いま、僕は、放課後の校舎裏・倉庫の影に待機しているのだが。彼女もすぐそこにいるので、今一度その容姿をのぞき見してみよう。
長くてつやのある髪、同じ日本人とは思えない抜群に整った目鼻立ち。これだけでもアイドル級だ。加えて、スカートから伸びる長く健康そうな脚、それに伴うスタイルのいい長身。そしてとどめに、男子ならどうしても目を引かれてしまう暴力的に大きい胸が、制服でドーム型テントを張っている。
容姿だけを見たとしても、バカみたいにモテる。
ところが彼女はさらに、中身の方も優れているともっぱらの評判だ。文武両道、言動はおしとやかで清楚。仕草に気品があることから、良家のご令嬢であると噂されている。生徒、教師からの信頼も厚く、まるで架空の生徒会長キャラクターのようだ。
客観的な人物評はこんなところだろうか。以上のことから、この女は、人を引き付ける魅力を多分に備えた人間だといえる。
「長峰さん! 待っててくれたんだ」
「ええ。大切なお話と聞きましたから」
と、今日の告白者が現れたようだ。
彼には申し訳ないが、耳を澄ませ、会話をよく聞く。
緊張した、一生懸命な男子の声がする。内容は……当然、例によって、『それがしと男女のお付き合いをしてください』というもの。人によって一世一代の言葉は異なるので、おもしろいではある。
が、そろそろ聞き飽きたし、盗み聞きしている罪悪感もあるし、もうこんなことはやめたい。
けれど、それはできないのだ。
「……ありがとう。あなたの気持ち、すごくうれしいです。でも――」
合図があった。僕はひとつ深呼吸し、倉庫の影からのっそりと出ていく。放課後の青春を演じる二人の元へ。
目を丸くする相手の男子生徒を見て心を痛めつつ、なるべく相手を刺激しない態度を心がけつつ、長峰さんの隣に立った。
「私、彼氏がいるんです。だから、ごめんなさい」
おことわりの言葉に合わせ、軽く会釈する。
男子生徒は、しばらく呆然としていたものの、やがて現状に頭が追いついたのか、ぷるぷると震え始めた。
告白しに来た人が僕を見たときの顔は、2種類ある。悲しみに染まった“負け”の表情と、つらい気持ちが“怒り”に変化した表情だ。
後者の人に殴り掛かられたことが一回だけあるので、警戒して体がこわばる。……が。今日の人は、眉尻を下げて切ない表情をした。
一連の場面を見て、かなり胸が痛む。これには慣れない。冷や汗が出るのを感じつつ、流し目でとなりの長峰さんをうかがってみると。
かなりいい顔で笑っていた。みんなに愛想よく振る舞うときより、若干つやつやしている。本心から来る笑顔のようだった。
長峰さんは可愛らしく胸の前で両手を合わせ、相手にさらに言葉をたたみかける。
「いきなりこの人を連れてきてしまってごめんなさい。私たち、これからデートなので」
「えっ。今日はゲームの発売日――」
「デートなので。ねえ?」
僕の失言を耳にした長峰さんは、笑顔のために細めていた目つきだけを元に戻して、上目遣いでこちらに視線をよこしてきた。周りからはどう見えているかわからないが、これは、こちらにガンを飛ばしている。笑顔の起源は威嚇だという話を思い出した。
「ね。今日はデートですよね」
長峰さんは、さらに相手に仲の良さをアピールするように、腕にしがみついてきた。髪のいい匂いがする。おっぱいがあたっている。めっちゃやわらかい。
ロボットのように台詞を返す。
「はい。デートです」
「く、くそおおっ!! お、お、お幸せにぃいいっ!!」
意を決し愛の告白をしにきたはずが、彼氏との仲をまざまざと見せつけられ、デートという単語を4回聞かされ、彼は脳が破壊されたようだった。
放課後の校舎裏に、ふたりだけが残される。他に人目は全くないようだった。
「……んー。これで50人目ぐらいだったかなぁ。彼氏持ちだって知らないのかしら。ペースは減ってきたけれど」
しらじらしい女性言葉を吐き、長峰さんは僕の腕から離れる。
そしてこちらを見上げ、にっ、と口の端と眉尻を上げた。端正な顔立ちに、粗野な内面が浮かぶ。
「おー、今日もおつかれ、メガネくん」
「今はコンタクトだけど……」
「あ? メガネくんはメガネくんだろ。口答えすんなー」
「はい」
自分より若干小柄なはずの少女に、ばん、と背中を、わりと強めに叩かれる。少しいやな気持ちになり、僕は背中を丸めた。
これが、彼女の、いや、彼の素の姿である。
「しっかし……見たァ? 彼氏がでてきたときのあいつの顔! 告られるのはウザいけど、男どものリアクションは面白くてやめられないねぇ」
けらけらと笑う姿は、みんなが抱いている完璧女神お嬢様のイメージとは正反対で、ただの性格の悪いゲスのそれであった。
その昔と変わらない仕草に、小学生のときのことを思い出し、僕は少しお腹が痛くなった。
「さぁて。なに、ゲーム買いに行くんだっけ? おー行こうや、オレに先にやらせろよ。あっお前んち今日親いる?」
家に上がり込んできて、人の買ったもので遊んでいくつもりらしい。予定が崩れていく。
……ここまでの会話だけを振り返ると、僕たちは仲の良いカップルに見えなくもない、かもしれない。
けれど本当は違う。こいつは僕のことが好きでも何でもないし、僕はこいつのことが苦手だ。
学校一モテる長峰さん。僕は
▽
高校に入学してしばらく経ち、そろそろ4月をまたぐ。
あまり同じ中学のやつがいなくて不安だったけれど、この頃はうまくクラスに溶け込み、これからの3年間は波風立てずやれそうな気がしている。
小学生のときみたいに、クラスの目立つやつから、変にいじめられることはない……といいな。
昼休み。教室。
