1000 * 1000 ~生まれ変わった井河扇舟、桐生美琴の助手になる~   作:天木武

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第5話 助手の初仕事

 ◇

 

 昨日は酒場で一騒動に巻き込まれ、正式に、と言っていいかはわからないが、ヨミハラの住人として認められた。

 その翌日となる今日、私は「助手」として初の仕事をすることとなった。いや、なったというより自分から申し出た、という方が正確だろう。

 

 あの後店内のムードにも流れされてしまい、そこそこお酒を飲んでしまった。全身サイボーグではあるがちゃんと酔えるらしい。美琴もそれなりに酔っていたようで、互いにほろ酔いの心地よい気分のまま静流の店を後にした。

 帰り足に次の日以降の食事を作るためにも適当に食材を買い、また料理ができると嬉しく思ったのを記憶している。

 料理は私にとって数少ない趣味のひとつだ。リハビリが完了して美琴の助手として雑用を含めた手伝いができるようになったら、料理を作りたいというのはずっと思っていたことだった。

 そんな気持ちで、酔いも合わさってテンションの高いまま買い物を済ませて帰宅したわけなのだが。

 

 問題はそこで起きた。

 

 買ってきたものは居住スペースにある冷蔵庫に入れて欲しいと言われ、これまでずっとラボ暮らしだった私は初めて美琴の住居スペースに足を踏み入れた。

 それと同時に私の酔いは一気に冷めた。

 

 そこにあったのは住居スペースとは名ばかりの、生活空間として完全失格のゴミ屋敷だったのだ。

 

 冷蔵庫はどうにか開けられる状態だったので食材の保存はできたのだが、床一面に食べ物や飲み物の空の容器やら、診察に使ったであろう紙の書類やら、さらには洗ったのか脱ぎっぱなしなのかもわからない衣服やらが散らばっていた。

 キッチン周りに至っては「最後に使ったのいつだったかわからない」という本人の弁の通り、シンクにさえ物が積んであるような状況だ。

 これでは料理も何もあったものではない。

 

 ひとまず今日のところは見なかったことにして明日からここを片付けようと決意し、私の助手としての初仕事は住居スペースの掃除ということに決まったのだった。

 

「いやー、いつか掃除しようしようと思ってはいたんだけど……。その気になればほとんどラボでも過ごせるのもあって長らく放置しちゃってさ。まあ無理しない程度によろしくお願いね」

「無理するわ。特にキッチン周りはなんとかしないと料理どころの話じゃないもの。……また料理できるんだって喜んでた矢先にこれじゃあね。しかも昨日グィネヴィアのオムライスがおいしかったから、私も負けないような料理作りたいとか思ってたのもあったし。意地でも掃除してやるわ」

 

 俄然やる気が沸いてくる。料理を作るためにもなんとしても掃除をしなくてはならない。

 

「こっちは私がやるから、美琴はラボで研究なり患者診るなりしてていいわよ。食事は……今日はちょっと厳しいわね。明日の夕食からは私が作れるようにしておくから」

「じゃあ楽しみは明日の夕食まで取っておくんで。あとはよろしく」

 

 私の料理を楽しみにしてくれるのは嬉しい。その期待に応えるためにも、助手としてのこの初仕事を成し遂げようと思う。

 

 ラボへと戻る美琴を見送り、さて、と私は気合いを入れ直した。

 

 

 ◇

 

 実のところ、掃除の経験などほとんどない。そんなことをする暇があるなら殺しの技術を磨け、と母に常々言われ続けていたものだった。

 そんな私が、こうやって「普通」に掃除をすること自体、なんだか妙な感覚だった。

 

 そう思いつつ始めた掃除だったが、これが義手の訓練に意外と効果があるような気がした。

 指先の細かい操作にまだ不安があったのだが、床に落ちている物を拾おうとすると自然とその指先を使うことになる。時折摘みそこねたりしつつも、次第にその扱いにも慣れていったように感じていた。

 

 少しずつではあるが掃除は進んでいき、床が見えないような状態だったリビングの床が見えるようになり、キッチンも本来の姿を取り戻し、浴室や洗面所も美琴から汚れを落とせる薬剤を拝借して掃除していく。

 

 そして掃除を開始してから2日目の昼過ぎには、最低限どうにかなるレベルまでは片付けることに成功した。

 これなら今日の夕飯は料理することが出来る。

 

 とはいえまだその準備をするには少し早い。何を作るかを考えてもいいが、それでも時間を持て余し気味だ。

 

 ふと、掃除を終えた部屋を見渡すと、思っていたよりかなり広いことに気づく。家具の位置を少しずらしてさらにスペースを確保し、これならと、私は目を閉じて深呼吸を始めた。

 

 久しぶりに鍛錬に打ち込んでみようと思う。まずは心のリラックスからだ。

 

