1000 * 1000 ~生まれ変わった井河扇舟、桐生美琴の助手になる~ 作:天木武
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私が静流の酒場から外に出て少し体をほぐそうとしていると、なぜか戦うことになったオークの2人組を始めとして他の客もゾロゾロと出てきていた。
ケンカを見ることが目的の、完全な野次馬だ。
「危なくなったら止めてあげるから、まあ適当に始めちゃって」
見届人のつもりだろうか、ものすごく投げやりに静流が開始を告げる。
相手方の動きはまだない。今のうちに考えをまとめることにする。
店内でも思ったことだが、打撃は避けたい。力の伝わり方はある程度把握できたが、打撃の際に生じるインパクトの瞬間がどうなるかというとまた話は別。ケンカで済ませられない大怪我を負わせたなんてことになったら遺恨が残りかねない。
さっきは切り札にすればいいと思っていたブレードもダメ。ケンカの仲裁用としては効果があるが、ケンカを見ること自体が目的で野次馬が集まってるこの状況で使えば周囲から反感を買う可能性があるし、相手にも凶器使用の口実を与えることになりかねない。
言うまでもなく忍法は封印。不確定要素としても最も大きいと言っても過言ではない。
となれば、店内で取った方法と同様が一番無難だ。もう一歩踏み込んで投げ、までいくと相手の怪我のリスクが高まってしまう。うまく体を扱いきれるかという不安もある。基本は避けるべきだ。
加えて、さっきの踏み込みと腕の押し込みの感覚ででたらめに力が入らないということだけはわかっている。この点だけは、ほぼ以前の体の感覚で扱えそうだ。
ひとまずはこれでいく。それで厳しい、となったら投げを解禁するしかないだろう。
つまり相手の力を利用する形がベスト。対魔殺法の基礎は一通り頭の中に入っている。その中でも防御寄り、殺傷能力が低そうなスタイルをいくつか脳内でチョイスする。
もっとも適切なのは俗に「
ああ、とその時ふと気づいた。そういえば私は最初の頃、この防御型のスタイルを突き詰めようとしていた、と思い出す。やはり例に漏れず途中で転換することにはなったのだが、私の礎を担ったスタイルが、新しい「私」でも同じ役割を果たそうとしている。
そんな風に思ったら、なぜか思わず小さく笑ってしまっていた。
「何笑ってやがる! なめやがって、行くぞオラ!」
私の笑みを挑発と捉えてしまったらしい。オーク2人が拳を振りかぶりながらこちらへと駆け出してきた。
今の私の身長は大体175センチ。対するオークは2メートル近くある。迫りくる身長差で圧倒されるかと思ったが、恐怖感はまったくなかった。
まずは私から見て左側の相手に狙いを定める。さも散歩でもするように数歩足を進め、間合いに入る直前に小さく左側へステップ。相手の右拳が空を切る。
あとは先程の店内でやったことの応用だ。相手の肘を押して力の行き先をずらしてやる。
加えて、今度はおまけとして相手の足の先に自分の足を置いておく。
「うおおっ!?」
少し前の光景と同様にバランスを崩し、さらに置いておいた足で払われる形となってオークの片割れが転倒した。
「てめえっ!」
出来ればその転倒に巻き込みたかったのだが、奥側のオークはうまく避けていたらしい。
2回ともパンチでバランスを崩されたのをわかって警戒したか。今度はキックだ。
しかしそれはパンチ以上に悪手だ。……使っているのは足だが。
単純な右の前蹴り、と判断。脇を締め、左腕で体の外側へと攻撃を受け流し、がら空きになった相手の体に肩口から体当たりをする。
ほとんど体を預けただけだったが、片足ということもあってよりバランスは崩しやすい。見事に背中から倒れてくれた。
観客から歓声が上がる。一応は意に沿ってはいるらしいが、こんな消極的な戦い方を続けていてはブーイングを食らうのもありうる。
しかも悪いことに転ばされた相手2人は起き上がってまだやる気だ。
仕方がない、と私は自分に言い聞かせるようにして決意を固めた。
投げを解禁する。
下はコンクリートなのでダメージが心配だが、相手は体力が自慢のオークだ。強烈に叩きつけなければ大丈夫だと思いたい。
さっきまでは勢い任せで飛び込んできて痛い目を見たからか、今度の相手の動きは慎重だった。ファイティングポーズを取っているが特に武道の心得があるというわけでもなさそうである。我流のケンカスタイルだろう。私を挟み込むように左右に展開している。
対する私は構えない。いや、構えないのが構え、というべきか。できるだけ脱力し、相手の出方に合わせて対応する。
