ストップウオッチ片手に、アラを見る。
彼女は尻尾と後ろで結んだ髪の毛で2つの
「トレーナー、タイム、どうだった?」
「良い感じだ、やはりコーナーが速いな、自分で改善したいことは何かあるか?」
「…コーナーからの脱出速度かな?ちょっと遅く感じる、どうすれば良い?」
アラにそう言われ、俺はビデオをチェックする。
「踏み込みのパワーは足りているな、ならば、フォーム…いや、足だ」
「…足?」
「お前、足は動くか?」
「まあ…人並みには」
「なら、コーナーから脱出する時に足の踏み込み方を意識するんだ、足の裏で砂を掴むように走ってみてくれ」
「分かった」
ダッ!
アラは走っていった。
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トレーニング後、俺は一人、私室で夏のトレーニングの事について振り返っていた。
夏の間にアラについて気づいた事が一つだけある。
それは、気候条件の変化が、殆どタイムに影響しないということだった。
簡単に言えば、“夏バテしない”、これは明らかに凄いことだった。
ウマ娘は、俺達通常の人間と比べて、骨格が丈夫でパワーも遥かに上、更にヘビやイモガイの毒を受けても死なないなど、身体の耐久力において大いに勝っている。
だが、彼女たちは、気温や湿度の変化に対しては俺達人間と同様、いやそれ以上にデリケートな種族だった。
ストレス耐性も少しだが人間より低い。
恐らく、これはウマ娘が俺の前世における“馬”…いや“サラブレッド”にあたる種族であるからなのだろう。そして、前世、相棒は“サラブレッドはかなりデリケートな存在”と言っていた。
だが、アラは違っていた、皆が嫌がるムシムシとした雨の日でも、肌を焼くような日差しが照りつけても、苦しい顔を見せず、トレーニングに励んでくれていた。
だが、気になる事もあった、アラは普通のウマ娘と比較して、大量の汗をかく、これは全く原因不明だった。それでもって平気な顔をしているのだ。医者も“代謝が良すぎるとしか言えない”としか言わなかった。
本人が平気な顔をしているとはいえ、流石に心配になる。アラは平均よりも身体が小さい、当然、身体に含まれる水分量も少ないからだ。だから、俺は常に大量の水分と塩分を用意していた。
そんなこんなで、今年の夏は終わった。
後は…未勝利戦で勝つのみ。
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未勝利戦当日、天気は雨、更に残暑の影響で蒸し暑かった。
俺はパドックを周回しているアラを見つつ、今回の出走表を確認する。
1 | ダンシングレヴェル |
2 | ミッドナイトアイ |
3 | サカキムルマンスク |
4 | パワードサイレンス |
5 | エンジェルパック |
6 | ニシノコオリヤマ |
7 | サンデーストライク |
8 | アラビアントレノ |
今日のアラは、大外枠、基本的に不利だ。だが、今回のウマ娘を見るに、その不利も僅かなものに過ぎないだろう。
未勝利戦自体は、夏休み期間中にも行われている、それ故、この段階で残っているウマ娘達は、お世辞にも強いとはいえない、それに、トレーナーの中には俺達のようにマンツーマンでトレーニングをつけるのではなく、複数人のウマ娘を持っている者も少なくはない、そういったトレーナーは大抵未勝利ウマ娘ではなく他を優先し、未勝利ウマ娘に対しては自主トレーニングのみを課して放置しているという者もいる。
事実、今日の出走ウマ娘はそのほとんどが、そういったケースに当てはまるようで、仕上がりの不完全さは否めない様子だった。その一方でアラはこの夏休みの間、しっかりとトレーニングに励んできた。この仕上がりに匹敵しているのは、あの選抜レースでアラと同じグループにいたサカキムルマンスクぐらいのものだった。
『8枠8番、アラビアントレノ、3番人気です』
『仕上がりは上々のようですね、好走に期待したいところです』
この気温と湿度の中、きちんと気合いも乗っている。
選抜レース、そしてデビュー戦、その2つのレースの時とは何か違う物を俺はアラに感じていた
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パドックを出て、無言でゲートに入る、あれだけトレーニングしたんだ、自信を持て…私…
『各ウマ娘、ゲートイン完了、スタート体勢に入りました、未勝利戦、ダート1800m』
ガッコン!
