とある魔道具店店員の手記 作:シュワシュワ
【共食いについて】
食事中に起きた、ちょっとした出来事をひとつ書き留めておこう。
まず前提として、私の食事は部屋まで届けてもらっている。
給仕の役目を担うのは大抵お節介焼きのウィズだが、この時は例外だった。
盆を携えて現れたのは、近頃顔を合わせる機会が増え、ウィズに次ぐ配膳係の座を暗黙のうちに得つつある馴染みのミノタウロスである。
今さら改まるような間柄でもない。食事中も軽く言葉を交わしつつ、穏やかな時間を過ごしていた。
そんな折、ふと気になることがあって、私は自然な調子で尋ねてみた。
この肉料理、恐らく魔王城で初めて口にする種類だと思うのだが、一体何の肉を使っているのか、と。
『ああ、それなら……』と、ミノタウロスは返しかけたが、言葉の続きを飲み込み、不意に沈黙した。
牛頭の表情は読み取り難いが、何やら悪戯めいた気配が
人間の肉だ、と。
その言葉の意味が脳裏に浸透するまで、室内には短い静寂が流れた。
けれど私は、なるほどとだけ頷き、それ以上詮索もせず、何事もなかったかのようにナイフとフォークを動かし始めた。
すると、ミノタウロスが目に見えて狼狽した。心の距離が明らかに遠のいた。
食事を続けようとする私に、当の本人が慌てふためき始める。
「いや、人間の肉だって言ってるだろ!? 待て、その食器を置け! というか、まず食うのを止めろ!」
おおよそ、そんな悲鳴混じりの説得が飛んできた。
仕方なく私はナイフを皿に戻し、やや芝居がかった仕草で深々と嘆息を漏らす。
そして少々うんざりした口調で、苦言を呈した。
そういう、反応に困る類いの冗談はやめてほしい。聞かされた方が迷惑する。
この皮肉めいた返答を、彼はどうやらブラックジョークに対する意趣返しと受け取ったらしい。
疑念が晴れるや、あからさまに肩の力を抜き、『危うく頭のおかしい小娘と誤解するところだった』と胸を撫で下ろす。
不快に思うどころか、むしろ安堵していた。
――私はその様子を、じっと観察していた。
屠殺場の家畜を見るような、無機質な眼差しで。
なるほど。人間が人間の肉を口にするというのは、倫理的に余程重大な禁忌に触れる行為なのだろう。
記憶と共に常識も幾分抜け落ちた私は、そのことを微塵も理解していなかった。
魔王城には人肉を好む魔族もいるし、読んだ書物にもそれらしき記述は見当たらない。
あるいはあまりに当然すぎて、わざわざ書くまでもなかっただけかもしれない。
いやはや、危ないところだった。
今回は咄嗟の機転で取り繕えたから良かったものを。何か企んでいる気配は感じていたが、まさかそんな方向性とは思いもしなかった。
せっかく築いてきた私という人物像に、こんな些細なことでヒビが入っては堪らない。危うく悪評が城内を駆け巡るところだった。
念のため言っておくが、私にはその手の嗜好は一切ない。
ただ、ミノタウロスの言葉に特別な引っかかりがなかった。それだけである。
なお、
つまり、私が食べたのはただのビーフステーキである。
ミノタウロスに牛肉を運ばせるなどというややこしい采配は、ちょっとどうかと思う。
【コネ作りの話】
本日は、城に勤める魔族たちと友好関係を築くべく、交流の場を設けることにした。
これは将来的な展望を見据えた、言わば布石の一手でもある。
私の就職先は魔道具店。役職は店員だ。
とはいえ開店の目処すら立っておらず、現状はまだ店舗を押さえる段階と耳にしている。
この点において、私が即戦力として貢献できることはない。
しかしだからといって、何もせず時間を空費するのは建設的とは言えない。
