幕間となります。
第8話
街の中心部からは少し外れた場所。繁華街の隅といってもよい場所にその奇妙な建物はあった。
外見は、素人が見ても軍艦であると分かるが、サイズが本物に比べて随分と小さい。
そして玄人が見ればそれは暁型駆逐艦の4番艦である『電』に酷似したシルエットであると分かるだろう。全長――というか横幅は30mほどでそのまま見れば元々の駆逐艦を大体1/4サイズにしたものに見えるが、全幅も30mほどあり、正方形の中に収められているその艦は、本物の駆逐艦を縮小したというよりは、地面を走る子供のおもちゃを大きくしたような印象を受ける。
もっとも、子供のおもちゃというには鎖や艤装まで忠実に再現されており、好意的に解釈すれば、これを作ったのはよほどこの艦が好きな人なのだろうという感想を持つだろう。
そうでない人にとっては、こんな街の中に何を作ってるんだ、というものであろうが。
おおよそ100m四方の空き地、その空き地を構成する辺の1つ、道路に面した場所にその建物はあり、横腹にはやけに古風な引き戸があって、その引き戸の上には逆に古風の欠片もないネオンサインがその身を主張している。
そのネオンサインは『居酒屋 鳳翔』という文字を青い光で放っており、この建物が店舗である事を示していた。
そう、ここは居酒屋。
鳳翔の名が示す通り、かつて艦娘『鳳翔』として戦っていた女性が引退後に何人かの従業員と共に切り盛りしている店だが、このような店は――店舗は居酒屋とは限らず多岐にわたるが――日本の各地に見られる。
しかしこの店はその中でもその外見は特殊な方に入る。
それはこの店の女将である女性が妖精に好かれていた事が理由で、女将にこの建物について聞けば、一緒にくっついてきた妖精が勝手に頑張ったからだと遠い目をして答えてくれるだろう。
そして艦娘が休日や勤務後に寄ってくつろぐ場所でもあって欲しい、という願いをもってこの店を建てた女将は引退したにも関わらず、解体儀式を受けてはいない。
それはある意味当然の話で、普通の人間が重油や鋼材などが混ざっている食事を味見する事ができるはずもないからで、この女将に限らず、艤装を外しているとはいえ、艦娘として市井に混じって生活する事には当初反対意見が多かったが、艦娘を身近な場所に置く事で――少なくとも一般の民衆からは、という但し書きがつくが――艦娘から兵器のイメージを消し、艦娘への希望者を募りやすくするというイメージ戦略。艦娘とはいえ少女、女性であるから買い物、食事などの楽しみを用意しておくべきという視点。その他様々な理由でもって名目上は予備役として認可される事となった。
結論から言えば、この店はそれなりに繁盛している。
鎮守府、或いは基地からそう遠くない飲食店――特にアルコールを提供する店――がそうであるように、客の大半は艦娘や提督、工廠作業員、警備の兵などの関係者であるが、艦娘のファンであったりする一般人もそれなりに店を訪れている事もあって、毎日のように席の8割は埋まっている状況だ。
特に酒好きで知られる艦娘、隼鷹は毎日のようにどこかの鎮守府の者が入り浸っており、時には4、5人の隼鷹が同じテーブルで酒宴を繰り広げているという大抵の提督にとっては悪夢のような光景が見られるらしい。
そして、今夜。
隼鷹ではないが1つのテーブルにて酒宴を繰り広げている艦娘達がいた。
その艦娘の1人である利根は、深い溜息をついていた。
「脳筋にも程がありゃせんか?うちの天龍は」
「何だよ。間違ってねぇだろ。旗艦が長門なんだから放っといたって構いやしねえ。むしろ長門に目がいってる敵をボコる好機じゃねえか」
「確かに本当の戦いになったらどうするかと聞いたのは吾輩じゃ。しかしこの場合囲まれとるのは吾輩らじゃなく深海棲艦じゃろ。頭も使わんと錆びつくぞ」
利根が言っているのは伊吹達との演習の事だ。
演習とは訓練の一種であり、鎮守府の運営計画に関わる事である為に当然報告書というものが必要になる。その報告書自体は演習計画を立案、申請した鈴谷が纏めて提督に提出する事になった。