昼食の総菜パンを口にしながら、ぼうっとしているふうで、教室をさらっと眺めてみる。
一か月ともなれば、級友たちも新しい学び舎の雰囲気やシステムに慣れていくようで、彼らの個性というものが見えてきた。
例えば、後ろの席の金田くん。最近ある程度仲良くなったのだが、実はオタク趣味なのは意外だった。人当たりはよく、誰かに趣味をからかわれても反発することなく受け流している。この態度は参考になる。
隣の席の八代さん。優しいし顔もかわいい。最初のオリエンテーションで担任にクラスメイトとの交流を強制された際、ちょっとしゃべって、好きになった。正直、あわよくば……という目で見ている。
声が大きい佐藤くん。今のところ性格は悪くなさそうだが、ああいう目立つタイプの人はどうしても苦手だ。とはいえ、毛嫌いして避けるのは悪手なので、勇気を出してクラスメイトなりの付き合いができたらいいな、と思う。
ああ、そう。目立つタイプ、といえば――、
「長峰さん、一緒にお昼食べない?」
「な、長峰さん! スマホ持ってるよね。同じ班だし、連絡先をっ」
「悠希ちゃーん、数学の宿題教えてぇ……」
教室の真ん中の方、人だかりの中心に、ある女生徒の姿がある。
入学から一か月未満という時期で、男女問わず多くの生徒から声をかけられているその人は、長峰悠希さんという。おそらく校内人気者ランキングレースをスタートから独走しているだろう、凡人とは住む次元が違うような女子だ。人気の理由は、その容姿や人となりを見れば明らかだ。
県外から越してきたらしく、同じ中学出身の生徒がいない、というのも、彼女の希少価値をあげているかもしれない。同じ中学のやつがいれば、あー、長峰さんね、くらいの態度でいる場合もあるかもしれないが、いないので、生徒のほとんどがまず彼女に目を奪われる事態になる。
かくいう僕も、あんな子とクラスメイトになってしまったからには、「お近づきになりたい」「あわよくば」という想いが、長峰さんが視界に入るたびにわいてくる。とはいえ競争率が高すぎるため、僕だけでなく、多くの級友たちはやきもきする日々を送っているはずだ。どうせ自分じゃあな、と今のうちに卑屈になっておいて、長峰さんに恋人ができる日のダメージに備えるのが賢明だろう。
高嶺の花と同じクラスというのは、あまりいいことではないのかもしれない。あんまりあの顔を見すぎると、八代さんの顔が並レベルに見えてくるし。
まとめ。
すごい美人。かわいい。好きになりそう。
以上だ。
……ただ。
この前、クラスメイトの特権として、ふとしたときに目が合ったことがあるんだけど。
少し、なんだろう。彼女の目つきや表情に、学校のアイドルと目が合った喜び、以外のものを感じてしまった。そしてそれは、どちらかというとネガティブな気持ちらしかった。
どうしてそんなふうに感じたのかは、わからない。
強いて理由をつけるなら……。小学生の頃、今思えばいじめレベルの悪戯を僕に仕掛けたりしていた、正直苦手だった友達の悠希くんと、名前が同じだからだろうか。
いやまあ、ユウキなんてよく聞く名前だし、さすがにナイーブすぎるか。向こうにも悪い。
総菜パンを食べ終わった。残りの時間は、何をしようか。
そう思っていたとき、教室の空気が変わる。
外からやってきた見慣れない男子生徒――おそらく違うクラスの生徒が、真剣な表情でずかずかと踏み進んでくる。こんな時期だと、他クラスの生徒が入ってくるというのはちょっとした事件で、みんなの注目を買っていた。
彼はまっすぐに、人だかりの方へ、すなわち長峰さんのところへやってきた。そのマジメな雰囲気に、昼休みの喧騒が静まる。
「あの、長峰さん。委員会で一緒になった高杉です」
「こんにちは、高杉さん」
取り巻きのみんながこれから起きることを察し、道を開けてギャラリーと化す。やがてその高杉くんは、この大勢の前で、勇気ある言葉を口にした。
「初めて見たときから好きです。僕と付き合って下さい!」
囃し立てる声が周囲からあがる。僕も、おおー、と、感心した声を出してしまった。男女がくっつくために必要なのは、こういうことができる度胸なのだなあ、とか思った。
級友の男子諸君は、興奮したような、悔しがるような、絶妙な表情をしている。もしかすると僕も似たようなものかもしれない。
高杉何某くんという少年は、僕から見て、スクールカースト上位の空気というものを身に纏っている人物だった。教室の外で、たぶん彼のクラスメイトであろう観客たちがニヤニヤとこちらを覗き込んでいることからも、なんとなくそれがうかがえる。
運動部の体格で、顔立ちはいい方。女性から見てどうか知らないが、僕から見てイケメンだ。多分過去に彼女が2、3人はいたんじゃないか、なんて思った。さわやかな雰囲気だが、入学直後の4月に告白するあたり手が早い。
高杉くんのレベルの高さからくる、告白成功の予感。自身にはまったくチャンスなどないのに、なぜかちくりとした焦燥感をおぼえる。
そして。それを受けた、長峰さんは。
――ちら、と。流し目で、こちらを見た、気がした。
「高杉さんのお気持ち、嬉しいです。……でも」
長峰さんはおもむろに席を立ち。そして、にこやかな表情のまま、
そして、ぼうっといきさつを見守っていた、僕の目の前に立った。これまでにない近い距離からじっと見下ろされて、そこでようやく、これが現実の光景であることを思い出し、ぞっとした。
なんだ……? どうしてこっちにきた? それに、この目つきって。
長峰さんがあちらへ振り返る。僕と同様に疑問を顔に浮かべているみんなと、高杉くんが見える。
「私、この
「えっ」
……何を言っているんだ、この人は?
