とある魔道具店店員の手記 作:シュワシュワ
【昔話をしよう】
これから記すのは、今日までに見聞きした話を基にした、タイムスリップに関する考察である。
過去へ遡って以来、ずっと不可解に思っていたことがある。
どうしてタイムスリップするに至ったのか。その直前まで、私の身に何が起きていたのか。
答えとなる記憶はおろか、解き明かす手掛かりすらない。
よって当初、問題は暗礁に乗り上げたかに思われた。
違和感を覚えたのは、アクセルへ移住してから。
店主の商才は常識外れ。私が目を光らせなければ、明日には店が潰れていても不思議ではない。実にやりがいのある職場だ。
そんな皮肉たっぷりな手紙を、勤め先を勧めてくれた恩人の住まう魔王城へ送りつけていた頃の話である。
当時の私は、この就労に関して、どこぞの陰険悪魔に
結局は節穴なだけだったと後日判明するバニルはさておき。
私がウィズの店へ流れ着いた経緯には、何者かの誘導による作為が潜んでいるのではないか――そんな疑惑が浮上した。
振り返れば、魔王城に居候していた頃、私が魔王軍入りする公算は決して小さくなかった。
私の魔道具知識に目を留めたウィズが、早々に店への引き取りを思いつき。
その意向をバニルが後押しし、就職が決定する。
さらにその後、ウィズが人類側のポジションだと知らされ。
直後、バニルから忠告と友誼を得る。
そこまでの工程を経て、ようやく魔王軍入りのルートが断たれた。
現実には速やかに就職先が決まったが、そうでなければ周囲もウィズへ遠慮する理由はない。もっと早い段階から、魔王軍への勧誘を受けていたやもしれない。
私が魔王軍に属してしまえば、魔道具店へ来る見込みは薄まる。
よしんば店員となっても、ウィズたちとの関係は今とはまるで別物だったはずだ。
また、働き始めてから自覚したことがある。
彼女の勧誘を動機づけた私の魔道具への学識は、実のところ限定的なものに過ぎなかった。
ウィズの興味を引き、誘いをかけさせるに足る最低ライン。
まるでそれを満たすためだけに、付け焼き刃上等で即席詰め込みしたかのような、絶妙な塩梅だった。
加えて、店の業務に関するノウハウも、なぜか最初から備わっていた。
基礎スペックが高く、教育不要の即戦力。ウィズも乗り気。
これだけの好条件が揃えば、見通す悪魔も友人への助力に前向きな姿勢を示す。
早期に魔道具店入りを確定させることで、魔王軍への所属を封じる。
私を含む多数の意思が入り乱れる魔王城の盤面を読み切り、その一連の流れを狙って整えた人物がいる――私はそう推理している。
そしてそれを可能とする人物に、一人だけ心当たりがある。
記憶を失くす以前の、未来世界の私自身だ。
とはいえ、単独では無理がある。
恐らく、遥か未来のウィズとバニルも、この企てに一枚噛んでいる。
遡行先となる当時の城の内情を二人からつぶさに聴取し、その情報を基に状況シミュレーションを組み上げたのだろう。
魔道具や業務の知識を有していたのも、タイムスリップ後を見据えてウィズ魔道具店で実際に働いた時期があったからかもしれない。
まずもって、このタイムスリップは未来の私が計画的に実施したもの。それが私の見立てだ。
ただ、動機だけが長らく謎だった。
解明の糸口を得たのは、初めて紅魔の里を
あれを境に、私を苛み続けていた心因性の不調が、忽然と消えた。
つい最近、当時の手記を読み返してようやく、そのトリガーに目星がついた。
めぐみん。彼女と出会ったこと、そのものが要因だ。
正確に言えば、他者との結びつきが希薄だった私が、確固たる拠り所を再発見したことで、ようやく精神的な安定を取り戻した。
爆裂魔法使い。
まだ魔法すら習得していなかった、当時のめぐみんへの第一印象だ。
あの頃は見落としたが、どうもこれ、未来知識から湧き出た評価らしい。
彼女と未来で親交があった点は、以前のボードゲームの一件からも察せる。
今の私が殊更めぐみんを特別視するのは、在りし日の私にとってそうだったのを、そのまま引き継いでいるからだろう。
