1000 * 1000 ~生まれ変わった井河扇舟、桐生美琴の助手になる~ 作:天木武
しかし扇舟の母である
それから十数年が経ったある時。内閣情報調査局の
元々強奪された曰く付きの戦術核だったため、意図せずそれの回収を手助けした形となり、さらに母の計画の立証に協力したこと、何よりアサギから見れば伯母という血縁関係だったこともあって、処分は五車追放というかなりの温情で済まされた。
その後、母に捨てられたことで自らの惨めさと愚かさに改めて気づいた扇舟は、自暴自棄となりヨミハラに流れ着いて娼婦に身をやつして生活していた。そんなある日、ふとしたきっかけからヨミハラの中華食堂である「味龍」で働くこととなる。自分に笑顔を向けてくれる人たちとの出会いを経て、少しずつ考えが変わっていく扇舟。死んだように生きるのではなく、自分がしたことと向き合い、生きて罪を償おうと決心するのだった。
ところが、五車での決戦で身内を失った遺族が追放だけという処分が甘いと不満を抱き、禁術に手を出してしまったという事実が発覚。扇舟を殺すために術者の命を触媒に呪いを放つ存在として生み出された「呪詛の魔獣」が襲いかかる。標的が死ぬまで追い続け、周囲をも巻き込む魔獣の呪いを消すためには、対象である自分が命を絶つしかないと悟った彼女は、贖罪のために自らの心臓に刃を突き立てた。
そして――。
時は、その事件から数日後まで遡る。
◇
暗い。
光も差さず音もない、地の底で横たわるかのような感覚。
自分が誰で、なぜこうしているのか思考が定まらない。
いつからこうしていたのか、いつまでこうしているのかもわからない。
私はどうして――。
「……えてる? 私の声……よね?」
不意に。
誰かの声が聞こえてきた。
そうか。私は眠っていたのか。
じゃあ起きないと……。
「う……ん……」
「ハロー? 聞こえてる? よし、起きたわね」
瞼が重い。
私を覗き込むように、女がペンライトを手に目に光を当ててくる。
眩しいはずなのに、なぜかあまりそうは感じなかった。
「ふむ、まあ異常なしか。私の声は聞こえてる?」
「あなた……は……」
「聴覚と発声異常なし、と」
女は医者だろうか。視界の外へと消えていった彼女を追いかけようと身じろぎしようとするが、体が動いてくれない。目の動かせる範囲で情報を得ようとしても、薄暗い病院かどこかという程度がせいぜいだった。
「ごめんなさいね、諸事情で今あなたの体はほとんど自発的に動かせない状態なの」
彼女は再び私の視界の中に入ってこちらに視線を向けつつ、そう答えた。
理由はわからないが、確かに体が動いてくれる気配も、感覚すらもない。
「さてと。まずは自己紹介といきましょうか。私は魔科医の桐生美琴。自分の名前はわかるかしら?」
「井河……扇舟……」
なぜか、彼女の口の端がわずかに上がったように見えた。
「記憶もあるみたいね。じゃあ次、とても重要な質問よ。……目を覚ます前、何があったか思い出せる?」
暗い地の底にいたような……。いえ、あれは夢だった……。
その前は……段々体が冷えていった感覚……。確か体に痛みが走って……。
「あ……あ……!」
少しずつ、だがはっきりと記憶が蘇る。
忍者刀で心臓を貫いた。そうするしかなかったから。私を襲ってきたあの化け物……。“呪い”……!