夢か何かと思い、周囲を見回す。教室中が一様に茫然とした顔でこっちを見ていて、まるで時間が止まってしまったかのようだった。けれど、だんだんとそれが、疑問や、軽蔑、果ては怒りのそれに各々変化していき、僕に向けられる。
わけがわからなくて、この状況を作り出した本人の顔を見上げる。彼女は、いつものように、周囲に優しい笑顔を振りまいたあと……僕を見下ろして、愉快そうに目を細めていた。
悪辣な顔、だと思った。
「すみません、私達もう行きますね。さ、野原くん」
「えっ、ちょっと」
白くて指が長くてきれいな手に、腕を掴まれ、引っ張られる。慌てて立ち上がると、椅子のやかましい音だけが静かな教室に鳴り渡った。
周囲の視線の種類が怖くて、僕はクラスメイトたちを見ないようにして、背中を丸めて長峰さんについていった。
立ち入り禁止の屋上へのドアを、長峰さんは、どうやって入手したのか想像もできない鍵を使い、躊躇なく開けた。
ぽい、と乱暴に、屋上の空間へと投げ込むように、掴まれていた腕が解放される。
「うお、お」
と鳴き声をもらしながら、転びそうになるのをこらえ、振り返る。
ばたん、とドアを後ろ手に閉めて、彼女は無表情で、そこに立っていた。
「ね、野原くん」
「はっ、はい」
無表情が、スイッチを入れたみたいに、満面の笑みに切り替わる。
そのまま近づいてくる長峰さん。やがて、人と会話するには近すぎる距離にまで踏み込まれ、顔を覗き込まれる。
なんじゃこりゃあ。男子憧れの子がこんなに近くにいる。うわ良い匂い。まつげすごい。肌白くてほっぺた赤い。
「すみません、いきなりこんなこと。順番が前後してしまいましたね」
「え……えええっ! あの、その」
長峰さんは恥ずかしそうにうつむき、目線を泳がせて言った。
つ、つまり、実は彼女は……?
「そうなんです。私、あなたのこと……。あの、目を、閉じてください」
宝くじで一等を当てたらこうだろうなという、信じられない気持ち。非現実的な幸福への戸惑いで頭が熱をあげている。
長峰さんの顔が徐々に、さらに近づいてきて、顔面の解像度が上がっていった。それに耐えきれなくなり、言葉に従って目をぎゅっと閉じる。
もしかして、もしかするのか? こんなことがありえるのか? うああマジか、あっなんか顔の近くになんかある気配。あ、あー!
「うりゃ」
「……い、痛っった……」
ぐい、と頬をつねられて。
目を開けると、長峰さんが、教室では見せたことのない目の表情で、笑いをこらえていた。
「ぷふっ。あはは! ごめーん、学校一かわいい女子に告られると思っちゃった? あっはは!!」
「うえぇ……?」
頬をさすりながら、イメージに反したはしたない笑い声をあげる彼女を見る。
……いたずら……どっきり、ってことだろうか。
まあ、そうだよな……。あ、もしかして周りに共犯者が潜んでいて、同じようにあざ笑っているのだろうか。リアクションの動画を取られていたとか?
