも変わらない。
彼女の良識が許容できるラインはしっかり見極めている。そこを基準に仕事のストレス発散の捌け口は悪人に絞って、善人には手出ししてない。
思うに、彼女が称賛されて然るべき最大の功績は私を放り出さなかった点にある。
もしそうなっていれば、ウィズという外付け良心回路を失くした私は効率最優先で動いた。
善悪のしがらみから解き放たれて全力を発揮できるようになり、世に大変な混乱を振り撒いたはず。
なお、仮に今すぐ私を放流したとしても同様の現象が起きる。
以上の話はウィズも承知。だからこそ、真人間に育てようと未だ足掻いているのだが。
さておき、エリス教とは。これはどうしたものだろうか。
神の救いに関心がないのを抜きにしても、清貧や協調を尊ぶエリス教は水が合わない。周りがどうなろうと私の知ったことではない。
普段私がエリス教的価値観に適う言動を心がけているのは、そこに世間や社会を味方につけるメリットがあるからだ。
教義的には、利己的なアクシズ教のほうがまだマシなくらいだ。
悪魔やアンデッドへの敵視を止めて、犯罪行為を戒める教えを撤回してくれると尚良い。信者の人となりは最悪だし、入信は万に一つも有り得ないけど。
持ち前の速読技能でサッと本に目を通し終えると、ウィズから問われた。
質問。店に商人崩れの詐欺師が訪ねてきて、悪質な手口で強引に契約を結ばせようとします。あなたならどう対応しますか?
何だか嫌に具体的な例題だった。
あれはまだウィズが寝込んでいた時期。
他所から流れてきた商人崩れの詐欺グループを逆にだまくらかし、金品を巻き上げ、身柄をさる貴族女性へ売り払ったことがある。そのことと無関係とは思えない。
売り払ったと言えど名目上は紹介料。人身売買ではない――ことになっている。
相手方は趣味で描いている絵画のモデルを欲しただけ。聞くに衣食住完備、犯罪者の更生にも熱心とか。
なので、待遇面での懸念は――ちょっとしか無い。
ちなみに、現在制作中の絵のテーマは男性同士の恋愛だそうだ。それも結構生々しいやつ。というより、それを専門にする絵師だと私は聞き及んでいる。
話を戻す。
問いかけにはこう答えた。
店の爆発ポーションに故意に触らせて詐欺師を撃退しよう。その上で、慰謝料もしっかり請求する。不良在庫は処分できるし、貯金箱からお金も徴収できる。一挙両得の案だ。
危険? 命に関わる?
蘇生魔法の使い手がこの街にはいるだろう。一度だけなら、死は状態異常の一種に過ぎない。
怪我については商品棚の治療用ポーションで癒やせば良い。……商品代、手間賃はキッチリ請求するけど。
エリス教に沿って述べるなら。
人道に外れた詐欺師にエリス様が天罰を与え、しかしそれでも慈悲を与えた。と解釈できなくもないような。気がする。多分。
人は大きな決断をする際、一人では勇気が足りず、あとひと押し誰かに背中を押して欲しいときがある。これを機に自らの悪行を悔い改め、やはり悪いことはできないと身に染みて理解し足を洗ってくれるだろう。
つまり私は女神様の威光の元、犯罪者を正道へと導くお手伝いをしたことになる。
利益を追求する商売人的にも。エリス教の教義的にも。
咄嗟に閃いたにしては、そこそこいい線行ってるのではないだろうか。
【みんなでランチ】
このところ街で頻発する怪事件は、バニルが犯人だったようだ。
宿に泊まる冒険者が、人々が寝静まる夜中に悲鳴を上げて宿泊客らを困らせる。そんな奇怪な事件が相次いでいる。
当事者を聴取しても悪夢を見た、と口を揃えたかのように同じ供述しか得られない。
被害者の名前、場所、時間帯、等々。
これらを見比べて、被害者には直前にサキュバスの店へと足を運んだ共通点があるのを私は見出した。
そこからバニルへ疑惑の目を向けたのに、さしたる根拠はない。
サキュバスには悪夢を見せる動機が無い。
街では新参のバニルが、悪魔の誼でサキュバスと取引をして、裏で通じているのでは。
アクセルでは未発見のモンスター、ナイトメアが実は夢に干渉していた。これよりかはまだ現実味がある。それだけだったのだ。
ところがいざバニルに話を振ると、この稚拙な推理はあっさり肯定された。隠し立てする気がまるで無かった。
当人の談によると、胸を高鳴らせて待ち構える男冒険者らの枕元へとサキュバスに化けて忍び寄り、いい感じにムードが出来上がったところで正体を明かす。これで悪感情を搾取しまくってるという。
