▽高校一年生の夏
「熱っ」
小学生以来、久々にやってきた砂浜は、まず砂がやたら熱くてひっくり返りそうになった。サンダルは脱がないのが正解だった。
ここはとある小さな海水浴場。
世間はまだぎりぎり夏休み期間であり、やはり人がそれなりにいた。とはいえ地方の穴場ビーチであるので、夏の全国ニュースで見るような人混みではない。
日差しと灼熱の砂にやられ、キレそうになりながら、みんなの荷物を運ぶ。全然話したことのない何かの部活の先生に教わって、ビーチパラソルなんかを立てる。
今日はなんと、全然知らん先生の引率で、あまり話したことのないクラスメイトの女子たちと、ビーチパーティー(多分、ビーチでやるパーティーのこと)に来ているのだ。男子は僕一人。こんなことは初めてで、まったく夢のような話だと思う。まるでハーレムものの主人公みたいだ。
アッハッハッハ。
長峰悠希に無理やり連れて来られただけなのだった。女子たちとうまく話せるわけでもなく、海もあまり好きではなく、普通に帰りたい。
しかしここまで来たらそうもいかない。せいぜい荷物持ちや雑用係でもして、女子からの点数稼ぎでもするしかないだろう。
一時、先生にその場を任され、パラソルの陰で涼みながら人々の姿を見ていると、視界の端に華やかなグループが入ってきた。ああ、水着に着替えてきた女子たちだ。
普段は教室で制服姿しか見たことのない女の子たちの、肩とかお腹とか脚とか見える大胆な姿……。どうにも刺激的だ。じろじろ見てしまうのを我慢したいのだが、むむむ。
「八代さん、いいな」
特に、クラスで二番目に可愛い八代さんの水着が良かった。口に出るほど。
「ほほう。ああいうのが好みか」
「うん……アッ」
すぐ後ろから、きれいで涼やかな音色の声。
心地よい美声を耳にし、しかし僕は背筋をぞくりと冷やした。返事をしてはいけないタイプの怪異に返事をしてしまったような感じ。
そういえば、グループの中にいるはずの、一番目立つ女がいない。そしてそいつは今、僕の背後にいる……!
「いや、わかる、わかるよぉ。確かに八代さんはかわいい。水着も似合う。オレから見てもそう思う。一緒に水泳の授業とか受けるしね? 羨ましいだろ」
「
肩をぽんと優しく叩かれ、骨が砕け散りそうになった。きっと人間社会に出てきたばかりで、力加減というものを知らないのだろう。
高校生になってから初めての夏。つまりは長峰さんの中身がユウキくんだと知ってから、三か月くらい。
憧れの学園のアイドルが、まるで旧来の男友達のように肩を叩いてくる姿や態度、そして見た目から想像できない怪力には、慣れるまであともう少しかかりそうだった。
「でもその憧れの気持ちは、高校生活中は諦めてもらうしかありませんね。ごめんなさい、野原くん」
「いえ……」
「かわいそうにねぇ」
ふう、というため息と声色から、僕の背後でお嬢様のように頬に手を当てる仕草をしている姿が想像できる。いやお前のせいだろ。
そう、なんと僕は、高校在学中という大事な青春の時期に、女の子を好きになったり、彼女をつくったりということができない。許されていないのだ。
それもこれも、この女……いや男。長峰悠希が、僕を彼氏という体の男除けに任命したからだ。
かように、ユウキくんはひどいヤツである。このような状況にある僕を、女子だけの海水浴に連れてくる……なんてのは、実に残酷ないじめではなかろうか。
嫌味の一つでもぶつけてやろうかと思い、僕は振り向いた。
「そう言う君は、かっ……アッ、アッ……」
するとそこには、八代さんの比ではない美少女がいたので、息が詰まった。
長峰悠希は、おしゃれな水着を着ているわけではなく、Tシャツにショートパンツというシンプルな恰好をしていた。が、あまりに健康的な体つきであるため、どうしてもいろんなところに目がいく。
そして何より、か、かわいい。顔が。分かりきっていることだが、この人見た目だけは本当に100点満点だ。
「ん?」
ユウキくんと目が合う。なるべく直視しないように目を逸らすが、ちらちらと見てしまう。相手の表情が訝しげなものから、徐々にやんちゃなイジメっ子のそれに変わっていくのが、わかってしまった。
「……あ~、そっかぁ。ふーん。なんだおまえ、そんな顔していいの? 幼馴染の男に向かってさ」
にやつきながら、蔑むような、見透かすような目を投げかけてくる。
「そうだ。一応シャツの下、水着なんだけど。……ひひ、見たい?」
ユウキくんはシャツの襟に指をかけ、やや前かがみになって僕を見上げる。煽りすぎだろ。
ていうか、み、水着? クラスで一番でかい長峰悠希の? この布一枚の下に?
