ベター・パートナー!   作:鷲野高山

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二十三話 それぞれの理由

 日はとうに傾き始め、赤々と燃えるような夕焼けの空の下。

 閑静な住宅街の近くに位置する南見中央公園は、ある種異様な雰囲気に満たされていた。

 

 夏特有の五月蠅く響く虫の大合唱もなければ、子供が無邪気に遊ぶ声もない。

 昨日の雨ゆえか、道の端々にはポツポツと水溜まりが点在し、若干のぬかるみを伴う砂利道。静かに風は吹き、さわさわと、いっそ不気味さを感じさせるように木々の枝が揺れ動いている。

 

 ――そんな園内の一角で。

 市之宮姫華は、呼吸を乱しながら苦しさに顔を歪ませていた。

 

 彼女と対峙するのは、一体の黒い影(ゴースト)。手には漆黒の長刀が握られ、その切っ先は姫華へと向けられている。

 周囲には円形に広がる半透明のバトルフィールド。逃げることなどできはしない。そもそも、背を向けようならば、数瞬後にはやられかねなかった。

 

 ピリピリとした空気の中、姫華の視線の先で、スッ、とゴーストが長刀を水平に構える。

 

「……っ!」

 

 それを視認した直後、姫華は横っ飛びに地面を蹴った。

 ほぼ同時に、ゴーストが長刀を振りぬく。長刀から勢いよく発射された黒弾が、数秒前まで姫華の姿があった地面に炸裂した。

 直撃こそ避けたものの、その余波までは躱しきれない。

 バランスを崩した姫華は、ズザッ、と倒れ込むように着地する。

 

「……はぁ、はぁ」

 

 しかしすぐさま立ち上がり、眼前のゴーストから一瞬たりとも視線を逸らすことはしない。

 対してゴーストは、追撃してくるような仕草を見せなかった。相も変わらず、のっぺらぼうな顔。だというのに、時折攻撃してはくるものの、姫華はゴーストが様子を窺っているように思えてならない。

 

 ――始まりは、突然だった。

 

 黒星堅一を待っていた姫華は、夕刻となっても帰ることなく、園内に佇んでいた。広場には、彼女以外に誰の姿もない。

 ただぼんやりと、茜色に染まった空を眺め、そして、はぁと息を吐く。

 そんな時、ふと視線を感じた気がしたのだ。

 

 視線を下ろせば、前方、自分以外誰もいないと思っていた広場内に、人影があった。

 偶々ここを通りかかった知らない人なのか、それとも知り合いが姫華に気づいたのか。夕陽の光ゆえ、どうにも見えづらかったが、とにかくその人影は足を止めていた。

 その時点で、姫華が不審に思って逃げ出していれば。あるいは、こんな事にならなかったのかもしれない。

 

「……黒星さん?」

 

 しかし姫華は、もしかして、という淡い期待を胸に抱いて自らその人影に近づいていった。

 なぜなら、彼女は堅一を待ってこの場にいるのである。

 堅一だと確定したわけではないというのに、自然と早足となる。

 だが――。

 

「――見ィつけタ」

 

 一度聞けば二度と忘れられないような、男性とも女性ともつかない声。

 ハッとして思わず足を止めた姫華だったが、もはや手遅れ。

 

 バチィイッ! と迸るのは、青白い閃光。姫華の周囲を大きく囲むように、青白いラインが地面に刻まれていく。そのラインの上に形成される、半透明の壁(バトルフィールド)

 

 それはまるで、あの日の――ゴーストという存在と初めて相対した日のことを再現をしているかのように、姫華の目に映った。

 

 ただ、あの時と決定的に違ったのは。

 ――隣に、(堅一)の姿がないこと。

 

 ぶるり、と無意識に姫華の身体が震えた。

 ゆっくりと呼吸を整えながら、未だ動きを見せないゴーストを警戒する。

 余裕なのか、それとも本当に様子を窺っているのか。何をされているわけでもないのに、ただそれを見ているだけで――姫華の心には、恐怖が、焦燥が、膨らんでいく。

 

