本当に吸血鬼になっちゃったライスちゃんのトレーナー   作:背水 陣

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実験潮流

「酒! 飲まずにはいられないッ!」

 

暗い部屋の中で、巨大な体がアルコールに溺れていた。普段のキッチリとセットされた髪はボサボサ。眼鏡はフレームが歪み、耳にギリギリ掛かっている程度。放置したせいで、芝のようにまばらな髭が生えている男性。

 

愛場(あいば)貞星(じょうせい)は一人、寮の部屋の中で荒んでいた。昼間だというのにカーテンは閉め切り、電気類もつけず全身をシートに包んだまま瓶ごとウイスキーを飲み干していく。

 

朦朧とする意識の中、全てを忘れたい欲求が湧きたつと同時に現れる……『考えたくないからこそ、考えてしまう』心理が働き、現実を目の当たりにする。

 

 

 

先日……彼は吸血鬼になった。

 

 

ファンタジーやメルヘンの世界に出てくるような、あの十字架に弱い架空の存在だ。

彼の場合、銀製の道具やにんにく等は特に効果はなかったが……唯一、覿面に弱点とするものがあった。

 

 

『太陽』である。

 

 

日の光を浴びると、身体が徐々に粒子と化して意識が消えていく。指先などの末端部が少し陽光に触れるだけでも、伝播するように塵になってしまう。瞬間的に消えることはないが、放置すればまず間違いなく……死ぬだろう。

 

そんな特異体質になってしまったことで、貞星(じょうせい)は心の底から絶望した。

 

 

一つ、ウマ娘への指導が上手くできない。

 

当たり前だが、明るい時間にウマ娘は活動する。人間とて同じだ。太陽光の全くない夜の時間は、飽くまで一日の中でのおまけ。日の落ちる時間が早くなってきた初冬といえども、愛場が不自由なく動ける状態になる頃には、トレーニングの片付けをし始めていることだろう。

 

遠隔で指示を出すことはできるにはできるが、自分の担当ウマ娘だ……。直接行って、自分の目と耳を使ってトレーニングをしたい。効率面においても、精神面においても重要な要素をゴッソリと持っていかれてしまった。

 

 

二つ、レース場にすら行けない。

 

チームを持つ彼は、指導者である以上付き添いで出走するウマ娘と共にレース場へ向かわなくてはならない。規約としてあるわけではないが、担当としてモチベーションやコンディションの管理をするなら、しなくてはならない大事なこと。

電話等で声を掛けることも可能ではある。だが、レース場はウマ娘達にとって戦場なのだ。その場の雰囲気などを微細に感じ取り、適切なアドバイスを送り背を押すのがトレーナーの仕事の一つ。それを奪われたというのは致命的だ。

 

 

そして……彼が、何よりも、何よりも深く落胆していること。

 

 

(トレセン学園に入れないッッ!!!!!)

 

 

正しく言うなら、ウマ娘達が活動をしている時間帯のトレセン学園に入ることが出来ない、だ。

何度も言うが、夜の学園には基本的にウマ娘は居ない。何かしらの用事を抱えた子以外は、放課後の自由時間を謳歌していることだろう。

これは、ウマ娘を愛し、求め、生きがいとしている貞星(じょうせい)にとっては、死に値するほどの損失になる。

 

「う~……ううう……あんまりだ……」

 

浴びるように酒を飲みながら、この世に絶望していた時だった。

 

 

「いるかい、トレーナー君。いや、聞かずともその慟哭を耳にすればわかる。問い直そう、入ってもいいかな?」

 

ノックの音が鳴り、次いで落ち着いた声色の問いが成される。

 

(この声……)

 

貞星(じょうせい)はもそもそと身体を動かし、アルコールでまともな思考のできない頭を押さえながらドアへと歩いていく。

一度ノブを回し、光を確認。この角度ならば身体に触れないので問題ないだろう。ゆっくりおずおずと戸を引くと、細い脚が遠慮なく伸びてきた。

 

「あなたは……」

 

虹彩が再び大きく開くの同時に、目の前……いや、目下に出現したウマ娘の名を呼ぶ。

 

「ヤバい方のアグネス、アグネスタキオンさん!」

「やあやあ。毎度のことながら、酷い言い様だね。トレーナー君」

「すみません。マンハッタンカフェさんからの言いつけでして……。出会い頭にはこう伝えて、己の異端さを自覚させて欲しい……と。」

「仮に私がやめろ、と言ったらやめるのかい?」

「……それ……は……!」

 