しかし利根はその報告書の為に演習について議論を戦わせようとしているのではない。標的側としての意見等は、妹を手伝うよ、と最上が宣言し、面倒見の良い伊勢がそれに付き合う形で纏めているからだ。
ならば何故、かと言うとそれは単純に酒の肴として、である。
もっとも、天龍の反応を見る限りではいつものように上手くはいっていない様子ではあるが。
「まあ、そう言ってやるな利根。天龍はこれでいいと提督も言っていただろう?」
呆れた様子の利根に言ったのは長門だ。
コップに入っている酒を一息で半分ほども飲み干しつつ、その顔には苦笑を浮かべている。
「だよな?俺は悪くねえ!」
少し憮然としていた表情は一瞬で消え失せ、料理に勢いよく箸を躍らせ始める天龍。
利根もその天龍の様子を見て苦笑を浮かべ、
「真っ先に敵に突っ込んでも良いから真っ先に帰ってこい、じゃったか。単純じゃがそれを何年にも渡って守り続ける事のできる者などそうはおらぬ。惜しいと思うんじゃがな」
徳利からお猪口に酒を注ぎ、飲む。
そして、
「では扶桑はどうじゃ?どう見る?」
上品な仕草で、しかし飲むのも食べるのもかなり早いペースの扶桑に問いかけた。
扶桑は煮物を口に入れて咀嚼し、飲み込んでからゆっくりとした動作で箸を置く。
「そうねえ。はっきりと言ってしまえば囲まれている時点でもう詰んでるのだけれど、中央を放置しすぎだったのはマイナスじゃないかしら?」
演習だし長門が動かないと分かっていたからという理由でしょうけど、と扶桑は言う。
「うむ、確かにのう。伊吹以外の全艦による一斉射で輪形陣に伊吹を通す穴を開けたのは良いが、逆に言えばそこを張れば伊吹を迎撃できたのじゃしな」
きちんとした答えが返ってきた事で上機嫌になる利根。
「ふむ。しかしその後の艦隊機動はどうだ?それぞれが回頭して横腹を突いてくるあの機動は伊吹に気を取られれば取られるほど致命となるぞ?」
長門も話に参加する。
「雷撃もありましたし。全艦中央に後退、旗艦の壁になって一気に脱出、かしら?」
「しかしそれじゃと戦術的敗北じゃな。やはり中央艦が伊吹を牽制せねばならんのではないか?」
「それも容易ではあるまい。伊吹は恐ろしく身軽だしあの装甲は戦艦の主砲でも1撃では抜けん。仕留めようと躍起になってしまえばその間に丸裸にされて伊吹がやるまでもなくなる」
「伊吹以外は軽巡と駆逐。故にそう簡単に包囲を崩す事もできぬ、か」
「それにあの子達、真っ先に戦艦を狙ったわ。あの子達の錬度なら最低でも中破には持っていけるでしょうし、次の40門の雷撃の第一目標は私。戦艦3隻編成相手にして良く考えられているわね」
「6隻すべて戦艦などという編成は流石に見た事も聞いた事もありはせんからのう。大抵の敵艦隊はどうにかなる、という事かの」
「そうだな、良くできている」
3人が話に熱中している間、天龍は食べる事と飲む事に熱中している。
そんな天龍を横目で見て長門は微笑み、
「しかしあれの完成形は伊吹に観測機を積み、鈴谷の代わりに司令塔となって戦場を支配する事にあると思うぞ。その点で言えばまだまだ錬度を上げなくては使い物にはならん」
現時点では使い物にならない、と断じた。
厳しい、と言えば厳しい意見だが他の2人、利根と扶桑も同じ意見だったようでそれぞれ笑みと頷きで長門の意見に同意する。
そして、今回は初お披露目。
あれを実戦でも生かせるようにする為に演習に付き合ってやろう、という結論が3人の間に出た所で天龍が口を開いた。
「しっかし、伊吹のアレっていいよな」
当てさえすりゃどんな奴だろうと一撃じゃねえか、と笑い、
「俺の刀じゃあそこまではできねえし。精々重巡までで戦艦相手じゃ中破が関の山だしよ」
「まあ、確かにあの威力は凄まじいがのう。その為にどれだけのものを犠牲にしとるか考えたらそう安易に肯定できはせん」
漬物に箸を伸ばしながら利根は言う。