「落ち着いて。深呼吸、ゆっくりと」
その声で私は我に返る。
ベッドのそばにある機械からだろうか、ピーピーと何やら警告音のようなものが鳴っていることにもようやく気づいた。
言われたとおり心を落ち着けるために呼吸を整えようとする。でも体の反応の方は少し落ち着いた気がするが、心はまるで落ち着きそうになかった。
「……よし、安定してきた。鎮静剤無くても大丈夫そうね」
「……どういう、ことなんですか、美琴さん……? 私を襲ってきた“呪い”が広がらないように……あの時、確かに……」
「私のことは呼び捨てで、敬語もなしでいいわ。長い付き合いになりそうだし。……それであなたの質問への答えだけど、確かにあなたの心臓は、あなた自身の手によって綺麗に貫かれていたわ」
じゃあやはりここは死後の世界……。
「でもあなたは生きてこうして私と話している」
「そんなはず……。だって心臓を……」
「たかが心臓がダメになっただけじゃない。私にかかれば、そこから蘇生させるなんて訳の無いことよ」
「……え?」
目の前の女が何を言っているのかわからなかった。
心臓を貫けば死ぬ。常識だ。
確かに一部、非常に強力な生命力を持つ存在――例えば脳と心臓を同時に潰さないと死なないほどの超回復能力の忍法を持つ対魔忍や、魔界に住む化け物などだが、そういった存在がいるにはいるものの、私はそこに該当してはいないはずだ。
「でもそんな大見得を切るような言っておいてアレだけど……。結局は蘇生って時間との勝負なわけでね。時間がかかればかかるほど体の器官はダメになっちゃうの。
……あの事件の時、私は何も知らずにここにいて、ある人間に呼び出されて行ったわけなんだけど、実のところもうほとんど手遅れだった。でも1番重要な脳と中枢神経だけは奇跡的に無事だったから、まあ一応蘇生って形を取れたわけではあるけど……」
私の疑問をよそに、どこか言いにくそうに言葉を濁らせながら美琴は続ける。
「……はっきり言ってこれから伝える現実にあなたはショックを受けると思う。覚悟しておいて。それでできれば取り乱しすぎないようにして。どうしようもなかったら鎮静剤使うけど、できれば使いたくないから」
「自分は確かに死んだ、そう思ってたのよ……。それが生きてただけでも驚きなんだし……何を今更って感じはあるわね。……まあいいわ、心の準備はできた。それで……何にショックを受けるの?」
「……これが、今のあなたの顔よ」
視界に入るように鏡が動かされる。そこに写し出された顔を見て、「私」は目を見開いた。
「誰……これ……」
そこには、今まで見慣れてきた自分の顔とは違う女の顔があったのだ。
意図せず心拍数が上がり、呼吸が荒くなるのを感じた。同時に、先程聞こえてきたものと同じ警告音も聞こえてくる。
「深呼吸。落ち着いて」
落ち着けるわけがない。
死んだと思ったら生きていた。しかし顔が変わっていた。何が起こったのかがまったくわからない。
混乱は増す一方だったが、意識的に深呼吸を繰り返すと、警告音は止まったようだった。
「……さっきの発言は撤回するわ。自分じゃない顔の女が鏡に映ってたら落ち着けって言う方が土台無理な話じゃないの……。とにかく私の体に何が起こったのか……。いえ、何をしたのか、説明して頂戴」
「実を言うと、私は義体……サイボーグを作っていたの。言い方は悪いけど、まあ私の趣味、とでも思ってもらえばいいわ。……そもそもサイボーグ技術と言えば米連だ特務機関Gだと言われるのが腹立たしいのよ。あいつらのサイボーグには美しさがない。だから天才の私がそこまで兼ね揃えた、人間と区別つかないような完璧な全身サイボーグを作ろうとして……」
「……ごめんなさい。話を遮るようで悪いんだけど、要点だけ話してくれない?」
なんとなくこの女の正体がわかってきた。これはいわゆるマッドサイエンティストというものに違いない。
邪魔をしてしまったせいか、少しムッとした表情を浮かべられた。が、ひとつ咳払いを挟むと話を続けてくれた。
「……要するに、私は自分でサイボーグを作っていたってわけ。そしてさっき言ったように、あなたの脳と中枢神経は無事だったけど、他の組織はもう手遅れだった」
「そう……。つまりあなたが作ったサイボーグの中に私の脳と中枢神経を移植して蘇生した、ってわけ……。この顔は整形じゃなくて、脳ごとサイボーグに入れ替えたからなのね」
そう言えば耳から聞こえてきた“自分の声”は今までより少し別物で高いようにも思えた。状況を把握できた今だから気づけたのかもしれない。
同時に、これで自分も生に執着したあの母と同じ存在になってしまったのだとも思った。
「あ、あれ……? 思ったより落ち着いてる……。自分の脳を勝手にサイボーグに入れられたってなったらもっと拒絶反応とか、嘘を言ってるだとかあると思ったのだけど……」
「……私の母は年齢的に100に近いような年だけど、それより遥かに若い義体を使っていたのを目にしたからね。それよりもっと酷い例だと、その母と同じぐらいの年齢の爺が少女の素体を利用した義体に入った挙げ句、元の素体の記憶と混濁して最初から少女だったと思いこんでるなんてものまで見てる」
意図せず「うわ……」と美琴はこぼしていた。マッドサイエンティストだと思ったが、そんな彼女でさえ流石に不快感を抱く事例だったのだろう。
「それで、今の私はサイボーグの体ということは理解したわ。でもどうして私を助けてくれたの? 誰かの依頼?」
「……さっきの取り乱すなって話、まだ続いてると思って聞いて。実は私が受けた話は、あなたの治療や蘇生ではなく……処理、あるいは処分、だった」