商人という立場について、私自身の来歴からして精通しているとは到底言い難い。
ただ、人から話を聞き、本を読み、断片的ながらその輪郭を掴むことはできた。
それが表層的な理解に過ぎなかったとしても、だ。
それらを踏まえ、現在の自分にできることは何かと考えた末に、魔王城に集う魔族たちと縁を結ぶことを思いついた。
聞くところによれば、魔王城勤めは、魔王軍においてエリートの待遇とされているらしい。
彼らと交友を深めておけば、将来的に顧客として繋がる可能性もゼロではないし、販路拡張や情報面での優位にも資するやもしれない。
そう判断した私は、この日をコネクション作りに費やすことにした。
最近は店のことで忙しげなウィズを見送り、私も単独で行動を開始する。
もちろん、これはあくまで私自身の裁量による自発的な活動だ。
他の案件に忙殺されている彼女を、私の都合で引き留める理由はどこにもない。合理的に考えても。
ゆったりとした歩調で廊下を進む。
自分の貧弱っぷりは、さすがに痛いほど自覚している。
体力配分を誤って倒れるなどという無様は、もう二度と繰り返すまい。
そんな風に歩いていると、ちょうどよく
言葉巧みに言い
最近の私は、警備の巡回スケジュールを断片的に把握しつつある。
逆に言えば断片的にしか把握できていないのは、私の活動範囲が極端に狭く、城の構造をロクに知らないからだ。
過程はさておき、成果としては好調な滑り出しだった。
まずは好感度の獲得から。店の宣伝などは一切しない。
重要なのは、彼らの記憶に私という存在を刻むこと。話を進めるのはあくまでその後。焦らず、じっくりと腰を据えていく。
余計な欲は出さず、まずは仲良くなることに全振りする。
ところで、談笑の最中に人間という種族についての話題が上がった。
他の人間について私は詳しく知らないが、魔族たちの話を聞く限り、中々に業の深い生き物らしい。
同族を騙し、搾取し、裏切り、果ては殺し合う。
やりたい放題だ。利己のためなら、同胞を陥れることすら良しとするとは。人間の私としては、なんとも肩身が狭い限りである。
私にいいように手のひらで踊らされている魔族たちの、チョロ――もとい、純粋さを見習ってもらいたいものだ。
まあ、これはあくまで魔族側から見た一方的な見解に過ぎず、実態とは異なる可能性もあるだろうが。
まあ、そこはどうでもいい。
私は魔王軍の一員ではないが、上司が幹部である以上、私の立場も自ずと一定の扱いを受ける。
加えて、魔王軍には便宜を図ってもらっている経緯もある。
それに私個人の見解としても、人間がどれだけ死のうが、こちらに火の粉が降りかからない限り知ったことではない。
もしウィズから人間を滅ぼす手伝いをしてほしいと頼まれたなら、身内の情けで多少は手を貸すことも吝かではない。
ところで。
ウィズが出店を予定している『アクセル』という街は、魔王領のどの辺りにあるのだろうか?
雑談の中で、それとなく魔族たちに探りを入れてみたが、出てきたのは人間の国にあるという街のみだった。
ウィズは魔王軍所属だから、さすがにこれは無関係だろう。
となると、知名度の低い片田舎か。
現地に着いてから学べばいいと、これまで特に気にしてこなかったが。風土や慣習など、事前に把握しておくべき情報もあるかもしれない。
一度、ウィズに確認を取っておいたほうが良さそうだ。
【口語ほぼそのままの記述】
は? 人間の街?
それは潜入工作も兼ねた……違う? そうではない?
心だけは人間のつもり――はあ、左様で。
ですがその在り方だと、幹部としての責務に差し障りが出るのでは……結界の維持だけ? 他は何もやってない?