想像するだけで顔の奥がツンとしてくる。思わず、頷きそうに……、
「ばぁ~か。一生見せないね、おまえには」
けらけらと笑い、ユウキくんは胸元を隠した。
クソ……!!! こいつ……!!!!
「ふん。鼻の下伸ばした罰に、ジュースでも買ってこいや」
「……了解ッス」
そしてノリノリで煽っておきながら、つんとした態度に早変わりし、僕に無慈悲な命令を下す。
多分、僕が長峰さんの女性的な見た目にまんまと釣られてしまうことは、ユウキくん的にマイナスポイントなんだろう。めんどくさい人だ。
そりゃあ普段は僕も、『長峰悠希』への憧れは態度に出ないよう努めているのだが。
………。こういうのはさすがに、向こうも卑怯というか。見た目の良さを自覚してるくせにな。
なんてことを考えつつ、ユウキくんとまた目が合う。たっぷり2秒くらい。それで、もしかしたら自分が、恨みがましい目つきで相手を睨んでいるかもしれないことに気が付いた。
ごまかすべく口を開く。
「……ごめんうそ、やっぱりオレも」
「じゃあちょっと自販機行って――ごめんなさい、どうぞ」
発言の瞬間が被ってしまった。『ごめん』と聞こえた気がするが……ユウキくんの口から? いやまさかな。
「いや、別に。さっさと行けば」
ちょっと冷たい、さらっとした態度と言葉を受け、舎弟センサーをビンビンに立ててユウキくんの機嫌をうかがう。
……特にプラスでもマイナスでもないような雰囲気だ、と思う。
それで言う通りにして、近くにある自動販売機へと出発することにした。荷物番はユウキくんに引き継ぐ。
いやパラソルから出たら暑っっ。
砂浜から出てしばし歩くと、飲み物の自販機があった。
ラインナップは大体ぜんぶ130円だ。これを高いと捉えるか安いと捉えるかは、その人の思う自販機価格設定のイメージによると思うが、僕は……高いと思いますね。
しぶしぶ財布から130円を出し、入れる。
腕を組み、頭に長峰悠希の顔を思い浮かべる。
うーん。
………。
………。
やっぱりあのシャツの下、水着なんだろうか……。
「えっ」
ぴ、がたん。
という、目の前の箱から飲み物が出てくる一連の音。こっちはまだ何も押していないのに。
すぐ横から白い手が伸びてきて、たくさんあるボタンのひとつを押していた。長くてきれいな指だ。
「あれっ、なんで」
「はい」
「あ、ど、どうも」
なぜかいる長峰悠希は、剛力でそっとこちらの手を取り、そこに小銭をたくさん乗せてきた。130円はどう見ても超えている。これはもう
「えっ荷物番は?」
「お願いしたら先生が代わってくれた、よっ、と」
彼は隣にやってきて、身をかがめて、取り出し口に手を突っ込んでいる。彼女の髪と汗のにおいがした。
手渡されたお金と、目の前の美少女顔を見比べる。長峰悠希はさっそくジュース缶を開け、ぐいっとあおっている。ごく、ごく、と音が割としっかり聞こえ、出っ張りのない白いのどが、動いているのが見えた。
あと、お金はジュース5本分ぐらいあった。
「ぷは。……何? ああ、適当にスポーツドリンクとかでいいんじゃない。5本」
「そんなに飲むの?」
「はっ?」
わかりやすい疑問顔。何か話が食い違っているらしい。そしてそこからユウキくんは、こちらを軽蔑するような、じとりとした目つきに変わっていった。
「いや、みんなの分も買うんだよ。気が利かないんだなお前……」
この言葉は野原にとってはショックだった。
「え、ユウキくんに言われた……」