貞星(じょうせい)にとって、どちらも叶えたい願いだ。もし、現実にそうなってしまったら彼は葛藤から七孔噴血 (しちこうふんけつ)してしまうことだろう。

 

「冗談だよ。誠実な君のことだ、葛藤から七孔噴血でもするんじゃないのかい?」

「よくおわかりで……。」

「アーッハッハッハ。君はわかりやすくて助かるよ。トレーナー兼モルモットとして、実に優秀だ」

 

高笑いしながら、応接用のソファーへ腰を掛ける栗毛の彼女は、アグネスタキオン。走ること、特にウマ娘という存在に対して常に疑問を抱きながら、限界の先にある景色がどんなものか、自他共に利用して実験を繰り返している、風変わりなウマ娘だ。

貞星(じょうせい)の担当ウマ娘の一人で、先述のように恵まれた体躯を見込んで実験体として、そしてトレーナーとして共に歩むことを誓った間柄である。貞星(じょうせい)の超ウマ娘溺愛気質を知っている数少ない一人だ。

 

「まあ、別に悪い気をしているわけじゃない。続けてくれても、構わないよ。それより、お茶を出してくれないかな。会話をしていたら、喉が渇いてしまったよ。ああ。あと、出来るなら水を飲んでアルコールを少しでも飛ばしてくれると助かる」

「し、失礼しました!! すぐに!」

 

及び腰で会話していた貞星(じょうせい)は、すくっと立ち上がる。天井に頭が近づくと、徐に壊れかけの眼鏡を外し。

 

WRYYYY(ウリィイイイ)!」

 

「おぉっ!」

 

壁に向かって気合を掛けると、瞬間的に貞星(じょうせい)の体内に存在するアルコールが全て蒸発した。体中から気化した酒気があふれ出し、換気扇に全て吸い込まれていく。その様子を、タキオンは目を輝かせてみていた。

 

「トレーナー君、今の行為はかつての君に出来たことかな?」

「そんなわけがありません。私は飽くまで、他者よりちょいとばかり恵まれた体型に生まれ、健やかに育てて頂いただけの、普通の人間です。こんな化け物のようなことが……出来るわけ、ない……!」

「ふぅン……。なるほど……」

 

それから、貞星(じょうせい)は人前に出ても恥ずかしくない姿に身支度を整えると、タキオンへ煎れたての紅茶を差し出す。

応接用のソファーに腰を掛けたタキオンは、貞星(じょうせい)が座ったと同時に質問を投げかけた。

 

「さて、トレーナー君。私がここを訪れた理由はわかっているかい?」

「私の身体に興味があるのでしょう?」

「その通り! 話が早くて助かるねぇ……。まずは、これを見てくれたまえ」

 

ごそごそと持参した鞄から、裸のまま入っているタブレットを取り出す。端の方がひび割れている電子機器の画面を幾度か操作すると、タキオンは見えるようにして差し出した。

 

「……これは……?」

「先日、採取した君の細胞データを電子顕微鏡で拡大した物だよ」

「私の細胞……!? これが……!?」

「廊下に抜け落ちていた君の頭髪をサンプルに、遠心分離機を用いて必要な情報のみを抽出したモノさ。どうだい?」

「どう……って……!」

 

全身を震わせる貞星(じょうせい)。そこに映し出されている、難しい文字が並ぶデータ……より、もっともっと気になるのは……写真だ。

人の目では捉えきれない極小の世界を、人間の英知で可視化できるようになったその世界には……。

 

 

 

……小さな小さな、ヴァンパイア姿のライスシャワーが居た。

 

 

 

「これは……つまり……私の中に、ライスちゃんが居るということ……ですか?」

「君が今もなお、吸血鬼であるならそうだろうねぇ。おそらく原因は、それだ」

 

「ちっちゃいライスちゃん可愛いッッ!!!」

 (なんてことだ!!!)

