「トレーナー、タイム!!」
「…最高記録から0.1秒遅れてるな、十分間休憩してもう一度だ」
「分かった!」
あの後、アラは無事に、こちらに戻ってきてくれた。力に支配されず、誘惑をはねのけたのだ。
「よっし!!良いタイムだぞ、チハ!!」
「ええ!」
向こうのほうでは、軽鴨とチハがトレーニングを行っている。あの二人も出る。俺達が狙っている……帝王賞に。
「アラー!!頑張れ!!」
「チハちゃんも頑張れ〜!!」
そして、トレーニングを見に来ている地元ファン達は、声援を贈る。
今度の帝王賞は地方、中央のウマ娘が集う、ダートグレードレース、であれば、地方のエース対中央のエースの戦いが、大きく注目される……はずなのだが…
「真紅の稲妻に負けるんじゃ無いぞー!!」
「福山の強さ、水沢に見せつけてねー!!」
フェブラリーステークスの覇者である、水沢のエースチーム“キマイラ”のウマ娘、真紅の稲妻が出走するため、世間はそちらの方にも注目していた。
そして、その流れに乗ったのがウチの生徒会長であるペルセウス、水沢の生徒会長カシヤマウィレムで、二人は帝王賞に向けての記者会見を豪華なモノとした。
そのおかげもあって、今回の帝王賞は“水沢の真紅の稲妻とチャレンジャーである福山”の構図が広く浸透し、地方対中央はおまけのような感じとなっていた。
当然、中央は良い気はしないだろう。だが、そうなることで当事者であるアラは気が引き締まる。
そして、それは俺も同じだ。
世間はウマ娘同士の対決に目を向けてしまいがちだが、そればかりでレースを見てしまうのは、少しもったいない。
レースは、レーサー同士の戦いであると同時に、マシーンのチューニングを行うメカニック同士の戦いでもあるからだ。
レースというのは、ドライバーのテクニックだけで勝つんじゃない、メカニックによるセッティングも大事になってくる。
メカニックがヘマをすると、レーサーは敗北、いやそれ以上のこと…つまりは命を失うことだってある。
そして、このウマ娘レースでは、トレーナーがメカニックの役割だ。だからレースに備える俺の気持ちは
その点を大鷹校長は考えてくれていた。あの人は、“水沢の真紅の稲妻とチャレンジャーである福山二人の対決”だけでなく“水沢のベテラントレーナーと新進気鋭のトレーナー”の対決という形でもアピールしてくれていた。燃えてくるものだ。
「夜道、気をつけろよ」
「うん」
いつものように、アラを銭湯に送り届けた後、俺はカフェに入り、コーヒー片手に今回の帝王賞の一番の強敵、水沢の鵺さんの分析を行うことにした。
俺は情報を纏めたファイルを開き、情報を眺める。
まず、鵺さんを一言で言うと、異質な存在であるということだ。
これは悪い意味じゃない、水沢トレセン学園のトレーナー、ウマ娘は全般的に武人肌の人物が多い傾向にあり、戦術も正攻法が多かった。しかし、鵺さんは気さくな人柄で、他のトレーナーとは違う雰囲気を外部に放っており、コミュニケーションの中で様々な情報を吸収し、教本にとらわれない策を考えていくタイプのトレーナーだった。
だが、その異質さが、学園内の他のチームを刺激、水沢の強さの原動力を作っていた。
そして、彼と共にレースに挑む真紅の稲妻、彼女自身は武人肌なものの、柔軟な思考を持ったウマ娘だ。
この二人とはこれまで、一度も対戦した事は無いが、強敵であることは紛れもない事実、そのことを常に頭に置きつつ、俺はペンを走らせた。
帝王賞も近づいたある日、中央トレセン学園の食堂ではあるウマ娘を祝うささやかなパーティーが催されていた。
「ハード!安田記念制覇、おめでとう!!」
ジハードインジエアは、プレ大会での経験を活かし、作戦を先行から差しに変更し、一番人気のグラスワンダーをマークして捉える戦法で見事、一着を勝ち取ったのだった。
「あの脚は凄かった、凄い高度なトレーニングしたんだよね?」