「はぁ~?」
「なんでもありません」
ぺきゃ、とジュースの缶が握りつぶされる。あれは僕の数秒後の姿だ。
けっこう痛い指摘を受け、反省する。たしかにわざわざここまで来たなら、他の女子たちと先生の分も買っていくのが良い。
ユウキくんにこんなことを教わるなんて。あんなに傍若無人だったのに。いや現在進行形でそうなのに。くっ、屈辱だ。
お金を勘定しながら、自動販売機に向き直る。
「えっと、130円かけるの5人分……あれ。あの、ユウキくんの分もらってないけど」
「ん?」
「ン?」
再度ユウキくんと顔を合わせる。
彼は少しの間をあけたあと、なんだか神妙な顔つきを作った。
「なーあ? オレとお前の関係はなんだった? 言ってみなさいよ」
「ええと。と、友達」
「うん。あっいやそうでなく」
えっ違うの。
「カノジョだ、カノジョ。お忘れですか? そして彼氏と彼女が一緒にいるとき、金は常に彼氏が出すもの。心悟の金は悠希のもの……。世界的な常識では?」
「そんなことはないが……?」
そういう流れで、ユウキくんの分は僕が、他のみんなの分は長峰さんが出したのだった。
なんかおかしいような……。余分な工程があるような……。
▽
午後は、恐れ多くも女子たちの慈悲により、浜辺や海の浅いところでのボール遊びやらなにやらの、定番の遊びに混ぜてもらったりしていた。
のだが、普通に熱中症っぽくなって一抜けした。なんとなくだが頭がくらくらする。皆なぜあんなに元気なんだ……。
先生に様子を見てもらってから、デカいパラソルの下で寝転がって休むことに。例によって荷物番係も兼ねる。やっぱ外で遊ぶのはあれだ、パワーがいるな。
そうして横になってから、パラソルの裏を見るのにも飽きて、しばらく目を瞑ってみる。
かすかだが、波の音が聴こえたりした。風情があるね。それに、近くから海水のにおいもしてきた。
頬に、すべっと、つやっとした感触。
「!?」
「あ、悪い。顔とか熱くなってるのかなって、思って」
すぐそばに、長峰さんが座っていた。
身体を起こす。
「寝てていいって」
「でも」
「むしろ寝ろよ。あと、介抱してるフリでもしないと、ほら」
真顔から、急ににこやかな笑顔をつくり、長峰さんはどこかへふりふりと手を振った。
すぐそこで遊んでいるみんなに向かってだった。彼氏彼女の関係であることをアピール、ということか。
はぁ。いいな。僕も長峰さんににこやかな笑顔で手を振られたりしてみたい。たまには。
しかし作り笑いがうまいな。役者だ。
「みんなが見てるし、膝枕でもしてやろうか」
「えっ」
「ジョーダンだよ。……何その顔。本当にやってほしい感じ? キモ」
「口が悪すぎる」
それは、やってほしいに決まってるだろ。ユウキくんにじゃないぞ、長峰さんにだ。
「………」
しばし間があく。わざわざ隣に来てくれたものの、ユウキくんとの会話は、今日はあまり続かない。学校と同じで、みんなの目があるからだろうか。
「あー。その。しかし、症状と言えるほどのものもないし、ユウキくん……長峰さんも、みんなと遊んでくれば? 退屈でしょ」
せっかくの夏休み、海。わんぱくクソガキのユウキくんなら72時間ほどは遊び続けられるはずだ。元気に飛び出していけばいい。
「いや、ここにいとく」
「お気遣いなく」
「別にそんなんじゃない。ずっとあっちのメンバーといるよりは、オレは心悟と……、……」
「心悟と?」
「………」