「心の声と叫びが逆だよ」

 

 

「はっ……! す、すみません……。余りにも嬉しくて、つい……。私の中に……ライスちゃんが……!!」

「はっはっはっ。君も相当に気持ちの悪い人間だねぇ。いや、吸血鬼か。まあ、私は嫌いじゃあないが」

 

「……ところで、アグネスタキオンさん。データがあるということは、何かわかったということでしょうか?」

「……いや。残念ながら、わからないことだらけだよ。とりあえずの仮説だが……。君の細胞とライス君の細胞が混じり合ったことで、偶発的に起こった現象なのだろう。私も先日、同じ条件で首筋を噛んでもらったんだが、特に変化はなかった」

 

「ライスちゃんが、アグネスタキオンさんの首筋を噛んだ!!??」

 

「トレーナー君。落ち着きたまえ」

「うっ! し、失礼しました……」

 

そうはいっても、貞星(じょうせい)の頭には細く美しい首に、ライスシャワーが遠慮と恥じらいを覚えながら懸命な覚悟でバイティングする姿が自動で再生される。堪えきれず身体が震えてしまい、目の前の机に置かれた茶器が音を立ててしまっていた。

 

「しかし、それ以外はまだ解明できていないことが多くてね……。というのも、そもそも分野的に余りにも未開拓なのだよ。吸血鬼なんて、空想世界の話だろう? 夢見て真面目に研究していた連中は、とっくに土の中さ」

「それはそうでしょう。科学文明の発展と共に、非実在の証明は容易になりました。昨今では、心霊写真なんてものも、とんと見かけませんしね。吸血鬼という未確認生物も同様でしょう。」

「だが……今、目の前に現実として存在している。原因の追究は並行して進めるが……そう! それよりも! 私が興味を持っているのは『今』なのさ!」

 

興奮した様子で捲し立てるタキオン。彼女の担当トレーナーは、その当然の好奇に気付いていた。だから、光の宿らぬ くすんだ瞳をずいっと近づけられても動じない。

 

「つまり……実験をさせて欲しいんだ、トレーナー君」

「……一応、尋ねます。何故でしょうか?」

「ふふ……。そのわかっていたような物言い……堪らないね。当然だろう、吸血鬼なんて聞いたことしかないのだから。未知のモノに出会った学究の徒が、嘱目(しょくもく)しないわけないじゃあないか!」

 

先ほどの実験データが詰まった端末とは違う、私用のスマホを取り出しながらタキオンは続ける。

 

「とはいえ、門外漢には変わりはない。なので、同室の有識者に知恵を借りてね。色々と実験、問診内容を考えてきたのだよ」

「同室の有識者……?」

 

彼女と同じ寮部屋のウマ娘と言えば……。

 

 

「ヤバイ方のアグネス、アグネスデジタルさん!?」

「あっはっは。それじゃあ、どっちもヤバイやつじゃあないか!」

「失礼……。急に頭に思い浮かんだものですから。」

「ククッ……。君、割と直情的な所あるよねぇ」

「面目ありません。お恥ずかしい所をお見せしてしまい……。」

「ふぅン。まあいいさ。これから、更に君のことを赤裸々に暴いていくのだからね」

 

にやりとタキオンは、目元の笑っていない笑みを浮かべる。

 

「聞くところによると、吸血鬼とはすさまじい身体能力と再生能力を持っているらしいじゃないか。私が興味を示しているのは、再生能力の方でね。具体的には、身体の一部を切断や欠損したとしても、瞬く間に元通りになるんだとか……。ウマ娘にも、応用できれば怪我からの回復、復帰に使えると思わないかい? その為には、ちょいと君の皮膚……いいや、効能が観測できたのであれば、指の一本ぐら「いけません、アグネスタキオンさん!!」

 

 

ベラベラと捲し立てるタキオンに、ウマ娘に対して比類なき甘さと優しさを持つ貞星(じょうせい)が大声を上げる。今まで、何度も無理難題を押し付けたり、非誠実な行動を繰り返してきたタキオンだが、怒鳴られる程のことは初めてだった。

 

「……なんだい、トレーナー君。まさか、君の愛の頼みが、聞けないとでも言うのかい?」

「愛場は私です。」

「ややこしいから、茶々を入れないでくれたまえ」

 

タキオンは少しだけ警戒した。

いくら自分はウマ娘とはいえ、相手は2m近くある巨人。更に、吸血鬼という未知の生物になってしまっている。何かしら、心理的な変化があってもおかしくない。凶暴性が発露し、自分を餌とみなして襲う可能性だってある。

 

いつでも動けるようタキオンがグッと全身に力を込めていると、愛場は静かに眼鏡のブリッジに指を押さえながら、低く強く言った。

 

 

