▽体育祭
中学もそうだったが、学校生活というのは色々な催しがあるもので、その一つが体育祭である。
運動部を抜けた身としては、めんどうなイベントだという気持ちしかない。炎天下のグラウンドで、生徒も先生もあんまりやりたくない準備期間を経て、あんまりやりたくない競技に挑み、保護者に頑張る姿を見せる。運動部のみんなが張り切っているのなら教育的にやる価値もあると思うが、どうも、そこまで彼らも乗り気ではない。なんのためにやるんだか。
とまあ、どうしてもネガティブな感想を浮かべてしまうが、このままあまりだらだらやっていると、本当に1ミリも楽しくなくなる。学生らしく想い出作りに邁進する気持ちでいよう。
体育祭は、全クラス対抗の競争だ。数ある競技種目に対して、クラスから誰かを出場させる形式。一生徒は必ず、クラス対抗リレー以外のどれかの競技に出なければならないようになっている。
僕はうまいこと、労力の少なそうな競技を選ぶことができた。障害物競走リレー、の中に含まれている、『ぐるぐるバット』である。額を押し当てたバットを軸にしてその場でグルグル回り、目が回った状態で数十メートル走る。おわり。
ちょうどさっき、それをやってきた。派手に転んで恥をかき、砂埃にまみれてしまったが、これはこれで、頑張った感が出ているので良かったのではないかと思っている。クラスのテント下に引っ込んだときも、級友たちから一笑いもらえたし。
さて。テントの応援席からグラウンドに目を向けると、次の種目は『借り物競争』のようだ。定番だな。
うちからは誰が出るのかというと……、応援席の級友たちが目を見張るように前へ前へと出ている様子からわかるように、
長峰さんだ。
あの女の身体能力をこんな盛り上がりだけの競技で消費するなんて戦略的にどうなんだ? と思ったのだが、これも彼らの意向である。競技決めのときに、「学校のアイドルだからこそ、ここで長峰悠希を切る――。」というエンタメを求める空気になり、長峰さんはそれを了承したのだった。
一応クラスメイトなので応援しよう。級友たちの頭の間から、彼女の姿を探してみる。
いた。
長い髪を一本結びにまとめ、ハチマキをして、体操服の袖を肩までまくっていた。胸でっか、という声が聞こえ、思わず深々と首肯した。
いつもの、座学中の、深窓の令嬢キャラとはまた違った活発なイメージで、女子の体育の様子など見たことがない男子たちが沸いている。
本当はユウキくん、体育が一番好きなんだけどな。今でも、クラス対抗のスポーツ大会とかを本気でやるタイプらしく、借り物競争(本人曰く、“お遊び”)に担ぎ出されたことに、ひそかに文句を言っていた。
周囲の声が静まる。借り物競争がスタートするらしい。
パン、と乾いた発砲音のあとに、わっ、という歓声。放送部員の棒読みの盛り上げ実況。
注目の長峰さんは、スタートとゴールの真ん中にある、借り物のくじを引くボックスの位置に、一番に到達していた。手を抜くつもりはないらしい。
戦いの舞台はけっこうこのテントから近い。せっかくなので、新調したコンタクトレンズの圧倒的アイサイトパワーで、その表情に注目してみる。
お題の書かれた紙きれを広げた、長峰悠希は――、
眉をひそめた、機嫌のよくないときの顔をしていた。
それはほんの一瞬のことで、すぐに表情は真顔を取り繕ったものの。長峰さんはその場に留まり、何かを考え込むように腕を胸の下で組んだ。ある部位が強調され、我々はワッと沸いた。
でも、どうしたんだろう。彼女が立ち止まっている間に、他の生徒たちがぱたぱたと会場に散っていく。そんな悩むようなお題をつかまされたのか。
そしていよいよ、他の競技者たちが各々借り物を入手してくる。と、いうときに。
長峰さんは身体の向きを変え、こっちのテントを見た。
どん、という効果音がついていそうなスタートダッシュから、おそろしい勢いでこちらへ向かってきている。わぁっ長峰さんがこっちに来た、と盛り上がるはずの応援席は、スピードが凄まじすぎてなんか引いた感じになり、どよめいていた。
「道開けてッ」
応援席、男子の一団へとやってきた長峰さんがぴしゃりと叫ぶ。我々は訓練された兵隊のように、二列に分かれて整列した。その間を彼女はどしどし歩いていく。
「来て」
そして、ぎり、と花山薫ぐらいの握力で僕の腕をつかんだ。痛ッッッ
「来て、野原くん」
「えっ、ちょっ、お題なんスか」
