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2014.6.11 誤字修正と一部修正
ゆらゆらと揺られるそこはまるで揺り籠のようで気持ち良い。少々太陽が元気すぎるのはマイナスだけれど、と伊吹は薄らいでいく意識の中で思っていた。
空を見上げようとして、その程度の動作さえ億劫で、閉ざされていく視界の中にやっとの事で捉えた南方の太陽は世界を真っ白に染め上げて、
……そういえば、あの時もこんな感じだったっけ。
灰色の世界の中、体育座りをしていた白い影を思って伊吹はくすり、と笑った。
黒い髪、Tシャツにズボン。そんなどこででも見かけるような服装の青年は目を開け、
「よう、起きたか?」
聞き覚えのない声をかけられた。
寝起きの為にあまり働いていない思考の中、青年は声がした方へと振り返り――挨拶のつもりか、片手を上げて体育座りをしている白い影が目の前にある事に気が付いた。
「…………はぁ?」
思わず声を出してしまった青年だが、その白い影は特に気にした様子もなく、
「まあ、落ち着けよ。最初に言っとくぜ?お前が知りたい事が何かなんてのは言われなくても分かってる。分かっちゃいるが、それにいちいち答える時間はない」
そう強い調子で言う。
青年はそんな白い影の言い分に眉を顰めるが、
「これを見ろ」
白い影は全く意に介さず、どこからか1つのディスプレイを取り出し、青年に見えるように床へと置く。
青年は何かを言おうと口を開くが、
「何だこれは?」
そのディスプレイに映るものを見て、不機嫌から戸惑いへと表情を変えた。
ディスプレイに映っているのは模様のようなものだった。幼児が適当に塗りたくったような極彩色の背景の中、ぽつんと白い模様が浮かんでいる。しかしその模様について説明するのは難しい。
歪みに歪んだそれは図形では表現できず、不定形のアメーバを適当に積み重ねればそんな模様になるのではないか――そんな奇妙な姿をしていた。
「その白いのがお前だよ。お前という存在の魂を視覚化したもんだ――ってえらく面白い形してんな。お前、どっかおかしいんじゃね?」
白い影は笑みを含んだ声でそんな事を言い、青年は声を荒げ、
「おい、いい加減にしろよ。こっちは何が何だか分からないってのに――」
しかし、その言葉は白い影が真っ直ぐに手を突き出し、青年のへと手のひらを向ける事で中断させられる。
「検索開始、っと。よし、これであんまり多くはねえが……時間ができたな。俺は今何をやっていると思う?」
「だから一体――」
青年は思わずその白い影に掴みかかろうとするが、それは果たせなかった。青年の身体は何の抵抗もなく、その白い影をすり抜けたからだ。
しかし、転倒しかけた青年を白い影は支えた。
前のめりに転びかけた青年の背後からしっかりと肩を掴む事で。
「お前からの肉体的接触は不可能だ。理解したな?じゃあ解答だ。これはな、お前に合うピースを探してるんだ」
肩を掴んだままの白い影の手を振り払おうと手を上げ――青年は動きを止めた。そして不機嫌極まりない声色で、
「合うピース?」
「ジグソーパズルみたいなもんだ。分かりやすいだろ?」
「……探すって言ってるが合うピースが見つからなかったらどうなるんだ?」
その青年の疑問に白い影は肩を竦め、
「残念、外れ。お前は意識がなくなって、次に目を開ければ、お前がここで目を醒ます前に目を閉じた場所だろうさ」
「それは……今のこれは夢だって解釈で合っているか?」
「見つからなかった場合はそうだって事にしといた方が幸せだろ。ま、どうせ何も覚えちゃいないんだけどよ」
ディスプレイの中、もの凄い速度で青年の模様の上に半透明の様々なものが重なっては消えていく。重なりそうになったり、かけ離れていたり、明らかに図形のようであったり、良く分からない染みのようであったりと、目まぐるしく変わっていくそれらを眺めながら白い影は言葉を続けた。
「どうした?ずいぶんと大人しいじゃねえか。ああだこうだと騒ぎ続ける奴だっているらしいのによ」