「その実験は……ガイドラインに反してしまいます。

「……………………ん?」

 

「『ウマ娘 プリティーダービー』の、二次創作のガイドライン。第二項『暴力的・グロテスクなもの、または性的描写を含むもの』は、公開を遠慮願うよう、運営側から公式にアナウンスがあります。そんな、血なまぐさい実験などしてしまっては、我々の存在そのものが消されかねませんよ。」

 

「……なるほど。言ってることは一ミリもわからないが……何故だか従わなくてはならない気がするよ。わかった。そういった方向の実験は止めておこう。だが……逆を言うのなら……」

 

すっかり冷めた紅茶へ手を伸ばしながら。再び、タキオンは怪しげな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

――――夜。

 

薄暗い街灯のみが照らすターフ。息も白い初冬の学園内コースには、もうほとんどウマ娘は居ない。時間も遅い上、体調管理を心掛けるのであれば室内トレーニングに切り替えるべきと思うほど、その日は冷え込んでいた。

 

そんな中、体温が異常に低いせいで吐息も色づかない大きな男が一人。動きやすいジャージ姿に運動靴を履いて、芝の上へ立っていた。

 

「……ふわぁ。やれやれ。日が落ちてからしか活動できないとは、難儀なものだね」

「すみません。不便さは重々感じております……。」

「なに、謝ることはない。私はデータさえ取れれば、それでいいのだからね。それに、データを取るということは、君にとっても不利益なことばかりじゃないはずさ」

 

知らない、わからない。ただそれだけでは、何も状況は変わらない。

何かを知るということは、その正体に近づけるということ。愛場が人外になってしまったのなら、どれほどの存在なのか。それらを見極めることは、窮屈な生活を少しでも和らげるのに必要なことなのだ。

 

「よし、まずは1500mのタイムを計ってみよう。参考までに、トレーナー君。君が最後に計測したタイムは?」

「数か月前のスポーツ大会で走った、4分15秒です。」

「あっはっは。既に凡人の時計ではないねえ。面白い。ライス君、本気で走っても問題なさそうだよ」

「う、うん! わかった!」

 

愛場の隣にいる、大きな耳が揺れる。

横に並び立つと、角度によっては完全に隠れてしまうほどの小さな体のライスシャワー。

彼女は、自らこの実験の協力を申し出た。理由は、言わずとも、今回の事件の原因なのだから、強い責任を感じたためである。

 

トレーナーを、自分の手で吸血鬼にしてしまった。

その結果、たくさん苦しませ、今もなお辛い思いをさせてしまっている。心の優しいライスシャワーは、自責の念で押しつぶされそうになっていた。

どうすればいい。どうしたら良かったのか。わからず、ただただ泣き続けていたライスの下へ、被害者は訪れる。

 

そして、優しい声で言った。

 

「辛い思いをさせてしまい、申し訳ありません。私は気にしてませんよ、ライスちゃん。」

「嘘だよ……。だってお兄さまも……ずっと泣いてるじゃない!」

「目が赤いのは吸血鬼化のせいですよ。」

「そんなわけない!」

「いえ、本当なんです……。」

「……ライスの……ライスのせいで……うぅ……ごめんなさい……ごめんなさい……!!」

 

 

会話もままならないくらい、涙を流すライスシャワー。その震える小さな肩に、そっと貞星(じょうせい)は手を置く。

 

「謝ってばかりのあなたを見るのは、なんだか懐かしいですね。覚えていますか、ダービーで負けたあの日のことを。」

「……うん。覚えてる。忘れるわけないよ」

 

あと少し。もう少し。必死で必死追いかけた、強敵の背中。壊れるぐらい走り続けても、決して縮まらなかった、4バ身差。

人気も注目もされなかったライスシャワーが、日の目を浴び始めた大きな舞台。周囲からすれば、大健闘という評価だった。

 

けれど、ライスシャワーだけは。悔しくて、地下バ道で泣き崩れてしまった。

勝ちたい。誰よりも速く、強くなりたい。レースに出るウマ娘が皆、胸に抱く共通の思い。気弱なライスシャワーとて、例外はなかった。

だからこそ、負けて悔しくて涙を流す。そして、不甲斐なさを恥じてひたすらに謝罪を繰り返していた。

 