はぁ。まだ残っている長峰さんへのドキドキと、こういうことをされたときのショックが合わさって、心臓が落ち着かない。
でも、長峰さんって、こんなことする人なんだ。そのことが一番ショックかもしれない。こんな、いかにもな、いじめ気質の子みたいな。
「あっはは、変わらないなァ……あー、懐かし」
ひとしきり笑った長峰さんは、目尻に浮かぶものをぬぐって(泣くほど面白かったのか……)、こっちに向き直った。
にやにやと、見たことのない意地の悪い笑みでこちらを眺めている。こっちの言葉を待っているようだった。
「長峰さん、こういう悪戯する人だったんだね」
「ん? あー、まあね。ごめんて」
小首をかしげて両手を合わせ、かわいらしい仕草で、軽い謝罪をしてくる。
悪いと思ってはいない態度。まるで気安い友達のような。
この人のことがわからない。明日から僕は、ドッキリに引っかかった哀れな男子として、クラスの笑いものにでもされるのだろうか……。
「もういいでしょ。じゃあ僕、戻ります」
「え。ちょ、ちょいちょい」
さっさと扉に向かおうとすると、何故か、制服の襟を乱暴に掴まれ。ぐえ、と声が出た。
「あれ……なに、わからない? わたし……んんっ」
同い年の少女は咳ばらいをして、間をあける。言葉を選んでいるような様子を見せ、そして、
「オレだよ、小学校ンときの、ほら。……友達、のさァ。
ユウキ。小学校の。
オレ。
乱暴な仕草、表情、口調。
ひとり、はっきりと、記憶の中から浮かび上がってくる人物がいる。
「……ユウキ、くん?」
「おう」
「家が近くて、小学校まで一緒だった?」
「そうそう」
「僕をいじめてた、あのユウキくん?」
「はあ!? べっ、べつにイジメじゃないでしょ、あれぐらい。根性ないこと言わな……言ってんじゃねーぞ」
顔を赤くして目を泳がせる長峰さん。慌てた口調は、さっきのドッキリの演技とは違う、素の反応のように感じる。
えっ、でも。
彼女は、そのユウキくんが……自分のことだっていうのか?
「久々に会って、しかも同じクラスになったのに、全然気づかないからさぁ。あー、今さら言うのも変だけど、……元気だったか? メガネくん」
「…………」
たしかに。
たしかに、たしかに、たしかにたしかに。
言われてみれば、のレベルだが、面影はある。ユウキくんに美人のお姉さんがいたらこういう目元だろうな、という感じの。
そして言動。男の子の言葉遣いに、人をいたずらにはめて心底笑える性格。さっきの頬を引っ張るときの、相手の気持ちを考えない力加減のなさ。
こっちはコンタクトレンズにしているのに、メガネくんなんて特定のあだ名はとっさにはつけられない。
じゃあ、本当に……長峰悠希さんは。
いや。まだ折れるんじゃない、僕。
あの憧れの長峰さんがユウキくんだというのを、認めたくなくて、否定できる理由を探す。
「でも、名字が」
「親が再婚した」
「性格が全然……」
「変わってるか? 普段のキャラのことなら、あれは作ってる」
「……そもそも性別が違くない……?」
「女になる病気知らねーの? スマホで調べれば。ていうかそれで転校したんだし」
そういえば、ユウキくんは、小学校を卒業する前にいなくなったんだった。たしか理由は、病気の治療の都合とかで……。あと、手術や投薬もなしに身体の構造が思い切り変わる病があり、性別が変わる場合がある、というものも、テレビか本で見たことはある。
理性は、まさかそんな、と否定しようとしている。たとえば、彼女はユウキくんの親類で、彼に成りすまして反応を楽しむという、手の込んだドッキリをしかけている、とか。
でも、あまりにも、言動のエミュレートができすぎている。
それに心が。目の前の女の子の中身が、マジでユウキくんなのだと、理由もなく認めそうになっていた。
「いやー、まさかお前とまた同じクラスなんてな。いつになったら声かけてくるかと思ったら、全然こねーし」
じろ、とにらまれ、身がすくむ。
いや、声かけるわけないでしょ。クラスの高嶺の花だし。
「他の男どもはウザいし、告白とかされるし……中学のときからもう、うんざりなんだよなー」
「それは……ユウキくんが……」
完璧女子すぎるのが悪いのでは。そう思ったが、なんとなく口ごもってしまう。
「かわいすぎるから悪いってのか? あ? 真面目に学生やってるだけだろ。オレだってこのキャラ疲れるんだぞ」
心を読まれた。
「……で。いいこと考えたんだけどさ」
「うっ」
『いいこと考えたんだけど』。
記憶に深く沈めていたはずのことを、この一瞬で思い出した。この台詞は、ユウキくんが悪いことを考えたときに発するものだ。
すなわち、僕はこのあとひどい目に遭う。思わず胃を押さえた。
「男とくっつくなんてありえないけど、それは堂々とは言いにくいんでね。……そこで! “男除け”を立てようと思います。つまり、彼氏役です」
ぴっ、とこちらを指さす長峰さん。ユウキくん。
そのまま、また無遠慮にずかずかと近づいてきて、僕の胸を突いた。そのまま指でぐりぐりとやってくる。うっとうしい。
でも、見た目が憧れの長峰さんなので、うぐぐ。幸と不幸が同時に脳にやってきて、おかしくなりそうだ。
「おや~? うれしいのかな。うれしいよねえ、やっぱり。わかるよ~。光栄だろぉ」
ユウキくんは、目を怪しげに細め、にやにや顔を近づけてきた。息がかかるほど距離が近い。
「あと、もうひとつ。気付くのが遅かった罰としてぇ……。おまえの人生めちゃくちゃにしてやる……ってのも、面白いなって思ってさァ」
「ちょ……」
可愛い声で、ぶっそうな言葉を吐かれる。
え、どういう意味。高校生になって、いじめのスケールも洒落にならなくなっているのだろうか。
いったいどんな嫌がらせをされるんだ。僕のまともな高校生活は、ここで終わってしまうのか。舞い戻ってきたユウキくんの手によって。
冷や汗が出るのを感じながら、彼女の唇の動きに目を見張る。
「――オレが彼女なんだから、おまえ、もう彼女とかできないだろ。あッはは! 一生童貞〜」
えっそれだけ?
