1000 * 1000 ~生まれ変わった井河扇舟、桐生美琴の助手になる~   作:天木武

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第1話 ミリオン

 ◇

 

 

 我ながら、随分と間の抜けた光景だということには気づいている。

 今歩いている場所は闇の無法都市の入り口近辺だというのに、旅行者よろしく、ガラガラと荷物を乗せたカートを引きながら歩くのは場違いにもほどがあるといえるだろう。

 

 ここは、東京の地下300メートルに存在する魔界都市・ヨミハラへ向かうほぼ唯一の通り道。入り口に位置する地下100メートル地点は、どこかの宮殿のように巨大な柱が無数に立ち並ぶ外郭放水路(がいかくほうすいろ)だ。

 しかしその施設は実用されることなく計画半ばで頓挫。今やヨミハラへの通り道として、そこに向かう者と、「獲物」を狙うタチの悪い連中の住処となっていた。

 

 行きはよいよい帰りは怖い。出ていく時はまだ荷物の乗っていなかったカートを抱え、人目につかないように出られたために何事もなかったが、この状況でそれは期待できない。

 カートを引かないと運搬できないほどの荷物。身を隠しながら進みたくとも難しい柱の間隔。そして荷物満載のカートを引っ張って歩く女。

 言うなれば「カモがネギを背負って歩いている状態」。間違いなく面倒事に巻き込まれることはわかっていた。

 

「おい! そこの女、止まれ!」

 

 だからそう声をかけられても、やはりかという諦め気味の気持ちしか浮かんでこなかった。

 

「いい女じゃねえかよ! モデルみたいなそのスタイル、惚れ惚れするぜ! しかも金になりそうなものまで持って、なあ!」

 

 銃を手に現れたのは武装難民、と呼ばれる集団。その名の通り、この街やその近辺に流入してきた武装している難民だ。「獲物」を狙って物資、あるいは人でさえも強奪しようとするタチの悪い連中、この街の代名詞のような存在である。

 中には更に凶暴化し、人の肉を食う集団すらあるとも言われている。

 そんな好戦的な相手が目に入るだけで十数名。斥候、あるいは様子見としては1人の女に対しては十分な数、といえるだろう。

 

 出来れば事を荒立てたくはないが、素直に通してくれる気配ない。言うまでもなく荷物を渡す気はない。

 仕方なく、私は口を開く。

 

「……確かにこれは売るところに売ればいい金になると思う。でも悪いけど、これを渡すわけにはいかないの。貴重なものだから確実に持ってこいっていう頼みを受けていて……」

「ゴチャゴチャうるせえ! 俺たちが言いたいことはわかるだろ!? 死にたくなかったらそいつをよこしやがれ!」

「ついでに姉ちゃんの体もな! 切れ長の目がたまんねえしスラッとしたその体も俺好みだ! たっぷりかわいがってやるぜ!」

 

 交渉決裂。やはり「はいどうぞ」とはいかないようだ。

 カートを立てる。荷物に何かあったら彼女が黙ってはいないだろう。被害が出ないようにしながらこの場を切り抜けなければならない。

 

 ――付け加えるなら、可能なら誰も命の奪わずに、だ。

 

「……忠告するわ。やめておいたほうがいい」

 

 昔の私ならこんな忠告など無しに、問答無用で全員を殺していただろう。

 でも今は違う。安っぽい表現で言うなら――私は生まれ変わったのだから。

 

「やめろだァ? 今の状況わかってんのか? そっちは銃で狙われて……」

 

 これ以上は間違いなく平行線、あるいはそれより悪い状況になる。ならば無理矢理にでも交渉の場を設けさせて、相手に武器を下げてもらうしかない。

 私は非戦闘態勢の脱力状態から、足に力を込めて一気に地を蹴った。

 

「なっ……!」

 

 相手からすれば、私が消えたように見えたかもしれない。

 それでいい。銃を撃つ暇さえ与えるつもりはない。

 数歩で一気に間合いを詰め敵の懐へと潜り込む。

 