彼らはギルドにも泣きつけない。口を噤むしかない。
いや別に、こちらの関知してない策謀等でないのなら私としては一向に構わないのだ。気がかりはそこだったので。
悪魔の夜食事情はどうでもいい。
だがそれならいっそ、サキュバス喫茶店のトップにバニルが君臨してくれると有り難い。
密かにアクセルに巣食う淫魔は、表向きは至って平凡な飲食店を営んでいる。
ただし裏では能力を駆使して淫らな夢を見せ、その対価に精気を貰うサービスを行っている、らしい。
地道な調査の積み重ねでやっと実態を掴めた。
男衆とは持ちつ持たれつの関係を築いており、女性へのガードが異様に堅い。おかげでとても苦労させられた。
私としては小悪魔の首根っこを押さえて、男冒険者を間接的に支配できないかと企んでいる。息抜きなので大それた真意は特に無い。
現に一度、手駒の貴族を動かして店のオーナーに据えようと仕掛けた。
だが失敗した。
事業を他の街へと広げる橋渡しを約束して、先方も大きな恩恵を享受できる提案だった。それでも無理だった。
しくじったのは、貴族が人間だったから。
ぽっと出の、人間風情の飼い犬となるのを悪魔のプライドが拒んだ。最後は半端に事情を耳に挟んだ男連中がキレて、特攻を仕掛け、貴族がボコボコにされた。本当に散々だった。
話を戻して。
サキュバスの上に立ってほしいとの私の願いは退けられた。協力する利をバニルに示せなかったためだ。
本腰を入れれば私一人でどうとでもなる。だが直に店のタスクが増えて忙殺されるはずだ。一旦後回しとしよう。
その後、非常に珍しくもバニルより食事のお誘いを受けた。
ウィズにもこれを伝え、魔道具店一同で喫茶店へお邪魔と相成る。……サキュバスが根城とするあの店に。
私とウィズ、女二人が突如来店したのに店内が凍りつく。数拍置いて、見られてはよほど不都合なのか、男性客が狼狽しつつも手元の何らかの紙を大急ぎで隠す。
そんな連中にバニルがウキウキと絡んだ。わざとらしく用紙を覗き込む、内容を大声で読み上げる素振りをみせるとやりたい放題。
この店へ私たちを連れてきた狙いが何なのか、もはや問いただすまでもない。
あと、店員らのバニルへの熱視線が凄い。見事に憧憬一色で染まっていた。通常なら悪ふざけで店から叩き出されて然るべきところを、誰も咎める気配がない。
室内はただならぬ様相を呈した。
が、これらの一切合切をド天然リッチーはスルー。というより素で気づいていない。ウェイトレスを呼びつけて平然と注文していた。
私もこれに倣った。
私たち三人は食事を堪能して、その後は普通に帰った。無論、バニルのみ食事の意味合いが異なる。
【四ヶ月】
サトウカズマがアクセルにやって来てからの経過日数だ。
彼以後、今日に至るまで新しい勇者候補は一人も出現していない。
勇者候補の背後に何らかの大きな力が働いているのは、情報を精査すれば自明の理。だが私は肝心の背景については、何も知らない。故に、この情勢の変動の意を掴みかねる。
少なくとも私の知る限り、出現間隔がここまで開いた前例は無い。
ただし間隔は元よりまちまち。どこか不規則を思わせる感があった。なので今回が偶々長引いているだけの線もあるが……。
【受難の始まりが垣間見えるような】
ギルド職員の知人であるルナに声をかけられ、酒盛りに付き合ってきた。
これはかなり珍しい。
付き合い自体はそれなりに長い。ただ、取り立てて親しい間柄とは言い難い。関係性を言い表すのなら、精々が仕事仲間だろう。プライベート上での交流は然程無い。
特段不仲で避けているのではなく、単純に接点が薄い。
彼女は、如何にも遊んでそうな大胆な衣装を好んで着飾るものの、性格は実直かつ真面目。貧乏くじを引きやすいタイプだ。休暇が得られず、いつも仕事に奔走している。あくまで魔道具店が本業な私とは大して縁が無い。
そんな彼女はストレスを溜め込んでいる。特に近頃など、酒に逃げないとやってられない有り様とか。
これにはまず、彼女が個人的に抱えている将来への漠然とした不安が要因としてある。
率直に述べると、このままでは行き遅れるのではと焦っている。
新人が入ってもすぐ他の同僚が寿退社するから人員が増えず、人員が増えないから業務分担も減らない。仕事に打ち込むと出会いのきっかけが無い。すると今度は後輩が結婚し、一層焦燥が募るという悪循環。
それなら、討伐報酬で懐の暖かくなった冒険者から適当に優良物件を見繕って――紳士で大人な男性が好みと?
