俺氏、ループ系TS聖女様をいつの間にかメス堕ちさせていた模様 作:弐目
眠ってる最中「あぁ、コレ夢だな」って自覚する事ってあるよな。
所謂『明晰夢』ってやつだけど……今回、オレが見たソレは始まりからして少々特殊だった。
眼を閉じ、夢現で微睡んでいる最中に耳が拾ったのは、水音。
とても静かで穏やかな水面に、一滴の滴が落ちる様な、そんな音だ。
まるで
そのまま微睡む意識が深く眠りへと沈み込もうとして――鼻先に水滴が落ちる感触に、思わず眼を開いた。
そこで漸く、自分が浅い温泉みたいな湯の中に半身を沈めていた事に気付く。
寝起きだと言うのに奇妙な程にハッキリとした意識を疑問に思う事すら無く、身を起して。
「……何処だ、ここ」
足元に拡がる湯のせいか、やたらと濃い湯気が立ち込める先の見えない……妙に白っちゃけた空間を見廻してオレは呆然と呟いた。
「――うん、夢だなこれ」
頬を抓ってみて、痛くもなんともない事を確認して頷く。
寝間着のまま湯に浸かっていたと言うのに、身を起こした部分も全く濡れてない。
夢……でいいんだよな? 明晰夢にしてもハッキリしすぎだろ。どうなってんだよこれ。
幻術の類にでも掛かったのかとも思ったが、自分にも周囲にも、魔法的な痕跡は感じられない。
寝てる間に無防備な状態で喰らったにしても、流石に違和感くらいは感じるはずだ。そもそも聖女の持つ加護で悪意ある精神への干渉はほぼ弾かれるしな。
湯自体はウトウトしていたときと同じく、実に良い湯加減で延々半身を浸していたくなるが……いくら何でもこの状況で寝直そう、なんて選択を取れる筈もなく、オレは立ち上がった。
湯気でけぶる視界の中、足首程度の深さのお湯を足先でかきわけながら歩き出す。
何か目印があるって訳でもない、湯気で曇った空間を適当に進む訳だけど……なんでだろうな、不安とか警戒感は全く感じない。
寧ろ安心感――肩の力を抜いて身を委ねる事が出来る場所にいる様な、そんな感覚すら覚える。
勘の導くまま、ざぶざぶと湯を蹴って歩き続けると、程なくして進む方向に一つの人影を見つけた。人影の方も此方に気付いたのか、小走りで飛沫を跳ねさせながら駆けてくる。
「……やっぱりレティシアだ……えぇと……一応聞くけど、ボクの夢に出てきただけ、ではないよね?」
「お、アリアか。その言い様だと、やっぱただの夢じゃないみたいだな、この状況」
立ち込める湯気を掻きわけて現れたのは、見慣れた銀の髪とオレと同じ空色の瞳――我が
……言葉から察するに、どうやらアリアにとって、これは『自分の夢』という認識らしい。
勿論オレにとってもそうだ。つまり、意識は同一の空間にあって、それを互いの見る夢として共有してる、と。
お互い、見ている夢に自分の
オレもそうだけど、アリアも寝間着姿だった。寝る前に見た姿そのままだな。特殊ではあるが夢には違いないってのに、変な処で現実に寄せている。
「この状況、なんなんだろうねぇ……」
「さてなぁ……なんとなく、嫌なものでは無いっていう確信だけはあるんだけどな」
「あ、レティシアもそうなんだ? ボクもだよ。なんかほわほわするっていうか……この足元のお湯も凄く塩梅が良いっていうか……」
それな。心から同意する。
完全に気を抜いてリラックスするにはあまりにも唐突で不自然な状況だっていうのに、このまま座るか寝転がるかして浅い湯の中で脱力したくなる。どういう事なんだろうな、ホント。
とはいえ、実際にその場に腰を下ろすにはやっぱりこの空間は奇妙に過ぎる。
夢見を利用した精神に作用する魔法も無い訳ではないが、そんなものが使われているならとうに俺達の感覚に引っかかってる筈だし……。
ともすればあっという間に緩んでしまいそうな気分を意識的に締め直し、警戒感を奮い起こして思考を走らせる。
「――! アリア」
「うん」
湯気の向こうに新たな人影が見えて、オレ達は揃ってそちらを注視する。
今度は誰か。また知った顔なのか、それとも全く知らない――この妙な夢と関りのある奴なのか。
気持ち身構えて待ち構えていると、新たに現れた人影もこっちに気が付いているのか、緩やかな足取りで真っ直ぐに近づいて来る。
足元の湯をまるで跳ねさせることもなく、滑る様な静かな歩で現れたのは――。
「あら……貴女達がいるという事は……やはりこの夢見は
「……えぇっ!?」
アリアが驚愕の声を上げるのも当然だ。先を越されて口を噤んだっていうだけで、オレも思わず叫ぶ処だった。
のんびりとした口調で納得した様に頷いたのは、予想外にも程がある人物だったのだ。
紺碧の髪に、不思議な光彩を宿す龍眼。
彼女の寝間着なのか、薄手の襦袢みたいな服を緩く纏っている。
ついこの間、我らが教会御意見番、ヒッチンさんの治療の際に声だけを聴く事になった人。
そう、湯けむりの向こうからやって来たのは、霊峰に住まう龍――《半龍姫》こと龍の御姫様だったのである。
龍の姫さん曰く、この状況は相棒の見ている夢の様なものらしい。
そこにオレ達――アイツの魂に自己の魔力で以て『枷』を填めて繋がりを作った者達が、その
施した『枷』自体が最低でも
「尤も、明確に夢見と呼べるような浅い眠りでは無く、深い睡眠の最中に見る記憶に残らぬ類でしょう。そうでなければ、こうして私達の意識が紛れ込む間隙が生まれる筈もありませんからね」
「《半龍姫》様がこれはにぃちゃんの夢だって言うなら、その通りだと信じられますけど……」
姫さんの言葉を受け、俄然この状況に興味が湧いて来たのか、アリアは足元のぬるま湯以外は何もない謎空間をキョロキョロと見廻している。
まぁ、確かに彼女の判断って事なら信憑性はこれ以上無く高い。知識は言うに及ばず、魔力的な精査や探知・感知においてもこの世界でぶっちぎりのトップであろう人の言葉だ。