「どうしようもないからだ。殴ろうとしたって無駄、質問しようにも最初にいちいち答えないと言われてる。この状況じゃそっちに乗っかるしかない」
静かに返す青年に白い影はフン、と笑い、
「そういう殊勝な事を言うんなら、そのおっかねえ目つきを何とかしてから言うんだな。ま、別にどうでもいいけどなー」
青年は鋭い視線を白い影から離す事はなく、何かの言葉を返す事もなかった。
そして5分ほどの時間が無音のままに過ぎ、
「よし、次の質問だ。観測者って言って分かるか?」
唐突にディスプレイに背中を向け、白い影は青年に向き合ってから問いかけた。
「観測?何かを調べろっていう事か?」
「違う。ならシュレディンガーの猫って言葉に聞き覚えは?」
「ないな」
「あんま楽しい人生送ってきてねえだろお前」
「人生?平和ならそれで十分だろう」
「平和って何だよそれ。日常に混じるちょっとしたスリルとかにロマン感じねえ?」
「興味はない」
「なら、お前の日常を壊そうとする奴って、お前の何だ?」
「敵だ」
「おいおい即答かよ。じゃ、目の前で泣いてる子供がいたらどうすんだ?」
「なだめて理由を聞いてどうにかするに決まってる」
「…………」
「…………」
わずかな間、両者の間に何とも言えない沈黙が流れた。
「いや待て、お前の日常ってのは平穏無事に毎日を過ごすって事なんだろ?」
「そうだな。そう言った」
「泣いてる子供なんて面倒そのものじゃねえか。何で相手をする?ああ、あれか?泣いてる子供を無視するのは周囲の目が――」
「周りに誰もいなくても、誰かがいても、その泣いている子供を守るべき人間がいない限り、俺はその子供を見捨てない」
白い影の言葉を遮り、青年は強い口調で言った。その瞳には迷いはなく、今までにない光があった。
「あーあーあー、なるほどな。何となーく分かったわ。面倒くせえ奴だなお前」
「良く言われる」
その青年の答えに白い影は肩を震わせて笑い、
「じゃ、核心に迫る質問といこうじゃねえか。いいか?お前は格闘技を習った事もない素人だ」
「いや、俺は――」
「話が進まねえから黙ってろ。そういう前提だ。で、目の前には知らねえ子供と……そうだな、10歳くらいの小さい女の子と銃を持った軍人がいる。そいつは女の子に銃を向けていて今にも撃ちそうな時、お前――」
女の子を見捨てるだろ?と笑った。
そして青年は小さく首をかしげ、当たり前だろう?と不思議そうな表情で言う。
「だよなあ。お前なら間違いなくスルーする。けどよ、お前も軍人で銃を持ってるのが前提なら……どうよ?」
「撃つに決まってるだろ」
「相手が持ってるのがナイフだったら?」
「撃つ」
「じゃ、持ってるのがちょっと大きい石だったら?」
「撃つ」
「警告は?」
「そんなものが必要か?」
「良く生きてこれたなっつーか、生活できてんなお前」
何歳かは知らないけどよ、と頭をかく仕草をしながら白い影は言った。
青年は軽く肩を竦め、
「銃は違法で持てないからな」
「なるほど、そりゃ道理――と、横道に逸れちまったせいで時間がまたなくなった。話を戻すぞ」
そう言うと白い影は立ち上がり、
「観測者ってのは分かりやすく言えばだな、見てる奴がいるから見られている物はそこにあるってこった」
「見てる奴が……?」
「難しく考えんな。お前の目に見える物は間違いなく存在してるとでも考えとけ。で、本題だ。お前に見て欲しいものがあるんだが、ただ見てるだけじゃダメでな?しっかりと見て欲しいってわけだ」
「言い回しが良く分からないんだが……」
「時間がなくなったって言っただろ黙ってろ。んで……ああ、そうだ。その、しっかりと見る為にはさっきのジグソーパズルが合う事が条件ってわけだ。で、おめでとさん。大当たりだ」
白い影が身体をずらし、ディスプレイが現れ、そこには赤字で『一致』の文字があった。
青年はしかし首をかしげ、
「いや、だからだな。これが一致したからどう――――」
疑問を最後まで言い終える事なく、この灰色の空間から姿を消した。
「やれやれ……引き継ぎは何とかなったみてえだな。あいつにあの娘なら、うまく回りゃ仇くらいは取ってくれるだろ」