いや、無茶でしょうそれは。
無法者がスタンダードの冒険者で、その期待は高望みが過ぎる。
なおルナは、私を同じ境遇の同士と見做して勝手に仲間意識を抱いている。愚痴を聞いている最中に発覚した。
初耳だ。急接近してきたワケが、どうやらこれらしかった。
歳が近い。雇用主のせいで仕事は常にハードモード。男の影も無し。
なるほど、確かに共通項が多い。
ただ、私が男を作らないのには確固たる理由があるので、一方的に同類認定されてもリアクションに困るというか……。
他にも、この頃は冒険者が引き起こすトラブルへの対処で慌ただしい。
件数が増加傾向で、性質も多様化しつつある。
早くも街の名物として定着したカズマパーティーが主な元凶。ただし、その他の冒険者も決して大人しくはない。
冒険者とは元来荒くれ者。揉め事など日常茶飯事だ。
ほぼ毎日、暴力騒ぎを起こす爆裂娘はさすがに論外としても。酒が入って気が大きくなり、些細な諍いを発端に私闘へと発展するくらいはよくある。
そんな彼らが目も眩むような大金を得て、生活にゆとりが出た。
冬季という休業期とも相まって暇となり、これまで無縁だった金持ち御用達の高級店へと足を延ばした。
冒険者の扱いに慣れている店とは事情が違う。
貴族、裕福層をターゲットとする店舗は、チンピラと紙一重な集団をお客様として迎え入れるノウハウなど持ち合わせていない。
かくして成金共の活動範囲拡大と比例して、ギルドには地元民からの多種多様な苦情が寄せられるようになったのだ。
そんなわけではあるけれど。今からそんな調子で大丈夫なのか。
冬は冒険者業のお休み期間だから、まだいい。
ただ身を粉にして働かずとも当面遊んで暮らせる連中が、このまま怠惰に春まで過ごして冒険者としてのモチベーションを保ち続けられるのか。甚だ疑問だ。
一流冒険者が、実力相応の大金を手にしたのとはワケが違う。駆け出しにとって、この臨時収入は降って湧いたあぶく銭。
ギルドには例年通りのクエスト消化ペースを維持する責務がある。
バニルではないが、遠くない未来、舞い込むクレームを捌きつつ、冒険者を働かせようと全職員が四苦八苦する羽目になると予言する。
要はメチャクチャ忙しくなる。
私はたまにバイトで入るだけの身。対岸の火事として見物させてもらう。
【楽しい焼き肉パーティー】
お腹を空かせたウィズの眼前で焼き肉を作り始めた見通す悪魔の口から、しれっと重大情報が飛び出した。
今からおおよそ一年ぐらい前。
私とウィズの二人で出掛けたドリスの温泉旅行から帰還した頃くらいから、私は自らの身体の調子の変調を自覚し始めた。
が、美味しそうな肉をウィズの間近でわざとらしく見せびらかすバニルの証言によると、これはそもそも前提が間違っているとのこと。
私は、あるときを境に急に調子が良くなったものと受け止めた。
しかし実際はそうではなく、これまで慢性的な不調だったのがようやく平常に戻っただけとか。
これを引き起こしたトリガーは、ドリスよりも前、紅魔の里へ出向いた折でのとある場面。
なぜそれがトリガーとして成立したか、道理はバニルにも分からない。手がかりは消失した私の記憶の中にしかなく、それが見通せない。
それはそれとして、何となくの推論は立ってるらしいけど。
私はよそって貰った焼き肉を、物欲しげにするウィズを無視して食しながら傾聴を続ける。
私の不調――軽い衰弱は、タイムスリップで魔王城に現れたときには既に症状が見られた。
今まで無自覚だったのは当然だ。最初からそうだったのだから。
弱ったその状態を、正常なものと無意識に思い込んだ。だからそれが消えると、調子が良くなったと見当違いな発想へ行き着く。
衰弱は病気、呪い、魔道具のいずれによるものでもない。
心因性。つまるところ、心に原因がある。それも今の私が認識していない、記憶喪失より以前の未来に。
バニルの推測では、記憶喪失前の私は肉体に悪影響が及ぶほど精神面での深刻な問題を抱えていて、しかも悪化の一途を辿っていた。それが時間移動に伴いメンタルが一度リセットされたことで停滞する。
記憶喪失は、案外そちらのデメリットこそが目当てだったのかもしれない。
指をくわえて付近をウロウロするウィズの腹の虫をミュージックに、どうして焼き肉をチョイスしたのか私は遅ればせながら解する。
肉を焼く音と香りで、ウィズの空腹を刺激する意図か。
この手の純粋な嫌がらせは、やや不得意。私よりもバニルに分がある。最近はカズマという学習教材も増えたけど道のりは険しい。
では、紅魔の里で私に訪れたというトリガーとは何だったのか?