しかし、妙に安心した気分になるのも納得がいった。オレ達が一番信頼してる男の夢の中だもんな、そりゃ安心感だって覚える。
取り敢えず、こんな場所ではあるけど折角会えたんだ。挨拶はしっかりしておこうか――アリアは少し前に会ったばかりだけど、オレとしては顔を合わせるのは久々だし。
彼女がちょっとオレに対して距離があるというか、変に遠慮しているというか……壁があるとは前々から感じでいる。
でもそれは、こちらの『繰り返し』を知っている事が関係していると、アリアが教えてくれた。
だとすれば、姫さんは回帰された世界線の情報まで知覚している可能性もある。実際、そうだとすると彼女の態度も色々と腑に落ちるんだよ。
要は自分が協力を突っぱねたせいで、オレが何度も『繰り返して』メンタルを擦り減らしていた、なんていう後ろめたさを抱えているって事だろう。
そんなのお互い様なのにな。オレだって、姫さんが戦いを厭う理由をロクに知りもせずに直球で参戦要請しにいった訳だし。
何にせよ、今は片付いた話だ。
結果オーライ、なんて軽く言ってしまうのもどうかと思うけど、オレとしても
「お久しぶりです、《半龍姫》様。妙な状況だけど、会えて嬉しいですよ。オレは――」
敢えて軽い感じで、もっと気軽に絡んでくれと、そう告げようとして。
とんでもない力を秘めているだろうに、白魚の様なほっそりとした指先がオレの唇に添えられ、言葉を封じる。
「貴女が言わんとしてくれた言葉は、出来れば実際に再会したときに聞きたいと思います――この空間であった出来事を、貴女達が覚えている可能性は高くない」
そう言って、姫さんはちょっとだけ困った様に、けれど嬉しさも湛えた表情で微笑む。
この場で
そう言われてしまえば、こちらも言葉を飲み込むしかない。
というか、完全に同感だしな。オレも伝えた事はきちんと覚えておきたいし、実際に口にするのは現実での再会にまでとっておくとしよう。
「しかし、この夢ってどうやったら覚めるんだ? いや、相棒が起きたら自然と終わるんだろうけど」
姫さんの登場&説明で、危険や問題のある状況では無いと理解出来た御蔭で、もうすっかりリラックス状態に移行してしまったオレ達。
夢の中って事で姫さんが「現実の肩書を殊更に前に出すのも無粋だ」なんて言ってくれたのもあって、オレなんかはもう、生欠伸まで出て来る程に気を抜いていた。
皆で浸っても濡れもしない夢の湯に腰を下ろして、その絶妙な湯加減を堪能しながらのんびりと会話を行う。
アリアの奴なんて俯せに寝転んで水面に顔を沈め、「うわ、水中で呼吸出来る……面白いなコレ」なんて言って喜んでるしな。気持ちは分かるがこの状況で真っ先に試すのがそれか、
どっかりと胡坐をかいたオレの疑問に応えたのは、上品な横座りで対面に座る姫さんだ。
「あの子の夢ですから、探せば休眠状態の無意識に近い本人の精神体が何処かにあるとは思いますよ? 目覚めを待つか、精神体に刺激を与えてあげれば、眠りが浅くなってこの夢見の接続も途切れるでしょう」
「成程……ちなみに場所は?」
「現世とは違う、個人の夢の世界ですからね。距離的な概念はあまり意味が無いので、近づこうという意志を強く持って移動を続ければ会える筈です」
相棒の精神と遭遇したら、起こす事自体は簡単らしい。
でもぐっすり寝てる状態だからまともな会話なんかは出来ないだろうし、そもそも起床を促す様な刺激以外には反応すら示さない可能性もあるって話だ。
「そっかぁ……残念。ここでのにぃちゃんがどんな感じか、興味があったんだけどなぁ……」
言葉通り残念そうに呟いたのはアリアだ。大して深くも無い湯で遊ぶのはやめたのか、俯せの態勢から頬杖をつく。
確かに気にはなる。夢の中の相棒の姿も見てみたくはあるんだけど……会話も出来ないってんじゃなぁ。何より、見れたとしてもオレ達は起きたら覚えて無いっぽいし。
アイツが起きたら終わる、胡蝶の夢にも似た状況だ。滅多に会えない人も居る訳だし、いっそここで湯に浸かりながらお喋りに興じるのも悪くない気がしてきた。
オレ達が覚えてなくとも龍である姫さんはまた別だろうしな。再会したときにこんな事があった、こんな会話をした、って教えてもらうのも面白そうだ。
「あぁ。それも楽しそうですね」
姫さんがちょっと嬉しそうに微笑むのを見て、オレ達も相好を崩す。
でも、そこで彼女は何かを思い出した様に虚空を見上げ、少し気になることを口にした。
「……しかし、こうして夢見の当人以外が全員この場に留まっていると、少し騒がしい事になるかもしれませんね。害は無いと言えば無いので、興の一つと言ってしまえばそれまでなのですが」
「……? それってどういう……」
アリアの奴が小首を傾げて問うと、姫さんはその見事な紺碧の髪を片手で軽くかきあげ、空いたもう片方の手でそっと上方を指さす。
見上げると、天井も空も無い、湯気だけが立ち上る白い空間に初めて見る色付いた物体があった。
「……シャボン玉?」
「に、見えるな。シャボンとしては結構デカいけど……」
相棒のものとはいえ、他者の夢の世界、なんていう特殊な環境だ。一般的な魔法知識はアテにもならない。オレにしろアリアにしろ、目に映る物がどんな代物なのか正確に判断出来る自信は無かった。
ふよふよと漂いながらゆっくりと降り注ぐそれらは、パッと見は色の付いたシャボン玉に見える。
大きさは握り拳程度のものからバスケットボール位のサイズまで様々。透明のものも混じっているが、大抵は薄い青……空色を薄めて溶かしたような色に、薄っすらと金か銀の光を纏っていた。