そうよねえ、と扶桑も困ったように微笑む。
「それは俺も分かってるけどよ、ウチの伊吹はやる気で、やってきた奴なんだ。だから俺は単純にあいつのアレが羨ましいのさ」
戦友だから、という思いを乗せて天龍は言う。
その言葉に利根と扶桑は互いに視線を合わせて苦笑し、長門は軽く天龍の頭に手を置き、
「ああそうだな。しかし、どんな奴でも、というのはどうだろうな?」
くしゃり、と天龍の頭を一撫でしてから、真剣な表情で言った。
その言葉に真っ先に反応したのは利根だ。
怪訝そうな表情で、
「戦艦クラスの鬼級を一撃で葬り去ったのじゃろ?対抗し得るのは……潜水艦共くらいではないのか?」
潜水艦クラスの敵は浮上でもしていなければ爆雷でないと沈める事ができない。
そう思っての利根の言葉だったが、長門は静かに首を振った。
「あの鬼級は艦娘で言えば私が相当するらしい」
「そうよね。けれど長門を一撃でやれるなら…………」
言いかけた言葉を扶桑は途中で止めた。
僅かに引きつった表情には、まさか、という疑問が張り付いている。
「そうだ。未だ御霊はどこの鎮守府にも顕現していないが……かつての日本海軍には私を超える戦艦達がいた」
「……大和と武蔵」
静かに利根が言った。
「大和の主砲は46cm、装甲はそれに耐えられるように設計されている。無論距離を取った砲戦での話で、伊吹の零距離攻撃など想定外だろうが……」
「艦娘……いえ、深海棲艦として大和クラスが出てきた場合には艦であった時の常識が通用するかは分からないものね。それで、そういう話があるの?」
扶桑もまた真剣な表情で言葉を紡ぐ。
「南方海域、唯一攻略できなかった第4海域に姫級の存在が確認されたとの噂があるらしい。伊吹の仕留めた鬼級の上、姫級の戦艦だ」
長門は周囲に聞こえないように、声を潜めて告げた。
それを聞いた扶桑と利根の表情は固く、常に好戦的な天龍でさえも黙っている。
「そしてな、戦闘詳報では伏せられているという、あくまでも噂だが……あの第4海域に挑んだ艦隊の中で、矢矧、雪風、霞、浜風の4人が取り乱して戦闘から離脱したという話もある」
長門の言葉を聞いた3人に沈黙が流れる。
3人共に長門の語った言葉から、あそこに――あの海域にいるのが誰なのか予想がついた為だ。
「って事はよ、あの胸糞悪い連中が……ってのもあながち嘘じゃねえって事か……?」
両の拳を固く握り、天龍が絞り出すような声で言った。
それは、深海棲艦の正体が沈んでいった艦娘であるという噂の事だ。
しかしこの噂だけであれば、先に深海棲艦が出現し、それに対応するように艦娘が顕現したという流れに矛盾が生じる。その矛盾を解消する為なのか、真実なのかは未だ解明されてはいないが、それに付随する話がある。
無念や存念、恨み、苦しみ。
そういった負の感情を持って沈んだ艦娘がその感情のままに、人類と艦娘を攻撃する深海棲艦と成り果てるという話だ。
最初期に現れた深海棲艦はかつての戦いで海に沈んでいた艦から生まれ、そして艦娘を沈めて仲間を増やしていくという話。
単純に言えば正の想念は艦娘となり、負の想念は深海棲艦となるという考えだ。
この話は多くの提督や艦娘が納得するだけの説得力を持ってはいたのだが、しかし海に沈んだ船が蘇ったというのならば、何故かつての大戦に限られているのかという疑問が払拭されない為に、出来の良い噂話の範疇を出る事はなかった。
例え大戦時の艦の力を持つ艦娘には対抗できなくとも、人間相手、或いは建造物が目標であるのならば木造船であっても十分脅威となる。何より話としてならば沈んだはずの帆船が幽霊船となって船を襲うという逸話は中世から良く
語られている事でもあったにも関わらず、そういう深海棲艦を見たという話が一切無い。そして鋼鉄の船に木造の船が対抗する手段がないからだ、という反論などは前提が違う為に無意味。例え相手が木造船程度であったとしても深海棲艦が