恐らくめぐみんも含め、かつての私は、自分にとって大切な人間を全員喪失している。
というより、元から少なかったのだろう。現に今の私も、誰かと打ち解けようとしないし。
強いて挙げるならウィズくらいか。仮面悪魔は自分でも判別がつかないので、ノーコメントで。
まあ、未来めぐみんに関しては、曽祖母以上の世代差ともなれば死別も避けられまい。
同じ時代まで存命だっただけでも、むしろ驚嘆に値する。
ともあれ。
人との繋がりが、辛うじて私を生へと繋ぎ止めていた。
それを失ったことで、生きる意味も目標も、生き甲斐すらも見失う。
そして糸が切れた人形のように、私は一気に崩れた。
そのメンタルの乱れが、命に関わる重篤な肉体の変調を引き起こした。
人が生きるには心を動かす原動力が肝要で、他者との関わりも不可欠。
私にはそれが欠けていた。
しかも、致命的な局面を迎えるまで、その欠落に気付いてすらいなかった。
ここでようやく思惑が見えてくる。
私を魔王軍に回さなかったのは、めぐみんと敵対させないため。
やがて彼女が一旗揚げるべくアクセルへ現れると知っていたなら、ウィズとくっつけてアクセルへ送り込むのは当然の一手だ。
仕事の遠征で訪れた紅魔の里にて、めぐみんと出くわしたのは……さすがに偶然だろうが。
カズマに関しては、何とも言えない。
私は特段何も感じていないし、世代的に未来では面識がなかったのかもしれない。
時間遡行のデメリットたる記憶喪失は、この件に限れば有益ですらあった。
思い出をトレードに差し出すことで、体調の悪化に歯止めをかけられるのだから。
そうして得た猶予で人と心を通わせ、思い出を積み重ね、それを人生の道標としてゆくことを求められている。
次こそは、手遅れとならないように。
未来では、やるべきことは理解していても、一番肝心な時間が足りなかった。
未来の私は、ヤケを起こしてタイムスリップに手を出したわけではない。
そもそも、そんな人間性があれば、こんな境遇にはなっていない。
これが最善と判じて、いつも通り淡々とやるべきことをこなした。ただ、それだけだ。
そんなわけで、私は暇ではない。
魔王軍への恨みは特にないが、今は近辺を荒らされたくない。
よって、当座は彼らに大人しくしてもらおう。
【バニル攻略本】
徹底して秘匿したにもかかわらず、攻略本の存在がバニルに露見した。
あの悪魔の異能は、やっぱり反則が過ぎると思う。
攻略本とは、悪魔バニルについて著された書物だ。著者はウィズ。
特筆する点として、この本で学習すると、悪魔召喚の儀においてバニルを指定して喚び出せるようになる。
召喚された悪魔は、召喚主に従属するか、殺して引き返すかの二択を迫られる。
力量を超えた悪魔を喚び出してしまった術者の末路は悲惨だ。その思い上がりのツケを、命でもって払わされる。
だが術者が私で、召喚対象がバニルとなれば話は別だ。
こんな些末事で店の貴重な戦力を失いたくないバニルとしては、不本意だろうと私に従わざるを得ない。
そして使役されている間、契約者の命令は絶対。許可なくば、悪魔は特殊能力すら満足に行使できない。使い魔とはそういうものだ。
本を書き上げたウィズが売り物にする気でいると知った時点で、私は即決で購入した。
指名召喚は、対象を深く知りさえすれば素人にも扱える。
が、召喚儀式に必須となる魔法陣の知見を、私は持ち合わせていない。
そこで石橋を叩いて渡ることにした。
難易度が低いとはいえ、うっかり別の悪魔を召喚する事故が起きれば、普通に私が死ぬ。そのケアレスミスを防ぐだけの学識もない。
なので魔法陣作製の指南を、ウィズ――では身近すぎて悪魔に気取られそうなので、ゆんゆんに仰いだ。
彼女にはまだ里にいた頃、友達欲しさから悪魔を召喚しようとした実績がある。
ところが。
このゆんゆんを見通すことで、私が召喚を学んでいるとバニルは偶然知った。
そこから芋蔓式に、攻略本の存在まで辿り着かれたのである。