とはいえ、この体になってからぶっつけ本番だ。せめてあと1日でもあればこの辺りの訓練ができたのに、とは思えてしまう。
「行くぜっ!」
「ウオオオッ!」
息を合わせたように2人の攻撃は同時だった。双方とも右の突き。だが先程思ったとおり、武道の心得がなさそうなテレフォンパンチだ。
右側の相手に狙いを絞る。左の相手の射程外に逃れるようにステップして、逆に右側の射程内へ。
振り下ろされた拳の軌道を見切り手首を左手で掴み、相手の力を利用して引き込む。もう1人からの攻撃を遮る位置までたたらを踏ませたところで、掴んだ腕の肘の内側に右手を当てて力を込め、さらに右足に引っ掛ける形で相手の足を払った。
「ハッ!」
オークの巨体が宙で半回転して背中から落ちる。
対魔殺法・
「式武の型」の、基本の技のひとつだ。柔道の「
達人級ともなれば合気のように相手の力を利用して左手1本だけでも転がすように投げられたり、相手に腕を掴まれている状態からでも繰り出せたりと派生先も様々だ。
加えて足を払うことで相手を投げ飛している感じが強まるため、見た目としてはなかなか派手で、複数相手に対しては威嚇効果もある。実際、片方が投げられたことでもう1人のオークは攻め込むのを躊躇していた。
今回はそれが野次馬に対しての盛り上がりという形でも働いた。一気に歓声が沸き上がる。期待を裏切らないという点では良いのだが、このままやめましょうとは言い出しにくい雰囲気。
とにかくこうなったらもう1人もとりあえずどうにかして転ばせるか投げるしかない。それで終わりに出来るだろうと、相手の仕掛けを誘うために間合いに入ろうとした、その時。
「コラーッ! これは何の騒ぎだー!」
不意に、女の声が響き渡った。
と、同時に誰かが「あーあ、またあいつが来ちまったよ……」と興ざめしたようにつぶやくのが聞こえた。
「ケンカか!? こんな街中で騒ぎを起こすな! いや、そもそもケンカをするな!」
現れたのは腰に帯刀した1人の少女だった。それまで盛り上がっていたギャラリーが彼女の登場だけで一気に冷めていくのを感じる。
「ごめんなさい、リーナ。店内でトラブルになってね。やるなら外でやれ、って言って私がつまみ出したのよ」
静流がギャラリーを代表して口を開いた。それを受け、リーナと呼ばれた少女はピクリと眉を動かす。
「おい静流! 確かに店内で暴れられると困るのはわかるが、だからといって街中で見世物になるようなことをやらせるんじゃない! そもそもお前町内会長だろう!? なのに治安を悪くすようなことを自らやり出してどうする!」
「はーい、ごめんなさいね」
「全く反省する気ないだろう貴様! ……まあいい、それでケンカしてたのはそこの3人か? 原因は何だ!?」
思わず私はオークたちと顔を見合わせてしまった。そういえば経緯がかなりメチャクチャだった。
「俺たちが店内で揉めそうになったところで、そこの姉ちゃんが止めに入って……」
「なぜか知らないけど私がこの2人と戦うことになったの。完全に巻き込まれたんだけど……」
「ええーい、問答無用! 見ればお互いに怪我らしい怪我はしてないようだし、今日はここまでにしろ!」
原因を聞いてきたのはそっちなのに、とは思ったが口に出すのはやめにした。これ以上状況を悪化させたくはない。
「……ん? そういえばお前は見ない顔だな。この街の新入りか?」
と、不意に私を見つめつつ尋ねてきた。ヨミハラには人魔を問わず結構な数の者たちがいるだろうに、新顔かどうかなどわかるのだろうか。
「え、ええ。ミリオンよ。この街に来たのはつい最近。美琴のところでお世話になってて……」
「美琴……桐生美琴か!? 大丈夫か、あんな奴のところで世話になるなどロクなことにならないぞ」
「ちょっと、ご挨拶ねリーナ。私は彼女の命を助けてあげたのよ。で、支払い分代わりに助手をしてもらって、住む場所の提供までしてるの」
ギャラリーの中からひょいと美琴を顔を出して異を唱える。
確かに住む場所といえば住む場所か。ラボのベッドではあるけど。
「本当か?」
「本当よ。美琴の人間性は壊れてると思うけど、かなり助けられてるのは事実ね」
「まあ本人がそう言うならいいか……。とにかく、今日はここまでだ! おい静流、客を店に入れ直してあとは飲み直させるなり何なり勝手にしろ。重ねて言うが街中で騒ぎを起こすな、いいな!」
闇の街の住人たちが、文句をこぼしながらではあるが、あんな少女の言うことを素直に聞いて店内へと入っていく。不思議な光景だった。
そしてその当の本人はそんなことを全く気にした様子もなく、「さあ、見回りを続けるか!」とメインストリートの方へと歩いていった。
嵐のような子だったと思う。まったく、ヨミハラには本当に様々な人が住んでいるものだと改めて思うのだった。
