海に近いとある高台。
そこには見渡す限り、とまではいかないものの端が目視で何とか確認できるぐらいの麦畑が広がる。
収穫時期である今、麦一本一本が黄金色に成長し、麦畑は一面金色の平原となっている。
そこに海側に向かってゆるやかな風が吹き流れる。
穂先の重みと風の流れとの微妙な均衡に麦は揺れて動き、畑はさながら海原のように波打った。
畑の傍らに置かれた立方体状の機械装置にも黄金色の波は寄せては返し、その隣に佇む私は、そのさざ波に目を細めた。
しばらく黄金色のさざ波を見つめた後、手元に視線を降ろす。そして手近にあった麦の穂を引き寄せ、手に取ってみる。
じっくり穂の成長具合を確認、そのできの良さに思わず大きな声を上げた。
「よし!今年もいっぱい獲れそう!今年も製粉工場にたくさん送れそうだよ、士郎さん」
私の隣にいるもう一人の男性、士郎さんは私が持っていた麦の穂を、そして眼前の麦畑を見て呟いた。
「それはよかったな、みちる」
私は、うん、という声とともに大きくうなずいた。
「おまえは昔から、アニマシティの仕事に区切りがついたら農業をやりたいと言っていたな、食糧不足にならないようにと」
「そう。といっても私が作る分なんてたかが知れてるんだろうけど。でも何もしないよりかはましかなって」
「食糧不足で獣人と人間が対立することがないように、ってところがおまえらしいが」
「でしょ。ちゃんとシティの「獣人と人間とが共生する街づくり」って仕事とつながってるんだよ」
「とはいえ今対立が起きるとしたら、昔ならいざ知らず、食糧不足はありえないだろう。相変わらず思い立ったら後先考えずに始めてしまう。いい加減成長したらどうだ?」
「お生憎様、私今20代半ばで成長中って設定なんだから。それに、それが私のいいところ、って市長さんも言ってたし」
「やりたいっ!」って思ったことはとりあえず始めてみる、これは私の昔からの性格だ。今さら変えようなんて気はさらさらない。麦づくりもやってみたいと思って始めたことの一つで、初めの頃は残念な量しかできなかったが、そこそこの年数続けているうち、今では十分な収穫をあげられるようになった。
で、なぜ麦づくりをやりたくなったかというと、それは。
昔は食糧不足によって人間と獣人が争ったと知ったから。
古(いにしえ)より、人間と獣人は共生している時もあったものの多くは対立してきた。そしてその対立はいつも人間側からの迫害で始まった。そんな話しを、私はアニマシティに来た頃にお世話になった獣協のジェムさんから聞いていた。
ただ元人間の私から見たら、正直獣人が規律もなく粗野で自己中で気分屋の性格だからじゃないの?と思ったけど、個人レベルならともかく村ごと迫害するまでになる?とも思っていた。
しばらく獣協の相談係や士郎さんの仕事を手伝っていた私は、アニマシティを獣人と人間が共存できる街にしていきたいという思いが強くなり、街づくりの知識を学ぶために人間の街にある大学へ通ったことがある。
まぁそこで色々とあったんだけれど、それはさておき。
大学で文化獣人類学という講義科目があって、その中で獣人と共生していた民族出身の歴史研究家の文献を知った。そこには獣人と人間が争ったことに関する記述があり、その原因が食糧不足と考察されていた。
そもそも獣人は活動的であり全身の細胞を使っての変身をするためエネルギー消費が多く、人間より断然食糧を多く消費する。
そして農業技術がある今と違って昔の農業は天候の影響を受けやすく、干ばつなどで食糧供給が少なくなることが多かった。
食糧が不足すると、エネルギー消費の多い獣人は人間よりも早く食糧を食べつくしてしまう。なので飢えた獣人は飢饉に備えて蓄えていた人間の食糧を頻繁に盗んだりした。
人間にとってみれば当然生存を脅かすものでしかなく、かくして食糧強奪を理由に獣人征伐が行われた、ということらしい。
逆にダムを造るなど治水工事を獣人と共同で行ってきた筆者の集落は食糧不足にならず、獣人を神聖化していたこともあるが、獣人の集落と共存できていたと紹介されていた。
ちなみに飢饉のときでも人間と食糧を分かち合うなど本能を理性で抑えこめた獣人もいたそうだ。
そして獣人だから人間よりも運動能力がはるかに高く、戦争では敵を撃滅したりと武勲もあげていたらしい。
さらに人々の前では能力の高い獣人態をひけらかすことなく人間態になって接したため、獣人ながら地域の人間社会からも厚く信頼され、その土地の名家、果ては領主としてその家系は崇められたとのこと。
太古より「英雄」といわれるカリスマ性のあった人物に、赤狼や銀鷹、金獅子など獣性の二つ名が付いていたりするのはそのようなことがあったからだとか。
ただ人間態で人々と接していたためか、伝承では獣人ではなく人間とされてたりするそうな。で、伝承で「獣の如きいで立ちにて敵のおびただしきを薙ぎ倒し」とか。
獣の姿になれる人間……って、それまんまじゃん。
アランのシルヴァスタ家もそんなふうにして人間社会に入り込んでいったんだろうか。
これを知った私は、獣人と人間が共存できる街づくりの他に、食糧の自給もやってみたいと思うようになったってわけ。
「私、大学を卒業した後、市役所の職員になって、市長さんといっしょにアニマシティの街づくりをずっとやってきた。今では獣人と人間との隔たりは無くなったかなって思ってる。個人レベルでの対立はあるけど種としての対立はほとんど起きてないし」
「だから士郎さんの言う通り、今さら食糧不足で対立することなんて起きないかもしれない。ただやっぱりみんな一緒に不自由なくごはん食べられるのが一番幸せだろうし、争う気も起こさせないと思うんだ」
私がそう言うと士郎さんは何かを思い出したような表情をして、ポツリと言った。
「そうだな。食事をしているときのおまえは本当に幸せそうだし。俺がお前のとは知らずにおかずを取ったときはすごい剣幕で怒っていたな。確かに食べることは争いごとに関わる重要な行事のようだ」
えーっ、私マジで言ってんのに、そこイジってくる?
「もーっ士郎さんっ、私まじめなこと言ってんのに、そこ茶化す?」
「ん?俺は身近な例を思い出したんで言ってみただけだが」
イジリじゃなくて素で言ってたんかいっ、この天然狼ぃ!!
「ただ、俺自身はこれからも人間を信じることはないだろう。まぁ理由は俺が生粋の獣人だからでしかないが。今となっては」
「うーん。でも昔と違って今は獣人と人間との対立は、私が知ってる限りもう世界でもほとんど起きてないよ」
千数百年生きている士郎さんは今でも人間に対して不信をもっている。まぁはるか昔に体験してきたことを考えたら無理からぬことだと思う。
しかし今では獣人と人間、種としての対立はほとんど聞かれない。そうなったのは、
人間が獣人になれるようになったからかな。