見通す力を相手にどこまで意味があったかは不明ながら、私としても気取られぬよう、痕跡は極力残さなかった。
手記にすら一切記していないほどだ。
悪魔召喚を修める名目も、『
また、不審に思われないよう、ささやかな予防線も張ってあった。
アクアと共にプリーストとしての研鑽を積み、ウィズを手伝って魔道具分野にも意欲を顕にした。
魔法陣に手を出したところで、スキルアップに熱心なのだと解釈される――そう思考停止してもらえるだけの下地は敷いてあった。
まあ、そんなもの知るかとばかりに、あっさり見抜かれたが。
ゆんゆんによる指導はとうに完遂している。あとは時機を見計らって召喚するのみ。
これに危機感を抱いたのだろう。バニルのほうから、召喚を思い留まらせるための話し合いを提案してきた。
……そんなに嫌か。
店での関係もある。拗れると面倒なので、無体な扱いをするつもりはないのだけれど。
ちなみに、私がバニルの立場なら、使役されるなど真っ平御免である。
心情的に許容できる限界スレスレを見極めた上で、便利に使い倒してくるのが目に見えている。
そもそもそんな鬼札を切る時点で、そこまでしなければ押し通せない無茶振りを企図しているのは自明なのだし。
協議の末、召喚は見送ることにした。
代わりに、打診を検討していた案のひとつをバニルに引き受けさせる形で決着する。
とはいえ、召喚しないのはあくまで期間を区切った暫定の取り決めに過ぎない。
元より、召喚した暁には時限付きの主従契約を構想していた。一旦の落とし所としては妥当だろう。
契約に則り、バニルは早速アルカンレティアへ行商に赴いた。
そしてセレスディナから、『ウィズ魔道具店の情報を魔王軍に漏らさない』との言質を引き出してきた。
商売の邪魔をされたくない――そんな理屈で呑ませたらしい。
引き換えに、『街を去るまでの彼女の行いにバニルは関与しない』と誓ったようだけど。
セレスディナは商業活動を妨げない。バニルも彼女を妨害しない。
この相互不干渉の成立により、気紛れな悪魔に好き勝手される懸念から、彼女は解放されたわけだ。
……バニルの要求が、無期限かつ一生モノの不平等な約定に聞こえるのは、気のせいですかね?
誓約のほうは、『アルカンレティアを発つまで』と期限が設けてあるのに。
また、『ウィズ魔道具店の情報』という表現の含意する範囲が、曖昧過ぎる。
経緯を踏まえれば、商いの妨げにならなければ問題ないようにも思える。
だが、それは明言されていない。
例えば、店の従業員が魔王軍を陥れる
実際の線引きは、バニルの胸三寸次第。
そして契約を破れば、魔王より強いかもしれないと評判の大悪魔を敵に回すことになる。
私の策謀がセレスディナ経由で魔王軍へ漏洩する可能性を断つ。
それが、私からバニルへの要求だった。
ただ、中立を維持したいバニルにとっては際どいリクエストだ。私自身、そこまでする必要を感じていなかった。
だから要望するつもりはなかったのに、意外にもあちらから提言してきた。
これを通じて私の選択肢が広がらなければ、遠からず私のご先祖が死亡する確率が極めて高い——という、縁起でもない予言とセットで。
少なくとも、発言に嘘の色は見て取れなかった。
頭を絞ってみたが、あの悪魔が見ている景色が読めない。
というか、もっとエグい要請を躱すため口八丁で丸め込んできただけな気がする。
さしもの私も、予知で攻略チャートを組んでくる悪魔を出し抜ける気はしない。
セレスディナとの不干渉契約も、『以後は傍観するから巻き込むな』という私への牽制だろうし。
それに、ご先祖がカズマやめぐみんとは限らない。
真っ先に思い浮かぶのは確かだが、めぐみんの両親という線もある。
血縁だからと無条件に親愛の情を抱く感性は、生憎私には備わっていない。
顔も知らないひょいざぶろーなど、店の未来のためにもさっさとお亡くなりになってくれないかと、むしろ心待ちにしているくらいだ。
……さてはセレスディナも、私と同じ手口で言いくるめられたのでは?