つまり、話をまとめると。
私たちはこれから人間の街に移住して、人間を客に商売をする、と。魔王軍ではなく。
なるほど。
【手のひらクルクル大回転】
駆け出しの街アクセル。
冒険者たちの始まりの地として名高いその街は、ウィズが店を構える予定地でもある。
所在はベルゼルグ王国――つまり、人間の国だ。魔王軍の支配下ではない。
補足しておくと、スパイ紛いの諜報活動も必要ない。
というより、ウィズが心情的には人間側であると判明した今となっては、それはむしろタブーだ。
私たちはただ、商人としての勤めに専心すればいい。店は魔王軍とは一切関係がない。名義上も、実質上も。
……いや、想定できないだろう、こんなの。想像の埒外にも程がある。
私はすっかり、魔王軍陣営に属している気分でいた。あわよくば、魔王軍の仕事をバイトで掛け持ちできないかと検討していたくらいには。
幸い、まだ行動には移していない。間一髪だった。
結界維持を任されただけの、なんちゃって幹部。そんなものがあるとは。
同様の立場としては、バニルも挙げられる。
ただ、悪魔が人間に危害を加えるのを忌避するのは、生態的には理解できなくもない。
それに仮面悪魔に関しては、幹部の中でも別格の扱いを受けている節がある。
本来、幹部
幹部の肩書は、単なる名義貸しのようなもの――とは、本人の談だ。
ウィズについても、平時はぽやっとして頼りなく映るものの。私はその奥底に、敵を冷徹に葬る非情さが潜んでいると踏んでいる。
だから、彼女が人間を容赦なく殺していることに、何の疑いも抱いていなかった。
が、現実に殺しまくっていたのは、どうやら魔王軍のほうだったようで。人間を害したことはないという。
私ならそんな不穏分子、中立を保っている間に人間と潰し合わせるよう仕向けて始末するのに。
そうなっていないとは、魔王も存外お優しいことで。
まあ、人類もそこまで捨てたものではない。
魔王軍という侵略者に晒される側である以上、被害者としての同情の余地はある。私にとっても、彼らは同胞だ。
もしウィズから魔王軍を滅ぼすのを手伝ってほしいと頼まれたなら、同じ人間の端くれとして、多少の協力くらいは惜しまないつもりだ。
魔王軍がどうなろうと、私個人は特段興味もないし。
そういうわけで、魔王軍とのコネ作りは無期限休止とする。
これから向かうのは人間の国。魔王軍とつるんでいても、今後はデメリットのほうが勝る。悪縁は、早めに断つに限る。
【友達のクーリングオフ求む】
この日は、自室でのんびり過ごすつもりだった……のだが。
呼んでもいないのに、来客が相次いだ。
原因は、先日私がやらかした例のコネ作りだ。
あの一件をきっかけに、
当時はそれを狙って意図的に煽った部分もあるので、自業自得としか言いようがない。社交性や人心掌握能力が、見事に裏目に出た格好だ。
魔王への有能アピールになると目論んでいたが、今となっては目をつけられるリスクを高めただけの、立派な失策である。
コネ作りを止めると前回に述べたが、急に関係を冷却させるのは極端すぎる。それではかえって角が立つ。悪手だ。
面倒だが、訪ねて来た魔族たちにはそれとなく自主退室を促す。
会話をリードし、相手の思考ごと手綱を握り、自分から話を切り上げてくれるように誘導する。
邪魔だから帰れと、ストレートに切り出すわけにもいかないので。
とはいえ、シルビアとのモンスター改造談義は少しだけ興味深かった。
彼? 彼女? パッと見では性別が判然とせず、私もわざわざ質問しなかったので、真相は不明だ。
ともあれ、シルビアは強化モンスター開発局の局長だという。
話が弾んだ勢いで、入局のお誘いまで受けたが、先約があるのでとやんわり断った。
良心や倫理の壁に阻まれて、普通なら着想すらしないアイデアを平然と出す発想力が、甚くお気に召したそうな。
……それ、本当に褒めてます?