「いいから来い……」
そのまま腕を引かれ、耳元で低い声で呟かれる。怖。
行ってきます、と長峰さんはクラスメイトたちに爽やかな声で言い、僕はみんなに見送られた。友人の金田くんや佐藤くんと目が合ったのだが、このときは荷物という無機物を見る目だった。
そして、疾駆。凄まじいスピードで戻ろうとする長峰さんに腕を掴まれているので、肩がとれるかと思った。応援席からゴールへ向かうまでの間のうち、一瞬、僕は浮いていたのではないだろうか。
その甲斐もあり、どうやら長峰悠希は、逆転の一着を手にしたようだった。ゴールにいた判定員の生徒に、お題の書かれた紙を見せている。
ゼエハアしつつ肩をマッサージしつつ、その様子に目と耳を傾ける。何が書かれていたんだろう。
……判定員の女生徒が、僕を見て微妙な顔をしている。どうやら、審議が起きているらしい。
「悠希~、ほんとにそいつ……んんっ。えーっと、野原くん? で、いいの? 一応噂は聞いてるけど」
「何か問題でも? 平川さん」
「いやぁ……まあ……あ、ないです。はい。あんたがそういうなら、はい。じゃあ、その紙回収で――」
「………」
「あ、うん。はい、あげます」
長峰さんは友人らしい女生徒をなんか黙らせ、一着の旗を手中に収めていた。
いったいなんだったんだ。自分の競技は終わったのに、疲れた。しばらく息を整え、僕は長峰さんに声をかける。
「長峰さん、お題はなんだったの?」
「ん? ああ……」
しっかりと握っていたのか、くしゃくしゃになった紙を、彼女はしばし、改めて眺めていた。
そして、いつもの、清らかで印象の良い、よそ向けの笑顔をつくって言った。
「……『オタク』、ですよ。あってるでしょ? 野原くん」
「なにっ」
くっ、なんだそれ。悪意ある実行委員の仕業か。
オタク、っていろいろニュアンスがあるけど、この場合絶対わるい意味だと思う。全生徒憧れの誰からも好かれる優し~い長峰さんに、笑顔で罵倒された形になる。それはそれでご褒美とも考えられるが……。
「ムヌグググ……はぁ。ちょっと見せてー」
ユウキくんに手を差しだす。特別見せてもらいたい理由は無いが、そうだな。そんなお題を入れやがったやつの筆跡でも拝んでおこう。
………。
笑顔を保ったまま、渡してくれない。
すっと手を伸ばす。
ふい、とかわされる。もう一度。かわされる。
なんやねん。
「しつこいな……」
ぼそ、と低い声が聞こえた。いや見せてくれるぐらいいいじゃん。
「………。これは、だーめ」
あ、と声が出る。どうしてか、よほど見せたくなかったようで――、
長峰さんは、なんと、紙をびりびりに破いてしまった。
そしてそのまま細切れの紙片を手のひらに乗せ、ふっ、と息で吹き飛ばした。
……紙吹雪は風に乗って遠くへ舞う。その景色を、彼女は切なげな笑顔で見送っていた。顔が良いので、それはまるで、雪の妖精のようにも、あるいは映画のワンシーンにも見えた。
他の生徒も見惚れていた。
いや、でもよく考えたらそれ、ゴミを校内に散らしただけだからね。
▽バレンタインデー
今日は学校のすべての男子がそわそわする日、2月14日である。
すべて、というのは、100パーセントという意味だ。口では「ああ……あれね。興味なさすぎて忘れてたわw」みたいなことを言うやつも、まず間違いなくそわそわしている。
それは当然僕もだ。朝から机の中とかロッカーの中とか、念入りに調べた。
なぁ~んにも入ってなかったけど。
バレンタインデー。
おそらくどこのクラスでも、そわそわ男子と行動力のある女子の攻防が繰り広げられているのだろうが、このクラスではまた様子が違っていた。
「ええ。いつもよくしてくださるご学友のみんなに、大切な贈り物を」
サンタクロースみたいなでかい袋を肩にかついだ長峰さんが、男女問わずクラスメイトたちにチョコレートを配っていた。クリスマスはもう過ぎましたよ。
女子は友チョコとして普通に喜び長峰さんへの友情を深め、男子は感動にむせび泣いていた。佐藤くんなどは、一応は彼氏ということをクラスに周知されているはずの僕に対して、「なあ……長峰さんって……俺のこと好きなんじゃ……」と聞いてきた。いえ。女子の方が好きらしいっすよ。
配っていたものは、周りの手元をみるに、なんか高そうなパッケージのチョコレートだった。コンビニでは売ってないようなやつ。
満面の笑みでそれをクラス全員分に施している。成金?
