長峰さんは彼氏持ち   作:もぬ

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大学① 近すぎる家

▽近すぎる家

 

 5月。連休が始まる時期。

 帰省することもなく、できたばかりの友人たちと交流するでもなく、自分がこれから4年お世話になるだろう、狭くも新しい部屋で、だらだらと過ごしていた。

 学生向けの賃貸で、築年数がなんと2年目の新品。1階の端っこ。かなりの良物件じゃないかと気に入っている。

 

「……ん?」

 

 朝の静かな時間。こうして黙ってベッドに寝そべっていれば、音に悩まされることなどないはずだが、今朝はずっと隣の部屋から、ガタガタと模様替えか何かの音がする。

 あと、一階ゆえほぼ常に閉めきっているカーテンの隙間から、外を見てみると、でん、と引っ越し業者のトラックが停まっていた。

 これらのことから、隣の人がお引っ越しに関する作業をしていることは推測できる。

 が、何故この時期に引っ越しが発生するんだろう。4月にはもう誰かが住んでいたはずで、新しく引っ越してくることはないと思うのだが。

 出ていくところなのかな。なぜ?

 まあ関係ないか。

 薄い壁とはいえ、高校時代と違って、この部屋は僕だけの城なのだ。アホの妹がノックもなしに入ってくることもない……すばらしい。

 このプライベート空間が守られるのなら、隣からたまに音がしたってどうってことはない。

 イヤホンで耳を塞ぐ。今日は、お昼までこのままゆっくりすることにした。

 

 

 あれから二日後。

 高校のときの貯金プラス親からの借金で買ったパソコンの画面に、流行りのアニメを映して楽しく過ごしてしているときに、ぴんぽん、と呼び鈴の音。

 ドキッ、と心臓が一跳ね。そして直後に、若干テンションが下がる。

 誰だろう。大学の友人を呼びつけた覚えも、宅配便で届く何かを注文した記憶もない。

 となれば、十中八九、例のテレビ局の集金人さん。あるいは宗教勧誘か。学生の部屋には必ず彼らがやってくると聞く。

 ああん? うちはテレビないよ。テレビ放送が見られるスマホは持ってるだろって? スマホもないよ。

 などと、面と向かって言う勇気もない。居留守を決め込むことにする。

 一応、相手を確認するため、忍び足で玄関に向かう。すると、ドアの向こうから人の声。よく耳を澄ませる。

 

「こんにちは。お隣に引っ越してきたものですー」

「!?」

 

 ……ウヒョオア!! 女の声!!!

 いかん、女に飢えすぎて漫画の小悪党みたいになってしまった。

 だがしかし……なんと清らかな声だろう。現実にはドアの向こうからなので、くぐもってイマイチ聞こえないのだが、心で理解した。田舎からやってきた純朴で垢抜けない、心優しい少女に違いない。

 ドアアイから外を覗く。

 幅広の帽子を深く被ってうつむいていて、顔の全貌が見えないが、その服装は、声から得た印象を裏付けるような、清楚な白いワンピース。夏の美少女という感じ。これはもうかわいい。天使だ。

 しかも、おい。胸がでかいぞ。

 やった。

 大学生活、勝ち。

 1階なのにこんな、100億点満点の女の子がとなりに引っ越してくるなんて。これは、この子は、僕が守護らねば。

 

「あれ……いないのかな」

 

 いかん、行ってしまう。あいさつをせねば!

 すべての警戒心を捨て去り、僕は笑顔を浮かべながらドアを開けた。

 

「こ、こんにちは~」

 

 果たして、ドア越しの美少女は、生で見るとさらに美少女であった。顔を見なくともわかるほどだ。いい匂いのするオーラを放出しているというか。

 ちょっと心をウキウキさせながら、なるべく視線が胸とかに吸われないように気をつけつつ、相手の顔を見る。

 彼女は、帽子の下の、愛想のいい笑みを浮かべていた小さな唇を……

 にやりと、愉快そうなかたちに変えた。

 

「あれぇ~? その気持ち悪い笑顔はもしかして?」

 

 優雅な仕草で、金持ちのお嬢が被っていそうな帽子を取ったそいつ。

 その瞬間、目元、髪型、意地の悪そうな表情、すべてが明らかになった。

 

「心悟くん? うわ偶然! 奇跡~! こんなことあるんだ~」

「ヒュッ……」

 

 心底嬉しそうに笑う、見たことのある女がそこにいた。

 幻覚かな?

