1000 * 1000 ~生まれ変わった井河扇舟、桐生美琴の助手になる~ 作:天木武
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中華料理店「味龍」はヨミハラの表通りにある。中華料理店、と言ってはいるがそのメニューのほとんどは手軽な値段で食べられる大衆食堂といったところだ。
まだ私が“扇舟”であった頃、短い期間ではあったがこのお店にはとてもお世話になった。前向きに生きていこうと思えたのも、生きて罪を償おうと思えたのもこのお店での出会いがあったからだ。言うなれば、今の私の根幹をなしてくれたお店、と言ってしまっても過言ではないだろう。
探偵組の最後尾について、お店の暖簾をくぐる。ここで働いたのは短期間だけだったというのに、そこから見える景色は私に郷愁の念を抱かせるのに十分だった。
「いらっしゃい! おっと、大所帯だ! まだ混む前の時間だから入れるよ、ラッキーだな!」
元気そうな、記憶に残る声が聞こえてくる。声の主を確認するまでもない。この店で腕を振るう看板娘の店長代理・
「やっほー、春桃ちゃん。食べに来たよー」
「おお、グィネヴィアもいたのか!」
そういえば静流の酒場でこの2人は仲良しだったという話を聞いたことを思い出す。
そうしつつも、私は他の2人の従業員も目で追いかけ、そして見つけていた。
人狗族でどこか犬っぽい感じのあった葉月。そしてキョンシーのような格好をした、私のことを「センセン」と呼んでいたシャオレイ。
最後に会ってから3ヶ月経ったかどうか、というぐらいだったが、3人の姿はとても懐かしく映り、感慨深いものがあった。危うく何かがこみ上げてきそうになる。
8人という人数だったが、テーブル席2つを占拠して全員が収まることができた。
変わらないと思っていたメニュー一覧を見たとき、思わず「あ……」と声がこぼれてしまう。
「どうかした?」
耳ざとく、探偵に気づかれてしまった。何でも無い、とは誤魔化しきれなさそうだし、気になったのは事実なので聞いてみることにする。
「ここにあるこの『センシュースペシャル』って、何?」
「ああ、それね……」
探偵は答えず、春桃の方へ視線を送った。
「ん? 注文決まったか?」
「いえ、彼女……ミリオンっていうんだけど、ここに来るの初めてみたいでね。『センシュースペシャル』について教えてあげてほしいって思って」
しかしその言葉を聞くと、笑顔が取り柄のはずの春桃の顔が僅かに曇ってしまった。
「ああ……その名の通り、ちょっと前までここにいたセンシューってバイトが考案したメニューなんだ。魔界の食材を使った珍しい料理で。しかもセンシューはこの店が潰れるかもしれないって時にお金まで出してくれたんだ。その後魔界で取れる特別な草の調理法も教えてくれて……。おかげでこのお店は続けることができてる。だけどセンシューは何かの事件に巻き込まれたらしくて、死んじゃって……」
「扇舟さん、本当にいい人でしたよ。可能ならボクが敵討ちをしたいぐらいです!」
「私も悲しいヨ。センセンとどっちが看板娘にふさわしいか、ちゃんと勝負したかっタ……」
春桃の話が聞こえたのだろう、途中から葉月とシャオレイも混ざってきていた。
「それも最初はメニューから消そうか迷ったんだ。センシューのこと思い出すとどうしてもつらくなるから。でも、あいつがここにいたってことを覚えておくためにも残しておくって決めたんだ。……まあ、今じゃこの店の新しい名物メニューだ! もう外したくても外せないけどな!」
最後は笑顔だった。でも、その目元はわずかに濡れていた。努めて明るく振る舞おうとする、健気さが伝わってきた。
「……この街らしからぬ、いい話ね」
それ以上の感想を続けられなかった。だって、声が震えてしまっていたから。
「そんな話聞いちゃったら食べるっきゃないっしょ! 食べない人いる?」
陽気な声でフランシスが取り仕切りだす。事務所では寝ているところしか見ていなかったが、気を抜くと泣いてしまうかもしれなかった今の私にとっては思わぬ助け舟だった。