 今考えれば、あの日はよく恐怖を感じずにいられたものだ、と姫華は思う。

 全くの想定外の出来事だった、というのはある。混乱のため、あまり恐怖を感じなかったのかもしれない。

 だがそれでも、これだけは間違いなく言える。

 

 あの時、市之宮姫華は――黒星堅一がいたからこそ、さほど取り乱さずにいられたのだと。

 

 想定外の事態に直面した際、自分以外の誰かがいる、というのは確かに安心できるものだ。しかしそれが、誰でもいいわけではない。知り合いではない人間ならば、また違った不安が生じてしまうのも充分にありうる。

 

 ――しかし。

 初対面だとは思えないほどの、安心感。ただ同じ学園の生徒、という共通点しかないはずなのに、不思議と姫華はそれを感じていたのだ。

 あの状況で自己紹介する余裕があったのが、なによりの証拠。

 

 そんなことを考えたら、自然と顔に笑みが浮かんだ。

 

「……そろそろ、諦めて大人しくしてはどうですカ? 今なら命までは取りませんガ?」

 

 突如、今まで動きを見せなかったゴーストが、声をかけてくる。

 それは、降伏勧告。現状、姫華にはゴーストを打破する手立てが無い。当たり前だ。ソルジャーとは違い、ジェネラルは戦う人間ではないのだから。

 このまま逃げ回っていたところで、何も変わらない。そんなのは姫華とて重々に承知していた。これは戦いでもなんでもない。なにせ姫華では、ゴーストにダメージを与えることができないのだから。

 しかし、それでも。

 

「いいえ、私は諦めません!」

 

 声高らかに、自身を鼓舞するかのように姫華は宣言する。

 

「…………」

 

 ゴーストは無言で長刀を構えると、一歩一歩ゆっくりと姫華へと近づいてくる。

 それをどこか他人事のように見つめながら、やはり自分は強情みたいだ、と姫華は苦笑した。

 敵わないことなど、理解していた。諦めずに抵抗したところで無意味なのも理解していた。それでも尚、最後まで抗う。

 

 そもそも、この事態を招いたことだって、自身の強情さであった。

 堅一は、ここに来ることはないと、そう言っていた。それでも、朝から晩まで勝手に待ち続けたのは姫華である。

 

 子供の頃から、仲が極めて良好な両親の惚気話とも思える話を聞かされていた。初めての仮契約で、その後も長くパートナーとして組んだこと。

 いつしかそれが、憧れへと変わった。女性であろうと、そして男性であろうと、初めての仮契約の相手とパートナーとなる。いつの間にか、それが夢となっていた。

 だから、学園での生徒からの契約の申込みは勿論、仮契約の誘いは断った。学年次席の市之宮姫華として、契約しようとしていた者達の誘いを。

 しかし当然、そんなことをしていてはいつまでたってもパートナーなど出来ようもない。

 

 そんな時だった。不慮の出来事から堅一と仮契約を交わしたのは。

 意外な形での仮契約となってしまったが、姫華はそれもまた運命だと感じた。

 呪い、という天能を聞いても、不思議と怖くはなかった。

 

 ――この人なら、と思えたのだ。

 あの、強くとも不安定な男子生徒なら。

 例えそれが、期間限定の契約であったとしても。

 

「……っ!」

 

 ゆっくりと歩いていたゴーストが、突如速度を上げて姫華に接近してきた。

 気を引き締め、ゴーストに意識を集中させる。その長刀の刃が僅かに低く下がったのを、姫華の目が捉えた。

 

 ――右切り上げっ!

 

 その軌道を予測した姫華は、ただただ全力で飛び退る。

 もとより姫華は運動が苦手ではなく、むしろ得意であった。そしてなにより、ジェネラルとはソルジャーに対して指示を出す存在である。戦闘こそできないものの、見ることにおいては長けていた。

 

 しかし頭では分かっていても、躱すのは容易ではない。

 空を切った長刀が、今度はそのまま上段から姫華目掛けて斬り下ろされる。

 

 姫華の長い髪が数本、風に舞った。

 制服の腕の一部分が切り裂かれ、肌が露わになる。

 

 しかし、なんとか躱した。紙一重、半歩でも遅かったら、切られていた。

 