 1人目、水月へと掌底。

 続いて隣の2人目、首へと手刀。

 さらに3人目、背後から銃を持つ右肩の関節を外す。

 そして4人目、ずっと私に話しかけてきていた、この集団のボスと思われる人物の首元へ貫手を突きつけた。

 

「てめえっ……!」

 

 その指先を見て声色が変わるのがわかった。まあ無理もない。

 私の手は人のそれではない。黒鉄色の、機械じかけの義手だ。

 しかも指先の部分をブレード状に変形させるギミックが内蔵された特注品。今彼の首元に突きつけているのは鋭利な刃物と化した、文字通りの「手刀」なのだ。

 

「……最後の忠告よ。やめなさい。命までは取りたくない」

「ブレードに変形する義手だと……!? しかも今の動き……まさかてめえ、鋼鉄の対魔忍か!?」

 

 全然違う。

 噂には聞いているけど、彼女はこの比じゃなく義手義足内に武装を内蔵しているらしいし、多分こんな面倒なことをする前に相手の生死を問わない攻撃を繰り出していることだろう。

 

 それに――。

 

「私は……そもそも対魔忍じゃないわ。完全に別人よ」

 

 そう。今の私は、対魔忍じゃない。 

 

「私の名前はミリオン。ヨミハラの魔科医(まかい)桐生美琴(きりゅうみこと)の……まあ助手、と言ったところかしらね。最近そうなったばかりだけど。あの荷物は美琴に言われて……」

「桐生美琴だと!?」

 

 命を奪わず3人を無力化させた上でリーダー格の生殺与奪権を握った状態にすれば交渉の場につかざるを得ない、と考えていた。その上で相手の命を取引材料にここの通過を譲歩させる。それが狙いだった。

 とはいえ武力を用いている以上、言い換えれば「脅迫」か「圧力」の類になるわけだが、ともかくそう考えてのここまでの行動は間違えていなかったらしい。

 

 が、美琴の名前でこの場の全員がこれほど動揺するのは少々予想外だった。

 

「おいお前ら全員武器降ろせ! あのイカれた女を敵に回したらロクなことにならねえ! ……姉ちゃん、あいつらの武器は降ろさせるが、この状態から俺をざっくり、ってのは無しで頼むぜ」

「それをやるなら忠告無しで最初からやってるわ」

 

 自分の戦闘力を背景に無理矢理交渉して武装解除をさせた形だが、死人が出ないのはよかった。

 私はブレードの変形を解除し、元の指の状態に戻す。

 

「……ったく、姉ちゃんも姉ちゃんだ。あの桐生美琴の使いなら最初からそう言ってくれ。そうすりゃ俺たちだってあのマッドサイエンティストの荷物を奪おうなんて気にはならずに済んだんだ。あいつを怒らせるなんて自殺行為をやろうとは思わねえからな」

 

 そうは言われても、おそらく最初に美琴の名前を出したところでこの連中が信じていたかは怪しいところだ。武力で圧したから効果があったのだろう、とは思う。

 それはさておき、この連中にここまで言わせるとは、あの人は一体何をやらかしたんだか。聞いてもいいが、どうせまともな話ではないだろう。彼女の人間性は壊れているのだから。

 

 ひとまずこの場を切り抜けられそうな状態にはなった。が、やることはまだある。

 私は右肩を抑えたままうずくまる、3人目に攻撃を仕掛けた相手の元へと歩み寄る。少々乱暴とは思ったが時間をかけてもしょうがないので、強引に身体を起こすと無理矢理右肩を動かした。

 

「いっでええええ!」

「おいてめえ!」

 

 一度銃を下ろした相手に再び殺気が走る。

 

「落ち着いて。さっき外した関節を戻しただけ。まあしばらくは痛いかもしれないけど」

「そっちの2人は?」

 

 リーダーの男が指差したのは膝から崩れ落ちたのと、背中から仰向けに倒れたままの2人。

 一応脈を確認するが、問題なさそうだ。

 

「気絶させただけだから、そのうち気がつくと思うわ。……ああ、ついでに聞きたいんだけど、あなたたちみたいな人、奥にもまだいる?」

「いるにはいるが……。連絡しておいてやるよ。カート引いたモデルみたいな女はあの桐生美琴の使いだから手を出すな、ってな」

「ありがと」

 