そんな考えが、ふと脳裏を掠めた。
【そんなものはない】
バニルより、攻略本の行方について詰問された。
差し当たり召喚の芽を摘めたことで安堵していたらしい。
だが、肝心の本の在り処を見通そうとしても、まるで見えない。
軽い気持ちで所在だけ把握しておくつもりが、途端に雲行きが怪しくなった。
攻略本なら、めぐみんに譲った。
一通り読み込んだ私には、もう不要だったので。
見通せない理由にも見当はつく。発光物ことアクアが付近を
つまり彼女が、エルロードまで持ち運んでいると。
めぐみんは、いずれ来るべき仮面悪魔との対決に向けた研究のためだと言って本を欲しがった。
バニルが危惧するような使い方はしないと思うけど。
【もしや今の生活をエンジョイしておられる?】
突然だが、アルカンレティアに行ってきた。
セレスディナの動向を監視しているが、どうも様子がおかしい。そこでリスクは承知の上で、現地に赴いて直接調査することにした。
どうおかしいのかと言うと、動きがえらく中途半端。
彼女は、レジーナ教団の噂を聞きつけて遥々やってきた古参のレジーナ信徒――という設定で教団に潜り込んでいる。
聖女を思わせる慈愛と献身、高い社交性。加えて、聖職者としてコツコツ積み上げる実績。
これらにより、彼女は瞬く間に周囲の信頼を勝ち取った。
一応補足しておくと、この過程で傀儡化は用いていない。
詳細が世間へ広まった以上、使うに使えなかったのだろう。発覚のリスクが高すぎる。
かつては品薄が常態化していた専用の耐性アイテムや解除ポーションも、近頃は供給が安定し、容易に手に入る。
今や傀儡化は、物珍しいだけの数ある状態異常の一種に成り下がった。
ここまでは、想定通りだ。
レジーナ教団は結成から日が浅い。組織としての基盤は脆弱で、求心力のあるリーダーも欠いている。
『どうぞ内部から乗っ取ってください』と言わんばかりである。魔王軍の橋頭堡を築くには、うってつけだろう。
私ならそうする。そして彼女も、同じことを考えているはずだ。
何というか、普段の私のアクセルでの手口と大差ない。
……前々から思っていたけど、私とセレスディナは謀略家という共通点があるだけでなく、スタンスまで似通っている。おまけに、揃ってプリーストだ。
キャラ被りは誰も幸せにしない。自重してほしいところである。
閑話休題。
そこまでは読み通り。……けれど、そこから先の動きが鈍い。
信望は既に十分。今や彼女はレジーナ教団の看板であり、精神的支柱だ。その気になれば、明日にも教主の座へ就けるだろう。
にもかかわらず、当人は相変わらず怪我人の治療や懺悔の傾聴を続けている。
その様は、職責に真摯なただの聖職者だ。
無意味とまでは言わない。だが彼女なら、優先順位くらい弁えているだろうに。
何かの頃合いを待っている様子もない。問題がないのに足踏みを続けるとか、わけが分からない。
不穏な兆候はない。ただ、計算に組み込んでいないイレギュラーに近い要素が発生している節がある。
できれば、今のうちに正体を見定めておきたい。
そんなことを考えながらぼうっと突っ立っていると、『道中の身の安全は保証するから、気分転換に観光でもしてきてはどうか』と、バニルから送り出された。
この言い回しはつまり、仮にセレスディナの元へ直接赴いても危険はないという意味だ。
むしろ、暗にそうしろと促している。
前回といい、頼んでもいないのにやけに協力的だ。気味が悪い。
問い詰めると案の定、あちらはあちらで何かしら企んでいると、あっさり認めた。
要するに、利害の一致だ。今ここで私の背を押しておけば、ゆくゆく強欲悪魔の益として返ってくるかもしれない、とか。
そんなわけで、思い切ってセレスディナに会いに行った。
助言に全幅の信を置くには、当の悪魔があまりに油断ならない。念のため護衛を兼ねて、ゆんゆんを遊びに誘った。