『スタートしました!』
ダッ!
私はベストなタイミングでゲートから出ることに成功した、だけれども、やはり、一瞬の加速力、つまり瞬発力はサラブレッド達には敵わない、でも、今日の戦法は追込、後ろから追走して集団から離されないようにすれば良い。
『先行争いを制したのは4番パワードサイレンス、続いて5番エンジェルパック追走、1バ身離れて3番のサカキムルマンスク、内から行くのは6番のニシノコオリヤマ、その後ろには1番ダンシングレヴェルと2番ミッドナイトアイ、その真後ろに8番アラビアントレノ、その内側に並びかけるように7番サンデーストライク』
よし、後ろの方に控えることができた。
サカキが作戦を変えている、サカキはこれまでのレースでは差しだった、でも、今回はここのレース場で有利とされている先行策、手強い。
向正面を駆け抜け、第3第4コーナーのカーブを曲がっていく。
ゴンッ……!
「…ッ!ご…ごめ…」
『おっと!第3コーナーと第4コーナーの境目で最後尾7番サンデーストライクが8番アラビアントレノに衝突!』
『特に異常は見られないようですが、心配ですね』
ぶつかられた…多分この娘は…レース勘が抜けている、恐らく…トレーナーから自主トレを指示されて、我流のトレーニングを続けてきたんだろう。
だから遠心力に流されるんだ。
別に転倒するような衝撃でもないから、怪我の心配はない。
でも………まずいな…ペースを崩されてアウト側に弾かれたし、少し離された。
それに弾かれたことでスリップストリームから抜けてしまったから、加速力が落ちる。
なんとかして…戻らないと…
『8番アラビアントレノ、うまく立て直して前に追いつきつつあります!第4コーナーカーブを抜けて各ウマ娘、一度目のスタンド前を通過していきます!4番のパワードサイレンス引き続き集団を引っ張っています、負けじと追う5番エンジェルパックと3番サカキムルマンスク!後続も続いているぞ!4番手は1番ダンシングレヴェルから6番ニシノコオリヤマへ、その後ろでは2番ミッドナイトアイが追走中…おっとここで2番ミッドナイトアイの後ろにつけていた8番アラビアントレノ、スッと出てミッドナイトアイの前へ!』
夏のトレーニングでは、私は体力を強化した。その理由は、ロングスパートだけじゃない。相手のペースを乱すためでもある。
前世、サラブレッドに追いつくには、それなりの苦労を必要とした。
後ろから鳴き声で集中力を揺さぶったり、クォーターホースを先に行かせて前を塞いだりして、追いついていた。
生憎、その2つともレースでは出来そうにない、だから私は相手を動揺させるための方法として、変な所でスピードを上げて動揺を誘う戦法を身に着けた。
レースは勝負、動揺させるのも、フェイントをかけるのもテクニックの一つ、それがトレーナーから教わった事だった。
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『8番アラビアントレノ、うまく立て直して前に追いつきつつあります!第4コーナーカーブを抜けて各ウマ娘、一度目のスタンド前を通過していきます!4番のパワードサイレンス引き続き集団を引っ張っています、負けじと追う5番エンジェルパックと3番サカキムルマンスク!後続も続いているぞ!4番手は1番ダンシングレヴェルから6番ニシノコオリヤマへ、その後ろでは2番ミッドナイトアイが追走中…おっとここで2番ミッドナイトアイの後ろにつけていた8番アラビアントレノ、スッと出てミッドナイトアイの前へ!』
アラの奴、上手く煽ってるみたいだな。
「隣、よろしいですか?」
俺が観戦をしていると、隣に一人のウマ娘が座ってきた。
「ハグロシュンランか…副会長が何故ここに?」
「私、個人的にアラさんに興味がありまして、こうやって駆けつけて観戦していた次第です。そして慈鳥トレーナーを見つけ、ここまで来たのです」
「そうかそうか、どうだ、俺の担当は?」
「かなり良い仕上がりだと思います、ですが、なぜあのタイミングで仕掛けたのですか?」
ハグロシュンランは俺にさっきのアラの行動に対する疑問をぶつけてくる。
「それは相手の集中力を乱すためだ、この蒸し暑さだ、ただでさえ集中力は鈍る、そして実況の音声は耳の良いウマ娘なら嫌でも聞こえる、ただでさえ集中を維持しづらいのに、変な所で仕掛けたなんて知らせが入ったら、絶対に動揺するだろう?」
「確かに…そうだと思いますが……ですが、それにしては仕掛けが早すぎるのではないですか?」
「おいおい、俺はまだ仕掛けがこれで終わりなんて言ってないぞ?」
「……まぁ…」
ハグロシュンランは両手を口に当て、驚いていた。
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現在、私達は、向正面を駆け抜けている。
さっきの私の行動に動揺して皆一瞬ペースを乱したので、こころなしかスピードが遅いように感じられる。
もうすぐ第3コーナーカーブ。
賽は投げられた。
私は足に力を込める。
『さあ、もうすぐ第3コーナーのカーブ!ここが最後のコーナーになります!最後まで気は抜けません!』
ドゴン!