「あ、野原くん。はい、どうぞ」
「あ……ッス」
席の前を通りがかった制服姿のサンタに、ぱぱっとブツを渡される。
……まあ、実は、周りのヤツとはグレードが違うのを貰えたりするんじゃないか、なんて浅ましい期待をしていたのだが。その気持ちを見透かしたかのように、超、みんなと同じやつだった。
ちらりと、向こうへ行く長峰さんの顔を見る。彼女はこちらを見下ろす角度で目を細め、くす、と笑いを漏らしていた。
……いいッスけどね……べつに……偽装彼氏だしね……。
「野原くん、彼氏なのにみんなと同じなの?」
「あ、うん」
金田くんに話しかけられる。もちろん、彼の手元にあるやつも、同じものだった。
「ふうん、そりゃいい。もしあからさまに本命のやつだったら、男子に袋叩きにされてたかもよ」
「たしかに……」
級友たちとはそれなりの関係を築けているとはいえ、長峰さんとの恋愛関係に話題が及ぶと、彼らはめちゃくちゃ攻撃してくる。悪ふざけの範疇だけど。
それを回避できた。これはユウキくんの気遣いかもしれないな。
……気遣いかなあ。そんなことできるタイプじゃなかった気がするけどなあ。
小学校のとき、担任の先生がひとりに1個配ってくれたチョコの、僕の分までを勝手にぼりぼり平らげた、食い意地の張ったやつ。それがユウキくんだ。
うーん。
ともかく、施しをくれたのは、素直にありがたいな。昼休みにでも美味しく食べよう。
放課後になった。
バレンタインチョコを期待し、なかなか帰らず教室に残りまくる男子たち。僕も残ろうか悩んだが、チョコのあてなどあるはずもなく、潔く帰り支度を始める。
そうして、鞄を手に提げたとき。少し離れたところ、教室のドアから出ようとしている、長峰さんと、目が合った。
「………」
そして、スッスッ、と小さくハンドサインを送られる。
あれは!
「いつもの校舎裏に来いや」、のサイン!
また告白者か。はー。そっか、バレンタインデーだしな。恋愛イベントということで告白率も上がる。
……めんどくせえ……。心痛え。でもいかないと、あとでボコだしな。
教室から出る。
我ながら、この不本意ですよ感を誰にアピールしているのか。そんないかにもな重い足取りで、校舎裏の倉庫に向かうことにした。
校舎裏にやってきた。いつものように、後から来るかもしれない男子に気付かれない影に潜もうとする。
「やあやあ。来たかね、貧しきものよ」
が、こちらを待ち構えていたかのような台詞を、ユウキくんは口にしたのだった。
「今回は何時に現れるの?」
「うん? 何が?」
「いや、告白する人だよ」
「ああ。別に誰も来ないさ」
ん。じゃあ何のために呼び出されたんだ?
「お前ね、今日何の日か知ってる? ……じゃあ~んっ。彼女から彼氏へ、これをあげよう。タイトルは『憐れみ』」
「……! おお」
手渡されたのは、高そうなパッケージのチョコ……ではない、手のひら大の、小さな袋。
ラッピングされた、チョコレートだった。
興奮気味に、開けていい? と聞くと、よいぞ、と言われた。
「その辺で買ってきたヤツだけど、あげるよ。犬には餌をあげないとねえ」
「性格わる」
犬ってチョコ食べたら駄目なんだぞ。
適当な会話をしつつ、内心では、正直感動していた。言っていることはともかく、これは紛れもなく気遣いではないだろうか。
あのユウキくんが……。僕に、まあなんか形の悪い安そうなやつとはいえ、僕だけに何かをくれるとは。あのユウキくんでも、僕に彼氏役をやらせていることについて、何か思うことはあったのだ。これが、人間の、成長。
なんて。飼い犬根性染みつきすぎかな。
袋の中の、いびつなチョコをひとかけら、食べる。甘い。コーヒーか何かのみたい。
「なあ」
「ん」
倉庫の前の段差に座って、ちびりちびり、もぐもぐ食べさせてもらっていると、ユウキくんがとなりに腰掛けてきた。
「教室で配ったヤツと、どっちがうまい?」
「教室の方」
「あはは! ま、そうだよなァ。初挑戦だし」
「何が?」
「いや、別に」
食べ終わって、指を舐めながら、なんとなしに横を見た。
膝を抱えたユウキくんが、無表情で、こちらを観察するようにじっと見ていたので。ちょっとぎょっとした。
「ご、ごちそうさまでした」
「うむ……」
どちらからともなく、立ち上がる。
ありがとう、と礼を言おうとして、彼女に向き直って息を吸うと、
「ん」
と、何もない手のひらを差し出された。
?? なんだろう。お手! ってことか……?
