本当に吸血鬼になっちゃったライスちゃんのトレーナー 作:背水 陣
「こんにちは、皆さん。」
彼の名前は、
金属フレームの丸眼鏡と、清潔感のある7対3に分けられた艶やかな短髪。端正な顔立ちに加え真面目が服を着て歩くような風貌に恥じないほど、彼の行動は品行方正だ。特筆すべきことがあるとすれば、周りと比べて妙に画風が濃いぐらいだろうか。
誰であろうと一定の音程で挨拶を交わす彼を、機械のようだと揶揄する者もいる。人によっては蔑称だが、風紀を重んじる
それは、とある秋の終わりの日のこと。
学園内は、オレンジと黒の装飾が目立つ風体に様変わりしていた。トレセン学園は伝統と実績のある、国内屈指の名門校。だが、いや、だからこそ。季節ごとの行事にも全力を以て接する。
今日はハロウィン。
いつも血眼になって走っているウマ娘も、甘いお菓子の前では尻尾を振りながら舌鼓を打つ。お決まりの文句をいい、ひたすらに甘味を求めて走り回る子も居る。
(…………毎年、毎年……いつも思うことだが……)
浮かれた雰囲気、緩い空気。遊びに全振りした、この状態を。
(最っっっっっっっ高だッ!!!!!!)
規律を重んじる彼は、その
自らの余りにもだらしないその姿を隠すため、己に重く硬い『自制』という鎖を施すことで、今日もトレーナーとして、そしてウマ娘という存在のコアなファンとして、真面目な顔を装いながら生活しているのだ。
(なんだあのフェイスペイントは。天使か??? コウモリの羽なんかつけちゃって、可愛いねぇ~~~♡ おっ、そのドリンクはシェアするのかな? あは~~~!! ストロー2本差し、ってつまり……そういうコト……!? 天国なのか、ここは!?)
早歩きをして忙しいアピールをしつつ、鍛え抜かれた動体視力でまるで風紀委員のような雰囲気を醸し出しつつも、脳内は真逆のことを思考しながら彼は歩いていく。
ちなみに、先ほどから彼は廊下を移動しているわけだが、理由はない。ウマ娘たちのハロウィン衣装を目に収めるためだけに、さも何かに追われているかのように早歩きをしているだけだ。
(たまらん。こうして眺めるだけで素晴らしいのに、同じ空間で同じ空気を吸えるという幸せ……。嗚呼。頑張ってトレーナーになって、本当に良かった。神様ありがとうございます……!)
咳払いをするフリをしながら祈りを捧げ、
空中に吊り下げられた風船が頭を撫で、鼻腔には甘いお菓子の香りが突き抜ける。ウマ娘たちが作ったこの領域全てに幸福度を感じていると。
「あ、あの! お、お兄さま!」
彼の耳に、鈴の転がるような声が遠慮がちに届いた。
――――瞬間。
さも、何気ない風に取り繕って振り向こうとしているが……今、彼は死に直面している。
きっと、おそらく。振り向いた先に広がる光景を見て、心停止をする恐れがあるからだ。
だが、それを避けることは出来ない。
何故ならば、その声の主は自分が担当するウマ娘なのだから。声掛けを無視することなんて、あってはならない。担当でなくとも、愛場は無視など絶対にしないが……それは置いておこう。
くるりと、姿勢よくターンをした。
「ッッッッッッ!!!!??」
そして愛場貞星は絶命した。
普段の紺が基調になった勝負服と違う、明るさを前面に出したカラーリング。鋭さを思わせていた衣装と打って変わり、ふんわりとした雰囲気を醸し出すドレス。背中についた羽と、ちっちゃな口を閉じても少しだけ覗く、付け牙。ヴァンパイアをモチーフにしているのだろう。
予想をしていたとはいえ、己の限界を上回る破壊力を一身に受ければ死ぬ。剛体の
だが、直後『まだこのライスちゃんを見たい』という鋼の意志が発動したおかげで、何とか再起できたわけである。
その際に、身体を超高速で震えさせるジバリングを行った反動で眼鏡が割れたが、こんなこともあろうかとポケットに忍ばせておいたスペアをさりげなく装着することで、平静を保つフリを何とか完遂させたのである。
「こんにちは、ライスちゃん。素敵な衣装ですね。」
(はぁぁあん!! なんて可愛いおべべなんでしゅかぁ~~? 両目の風景をこれで固定したいぃいいい!!)
心の声を一ミリも漏らさない、想像を絶する努力で
そして視線が自分の胸元より、もっと下に位置するライスシャワーへ軽く膝を曲げて応対した。傍から見れば、相手へ恐怖感を与えないための紳士的仕草だが、こと彼に置いては単純に一ミリでも近づきたい
「え? そ、そう……かな……。えへへ。喜んでもらえてよかったぁ……。あ! そ、そうじゃなくて!」
「どうされました?」(ヴァンパイアではなく、女神の仮装なのでは?)