「……心悟と? 3DSで? ゲームを?」
「なんでだよ。ほんとインドアだなおまえ。まぁその、日陰で涼みたいんだよ」
「そうなんだ」
「そうなの」
やはり会話は長く続かない。
目を瞑ると、静かな波の音と、すぐそばから海の匂いがする。
▽
夕ご飯は、近くのスペースを借りてのバーベキューだった。ユウキくんはきっと牛肉を踊り食いしながら焼きそばを浴び貪るのだろうな、と思われたが、女子たちと談笑しながら、小さな口でもそもそと食べているだけだった。
だが僕は様子をずっと観察し、ヤツが一度に皿に取る量、口に運ぶ量は少ないものの、それを間断なく続けることで実は他の女子よりたくさん食べていることを看破したのだった。
やはりな。お上品ぶった小食であんなに育つはずがない。
「野原くん。ずっと長峰さんのこと見てるね」
「はっ? いっいや、そんなはずは……」
隣のイスに、八代さんが自然に腰掛けてきた。あまりに自然過ぎて近づかれたことに気が付かなかった。意識の隙を突く攻撃。
うおっ、水着からは着替えているとはいえ、まだまだ薄着だ。しかもなんか良い匂いする。女子の匂いが……!
しばらく、八代さんが振ってくれる話題に、はははと笑って返す。よし、クラスのカースト上位女子と淀みない会話ができている。僕はすごい。夏が男を強くする。
「あっ、長峰さんこっち見てる。これは警戒、いや嫉妬されていると見た。なんと可愛い子なのか……」
「ははは」
「ちょっと退散するかな。あ、ごめんね、ジュース持ってきたのに、ぬるくなっちゃってるかも……。一応、はい」
「ありがとう」
「じゃね」
そう言って立ち上がり、八代さんは僕に向かって微笑み、向こうへ行った。
八代さんって僕のこと好きなんじゃないか?
しかし感動しちゃう。会話の内容といい、何気ない仕草といい、あれこそが真のクラスのマドンナムーブなのだ。八代さん、きっと中学までは学校で一番モテていたに違いない。
ユウキくんのキャラづくりはやっぱりやり過ぎだね。あんなすべてが完璧な女子、現実にはいないからね。リアリティがない。皆はいると信じているのだが。
などと考えていると。
どかっ、と隣に乱暴に座る影。
胸の下で腕組みして、じろっ、と僕を見ている。
ハァ~やれやれ、これだからユウキくんはね。見た目は一等賞でも内面の粗暴さが、女性慣れしている僕にはお見通しなんだよね。
「おまえ、八代さんいい匂いする~みたいなこと考えてただろ」
「はんっ、は、はぁああ? そんん、そんなわけないが」
ありもしないイチャモンをつけられ、僕は毅然とした態度で反論した。
「制汗剤の香りだからな、それ」
「あっ……そうなんだ……」
「………」
「いや知らんけど、そんな、においとか」
「やっぱりな」みたいな侮蔑の目で見られる。
というか匂いどうのこうのの話をするなら、長峰悠希だって、普段からその、女子っぽい香りが……。
口が裂けても言えない。
「これだから童貞は」
「童貞じゃない」
「反射で嘘をつくな。……お!」
バーベキューの片付けもまだなのに、女子たちがあるものを引っ張り出してきて、先生に軽く怒られている。
それを見て僕も、ああ、と思った。そうか、夏の一日の締めと言えば。
手持ち花火だ。
▽
ちょうど日が暮れて、暗くなった時間。
色とりどりの火花を吹かすそれを振り回して、ハリーポッターとかなんとか言いながら、女子たちがきゃっきゃしている。