 ――だけど、これ以上は……。

 

 既に姫華はギリギリだった。

 この至近距離で、そう何度も避けられるものではない。むしろここまでほぼ無傷なのが、幸運ですらあったと言える。

 

 次は流石に、と覚悟する姫華であったが。しかし彼女の予想に反し、追撃は無く。

 

「……そこまでして天能を奪われたくない、ト?」

 

 あくまでも抵抗する姫華に、ゴーストが淡々と問いかける。

 刹那の攻防により肩で息をしながらも、姫華は気炎を上げて返答した。

 

「当たり前です!」

「……どうしてですカ?」

 

 奪われたくない理由など、あるに決まっていた。

 

 天能を奪われれば、ジェネラルではなくなってしまうから。

 その一言に、尽きる。

 誰だって、そう言うに決まっていただろう。むしろ、それ以外に何があるというのか。

 

 当然、姫華だってそうだ。ジェネラルであるから、シュラハトに関する教育機関である弐条学園に通っている。

 だが、天能を宿す全ての者がそうというわけではない。

 例え天能を宿していても、ジェネラルやソルジャーを目指さない者は、一般の学校へと行くものだ。

 

 ジェネラルとして弐条学園に通う以上、奪われたくないに決まっている。

 そう、口を開こうとした、刹那。

 

 それは違う、と押し止める何かが脳裏をよぎった。

 ジェネラルでいられなくなるから、天能を失いたくない。確かに、それも理由だ。

 しかし今、姫華が天能を奪われたくない一番の理由は、本当にそれなのか。

 違う、と姫華は頭を振った。

 

 今、自分が、市之宮姫華が、最も天能を失いたくない理由。

 それは――。

 

「――私の回復なら、あの人の呪いを和らげることができるからっ……」

 

 ゴーストの攻撃を回避し続けた結果、弐条学園の制服は所々水気を含んだ砂で汚れ。普段であれば金色に輝く校章には、跳ねた泥が付着していて見る影もない。

 それでも尚、姫華は堂々と胸を張っていた。

 

 堅一に宿る呪いという天能が、使う度に体力を消費するのならば。それを自分が補うのだ、と。

 姫華は、堅一にそう約束した。例え堅一がそれを約束だと思ってなくとも、姫華はそう言ったのだ。

 

「……ふム。まあ、理由などは何でも構いませン」

 

 しかし、そんな姫華の言葉は、どうでもいいとゴーストに一蹴される。

 

「アナタを餌にもう一人(堅一)を釣り出す算段でしたが、気が変わりましタ」

 

 平坦な声。姫華が声を挟む間もなく、ゴーストは淡々と続ける。

 言いつつ、ゴーストは長刀を構えた。瞬間、姫華は顔を僅かに強張らせる。

 

「――今より、全力で叩き潰すことにしましょウ。天能も、そして命も、諦めてくださイ」

 

 姫華を襲ったのは、強烈な威圧感。

 つまり、今まではただ単に手を抜いていたのだと、ゴーストはそう言った。

 天能だけでなく、姫華の命も狙うと。冗談ではない、ということが姫華には肌で感じられた。

 

 姫華の持つ天能は、回復のみ。ダメージを与える方法などなく、万に一つも勝ち目などない。

 

 だが、それでも。最後まで抗うことは諦めない。諦めたくなかった。

 例えそれが、意味のない足掻きだったとしても。

 

 急ぎ姫華は、ゴーストから距離をとろうとして――。

 

「あ……」

 

 その足が、縺れてしまった。

 ぬかるんだ地面に足を取られたのか、気が抜けてしまったのか。

 とにかく自身の間抜けさを内心で叱責しつつ、地面に手をついて転倒することだけはなんとか回避する。

 そうして、即座に顔を上げ、ゴーストの位置を確認する姫華だったが。

 

 目に映ったのは、すぐ間近にまで迫っていたゴースト。鈍く、ギラリと閃く漆黒の長刀。それが、今にも姫華に向けて振り下ろされようとしていた。

 

 ――躱せない。

 何をしても、間に合わない。一瞬先の死を、覚悟した。

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