【覗き魔の出没】
城内の大衆浴場へと向かう途中のこと。思いがけず、小さな騒動に鉢合わせた。
遠目に様子を窺えば、どうやらベルディアが女湯にわざと首を置き忘れたらしい。
その後の展開は早かった。
首を小脇に抱えたデュラハンが、必死の形相で逃走。
その背後から、鬼の形相をした女魔族たちが、物やら魔法やらを無遠慮に投げつけながら猛追する。
彼女たちはもはや、スケベ中年に鉄槌を下すことしか眼中にないらしい。周囲への被害などお構いなしだった。
一通りの修羅場を見届け、騒動が遠ざかったのを見計らって、私は何事もなかったかのように歩みを再開した。
誰もいない風呂場は、広々として実に快適だった。
【隠蔽失敗】
手記を解読不能にできないか。
そんな目論見の下、あれこれ試してはいるものの、今のところ成果は芳しくない。
インクを上からかけても弾かれる。
文字の上をペンで塗り潰そうとしても、結果は同じ。
詳細な原理は不明だが、手記そのものに、内容を保護するための高度な魔法が施されているらしい。
本体の性能はあんなにヘンテコなのに。どうしてこういう部分に限って、無駄に舌を巻く技術がふんだんに使われているのか。納得がいかない。
ページを破く、または燃やすといった強硬策も検討したが、それでは魔道具としての機能に深刻な悪影響を及ぼす恐れがあると聞いている。
この調子では、どの道実行可能とは思えないが。
……理解した。これは私の手に余る。ウィズに相談するしかなさそうだ。
私はこれからアクセル――魔王軍と敵対関係にある、人間の勢力が治める街へ赴く。
正直その土地がどんな環境なのか、とんと知らない。これまではさして気に留めていなかった。
だが、そんな場所にこの手記を持ち込むのは、あまりにリスキーだ。
いっそ、ここに置いていくか?
まだ猶予はある。城を発つ日までにこの手記をどう処すか、きちんと方針を定めておかなくては。
【友人関係とは利害の一致】
久々にバニルとエンカウントした。
この頃はウィズの店の手助けをしてるらしく、城を留守にしがちだ。
なお、出合い頭での呼称は、『人として必要以上のステージに到達している、無駄に高い知力と悪巧みだけが取り柄にもかかわらず、このところ空回りばかりしている策謀娘』だった。
どうやら、こちらからの近況報告は不要らしい。
あちらのペースに付き合っていても疲れるだけなので、手短に要件を問う。
この悪魔はどこか私と似ている。打算的で、自分本位。
だからこそ、この邂逅が偶発的なものでないこともすぐに察した。勘もあるが、ほとんどは確信だ。
曰く、『友人の許で働く汝に助言を授けに来た』とのこと。
「汝、情では動かず、打算でしか行動を決められぬ悲しき習性を持つ娘よ。
見通す悪魔が宣言しよう。我が友人の元で、真面目にコツコツと働くが吉と出た。
さすれば、いずれ貴様は、自らの打算をも超えて動ける『何某か』と出会うであろう」
……抽象的すぎて、信用の欠片もない。
が、何やら重大な予言の気配がひしひしとするので、無視もし難い。念のため詳しく問いただす。
というのも、耳触りのいい曖昧な言葉で相手を絡め取り、労働力を不当に搾取しようと企てているのでは――そんな警戒があった。
なぜなら、私ならそうするからだ。
バニル曰く、『何某か』との出会いは数年以内。
ただし、私の喪失した記憶に深く関わる存在であるため、現時点では正体の断定は困難とのこと。
思いの外具体的に教えてくれたので、私は少し目を丸くした。
そしてその上で、見通す悪魔は釘を刺してくる。
「我が友人を泣かせるような真似だけはしてくれるなよ。
例え地獄の果てであろうと貴様を追い詰め、見通す悪魔の名に誓って、自らの行いを後悔させねばならなくなる」
まるで私が、人間の勢力圏で幹部と共に働くリスクを憂慮しており、彼女を情ごと切り捨てて、自分だけ魔王軍から足を洗えないかと検討していたのを咎めるような言い草だった。
今ここで念を押しておかないと、本当にやる。そんな確信めいた自信が滲んでいた。
私は眉をひそめ、無言で閉口する。あんまりな言い様だった。
そんなことは、ちょっとしか考えていなかったのに。
裏切りには相応のリスクがある。
魔王軍からのヘイトは避けられないし、人間側からも信義に欠ける存在として信用されまい。
それでもすべて承知の上でやる価値を見出せば、決行していたわけだが。
……とはいえ、現時点でそんな予定はなかったので、素直に従うことにした。
私は静かに、それまで立てていた複数のプランをすべて破棄する決断を下す。
どうせブラフだ。後々の私の行動に足枷をつけるための牽制に違いない。
だが、看破したところで軽視はできない。なにせ今の私には、この悪魔を出し抜く術がまるで思い浮かばないのだから。
悪魔と人類、それぞれを敵に回すリスクを天秤にかけ、私は悪魔と握手することにした。
私を『打算でしか動けない人種』と評したのは、きっと的を射ている。
……ところで。さっきしれっと、私が死後、地獄に落ちると遠回しな言い方で断言された気がするのですが?