「あの、なんです?」
「なにって。バレンタインデーって、男がチョコ貰う日じゃん。だから、はい」
「?」
「よこせ」
えっ。
……あっ。チョコをよこせ、ってこと? 男である自分に。
……な、なるほどぉ。
「あの、女の子がチョコをあげる日、ではなく?」
「は? そういう性的役割の押し付けは良くないと思う」
「ええ……」
「なに? 用意してねーの? ああ? ジャンプしてみろよ、ジャンプ」
用意……してないっす……もらう側だと思ってました……。
可愛らしいご尊顔をお怒りに染める長峰悠希。何故か、いつの不良なのかわからない文句を言われ、とりあえず言う通りにぴょんと跳ねる。
ちゃりんちゃりん、と。たまたま学食のおつりを財布でなくポケットに入れていたので、まんまと音が鳴った。
「ぷふっ。本当に鳴らすやつがあるか」
ユウキくんが歩き出す。この校舎裏から出るルートだ。
「おら! チョコ買いに行くぞ、チョコ! お前の金でな」
「ウス……」
バレンタインデーはチョコをもらえるもの、という男子の考えは、古いらしい。
このあと、クソ高いケーキ屋のチョコレートケーキを買わされた。チョコの定義を広げるな!
それと、長峰悠希は甘いものが好きらしい。昔はそんな様子はなかったので、意外だった。
▽ホワイトデー
「見返りなど必要ありません。あれは、私からの気持ちですから」
俺のお返しを受け取ってくれ! 俺もだ! 俺も俺も!
という男子の声に、教室移動の度にさらされる長峰さん。他クラスの生徒からもだ。ちょっと男子ィ~という女子のSP達に守られながら移動していた。
大変だな……。
ま、僕には関係ないな。今日長峰さんと関わる予定はない。チョコレートもらったことへのお返しは、そもそもバレンタインデーであげたし。
「………」
――ムッ! あのハンドサインは!
「昼休み、屋上に来いや」のサイン!!
屋上にやって来た。
いつものことながら、なぜここの鍵を長峰さんが開けられるのか、謎だ。教師に許可を取っているってことだよな? 一体どうやって。
ともかく。
待ち受けていた長峰さんは、腰に両手を当て、横柄な声色を投げかけてきた。
「おい。お返しは?」
「えっ」
「ん!」
空いた片手をずい、と出してくる。
お返しって……ホワイトデーの、だよな。
「えっでも、いらないって、教室では男子に」
「はあ? バカ? お前のはいるよ」
「バレンタインデーにあげたじゃん、クソ高いケーキ」
「ふぅ~」
ユウキくんは、きれいな形の眉をマンガのような八の字に曲げ、やれやれ、と口にしなくとも如実に伝わってくるジャスチャーと表情をつくった。
「ハァ~信じられないッス。心悟、お前ってさァ……何て言うか……クソだよな」
えっ。いつも以上にひどい罵倒。
そして、心底見下げ果てたと言わんばかりの、冷たい視線であった。
なんでや……。
「とりあえず放課後は付き合え、お前の金でなんか買う」
「またか……」
「なに被害者みたいな顔してんだ、呆れるわ」
むむむ。なんか機嫌悪そう。
今いくら入ってたかな。金のかかる偽彼女である。
通学路から大きくはみ出し、繁華街の方に足を伸ばす。飲食店が立ち並ぶ辺りをうろうろする彼女の背中を追いつつ、どんな要求をされるのか内心冷え冷えでいると、意外な場所で足を止めた。
長峰さんは真顔で、ぴっと店の看板を指さし、白い息を吐いた。
「ラーメンでいいや」
え~。普通の学生。
それなら1000円に収まりそうだ、よかったよかった。
店の中に入る。特別繁盛しているわけでもなさそうで、客足はまばら。夕飯時にはまだ早いので、もう少し経ったらお店のピークになるのかもしれない。
ふたりがけのテーブルに座ると、対面の長峰さんは、いそいそとメニュー表を手に取って眺め始めた。写真とかはない文字だけのメニューなので、どんなものが出てくるかは名前から想像するしかない。
心なしか、表情が明るくなった様子の彼女は、僕にメニュー表を見せてきた。
「どれが美味しいと思う? ていうか何にする?」
こういうのは別に好みがなければ、1行目や1ページ目に書かれている看板メニューを頼めばいい。
「しょうゆ中華そば」
「じゃあ、オレもそれ!」
「ん。一緒のでいいの? なんか食べたいのあるから入ったんじゃないの」
「だってあんまりわからんし。食べたことないし、ラーメン」
「あ、そうなんだ」
ふーん。
……ラーメン食べたことない人っているんだ。もしやカップ麺とかも?