なんだ。なんか、ユウキくん、中身成長してなさそうだな。
「じゃ、今日から彼氏彼女ってことで、そこんとこよろしくね。放課後また喋ろー」
こちらの返事や意見も聞かず、ユウキくんは屋上の出口に向かっていく。彼、あるいは彼女にとって、僕への提案は頼み事ではなく命令であって、こちらの反論等はナチュラルに想定していないのだ。そういえばそういうやつだった。
「あっ! そうそう。……バラすなよ。オレが元男とか、性格が違うとか。誰かに言ったら、ちぎるからな」
こちらの身体のどこかを手でむしるジャスチャーをして、才色兼備の美少女はこちらを脅してきた。
でも、そうしてほしいなら、そもそも……。
彼女が再び踵を返す。背中と、女の子っぽく後ろで手を組んで歩く仕草だけを見ると、ただの機嫌の良い長峰さんにしか見えなかった。
でも、ひとつ気になったので、呼び止める。
「ユウキくん、待って。だったらどうして僕に正体バラしたの? 言われなきゃ、全然わからないままだったよ」
「どうしてって、そりゃあ」
こちらに顔を向け、何か言おうとして口を開く。
けれどすぐには言葉を出さず。長峰悠希は、何か考えているような間を開けて、
「どうでもいいだろ、そんなの」
ふんと鼻を鳴らし、屋上から出ていった。
「………」
……あっやべっ、閉じ込められる。
僕は急いで、ユウキくんの――、
長峰さんの後を追いかけた。
▽
ゲームショップからの帰り道。いつもうきうきして早足になってしまうものだけど、今日は、そうはしなかった。
隣を女の子が歩いているからだ。
通算50人目の告白者を断った帰り道。宣言通り彼女は、僕と一緒にゲームソフトを買いに行って、そのまま、家路にまでついてきた。傍から見れば、学生の放課後デート、といえなくもない。かもしれない。
「いやあ、ゲーム……テレビゲームかあー。久しぶりだなぁ。今の父親は金あるけど、そういうのやらせてくれないんだわ」
ユウキくんは昔から自分の家に誰かを招くことはなく、人の家のゲームや漫画を楽しんでいた。それを思い出す。けれど今の口ぶりからして、女の子になってからは、その娯楽からも離れてしまっているようだ。
それと、“今の父親”、と言った。もしかすると、ユウキくんが長峰さんを作り上げたのには、家庭の事情とか関係あるのかもしれない。
まあ、そこまで踏み込むつもりはない。せっかく今は楽しそうな顔をしているんだし。
やがて、家に辿り着く。小学生のとき住んでいた場所からは引っ越したので、ユウキくんは新鮮そうな顔で門扉を眺めていた。
ん。そういえば、偽物の恋人になってから、家に上げるのは初めてだ。
人生で最初に家に案内する彼女が、ユウキくん……。
「ハァ」
「あ? 何」
「いえ、なにも」
ドアの取っ手を引く。鍵は開いていた。たぶん、妹が帰っているな。
「ただいま」
「……おー! 全然違うけど、なんか雰囲気変わってないかも」
「あっ妹いるよ」
「うふふ。お邪魔しますね」
女子の靴が玄関にあるのを示すと、ユウキくんはスッといつものキャラを固めた。
ユウキくんは僕とふたりでいるときはいつも、コミック版でベジータが狼狽えたり力んだりしているときの不穏な効果背景を発しているのだが、長峰さんになると少女漫画の花とかになる。
「ん、おかえ……り……」
リビングまでいくと、ソファでだらだらくつろいでいた妹の表情が、いつもの兄に関心のないそれから変わっていく。
いや、兄に関心がないのはそのままだが、兄が連れてきた人物に目を奪われているようだ。
「すっげ美人……え、誰? ですか?」
「この人は、」
「野原くん……
「カノジョ?」
「はいっ」
「カノジョってなんだ?」
キャパシティを超えた事態に、妹は、彼女という単語の意味を一時的に喪失してしまったようだった。それほど今のユウキくんは、外面がいい。
けれどお前もユウキくんとは会っているんだよ、昔……。
ぼうっと虚空を見つめだす妹の肩を揺らし、現世に立ち戻らせる。
「ミツキ、一生のお願いがあるんだけど」
「なんスか」
「ふたりっきりで過ごしたくてさ。……時間つぶしてきてくれない?」
「はぁ~? ふざけんなって。ていうか嘘だよね、あれが彼女て。ドッキリ?」
「これでどうか……」
財布からゲームのおつり、3000円を取り出し、握らせる。あまりに痛すぎる出費だが、背に腹は代えられない。
「フッ。なるほど……本気、ってワケ。いいぜ……あたしもちょうど散歩したい気分だったんでね……たまたまね……」
すべてを悟ったような表情をする妹。たぶん何もわかっていないし何も考えていないが、とりあえずお金を見て従っただけだと思う。
「7時半に帰るわ。ごゆっくり~」
妹は出かける支度を急いでくれて、やがて玄関から外へ旅立っていった。にこやかに手を振り合う女の子たち。たぶん妹の方は、長峰さんを妖精か幻覚のたぐいだと思っている。