「ごめんなさい、お兄さま……。ライス……弱くて……ごめんなさい……」

「……ライスシャワーさん。クラシック最後のレース、菊花賞。必ず獲りましょう。ステイヤーのあなたなら、絶対に長距離で勝てます。その為にも、夏を地獄とし、困難を乗り越えていきましょう。一緒に。」

 

貞星(じょうせい)は抑揚のない口調で言ったが、本心では今すぐ抱きしめてあげたいほど感涙していた。眼鏡を下から支えている仕草から動かないのは、あふれ出る涙と嗚咽を隠すためである。

 

「……ありがとう、お兄さま。ライス、頑張るね」

 

しばしの時間が経ち、話せるようになったライスシャワーは、泣きはらした瞳に青い炎を灯しながら決意を固める。それから、少し遠慮がちに口を開け閉めしてから……。貞星(じょうせい)が首を傾げると同時に、意を決してお願いをした。

 

 

「あの……。だから、お兄さま。ライスのこと……ライスシャワーじゃなくって……『ライス』って呼んで欲しいの……。そうしたら、もっと頑張れる気がするの……。だ、ダメ……かな……?」

 

地下バ道の壁という壁に全身を打ち付け、本バ場まで超高速前転をしながら突入しダートの砂を全て食してもなお、落ち着きそうにない興奮を体中に懸命に押し込めた貞星(じょうせい)は、許諾する。

 

「わかりました。では……ライスちゃん。

「ふぇ!? ら、ライスちゃん……!?」

「す、すみません。流石に変ですよね、失礼しました。」(しまった、思わず脳内での呼び方が出てしまった)

「う、ううん。いいよ。……えへへ。よろしくね、お兄さま!」

 

小さな手を、大きな手で包む。二人の絆は、その日から強く硬くなったのだ。

 

 

「トレーナー君。回想の中で、更に回想されると時系列がめちゃくちゃになるんだが……。準備が出来てるのなら、始めるよ。ライス君もいいね?」

「すみません。」(せっかくのイイハナシだったんだけどなぁ……。)

「うん! ライスは、いつでもいいよ!」

 

ウマ娘と併走することで、貞星(じょうせい)の今の身体状況を確認する。有識者(デジタル)の資料によれば、吸血鬼は、人間の数倍の力を持っているらしい。つまりは、ウマ娘と同等の身体能力を持っている……のかもしれないのだ。

それは薄々、彼自身も感じていた。走る速度、力の加減。普段から超人級の貞星(じょうせい)だが、それでも何か違和感がある。

 

 

そして、その正体は数値としてあらわすことで明らかになった。

 

「1500m走、1分38秒。握力、左右共に計測不能。機器破壊が原因。反復横跳び、287回。立ち幅跳び……座ったままの姿勢でジャンプして、5m64cm。……トレーナー君、これ以上やる意味はあるかな? もはや人間の適正に収めようとする必要性を感じないんだが」

「はい、十分理解できました。」

 

汗一つかかず、まだ測定項目が残っている最中、切り上げた。

隣で心配そうに見上げるライスシャワーですら、ほんのりと発汗して顔も紅潮しているというのに。愛場貞星は、涼しい顔で己の手のひらを見つめていた。

 

「……本当に……私は人間で、なくなってしまったのですね。」

「お兄さま……」

「すみません、ライスちゃん。クールダウンに行って構いませんよ。今日はここまでにしましょう。」

「…………うん。わかった」

 

小走りで駆けていくライスシャワーを見送っていると、タキオンがタブレットを操作しながら近づいてくる。取れたデータの統計を今、この場で行いながら結果を伝えた。

 

「身体能力はまさに、ウマ娘並だね。およそ、普通の人間とは言えまい。このままスポーツ界に乗り込めば、ありとあらゆる記録を塗り替えてしまうだろうねぇ」

「そんなこと、私は望んでいません。」

「わかっているよ。冗談さ」

ウマ娘と同等の身体能力を得たということは、つまりウマ娘と同じ身体能力になったということ。併走トレーニング、筋力トレーニングの補佐、ありとあらゆることが私でも可能になった……。普段より、より近くでウマ娘を感じられるわけですね。ああ、なんてことだ」

満喫する気満々だねぇ。」

「……ですが、やはり日の下に居られないのは変わりありませんから。それも、ほとんど無意味でしょう……。なんと嘆かわしい……。」

 

大きな肩を落として、しょげていると。ライスシャワーが、クールダウンを終えて戻って来た。

経緯は不明だが、元気を無くしている様子だけはわかっている。何か声を掛けたいが、気の利いたセリフが出てこない。おどおどしながら、でも何かしてあげたくて。ライスシャワーが、一歩踏み出した時だった。

 

 

くぅう~~~……

 

 

(え? 天使の吐息……?)