アルカンレティアへの移動は、ウィズが転送先に登録している。帰路は、ゆんゆんのテレポートで一瞬だ。
さて。
到着してまず目についたのは、色濃い嫉妬だった。
元より兆候はあった。レジーナ教団の発展は今なお好調。それをまざまざと見せつけられているアクシズ教徒の、レジーナ教へのやっかみが強まっている。
無論、発展と言っても未だアクシズ教団の足元にも及ばない。
だが、思ったより深刻だ。早めに手を打ったほうがいいかもしれない。
出る杭は打たれる。レジーナ教団は、悪目立ちし過ぎた。
しかしながら、この急拡大はアクシズ教徒への反発が原因である。
連中こそ諸悪の根源と言って過言ではない。この点では、私もほとほと振り回されている。
それなのに、炎上の元凶たる間抜け共の顔色を窺わなければならないとか、釈然としない。
情勢を象徴する出来事も耳にした。
突如台頭したセレスディナは、実は魔王軍の回し者ではないかと取り沙汰されていた。……アクシズ教徒の間でだけ。
どれだけ調べても身元が判然としない辺りが怪しい、とか。
ビックリするほど正鵠を射ているが、マグレだろう。
アクシズ教徒は、不都合があるとすぐ魔王軍に責任転嫁する。この習性は住民にも知れ渡っているため、誰もまともに取り合っていない。
セレスディナについて何も知らないゆんゆんですら、呆れ顔だった。
なお余談だが、セレスディナは対外的にセレナという偽名を使っている。
その後、レジーナ教会の代理施設へ立ち寄り、ターゲットと接触。目立ったトラブルもなく、用件を片付けて辞去する。
好奇心で訪れた観光客と、応対するプリーストの関係では必然だろう。
私が欺かれていたのでなければ、向こうもよくある来客としか見做していなかった。
なお、ゆんゆんが友達作りの悩みを相談し、セレスディナを困惑させていた。どうやらレジーナの管轄外らしい。
さておき。
観察した限り、彼女は思いの
ここしばらくの精彩のなさは、多大なストレスからの逃避と判断する。
セレスディナは魔王軍幹部である一方、敬虔な聖職者でもある。
同じ神を信仰する同志に囲まれ、一介の信者として奉仕できる生活。それは彼女にとって、この上ない充足と癒しをもたらしているのだろう。だからこそ、抜け出し難い。
なぜそうまでストレスを溜め込んでいるかは、事前に立てていた仮説で説明がつく。
希望的観測が過ぎると、当初は勘定に入れていなかったが。
まず、セレスディナは人間だ。この事実を快く思わない魔族は、魔王軍内に大勢いると思われる。
私が魔王城で暮らしていた頃、そうした排他的ムードは感じなかった。されど彼らにも、無力な子供に敵意を向けない程度の分別はある。
加えて私は余所者で、魔王軍における上下関係もない。
だから彼らも、鷹揚に振る舞える余裕があった。露悪的に言うなら、私は舐められていた。
翻って、セレスディナは重鎮だ。敵対種族が上役では、感情的に面白くあるまい。
腕っぷしで黙らせられるならまだしも、彼女には難しい。『幹部のくせに』と、それもまた不満の種だろう。
これまでは加護の力で押さえ込めていたろうが、現在は弱体化している。
上はともかく、末端とは空気が冷えっ冷えになっているのやもしれない。
さらには、敵国側でレジーナ教団が誕生した。
幹部が次々と戦死する苦境と相まって、心が荒んだ魔族の間にこんな疑念が生まれる。
『あの女、この機にレジーナ教団のある人間側へ亡命しないだろうな』、と。
口には出さずとも、そうした不信感は得てして本人に伝わる。
あくまで憶測だ。
ただ。今思えば、レジーナ教徒が増え始めた時期と前後して、セレスディナが国内へ出没する頻度も急増している。
まるで、魔王城で過ごす時間を減らそうとするかのように。
……彼女、同僚からイジメられていたりする?