この質問に、しかしバニルは回答を拒否した。
「フハハ。そう、それだ! あと少しで答えを得られると思ってお預けを食らった悪感情、なかなかに美味である。懇切丁寧に教えてやった甲斐があったわ! 汝は感情の起伏が小さい故、人間のくせして悪感情がイマイチなのが不満であったが。やれば出来るではないか!」
この邪悪な仮面をどうしてくれようか。
物乞いよろしく人間から悪感情のおこぼれを恵んでもらって辛うじて生存しているだけの残飯に集る害虫を、どう駆除したものか私は検討を始めた。
冒険者ギルドに指名依頼を出して、アクアに退治してもらうか?
しかし賢い私は、さらに手っ取り早い手段がすぐ側に転がっているのに気がつく。
傍らには私と同じく、目の前でお預けを食らって飢えた店長が。腹ぺこでイライラする獰猛なアンデッドを言葉巧みに唆し、極悪悪魔へとけしかけることにした。
食べ物の恨みは怖い。
【紅魔族?】
一昨日。冬将軍がご乱心なのか急激に冷え込み今年一番の大雪が降り積もる。
昨日。一転して気温が上昇。ご近所の除雪作業で、大いに面目を施した謎の仮面紳士がマダムから黄色い声援を浴びた。
他方、激しい寒暖差で私は体調を崩し丸一日を寝て過ごした。
そうして復調した今日。
心配をかけたご近所に顔を出しつつ、集った主婦層に混じってとりとめのない話に興じた。
噂話もお喋りも大好きな奥様方の井戸端ネットワークは、存外侮れないものがある。
昨日ダウンしていた私は、その間街で何があったか把握できてない。この集まりは、それを得る取っ掛かりとしてちょうど良かった。
とは言っても、昨日は何かしら特別な日だったわけではない。
だからこそ、私は呑気に構えていたが。
そこに、魔法使いの女の子が雪山で魔法を放って、それで生じた雪崩に飲み込まれて遭難したという爆弾ネタがぶち込まれた。救助のため捜索隊が急遽組まれる騒ぎになったとか。
めぐみんが雪山で爆裂魔法を使ったらしい。私は秒で悟った。むしろそれ以外の該当者が思い当たらない。
一日一回トラブルのノルマを達成しないと気が済まないのだろうか、あの連中。
とりあえず行方不明者は無事に見つかって、今は別段健康上の問題も無いという。
捜索費用で数百万が消し飛んだというから、金銭面はまったく無事でないかもしれないが。
判明した一大事の詳細はこんなところ。
なのだけどそれとは別に、話の最中、奥様方の一人より奇妙な指摘を受けた。
私の目が、一瞬光って見えたという。
生まれてこの方、初めて言われた。光の加減から偶然そう映って見えただけ――のはず。少なくとも、主張した彼女自身は首を傾げながらもそう付け加えている。
言うまでもなく、人の眼球に発光機能なんてものは無い。
世の中には不可思議な生き物が数多いるものの、私の知る限りアクセルの街で上記に当て嵌まる生物は、薄暗い空間にいる猫、バニル、感情が昂ぶった紅魔族くらい。
タイミングとしては遭難の話題で、被害者の正体に私が目星をつけた直後のようだ。
目撃者は一人のみ。光って見えたのはほんの僅かな間に過ぎなかったらしく、その間私の目元を注視した他の人はいない。
微妙だ。これが複数人なら、事実と仮定してより真剣に向き合わざるを得なかったけど。
ひとまずその約一名には、眼精疲労かもしれないと目薬を勧めておいた。
書類仕事のお供として入用なので、私も常時持ち歩いている。これがまた、ちょっとした小芝居アイテムにもなって有用なのだ。例えば、いざというときの嘘泣き用の小道具にも――いや、話が逸れた。
遭難しためぐみんのお見舞いに行くか迷ったものの、よくよく考えると私自身も病み上がり。自重しておいた。
一歩誤ると、自力で店に帰れなくなった病人が屋敷に一名追加されてしまう。その後、性悪仮面が笑い転げながら煽ってくるであろうことまで容易く予想がつく。
・めぐみんの雪山遭難
Web版では、五百万の捜索費用が掛かった。
書籍版でもよりみち一巻『アクセルの爆裂探偵』において言及があるので、事件そのものは起きたらしい。