……なんというか、色からしてオレとアリアに関係のあるものだよな、コレ。害は無いって話だけど……。
雨粒の如く、というにはほど遠いが、そこそこの数であろう落ちて来るシャボン玉を見上げ――次いで、
出来れば説明して欲しい。相棒の夢の中に来てからというもの、初めてだらけの事ばかり。当然、あれが何なのかもさっぱりだ。
無言の催促が通じたのか彼女は一つ頷き、宙を見上げてその龍眼に空中のシャボンを映しながら説明を開始してくれた。
「あれは『枷』をあの子の内に創るときに、あの子の魂に触れていた貴女達の思念の欠片です。より正確にいうのなら、『枷』を構築した際に発した強い感情や想いの残留思念ですね。本人の精神がこの場にあるので、引き寄せられてきたのでしょう」
綺麗なものですね、と。
宙を舞い落ちるそれらを眼を細めて眺める姫さんの言葉に、オレもアリアもほえー、なんて声をあげつつ感心してシャボン玉の群れを見上げた。
思念ねぇ……見た目も確かに結構綺麗だけど……。
なんというか、オレ達の……オレの心から零れた想いの欠片がアイツの中にある、っていうのは、なんか良いな。
くすぐったい様な、面映ゆい様な、そんな心地良さを感じて表情が緩むのを自覚する。
アリアも同じ気持ちなんだろう。ゆらりゆらりと降りて来るシャボン玉に手を伸ばし、嬉しそうに眼を輝かせていた。
やがて金の光の粒子が零れる透き通った球の一つが、目の前にゆっくりと落ちて来る。
アイツの中に漂う、自分の想いの一部を確認するように手を伸ばし、優しく一撫でして――。
『はぁ……さいこぉ……今はまだむりだけど、そのうちちゃんとパンツ下ろしたり【
「ぎゃぁああああああああっ!?」
シャボンに触れた瞬間、蕩けきった馬鹿っぽい自分の声が響いて、反射的に雄叫び染みた悲鳴を上げて叩き壊す。
パァン、と軽快な破裂音と共に消滅したシャボン玉の残滓から思わず距離を取り、ゼーハーと肩で息をした……な、なんだってんだよこれぇ!?
「えぇ……レティシア……」
「待て待て待てアリア! お、オレはこんな事言った覚えが無いぞマジで!」
ドン引きした、みたいな顔で見つめてくる
……いや、『治療』中にふやけた頭でそんな事を考えた気もしなくはないような記憶がある事を肯定するに吝かではない感じはするのだが!
言葉にはしてないぞ、これは確信をもって言える……! というか出来るか!?
百面相を晒しているであろうオレの顔を疑わし気に見ていたアリアだったが、ふよふよと漂って来た銀の光を纏うシャボン玉がその頭頂にふわりと乗った。
『――にぃ、ちゃん……【
「うきゃぁぁああああああっ!?」
先のオレと似たような悲鳴を上げ、両掌で挟み潰す様にシャボンを叩き割る我が
「な、なななんっ……なんなのさこれぇぇぇっ!?」
「こっちが聞きてーよ!?」
姉妹揃って気不味さやら恥ずかしさで顔を茹蛸みたいに真っ赤にしながら、ギャーギャーと騒ぎ立てる。
そして、ハタと気付いた。
姫さんは言った。このシャボン――思念玉とでもいうべきものは、オレ達が『枷』を相棒の魂に構築し、填める際に強く思った感情の残留思念であると。
おそらく、本来はもっと淡いというか、存在自体が漠然とした代物なんだろうけど……その感情の持ち主であったオレ達が接触することで、曖昧だった思念は明確な"声"という形を与えられたのだ、多分。
治って欲しい、元気になって欲しい……これ以上無茶をしたり、怪我をしないでほしい。
根底はそんな想いが占めていたのは違いないが、『枷』自体は殆どは『治療』中に創り上げたものな訳で。
その、『治療』の最中はなんというか少し……いや結構……割と多めな比率でちょっとアレな思考というか、若干頭桃色だったかなー、なんて記憶があったりもする訳、で……。
アリアもその事に思い至ったのだろう。ハッとした表情になり、すぐに顔から血の気が引いた。
多分、オレもおんなじような顔になっていると思う――なにせ、見上げればそこにはまだまだ沢山の思念の玉が宙に浮いているのである。
咄嗟に二人で一個ずつ壊してしまったが、あくまで相棒の内に滞留してるだけのオレ達の残留思念だ。そのままだろうが壊れようが、良くも悪くもアイツに影響は及ぼさない。
が、この場にいるオレ達が触れる・もしくは近づくことで活性化し、さっきみたいに声という形で顕れるのであれば……こっちにとっては問題大ありだ。
ぶっちゃけ、オレ達にとってはゆっくりと近付いて来る浮遊型の機雷にも等しい。とんでもない羞恥ネタを暴露してくれる爆弾的な意味で。
この場にいるのがオレとアリアだけならそれによるダメージも少なくて済んだ。
お互いに『治療』してた時のアレなテンションは承知してるしな……改めて突きつけられると、かなり羞恥心を刺激してくれるけど。
だが、此処には第三者――龍の姫さんがいる。
彼女も『枷』の強化に一役買ってくれた身だ。決して無関係ではないとはいえ……だからと言ってオレ達のアレな声を晒すとか出来る訳も無い。
その姫さんは、オレ達が騒ぐのを見て不思議そうに小首を傾げている。
「……? 【自主規制】とはなんでしょう?」
「「うわぁぁぁぁぁああぁぁぁっ!?」」
その桜色の唇からとんでもない言葉が復唱されたのを聞いて、オレとアリアの口から再び悲鳴混じりの叫びがあがった。
「な、なんでもないです! 忘れましょう、ねっ? 《半龍姫》様!」
「そうそう! スラング的なアレだから! 言葉遣いとしては綺麗なものじゃないから! わざわざ覚える必要は無いですって!」
こっちの勢いに押されたのか、姫さんは少し仰け反って眼をぱちくりとさせ、コクコクと頷いている。
と、取り敢えずはセーフ……だと思いたい……! 肝が冷えたってレベルじゃないぞ……!?