そう、楽しそうに言う白い影のその身体は、ゆっくりと崩れていた。
少しずつ、少しずつ崩れて消えていく影は震えているようにも見えて、
「……最後まで、艦娘は、誰も、沈ませて……やらなかった。ざまあみろ、レ級」
ざあ、と消えた。
誰かへの謝罪を小さく響かせながら。
そこは奇妙な空間だった。
それほど広くはない空間だというのは分かるが、その空間の中にあるものは雑多に過ぎた。様々な機械から伸びる大小のコードやパイプ類が木の床を縦横無尽に這っており、クレーンのようなものが鉄の板らしきものを運んでいる。そしてあちこちから規則性というものが見受けられない程に乱雑に鳥居が突き出ており、天井に電灯がぶら下がっているかと思えば壁には蝋燭の炎が揺らめいている。そして何より奇妙なのは、その機械の間などを縦横無尽に走り回っている存在だった。
それは小さな人間で、金槌を振り回して金属の板を叩いて何かを作っていたり、砲弾を山ほど抱えて走り回っていたり、ドラム缶を傾けて配管に中身を流し込んでいたりと非常に忙しそうにしていている。
雑多な音が反響して混じり合って騒音としか呼べないような響きの中、その小さい人間達はそれを気にする様子もない。
彼らを静かに眺めている黒い影に反応する事もなく。
「なるほど。実際に見るのとただ知っているのとは大きな違いだな」
その影は何度か頷くような動きを見せた後、空間の中央、光がもっとも強い場所へと歩み始めた。
とはいえ、そう広くない空間である為、その影はわずか二十歩ほどで目的とする場所へと到達する。
そこには木の床から突き出た赤い鉄骨で組まれたおおよそ5m四方の台があり、その上には一枚の鉄板があり、その鉄の板の上では1人の少女が膝を抱えて――――泣いていた。
十代半ばだろう華奢な身体を包むのは鉄紺色のブレザーに、紺青のスカート。
背中に流れるのは藍色の長い髪、そして前髪から覗くのは紺碧の濡れた瞳。
嗚咽を漏らしながら泣き、身体にまとわりついてブレザーにリボンを縫い留めようとしたり、背中から伸びる鋼のアームの各部にあるボルトを締めようとしたりする妖精を振り払おうとするのだが、少女の手はむなしく空を切るだけで、妖精には当たらない。そして妖精もそんな少女の様子をまるで気にせずに淡々と作業を行っている。
「やだ……やだよう……『いぶき』なんて……『いぶき』になんか、なりたくない……」
嗚咽混じりのか細い声が聞こえた。
そんな少女の様子を見て、その影は深い溜息をついた。
あんな年齢の少女が背負うには『伊吹』の名は重すぎる、と。
『伊吹』の公称は、伊吹型特殊重巡洋艦1番艦『伊吹』であり、通常の重巡洋艦とは名称からして異なる。そしてその負のイメージを払拭する為、抹消された名称である改鈴谷型1番艦と呼ぶ者も少なくない程に忌避されている艦であった。
元々は鈴谷とほぼ同等の重巡洋艦として進水までされていた艦であったのだが諸事情により空母へと改装、しかしそれも80%まで完成した時点で中止、終戦の翌年1946年に解体される事となった、戦う事のなかった艦であったというのが本来の歴史であったのだが、ここでその時代に生きていた1人の観測者――白い影の何代か前の前任者――が余計な事をした。大戦は末期に差し掛かっており、もはや正気ではなかったのではないかと以降の観測者達の間では思われているが、不幸な事にこの観測者が軍内においてそれなりの権力と発言力を持っていた事が伊吹にとっての災難の始まりだった。
空母へと改装される計画は握り潰され、代わりに突きつけられたのは特攻兵器への改装計画だった。
必要がない、という理由で砲塔を始めとして兵装は全て撤去された。
機関や装甲は元から強力にされたが、その代わりとでも言うように周りに防盾と呼ばれるクレーンに分厚い鉄板を取り付けただけのものが配置された。
そして艦首には左右の両舷に2本、甲板上に2本の合計6本の46cm砲の砲身のみが増えたのだが、これは46cm砲砲身とは言ってもサイズがそうであるというだけで、大和などにあったものとは比べるべくもない。この時点でもはや艦としてはどうしようもなくなっていたのだが、その砲身にはまるでトンネルに続く線路のように後方に改造されたカタパルト