『えっ!?な、なんと!8番アラビアントレノ、第3コーナーに入った直後に6番ニシノコオリヤマの後ろから脱してスパートをかけている!』
タッタッタッタッタッタッ…!
さあ…どう来る?サラブレッド…!
『8番アラビアントレノ、少しずつですがスピードを上げて外からまくりあげていきます!』
「無理ィー!」
『1番ダンシングレヴェル、8番アラビアントレノに抜かれてしまった!』
「諦めるわけにはいかない…負けないんだから!」
『ここで3番サカキムルマンスク、こちらも8番アラビアントレに追随するかのようにコーナーを曲がりきらないうちにスピードを上げてきた!』
サカキ…来たんだ…そう…そうやってくれると…こっちも楽しくなってくる。
「無理ぃー!」
「ムリぃ〜!」
『第4コーナーを抜ける直前先頭二人、4番パワードサイレンス、5番エンジェルパック!抜かれてしまった!』
コーナー出口…!
ここは…足裏で砂を掴むように……!
ザッ…ダァァァァン!
『第4コーナーを抜けて8番アラビアントレノ、3番サカキムルマンスクに半バ身差のリード!接戦だ!接戦だ!接戦だ!残りは100メートル!』
勢いを殺させる訳には行かない…!
行っけぇぇぇぇぇぇぇぇ!!
『ゴールイン!勝ったのはアラビアントレノ!!後方からのゴボウ抜きは、見事の一言でした!』
私は掲示板を見上げる。
熱くなり大量の汗が流れている体に、雨が打ち付けられ、冷えていく。
それと同時に、観客達の歓声や拍手が聞こえてくる。
「おめでとう!」
「よく頑張った!!」
「凄かったぞ!」
これが…勝利。
これが…レース。
人間達が夢中になるわけだ。
「アラちゃん…」
私は声を耳にして、思わず振り返る。
「サカキ………」
「今日は…おめでとう!私…凄く…凄く楽しかった」
「…うん、ありがとう、私も…楽しかった」
私達は握手をした。
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俺はアラがゴールするや否や、すぐに下に駆け下り、出迎えた。
「アラ…おめでとう、やったな」
「ありがとう、トレーナー」
「これで、夢に向かって一歩前進だな」
「…うん、これからもよろしく」
「ああ、さあ、これからはウイニングライブだ、応援してくれた人たちに、歌で感謝を伝えて来い」
俺がそう言うと、アラは頷いて駆け出していった。
そう言えば、ライブの曲に関しては…アラに一任していたが……どんな曲なんだ?