処理と処分という言葉が引っかかる。あの時の私は確かに心臓を貫き、おそらく天才であろうこの魔科医の腕を持ってしても「手遅れ」という状況だったはずだ。
つまりそのまま放っておけば間もなく死ぬであろう人間を「処理」する必要がどこにあるのだろうか。
「“死霊卿”って聞いたことがある?」
私が黙ったままだったためか、美琴が先を続ける。
「ええ、一応は。確か魔界の支配層の一勢力、だったかしら。その名の通り死者に生命を与えて操る存在、とかだったと記憶してるけど」
さすが、と形式的に称賛してから美琴は説明を始めた。
「この街はノマドが牛耳ってるわけだけど、今あそこが死霊卿絡みの件で少しピリピリしてる。そんな中、井河扇舟という魂が消えようとしていた。……あなた自身がどう思っているか知らないけれど、闇の世界では井河扇舟という存在は結構大きな存在だそうよ。よって、まず死んでしまったあなたを死霊卿側が手に入れて手駒とするという状況だけはなんとしても避けたかった」
なるほど、それで実質死亡扱いでいいはずの私の「処理」、あるいは「処分」という話になるわけか。
しかし死霊卿の手駒になる事態を避けられたのはありがたかった。死してなお魂までも汚され、再び五車に牙を剥く存在になるなど、実にぞっとしない。
「あの場にいた対魔忍の独立遊撃隊に遺体を任せるという選択肢もあったのだけれど、この闇の街には闇の街なりのメンツというものが一応ある。ヨミハラで起きた事態だから対魔忍の手に委ねること無くこちらでなんとかしたいという思いがあった。……ま、私に言わせればそんなメンツなんてくだらないとも思うけど。
じゃあノマドでやれ、って思ったら、ノマド内部にも死霊卿のスパイが入り込んでいる可能性があるとかないとか。さらには他の勢力の刺激になる真似はできるだけ避けたほうがいいって話にもなってね。死霊卿の他にも、淫魔王こと幻夢卿だの、鬼族の集まりである鬼武衆や鬼哭だの、果ては米連の特務機関Gだの……。ノマドに対抗しうるそういった連中の勢力争いによってこの街は危ういバランスで成り立ってる。その均衡を崩したくなかった、ってところかしらね。
……とにかくそんなわけで、最終的に立場としてはこの街で比較的中立であると同時に、遺体の取り扱いに慣れている私に仕事が回ってきた、ってわけ」
私は黙って話を聞いていた。
今の説明で美琴が私の処理担当になったのはわかった。しかし、肝心な部分がまだだ。
「……申し訳ないけど、質問の答えになってない。私の質問は『どうして私を助けてくれたのか』よ。今のあなたの話なら……そのまま私が死亡したことを確認して遺体を処理すればよかった。でも私は今まだ生きている。つまり、あなたは私をわざわざサイボーグに脳を移し替えてまで蘇生してくれた。それはどうして?」
「ん? ああ、答えが足りてなかったか。このラボに運び込んだ時点であなたの脳と中枢神経がまだ生きている状態なのを確認した。正直、なんで無事なのかわからない奇跡としか言いようがない状況で私にも説明がつかないんだけど……。とにかく、私の認識ではあなたはまだ生きていた。そして、私の手元には私が作り上げた義体があった。……じゃあ処理とか処分とか言わずに使っちゃえばいいじゃん、って思ったのよ。助手みたいなのがいてもいいかと思ってたところだし、実際に動かしてみてのデータも取りたかったから」
思わず言葉を失う。言うなれば、この桐生美琴という女の気まぐれと、たまたま義体があったから生かされた、ということだ。
しかし不思議と怒りはわかなかった。どうせあのままでも死んだ身。己に刃を突き立てた時点で死は覚悟できていた。
が、それとは別にとある疑問が浮かんでくる。
「……ちょっと待って。生かしてくれたことは感謝してるけど、“呪い”はどうなったの? あれは私の命を絶つまで消えなかったはず。でもこうしてまだ私の命があるということはあれもまだ……」
「それについてはおそらく、だけど大丈夫。私があなたを回収に行ったときにはもう“呪い”は消えていたし、今こうして話しているけど襲われる気配もない。それから……とある筋から手に入れた独立遊撃隊の隊長さんの報告書には、『致命傷であることには変わりなかったが、まだ彼女の息があるうちに“呪い”は消えた』と書かれてるわ」
言われてみると“呪い”が消えるのを確認して安心したような記憶はある。
正直なところ、どうやって独立遊撃隊の報告書を手に入れたのかも気になったが、そこは飲み込むことにした。
「それから、その隊長さんの推察として面白いことが書いてあった。『彼女の息がある状態で“呪い”が消えたということは、彼女は贖罪を果たしたということに他ならないのではないか』ですって」
自分の意志で私を守りたいと言ってくれた、あの坊や――いえ、ふうまの若き当主の顔を思い浮かべる。彼の父の命を奪ったのは実質私だというのに、彼は私を許すと言っていた。そのことはとても嬉しい。でも――。
「“呪い”のことはわかった。それからあなたがなぜ私を生き返らせてくれたかも。……つまるところ、あなたは“井河扇舟”には何の興味もない。丁度都合良く義体に移植できる素材が手に入った。それが私だった。そういうことね?」
「概ね合ってるわね。ただ、あなたには毒の知識があるから、蘇生させた見返りってわけじゃないけど、助手になってもらうのには向いてるなってちょっと思ったかな」
「……でも、もし私が生かされたことを望んでいなかった、と言ったらどうする?」
ふうま小太郎は私を許してくれた。
だけど、私に向けて“呪い”を使った人は? 他の五車の人は? 私がこれまで数多く殺めてきた人の遺族たちは?