ばたん、とドアが閉まる。それを見届けると、長峰さんのにこやかだった表情が、みるみる訝しげなものになっていった。
「おいおい。わざわざふたりきりにって、まさか襲おうっての? オレが可愛すぎてたまらなくなるのは理解できるが、死ぬ覚悟はできているのかな?」
「い、いや。妹がいたら、きみが気をつかうかなって思って」
ぼくの部屋に入って扉を閉めたって、薄い壁の向こう、同じ屋根の下に妹がいたら、たぶん長峰さんは長峰さんのまま、本性を出さないだろう。
久しぶりに遊ぶんだし、のびのびやってくれたらいい。
「……ふーん。お気遣いどうも」
つんとした表情で、彼女は言った。
部屋に案内する。
ドアを開けて、どうぞ、とエスコートすると、どうも、と楚々とした態度で彼女は入室していった。
「おーっ! 裕福な家庭のしゃらくさい子供部屋」
そして大声を出す。
見た目が裕福な家庭のお嬢様に見える人に、そんなことを言われるとは……。
長峰さんは、みんなの前では両手で可愛らしく持ち運んでいる学生カバンを、適当に放り投げ、そして遠慮も断りもなく人のベッドに座った。一応そこに座ると、ちょうどゲームに使うモニターが見えるようになっている。僕は、勉強机の椅子を使おうかな。
「引っ越してるはずなのに、なんか、雰囲気は変わってない。初めて入るのに懐かし~ってなった」
「そうかな」
適当な会話をしながら、モニターの元へ向かい、ごそごそと新作ゲームをやる準備をする。ちら、と後ろを見ると、長峰さんはぱたぱたと無邪気に脚をうごかしていた。
見た目は綺麗な同級生なので、ギャップがあった。内面は小学生から成長していないのだろうか。いや、そういうわけではないとは思うんだけど。
そしてあともう少しでスカートの中が見えそう。
そう思っていると、枕が飛んできた。
「そういう視線って、わからんと思う?」
「すいませんでした」
じゃあぱたぱたするなよ、と思った。口にはしないけども。
買った新作は対戦ゲームだった。昔から友達と家で遊ぶならこれが定番、という大ヒットシリーズの最新作だった。
なので、オレからやらせろ、というガキ大将の論理はそもそも通用しない。残念だったな、ユウキくん。
懐かしい、なんて言い合いながら好きなキャラを選んで、CPUを交えて何度も乱闘バトルを繰り返していく。
この新作自体は当然、お互い今日が初めてプレイするので、プレイスキルに差はない……、
というわけでは、なかった。
「なんだよ、遠慮してんの?」
ユウキくんは、テレビゲームは久しぶりだと言っていたのは本当のようで、へったくそだった。まあ小学生の頃からへたくそだったのだが。
それである程度遊んだら、接待プレイを意識した。何を隠そう僕は小学生の時点でこの、妹やユウキくんに自分の勝ちを譲れる寛容さに到達していたのだ。素晴らしい人間性だと思う。
しかしこの接待プレイが、なぜか見抜かれてしまったようだ。
「お前、昔はもっとゲームでこっちをボコボコにして、人を小馬鹿にしてきただろうが。クソ陰キャがよ」
なに? そんなわけがない。僕はユウキくんと違って、素直で品行方正な小学生だったはずだ。まったく何を言っているんだ。
そんなに負けたいのなら仕方がない、ちょっともんでやるか。
「うぇーい」
「あー!!」
頭上に▽ゆうきと書かれたキャラが吹っ飛ぶ。
「よわいねぇ」
「ぬうううっ! こっち座れお前!」
ベッドの前に座ることを要求される。怖……。蹴られるには良い位置だ。恐怖でプレイが鈍るかもしれない。
だが、対戦ゲームはユウキくんをわからせることのできる貴重な機会。もう勝ちは譲らねえ。
次の対戦が始まる。
CPUを脱落させ、タイマンになる。僕のキャラが、▽ゆうきを順調に追い詰めていった。
しかし……、
「うぇーい!!」
「!?」
突然、両肩に何かが乗っかった。白くて、ずっしり重たくて、長い。あともっちりやわらかい。それに顔を思い切り挟まれる。もげげ。
これ……ちょっと待って……長峰さんの……。
ふともも。
頬を締め付けるものの感触に集中力を割かれ、僕のキャラは一回死んだ。
「ヒャッハァ~~!」
やかましい奇声がとどろく。
こ、こいつ……。
次は負けない。決意を新たに、▽ゆうきに突貫を仕掛け、
「重りのハンデ」
「!?」
頭に何か、あたたかくやわらかく巨大なものを乗せられる。首が痛てえ。いい匂いする。
すべての集中力を頭頂部に傾けている間に、僕は負けていた。
満足そうな声とともに、熱が離れていく。
「はい~勝ち~」
「それでいいのか……」
「いーでーす。おまえみたいなオタクほどゲーム練習できねーんでーす。妨害ありで対等ですから。このドスケベが」
なんだと……。こいつ、美少女なのをいいことに……!