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『それでは、本レースにて見事勝利致しましたアラビアントレノに、ウイニングライブを披露して頂きます!』
そのアナウンスが響くのと同時に、曲のイントロが流れ始める。
「嵐の中で輝いてその夢を諦めないで…」
この曲…全く聞いたことがない…だが…良い曲だ。
「凍りつくような強い風でさえその胸に輝く夢を消したりそうよ消したりなんて出来ない…」
…そう、誰でさえ、夢を邪魔することなんて出来ない。
俺はウイニングライブの曲に浸りながら、俺の願い、そしてアラが抱いているであろう夢を叶えるために頑張っていこうと改めて誓った。
だが、まだ俺達はスタートラインに立ったに過ぎない、ここからはさらなる強敵とぶつかる事になる。
備えなければ。
翌日、中央トレセン学園の生徒会室では、生徒会長シンボリルドルフ、そして副会長エアグルーヴが紅茶を飲みながら、書類を片手に話をしていた。
「あの発表からしばらく経ったが、生徒達は、去年よりさらに奮励努力して、トレーニングに励んでいてくれているようだな」
「はい、夏合宿での熱の入りようも凄まじいものがあったと聞いています、特に来年クラシックを迎える生徒達です」
「そうだな、特に、君が言っていたあの四人には、素晴らしいものがある」
「この四人ですか」
エアグルーヴは四人のウマ娘の資料を取り出した。
「君なりの評価を述べてくれないか?」
シンボリルドルフにそう言われ、エアグルーヴは書類を手に持った。
「はい、まずはグラスワンダー、我々リギルの新人にして、マルゼンさんを彷彿とさせるような強い走りが特徴です、次にエルコンドルパサー、こちらはグラスワンダーのルームメイトです、スタミナに秀でており、闘争心も高いので、デビュー後が楽しみです、次にセイウンスカイ、模擬レースでは様々な策を用いて、確実に勝利を重ねていると聞きます、フォームも綺麗です、そしてキングヘイロー、彼女はグラスワンダー並みの末脚を持っており、さらには負けん気が人一倍強く、差されても差し返す傾向があります、血統も優秀です………以上です、この四人について会長はどのようにお考えですか?」
「私も概ね同じだ」
シンボリルドルフは満足そうに頷いた。
「だが、一つ見落としていることがあるよ」
「……?」
「血統だ、血統が優秀だから本人も優秀だとか、母親が競走ウマ娘じゃないから本人には素質が無いという事は無い、さらには都会や田舎といった出身も、本人の競走能力を決めてしまうものでは無い」
「…まだまだ私も未熟なものです」
エアグルーヴは悔しさを声に含ませる、エアグルーヴは、今年になって副会長に選出されたばかりである、彼女の前の副会長は、ドリームトロフィーリーグへの注力のために、副会長の座をエアグルーヴに譲ったのであった。
「君は今年副会長となったからな、これからの経験で、学んでくれれば良い」
「分かりました、ありがとうございます」
「私はここでもう少しやることがあるので、先に戻っていてくれ」
「はい、それでは、お先に失礼致します」
エアグルーヴは残っていた紅茶を飲むと、部屋を出ていった、それを見届けたシンボリルドルフは校庭で自主トレーニングする生徒達を見た。
「マックイーン、ボクについてこれるかな?」
「テイオー!負けませんわ!」
(テイオー…頑張っているようだな)
シンボリルドルフの目に入ったのは、中等部の生徒トウカイテイオーとメジロマックイーンだった、シンボリルドルフはトウカイテイオーに対し“大成し、強いウマ娘となる”と思っており、その将来に期待し、目をかけていた。
(…他の生徒達も、気合いが入っている、3年後に向けた準備をきちんと進めてくれているようだな…)
生徒達が頑張っている姿を見たシンボリルドルフは続いて先程までエアグルーヴが持っていた資料を手に取った。
(…エルコンドルパサーはどちらにも適性があるようだが、他の三人は皆、ダートの適性は低い、シーキングザパール達が居るとはいえ、やはり、現在のトゥインクルシリーズのダートを担う人材は芝と比べるとかなり薄い、そして芝とダートの両方を走ることのできるウマ娘は極わずか……海外遠征強化計画、これの実現のためには、競走ウマ娘達だけではなく、指導役となるウマ娘達も必要だ…)
「指導役……か……」
シンボリルドルフは目を閉じ、思いを巡らせる。
「痩せた土地と同じように…減った人材というのも、回復させるのは至難の業…ということか、AUチャンピオンカップはウマ娘達の新たなスタートライン…しかし、指導役が…彼女さえ、居てくれれば…良かったのだがな」
夕陽差し込む生徒会室で、シンボリルドルフは一人、そう呟いた
お読みいただきありがとうございます。
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