話題を変える。
この機会に、なぜそこまでウィズに肩入れするのかを尋ねてみた。
以前から引っかかっていたのだ。
それに対するバニルの答えはこうだった。
二人は運命共同体であり、そもそも彼女が店を営むに至ったのは、バニル自身の長年の夢が発端だという。
夢の詳細については、ここでは割愛する。
仮面悪魔が終活にビジョンを持っているのはともかく。悪感情に重きを置く悪魔族の生き様は理解に苦しむ、とだけ記しておく。
ともあれ。
私たちの利害は噛み合っている。なので私は、バニルと友人になった。
私にとって『友人』とは、互いの利益で繋がり、協力し合える相手のことを指す。
世間一般の定義とはかけ離れているようだけど。
友人だからこそ、私はバニルの夢を応援するし、必要とあれば助太刀もする。
逆に、私が困った際には助けてもらう。最終的には、そのほうが自分の得になる。
この論理に則るなら、ウィズも一応友人カテゴリーに入る。
……魔王城の他の魔族たち?
あれは、向こうが勝手にそう思っているだけ。私は徹頭徹尾、彼らを駒か道具としか捉えていない。だからカウントはしない。
【魔王】
店の諸々に区切りがつき、魔王城を退去する前日となった。
知り合いたちへの別れの挨拶もとっくに済ませている。
そんな段になって、私は遂に魔王から初の呼び出しを受けた。
そもそも私の滞在を客人として正式に許可したのは、この城の主たる魔王だ。
こちらの存在を把握しているのは当然で、今日まで直接のリアクションがなかったとはいえ、私がこの城で平穏に過ごせたのは、
その点については、私も重々承知している。
ただ、私は魔王に従属しているわけではない。
これまでは城という制御下にいたからこそ許されていた。だが今やそこを離れ、敵国に当たる人間の領域へと拠点を移そうとしている。
恐らく今、魔王城の内情を人間で最も熟知しているのは私だ。そんな人物が自由に出て行くとなれば、魔王とて一抹の懸念を抱くだろう。
その発想に至るのは難しくない。だからこの呼び出しは、唐突に見えて、十分に予測の範疇だった。
驚くような展開ではない。むしろ、予想通りと言っていい。
魔王城における、最後の正念場が始まった。
魔王との対談。その幕開けは、意外なほど穏やかだった。嵐の前の静けさ、という言葉がしっくりくる。
まず私から、これまでの厚遇への感謝を述べる。
魔王もそれに応じ、城での私の暮らしぶりを聞いたり、互いに面識のある者たちの話をしたりと、ごく和やかな雰囲気のまま時間が流れていく。
例えば。
盗っ人リッチーが宝物庫から勝手に財宝を持ち出して売り捌き、そのせいで魔王が泣いた話には、私はただ呆れるしかなかった。
逆にこちらからは、いつ見ても魔王の配下をおちょくってばかりいる畜生悪魔の所業を報告したが、魔王は深く息を吐き、『いつものこと』と達観した声で返してきた。
……魔王、苦労し過ぎでは?