いい絵だ。僕さえこの場から消えれば、彼女たちの夏の一場面は完全な絵だったものを。まったく長峰ときたらよ。何を考えているんだか。
女子たちと素直に楽しめばいいのに。美しく、短く、熱い夏をよ。熱っ。
「アッッッッチ!!!」
「あ、ごめんなさーい野原くん」
肌への刺激に飛びのく。
見れば、魔法の火を放ち続ける杖を、ユウキの野郎が僕に向けていた。人に向けてはいけませんって習わなかったか?(※人に向けてはいけません)
離れようとする僕を、ニヤニヤしながらそのまま追いかけてくる。徐々に小走りになると、向こうも走って追いかけてくる。花火が切れたら、補充してまたやってくる。
来るなクソボケが! 何笑ってんだ!! みんなの前でのキャラはどうしたんだ!!
「最近わかってきたけど、悠希ちゃんってやっぱああいうキャラだよねー」
「彼氏と仲いいよな」
挙句の果てには、ロケット花火を僕のほう向かって飛ばしてきた。けらけら笑っている顔が憎たらしい。知らんのかお前、これマジで危ないんだが。先生は何してんの?
小学生のときからなんにも成長してないなこいつ!
ひゅうう、とすぐ耳のそばを通り抜けていったときにはユウキくんにキレそうになった。でも、サッと表情を変えて「ごめん、大丈夫だった?」と本気の声色で心配してきたので、キレられなかった。二重人格なの?
それとも、高校生になって少しは人間の心を得たのか……?
花火をあらかた使い終えると、線香花火が最後に残った。なんでいつも、最後のあたりにこれが残るんだろう。
女子たちがしゃがんで、ぱちぱちと瞬くそれを見つめている……のを、輪の外から眺めていると。となりにユウキくんがやってくる。
僕から声をかけた。
「きみはやらないの」
「あー。……線香花火って、面白くないし」
「えー」
顔をこっちに寄せてきて、可愛くて綺麗な声を小さく抑えて、クソガキのようなことを言う。
この風情がわからないとは、やはりユウキくんは小学生メンタルのままに違いない。
まぁ僕もあんまり、線香花火の魅力はわからないのだが。
「なあ。今日さ、楽しかった?」
今度は、ユウキくんから話題を振られる。
「んー」
どうかな。楽しくなくはなかった……けど。
正直、また同じ機会があっても、気心知れた男友達とならともかく、女子グループのお邪魔虫にはもうなりたくない。つまりはあまり来たくない。女子見知り極まる。
なんと答えたものか迷いながら、ちら、と隣にいる人を見る。
「……オレは、楽しかったよ。また来ようぜ。いいだろ、心悟」
なんて言いながら、『にっ』、という。
たぶん、僕だけが見ることのできるこの笑顔を、正面から喰らって、思わず「うん」と答えてしまったのだった。
▽
「ハロー」
日焼けギャルだった。
夏休みの終盤、僕んちにやってきた長峰悠希は、日焼けしていた。
ちょっと上目遣い気味に見上げてくる顔も、ぷらぷらと小さく振っている手も、ショートパンツから伸びている脚も、なかなかのこんがり具合。
そこにこの、人懐っこい笑みを足されると、小学生の頃の夏のユウキくんみたいで、急に懐かしくなる。
でもだがしかし、あの長峰さんが田舎のギャルみたいに日焼けしている姿は、正直非常にこうなんというかエロ……アレで、心臓に悪かった。
とりあえずそれを表に出さないようにしよう。というか煩悩を弾き飛ばそう。そうさ、夏のユウキくんの日焼けなんて、ラーメンにのっている煮卵の色のようなもの。そこに色気などない。食欲はそそられるが……。