(ど、どうするアリア? よりにもよって姫さんに【自主規制】とか言わせちまったぞ?)
(《半龍姫》様がそのまま素直に忘れてくれる事を祈るしかないよ……うぅっ、シスターに知られたら絶対怒られるやつだこれ)
間近で額を突き合わせ、ヒソヒソとやり取りする。
意図したものでは無いとはいえ、姫さんにえらい言葉を覚えさせてしまった……!
自然主義者や教会宗派の中でも古代神話なんかを重視してる、源流派、とでも言うべき人々は、龍を"女神が創った始まりの生命"として特別視し、尊ぶ側面がある。
そんな龍の最後の末裔である彼女に、無知シチュからのセクハラまがいを働いた、なんてバレたら、如何に聖女といえど源流派の人達に殴り込みを掛けられかねない。
そうでなくともヒッチンさん辺りに知られたら御説教不可避である。実際、姫さんの尻を頭で押し上げるなんていう真似をやらかした馬鹿は即中庭行きだった。いや、それに関してはオレも説教する側で参加したんだけど。
とにかく、ここに留まるのは危険だ。
確信をもって
頭上に漂う思念玉が更に降り注いで来る前に、二人で姫さんの手を取って移動しようと力説し。
彼女が戸惑いながらも頷いてくれると、善は急げとばかりにその場を離脱する。
オレ達と手を繋いで引っ張られている姫さんが、何だか少し楽しそうだったのがせめてもの救いだ。
踏み出す度、足元のぬるま湯が小さな飛沫をあげる。
水場と徒歩の移動ってのは少なからず足が疲労するものだけど、夢なせいか特に疲れは感じない。そこは助かるな。
だが、良い点ばかりでもない。
いっそ魔法で飛行しようかとも考えたのだが、どうやら魔法全般は殆ど使えないみたいだ。魔力自体はあるので体内で廻す――身体強化とかは出来るんだけどな。
まぁ精霊なんかと違って、生身を持つ種族は精神や魂が発する魔力を出力するのに肉体も必要だし、前準備も無しに別人の夢に
バシャバシャと小さな水音を立てるオレ達と対照的に、姫さんの歩は実に滑らかで静かである。
これはもう身に着けた技術としか言いようが無いな。元々存在自体が反則級の龍という種なのに、一つの流派の開祖になるまで技も磨いてるんだ、そりゃ不可侵扱いにもなるだろう。
「へぇー……今はあの種を……なんかにぃちゃんがごめんなさい。急にやってきて幾つも頼まれ事とか、御迷惑じゃないと良いんですけど……」
「いえ、いつもの日々に変化が加わったのは中々に新鮮です。久しぶりに山の仔らと話す切欠にもなりましたし、寧ろあの子には感謝しています」
そんな姫さんではあるが、今はアリアと一緒に並んで歩きながらお喋りに興じている。一応は先頭を歩く形になってるオレも偶に相槌をうって、移動を開始してからはそれなりに和やかな時間が訪れていた。
「うーん、やっぱりこうやって色々と話せたのに忘れちゃうのは勿体ないなぁ……《半龍姫》様、明日の夜は魔道具でお話しませんか? ボク達が話した事をおさらい出来たらなーって」
「えぇ、構いません。ただ、この間の様に夜も深く更けるまではいけませんよ? この身に毎夜の眠りは必須ではありませんが、貴女達はきちんと睡眠を摂らなければ」
「うっ、気を付けます……明日はレティシアも部屋に来るよね? ここで聞いた話、忘れたままは嫌でしょ?」
「そうだな……じゃ、枕だけ持って行って明日はそっちの部屋で寝るか」
変則的なお泊り会にも近い感じだ。一人は遠い霊峰からの遠話越しではあるけど、元居た世界でスマホやケータイ使って友達と夜通し喋るのと似たようなもんだろ。
アリアのやつも予定を立てて今から楽しそうではあるが、姫さんにとっても中々無い経験なのか、ちょっとワクワクしてる様に見えなくもない。
というか今、一歩分だけ彼女の足元で小さく水音が立った。楽しみなせいでつい歩が跳ねたのだとしたら、オレ達としても嬉しいものである。
一カ所に留まっていると思念玉が引き寄せられて集まって来るので歩き出した訳だが……アテも無く彷徨っているという訳でもない。
折角だから深く寝こけているであろう相棒を探してみよう、って事で奴の姿を探しながらの移動である。
見つけても多分、目が覚めたらオレ達は覚えていられないんだけどな……そこはちょっと本気で悔しいので、ここでの出来事を問題無く記憶できるらしい姫さんに話を聞きたい処だ。明日の夜の楽しみが増えた。
つい最近あった、帝国での《大豊穣祭》についても語ったりしつつ、三人で進むこと暫し。
相棒の姿を求めて歩き続ければ、自分達が引き寄せられる形でその場に辿り着くだろうという姫さんの言は見事に的中していた。
変わらず湯けむりで視界は良好とは言えないのだが、それを差し引いても唐突に、湯気の向こうに一つの建物が現れる。
それは何というか……古い日本家屋の建築様式がごっちゃになったみたいな、ちょっと纏まりの無い代物だった。