雰囲気的に、結構なお年を召しているように見受けられるのだけど。
そんな魔王による娘自慢がようやく一段落すると、いよいよ本題に入る。
――魔王軍への勧誘だった。
私は人間だが、記憶を喪失し、元の時代との繋がりも断たれている。
この世界に縁も義理もない、まっさらな存在として受け入れやすかったのだろう。
最初は客人として、そして今や同胞として迎え入れることに、魔王は然程抵抗を抱いていないようだった。
何より魔族の多くが人間に敵意を抱いている中で、私があっという間に打ち解け、彼らとの関係を築いたことを高く評価しているという。
まあ、得体の知れない人間の小娘が自由に城内を
案の定、しっかりマークされている。
はっちゃけすぎたか。表には出さないが、内心では少し頭を抱えた。
とはいえ、ここで変に言い訳を重ねても逆効果だ。現雇用主のウィズとの関係上、魔王軍へは加われない。
だから私は正直かつ毅然と、その申し出を断った。
予想していた返事だったのだろう。魔王はあっさりと納得し、それ以上の追及はなかった。
が、話はそれで終わらない。
譲歩の姿勢を見せつつも、魔王は続ける。
『とはいえ、城の事情を知る部外の者をそのまま野に放つのも気がかりだ』と。
そこで提案という名目で通告されたのが、『この城で見聞きしたことを、魔王軍の者以外に話せなくなる呪い』の付与だった。
その言葉を告げながら、魔王はこちらの反応をじっと見ていた。
脅しとまでは言わないが、圧を込めた視線だった。
……だが私は、拍子抜けするほどにあっさりと了承した。
何だ、そんなことでいいのか。それが正直な感想だ。
こちらがサクッと受け入れたことで、逆に魔王のほうが意表を突かれたらしい。暫し沈黙ののち、気の抜けた表情を浮かべた。
要するに、軽くプレッシャーをかけることで、私の腹の内を探っていたのだ。
身寄りもない少女に対してそこまでするかと思わないでもないが、魔族を束ねる頭領として、看過もできなかったのだろう。
だから私も疑念を抱かせぬよう、素直に受け入れてみせた。
というより、もっと厳しい処置が来るものと身構えていたため、蓋を開けてみれば拍子抜けだったというのが実情である。
ウィズの身内である点を考慮しての温情だろう。
それに、私のように他者の内面を読み取り、駆け引きに活かす力を持った人間というのは、魔王の想像の外だったようだ。
先日、私が『魔王は優しい』と評したのは、案外的を射ていたのかもしれない。
斯くして、魔王による呪いは無事に終了。
私は魔王城における最後の山場を、恙無く乗り越えたのだった。
【アクセルにて執筆】
出立日だというのに、城の外がやけに騒がしい。
聞けば、城の結界が攻撃を受けているのだとか。
すわ襲撃かと、城内は一時、緊張に包まれた。けれど程なく何らかの通達があったらしく、空気は拍子抜けするほどあっさりと弛緩した。
近くにいた魔族を捕まえて問い詰めると、『紅魔族の悪ふざけ』と、舌打ち寸前の不機嫌な顔で返ってきた。
曰く、結界
……何を言っているのか、ちょっとよく分からなかった。
さらに食い下がるも、『あの頭のおかしい連中の考えなど知るか』と一蹴され、会話は一方的に打ち切られた。
見るからに不機嫌で、取り付く島もない。
そうこうするうちに、断続的に響いていた轟音がぱったりと止む。元凶は撤退したらしい。
周囲の反応から察するに、これは突発的とはいえ、時折発生する
……いや本当に、何が何だか釈然としないけども。
ともあれ。不測のトラブルを越えて、遂に出発のときが来た。
日用品を除けば、私の手荷物は、こうして今も記述を続けているこの手記くらいなものだ。
本来なら、アクセルに持って行くのはリスクが高い。誰かに読まれる危険を考えると尚更に。