ごくりと喉を鳴らし、息を吸い、ひとすじの汗を首に感じながら、僕は口を開いた。
「焼けたね」
「そーなんだよ。油断してさ。ちょっと学校の連中には見せられんなー、黒長峰は」
たしかに。刺激強いもんな。男子の何人か気絶すると思うね。
「そう、築いてきたイメージを保つためにも、この夏はこれ以上焼けない……。そこで今日は引きこもりの家に来てやったのだ。ほらどきたまえ、もてなしたまへ」
「どうぞ」
結局いつものように、僕の部屋に上がり込んでくるユウキくん。
ただ。
いつものように、ゲームしてるところを後ろから見ていると。ユウキくんが後ろ髪をぶわっと手で上げたりして。一瞬、肩とか、首のあたりに、ひも状の日焼けあとが見えたりして。
やはり刺激が強い。早く白長峰に戻ってほしい。
遅くとも、この夏休みの終わりには。
▽婚約後の夏休み
学生の諸君は知っているだろうか。大人になると夏休みはないし、あっても5日とかしかない。
カレンダーを見ながら貴重な夏季休暇の取得日を決め、家でだらだらする計画を立てていると、ヤツはよく通る声でこう言いだした。
「海に行きたい。久しぶりに」
「は? 嫌だけど」
「行くの!! 行くったら行くんだよぉお!!」
「グアアアアア!!??」
夏のある日。僕は全身を粉々に破壊され、悠希さんと海に行くことになった。
しかも、高校生のときに行った、あの海水浴場に行きたいらしい。本当の恋人同士になってからというもの、わがままが加速している気がする。
いや違うな。最初から無敵の人間だったな。
「人がいないあの砂浜でさ。若いうちに水着着て、花火で遊んでさ。オレたちもう大人だから、金に飽かせて無限に花火買っていってさぁ」
「ガキの発想なんだよな」
数日後。
そうして、あのビーチにやってきた。
シチュエーションにこだわっている様子だったので、絶対に今後使わないだろうにわざわざビーチパラソルを購入し、砂浜に設置するなどした。レンタルでええやんと思ったのだが、買わされた。
日差しと砂浜の熱が形成するこの暑さは、果たして高校生のときと同じなのだろうか。
周りを見渡す。人の姿はいくらかあるが、やはり未だに穴場らしく、混んではいない。まさにあのときのように、のびのびと遊べることだろう。
「心悟。これ脱ぎたいんだけど?」
背後から不満げな声。
「ダメ」
「そりゃ日焼けは気にしてるけどさ、今日はあついって。熱中症になるよこんなもん。昔とは夏の気温が違うのよ? 知らんの?」
「人目がなくなるまでダメったらダメ! パーカー着てて」
水着を着たいと言っていた悠希さんだが、こうして浜辺にやってきた今、その上から薄いパーカーを着てもらっている。長い髪を一本結びにして肩に流しているのが、かわいい。あと上着のすそから覗くふとももが眩しい。
「ラッシュガードな」
な、なんて? 知らん。横文字のファッション用語は脳に入ってこない。
とにかく。これが高校生長峰だったならまだいい。だが、大人長峰の水着は、大衆の目にさらしたくない!
あと、実は僕も長峰悠希の水着をちゃんと見たことがないので、なんかこわい!
「あつい。じゃあアイス買おう、アイス」
了承し、連れ添って砂浜を歩き出す。たしかに、日差しの強さに関わらず、気温自体が暑い……気がする。
歩く。
こんな田舎だが、意外にも若者とすれ違う。水着姿の男性、女性。
ムッ! ビキニを着た胸の大きい若い女性……! こんな田舎で!