これ、寝返り工作も一考の余地があるかも。かなり無理寄りの難題っぽいけど。
【ウィズ魔道具店は、アットホームだけが売りのブラック経営】
またしても、アルカンレティアへ出向くことになった。
その旨を店長に申告すると、眉をひそめて呼び止められた。大事な話があるという。
滅多にないほど張り詰めた雰囲気をまとった彼女の様子に、只事ではないと、私も思わず背筋を正す。
どこか沈痛な面持ちのウィズは、
「あの、この際ハッキリ言ってください。……この店を辞めるつもりなんですよね!?」
……シリアスの気配は、思い違いだったらしい。
漂い始めた濃厚なコメディ臭に、私は一転して肩の力を抜いた。
元々、私は店を空けることが多い。
だがこの頃は、その頻度が目に見えて増していた。
セレスディナ対策が理由なので、ウィズに打ち明ける気は毛頭ない。
ともあれ、そんな私の挙動を彼女は訝しんだ。
いつの間にか、ゆんゆんにも相談を持ちかけていたという。
先日、共に温泉街を巡った彼女なら、私の行動の真意を紐解くヒントを掴んでいるのではないか――そう当て込んだのだ。
意見を交わすうち、ゆんゆんの中にある仮説が芽生えた。
吟味するほどに真実味を帯び、表情は徐々に曇っていく。
やがて、彼女は誤解の火種を口にした。
『もしかして、ウィズ魔道具店を退職しようとしているのではないか』、と。
あのプチ旅行にて私は、職務の一環としてセレスディナに愚痴を聞いてもらった。冷やかすのもどうかと思ったので。
内容は、職場への不満。現にウィズへの文句なら、無限に語れる自信がある。
もちろん、店や個人を特定できる情報は一切口にしていない。
だが、護衛として傍に置いていたゆんゆんは、元から私の職場を知っている。なので正確に文脈を汲み取った。
ゆんゆんの勘違い発生ポイント、その一。
もう一点、私の待遇面について話そう。
当店の店員とは、放っておけば即潰れる店をフォローする過酷な労務だ。
おまけに上司が無能なため、その功績はロクに評価されない。
ダメ押しとばかりに、アクセルの駆け出し冒険者と大差ない安月給でもある。
賞金首討伐の報奨で潤う一部の小金持ちは例外として、一般的なビギナーは宿代すら捻出できず、馬小屋で夜を明かす。
とはいえ冒険者は、武具のメンテナンスや消耗品の補充で出費が嵩む生業だ。一概に比較はできない。
それに私は形式上、住み込みかつ食事付きで雇われている。一見すれば、駆け出し冒険者より幾分恵まれた待遇に映らなくもない。
ただし、家賃は実質私が工面している。
食事が出された記憶もほぼなく、食費は基本自腹。何なら、私がウィズを養うケースのほうが多い。
あまつさえ、資金繰りに詰まって給料すら支払われない月がある。
なお、ここ三ヶ月、私は給料を受け取った覚えがない。
そもそも私の貢献を賃金に換算すれば、今の十倍貰っても到底足りない。
率直に言って、ウィズ魔道具店の労働環境は劣悪極まる。
ゆんゆんの勘違い発生ポイント、その二。
私が職場への不満を募らせている――そう予想したゆんゆんは、ウィズから待遇の詳細を聞き出して頭を抱えた。
外側から俯瞰するからこそ、今まで辞表を叩きつけていないことが奇跡に思える。
そして結論を下した。私が頻繁に外出するようになったのは、いよいよ転職活動に踏み切ったのだ、と。
これを聞いたウィズは、ただでさえ血色の悪い顔をさらに蒼白にした。
——斯くして、冒頭へと繋がる。
経緯を一通り聞き終えた私は、暫し黙考した。
