ジムカーナのトレーニングを始めてから、しばらく経った4月中旬、ウマ娘レースを取り巻く世論はダービー一色だった、そして、それはここ福山でも同様だった。
「ハァッ…ハァッ…トレーナー!タイム!」
「コンマ2縮まった、だが…まだまだだ」
「うん…明日はもう少し…縮めるようにしないと…」
アラは滝のような汗を流しながら、スポーツドリンクを流し込む。
「今日はこれで終わりだっけ?」
「そうだ、しっかり練習し、しっかり休むんだ」
そう言うと、アラは着替えるために戻っていった。
アラが着替え終えた後、俺達は軽いミーティングを行った。
「アラ、この調子なら、次のレースには『見違えた』って言われるぐらいの走りができると思うぞ」
「うん…取ってみせる…ダービーを…」
そう…俺達が今目指しているのは、『ダービー』だ…と言っても日本中を沸かせている『日本ダービー』ではない
中国地方一のウマ娘を決める『福山ダービー』…これの勝利を目標にしていた。
トレーナー寮に戻ったあと、俺は届いていたある物を受け取り、頼んだものであるのか確かめていた。
福山ダービーの格付けは重賞のSP1……つまり中央のG1に相当する。
つまり、勝負服を着てレースに臨む…………といきたいところだが、地方は中央よりもウマ娘の在籍数が多く、いくら財政が良くなっているとはいえ、全てのウマ娘に勝負服を用意する金など無い。
勝負服が用意されるのは、中央のG1に出る際のみだ。
だが、もちろん代わりの措置は講じられている。
それが、今日届いた『パーソナルカラー体操服』だ。
基本的に、レースの出走ウマ娘達は、体操服で出走する。中央ではハーフパンツとブルマでボトムスが赤、地方ではハーフパンツのみの青だ。
そして、体操服なので、上半身はもちろん白色、それを利用する訳だ。
まず、メインとなる色とボトムスの色を決める。
次に、簡単な模様を決める。具体的な例を上げるとすれば、たすきとか市松模様だ。これでデザインは完成。
完成したデザインはNUARの本部に送る、そうすると、体操服となって返ってくると言うわけだ。
もちろん規定もある、蛍光カラーや鏡みたいにピカピカ日光を反射させるような色については使用禁止だし、複雑過ぎたり、距離感を失わせるような模様(雀野曰く、『ダズル迷彩』とか言うらしい)も駄目だ。。
そして、この体操服は勝負服と同じぐらい、ウマ娘の能力を引き出す事ができる『地方脅威のメカニズム』とでも言うべきだろうか?
まぁ…そんなメカニズムについて、いくら考えても埒が明かない。
だが、体操服について気になる事が一つだけある。
なんで中央は未だにブルマなんて使ってるんだ?
前の世界では、ブルマは消えゆく存在だった。性的好奇心の対象として認知されていて、運動会などの学校行事にでの盗撮、校舎に侵入しての窃盗が社会問題になっていたのをよく覚えている。そしてちょうどそのぐらいの時に『セクハラ』とかいう概念も広がっていた。
ブルマがこの世界でどういう道を歩んできたのかどうかは知らないが、中央以外の学校でブルマが使われているところなぞ見たことがない。
もしかすると……中央のウマ娘達の中には、
いや………この世界の風俗なんて、どうでも良いんだ、中央は中央、地方は地方、外野の俺は口出しできる立場にはない、大事なのは、レースに携わるウマ娘がどういった存在であるかなんだ。
彼女たちはアスリートである前に、心身ともに発達途上の最もデリケートな時期にある。
その事を……俺達、レースを取り巻く者は、よく理解しておかなければならないだろう。
ピロロロロ…ピロロロロ…
……電話…?