努めて見ないようにしたが、「はっ」と気が付くと、横にいる彼女が僕を蔑んだ目で見ていた。
「おまえさぁ」
「い、いやほら……これは生理に基づいた悲しい習性というか……」
「わからんでもないけど、人にこんな格好させといてそれはおかしいんじゃないの」
「はい……」
唇をとがらせる悠希さん。返す言葉もない。
「そもそも、いいか心悟。さっきおまえが見てた子のおっぱいと、オレのおっぱいじゃ……勝負にもならぬというのが、わからんのかっ!」
「あなたもう飲んでます?」
急に頭の悪いことを言い、パーカーに守られた胸をどんと叩く悠希さん。顔が赤いのは、言いながら恥ずかくなったのだろう。
「いま変なこと言って恥ずかしくなってるでしょ」
そして僕は素直な正直者なので、それを指摘した。
「うるさいよ。……ええい、見ろ! これが夏だ!!」
何!? 悠希さんはパーカーのチャックをじじじと下ろし始めた。
や、やめろー!
思わず目を覆う。
そしてすぐに、ちら、と様子をうかがう。
ファスナーが開いてお腹のへそが見えた。視線をのぼらせていく。
そして、なんかヒラヒラがついてる黒い水着に包まれた乳が、出てきた。
「!!!」
僕は固まった。当然だろう。脳も固まっている。いま、乳の事しか考えられない。
乳を出したあと、悠希さんは急に何も言わなくなった。目を伏せ、上着のポケットに手を突っ込んで、しかしちらちらと僕を見上げてくる。
ふん……。
何が水着だ、何が夏だ。ただパーカーをへそが出るまで開けて、乳が出てきただけではないか。
こんなもの……。
……え……、
エロい!! どう考えてもエロ!!
僕は熱い砂浜に膝をつき、そして手をついた。頭がくらくらする。
「ど、どうした」
「いや……ちょっと刺激が強すぎて……」
「そ、そうかな。結構おとなしめの選んだんだけど。上着も脱いだわけじゃないじゃんか」
そういうギリギリ砂浜のちょっと外まではうろつけそうな恰好のほうが逆にこうパッと見は服着てる感じなのにお腹とか胸元とか脚の付け根見えてるしやはりそもそもビーチで着るものなだけあって長乳(長峰の乳の略)が強調されているので危険というか……。
地面を見つめ、煩悩を消す。
いや……無理だ。もう悠希さんの足見るだけでさっきの姿を想像してしまう。網膜に焼き付いているのだ。
「あ? 今変なこと考えてるだろ。ドスケベが。……まぁ、いいけど」
高校生のときは表情で何考えてるか読まれてたけど、最近は顔も見ないで何考えてるかバレるようになってて怖い。どういうこと?