 僕は無言で、ドアを閉めた。

 

「あっ……こら! 開けろや! オラ! ボケコラ! っすぞゴラァ! はよ開けんかいワリャア!」

 

 どん、どん。怖い。宗教よりも国営放送局よりも……。ヤの事務所にカチコミする大阪府警くらい怖い。

 ドアを背に、うずくまって耳を塞ぎ、がたがたと震えていると、やがて恫喝が収まった。

 い、行ったのか……? やはり二度寝中の僕が見ていた悪夢だったのか?

 

「仕方ないな。まったく」

「え……?」

 

 かちゃり。

 何かが、いや、鍵が、回る音がして。

 きぃ、と、背中を預けていたドアが、外へと開いていく。

 バランスを崩し掛け、倒れそうになるのをなんとか堪え、僕は、上を仰ぎ見た。

 

 長峰悠希が、にっこりと笑って、こっちを見下ろしていた。

 

「……なんで、うちの鍵を……?」

「んー? なんでだろうね。とっても不思議だね」

 

 これ警察呼んだほうがいいか?

 

「ちょっ、そんな顔すんなって。合法だから。たぶん。……そうだな。大家――、という、漢字二文字だけを送っておこう」

 

 ど、どういうことだ。

 大家さんから鍵を奪い取った? 大家さんから大家の座を奪い取った? どっちだ。とりあえず違法に違いない。ユウキくんだしな。

 立ち上がり、じろじろと疑いの目を向ける。

 くっ。こんな、さわやかで清楚な服を着て、うまく化けやがって。彼女がいつも纏っている、ネフェルピトーのオーラみたいな禍々しいモヤモヤが抑えられている。正体がわかっていれば、まんまと在宅を明かしたりはしなかった。

 

「引っ越しって、ほんとに隣に?」

 

 鍵を指で弄びながら、僕の背後の空間を覗こうとしているユウキくん。覗くな。

 引っ越しの話題に戻すと、彼女はパッと顔を明るくさせ、こちらに向き直った。

 

「うん。元々こっちの予定だったんだけど、前の部屋主が出ていく時期が諸事情でズレちゃってさ。これでやっと仮宿とおさらばってわけ」

 

 ひひひと笑ったあと、長い髪を耳にかけ、こちらの顔をのぞき込んでくる。

 

「そんなわけで、これからよろしく、お隣さんっ」

 

 仕草とセリフは清らかかつ可愛いが、いたずらっぽい目つきは恒例のもの。

 大学での時間、だけでなく。どうやら他の、自由だったはずの時間さえも、僕は彼女に支配されることになる可能性が出てきた。このガキ大将がよ。

 

「いつまで表で喋らす気だ! どけどけ! ……ヒャア~、これが女友達のいない男子大学生の部屋か~。キモいな~」

 

 そしてズカズカと人んちに入っていった。

 えっ、実家以上にプライバシーがない……?

 

 

 8月のある日、対面に座る長峰悠希は、こう言いだした。

 

「飽きた」

 

 小さいちゃぶ台を挟んだ向こう側。アツアツのチャハハーンを半分ほど胃に収めたところで手を止め、不服そうな顔でそう言ったのだ。

 

「まさかとは思うが、僕のつくったこの至高のメニューのことじゃないだろうね」

「そのことですね」

「何ィ……」

 

 いまこやつが飽きたと斬り捨てたのは、僕が晩御飯に振る舞ってあげたすばらしい手料理のことだ。

 うむ。

 僕も実家にいたときは、料理をしてくれた母に、「このメニューは飽きた」などと言ったことはあるが。

 なるほど。これはムカつくな。顔が良ければ何言ってもいいと思うなよ。雑巾食わせてやろうか。

 ていうか、なんでこの人は飽きるほど連日、僕んちで飯食ってんの? おかげで二人分作るのが当たり前になってしまった。

 

「雑巾食わせてやろうか」

「だ、だってさァ。いっつも出てくるのが決まってるじゃん。チャーハン→焼きそば→生姜焼き→蒸し鶏→パスタ→チャーハンじゃん、繰り返しまでが短いじゃん」

「十分すぎるレパートリーでしょうが」

「炭水化物多すぎなんだよ、太るだろ。……ていうか最近、脂肪が……ブツブツ……」

「きさまにこれ以上の料理が作れるというのか」

 

 ユウキくんが台所に立っているところなど想像もできない。ふん、きみにはできまい。

 そう思って投げた言葉だったのだが。

 それを聞いて、彼女は……なんだろう。しばらく目を合わせたあと、目線を泳がせ。しかし口の端っこは上げて、こちらをうかがうような上目遣いの視線をチラチラ投げかけてきた。

 どういう感情の表情?