が据え付けられ、その上には長大な噴進砲――ロケットが載せられた。そしてそのロケットの先には46口径の九一式徹甲弾があり、徹甲弾のみが砲身に収まる形になっていた。機構としてはロケットによる徹甲弾の発射装置が6基あるというだけのものだが射撃管制は統一されており、その為かこの兵器には『46cm6連装墳進衝角』などという名称が与えられてしまう。
どう考えても――恐らくは素人が考えても船としての体を成していないのは明らかで、航行する事を考えているのかどうか怪しい代物ではあったのだが、伊吹はこれで良しとされてしまった。
元々の発案が特攻兵器。
全速にて目標となる敵艦隊旗艦に衝突、46cm砲の零距離射撃にて船体を食い千切り、敵に一矢報いる。その為の兵器。
帰りや航行などそもそも計画に入ってはいない。
そして、そんな風に完成してしまった伊吹の戦いは当然のように一度きりだった。
遠目には岬にしか見えないような念の入った迷彩――規模で言えば200mの重巡洋艦がすっぽり入るドックを作ったのとそう変わらない――を施され、たった数kmの位置を整然と余裕を持って航行する艦隊に向けて特攻し、進路上に居合わせた
駆逐艦1隻を撃沈させた後、集中砲火により大破、撃沈。生存者は無かった。
この撃沈した駆逐艦は、衝突した際に発射されてしまった46cm6連装墳進衝角をまともに受けて海面から浮き上がった、という証言があるようにその一撃きりの攻撃は凄まじい威力であったのは間違いない。
しかし、乗員には情報統制によって知らされていなかったとはいえ、降伏宣言受け入れ後の攻撃、それによる被害により、一矢報いたという評価など望むべくもなく、伊吹、その戦歴はただ汚点として評されただけだった。
そして時代は巡り、突如として現れた深海棲艦。
イージス艦を始めとする近代艦船に人間と同サイズの敵と戦う術はなく、大戦時の軍艦と同等の攻撃力を持ち、なおかつ無尽蔵と錯覚するほどに沸いて出てくる深海の化け物に対抗する事はできなかった。様々な対抗策が模索され、日本においては巫女と呼ばれる少女達に艦船の御霊、その分霊を降ろす事でようやく対抗できるようになったのだが、そこに伊吹の居場所はなかった。
戦艦、空母、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦、それ以外にも様々な艦船が少女の身体を通して顕現し、戦いへと赴いた。
そこにあったのは護国の念。
国を守る、人々を守る、その為に戦うというかつての信念を宿して、再度の生をそれに費やす。
だからこそ、伊吹もそれに応えた。
艦娘となった事でただ一度きりの攻撃ではなく、自身が走り続けられる限り強力な一撃を敵に与え続ける事ができるようになったのを喜んで。
射程が至近である為に、なかなか戦果を上げられずに苦しみながらも、それでも。
『一矢報いて、それで負けた後の扱いが少しでも良くなる可能性があるのなら』
少なくとも伊吹は、何も知らなかった乗員は、そう信じて戦っていたのだから。
しかし伊吹にはそこまでの記憶しかない。
自分が沈んだ後の事など分からない。
自分に向けられる何とも言えないような視線の意味が理解できない。
そうして、歴史を知って、けれど伊吹の御霊は諦めなかった。
けれど、周囲は変わらず、そうして伊吹の分霊は絶望へと堕ちた。
御霊が多くの分霊からの絶望と無念とを受け取り、同じように絶望へと堕ちるまでそう時間はかからなかった。
今では、建造と呼ばれる儀式によって巫女へと伊吹が降りた場合、その巫女はもはや解体するしかなくなると言われている。
解体とは端的に言えば分霊を御霊へと送り返す儀式の事で、解体された艦娘はただの人間の少女へと戻る。しかし、艦娘としての力が失われても、元々その人間が持っていた資質までもが失われるわけではない。その為、艦娘として戦い資質を磨き、解体後により霊的容量の必要な分霊を降ろす事が可能になる事がある。つまりは駆逐艦の分霊しか降ろせなかった少女がやがて戦艦の分霊を降ろす事ができるようになるという事になる。もっとも、解体を経てしまうと例え以前降ろしていた分霊であっても艦娘としての練度は最低にまで下がってしまう為、少女の霊的資質に余程の事がない限りは行われない。