 立てておいたカートに近づいてそれを引き出し、また場違いな音が辺りに響き出す。

 約束通りリーダー風の男は仲間に連絡をしているらしく、他の武装難民は道を開けてくれた。

 

「ああ、ちょっと待て。仲間内に連絡はしておいたが……。代わりといっちゃ何だが、ひとつ聞きたいことがある」

「何?」

 

 顔だけを振り向けて私は尋ねた。

 

「あんたほどの腕ならこの数の俺たち全員を殺すぐらい訳なかっただろ。なんでそうしなかった?」

「もし死人を出したら、あなたたち意地でも私をつけ狙ったでしょ。それが嫌だったから。……でも美琴のネームバリューがこれほど強いなら、それはいらない心配だったかも。まあなんにせよ、流れる血なんて少ないほうが良いに決まってるじゃない」

 

 途中までは建前、最後の部分だけが本音。

 でもそれをこの相手に伝える必要は無いだろう。

 

 まだ納得していないような表情だったが、こちらとしては嘘は言っていない。それにこっちを狙ってこないなら別にもう興味はない。私はその場から足を進めた。

 

 この手は人を殺めすぎた。もう拭いきれないほどに血に染まりきっている。

 愚かな過去だったと悔いたところで今更という思いもある。悔いるという行為だって、所詮は独りよがりかもしれないとも思う。

 だけど、もう出来る限りこの手で人の命を奪うような真似をしたくなかった。

 

 それが今の私に出来る、過去の私が犯した数多の過ちに対しての贖罪なのだろうから。

 

 

 ◇

 

 ヨミハラは東京の地下300メートルほどの地点に位置する地下の闇都市だ。

 闇都市、などと呼ばれるだけあって、この街には政府の力すらも届かない。故にこの街を知らない人々の間では様々な噂が飛び交っていた。

 

 曰く、暴力だけが支配する街。曰く、女は娼婦にならないと入ることすらできない。曰く、街の最深部には魔界と繋がっている門がある、等々。

 

 実際にこの街に来たことがある者ならわかることだが、前2つはやや誇張されている。

 確かに先程の武装難民のように暴力が横行する街ではあるが、そんなのはこのご時世では少し治安の悪い街に行けばどこも大して変わらないレベルだ。それに娼館が幅を利かせてはいるものの、娼婦以外の女性だって多数存在する。かく言う私もその1人である。

 

 しかし3つ目。魔界の門の話だけは本当のことだった。

 事実、この街は他の街よりも人魔が混合割合が高い。街中を魔族が闊歩するのは当たり前の光景だ。

 魔界に最も近い都市。そういう意味で、このヨミハラを「魔界都市」と呼ぶのは何ら当然のことと言えた。

 

 そんなこの街が、今の私にとっては「家」と呼べるような場所だった。

 娼館を照らす眩いばかりのネオンに迎えられ、帰ってきた私は街へ足を踏み入れる。

 ちなみにこのネオンのための電力をはじめとしたライフラインは地上から違法に盗まれているものである。

 

 私は「空」を見上げた。

 地下であるにも関わらず、高層ビルですら入るほどの高さのある空間に、地下であることを時折忘れそうになる。

 

 だが本来なら空があるはずのところにある「天井」を見れば、そんな思いも吹き飛ぶ。

 そこには空もなければ太陽もない。見えるのは無骨な換気口や剥き出しになった配管だけだ。

 とはいえ、それが見えるならまあいいか、と思うことにする。

 

 この都市はその場所の性質上、地上に降った雨が数年を経て池中を伝い、再びこの都市に雨となって降り注ぐという現象が発生する。そうなると天井はまともに見えないのだ。

 荷物の中には水に濡れるとあまりよろしくないような代物もある。帰ってきた時に雨に降られてもいいように防水対策の準備もしていたが、不要となったことはありがたかった。

 

 兎にも角にも、幸運なことに大したトラブルもなく荷物と一緒に帰ってくることができた。

 最初の一団以降、私を狙うような気配を感じることこそあったものの、襲撃されることはなかった。

 間抜けにも見えるカートがいい目印になったのかもしれない。

 