 

「な……なあ。そういうことなら……たまには、というか、明日の夜は、さ」

 

 悠希さんはコップを両手で抱え、それで口元を隠した。

 そのままくぐもった声で、

 

「オレの部屋……来る? 晩飯食べに」

「行きましょう」

「はやっ」

 

 と言った。

 相手が何を言ったかを認識したころには、僕はもう返事をしていた。

 ユウキくんとはいえ女性の部屋――あっいや、友達の家。当然行きたいぜ。他意はない。

 

 

 そして翌日。

 自分の部屋を出て、徒歩3歩のところにある、長峰悠希の部屋。そのドアの前で、僕は緊張していた。

 女性の部屋に入るのは初めてだから、というだけではなく。よく考えたら、『ユウキくんの部屋』に遊びに行くのは、これだけ長い付き合いをしているにも関わらず、人生で初めてのことなのだ。

 子どものとき。それとなく遊びに行っていいか尋ねたことはあった。しかし、なかなかに強く拒否され、以来、ユウキくんの家に行っていいかと聞いたことはない。もちろん、高校生のときも。お互いに、ユウキくんのところで遊ぶ、という選択肢は、もうずっとなかった。

 それがいま、初めて、向こうから誘ってきた。一大事である。

 うれしいような。不思議なような。

 

 よし。

 と心の中でつぶやく。子どもの頃、友達の家の呼び鈴に手を伸ばしたときの、あのドキドキがよみがえる。いや、それがさらに倍増されたような感じだ。

 深呼吸を何度か繰り返して、ようやく、キンコン、と彼女を呼び出す音を鳴らした。

 耳が敏感になっているのだろうか、しっかり閉じているはずのドアの向こうから、ぱたぱたと足音が近づいてくるのがわかった。

 内側から、ドアが開く。

 そうして現れた、部屋着姿の長峰悠希の姿を見て、数秒ほど無言になり。

 

「や、やあ」

 

 とだけ絞り出した。

 

「あれ、あと30分あとの約束じゃなかったっけ。まだ掃除終わってねーんだけど……」

「あ……そうだっけ。ごめん、出直すよ」

 

 見れば彼女は、長い髪の一部が首にひっついていて、汗をかいているらしかった。あと、肩や首元をさらした薄着だった。やりとりの途中、ほんの一瞬、胸をチラ見してしまい、向こうの目つきがムッと鋭くなる。すみませんでした。

 ドアを閉めようとする。

 が、腕を掴まれた。

 悠希さんと目を合う。何故か本人も、きょとんとした顔をしていて、どうやら反射的に掴んだらしかった。

 

「あ、えと。……汚くてもいいんだったら、まァ。どうぞ」

 

 お邪魔します、と言って、一番仲の良い友達の部屋へ、初めての一歩目を踏み込む。

 

「あ、そこのスリッパ使って」

 

 そして、互いにぱたぱた音を鳴らしながら、後をついていく。

 きょろきょろと内装を無遠慮に見る。同じアパートなので、同じ間取りだ。

 玄関。僕の、安いスニーカーと安い運動靴とスリッパみたいなサンダルしかない玄関と違い、ショートブーツやら、ローファーやら、底の厚いおしゃれサンダルやらが並んでいる。スニーカーもあったが、革製でつやつやしていてかっこよく、値段が僕のとは違いそうだった。

 次は細い廊下。1Kの部屋なので、キッチンがあり、冷蔵庫なんかが置いてあった。キッチンは普段から使っている様子がある。朝は自分で作っているのだろうか?

 そして、ドア。この向こう側が、リビングということになる。

 悠希さんは取っ手に手をかけ、そして、こっちをちらっと見た。

 なんか、向こうも、変な顔をしている気がする。緊張してるみたいな。まさかな。

 

 かちゃり。

 キッチンまでは僕の部屋とそう変わらなかったが。

 果たして、リビングは、あそことはまるで別世界であった。

 机やベッドの配置は違うし、一部にはカーペットが敷いてある。姿見とか、でかいぬいぐるみとか、うちにない物がある。掃除が終わっていない、というわりにはキレイで、というか、なんか、匂いが違う。彼女の髪のような、甘い香りがする……気がする。