 先日は思いもよらない形で戦うことになってしまった。相手が力任せのオーク、それもケンカレベルの出来事だったということもあって問題なく切り抜けられたが、この闇の街にいる以上、いつ命のやり取りを行うことになるかわからない。

 本格的な実戦も覚悟し、そのためにこの体についてもっとよく知らなければならない。

 

 それに久しくこういったことはやっていなかったように感じる。

 アミダハラ監獄内でもやるにはやっていたが、あそこでは心の平穏というものからは程遠く、どの程度の効果があったか怪しい。結果的にアサギに対して手足も出なかったのだから、「桃知東洋と並ぶほどの対魔殺法の使い手」などという肩書きからは遠く離れたようにも思える。

 

 なら、今度はそこに少しでも近づいてみたいとも思った。毒手を失い、代わりに手に入れた機械の体。この体がどこまでやれるのか、そこにも少し興味が湧いた。

 

『武は己との戦い。まずは己を知るべし』

 

 東洋はそんなことを言っていたと思い出す。既に毒手を持っていた私は当たれば必殺のその力を過信し、この教えから遠いところにあったような気がする。

 実際に教えを請うた時も「対魔殺法と毒手が合わされば近接戦闘能力としては比類なきレベル」というのが彼の評価だった。すなわち、毒手が前提の評価である。そこから毒手を取った単純な対魔殺法だけでいえば、私はどの程度の使い手だったのだろうか。

 

 ああ、思えばなんと忌まわしい手だったのだろうかと改めて思う。

 子供の頃に好きだった料理はやがてできなくなった。掃除というものをまともにしたことはなかった。

 

 その両方の理由に当てはまるのが、あの毒手だ。

 

 指5本にそれぞれ異なる種類の毒が仕込まれ、しかもそれらをブレンドすることで様々な種類の毒を生み出すことが出来る悪魔の手。

 人を殺すための毒はもちろんのこと、溶解毒、精神毒まで至るまで多種多様な毒を使いこなしていた。

 

 その中でももっとも凶悪だったのが毒手奥義「五道殺し」。命を奪うのではなく、徐々に相手を狂わせるという悪辣極まりない精神毒で、母の思い通りの操り人形を作り出すための毒だったと言ってもいい。

 

 そして気づけば「毒手使いの井河扇舟」などと呼ばれる存在になり、闇の世界ではある程度名を響かせることになっていたらしい。

 

 だが、代わりとして、そのような手では料理などできるはずがなかった。

 趣味も何もかも失い、ただひたすら母の期待に応えようとした。

 それでも常に言われ続ける「とにかく殺しを覚えろ」という母の言葉。言われるがままに近接戦闘の修行に打ち込み、桃知東洋からその技術を盗んだ。

 

 鍛え上げた戦闘能力と必殺の毒手。これならば母の期待に応えられる。愛情を向けてもらえる。そう信じていた。

 しかしそんな毒手もあっけなく切り落とされ、監獄に入れられ、そして母に人間爆弾として捨て石にされ……。

 

「フゥーッ……」

 

 ……少し雑念が入りすぎた気がしないでもない。だが過去の自分の愚かだった部分をしっかりと見つめ直し、決別するためには必要だったようにも思えた。

 

 私は目を開く。

 それからゆっくりと右の突きを繰り出した。力が身体にどう伝わるのか、無駄な動きを生まないようにゆっくりと。

 今度は右腕を引きつつ同様に左で突きを繰り出す。それから足を踏み出しながらの右の突きへ。さらに左の突きへ。

 突きの種類を変えつつ数度繰り返し、問題がないことを確認する。

 

 次は蹴りだ。曲げた状態の膝を上げ、そこからインパクトの位置まで足を伸ばす。上段まで届き、かつ軸足が全くぶれない。元々体の柔軟性には自信があったが、さすがは美琴の最高傑作、股関節周りの柔らかさに加えて膝関節のしなやかさも抜群だ。

 

 突きと蹴りの動きを数度反復で行い、基本中の基本の確認を終えて元の自然体へ。そのまま相手がいると仮定して組手へと移行する。シャドーボクシングに近いものがあるが、1番の違いは先程同様ゆっくりと動き、相手も自分と同じ速度で動くと想定するいうことだ。

 実はゆっくり動く方が体に負荷がかかって難しいといわれる。全身サイボーグのこの状態では効果が怪しいところではあるが、試すべきことは一通り試してみても悪くはない。それにこの方が体の状態の確認もしやすい。

 

 とはいえ、先日のケンカのときから薄々勘付いてはいたが、やはり力が体に伝わる感覚に違和感はない。投げを完璧に使いこなせたのがその証拠だろう。

 完全に元の体と同じ。いや、その元の体というのがアミダハラ監獄に入れられる前と考えると、肉体的には全盛期に戻った、あるいはそれ以上になったとすら言えるかもしれない。

 