結局全員が「センシュースペシャル」を頼むことになった。ついでにフランシスは酒も。
オーダーを取り終えて春桃が厨房へと戻っていく。意図せずその後ろ姿を遠い目で追ってしまっていた。
と、入り口から虎のような獣人と思われる子がおかもちを持って入ってくるのが見えた。
もしかしたら新人のバイトだろうか、と思ってるうちにまた新たにおかもちに料理を入れ、春桃と少し話してから出ていってしまった。
「……ミリオンさん、大丈夫ですか? どこか具合でも?」
私が黙ってその子の姿を目で追いかけていたからだろう。向かいに座ったグィネヴィアが心配そうに私を覗き込みながら尋ねてくる。
春桃と仲のいいグィネヴィアなら何か知っていたかもしれないが、バイトについてあれこれ聞くのも変かと思い飲み込むことにした。
「あ、いえ、大丈夫よ。さっきも言ったけど、この街らしからぬ話を聞いたから、ちょっと感化されちゃったのかも」
「でもこの街もまだ捨てたものじゃない、ってことよ。周囲からは色々言われるし悪いやつはたくさんいるけど、良いやつだっている……」
「っていうのを人情家のあんたが言うかね、探偵さぁー」
亜希がニヤニヤしながら探偵を茶化し出す。
「な、何がよ」
「グィネヴィアちゃんの依頼のときだよ。結局後払いで、しかも待遇の良い静流の店を紹介してあげてるじゃない」
「いや、それは……」
「あの時は本当にありがとうございました、探偵さん。しかもミリアム先生の授業も受けさせていただいて」
思わず、私も亜希に釣られる形で笑ってしまっていた。グィネヴィアの件について詳しくはわからないが、結局の所、この探偵も「良いやつ」になる、ということなのだろう。オリジナルのアサギ同様、正義感を引き継いでいるようにも思えた。
「いやーでもあいつの助手ねぇ~。ほんとさ、困ったらうちに来るといいよミリオン! 探偵が面倒見てくれるから!」
「いえ……もう家計が火の車でこれ以上人の面倒を見るのも厳しいんだけれど……」
「あはは……。ま、まあもしもの時はお願いするわ」
そんなことを考えながら、早くもお酒が回ってご機嫌そうなフランシスから振られる話に適当に相槌を打ちつつ、料理が来るのを待っていた。
「あいよ、お待たせ! センシュースペシャルだよ!」
と、春桃が料理を持ってきてくれた。
“私”が以前考案した料理。「ヨル」という魔草と鶏ガラから取ったスープを使い、魔界ノコギリザメのひれを浮かべたフカヒレラーメンと、氷原大鯨の肉に魔草の球根をまぶした衣をつけて揚げた竜田揚げだ。
「きたきたー! この竜田揚げがお酒に合うのよー! いただきまーす!」
つまみを欲しがっていたフランシスが早速料理にかぶりつく。私も竜田揚げを口に運んだ。
ああ、そう、この味だった。産地が近いなら相性がいいだろうと、ヨルの魔草の球根と肉を組み合わせた結果の味だ。
ラーメンもすすってみる。これも変わっていない。魔草のおかげで体の芯から温まりつつも、どこか涼やかな味を併せ持つ。
変わらない味と、店員の3人。それがどこか嬉しかった。
「どう、ミリオン? さっきから黙ってるけど」
「探偵、そりゃ声が出ないほどおいしいってやつだよ。でしょ?」
亜希にそう言われ、私は笑顔を浮かべる。
「ええ。とてもおいしいわ」
「ありがと! きっとセンシューも喜んでるよ!」
段々と客が増えてきた店内を忙しそうに駆け回りながら春桃がお礼を言ってきてくれた。
いや、お礼を言いたいのはこっちだ、と思う。
「ここにいたってことを覚えておくために」という言葉は、とても嬉しく響いた。本当なら正体を明かしたい。でも、それじゃ美琴の迷惑になるし、またいつ“呪い”のようなものに襲われるかもわからない。
これでいいのだと自分に言い聞かせる。井河扇舟は彼女たちの心の中で生き続けてくれるのだから。
だけどもうひとり、会いたい人がいる。ふうま小太郎は難しいとしても、仕事仲間で姉御肌だったサキュバス。彼女にはまた会いたい。