 そんなカートを引いたままヨミハラの街を歩くのもやや億劫ではあったが、ここまでくれば目的地はもうすぐ。ガラガラというやはり場違いな音を立てながら、私は街を歩く。

 

 声をかけてくる者はいなかった。人通りの多めなメインストリートということでガラの悪い連中が少なめ、ということがあるかもしれない。

 あるいは、「あの桐生美琴の助手」ということで良くも悪くも私の顔と名前が街の中に広まっているという噂も耳にする。そのおかげで手を出してくる相手がいないという可能性はあったが、不用意に目立つような存在にはなりたくないというジレンマを感じずにはいられなかった。

 

 結局、目的の建物につくまでに誰にも絡まれることはなかった。

 診療所も兼ねた彼女のラボは一応の営業時間ということもあり、鍵はかかっていなかった。

 

「戻ったわよ、美琴」

 

 どうせ返事はないだろうと思いつつ形式的に声をかけたが、やはり返事はなかった。

 ではこのラボの主が不在かというとそんなことはなく、奥まで行くと予想通りラボでパソコンを相手に研究に没頭しているようだった。

 

 付き合いこそ長いとは言い難いものの、もうこの相手の取り扱い方はなんとなくわかってきていた。

 腕は間違いなく超一流。しかしその分常識や人間性が著しく欠けている、いわゆるマッドサイエンティストを絵に書いたような存在が魔科医・桐生美琴なのだ。

 

「戻ったわよ、美琴」

 

 もう一度先ほどと同じ言葉を口にして、ようやく彼女は私の存在に気づいたらしい。

 

「あ、おかえりー」

 

 顔も向けず、右腕をこっちに振って返事をしてきた。

 その右腕こそが、彼女がマッドサイエンティストと呼ばれる理由の最たるものといえるかもしれない。

 

 それは明らかに異形な腕だった。

 

 なんでも、強大な力を持つ「鬼神の腕」と呼ばれるもので、とある魔術師から譲り受けて移植したらしい。自分の腕にそんなものを移植するという発想がある事自体、マッドサイエンティストと呼ばずしてなんと呼ぼうと言った話である。

 

「頼まれてた荷物、全部持ってきたわよ。途中で武装難民に絡まれたけど……」

 

 美琴は研究の邪魔をされることを嫌う。なのでできればそのまま一段落つくまで待つのが理想ではあったが、ひとまず自分の仕事に過不足がないかの確認だけはしてもらいたい。

 そう思いつつ声をかけたところ、彼女にしては珍しく過敏に反応し、目の色を変えながら持ってきた荷物へと飛びついた。

 

「そうだった! 頼んでた荷物! 魔界草、希少生物の骨、米連の横流し品ー!」

 

 現金な人だと思う。でもまあ、機嫌を損ねずに目的を達せそうだからいいかと前向きに考えることにした。

 

「あーそうそうこれこれ! あとこれも! 助かるわ、またこれで研究が捗るぅー!」

「それはよかった。……で、私の仕事的には問題なし、ってことでいい?」

「んー……。リストの物に過不足はないわね。オッケー、バッチリよ。途中トラブルとか大丈夫だった?」

 

 ここまで私とまともに目を合わせてもいない。彼女の興味は結局のところ荷物にしか無い。トラブル云々もさっき軽く説明しているのにと思いこそしたが、文句を言うだけ無駄なことはもうわかっているのでそこは省く。

 

「入り口付近で武装難民に絡まれたわよ。数人無力化させてその集団のリーダー格の男と『話し合い』をしたら通してくれたけど」

「あー、あいつらホント迷惑よね。昔私の荷物盗んだことあってね。頭きたから殴り込みをかけて暴れたらそれ以降私の物には手を出さないようになったのよ」

「それでか……。あなたの名前出したらあっさり通してくれた。『あのイカれた女を敵に回すとロクなことにならない』って」

「アハハ! イカれた女とは言ってくれるじゃないの。ま、否定しないけどね」

 