屋根の一面が茅葺なのに別の一角は瓦だったりな。ちゃんと見ると不自然なんだけど、全体像でみるとふわっとした感じで違和感があんまりないという、如何にも夢に出て来そうな建物である。
「どうやらこの夢に拡がる湯は、此処が水源のようですね」
建物の塀越しから聞こえるざぁざぁという小さな滝みたいな水音を聞いて、姫さんが呟く。
「うわぁ、なんかゴチャゴチャしてるけど思いっきり日本の建物だ……にぃちゃんは此処にいるのかな?」
「多分な」
大きめの庵を塀で囲む家屋を見上げ、夢とは言え懐かしいデザインにアリアが感嘆と呆れ混じりの声を上げ、オレも同意を示して頷いた。
取り敢えず中に入ってみよう、という事で入口を探して塀の周りをぐるりと一周しようと歩き出したんだけど……ここでちょっと問題が発生した。
幾らも進まないうちに大量のシャボン玉がワラワラと虚空に現れて、建物全体を覆う範囲で緩やかに降ってきたのだ。
皆で移動を開始する前に集って来た量より更に多い。簡単な身体強化程度しか使えない環境ではどうにもならない物量を前に、アリアが宙を見上げて引き攣った声を漏らした。
「か、数が多い……どれだけ頭ピンク色にして頑張ったのさレティシア……!」
「おい聞き捨てならんぞ
ゆるゆると降る思念玉の全部が全部、オレ達の痴態から零れた思念という訳でも無いんだろうが……当たり外れの分からないロシアンルーレットなんて試す気にもなれない。
「ふむ……理由は分かりませんが……貴女達はアレに込められた残留思念をあまり発現させたくないのですね?」
怯んで立ち止まったオレとアリアとは対照的に、前に出たのは姫さんだ。
どうやら何とかしてくれるみたいだ。緩い襦袢姿に長い髪を揺らす様は儚げですらあるというのに、その背中はこれ以上無い程に頼もしい。
「壊しても影響は無いとはいえ……個人的には少々偲びないですね。一時的に散らすだけにしておきましょう」
上方の金と銀に光る玉の群れを見つめ、彼女の右手の五指が開かれる。
そのまま右腕を後ろに引き、軽い溜めの後に振り抜かれようとした、その瞬間だった。
瓦屋根の塀の上に、突如として人影が出現して着地する。
足場としては狭い塀の上を軽快に駆けだしたのは、パッと見はアリアより年下の小柄な女の子だった。聖殿の見習いの子達が着るような、簡素な修道衣に身を包んでいる。
綺麗な黒髪に一房の真っ白な髪がメッシュみたいに入ったその娘は、瓦を踏み割る事も無くトトトッと足音で歩幅を測って――上空へ向かって跳躍した。
そのまま繰り出されたのは、なんというか「ホアチャー!」とか聞こえてきそうな見事な飛び蹴りである。
塀の内側に落ちようとしていた無数の思念玉が情け容赦なく蹴散らされ、はじけ飛ぶ。
更に女の子は手近な玉を踏み割りながら足場にすると、構えた両の腕を駆使して建物に落ちようとする金銀の光を纏う空色のシャボンを叩き潰し始めた。いっそ清々しい程に躊躇が無い。
カンフー映画ばりの高速アクションで宙を跳ね飛ぶ小さな身体。某世紀末救世主の如き拳の連打には、絶対敷地内には入れさせねぇ! と言わんばかりの気迫を感じる。無言でありながら「アタタタタタタタタ…ホワタァ!!」という叫びが聞こえてきそうな勢いだ。
「……アリア、知ってる顔か?」
「うぅん――その分だと、レティシアも知らないみたいだね……」
突如として現れ、更にはっちゃけた行動を始めた見覚えの無い娘の姿に、オレもアリアも唖然として顔を見合わせる。
姫さんだけは女の子の姿――というより動き、か? それに感心を覚えたのか、「まぁ……上手ですね」なんて言って何度も頷いていたけど。
やがて大して時間も掛けずにオレとアリアの残留思念を消し飛ばし終えた少女は、猫みたいにくるりと空中で回転しながら再び塀の上に着地する。
一仕事してやったぜ! といった表情で一息吐き出し、額の汗を拭う動作をして頷いて――。
――そこで足場にしている塀の直ぐ傍に居たオレ達に、漸く気付いた。
無言で交わる視線。向けられた瞳は、
気不味さ、とは違うのだが……なんとも言えない空気が少女とオレ達の間に流れる。
相変わらず声を発しない少女ではあるのだが、とても表情豊かだ。固まってこっちを見下ろすその顔には「何故ここに!?」という驚愕が分かり易く張り付いていた。
一秒経ち、二秒経ち……五秒が経過したところで彼女は再起動する。
驚きを押し込めるとキリッとした表情を作り、ババッと音が鳴りそうな勢いで両腕と片足を上げて――所謂、荒ぶる鷹のポーズを取る。
分かり易くこちら……否、オレを真っ直ぐに見つめて「何しにきたオラァ!」と言わんばかりに威嚇して来るチビスケを見て、予感にも既視感にも似た確信を抱く。
オレはこいつとは仲良く出来ない、絶対にだ。どころか不倶戴天の宿敵と成り得る……!