いや、まあ、女の子だったらそういうこともあるのかな。それにこの長峰さんが、大衆料理や安っぽいインスタント食なんかを食べているシーンは、たしかにイメージにそぐわない。
ん? でもユウキくんは元々男の子で……いや今は長峰さんだから……。
まあいいか。
お店の人に同じのをふたつ、注文する。
しばらくどうでもいい会話をしていると、やがて、どんぶりが二杯、食卓に置かれた。
グルメ意識の高い同級生たちみたいに、いちいち写真を撮ってSNSにあげよう……とも思えない、そんなに特徴もないラーメンだ。強いて言えば、よほどスープがアチチなのか、やたらと湯気が出ていた。
美味しそ~、という言葉も口から出なかったが。割りばしを割りながら対面を見ると、なんか向こうは、感動している様子だった。
目を見開き、口を半開きにしてどんぶりを眺めている。え、何。かわいいな。いつもの昼食のときと違う。
ユウキくんは庶民の食事に思わず感動する深窓の令嬢だった?
「じゃあ、いただきま……あっと、その前に」
長峰さんは、ポケットから取り出した輪っか……ヘアゴムを、おもむろに口にくわえた。そして両手を頭の後ろに持って行く。どうやら髪をまとめているようだ。
……女の子が両腕を持ち上げてて、脇の下――肋骨らへん? が見えるのって。なんか、無防備だな。
……あ、いかん。麺が伸びるかも。
長峰さんのその様子を、ラーメンを食べずにじろじろ見てしまっていた自分に気が付いたのは、髪を結び終わったユウキくんが、人をからかうときのニヤっとした顔で笑いかけてきたときだった。
「おっ。ははァん。さてはいま、キュンとしたなぁ。野原くん」
「は? しっしてないし」
「ほんとぉ? クラスの女子が言ってたぞ、『男は女がラーメンを食べるときに髪をまとめるとキュンとするらしい』……と!」
結構クラスの女子とは俗な話をしてるんだな、長峰さん。
そして僕は、断じてユウキくんにキュンとすることはない。はず。
いただきます、と言ってずるずると食べ始める。
あっ、おいしい。よかった。まあ、大衆料理などと言ってもこれは僕にとって“外食”であり、学生食堂と比べていい値段がするので、まずかったりしたらたまったものじゃないのだが。
「ん~~~!」
対面には、ずぞぞぞとおっさんみたいなデカい音を出しながらラーメンを食う長峰さん。脳がおかしくなりそうな光景だった。
だが、明らかに機嫌の良いときのリアクション。どうも本当にこれを食べてみたかったようだ。
「おいしい?」
「普通~~~!」
美味しいらしい。
こんな顔が見られるなら、一食おごるくらい、別にいいか。
……いやでも、ホワイトデーにラーメンて。
まあ、いいのか。
▽学園祭
ガレリア王国とルフラン王国、長く敵対しているふたつの大国。
しかし、その果てのない戦火に、人々は疲弊しきっていた。
やがて、戦乱を終わらせるため、ガレリアの王子と、ルフランの姫が婚姻関係となり、ふたつの国が和平を結ぶという話が両国同意のもと立ち上がる。
しかしそれはルフラン側の罠だった。その姫は、和平を反故にする日のために用意されていた、偽物だったのだ。
仕立て上げられた偽物のお姫様。それを知ってしまった王子。二人の間に、愛などというものは生まれるのだろうか。
全米が泣いた珠玉のラブストーリー。この秋、ついに日本上陸。
以上が、我がクラスが一致団結して挑む、学園祭への出し物――演劇のあらすじである。最後の一行はよくあるふざけだ。
しかし、高校生にもなって、シリアス系のオリジナル演劇かあ。十中八九、駄作になってしまうだろう。まず、生徒の誰も真面目に見てくれるはずもない。
主役がこの人じゃなければ。
「はぁーあ。引き受けちゃった」
放課後。途中まで一緒らしい通学路を、並んで歩く。
クラスに、学校一可愛い女の子がいたりすると、クラスの出し物系のイベントではその子を前面に出すような演目を組んでしまう――、ということが、どうやらあるらしい。
主人公である偽物のお姫様役は、この長峰悠希である。
演劇の内容自体は、まだ適当に決めた仮のものだが、とりあえずお姫様役は誰! という学級会議で、満場一致で彼女が推薦されてしまったのだ。たぶん、劇の内容自体も、長峰さんのイメージに引っ張られていくことになるだろう。