錬度が下がってしまう理由については諸説あるが、分霊は御霊に戻った時点で御霊に融合してしまうとされており、再び切り離された分霊が以前のものとは完全に一致するわけではないからというのが有力である。
建造儀式により御霊から切り離された分霊が少女に降り、その思いや信念、艦として生きてきた生涯と共感し艦娘となる。
そして解体儀式、或いは轟沈による戦死などの要因によって、分霊は少女より離れて御霊へと戻り、御霊へと艦娘としての心を届ける。
これが本来の循環であるのだが、今の伊吹には絶望しかなく、歴史を知った今では恨みしかない自身の生涯や、決して認められなかった艦娘としての心。そんなものを降ろされた少女の心は激しく傷つき、艦娘より巫女、少女に戻った後でもその傷は癒えず、戦いそのものに対するトラウマが産み出されてしまい、もう決して戦う事などできなくなるというのがその理由だ。
そして、解体されるまでのわずかな間にハズレ扱いされる事による中傷、貴重な戦力となる巫女を失わせたという非難に満ちた視線に晒されるという悪循環に陥ってしまっている。
呼ばれるのであって自分から望んで来ているわけではない。
かつてそう言った伊吹がいた。
次の日、その鎮守府の艦娘名簿から伊吹の名前は消えていた。
血を吐きながら頑張って、頑張って、頑張り抜いて、ある海域の深海棲艦旗艦を仕留めた伊吹がいた。
鎮守府に帰投した後、出撃した艦隊の中に自分の名前がない事を戦果を伝える号外で知ったその伊吹は、その日のうちに鎮守府から姿を消した。
解体されなかった伊吹がいた。
故障した灯台が直るまでそこで探照灯を照らすように言われたその伊吹は、深海棲艦の襲撃によって鎮守府が壊滅した今も夜の海を照らし続けている。
様々な表情をした伊吹がいたけれど、そこに笑顔はない。
「だから、俺が護ってやらないといけないわけだな」
「……え?」
黒い影は優しい声色で呟くと、膝を抱えて俯いている少女の頭に手を載せた。
それを感じ取った少女が顔を上げる。視界に映るのは、自身の頭に手を伸ばしている黒い影。
しかし少女は、
「おにいさんはだれですか?」
そう問いかけていた。
「俺……おにいさんの姿が見えるのかい?」
「うん、みえるよ?」
その少女の返答にかなり霊的資質の高い少女だと判断し、そして、外見の割に幼い口調が気になって、影は訪ねた。
「ところで君はいくつなのかな?」
「わたし?わたしは10歳だよ?」
その声が耳に届いてから、言われた事を理解するまでわずかな時間がかかった。
「あの野郎……知ってて聞いたな……」
「え?なんですか?」
可愛らしく小首をかしげる少女に手を振り、
「いや、こっちの話だから気にしなくてもいいんだ。そうだね……君には分かると思うけど、おにいさんは霊的な存在なんだ」
「うん」
「そして見た所、君の霊的素養はとても高い。だから、ついでにおにいさんも君に降ろしてくれないかな?」
その言葉に、少女の表情が変わる。
「どうしてですか」
警戒心を露わにする少女に、この年齢でしっかりしているなあ、などとどうでもいい事を考えながら、
「伊吹。それがおにいさんの名乗るべき名前だから」
「いぶき……?う……や、やだ……いぶきなん、て」
その名前を聞いた瞬間、少女の顔が恐怖に歪む、紺碧の瞳からは瞬時に涙が溢れ、頬を伝っていく。
伊吹と名乗った影は、再び少女の頭に手を伸ばし、ゆっくりと撫で始める。
「大丈夫。大丈夫だ。君が伊吹を怖がるから、おにいさんが来たんだ」
「……え?」
顔を上げた少女の頭から手を離し、影は少女の前に立ち、
「おにい……俺は、君と伊吹を護る為にここに呼ばれた。そして俺は、君と伊吹を護る事を選んだ。だから」
君も選んでくれないか?と少女に向かって手を差し出した。