 想像したユウキくんの部屋とは全然違っていた。まるで、長峰さん、の部屋だった。

 ……感想を、口にして述べるのならば、

 

「女の子の部屋っぽい」

「女の子ですからねぇ……」

「えっ」

「えっ、てお前。」

 

 別にこっちは彼を、全く女の子と思っていないわけではないのだが、本人の口からそう言われるとは思わなかった。

 

「仕方ねえじゃん、親とか妹とか来るんだからさ。キャラに合った女の子要素が必要なわけ。お前の〇〇臭い限界男子部屋のようにはいかないの」

「おい」

 

 女の子だというなら、女の子の口から聞きたくないことを言うな。それにそんな臭いは断じてしない。

 しかし。長峰悠希としてキャラクターを意識した部屋、と本人が主張する割には……なにか……違和感が。そう感じて、改めて部屋の様子を見る。

 ……!! あ、あれは……!

 部屋のある箇所に、目が吸い寄せられる。あの、普段生きていて全く縁のない、独特のレースやらが施された布きれは!

 

 普通に下着が干してあるッ!

 

「きゃー、エッチ。訴えようかなァ」

 

 僕が何をガン見しているか、部屋の主には筒抜けだったらしく、背後から声がかかる。いつの間に後ろに。いや、僕が思わず前に出ていたというのか。

 ひとまず、さっと両手で目を覆い隠した。

 

「ひどい罠」

「ラッキーですなあ、いいもの見れて。30分後には片付いてる予定だった」

 

 そばを通り抜けられる気配。指の隙間を開けて彼女を見る。

 干していた洗濯物をもそもそと下ろし、それらをまとめて、部屋の隅に積み上がった衣類の山に追加していた。どうやらちゃんと畳んでいない。

 ズボラ……! 大学ではけっこう衣装持ちな感じで、他の女子からひとつ抜けてるのに。これが真実の姿だったか。

 

「さ、どうぞ。くつろいでください」

 

 彼女はそう言って、ベッドを手で示した。

 いやいや。たしかにあなたはよく人のベッドに腰掛けてますけど。こんな部屋のこんなベッドに、僕みたいな男が尻を落ち着けられるはずがない。

 ということで、おそらく食卓にしているテーブルの前、カーペットが敷いてあるエリアに腰を下ろした。

 

「ていうか妹いるの? ずっと一人っ子だと思ってた」

 

 緊張をごまかすべく、適当な話題をふる。

 悠希さんは、リビングを出た。何をしているのか首を伸ばして見てみると、冷蔵庫を開け、中を覗いていた。

 そのまま、若干遠くなった声で返事がくる。

 

「ん? あー、まあな。妹っていってもあっちの……父親の子だし」

「おっ、複雑な家庭事情」

「だろー」

 

 ユウキくんの妹を想像しようとするとクソガキみたいな少女像しか頭に浮かばないが、長峰さんの妹と思えば……さぞ、かわいらしい箱入り娘のお嬢さんなのでは。まだ幼くて、一挙手一投足が微笑ましい、こう、世間知らずな、可愛い感じの……。

 

「いま16歳」

「ほう」

 

 頭の中で作り上げていた10歳ぐらいの子供が消え去り、高校時代の長峰悠希に似た、立派な体格の少女ができあがった。いや容姿は似てないんだろうけども。

 

「美人ですか?」

「殺すぞ」

「美人か聞いただけで……?」

「写真あるけど、お前には見せないからな。キモいから」

 

 悠希さんが戻ってきた。べん、と、目の前の、僕んちのちゃぶ台よりはだいぶ大きいテーブルに、お茶のペットボトルと、紙コップが置かれた。

 お客様には紙コップで対応するのか。そして自分はマイコップを使うってことだな。いいね。

 と思ったら、本人も紙コップにお茶を入れてゴクゴク飲んでいた。その様子をじっと見上げる。

 

「ぷあ。……何? 飲んでいいよ」

「紙じゃないコップないの?」

「あるけど、洗うのめんどくさいから使ってない」

 

 ズボラ……!

 

「さて……。じゃあ、まあ、その。お腹空いてる? 晩飯作るけど」

「いいんですかい、兄貴」

「いつもオレばっか食ってるから、返済ね」

 

 にこ、と朗らかな笑顔をつくる悠希さん。

 胸が締め付けられる気持ちだ――返済という概念が、この人にあったなんて。僕はいま、感動で泣きそうになっている。彼は一生ジャイアンのように生きていくんだと思っていた……。人は、成長するのだ。

 しかし、長峰家の令嬢の手料理か。どんなのが出てくるんだ?