で、長峰さんは、いつもの上品な笑顔を保ったまま、それに頷いたのだった。
「しかし、ユウキくんがお姫様役か……」
長峰さんなら納得だが。
でもあのユウキくんが。お姫様。全校生徒の前で。
「ンッフフ」
「あッ、わっ笑うな!! 殺すぞ!」
長い脚でげしげしと腿を蹴ってくる。痛っ! すぐ手が出るんだからこの人は。脚も。
「茶化されるとやりにくいだろうが。覚えてろテメー」
どうやら真面目に取り組むつもりのようだ。
うーん。
……しかし、すごいよな。ユウキくんって。どうしてああいう、みんなの期待に応えるようなキャラクターを作っているのか。その理由はわからないけど、それを今日まで、いや、明日もずっと貫いていくっていうのは、ものすごく、ものすごいと思う。
久々におちょくるチャンスだとも思ったけど、そんなのはダメだな。クラスメイトとして応援しよ。
「フフ……。頑張ろうね、長峰さん」
「だから、笑うな。キモいし」
学祭が近づいてくると、いよいよ、演劇の練習や準備に力が入る。
夏休みも明けてしまい、本番の日までは、もう放課後の時間を使うしかない。どのクラスも、日が暮れるまで教室に残っていて、苦労している様子だった。
ちなみに僕は、このクラスにおける役割は、もちろん、“裏方”である。劇に使うセットとかを考え、準備する仕事だ。演者とどちらが労力的に大変なのか、というと、どっちもどっち、ってところだろうけど、大勢の前で舞台俳優をやらねばねらない緊張を考えると、こっちのほうが気楽だろう。
「ああーきつい。あっ、見てよ時計、今日は帰ろうかな」
「うおお。ほんとだ」
金田くんに言われて時計に目を向けると、あれまあ、学生が居残るには危うい時間帯であった。教室に残っている級友たちも数はわずかで、そして金田くんの声をきっかけに、彼らも帰ろうという空気になっていた。
進捗がなー。大丈夫かな。といってもこれ以上少人数で残ってもあれだから、帰るのが正解だ。
未完成の小道具をしまい、帰宅の準備をする。教室でもいくつか、さよなら、ばいばい、といった挨拶が飛んでいる。
そうして、気が付くと。
「あれっ。帰らないの、長峰さん」
人もいなくなって、机を全部うしろに退かした、いつもより広い教室の端っこ。長峰悠希が椅子に腰かけ、劇の台本を読んでいた。
「ん」
顔を上げる。きょろきょろと周りを見て、僕以外に誰もいないのを確認して、
「ちょっと、まだ納得いかなくてさ。練習が足りない感じ」
と言った。
…………。
もしかして、この人、努力家?
「……お、わ、おっと」
イスから腰をあげたユウキくんは、ややテンション低めの顔で、突然、手に持っていた台本を投げよこしてきた。それをなんとかキャッチする。
台本は、クリップで、あるページのまま閉じないように固定されている。
どうやら劇の終盤のほうだ。ラブストーリーを盛り上げる、いち学生が音読するのにはかなり勇気のいる、クサいセリフがいくつも書かれている。
台本から、顔を上げる。
いつの間にか、妙に真面目くさった顔をした長峰さんが、けっこう近くに立っていた。
「すー、はー。……王子。いえ、クラウス様」
「え?」
「『好きです。愛しています、あなたを。受け入れては、くれないのですか』」
「うぉ……」
ぞわわ、と全身の毛が逆立つ感覚。
これは、悪い意味の鳥肌……ではない。どうやら、目の前にいた人間が突然、台本の中のお姫様に変わったことへの、感動らしかった。
表情、目力、息遣い。身体のしぐさ。それら全部が、今は長峰さんでも、ユウキくんでもなかった。彼女は、胸の切なさを隠しきれない様子で、こちらの目を覗き込んでいた。
演技うっっっま。そして顔が良すぎる。こんなの、絶対客席に伝わりきらないのに、ここまで完璧にして。なのに納得してないって、なんでだ。
しかし、そうか。ユウキくんは、よく考えたらいつも、長峰悠希という女子を演じているから。こういうの、クラスの誰よりも得意なんだ。
「………」
長峰さんの目が動き、僕の手元……台本に視線を送った。
え、なに。まさか、王子役をやれや、ってこと?