「何不満そうな顔してんだよ。お? いいかね、学校の男子の誰も味わえない最上級の幸福を、キミは体験したのだ」
「それはそう」
「あー、楽しかった!」
日が暮れてしまったので、健全な学生としてはもう家に帰る時間。
楽しかった、といったユウキくんの顔は、本当に、楽しそうだった。
学校の誰も見たことのない、笑顔だった。
「送っていこうか」
「いいよ、近くに迎え呼んだ」
とのことなので、玄関で、靴を履く長峰さんを見送る。
迎えに来てくれる人なんているのか。今のユウキくん……長峰さんには。
「さて。じゃ、また明日! 彼氏の心悟くんっ」
そういえば彼氏彼女だった。本当だったら、高校生のカップルがどっちかの家に家族がいない時間に入ったら……くぅっ。
アニメのキャラのような、媚びた声とポーズをつくって、長峰さんはアイドル的なウインクをした。
うーん。ゲームして遊んでみた以上、中身がユウキくんだという印象を引きずっているので、正直萎えた。むしろ憎たらしい。普段のキャラともあってないし。
「うわキモ」
「はい死ね~」
思わず本音を漏らすと、肩パンをしてきた。
痛っっった!! 正確に痛いツボに入った。お嬢様はこんな肩パンしない。もっとお淑やかな肩パンになるはずだ。
▽
▽
▽
目線の先は、花で飾りつけられた体育館のステージ。
もっと上に視線をのぼらせると、舞台看板には『卒業式』の文字が、ノスタルジックに、しかし輝いて見えた。
アニメにすると大体24話分くらいのドタバタイベントがあったが、無事、長峰さんの本性が誰かにバレることはなく、ついにこの日に辿り着いた。
すなわち、解放の日。
僕と長峰悠希が、恋人関係ではなくなる日だ。
思えばつらかった。あいつのせいで、僕は本物の彼女ができるはずもなく、男子生徒の一部には強く妬まれ、高校三年間という貴重な青春を棒に振ったのだ。最初にあの子自身に言われた通り、人生に影響が出る、とんだ嫌がらせだったわけだ。
卒業式の行程を終えるころには、僕は感極まって目を潤ませていた。
4月からの大学生活が楽しみだ。とくに彼女。とにかく彼女が欲しい。僕の好みの女の子と、甘いキャンパスライフを楽しみたい。
在校生や先生、保護者たちのつくる花道を通りきり、3月1日、僕たちは外の世界へ旅立った。
くさい比喩をなしにすると、とにかく卒業式が終わった。卒業生は主に正門の辺りをうろうろ、わちゃわちゃと騒いで、写真だとか最後の会話だとかに勤しんでいる。そしてしばらく経つと、各々が校内の好きな場所に散らばったりする。
僕は、あらかた友人とのコミュニケーションを済ませると、まだ人だかりの中心にいる長峰さんに目を向ける。
……いろいろあったし、なんか話したいけど。まあ、あとにしよう。
そうして、いかにも友達がいそうでいないやつ、という感じにウロウロしていると、誰かに呼び止められた。
「先輩! あの、えと、こんにちは。よかった、いいところで」
女子。
後輩の深山さんだ。図書委員として一緒に作業したり、放課後に図書室でちょろっとおしゃべりしたりして、仲良くなった。
在校生とはもう会えなくなる。なんかびしっと良いことを言っておかねば……。
「あ、あの! 先輩に、伝えたいことが、あります」
……………ん?
ちょっとまってくれ。
気がつくと、周りには誰もいない。目の前の深山さんは、決意の表情でこちらを向き、胸に手を当て、すーはーと深呼吸をしている。顔は上気して赤くなっている、ようにも見える。
まさか……まさか! このシチュエーションは!!
「先輩の……第二ボタン。わたしに、くれませんか」
ウ……
ウオオオオオ!!!!!!
学ランの第二ボタン、といえば。心臓に近い位置にあることから、それを誰かに要求する、譲渡することはつまり、アイラブユーを示している……
という……
あの伝説の……
やばい超ドキドキする! 嬉しい!! 深山さん死ぬほどかわいく見えてきた!!
うそだろ、僕にも、僕にも好きになってくれる人が!? 真の彼女が!? ついに!? 卒業最高!! これが……春!!!
「も、もちろん――」
「あ、いたいた、野原くん」
えっ。と声が出る。第三者の声が投げ込まれたからだ。
しかも。そこらへんの女生徒では比べ物にならない、舞台俳優さんのようなきれいな声。
つまり。
「あ……長峰先輩」
この場にいてはならない輩が、なぜかやってきていた。
「ごめん、ちょっとこの人、借りていきますね」
「は、はい……」
「あっ、なんっ、やめっ」
今人生で一番いいところ!! ふざけるなァアオ!!!