出会ったばかりだというのに、何故か慣れ親しんだ感覚と共に湧き上がる敵愾心。
「……あのさぁ、相手は年下の女の子だよ?」
オレとチビスケの間に散る火花を察したのか、アリアの呆れた視線が頬に突き刺さるが……止めてくれるな
「なるほど、そういう事ですか」
一方で姫さんは何かを察した様で、先程のおチビの動きに感心してのものとは別種――納得の感情を以て一つ頷いた。
「私達はこの中にいる彼に用があるのです。あの子が目覚めるか、眠りが浅くなれば自然と私達もこの夢より退去出来る事でしょう……通してはもらえませんか?」
塀の上を見上げて語り掛けられる言葉に、オレに対してメンチを切っていたチビスケは視線を外し、姫さんの方を見る。
無数の光彩を宿す龍眼と、真紅の瞳が見つめ合い……直ぐに小柄な身体が塀の上から飛び降りた。
そのままオレ達の傍に着地すると、奴は身長差もあって視点の高さが先程までとは逆転した姫さんを見上げ、ビシィッ! っと音が鳴りそうな敬礼を決める。ワザとらしい生真面目なしかめっ面からは「押忍、お会い出来て光栄であります!」とでも言い出しそうな体育会系のノリが感じられた。
……なんというか、行動の端々が相棒と似ているというか、影響が感じられる。それがまた気に喰わない。
この場に居ると言う事は間違いなくアイツと関りがあるんだろうけど、マジで何者なんだよこのチビは。
ともあれ、この建物について細部を把握しているらしき案内役の少女に導かれ、オレ達は内部に入る事になった。
ちなみに入口だが、塀で囲われてる癖に正門の類は無く、壁と色も材質も同じな滅茶苦茶分かり辛い勝手口が一つあるだけである。素人の考えた忍者屋敷かよ。
内部は普通の庵、って感じだ。おチビを先頭に板張りの床を四人で進む。
「……夢の中の光景に対して詮無いことですが……珍しい様式ですね」
姫さんは庵の内装を見て興味深そうに周囲を見回している。
オレ達としてもちょっと色々混ざり気味とはいえ、純和風な建物なんて転生以来の光景だ。廊下から見た部屋の中には畳も見えたし、寝転がって感触を堪能したい処ではあるな。夢だからいぐさの香りとか感触がちゃんとあるのか怪しいものだけど。
ちょっと大きめとはいえ、あくまで建物は庵サイズ。そう時間も掛けずに先頭を歩いていた少女の足が止まる。
案内された場所は、『ゆ』とデカデカひらがなで書かれた暖簾の掛かる扉だ。
スライド式らしきそれは既に全開状態で、暖簾を持ち上げて中を見れば――案の定、そこには小さな脱衣所があった。
「うわぁ……テレビで見た昔の銭湯みたいな光景……にぃちゃんこーゆーの好きそうだもんね」
アリアの言葉に俺も頷く。
そういえば、アイツ昨日、結局帝都の公衆浴場に行くの忘れてた! とか騒いでたな……代わりにこんな夢を即日見るとかどんだけ広い風呂に入りたかったんだよ。
昭和感溢れるデザインの脱衣場の向こうには、曇りガラス張りの引き戸がある。
黒髪のちびっ子はやはり無言の儘でその戸を指さすと、脱衣所の端にあるロッカーを開けてなにやらごそごそと探し始めた。
どうやら案内はここで終りらしい。三人で顔を見合わせると、誰ともなく頷き合う。
「どうやら浴場の様ですが……私達も湯浴みの準備をして入ったほうが良いのでしょうか?」
「ぶっ……!? いや、待った! 中にはアイツが居るしそれはマズいですって!」
着ている襦袢を軽く引っ張って、白い首筋を露わにしながら風呂場らしく服を脱いで突入するか、なんて聞いて来る姫さんを強く制止する。
そ、それは流石に……お、オレ達はあくまでアイツの姿を見に来ただけだし、早く目覚めたいなら寝てるのをちょっと揺すって起こしてやれば良いだけみたいだし?
相棒がこの先に居る状況で脱ぐのは不味いという指摘に、姫さんも今更ながらに気付いたのか、ほんのり頬を染めてバツが悪そうな表情を作る。
どうやら純粋に日本式の風呂に興味があって出てきた発言みたいだ。永きを生きる彼女にとってすら未知の文化、というものはとんでもなく新鮮なものだろうから、心惹かれるのは仕方ないのかもしれない。
「で、でもさ……にぃちゃんがこの奥に居るって事は……お、お風呂に入ってる訳で……」
敢えて口に出してなかった事をアリアが言ってしまった。
そう、オレ達がこのまま入るにしても、アイツはこの奥にある浴場で素っ裸で風呂入って、あまつさえ無防備に寝落ちしてる可能性すらあるのだ。
だが、ここで怯むのは間違いだぞ
こっ恥ずかしいのは確かだが……同時にこれはチャンスでもあるんだ。
所詮は夢の中で何言ってんだ、と思う奴もいるかもしれないが……逆にこう考えるのだ、『どうせ夢だし、色々見ちゃっても良いじゃないか』ってな……!
残留思念のシャボン玉は、壊せはしても時間が経てばまた形になって漂い始めるらしい。
つまり、だ。
今もロッカーに頭を突っ込んで何やら探しているチビスケが大半を蹴散らしたとはいえ、放置すればまたオレ達の周囲に集って来るだろう。
これ以上、オレ達の痴態を音声再現されない為にも、この奥にいる相棒と会うのは必須……! 眠りが深いというのなら、ちょっと色々触っちゃったりして刺激を与えるのも不可抗力という訳だ…!
我ながら隙の無い理論武装である。なので、オレ達は堂々とこの先へ進めばよいのだ。分かるかねアリア君?
「ごめん。今、回復魔法使えないんだ。この桶で頭叩くしか治療法が思いつかないや」
真顔のまま、脱衣所に置いてあった手桶を手に取って斜め45度から振りかぶろうとするアリア。
ちなみに姫さんはオレ達の会話を眼を細めて穏やかに聞いているが、ロッカー漁ってるチビからは鼻で嗤うような吐息が聞こえてきた。おう、何か言いたい事があるならこっち見て言ってみろ、子ザル。
取り敢えずアリアの手を押さえ、手桶を元の場所に戻させる。
「さて……言い出しっぺな訳だし、オレが先陣を切らせてもらう」
引き戸に手を掛け、振り返ると……呆れと平常、二種の表情ではあるがアリアと姫さんも頷いてくれた。
軽い興奮で荒れる息を、数度の深呼吸で整えて――よし、いくぞ。
勢いよく、そして意気揚々と、引き戸を開け放つ。
カポーン、と。
オレ達を出迎える様に、浴場と言えばお約束である桶が鳴らす音が響き渡る。
曇りガラスの向こうは、ちょっとした露天風呂だった。
微かに香るのは檜だろうか? 石作りなのに木の香りがするのは相棒の風呂に対する記憶やイメージが混ざって作られた光景だからだろう。
