IS ~蒼穹を舞う願いの翼~ 作:バニラアイス
空というものに憧れを抱いたのは、いったい何時の頃だっただろうか。記憶が正しければ、惨劇に彩られた幼少期の頃のように思う。
身体に力が入らなくなって、地面の上に寝っ転がった時に見た空があまりにも綺麗で、空を泳ぐ鳥たちの姿に憧憬を抱いたのだ。
何処までも辛くて、何処までも暗くて、どんなに探しても希望という光を捉える事がない。そんな日々の中で視界に飛び込んできたからこそ、その空はとても輝いていたのだと、そう感じる。
あの空を自分も飛べたなら……
そう願った事は幾度もある。だが、人間は空を飛ぶのではなく地を歩く生き物だ。血反吐を吐くほど努力したところで結果は同じ。例外はなく、俺自身もまた空に恋焦がれるだけの一生命体に過ぎない。
どんなに懇願したところで、人は空を飛ぶ事は出来ないのだ…………訂正。比較的生身の近い状態で大空を飛ぶ手段が一つだけあった。
インフィニット・ストラトス。略称『IS』は、開発者に『無限の成層圏まで羽ばたけるように』と命名されたマルチフォーム・スーツ。元々宇宙空間での活動を目的とされて製作されたらしいが、約10年前のある事件以降、従来の戦闘機を軽く超える機動性、圧倒的なまでの攻撃力。それらが露見し、『世界最強の兵器』としての肩書を与えられてしまった。
そんな最強兵器たるISには、一つ決定的な欠点がある。それは、女性にしか扱えないという事だ。
何故か男性には扱えないようで、それは製作者が意図したものか、あるいは偶然そうなってしまったのかは良く分からない。
なんにせよ男である俺には、絶対に手の届く事のないモノだと、そう思っていた。
だが、数カ月前、史上初の男性適合者が日本で発見されたらしい。常識を根底から覆す事実は瞬く間に世界を震撼させ、男性に対する適合検査が実施された。無論、全世界を対象に。
人里離れた山奥にもその手が及ぶあたり、相当必死になって検査を実施しているのは馬鹿な俺にも想像出来た。
そして──
「君には、私たちと共にIS学園に来てもらう」
全面が白一色で統一された個室で、黒のレディースーツを着込んだ、傍から見ても美人と言い切れる、それでいて何処か肉食獣を思わせる凄みを持った女性がそう俺に告げた。
「あの……」
「すまない。君の言いたい事は分かる。だが、上の連中はすでに決まっている答えに進むためのくだらない会議を開いている最中だ。じきに結果が知らされる君に……拒否権はないんだ」
憂いの表情で顔を伏せる女の人に顔を向けたまま、チラリと目だけ動かしてドアを見る。さっきこの部屋に入る時、入口を守るようにして立っていたブラックスーツの男二人組。
ガラスなんてものはないから外の様子は窺えないが、外から二人の気配は感じ取れる。動いた様子は、感じられない。
視線を戻し、再び女性を見る。椅子に座り直したり、頭を掻いたり、俺がするちょっとの動作にすら過剰と言えるほど敏感に反応している。
……どうやら拒否権はないというのは少々語弊があるらしい。この場合、拒否権も抵抗権も認めないといった方が正しいだろう。
なんでこんな事になったんだ……
俺はただ山奥の家で一人ぼーっと空を見ていただけじゃないか。突然目の前の女の人と、もう一人童顔の女の人が来て、『何か用ですか』みたいな適当な話をしてたら『今から検査を行ってもらう』と一言。
そして目の前に展開される甲冑を彷彿とさせるIS。それに触れるだけでいいと彼女は言った。元から俗世には疎いので、さっさと帰って貰いたかったというのが本音だった俺は、言われるままに従い、ISに触れた。
瞬間、電気が走るような衝撃が身体を駆け巡った。何が起こったのかは、わからない。でも、明らかに異常だというのは理解出来た。
反射的に手を引いた俺を彼女たちは不審げに見ていた。その反応から、猛烈に嫌な予感がしたのは言うまでもないだろう。