 おそらく「殴り込みをかけて暴れた」のレベルでは到底すまないことをやったのだろう。そうでなければ、あの武装難民が名前を聞くだけで引き下がるようになるとも思えない。

 とはいえ、そんな武勇伝を聞こうとしても適当にはぐらかされるか、あるいは聞いたとして聞かなければよかったと思うかのどちらかというのは目に見えている。この女はそういう女なんだと思うことで自分を納得させることにした。

 

「で、無力化させたって言ってたと思うけど一応の戦闘はやったわけだ。私の最高傑作の調子はどう?」

 

 ようやく美琴と視線が交わる。彼女の「研究成果」に関わる話だからだろう。

 意図せず、黒鉄色に輝く自分の右手を見つめていた。握ったり開いたりして感触を確かめつつ答える。

 

「完璧ね。実質的な実戦は初だったけど、全て問題なし。ブレードの変形も義手の力加減も、思い通りに機能した。あなたの腕前は掛け値なしの本物、改めて天才だと認めるわ」

「フフーン、ありがと。でもさ、荒事に巻き込まれかけてるわけだし、やっぱオプションで色々つけない? 特に義手の出力を上げればわざわざカート引っ張ってこなくても荷物を担いで持って来られたかもしれないし、何より戦闘で有利に働くわよ」

 

 おそらく頼めばあっという間に改良型の義手を作り上げるだろう。今回持ってきた荷物に含まれるの米連の横流し品はそのためじゃないかとも思えてくる。

 

「遠慮するわ。それをやると力加減が難しくなる。今の状態が慣れ親しんだ従来の感覚に近いから、できることならいじりたくない」

「あくまで最低限でいいってわけね。……じゃあ敵の無力化のためにスタンガンとかはどう? ああ、昔のあなたみたいに指先から毒を出せるようにとかもしてあげられるわよ」

 

 この女の問題はこういうところだ。

 私の忌むべき過去だとわかっているであろうにズケズケと踏み込んでくる。常識も無ければデリカシーも無い。あえて煽ってるフシさえある。

 

 当初は随分とイラっときたものだが、短い付き合いながらもう扱い方はわかった。こんなのは日常茶飯事、つまり相手にするだけ無駄なのだ。

 

 そして相手は自分の命を救ってくれた身なのだから、言いたいことは言わせておけばいいという結論に至っていた。

 

「……やっぱり人間性壊れてるわよ、あなた」

 

 とはいえ、やはり小言の1つぐらいはこぼしたくなるものだ。

 吐き捨てるようにそう言ってから、私は彼女に背を向ける。

 

「あれ? 怒った?」

「いつものことでしょ。もう慣れたわ。……義手強化の件は不要よ。食事の用意をしてくる。どうせ私がいない間、まともなもの食べてなかったでしょうし」

「あー……。ご明察通り」

「でしょうね。料理も助手の仕事、何か作ってくるわ」

「あなたの作るご飯はおいしいから好きよ。ってなわけでよろしくー」

 

 ああ、我ながらチョロい女だな、と思わず苦笑が浮かぶ。

 料理は好きだ。そしてそれを褒められれば当然嬉しい。今のでさっきのを帳消しにしてもいいかとふと思ってしまった。

 

 ラボの奥、居住スペースへと移動する。

 今でこそ整頓されたが、私が「助手」になるまではゴミ屋敷同然の状態で、美琴の生活能力の無さをありありと証明している場所でもあった。

 

 さて、料理をするにしてもその前に義手であっても手は洗っておこうと、洗面所へ向かう。

 おそらく美琴は保存しておいた食材に手を出すはずもないから、残ったものは何があったかと記憶を探りつつ手を洗いながら、数ヶ月前より高い位置から眺める鏡に映った「自分の顔」をふと見つめていた。

 

 切れ長の目、肩口までの金の髪、そして見慣れた位置にあったはずの、目元と口元から消えたホクロ。

 すなわち――()()()()となった自分の顔。

 

 あの時から全てが変わった。

 

 心だけはそのままに、「私」という存在のほぼ全ては作り物へと変わった。

 でもそれでよかった。 

 

 井河扇舟(いがわせんしゅう)という女は、あの時に死んだのだから。

 

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