「うん、トレーニング、新しいのに変えたんだ。でも、変わったのはトレーニングだけじゃない」
ジハードインジエアは、得意気にそう言う。
「えっ!?」
「私、気になります!!」
他のウマ娘達は、目をキラキラさせて、ジハードインジエアの方を向いた。
「変わったのは…勝負服……正確に言うと、そのメーカーなんだ」
ジハードインジエアは、満を持して、そう答えた。
「メーカー…?」
「どういうことですか…?」
「ハード、選手交代、ここからは私が説明する」
それを聞いたウマ娘達は、良くわからないといった顔をした。そして、ハッピーミークは、ジハードインジエアに代わり、説明役を買って出た。
「まず、私達の勝負服は、URAにデザイン申請して…許可を貰って作る…」
「うん、そうだね」
「それで、普通、トレーナー達は、アナハイムクローディングスっていう企業に、勝負服を注文する、でも、今回ハードの勝負服はユーナリィって企業に注文したもの…」
「勝負服は注文するのは知ってましたけど、企業名までは知りませんでした…でも、企業が違うと、何か変わる点でもあるんですか?」
「……うん」
後輩のウマ娘の質問に、ハッピーミークはニコリとして答えた。
「…桐生院さんは、普通とは違うところに、勝負服を発注した…ということで良いんでしょうか?」
「はい、そうですが、どうかしましたか?」
一方、廊下では、桐生院と彼女の同期であるキングヘイローのトレーナーが会話していた。
「自分たち中央のスポンサーは、アナハイムですよね?」
「はい」
「桐生院さん、貴女のやっている事は、スポンサーに対する侮辱なのではないのですか?」
桐生院の同期は、管理プログラムの導入により、チームの活動支援という恩恵を受けたものの一人である。それ故、アナハイム等のスポンサーがトレセン学園にとってどれだけ大事なものなのかを理解していた。彼の発言は、それを根底に置いたものだった。
「…そう思われてしまうのも、仕方がないことですね……確かに私が勝負服を注文した企業、ユーナリィは、地方のスポンサー企業です。その製品の殆どは、地方に供給されています。しかし、地方は私達と比べて、ウマ娘の数が多い…そしてその体格も千差万別です。ですから、私は、ユーナリィの方が、小柄なウマ娘に最適化された服を作るのに長けていると思ったんです」
「地方のスポンサー企業の製品を…?桐生院さん、背信行為ではないのですか?」
「背信行為…?…私はハードさんのために、理想と思ったメーカーを選んだだけです。私は今の中央に対して、ウマ娘のための理想的な環境づくりが出来ているとは思っていませんから」
「それは、そちらが上の推奨プランに従っていないからじゃ無いですか?」
同期は桐生院に対し、そう追求する。
「私はその体制を疑問に思っているのです、私はこれからの時代は、出自、血統、体格、信条といった様々な要素にとらわれる事なく、様々なウマ娘が活躍していく時代だと思います…貴方はどう思うのですか?」
「俺は“長い物には巻かれろ”と思うんですけれどね」
同期の言う事も、最もであった。彼は慈鳥が試験に落ちた理由を知っている。そしてその理由は、簡単に言えば“中央に合わない人物”というものであったからであり、彼に長い物には巻かれろといった思考をもたらすのには十分な材料だった。
「……そうですか」
二人の間には、良いとは言い難い雰囲気が漂っている。だが、それは現在の中央で起きていることの、ほんの一部にすぎない。
「……ふっ…ふっ…ふっ……!!」
一方、その頃、グラスワンダーは必死でトレーニングに励んでいた。彼女は安田記念で敗北してから、オーバーワークにならないギリギリのラインまで、トレーニングを増やしていたのである。
「グラスちゃん、無理は禁物だよ?」
「トレーナーさんから言い渡された限度は守っています、そういうセイちゃんだって、さっきまでペンチブレスをやっていたではありませんか、何故戻って来たのですか?」