えっ……嫌だ。
「痛っ」
姫に足を踏まれた。
「……『けれど、あなたは偽物だ。その気持ちも、きっと、つくりあげたものなのだ』」
ぼそぼそと早口で言い切る。
それを受けて、彼女は。
さらに近づいてきて、こちらの胸に、手をあてて。すがるように服を掴んで。
「『でも。作り物だとしても。私は、あなたを愛しているのです』」
潤んだようにも見える瞳に、教室の電灯が反射していた。
うわ。
すっごいドキドキする。あっ、まずいな……。からかわれる。手が胸に当たってるから、絶対バレてるし。
不意打ちがすぎる。くそ……。
そして。この後は場面転換なので、台本に次の台詞もなく。無言で汗をながしていると。
何秒かして、彼女は、ぱっと手を放し、僕から台本を奪い取った。
こちらに背中を向けたので……安心して、心臓をドキつかせる。
うはぁー。やばいなぁ。王子役の山本くん、絶対長峰さんのこと好きになるだろ。すごい詐欺だなこれは……。
「ん~。セリフがあれなのかなァ。……みんなして、最高に美しくてかわいい、長峰悠希に言ってもらいたいセリフを適当にさあ。こんなの勝手に変えてやるもんね」
どかっとイスに座り、ペンで台本に、勝手な上書きをはじめた。いいのかなそんなことして。主役とはいえ。
ユウキくんは、長峰さん時の楚々とした座り方を忘れているのか、長い脚の片方を反対の膝に乱暴に乗せていた。すっごい男っぽくて違和感。
あっパンツ見えそう。
「そういうときはお前が目を逸らすんだよ、エロボケ」
なぜか心の内を正確に読まれ、ペンを投げつけられた。
……そのあと。先生に追い出されるまで、彼女の練習は続いた。
学園祭の終わり。
僕たちのクラスは、舞台での出し物部門での、2位を頂いた。おそらく主役の演技が評価されたのだろう。演技力も、それまでの努力も、誰よりも上だったのだから。
1位じゃなかったのは、まあ。主役に頼りすぎていて、クラスの団結感的な部分が評価されなかった、ととれるようなことを、先生が言っていた。僕的には、ストーリーとかが別に全然面白くなかったからだと思う。ああいうの、自分たちで作るとなると、やはり難しい。
それにしても……あそこまで頑張っていたからには、あの子は、1位をとる気満々だったんじゃないか。荒れてないといいけど。
後夜祭では、体育館にて、有志生徒の漫才・コントやら、ミスター&ミスコンテストなどがあった。その次はバンド演奏がある。
どれも学校のスター候補にスポットライトがあたる催しで、僕はもちろん、ただの観客。金田くんや佐藤くん、他の男子たちとひとかたまりになり、体育館の床に座っている。
そして、今年のうちの高校で一番かわいい女子は、公式に長峰悠希で決まったらしい。ミスコンテストは、彼女の優勝で決着がついた。
演劇のこともあって、また顔が売れちゃうだろうな。それで男子諸君がまた寄ってくるとなると、ユウキくんにとっては歓迎しない事態だろう。
長峰悠希は、そんな内心は表に出さず、全校生徒の前で堂々とした態度で、謙虚なコメントを口にしていた。
自分が一番かわいい自覚があるはずなので、とんだ嘘つきだった。
しばらく、いくつかのバンド演奏を楽しんだ。
もちろん、プロに比べれば単なる騒音、なんて金田くんが貶すレベルのものもあったが。音楽などとんとできない僕にとっては、彼らはすごい連中なのだった。
なので、けっこう楽しかった。その楽しさの中にいくらか、みんなで頑張った学園祭の終わりも感じて、妙にしんみりした気持ちもあった。
そういう、気分のときだった。
「野原くん。長峰さん、こっち来てるよ」
「ん?」
「よくきみを簡単に見つけられるもんだ。羨ましいね」
前の方で客席という地べたから立ち上がった影は、どうやら良く知る人物のようだった。
やがて金田くんの言うように、彼女はまっすぐこちらへやってきた。
「あの、なに?」
すぐそばに来てこちらを見下ろしたので、僕に用だろうと思って、声をかけたのだが、返事はない。
長峰さんは、男子たちにひとつ、愛想笑いを振り撒いたあと、無言で僕の腕をひっぱった。
いま、周りからはどう見られているだろうか。真実は、凄まじい怪力で引っ張られているのだが。
そうして、長峰悠希と一緒に、後夜祭の体育館を後にする。
さすがに注目を買った……。こんなタイミングで、まったく。
「一年生とか三年生にすごい顔で見られたんですけど」
「一緒に歩かないと彼氏アピールになんないだろ。演劇とミスコンのせいでファン増えるんだから」
すげえ自信。