ここの3人と同様、今度はミリオンとして、また新たな関係を築きたい。
「いやーほんとうまい! お酒おかわりー!」
「あ、あのフランシスさん……。まだ昼ですし、その前に事務所でも飲んでたみたいなのでもう飲み過ぎなのでは……」
新たな関係という意味ではここの探偵事務所の面々と会えたともよかった、と思う。
ここに足を運ぶ勇気がなかなか生まれなかったが、彼女らのおかげで良い訪問になったと改めて思うのだった。
◇
善は急げ、鉄は熱いうちに打て、思い立ったが吉日。
探偵事務所の面々と別れた後、3人と再会したその日のうちに最後の1人にも会うべきだと私は心に決めた。
ラボに戻るとすっかり昼を過ぎており、美琴に小言を言われつつ急いで昼食を作った。それでも出来ることなら夜も味龍に行きたい。
そのことを告げるとものすごく渋い顔をされたが、作り置きを条件に許してもらった。一応一緒に来るか尋ねたのだが、「外に出たい気分じゃない」と断わられてしまった。とりあえず作り置きを冷蔵庫に入れ、私はラボを出た。
表通りを味龍の方に向けて歩き出したところで、もしかしたら美琴は気を使ってくれたのかもしれないとようやく気づいた。今までならたまたまと思えたかもしれないが、今回の断り方は不自然といえば不自然だ。後でお礼を言うべきかもしれない。
そんなことを考えながら足を進めているうちに、昼から数時間ぶりの味龍の前に着いていた。過去の経験から言って、目的の人物はいる時間帯のはずだ。
ゆっくりと入り口の扉を、今度は自分の手で開ける。店内を見渡し、彼女がいることを確認して少し安堵した。
「いらっしゃーい。……おや? 昼も大所帯と一緒に来てくれた人じゃないか?」
「ええ。おいしかったからまた食べたいと思ってね」
「謝謝だぞ! これですっかりウチの常連だな! えーっと、確かミリオンだったか? 覚えたぞ。でもセンシュースペシャル以外のメニューもおいしいから、よかったら他のも食べてみてくれよな!」
春桃はそう声をかけつつも、空いた食器を持って店内を駆け回っている。昼からずっとだと言うのに元気だと感心してしまった。
さて、と私は目的の女性のそばへと近づいた。
シスターのようなフードをかぶりつつも大胆に露出した衣装に身を包み、頭にある角から人間とは異なる種族だとわかる彼女。
「ここ、いい?」
我ながら古臭い切り出しだとは思う。が、他の手段も知らないので仕方ない。
「席なら他も空いてるわよ」
「あなた、常連でしょ? 私もさっき常連って認められたところで、他の常連さんの女子と仲良くしたいなって思ったの。一杯おごるから。なんなら、餃子もつけるわよ」
目の前の皿の餃子があと1つなのを確認してそう付け加える。以前の彼女はここに来るとよく餃子を注文していた。
彼女と目が合う。一瞬無表情だったが、すぐにニッと笑みを浮かべてくれた。
「春桃ー! こっち餃子とお酒追加よろしくー!」
「あいよー、追加了解……ってなんだ!? そこ2人もう仲良くなったのか?」
「この子が常連の私と仲良くなりたいって言うからね、おごってもらうことにしたの」
「あ、ついでに私にチャーハンと餃子もらえる?」
「あいよー、そっちも了解!」
便乗する形で私も注文を済ませる。……そういえば美琴に作り置いたのもチャーハンだったか。ここの味を盗んで次に活かすのも考えよう。
「さて、お互い注文が終わったところで……自己紹介もまだだったわね。私はフェルマ。見ての通りサキュバスよ。趣味と実益を兼ねて娼婦をやってるの」
ええ、よく知ってる。そしてお節介焼きで、いつも私のことを気にかけてくれていた……。
「私はミリオンよ。最近この街に来て、桐生美琴に命を助けてもらったから、そこで助手っぽいことをしてる」
「美琴ォ? 命助けてもらったって言ったって、あんなのの側にいたらそれこそ命いくつあってももたないって! 辞めて一緒に娼婦やらない? ああ、ここで働くのもいいかも。最近新しい子入ったけど、いつもバイト不足みたいだし」