精いっぱい暴れるも抵抗虚しく、僕より上の腕力に引きずられていく。
そして、ちょうど周りに誰もいない場所へ。
そこで解放される。
息を切らしながら、憎き相手をにらみつけてみる。
……ついさっきまで、両手で数え切れない数の取り巻きに囲まれていたはずの長峰さんは、あれをどうやって切り抜けてきたのだろうか。超がつく人気者なのに。
よく見ると、少し、ほんの少しだけ、息が上がっている。髪が乱れている。急いでこっちへ来たみたいに見える。だとしたら、なんでまたそんな。まさか、人の新たな恋路を邪魔するためにわざわざやって来たんじゃないだろうな。
意図がわからず、ひとまず、ここから逃げ出すことを意識して息を整えていると、
「うわッ! な、なにするのさ、ユウキくん!」
「ふゅ、ふゅ、ひゅ~」
「口笛吹けてないから。い、いてっ! やめ……」
学ランを掴まれ、引っ張られ。なんかごそごそと胸の辺りをいじられる。
いったいなんのつもりだ。
やがて、ぷつ、と何かを取り外されたような感覚がすると同時に、ユウキくんが離れた。
自分の首から下を確認する。
そして相手を見る。彼女が、片手でぽんと上に投げてはキャッチして遊んでいる、何か小さいもの。
「あ! ぬああっ、か、かえしてよ!」
それは第二ボタンであった。
う、うそだろ。深山さんに捧げるべき僕の大事な心臓が。
「か、返……」
キルアに心臓を盗られた人みたいに、よろよろと手を伸ばす。
長峰悠希は――、
べ、と小さく、赤い舌を出し。
走って逃げていってしまった。
絶望。相手は女子だが、この女だけは無駄に身体能力が高く、僕では追いつけない。
なんということだ。なんという、ことだ……。
けっこうかわいいところもあるやつだと、一応友達だとおもっていたのに……。最後の日に、こんな仕打ちをしてくるなんて……。
まあでも、いいもんね。ボタンはむしり取られたけど、僕は深山さんに告白も同然の言葉をもらったんだ。手切れ金にボタンなんかいくらでも持ってけってんだ。
そう自分を励ましつつ、しかし、やや重い足取りで、深山さんのところに戻った。
「そう、やっぱり、長峰先輩と付き合ってたんですね。わたしなんかじゃ、敵うわけない……」
「えっ」
「ありがとうございました、先輩。卒業……おめでとう、ございますっ」
僕の胸元にボタンが無くなっているのを見て、深山さんは、泣き出しそうな笑顔を最後に、走り去ってしまった。
…………。
……………。
………ああ。ああ~。
あうあ~~。あああ~~~。はわぁ~~~。ぱぁーー。
▽
大学で彼女をつくりたい。
入学式を終え、新入生オリエンテーション期間を走り抜け、自分で組んだ時間割の講義の第一回を受け、学生生活のスタートを感じ。
あとは頑張って友達をつくり、そしてそして、彼女を! と意気込んでいた。
その、講義からの帰り際だった。
大学生という生き物は、日が暮れると、お酒を飲むお店にみんなして向かったりするらしい。高校までの規則から解き放たれたからか、親元を離れている人も多いからなのか、ずいぶん自由なものだ。
A棟から出てすぐのところでも、ちょっとした人の群れ。たぶんこれから遊びにでも行くのだろう。
すれ違いざまにちらりと顔ぶれを盗み見ると、男子が多い。
悪くいえばチャラチャラとした、良くいえばあか抜けた格好の、まあ、遊びに力を割いている学生たちだった。彼らは、ひとりの女性を囲み、声をかけていた。合コンだかサークルだかに誘っているんだろう。
うらやましいね。僕も女の子に声をかける度胸を身につけないとな。
そう思いながら、彼らのそばを通り過ぎる。
「……ん?」
いま。
気のせいかな。見てはいけないものを、見た気がした。現に、冷や汗が出て、背筋を震えが駆けあがっている。
何にそんなに、反応しているんだろうか。僕の身体は。
……ちら、と。
彼らが、誰を囲んでいたのか。それを、確かめて、しまった。
周りの男たちに対して、少し困ったような顔をしていたその女の子は……。
目が合って、こちらを認識して。
にいぃっ、と意地の悪い笑みを浮かべた。
「すみません、通してくださいね」
囲みを突破し、ぱたぱたとこちらに駆け寄ってくる。アメフト選手かと思った。
そ、そういえば。高校の掲示板に貼られていた、三年生の進路。同じ大学に行く人が、何人かいて……。そのひとりは……。
い、いかん。逃げなければ。
そう判断し、こちらがスタートを切る前に、もう向こうはトップスピードに乗っていて、僕は完全に捉えられていた。
捕まる。腕にしがみつかれる。おっぱいやわらかっ。
ふ、ふ、とリズムよく息を整えて、その女の子は、さらに腕を締め付けてきた。痛い痛い。やわらかい。
そして、こちらへ向かって来た男性諸君に、僕を捕らえたまま、向き直る。
おい、まさか……。
や……、
やめろ!!
「ごめんなさい。私、この人と付き合っているので」