実は今日は、これが初めての会話だ。演劇の最中に話しかける暇ないし、それ以外の時間は、この人、人気者だし。姿すら見なかったな。付き合いであちこち奔走していたんじゃないだろうか。
ユウキくんが歩くのに合わせ、夜の校内をうろうろする。
「そういえば、セリフ。本番、なんか台本と違うこと言ってなかった?」
「あ? なに。人の台詞覚えてんの、お前。え~、キモ」
「練習につき合わせといて……」
そんな話の途中、彼女は校舎の階段を昇り始めた。
二階より上をウロウロするつもりなのか、と思った。でも、この階段は……。
やがて僕は、ユウキくんと一緒に、いつもの屋上に来ていた。
またかよ。もしかして、この場所お気に入りなのかね。解放感あるし、風とか涼しいし、
けれど夜となると、また趣が違って見える。もしなんもない夜だったら、絶対コワイ。危ないし幽霊も出そう。
でも今は、後夜祭。向こうの方に明るい体育館が見えて、ずんずんとバンド演奏の音もしていた。
とはいえ、この屋上はやっぱり、ちょっと暗いのだが。
「ユウキくん、ここ好きッスね」
適当に声をかけると、向こうの方を見ていた彼女は、こちらへ振り向いた。
暗くて、もっとじっと見ないと、あまり表情はわからない。
「な。最後に、練習。しようか。心悟くん」
「ん? なんの」
静かにこちらへ歩いてきて、ユウキくんは言った。
「好きです。愛しています、あなたを」
「っ……」
「受け入れては、くれないのですか」
――びっくりした。熱の入った声だった。
この暗がりの向こうにいるのは、あの偽物のお姫様だ。
「な、なに、急に。びっくりした~」
口ではマイルドな驚きを装ったが、本当は、心臓が止まるかと思った。
脳が一瞬、「あれ? いま女の子に愛の告白されたかな?」と判断しかけた。
まだユウキくんの表情はよく見えないのに、その声色だけで。劇の完成形……裏方として頑張ったセットや、長峰悠希のドレス姿を見届けたこともあって。今目の前にいる人のことを、本物のお姫様が制服を着ているようにしか思えなかった。
「もう劇は終わったでしょ、ユウキくん」
「………」
え、何この空気。まるでここが舞台の上で、彼女は、相手役の台詞を待っているかのように、唇を引き締めたままだ。
う、うう。なんだこの辱めは。
えーと。じゃあ。次の台詞、なんだっけ。
「……でっ、『でも、あなたは偽物だ。その気持ちも、きっと、つくりあげたものでしょう』」
こんな感じだったか。
言い切って顔が熱くなる。なんだよー、もー。クサいことするなよー。高校生かよ。
けど、これで正解だったらしい、暗闇の中から、少女が近づいてくる。
そして、僕の胸に手を当てて。すがるように服を掴んで。
顔を上げて、星か月の灯りで、表情が見えた。
「あなたを含めた、私の世界のすべてが、この心を認めてくれなくとも――」
「私は、あなたを、愛しているのです」
「――――。」
「……おーい。何役に入ってんの? キーモっ!」
「えっ。あ、うん。ってキモいっていうな」
「うりゃ」
胸をそのまま突き飛ばされる。ひどいっす。
それで距離が開いて、また顔色が見えなくなった。
「どうだった。アカデミー賞とれる?」
「と、とれる」
「へへ」
とりあえず、満足そうな声がした。
演劇は2位だったけど、今日という日のこの夜は、長峰悠希にとって、つまらない終わりにはなっていないようだった。
「あー、熱……。……えっと、そろそろ戻るかァ」
けっこう肌寒いはずなのに不可解な言葉を漏らし、そして戻る宣言。何しに来たんだ、まったく。
散々僕を振り回し、ユウキくんは、さっさと屋上の出口に向かうのだった。
がちゃ、とドアの開く音。いかん、閉じ込められる。
「あ、お前はもう少ししてから来い」
「え? なんで」
「あー、えっと……あっほら。一緒に歩いて目立つの、嫌なんだろ。明日までは勘弁してやる」
「うわっ」
「帰る前に返して」
何か投げつけられる。屋上の鍵、のようだった。顔を上げると、ユウキくんはもう、ドアの向こうに引っ込んでいた。
僕を屋上に置き去りにして、まったく。なんだあいつは。暗いし怖いっての。
………。
…………。
ていうか、あー、どきどきしたー。
中身ユウキくんじゃなかったら、この子僕のこと好きなんじゃないのって思ったね。
………。
というか、恋しそうになった……。
うん。
「はぁ」
そんなことになったら、ユウキくんにキモがられて、嫌われちゃうしな。
それは、ちょっと、嫌だ……。
……一応、友達だし。
うん、とにかく気をつけないとな。あの
「……うーっ」
さっきの
しばらくお姫様恐怖症になりそう。