そうであるように人型サイズで敵に回られれば現実の船はどうしようもない。まして無尽蔵とも思える程に湧いては出てくるのだから結果は考えるまでもなく現代艦船の敗北以外ありえない。
なのに、何故。
その疑問が様々な研究機関や組織、提督、艦娘達にとって深海棲艦が謎の敵のままであるという現状に繋がっている。
そして、謎の敵のままであるからこそ、人類は戦い続けられている。
そこには生きるか死ぬかの二択しか存在しないのだから。
「さあな。だが結局の所――私たちのやる事は変わるまい?」
今度はコップの中にあった酒を全て一息で飲み干し、長門は不敵に笑った。
「艦娘が沈んで奴らになるのなら、艦娘が沈んだ以上に沈めてやればいい」
それだけの話だろ?と。
そんな長門の言葉に天龍は頭をかいて、そして同じように不敵な笑みを浮かべた。
「まあそうだよな。あそこに居やがんのが大和かもしれねえってのは気になるけどよ、恨みが晴れて成仏するまでぶん殴ってやりゃすむ話だな!」
手のひらに拳を打ち付ける天龍を半目で眺めながら利根は、
「馬鹿はシンプルじゃの。ま、それゆえに強いとも言えるがのう」
しかしその眼差しに強い光を浮かべていた。
そして扶桑は、
「大和型かもしれなくとも、所詮は深海棲艦でしょう?潜水艦で十重二重に包囲して雷撃すれば不幸な事になるのは間違いないんじゃないかしら?」
微笑みながら軽く唇を舐め、敵としては恐るるに足らず、と言葉でもって切って捨てた。
長門は扶桑の言葉に少し複雑そうな表情を浮かべたものの、
「そういう事だ。とりあえず他の鎮守府にも意地があるだろうし、我らの鎮守府にお呼びはかかるまい」
分かっているとは思うが明日には残すなよ、と言ってから一升瓶からコップに酒を注いだ。
他の3人はそれぞれに了承の意を返すと、飲み始めたり食べ始めたり注文をしたりと、僅かに暗くなった空気を吹き飛ばすかのようにはしゃぎ始める。
胸の中に想いはあれど、それを隠して、いつものように。
そして、同じ頃。
鎮守府の提督執務室には3つの影があった。
1人は執務机に座っており、その机の前にもう1人。座っている方は宮里提督で、立ってまとめた書類を持っているのは赤城だ。
「はい、これで本日すべき仕事はすべて終了ですね」
「演習の件があったせいでいつもより遅くなっちまったな」
軽く首を回しながら言う宮里に、赤城は微笑みかけ、
「そうですね。でもこれくらいは」
そう答え、視線をソファに向ける赤城。
ソファには座ったままで小さく寝息を立てている伊吹がいた。
「すっかり待たせてしまいましたね」
「演習やって疲れてんだから部屋に戻って寝ろって言ったのにな」
宮里は苦笑しながら立ち上がる。
「演習をしたからじゃないですか?」
赤城は書類を片付け、伊吹の傍へと行くと伊吹の頭を優しい手つきで撫でる。
「ん?」
「演習の報告は提督に。演習の事はお父さんに。そういう事ですよ」
宮里の上げた疑問の声に答える赤城。
宮里は苦笑しながら頭をかき、
「ああ……なるほどな。この部屋にいると、つい提督って立場で考えちまう。悪い癖だな」
「ええ悪い癖です。けれど、癖ってなかなか直せませんものね」
伊吹の髪に指を通し、梳いてから赤城は伊吹から離れ、背中を向けた。
「そうだな」
短く赤城に答えた宮里は苦笑を浮かべていた。
「そういうわけですから、長門さん達の所に行ってきますね?」
扉を開け、振り向いて笑顔で赤城は言った。
「分かってるとは思うが明日には残すなよ?」
食事と酒に目がない、という赤城の悪い癖に釘を刺す宮里だが、その表情は変わらず苦笑のままだ。
そして赤城は、
「了解です。それでは」
にっこりと微笑みながら敬礼し、退室していった。
パタパタと聞こえる足音――明らかに走っている足音だー―に軽く肩を竦め、宮里は伊吹の隣に座った。
そっと伊吹の頭を撫で、小さく、
「今日も頑張ったな、――――」
少女の名を、呼んだ。
居酒屋の外見のイメージは『チョロQマリン Qボート』で調べると分かりやすいかと思います。
大人より子供に人気の出そうな外見ですが。