やっぱり何かと世話焼きなのは変わらないか、と少し嬉しくなる。
それと同時に、「新しい子」という話もやはり気になった。
昼にチラッとその姿だけは見ていた、おそらく虎の獣人と思われるあの女の子だろう。
フェルマなら何か知っているかもしれない。聞いてみようかと思った、その時。
「戻ったのだ」
入口の方を振り返ると、まさに今気にかけていた獣人の虎娘が帰ってきたようだった。
「ああ、彼女が新しい子のトラジローちゃん。最近入ったみたいだけど、元気な子でね。明るい子が来てくれてお店的には助ってるんじゃないかなって思うのよね」
フェルマが何を言わんとしているのかをなんとなく察した。多分“私”のことだろう。
「……明るい子が来てくれてよかったっていうのは、もしかしてメニューを考案してくれたけど亡くなってしまったっていう人に関係すること?」
だから、意を決して尋ねてみることにした。
最後の餃子に箸を伸ばそうとしたフェルマの手が止まった。
「……ええ、そう。ここの子もつらい思いをしたから、トラジローちゃんがいれば少しは前向きになれるかなって思って。……亡くなったその子、扇舟ちゃんって言うんだけどね。詳しくは知らないけど、あの子は『自分は悪いことをたくさんしてきた』って自分を追い詰めてて。だからここのバイトを紹介してあげたの。そうしたらメニュー考えたりして、明るく前向きになってきてたと思ったんだけどね……」
ふう、とひとつ息を吐いてからフェルマは餃子を口に運んだ。
しばらくの沈黙の後、餃子を飲み込んでから静かにフェルマは続けた。
「彼女のことは残念だったけど、でも私は彼女のことを覚えてる。そしてここのお店も。彼女がここにいた証としてメニューを残してくれてる。それが私たちが彼女に出来るせめてものことだと思うから」
ああ、その気持だけで十分すぎる。
おそらく、私の名前はここ以外でも残ってることだろう。多くの対魔忍を殺した毒手使いという悪名として。
でもそんな風じゃなく覚えていてくれる。そう言われただけで、本当に嬉しかった。
「……きっとその人、喜んでると思うわ」
「それなら私も嬉しいわね。おそらく彼女たちも、でしょうけど」
フェルマが追った視線の先、春桃、葉月、シャオレイの3人が料理を運んでくるところだった。
「ほいよ、チャーハンと餃子と……」
「もうひとつ餃子です」
「あとお酒ネー。飲み過ぎには注意ヨー」
“私”の入れ物は変わってしまったし別人になってしまったけど、またこの5人で顔を合わせられたことは嬉しい。
意図せず、机の上に料理が並んだのを見て笑顔になってしまった。
「それから常連サービスで杏仁豆腐だそうだ。春桃はちょっと甘い思うぞ」
「いいんだよ、常連は大切にするのがモットーなんだから!」
少し遅れてトラジローがサービスを持ってきてくれた。そのエプロンを見て思わず「あっ」と声がこぼれる。
「ん? どうかしたか?」
「……いえ。よく似合ってるエプロンだと思って」
「そうか? とりあえずありがとうと言っておくぞ。じゃあごゆっくりだ」
あれは以前の“私”がつけていたエプロンだ。どこか感慨深いものがある。
「ねえ、あなたのおごりなんだし、一杯付き合うでしょ? ミリオン
不意にフェルマに呼ばれたその呼ばれ方は、どこか懐かしく響いた。
私は“私”ではなくなった。だから以前のような付き合いはできないかもしれない。
だけど、あの頃を思い出させてくれる呼び方で私を呼んでくれたのは嬉しかった。
それなら新たに、今度はミリオンとして、春桃、葉月、シャオレイ、フェルマ、そしてトラジローと友好な関係を築けたら嬉しい。
そんな思いを込めて、私は口を開いた。
「……ええ。勿論。これからよろしく、フェルマ」
「こちらこそ」
再会と新たな出会いを祝して、乾杯。
私は1人心のなかでそう呟き、酒を呷る。
これから先、美琴の助手としてのヨミハラでの生活にはどんなことが待っていて、どんな人との出会いがあるのだろうか。
そんな楽しみと共に、アルコールが心地よく体の中へと染みていった。