「食堂……なんだか、物凄く居づらいんだよね、だから、こういうときはトレーニングしかないと思ってさ」
「そうですか……」
「そりゃあね………それと…なんかさ……勝ちたいんだ、とにかく勝ちたい、勝ちたい…最近、寝るとき以外は、その四文字が、頭の中で浮かんでるんだ」
「私も同じです……勝たないと…」
この二人は、学園の上層部からも、URAからも、最も期待されたクラスのメンバーである。そして、その期待どおりに彼女達は走り、多くのファンを魅了し、栄光を手に入れてきた。つまり、彼女達は、他のウマ娘に比べ“つまづいた”経験が少ないウマ娘であった。
それ故、彼女らの心の中には、その栄光を失うことをひどく恐れる意識があったのである。
そして、その意識は、アラビアントレノ、ハッピーミークといった、“周囲を驚かせるウマ娘の台頭”をきっかけとして、まるで風船の様に、どんどん膨らんでいったのであった。
そして、その感情は嫉妬へ、勝利への渇望へと変化していく。最も、これは二人に限った話では無かった。そして、台頭してきたウマ娘を「勝たせたくない」という思いを芽生えさせるウマ娘も、少なくは無かった。
帝王賞当日、私は控室に入ろうとしていた。トレーナーは先に入っている
「あれは…」
ふと、足を止める。その視線の先には、今日一番の強敵がいた。
そして、向こうもこちらに気づいたようで、こちらに向けて歩いてくる。
「あなたがアラビアントレノか?」
「はい、そうです、“真紅の稲妻”…“メイセイオペラ”さんですね?」
メイセイオペラ、栗毛の髪に、真紅のメンコをつけたウマ娘。彼…いや、彼女を見ると、懐かしい気持ちになる。姿は違えど、放つ風格は変わらない。
「ああ、私がメイセイオペラだ。水沢のウマ娘を代表して、全力でぶつからせてもらう、よろしく頼む」
「……!」
私は一瞬固まってしまった。
『あなたのような馬がいるお陰で、出走馬達も安心して出走できる、出走馬を代表し、礼を言わせて貰いたい、ありがとう』
彼女と彼が、重なって見えたからだ。
……放つ風格といい、この物言いといい、彼女には、彼の魂が宿っている。
「こちらこそ、よろしくお願いします、こちらも福山の代表の一人として、全力で向かわせてもらいます」
運命的な何かを感じながら、私は差し出された手を取った。
アラビアントレノと握手を交わしてから控室に戻ったメイセイオペラは、出走準備を進めていた。
「…オペラ、どうかしたのか?いつものお前と違うように感じるが」
しかし、メイセイオペラの様子がいつもと違うと鵺は気づき、そう聞く。
「トレーナー殿…私は先程、アラビアントレノに会い…握手を交わした、その時、不思議な気持ちになったんだ」
「…不思議な気持ち…?」
「…何だか、運命的な何かを感じる、懐かしいような、彼女とはどこかで会った事があるような…というものだ、こんな気持ちは初めてでな…」
「なるほど…」
鵺はゆっくりと頷いた。
「オペラ、勝負への情熱は、変わらないだろう?」
「トレーナー殿…それはもちろんだ。期待薄の身から、ここまで育ててもらった恩を、私は忘れていない」
メイセイオペラの言葉に対し、鵺は笑顔になって彼女の頭に手を置いた。
「そうか…なら、全力でぶつかって来い」
「無論…!私達ウマ娘の生は…何を成したかで決まる…」
メイセイオペラはシューズの紐を締め、控室の扉を開け…
「見事、優勝トロフィーを持ち帰ってご覧にいれる」
と言い、パドックへと向かっていった。
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メイセイオペラについてですが、ある二人のキャラクターをモチーフにしています。彼女のパーソナルカラー体操服はこのような感じです。
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