「勝負は引き分け、ってことにしておいてあげるわ。暴れた分はチャラにしてあげるけど飲み代は払ってね」
「わかったよ、ほれ。……おい姉ちゃん! ミリオン、って言ったか?」
と、見届人の静流がオーク2人と話し終えたところで、今しがた対峙することになったオークから声をかけられた。
「ええ、ミリオンよ。何?」
「投げ飛ばされたが俺にダメージはない! だから勝負は引き分け、次に預けておいてやる。今度やる時は俺たち兄弟が勝つ!」
「覚悟しておけよ! ガハハ!」
本当にケンカしてたのか疑いたくなるほどの仲の良さでオーク2人は遠ざかっていった。
「お疲れ様、ミリオン」
それを待ってから、静流が声をかけてくる。
「何がお疲れ様よ。あなたが変な風に焚きつけるから……。リーナだっけ、あの子が止めに入ってくれたからあの程度で済んだけど、もしかしたらもっと荒っぽく戦わないといけなかったかもしれなくて焦ったわ。……というかあの子何者? この街の荒くれたちが素直に言うことを聞くなんて……」
「魔界騎士よ、ああ見えて。今やイングリッドの片腕、と言われるまでになったわ」
人は見かけによらないとはよく言ったものだが、魔界騎士という単語にはとても驚いた。イングリッドといえば言わずと知れたノマドの重鎮。その片腕ともなればやはりかなりの使い手なのだろう。
「ま、あの子はポンコツだから本当に魔界騎士か疑いたくなる気持ちもわかるけどね」
美琴が会話に入ってくる。
「でもノマドの中で話がわかる方だし、なによりとても素直だし。ああやって見回りもしてくれるから、町内会長の私としてはとても助かってるわ」
「いい子ちゃんなのは認めるわよ。でもあれでよくノマドでやっていけてるなって感じだけどね」
確かにノマドらしくないのは事実だと思う。ノマドはこの闇の街を取り仕切る、犯罪集団とも呼ばれる組織だ。リーナの雰囲気はそこに合わないようにも感じていた。
ふと、静流が真剣な目で私を見つめていることに気づく。どうしたのだろうと思っていると。
「……ねえ、ミリオン。ひとつだけ聞かせて。あなたが見せたあの見事な投げ技……。あれ、対魔殺法の『桐壺』じゃなくて?」
しまった、とようやく気づいた。殺傷能力の低い技を選ぶことに気を取られすぎて、静流の存在を完全に忘れていた。ほぼ形式化されたスタイルということで大して考えもせずに使ってしまった。
どう言い訳をしたものか。だが考える間もなく、美琴が助け舟を出してくれた。
「ミリオンは大怪我の影響で過去の記憶が欠落してるのよ。もしかしたら以前は対魔忍だったのかもしれないし、あるいは誰か対魔忍から習ったのかもしれない。それを知っているのは、失われたミリオンの記憶だけ。……まあ、とにかくこの街には色んな過去を持つ人たちがいる。だったら別にいいんじゃないの、静流?」
美琴と静流の間で一瞬空気が張り詰めたように感じた。だが直後、静流がそんな空気をなごませるようにフッと小さく笑う。
「……その通りね。どんな人であっても受け入れる闇の街。それがここ、ヨミハラだものね」
「そういうこと。……さてミリオン、静流は引き分けって言ったけど実質的には勝ってたようなもんだし、勝利を祝って一杯おごってあげてもいいわよ」
鬼神の腕がある右腕の方で肩を組みつつ、そう言って店へと連れて行こうとする美琴。さっきのフォローは感謝するが、食べるものは食べたし、ケンカに巻き込まれてちょっと疲れたので本音を言えばもう帰りたい。しかし後ろを固めるように店長の静流がいてはそうも言い出しにくい。
仕方なくそのまま店の中へと再び入ったところで――予想もしてなかった歓声に迎えられた。
「やるじゃねえか姉ちゃん! 最後の投げ技すごかったぜ! ありゃあジュードーか? それともアイキドーか?」
「面白いもの見せてもらった! よかったら一杯おごらせてくれ!」
「ついでに俺と一緒に飲もうぜ!」
店内中の客からの視線を浴び、さすがに帰りたくなった。目立つのは御免被りたい。
だがそんな私の心中を察したのか、背後から静流がそっと声をかけてきた。
「戸惑うかも知れないけど、これがこの街の歓迎スタイルみたいなものよ。そしてあなたは無事歓迎された。……ようこそ、ヨミハラへ」
さすがは闇の無法都市と呆れるしかなかった。美琴に対してよく人間性が壊れていると文句を言っているが、この街の住人も大概だ。
とはいえ、歓迎されたことは喜ぶべきかもしれない。
母に捨てられ、五車を追われ、行き場の無くなった私を受け入れてくれる街に代わりはないのだから。
少し恥ずかしかったが、私は右手を上げて応えてみる。それに気分を良くしたのか、店内の客が再び歓声を上げた。