個人用のひっそりとした和風の庵に、温泉露天風呂――相棒の好きそうなシチュのオンパレードである。無意識下でえらく良い夢みてるなオイ。
それで、肝心の相棒だが……確かに
というか、間違いなくそうだ。『枷』だって反応してるし、それは断言出来る。
奴は湯舟には浸からず、竹づくりの管から降り注ぐ打たせ湯の下で、あたたかいお湯にビシャビシャと打たれて気持ちよさそうに高鼾をかいていた。
期待……ん"ん"っ! 予想通り、服は着ていなかったが……全て予想通りとは行かない。
湯に打たれて艶々と輝くのは、濡れそぼった黒と、僅かな白の
起きていればピンと上を向いているのだろう両の耳は、全身が濡れているのと熟睡中の相乗効果で、ペタンと伏せられている。
本来より一回り以上は小さくなってしまった身体には、所々に痛々しい傷の痕が走っている……
もうお分かりだろう。相棒は――今の奴の姿はどうみても犬だった。
しかもバリッバリの日本犬、黒柴である。
……いや、夢だしな、うん。
ましてや本人寝てるし、混ざり込んで来たオレ達のイメージとかも影響してる可能性はあるし、その辺も考慮して然るべきだった。
……別にこの状況なら、ただの夢だというのなら堂々と色々
若干肩を落としたオレとは対照的に、アリアと姫さんは喜色を浮かべて寝こける相棒の傍へと近寄り、膝を着いて手を伸ばす。
「うわぁ……にぃちゃんが可愛くなってる……!! 濡れて無かったらモフモフ出来るのになぁ……!」
「まぁ……これは確かに可愛らしくなりましたね。毛色は正反対ですが、あの仔が小さかった頃を思い出します」
今は文字通りの犬と化しているというのに、全力で気を抜いているのが丸分かりであるアホ面で爆睡を続ける相棒。その鼻がぴすぴすと動き、寝息に併せて鼻提灯が膨らむ……それを見て、オレも即座に気分を立て直した。
うん、確かに可愛いな。肩透かしを感じたのは否めないが、これはこれで十分に良いぞ。
特に獣人が好きとかケモナ―嗜好は無い筈なのだが――中身が相棒というだけでなんかもう普通にイケる。
オレも近寄ると、片膝を着いて濡れた背の毛並みを撫でた。
濡れてると毛並みよりもその下の傷痕が痛々しい。可愛いは可愛いが、先に庇護欲みたいなものが湧いてくる。
ついつい夢想してしまうな。黒柴と化した相棒と一緒に散歩したり、ご機嫌な奴に顔をペロペロされたり、一緒に風呂にはいって身体を洗ってやったり、同じベッドで寝たり……あれ? マジで意外と悪くないな?
実際にそんな状況に陥ったら、困るどころか危険な性癖に開眼する自分が見えて来た。流石に我が事ながらどうなんだ……!
こと自分の
仁王立ちでふんぞり返って現れたのは、さっきまでロッカーを漁っていたチビスケである。
修道衣の裾は捲って襷で固定され、両手で持つ桶はシャンプーボトルや石鹸にタオル、乾燥へちまやらブラシやらで溢れ返っていた。
頭にも一際大きな桶を引っかけるように被っている。今の相棒ならすっぽりと入れそうなサイズだ。
被った桶がデカすぎて前なんて見えないだろうに、迷いの無い足取りでズンズンとやってくると、チビスケはオレ達の間をすり抜けて相棒のとなりに大桶を置く。
そのままひょいっと黒柴ボディを持ち上げて、桶の中へと移してしまう。それでも起きない爆睡中の馬鹿は、脱力した四肢を揺らしながらされるが儘であった。
おチビは桶を押して再び相棒の身体を打たせ湯の下に移動させると、当惑して見ているオレ達を尻目にシャンプーボトルを豪快に押して中身を掌にぶっかけ、そのまま相棒の背中でわっしわっしと泡立て始める。
いきなり始まったシャンプータイムだが、チビスケは妙に手慣れていた。マジで何者なんだよお前……。
わっしゃわっしゃと背中や首回りなんかを丁寧に洗われて、たちまち泡塗れになった相棒。寝惚けたまま、その尻尾が御機嫌とばかりにブンブンと左右に振られる。
その様を見て、おチビ――謎多き黒髪紅眼の少女は、とても嬉しそうに笑った。
言葉を話さない分、オーバーアクションで表情豊かな娘だが……笑ったところを見たのは初めてだ。
自分も泡まみれになりながら、ぶんぶん振られる尻尾に負けない位に満面の笑顔で相棒の背をシャンプーしている。「お客さん、かゆいトコないですかー」なんてふざけて言い出しそうな楽し気な雰囲気だった。
「むぅ……」
隣のアリアから、何となく面白く無さそうな気配が伝わって来る。
傍目にはとてもほのぼのとした、心温まる光景ってやつなのだが……オレには
多分、感じているのは同じ――幾らかの嫉妬と、焦燥感だ。
今は片方が文字通りのワンコとなっているとはいえ、この二人が並び、仲睦まじくする光景は絵になり過ぎていた。
まるでパズルの大きな
――共にある事が当然。腹が立つ程に自然に、そんなイメージが湧いてくる位に。
「…………」
そんなイメージを払拭すべく、オレは無言で一人と一匹の脇に置かれた桶へと手を伸ばした。
ハッ、負けるかよ。こちとら誰であろうと諦めたり譲ったりする気なんてサラサラ無いんだ。
くたくたになって柔らかいへちまのスポンジを手に取ろうとして――。
スッ、と。桶が引かれて伸ばした指先が空を切る。
桶ごと中身を手元に引き寄せたチビスケに視線を向けるが、素知らぬ顔でスルーされた。
再び手を伸ばす。
指先で引っ張られた桶が濡れた床を滑り、回避される。
……手を伸ばす。
今度は露骨に桶が大きく回り込むように移動し、おチビの後ろへと隠されてしまった。
こ、このガキャァ……!
思わず頬が引き攣る。というか、このやり取り気のせいか既視感があるぞ……!?
見た目年下の小娘に威嚇するのも大人げない。もうこの際、素手で相棒を洗ってやろうと、湯で掌を濡らして黒い毛並みに手を伸ばそうとして。
振り向きもせずに泡塗れの手が振るわれ、こんもりと掌に乗っていた大量の泡の塊がビシャっとばかりにオレの顔面に叩きつけられた。
「…………」
無言のまま、顔面を覆った泡を掌で擦り落とす。
立ち上がったチビは、泡濡れの腕を組んで仁王立ちになると――超絶に腹の立つドヤ顔でふんぞり返った。
――お呼びじゃない。弁えろ。
眼は口ほどに、とはこの事だろう。言葉にせずとも一言一句違わず伝わって来る。
露骨に喧嘩を売って来るガキんちょを前に、淑女たる(なんせ聖女だ、否定出来る奴はいない)オレも、流石にちょっと我慢が利きそうに無かった。
やはりコイツは相容れない宿敵だ……! あのとき感じた感覚に間違いは無い……!