考えがまとまると、言葉を選びながらウィズへと告げる。
給与面は確かに酷い。これはもう、擁護の仕様がない。
それでも私は、この店が良い。自分の意思で選んで、好きで働いている。
だから辞める気は無い。ダンジョン建設に力を貸す約束もある。
そう語るとウィズは感激し、お互いの絆を確かめ合う、ちょっと良い話風の幕引きとなった。
私が外出を繰り返している件もド忘れしたようで、僥倖にも、有耶無耶のまま立ち消えた。
私がここで働くのは、リッチーと地獄の公爵の後ろ盾を得られるから。小銭など比較にもならない、値千金の価値がある。
よって給金には、
店長は欠片も理解していないようだけれど、私の事情はそんな感じである。
なお、再びアルカンレティアへ向かうのは、虫の知らせによるものだ。
明日、セレスディナの件に片をつける。
本来なら私は、アクセルで事後報告を待つ予定でいた。
だが、あの街を訪れて以降、それでは不味いという予感がある。現地で即応できる態勢を整えておかなければ、少々面倒なことになりそうな気が。
わざわざイグニスを訪ね、ダスティネス家の紋章入りペンダントまで借りてきたほどだ。
【利用するだけ利用して、蚊帳の外に置こうとした罰か何かで?】
まったくもって厄介な事態になった。
とりわけレジーナ教団がピンチだ。このまま推移すれば、組織の崩壊は秒読み段階だろう。
本日は、国内に巣食う魔王軍の間諜を一斉排除する決行日でもあった。
セレスディナへの対処をこの日に設定したのは、その作戦と歩調を合わせるためである。
こちらについては、情勢が落ち着いてから改めて記そう。
概略だけ触れておくと――結果は成功。
一部の取り逃がしは発生したらしいが、その程度は織り込み済み。些事に過ぎない。
魔王の耳目を国内から一掃するという目的は達成された。あちらは今頃、大慌てだろう。
他方、アルカンレティアでは、せっせと仕込んできた私の準備と想像力を嘲笑うかのような事件が勃発した。
セレスディナの捕縛作戦に踏み切る寸前、一歩先んじて予期せぬ騒動が生じ、作戦は中止に。
もはや、それどころではない。
委細は只今確認中につき次項へ譲るとして、ここでは何があったかを端的に述べる。
セレスディナが魔王軍の手先だとバレて、アクシズ教団に身柄を拉致監禁された。
・バニル攻略本
Web版『仮面』より。書籍版には登場しない。
召喚関連の説明も原作通り。
原作では、めぐみんが購入したこの本をこめっこが無断で読み込み、バニルを召喚。一日限定の契約を結ぶことになった。
・セレスディナと魔王軍
レジーナが紅魔の里に封印されていた時期、加護の力が使えなかったセレスディナは魔王軍内でかなり苦労していたらしい。原作十五巻より。
・ウィズ魔道具店の給料
『仮面』二章によると、アクセルの冒険者の収入は月十万から二十万エリスほど。
主人公の給料も大体そのくらい。
追記
『よりみち』四巻で明らかになった設定により、主人公がバニルを召喚するのはちょっと難しそうだと判明しました。
デビルサマナーに転職する余地があるならともかく、魔法使いとしては紅魔族の平均程度の才能しかない主人公は前提条件を満たせるのかな……? 他の条件は全然問題ないんですけど。
比較対象のこめっこは多分めぐみんクラスの天才だから、参考にならないという。
web版については、こめっこを言いくるめるために、バニルがわざと肝心な部分を省いた説明をしたのかな……?