「私はあまりに多くの人間を殺しすぎた。そしてそのことが原因で呪いをかけられた。……生きて贖罪をしたいと思った時もあった。けれどもあの時、己の命を絶つことこそが私の贖罪なんだと悟った。許されない罪もある。だとするなら……」
「自分は生きていちゃいけない人間だ、とか?」
美琴の言葉に無意識に頷こうとして、それができないことに改めて気づいた。
確かに私は母の思いこそが全てと妄信し、絶対的な力を持つ母に認めてもらいたい、失望させたくない、さらには不要だと思われて捨てられたくないという思いから、母同様の外道に落ちた。
だがそれはこちらの都合、所詮言い訳に過ぎない。アサギは諸悪の根源は母である星舟だと断じてくれたが、手を下したのが私であることに変わりはないのだから。
「……美琴、さっきも言ったけど、もう死んだと思った私という存在を生き返らせてくれたことには感謝してるわ。でも、本来ならあの時死して罰を受け入れるべきだったんじゃないかっても思ってる。だから……」
「あのさ、それ、今すぐ答え出さなきゃダメ?」
彼女の言わんとすることが読み取れず、思わず「は?」と間抜けな声がこぼれていた。
「死で罪を償う。ぶっちゃけ私にはその感覚がわからないんだけど、まあそういう考え方もあるってのはわかる。でもさ、折角生き返れたのにすぐに死を選ぶっていうのは何か違うと思う。誤解を恐れずに言うなら、一瞬で終わる死は逃げとも捉えられる。……もっと長く命を全うして、生きている限り過去の過ちを悔いて罪を背負い、そして償っていく。そういう方法もあるんじゃないの?」
デジャヴュ。ふと、つい最近にもそんな事を言われたような気がして記憶を呼び起こす。
『生きてなきゃ罪を償うこともできない。そういうことだと思うわよ』
そう言ってくれたのは、娼婦仲間で姉御肌だった、何かと私を気にかけてくれたサキュバスだった。
生きていいのか、という私の問いにそう返してくれた。
答えはやはり見つからない。だけど自らの命を絶とうとしたあの時、贖罪の気持ちと同時にもう少し生きてみたかったという気持ちがあったこともまた事実だったということに気づいていた。
「まあ私は贖罪なんて全く縁のない人間だから、そのことであなたの手助けはできない。でもとりあえず、どうしても命で償わないといけないって結論にたどり着くまでは生きてみてもいいんじゃない? 死ぬのなんていつだってできるんだし、そもそも私はもう一度殺すために生き返らせたつもりもないし。……そして何より、この私があなたの蘇生と義体への移植をやったっていうのにやっぱり死にます、は徒労が過ぎてちょっと納得がいかないものね」
どこかいい具合にまとまりそうな気もしていたのに、最後ので全部台無しだと思わず小さく笑ってしまった。同時に、まだ笑える自分に気づいた。
本来ならそんな資格は無いかもしれない。「生きて罪を償う」などという行為も独りよがりなのかもしれない。
だけど、もう少し生きてみたい。そう、心から思えた。
「ねえ、美琴」
「何?」
「正直なところ、私はまだ生きていていいのかわからないところもある。でも、可能なら生きていたいっても思う。そして罪を背負っていこうって。だって……死ぬのはいつでもできるんでしょう?」
私の顔を覗き込むようにして視線を合わせていた美琴がフッと笑った。
「よし、じゃあ話はまとまりそうね。……あーよかった、私こういう説得とか苦手だったからちょっと不安だったのよ。どうしても意固地に断るつもりなら頭の中ちょっといじろうかとか思ったし」
「……あなた、人間性壊れてるわよ」
「褒めてくれてありがとう」
褒めたつもりはまったくない。
こんな相手に借りを作ってしまったことはまずかったのではないかと今更思う。……というよりも。
「……ねえ、私お金とかまったくないんだけど、この治療費って……」