 

「なに作るの?」

「ないしょ」

 

 期待させるじゃないか。

 悠希さんがキッチンへ向かうのを目で追う。薄いトップスなのはさっきも確認したが、下はショーパンで、相変わらずどっしりした四肢が眩しすぎる。自分の部屋だとこんな格好なんだな。

 やばくなりそうなので、目で追うのをやめる。

 ………。

 やることがないな。

 

「あのー。手伝うッス」

「あー? いらんし、座っとけば。テレビのリモコンあるっしょ」

 

 言われるがまま、とりあえず部屋の隅っこのテレビを点ける。僕の部屋にはゲーム用のモニターしかないので、テレビ番組は久々だった。

 バラエティ番組で、ゲストに若い女優さんが出ていた。映画の宣伝をしている。誰かさんのほうが容姿は上だなと思った。

 しばらくして、ちら、とキッチンの方を見る。

 

「ウオッ」

 

 髪を上の方で一つ結びにして、あの薄着の上からエプロンをした長峰悠希が、機嫌良さそうに台所に向かっていた。

 ええ……。

 やばいな……。

 ぎゅっと自分の内腿をつねる。痛っ。……いやあなんというか、マジメなんですね、エプロンなんかしちゃって。

 

 

「――できた!」

 

 煩悩を断つべく無の境地への到達を図っていると、嬉しそうな声が耳に入る。いつの間にか、それなりの時間が経っていたのだろうか。

 いや? あんまり経ってない気もするけど……?

 エプロン姿の悠希さんがやってくる。僕は彼女を直視しないよう、相手の斜め上の何もない空間に意識を集中した。

 やがて、小さな食卓に置かれたのは、あつあつの湯気を立ち昇らせる1杯の……

 

「インスタントラーメンやないかい」

 

 いらんでしょエプロンとか。逆に何してたの台所で?

 テーブルの向こう側に悠希さんが座る。ウッ、直視してしまった。

 

「何かね? お前の出すパスタと、味のランクは同等だろ」

「なんだとぉ……!」

 

 言ってはいけないことを。

 

「がっかりー」

「そう言うなよ、ちゃんとアレンジレシピ?してるから……この前テレビで見たやつだから」

 

 たしかに、具とかちゃんと乗ってるし、なんかスープにいろいろ入ってそうで、見た目がごちゃっとしている。

 つまり、まずそうだった。

 

「いただきまーす。……ん~! 天才の仕事~」

 

 作った本人は満足そうだ。僕も、彼女に向かって頂きますをする。

 ずるる。

 

「あっうまい」

 

 そう言うと、悠希さんと目が合った。

 そしたら、いひひ、と眉を吊り上げて、嬉しそうに笑った。

 

 お互い食べきって、食器をシンクに片付けたあと、彼女は手に何かを持って戻ってきた。

 

「デザートあるぞー。じゃーん、チョコレートクッキー」

「ラーメンと組み合わせ悪っ」

 

 甘い焼き菓子。個人的に、ラーメン食った後に食べようとは1ミリも思えないのだが。

 目の前のテーブルにそれが置かれる。タッパーに乱雑に収まっているが、一個一個のかたちは凝っていて、きっと、どこぞのお店の品を移し替えたものだろうと思った。

 

「買ってきたの? お高そう」

「んー? ……まあね。甘いの好きなんで。あ、コーヒーとお茶があるけど?」

「こっちの冷たいお茶でいいよ」

「うーい」

 

 テレビを眺めながら、もそ、と口にひとつ運ぶ。

 あっこれ美味しい。ちょうどいい甘さだ。

 つい、もう一個取ろうとテーブルの上に手を伸ばす。すると、一緒にテレビを眺めていたと思っていた悠希さんが、こっちをじっと見ていたことに気が付いた。

 机にやや行儀悪く、肘をついて、頬杖で顔をむにっとさせながら、聞いてくる。

 

「味はどうかのぉ、心悟プロ」

「ん、うまい。いい値段しそう」

「……ほんと?」

 

 悠希さんは、頬杖から顔を上げた。

 

「にっひひ……。いい舌してるじゃん」

 

 何故か。

 目を細めて小さく歯を見せ、はにかんだ笑顔……照れたようにも見える表情になった。さっきも見た顔だ。

 可愛い。何か知らんけど。

 ……あっいや、普通。

 


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