「ご、ごめんなさい! ライスのお腹さん……なの……」

「おやおや。夕食は取らなかったのかい?」

「う、ううん。しっかり食べたんだよ……。にんじんハンバーグとピラフにスープ……あと、にんじんサラダ、ピザトーストとグラタンにシチューも……。デザートにはアップルパイだって食べたんだけど……。うぅ……」

「私の何日分のカロリーになんだろうねぇ。その小さな体の、どこにそれほどの熱量が使用されているのやら……。一度調べさせてもらえないかな?」

「ふえぇ……。た、タキオンさんこそ、そんな少ない量で大丈夫なの……?」

「栄養さえ取れれば問題ないのさ。食事の時間に費やす(いとま)があるなら、私は実験したい(たち)なものでね。食事もトレーナー君に、片手で食べられるものをよく作ってもらっているぐらいさ。なあ、トレーナーく……」

 

タキオンは言葉に詰まる。

何気ない会話の最中、何気なく話題を振っただけの、何ともない普通のやりとり。

……視線を向けた先には、涎を垂らしながら息を荒げている身長195cmの吸血鬼が、臨戦態勢に入っていたからだった。

 

「トレーナー君……?」

 

ふぅッ……フゥッ……!!!

 

――――例えば。

呼吸をする、という無意識の行為をしていた場合。意識をすることで、逆にその方法がわからなくなることがあるだろう。いつも、どれほど吸っていたのか。どれぐらい吐いていたのか。ふとした拍子に、自然体がわからなくなる。

 

吸血鬼、愛場貞星にとって、それは……『食欲』であった。

彼が人間をやめて以来、水分すらまともに摂取していない。それでも、何不自由なく生存出来ていたのは、(ひとえ)に彼が人外になったからである。普通の食事をせずとも、困らない体になっていた。

 

……そう、問題は『普通の』という部分である。

 

彼は、血を求めるヴァンパイア。

食事は当然、血液だ。

 

食べることを意識してしまったことで、彼の中に吸血衝動が突如沸いた。

そして、それは飢餓という最悪の形で発露する。

 

もう、頭の中は血を吸うことでいっぱいになっているのだ。

 

「……マズイな。ライス君、ここは逃げよう」

「え? で、でも……お兄さまを置いてなんていけないよ!」

「見てわからないのか、君は。今や彼は完全に自我を失っている。このままだと、我々は干物になるまで血を吸われることになるぞ」

「そんな……!!」

 

「……ハラ……ヘッタ……!! オレ……オマエ……チ……スウ……!

「お兄さま、しっかりして! 血が欲しいなら、ライスのをあげるから!」

「やめたまえ、ライス君! こんな原始人みたいな単語しか発せないヤツは、もはや人間じゃあない! 不用意に刺激をしては、彼を止められなくなるぞ!」

 

ふらふらと、一歩ずつ貞星(じょうせい)は近づいてくる。

タキオンはライスシャワーのジャージを何度も引っ張るが、全く動こうとしない。それどころか、その身を差しだそうとさえしている。

そんな献身的な様子が、真っ赤に染まった瞳に映りこむ。すると、揺らめきながら動いていた巨体がピタリと止まった。

 

「……う゛……ぁ゛……!

「ライスはここだよ! もう苦しまなくていいから! ライスは逃げたりしないから!」

「……ラ……ライス……チャン……

「お兄さま!? ライスがわかるの!?」

 

 

 

私は……大丈夫……ですから……。私が私であるうちに……さあ、早く逃げて……!

「いきなりポップなフォントで話すんじゃあない! 調子が狂うだろう!」

「嫌だよ、お兄さま! ライスは……お兄さまが苦しんでる姿を見たくないの! だから!」

 

止まった愛場へ、一歩。ライスシャワーが涙目になりながら近づく。

 

餌とみなした存在が、自分の索敵範囲に入って来た。

ウマ娘への愛情だけで、何とか自分を取り戻していた愛場だったが……。もう、どうしようもない。

 

 

うぅ……ォオオオオオオオ!!

 

本能に抗うことが出来ず、彼は遂にその牙を……突き立ててしまった。

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