▽
例によって熱中症っぽくなり、怖いので日陰で横になる。
海で少し遊んだからか、すぐそばに座った悠希さんからは、そういう香りがする。
あっなんかいま、僕の頭の位置から見上げると、白い脚とふとももが、胸が、すごい。
そういえば、高校生のときも似たようなことがあって、似たようなことを想ったな。
ほんとに、あれからずっと、悠希さんは綺麗なままだな。
「公共の場でじろじろ見るなよ」
悠希さんが冷ややかな目つきで見下ろしていた。
「それとも何か? ……膝枕でもしてほしい? してあげようか」
えっ。昔はここで、キモいとか言ってたような。
「連れ出したのはこっちだしな。特別に甘やかしてあげよう、さーあどうぞ」
「…………い、いや。公共の場なんで」
「あらそう。よく我慢できましたねえ、偉い」
それから悠希さんは、地面に手をついて、僕の顔を覗き込んできた。目を妖しく細めている。ささやき声で話しかけてくる。
「帰ったらしてやるよ、ひざまくら。お前、オレの脚……ふとももが好きなんだろ」
「嫌いだが……」
「反射で嘘をつくな。昔からいつも舐めまわすように見てただろ? あーいやらしいんだ」
バカな……。
ちょっとやらしい感じの表情と声で迫ってくる悠希さんと、その気づいてました発言におののいていると、彼女は不意にくすくすとおかしそうに笑った。
人をおちょくるのが好きだな、この女は。
ところで本当に膝枕をしてもらえるのだろうか。
▽
約束通り、日が暮れてからは、手持ち花火をやる。
夏の風物詩のひとつだと思うが、思い返せばもうとんと見ていない。大人が手持ち花火をやる機会なんてなかなかない。親戚の子どもが遊びに来たり、あるいは自分に子どもがいたりでもしないと。
だから、それは久しぶりの機会だったのだけど。
金に飽かせて大量に買った花火は消費しきれず、結局、近くにいた家族連れに配ったりした。
浜辺とそうでないところを隔てる石階段に腰を下ろし、休んでいると、悠希さんがとなりに座ってきた。狭い。尻デカいし。肩幅も4メートルぐらいあるし。
配った手持ち花火を、知らない子どもたちが楽しんでいる。こちらはその様子だけでも、結構楽しい。先生が花火を遊ばず、ただ見ているだけだった理由も、今ならわかる気がする。
悠希さんが話しかけてきた。
「いきなりですがクイズ。『大人になったらできること』とは、一体なんでしょう。具体例を述べよ」
「? ……お酒が飲めるとか、そういう?」
「ぶっぶー。ちがーう」
悠希さんは笑って、肩がくっつくぐらいに寄り添ってきた。
「大人になると。……先生も、他の友達も。誰も見てないところで、ふたりだけで花火ができる」
そう言って彼女は、後ろに隠していた線香花火を見せてきた。
大人になったら、火の扱いに注意する大人は自分なわけで、誰の監督も必要ない。
だから今ここにいるのは、僕と悠希さんだけだった。
線香花火がぱちぱちと瞬いている。不規則のように思える明滅がきれいで、最後にぽとりと残り火が落ちていくむなしい様子も、じっと見ていられる。
ふと、悠希さんを見る。
すると、どうしてか彼女は僕を見ていて、目が合ってしまった。照れくさそうな苦笑いをされる。
花火に向き直る。
しばらくして、やっぱり、悠希さんを見る。
……線香花火は面白くない、とあの日言っていた悠希さんは、穏やかに微笑んで、それを見つめていた。
その顔も線香花火くらいには良くて、ぼうっと見ていると。すぐにまた、思い切り目が合ってしまい、少し恥ずかしかった。
「オレの顔が好きなのはわかるけど、もったいないぞ。ほら、綺麗なのに」
そう言って彼女は線香花火を持ち上げる。
そして、にこ、と子どものように笑う。
「ほんと、綺麗だ」
「でしょ。……あ」
悠希さんは、いまだに人間の世界での力加減を知らない悲しきモンスターなので、ぽとりと火が落ちてしまう。
それを見て僕たちは、残念がるでもなく、なんだかおかしくなって笑った。
▽
「は!?」
休日前の夜中。悠希の野郎が脱衣所に行ったと思ったら、突然水着になって戻ってきた。あの黒いなんかいい感じの水着である。強すぎるパワーを制御していた拘束具であるパーカーも無し。
雑誌の表紙の女の子のセクシーポーズを真似て、じゃーんとか言いながら見せつけてくる。揺らすな!
「なっ、あっ、ハァンッ、ぬぁっ」
「フ、その反応……やはり高評価のようだな。いや、まあ当然だな、もちろんわかっているとも、おまえがオレを好きすぎることは……」
やれやれ、みたいな顔。あと勝ち誇った態度。
そして悠希さんはドンと胸を叩き、ドヤ顔で宣言する。
「今日はこれで一晩過ごして、心悟が手を出してくるか出してこないかゲームをやります!」
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