だが、置いていくのもまた問題がある。いざという時、未来へ帰る手がかりはこれしかないのだから。
書き始めた当初は、人間の街で商いをする未来など、露ほども想像していなかった。
元の時代に帰るつもりは今のところない。だが、それはそれ。
私は森羅万象を見通す大悪魔ではない。未来の見えない、ただの人の子だ。
わざわざ自分で可能性を潰して、選択肢を減らす理由もない。
ウィズに同行すると決めた理由の一端も、彼女が魔道具に対して深い見識を持っていることにある。
アクセルへの移動には、テレポートを用いる。
あらかじめ登録した座標へと、空間転移する魔法だ。
私はその間、ただ立っていればいい。
もし、ウィズが『馬車で行こう』と戯言を言い出していたら、即座に却下していた。
過労で倒れて、道端に屍を晒す未来しか見えない。
アクセルどころか、あの世に直行してしまう。
それにしても便利な魔法だ。
自分でも会得できないものかと思案していると、見送りに来ていたバニルが、やけに真面目な口調で私を制する。
習得自体は可能らしい。
だが、テレポートは魔力の消耗が激しい。
私が使えば、魔力の奔流に非力な肉体が耐えられず、たった一度の使用で丸一日以上寝込む羽目になる――と、ガチトーンで忠告された。
それは残念。無い物ねだりしても仕方ないが、少しガッカリした。
ウィズの詠唱が完了しかけた頃合いを見計らって、バニルが餞別の言葉を投げてくる。
人間の子供にしては感情の起伏が乏しすぎる。あくせく働くばかりでなく、自然や芸術に触れ、感性を磨くことを心がけるように、と。
もっともらしいアドバイス――のように聞こえるが。
美味しいご飯製造器になれるよう励め、要はそう言っているのだろう。
あるいは、ついさっき私から摂取した悪感情がイマイチだったというクレームかもしれない。
なお、悪魔はウィズに対しても、容赦ない辱めの一撃を放っていた。
しかも、テレポート発動直前という絶妙なタイミングを狙った、逃げ道のない言い逃げ。
発言の委細は、ウィズの名誉のためここには記さない。
ただ、彼女は怒りと羞恥で顔を真っ赤にして俯き、その後しばらく動かなくなった。
さておき。転送は無事に成った。
一瞬、眩い光が迸り、私は思わず目を瞑る。
そして、次に開いたとき、そこには――。
【メモ】
この手記は、ここで筆を置く。
続きは、新たに購入した手記に記すように。
なお、本書については他者に読まれないよう、厳重な封印を施して保管すること。
(手記はここで終わっている)
・ミノタウロス
世界最大のダンジョン深層では、強力な雑魚敵として徘徊している。
原作の様子からして意思疎通は怪しいが、オークもオーガも高位のスライムだって喋るのだし、最悪変異種なら人語を解する個体くらいいるだろうとのザル判定を下し、今回限定で出した。
・魔王城はエリート勤め
魔王城の警備兵は、安全安定のエリート職として評判。原作十七巻二章より。
・紅魔族のピクニック
原作十一巻より。
紅魔族には四年に一度、魔王城近くでバーベキューをする慣習がある。
帰り際には一族総出で城の結界へと魔法を撃ちまくり、魔王軍が打って出たらすかさずテレポートで里に逃げ帰る。ここまでが行事の一環。
全く覚える必要のない、本作における時系列の裏設定
・ウィズ魔道具店の開店記念日は11月8日(このファンより)
・プロローグ終了時点で主人公は13歳11ヶ月(11月25日誕生日)
・上記の年齢は、めぐみんで言えばデストロイヤーを爆裂したくらいの時期
・プロローグの時間軸は、原作開始から遡って約6年前
・『爆焔』一巻一章のほぼ5年前
・めぐみんが邪神の墓の封印を解いて約2年後
・タイムスリップ前後での年月日のうち、月と日は全く同じ