「ああ、大丈夫大丈夫。さっきも言ったけどここで助手として働いてもらう分と、データ取らせてもらう分で全部チャラにしてあげる。まあどっちにしろその義体は私の定期的なメンテナンスが必要になるから、ここから離れるのは難しいだろうし」
知らず知らずのうちに悪魔の契約を済ませてしまっていたらしい。
それでもまあいいかと思えてしまう。どうせ一度は死んだ身だ。
とはいえ、美琴に癖がありすぎるのもまた事実。これから先、この相手とうまくやっていけるのかは若干不安であった。
「さてと、あなたの意志確認は終わったし、治療費関連の問いにも答えた。あと他に何か質問はない?」
「……今のところは」
「オッケー。じゃあ次のステップに移りましょう。あなたの名前を決めるわよ」
「名前? ……ああ、私は死んだことになってるからか」
「そう。“井河扇舟”は死んだの。だからあなたはその身体同様、別人として新たな名前が必要になる。何か希望があるなら言って。名前をもじったり、ニックネームから決めたりしてもいいし。無いなら、私が適当に決めるけど」
藪から棒に話が切り替わって思わず口をつぐんでしまう。
いきなり新しい名前と言われても困る。別人としての名前、と言われている以上、元の名前を簡単に推測できるようなのはダメだろうし、かといってニックネームなどというのは全くもって縁がない。
「あ……」
その時、私の脳裏にある記憶が蘇った。
“呪い”に襲われる直前。ヨミハラの中華料理店である「味龍」で働いていた時、キョンシーのような格好の少女が言っていた、私へのちょっと変わった呼び方――「センセン」。
「……『ミリオン』」
「ん? 何が百万なの?」
「私の名前。ミリオン、っていうのはどう?」
「あなたがそれでいいならいいけど……。でもまたどうして?」
「少し前、私のことを『センセン』って呼んだ子がいたの。覚え間違いかニックネームかわからないけど、そんなふうに呼ばれたのは初めてだった。だから……
へえ、と美琴が感嘆の声をこぼすのがわかった。
「いいんじゃないかしら。あなたの意思がいちばん重要なわけだし。ちなみに私の考えた候補を言っておくと『ラストウィーク』と『ファンシップ』なんだけど」
……「センシュウ」を「先週」に文字ってそのまま英語にしたのと、「扇」と「舟」を英語にしてくっつけただけか。そんなのすぐバレると思うのだが、そんなものでもいいのだろうか。
「じゃあミリオンでいいわね。これからよろしく、ミリオン」
兎にも角にも、私の新しい名前は決まった。
井河扇舟は死んだ。しかし彼女の罪を背負い、これから私はミリオンとして生きていく。
今日がその1日目だ。
「さて……。時間的にもここまででいいか」
そんな風に心機一転、と思った矢先。どうやら今日はタイムアップらしい。
「時間ってことは、私の体の調整の続き?」
「ええ。あなたと話すことも目的ではあったけど、一番の目的は意識の覚醒時に私が創った人工臓器……主に呼吸器系と循環器系に異常がないかのチェックだったから。ここまで特に異常はなかったし、次に目が覚める時は義手と義足も取り付けて体を動かせるようにしてあげるわ」
「……え、今手と足無かったの?」
「あ、言ってなかったっけ。まあ感覚切ってたし見えなかっただろうからどっちにしろわからないか」
視界の外から特に気にした様子もない美琴の声が聞こえてきた直後、抗いがたい急な眠気が襲ってきた。
どうやら今日はここまでらしい。
「話せて楽しかったわ……」
「ちょっと、今際の際みたいなこと言わないで、縁起悪い」
「あら……それはごめんなさい……」
「ま、とにかく今日のところはお疲れ様。ゆっくりおやすみなさい」
「ええ……おやす……み……」
さようなら、井河扇舟。でもあなたの「心」はミリオンが引き継ぐ。
そんなことを考えているうちに私の意識が闇へと落ちていく。
不思議と、今度は地の底に沈み込むような恐怖感は無かった。