「………はい、こちら慈鳥…」
「……ッ!じ、慈鳥トレーナー……?ど…どうかなさいましたか…?」
電話の相手は桐生院さんだった、反応を見るに、かなりやばい声で応対をしてしまったらしい。
「…すいません、桐生院さん、少し考え事をしてただけです」
「そうでしたか…」
向こうが、小声で「良かったぁ…」と漏らしたのが僅かに聞こえた。
「どうかしましたか?」
「ミークの…ミークの青葉賞出走が決定したんです!」
「そうですか…確か青葉賞といえばダービーへのトライアル競走、おめでとうございます」
取り敢えず、相手に祝いの言葉を贈る。
「…いえ、慈鳥トレーナーのお陰です!あれからミークはスタミナ強化メインのトレーニングメニューをやっていたのですが、その結果、レース中の判断力が飛躍的に向上したんです!」
「…そうですか、それは良かったです、こちらも助かっています、あのストレッチ方法はアラのスパートの助けになっていますから」
そして、相手に礼をしっかり言う事も忘れない。
「本当ですか!お役に立てて光栄です!」
「いえいえ、自分たち二人は友人ではないですか、これからも協力していきましょう」
「はい!」
やはり…あちらは若い、それに、親しい友人…それも同い年の人間は少なかったようなので“友人”という言葉を聞いて、かなり嬉しそうな声を出す。
「そちらはどういった感じですか?」
こちらの様子が気になったのか、相手がこちらの状況を質問してきた。
「こっちは今“ダービー”を目指してます、と言っても…地方の“福山ダービー”ですけれどね」
「福山三冠のレースですか!」
桐生院さんはそう言う、地方のことも勉強してくれているとは思わなかった。
「はい、やはり、同世代の強いウマ娘との対戦は欠かせませんから…成績によっては、交流重賞への出走も考えています…もしかしたら、ミークたちメイサのメンバーと対戦するときが来るかもしれませんね」
「本当ですか!?楽しみです!」
その言葉に嘘は無さそうだった。
「ですが、私はまだまだ中央の事に関しては勉強不足の身分、桐生院さんからは色々と学ばせてもらいたいですね」
「は、はいっ!私ができる範囲でなら、お手伝い致します!」
この様子だと、桐生院さんは頼られる事に慣れていないのだろう、もっとも、それは今まで自分一人の才能、努力でやってきたということを示しているのだが。
なら、やることは一つ、簡単な依頼でも良いからそれに対してしっかりとした感謝を示すことだ。
こうすれば、相手は少なくとも嫌な気持ちにはならないだろうし、俺もスローペースだが確実に情報を入手する事ができる、
「なら、早速教えて頂きたいことが有るのですが…」
「は、はいっ!」
「この前の皐月賞のレース、中継を見ていたんですが………」
「すいません桐生院さん、丁寧な説明、本当に助かりました。ありがとうございます」
「いえ、お役に立てて嬉しいです!」
俺は電話を切った、とりあえず、今回は皐月賞2着のウマ娘、キングヘイローとその所属チームについて聞いてみた。
キングヘイロー………母親が有名なプライドの高いお嬢様のウマ娘、学園内では取り巻きを侍らせているとかいないとか、そして一番の注目ポイントはその末脚、彼女の負けず嫌いな性格も相まって、強力な武器になるらしい、皐月賞ではセイウンスカイに追いつけなかったものの、成長すれば恐ろしいものになるのは確かだろう。
そして、そんなキングヘイローの所属チームがヤコーファーだ、わかヤックル座にある四等星が名前のモデルになっているようで、チームメンバーにはキングヘイローの他にそのルームメイトたちがいるらしい。
さらに、ヤコーファーのトレーナーについても追加の情報を手に入れることができた。そのトレーナーは、以前、桐生院さんが言及していた同期の男らしい。日常生活の事をなんでもトレーニングに応用する人だとか、だとしたら、相当な変人だな。いや…人のことは言えんか…
というか、『わかヤックル座』って…何だ?この世界では
まあ良い、とりあえず桐生院さんとは今後も良い関係を維持していくべきだろう。
福山ダービーまで後2週間を切った
そして、私はトレーナーから「良いニュースがある」と言われ、待っていた。
「アラ!お前のパーソナルカラー体操服、完成したんだ!早速着てみてくれ!」
「分かった」
トレーナーは部屋を出る。
「これが…私の…パーソナルカラー体操服…」
私は体操服を手に持ち、広げてみた。
「…懐かしい……」
私のパーソナルカラーは、白と黒、そしてデザインは前世で騎手たちが付けていた勝負服のたすき柄をモデルにしている。
スッ…
私は昂る気持ちを抑え、体操服に袖を通した。
「終わったよ」
「よし…どれどれ、どんな感じだ?」
「…どう?」
「…よく似合ってるぞ、シンプルイズベストだ」
トレーナーはニコリとしてそう言った。
確かに、私のパーソナルカラーは同期の皆の中では一番シンプルかもしれない。
コンボは緑地に黄色の零戦カラー、チハは臙 脂色、ワンダーはオレンジ、ランスはグレーだ。
「ダービー…行けそうか?」
みんなのカラーを思い出しながら身体をひねって異常が無いか確認する私に、トレーナーがそう問う。
「…分からない、でも、やってみせる、だから…………………観てて」
私はそう返した
恐らく、トレーナーは福山ダービーより先のことまで考えてくれているんだろう、そんなトレーナーには、ぜひ…ダービー優勝をプレゼントした──
「…ッ!?」
突然 頭痛に襲われる
『──そう、それで良いのだ、行け…行くのじゃ…お前こそ…究極の馬…』
…また…あの声だ…
「アラ!アラ!おいどうした!?」
「……!」
トレーナーの声が聞こえ、私はハッと我に返る、頭痛は引いていた。
「大丈夫…一瞬、頭痛がしただけ、睡眠の質…悪いのかも」
「……なら、今日のトレーニングは止めだ、銭湯に連れてってやるから、帰ってからゆっくり休むんだ」
「…分かった」
結局…あの声は何なんだろう?
…でも、今はダービー直前、気にしている余裕は無い。
他のことに目を逸らしてしまったから、はがくれ大賞典は負けた。
同じミスは…二度としない。