「上等だコラァ……! 聖女なめんなよ、べそかいて逃げ出す前に大人しく
顔面にぶつけられた泡を両手に装備し、飛び掛かるオレ。再びの荒ぶる鷹のポーズで迎え撃つチビスケ。
「これは、止めた方が良いのでしょうか……」
「手遅れなんで諦めましょう。もうオチが読めて来た……」
気持ち戸惑ったオロオロとした声と、何だか呆れた様な溜息交じりの声を背後に、桶に収まった相棒を取り返さんと突撃する。
負けられない戦いがここにある……! 覚悟しろドチビオラァ!
うーん……何だか今朝は変な夢をみたわい。
食堂で朝食を食う為に聖殿の廊下を歩く俺は、今朝方に見た奇妙な夢を反芻して首を捻る。
いや、途中までは普通に良い夢だったのよ?
イイ感じの露天風呂でのんびり湯に浸かったり打たせ湯を浴びたりして、心身共にリラックスする夢だ。
昨日、結局帝都での公衆浴場は足湯のみで湯舟には浸かれなかった事を思い出して、その事を未練がましくシアに愚痴ったせいかもしれない。
で、話したのがシアだったせいか、夢にアイツも出てきた。
ぼーっとお湯を浴びていたら、なんか夢なのにドッタンバッタン騒がしい気配がして眼を開けて――そこには唐突に登場してきた我が友人が居たのである。
何故か泡だらけだったシアは、若干眼を血走らせていてちょっと怖かった。そこで目は覚めたんだけど。
まぁ、所詮は夢だ。そもそも悪夢って程怖かったり悪かったりする内容でもないしね。
そんな風に結論づけて顔を上げると、丁度、廊下の向かい側からシアが歩いてくる処だった。
オッス、おはようさん……あれ、どうした? なんか疲れてない?
「おはよう……いや、疲労は無い、と思う。なんだか夢見が悪くて……」
挨拶こそ返してくれるものの、シアはちょっと歯切れが悪いというか、さっきまでの俺みたいに首を傾げている。
なんやなんや、何か嫌な夢でも見たんか? 続くようなら気分の落ち着くお茶とかお香とか用意して寝た方がいいんじゃないのか?
「……ぶっちゃけ、内容は覚えて無いんだよな。ただ、惜しかったというか、不完全燃焼というか……こう、アレだ。『そこで目が覚めるなよ』って感じが凄い残っててさ……」
あー……あるある。良い夢とか見てるとよくある。
中々機会に恵まれないすげー美味いもんとか、食おうとした瞬間に眼が覚めたりな。アレ、勘弁して欲しいわぁ。凄い損した気分になるよね。
そういうのってお約束だよな、と力強く同意を示してやると、シアも「全くだ」と深く首肯して溜息を一つ吐き出す。
まぁ、なんだ。俺はこれから朝飯だけど、お前さんは?
「夢のせいか、いまいち食欲が無くてなぁ……先に、ちょっと朝風呂でも頂こうかと思って」
聖殿の浴場――は、流石に朝一は閉じてるだろうから、自室の浴室か。
体調が悪いなら長風呂とかはするなよ? あと念の為にリアやミラ婆ちゃんにシャワー浴びるって伝えんしゃい。
流石に風呂場で倒れられると俺は易々とは踏み込めない。個人的には調子が良くないなら浴室よりベッドに直行して欲しい処だ。
ゆーても、シアも体調管理はしっかり出来る奴だ。というか出来ないと戦時中にあちこちを飛び回るとか不可能だったし。
本人が自己診断して問題無いと思うなら、身体的には本当に大丈夫なのだろう――一応、朝飯を摂ったら様子くらいは見に行くけど。
じゃ、後でな? と告げて、取り合えずこの場では別れようとして。
不意に伸ばされた手に服の背中の生地を掴まれ、ぐぇ、と短く呻き声が漏れる。
レティシアくぅーん。この服一回ボロボロになったのを帝国で修繕してもらってるから、あまり無体な扱いはやめておくれやす。
「あ……いや、悪い」
咄嗟というか反射的な行動だったんだろうか?
服を掴んだ自身に驚いた様に眼を見張ったシアは、ちょっと慌てた様にパッと手を放す。
だが、数瞬だけ黙考したあと、再び手が伸ばされて今度はそっと裾の端っこを掴んで来た。
「……なぁ」
んん? なんぞ?
背中側に引っ張られた布生地を、前から軽く引っ張り直して調整しているとシアはなんとなく、と言った感じで提案してくる。
「――朝飯の前にさ、お前も風呂入らね? 一緒に」
何言ってんのレティシアさん?(素
「いや、なんだろう、深い意味は……無い、と思うんだけど。なんか唐突且つ猛烈にお前の背中を流してみたくなった」
マジで何言ってんのレティシアさん(二度目
照れるでもなく、揶揄う感じでもなく。
真顔で凄い事を言ってくる金色の聖女様に、ゼロセコンドでツッコミを入れる。
俺も再転生してお前らに治療してもらってからはすっかり健康体だし、その手の話題は色々とよろしくねぇんだよォ! ミラ婆ちゃんに知られたら後がこえーし、聖殿の若い衆に闇討ちとかされそう! きけんがあぶない(白目
如何に危険度の高い発言かを力説する俺に、シアはなんとも言えない――苦笑いとも照れ笑いとも取れる笑みを浮かべて肩を竦めた。
「ん、そうだな。幾ら何でも唐突過ぎたか……まぁ、なんだ。夢見が悪かったせいって事で」
そう言って、今度こそ俺の服を掴んでいた手を放して。
「それじゃ、一人寂しくひとっ風呂浴びて来るとしますか! ――
何時もの調子に戻ると、トレードマークの淡い金髪をかき上げて、ニッカリ笑ったのだった。