 その上で、これから先どういう戦い方をすべきか。実は先日のケンカの時、ヒントが見つかったように思えていた。

 毒手に頼らず、かつ殺すためではない防御主体の対魔殺法。式武の型を主軸にしたあの時の戦い方の延長線上に、答えがあるような気がする。

 

 命を奪わなくてもいい。戦力差を見せつけて相手の戦意を奪う。あるいは、命まではいかなくても意識や、ちょっとダメージは大きくなってしまうが戦闘能力を奪うことで無力化させる。

 今まであまりにも殺しすぎた私にとって、そういう命を奪わない戦い方こそが必要だと思う。自己満足かもしれないが、そうすることが贖罪に繋がるのではないか、と思い始めていた。

 

 そして、そう考えた時に、私の名前にちなんだある考え方に行き着く。

 

 「扇」は風にたゆたい、「舟」は波にたゆたう。

 

 すなわち、何ものにもとらわれず、向けられる力に逆らわず受け流す。そしてそれを利用して返し、相手の力を持って制す。方向性としては、酒場に入った時に言われた柔道や合気に近いかもしれない。

 そんな戦い方を目指し、式武の型を突き詰めようとした。たゆたう防御で攻撃を受け流し、反撃を打ち込むというスタイルを求めようとした。

 

 だが母は防御重視のこの戦い方をよしとしなかった。鉄壁の盾より全てを穿つ矛を、より攻撃的で人を殺す戦い方を私に求めた。そして手に入れたのが毒手を主体とした殺人術――。

 

「……ハッ!」

 

 右の腕が伸び切り、掌底が命中したと感じたタイミングで、過去を振り切るように短く息を吐く。水月を狙った、気を失わせることを想定した一撃だ。この状態では単なる掌底だが、相手の攻撃に合わせて踏み込んで放てば一撃必殺の対魔殺法の技へと変貌する。

 ともあれ、これも問題ない。つまり、インパクトの瞬間に最大限の力を加えても、自分の思い通りに力が伝わっているとわかった。

 

 対魔「殺」法ではあるが、命を奪わず相手を無力化する。もし戦うようなことがあるなら、そんな戦い方をしたい。かつての私の名前の通り、たゆたいながら相手の力を利用する。言うなれば「柔よく剛を制す」というような戦闘法。

 経験がまったくないわけではない。対魔殺法の大筋は一応この身に染み付いている。その引き出しを久しぶりに開けて新しい体で望む形になっているが、今のところ悪くない。

 

「……ふぅ」

 

 仮定した組手を終え、ひとつ息を吐く。

 サイボーグの体だというのに生身さながら汗が溢れてきた。体にも心地よい疲労感が広がる。

 

 いや、それよりも1番効果があったのは心だ、とも思う。これほど穏やかな心で鍛錬に取り組めたのはいつ以来だろうか。

 

『技よりも心が衰えている。対魔忍としての心が』

 

 姪っ子は随分遠慮なくバッサリと言ってくれてたものだと思い出す。だがそれも納得だ。

 心を鍛え上げなければ、技はついてこない。当然の道理だ。あんな状態で、「最強の対魔忍」と名高いアサギに勝てるはずなど無かったのだと改めて感じた。

 今後戦うことがあるかないかわからないが、しばらくは心のための鍛錬を続けたいと思う。

 体はほぼ思い通りに動いてくれることはわかった。ならば、まずは心のリハビリを最優先にしたい。

 

 と、その時不意に部屋の入口の方から手を叩く音が聞こえた。振り返ると、美琴が笑顔を浮かべながら私に拍手をしているようだった。

 

「いい感じじゃない。部屋どのぐらい綺麗になったかな、と思ったら見違えるほどになった上にあなたが鍛錬してるんだもの、驚いたわ。でも途中から見てたけど、ゆっくりなのにまるで舞っているような見事な動き、対魔殺法の達人って肩書きは伊達じゃないわね」

「茶化さないで。見世物じゃないし、体の調子を見てただけ。でも……すごく充足感のある時間だった。こんなに落ち着いた心になったのは久しぶりよ」

「じゃあ心ついでに体もリフレッシュするといいわ。シャワー浴びてきたら? 夕飯の支度するにも丁度いい時間だろうし。何を作ってくれるのか楽しみね」

 

 ふと時計を見るといい頃合いになっていた。そんなに長く鍛錬していたつもりはなかったのだが、美琴が見ていたことにも気づかないほど集中していたのだ、時間間隔がわからなくなっていたのかもしれない。

 

「ごめんなさい。すぐ浴びてきて準備するから」

「よろしくね。おいしい晩ごはん頼むわよ。できたら研究中でも構わないから呼んでね」

 

 あの美琴が「研究中でも構わない」と言うとは驚きだ。逆に言うとそれだけ期待されている、ということだとも思う。

 そこは少しプレッシャーではあるが、それ以上に料理を作れるのが楽しみでもあった。

 先程まで穏やかったはずの心が沸き立つのを感じつつ、私はさっき掃除を終えた浴室へと足を進めた。

 

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