「きょ、今日はハロウィン! だ、だから……お兄さまに……その……えっと……」
(これ以上恥じらうライスちゃんを見ていると、僕の身体が持たないぞ)
震える膝を懸命に握りしめながら、
そして、意を決したライスシャワーは目をぎゅっと瞑りながら、精一杯の勇気でお決まりの文句を言った。
「トリックオアトリート! お、お菓子くれなきゃ……いたずら……。うぅ……し、しないとダメ……?」
本日、二度目の絶命を経験した
同じ理由でもう一度生き延びた彼は、それから……その想定されていた言葉に対して、完璧に用意していた文言を返す。
「すみません。ライスちゃん。実は、皆さんにお菓子を配っていたので既に品切れなのです。ですので、あなたに渡せる物は、もう……。」
「ふぇ!? え……えっと……。じゃあ……」
「そうです。あなたにお菓子をあげられない以上、私はいたずらを甘んじて受け入れる他ありません。」
「そ、そんなぁ!」
申し訳ありません、と付け足して深々とお辞儀をするが、俯いた先にある彼の表情は殺人ノートで計画が上手く運んでいる時の新世界の神のよう。
(嘘ではない。既にお菓子を配り終えたのは事実……。とはいえ、自身の担当の子へ渡した数ちょうどなのだから当然。そして、その中にライスちゃんの分は最初から含まれてなどいないのだ……。もちろん、トレーナー室に帰れば、ライスちゃんの好きなお菓子は山ほど用意してあるが……。ここまでは、計画通り)
眼鏡のブリッジを恭しく持ちながら、
(この日のため、ライスちゃんからいたずらをされるためだけに、
汚い笑顔を、綺麗な笑顔に変えながら表を上げる。
「さあ、どうぞ。非は私にあるのですから、お気になさらず、いたずらしてください。」
「えぇ~~? す、するの……?」
「はい。言われた以上、受け入れる『覚悟』が私にはあります。」
「…………」
何度かライスシャワーは躊躇う。
今度こそと挑んだ菊花賞。先日行われた、クラシックロード最後の長距離レースでライスシャワーは一着になった。
無敗の三冠ウマ娘という偉業に、あと一歩及ばなかったミホノブルボン。それを奪い去ったライスシャワーへ、称賛ではなくため息が贈られた際には、
それでも、泣きながら苦しみながらも、初めてGⅠタイトルを獲れたこと。一年以上勝利から遠ざかっていた彼女が、ようやく掴んだ栄誉に喜びを感じていたのも事実。
その気持ちを尊重するため、
そんな、素晴らしい信頼関係で結ばれた二人だ。些細な遊び程度、どうってことはない。
「じゃ、じゃあ! ライス、ヴァンパイアだから……。か、噛んでも……いい?」
「ええ、構いません。」(これで、今日は三回目の尊死だな)
どのようにするのかと期待に胸を膨らませて待っていると、伏し目がちにライスシャワーは手を差し出してきた。意図に気付いた
目測を誤っていたライスは、その広げられた手を両手で掴み。何度か上目遣いで、本当にいいのか意思確認――――
「……か、噛むよ……?」
「はい。」
「……えいっ!」
かぷっ
意識は大気圏へ。肉体は
何度も行ってきた再生行動。だが、今度は少し様子が違った。今までより、直接的にライスシャワーと触れたからだろうか。威力の違いに、思わず
「お、お兄さま!? だ、大丈夫?」
「はい。すみません、大丈夫ですよ。」
流石に体力を消耗しすぎたか。
そう思いながらも、懸命ないたずら行為に感謝しながら
(……なんて晴れやかなんだ。正月元旦の朝におろしたての下着を履いたかのような気分だよ……。)
その景色は、生涯忘れはしないだろう。
視界が白んでいき、風景が光の粒子に包まれていく。天国というものが、もし本当にあるのだとすればこんな感じなのだろうか。
「お兄さま!!」
遠くでライスシャワーの呼ぶ声がする。
ああ、やはりここは夢の国なのか。
「どうしちゃったの!? 返事をして!」
ん?
おかしいな。
ライスシャワーは、目の前にいたはずだ。いくら声の小さな彼女とて、呼びかけが聞こえないわけがない。それに、これだけ懸命に叫んでいるようなのに……何故、自分の耳にはフィルターが掛かったかのように、くぐもって聞こえて……。
「お兄さま!! 体が消えかかっちゃってるよぉ!!」
「え……?」
違う、ライスシャワーだけではない。目に映るもの全てが、塵になっているのだ。
(そうじゃない!! 消えそうなのは『僕そのもの』だッ!!)
手を見ると、先の景色が見えるほど薄くなっている。
予想だにしない事態に、くらりとした感覚に抗えず195cmの巨体が床に落ちた。
「お兄さま、大丈夫!?」
(………………あれ。)
不思議なことに、地面に突っ伏していると気分が途端に楽になった。視界もおかしくはない。
なんだったのだろう、今のは。
そう思い、意識が正常になったことで心配かけないように、と
「お、おおお兄さま!! また!!」
「……そういう……ことか……」
頭部を押さえながら、聡明な
今、彼らが居るのは何てことはない、ただのトレセン学園の廊下。
日差しはやや傾きかけ、窓からは高い空に浮かぶ秋の太陽が顔をのぞかせている。
低い姿勢と高い姿勢。
その時に起こる、決定的な差。
それは……。
そっと、壁に張り付いた
予想違わず、彼の手は薄く消えかかった。
慌てて引っ込めながら、壁にもたれかかる。
そして推定だが、身に起きた事実を告げた。
「ライスちゃん、とんでもないことが……。」
「え?」
「どうやら……私は、本当にヴァンパイア……つまり、吸血鬼になってしまったようです。」
先ほどから違和感のある口元。手を触れると、そこには短くも鋭い牙が生えていた。
「…………ええ~~~~~!!!???」
これは、彼が人間に戻るために奮闘する、とてもくだらないお話。