「あの、選んだら、どうなるんですか?おとうさん、こまることになりませんか?」
少女の視線は手と顔を行き来する。
「選んでくれたなら、俺が艦娘『伊吹』になる。化け物と戦う事も、誰かを護る戦いも、何かを守る事も、全て俺がやる。君はそれを意識の中から見ていてもいいし、見たくないなら見なくていい」
「…………」
「何ならずっと眠っていてもいい。ところで、お父さんが困るというのは?」
自分が伊吹を引き受ける事にどんな困る事があるのか分からず、問いかける。
そして少女は少し得意げな表情で、
「おとうさん、ここのていとくです。あの、だから――」
「ちょっと待った。父親が提督?10歳の娘を……いや、ええと、君はどうして艦娘になろうと思ったのか、聞かせてくれないか?」
声を荒げかけた影だが、少女の表情が見る間に沈んでいくのを見て、慌てて質問をする。
「ええと、あの、わたしいちばんだったんです。そしつ?が県で、いちばんで。それで気がついたらええと、あの、凄いことになってて。でも、でもおとうさんは反対してたん、ですけど……」
詰まりながらの少女の返答に影は小さく舌打ちした。
艦娘の適性検査のうちでも肉体に依存しないものは幼少の頃より実施される事がある。
特に霊的素養に関しては力を入れているはずで、その検査で年齢に似合わぬ成果を叩き出し、評判となり、建造をしてもらおうという事になったのだろう。そして事態は一提督ではどうしようもできない所まで来てしまったといった所か、と考え、これはどうあっても守りぬかなくてはならないな、と意志を更に固める。
「大丈夫だ。心配はいらない。伊吹になったというのは当てが外れたかもしれないけど、君のお父さんを困った事になんて、させない。約束する」
しっかりと頷いて見せ、
「だから、俺を信じてくれないか?」
もう一度、手を差し出した。
そして少女は、
「……わかりました。やくそく、です」
と涙の痕の残る笑顔で、手を握り返した。
平和な世界で一生を終えるはずだった青年。
完成される事なく解体されるはずだった艦。
そんな両者の糸の繋がりは、この時から始まった。
少し後になって、
「よーく考えたらおにいさんなのに艦娘ってどういう事ですか?え?おにいさんは着ぐるみの中の人みたいなもの?良くわからないです……」
「おとうさんに頭を撫でて褒めてもらうのは戦ったおにいさんのけんりです。え?いらない?あ、あの、じゃあくださいっ!それくださいっ!」
「たいくつしてないか、ですか?だいじょうぶです。たまに代わってもらっていますし、戦うのはその、見てると……かいじゅうえいがみたいでかっこいいです!」
等々。
青年によって『伊吹』から流れ込んでくる負の感情を全てシャットダウンされている少女は笑顔のままに生きられるようになるのだが。
それが元になって鎮守府内で様々な騒ぎを引き起こしたりと、父親である提督を困らせまくる事になる。
そして逆に青年は、
「とにかく殺ればいいんだって。目につくの片っ端から殺れば。守るってそういう事でしょ?え?口調がお姉さん?いや、ほら、慣れとかないと、ね?」
「だから、みんなの役に立てればそれでいいんだーって本心なんだけどねえ。いくら言っても分かってくれないんだもん。おかしいよねえ、みんな」
「ね、ね、一騎駆けって憧れない?格好良くない?それで敵旗艦を討つとか最高じゃない?え?それは守りじゃなくて攻め?でも格好良さそうだからOK?さっすがー」
等々と。
こちらはこちらで提督の胃にダメージを与え続ける事となるがそれはまた別の話。
これにてこの章は終了となります。
次章からはシリアス分は殆ど入ってこないかと思います。
・伊吹ってどういう状態?
「娘さん」+「艦伊吹」が成立しかかってる時に「お兄さん」投入されて「娘さん」とバトンタッチが流れです。
「艦伊吹」+「お兄さん」で「艦娘伊吹」が成立してる為、実際の所間借りさせてもらってるのは娘さんだったりお兄さんの性格がちょっとアッパー気味に変わってるのは一応これが理由。
次章は「目標:お姉ちゃん」の予定です。
誰が出るんでしょうね(棒