それから強制的に車に連行され(抵抗はした。でもスーツを着た女の人はヤバめの薬キメ込んでるんじゃないのかってぐらい力が強く、押さえつけられてから逃げるのに苦労した。それにもう一人の女の人が適合検査用のIS装備して突っ込んで来たために勝てないと悟って渋々降参した)、着きましたるは大きな施設。白衣を纏った4人の研究者が付き添いの元、首やら腕やらに電極パッドを張られながら、二度目のISタッチ。
今回は電流のような衝撃は来なかった。でも、その代わりいつもより身体が軽く感じるような妙な浮遊感があった。疑問に思って自分の手を見れば、そこには機械の手が。
機械の手というより肘関節から下の腕が機械を纏っていた、というのが正確だろう。その機械の腕は、『打鉄』と呼ばれていたISの物と酷似していて──
眼球が飛び出んばかりに見開いている研究者A。端末の画面と俺を交互に延々と見る研究者B。慌ただしくなっていく周囲。頭の中でビービー鳴る危険警報。
こうして俺は、ガチムチのむっさい男性陣に連れていかれ、この個室に軟禁されたと。
「──ッ。すまない」
現実逃避気味に思いふけっていれば軽快な電子音がこだまする。発生源は目の前に座る女性のポケットから。端末を取り出すと、それを耳へと当てる。
「……私だ。あぁ、そうか、それで? ……やはりな。わかった、私の方から伝えておく。では」
短いやり取りが終了し、俺の方へと向き直る。
「会議が終わった。改めて、というか何というか……その、君は正式にIS学園へ入学する事が決まった」
「そうですか」
女の人が放った言葉は、ほとんど予測出来ていたのでそう驚く事はなかった。そもそもこの程度で驚くような人生を送ってはいない。
IS学園。その名の通りISの操縦者、及びそれらに関連する者の育成を目的とした教育機関である。そこに来いと目の前の女性は言い放った。
ナンの冗談かと鼻で笑うのは簡単だ。でも、今日なかなかのハイスピードで起こった云々の出来事は、ジョークでもないという事を示していた。
簡潔に言えば……俺は二人目のIS適合者として、女子学校であるIS学園に通う事になったのだ。それも非公式で。
それは三月も終わりを迎える頃の出来事。IS学園入学式一週間前の事である。
◆ ◆ ◆
……辛い……
高校の入学式というのは、きっと新生活に心を躍らせたり、新しい仲間に出会えるか想像したり、あるいは新しい環境に馴染めるかの心配など、いろいろな感情が混ざり合い、攪拌されて、複雑な心情になる事だろう。
それは当たり前だし、そこに何の疑問も生まれはしない。でも、その当たり前が俺には通用しなかった。今の俺はただただ辛いの一言だけ。理由は簡単だ。
このクラス──もとい、この学園には、俺以外の同性が居ないからだ。
俺──織斑一夏は、ひょんな事からISなんて言う女限定で乗れるハイスペックマシーンを動かしてしまった。その事実はあっという間に全世界に知れ渡り、一躍時の人となった。全くもって嬉しくないが。
それに、俺の名が知れ渡る事になった要因にはきっと、姉の事も多分に含まれているのだろう。俺の姉、織斑千冬はこの世に知らぬ者は居ないと断言出来る程の超有名人だ。
ISを使用した世界大会、≪モンド・グロッソ≫。その大会の総合優勝者に授けられる最強の称号“ブリュンヒルデ”。世界最強の称号を初めて手にしたのが何を隠そう千冬姉なのだ。
今は職業不詳で月に数回しか家に帰って来ないが、いったい何処で何をしているのやら。
「……くん、織斑一夏くん!」
「は、はいっ!?」
滅多に帰って来ない姉の事を考えていると、副担任の山田真耶先生が教卓から身を乗り出して俺の顔を覗き込んでいた。
急に大きな声で名前を呼ばれたものだから、意識してなくて声が裏返ってしまう。
耳に流れ着く笑い声。最初の印象が大切な今日この頃、俺は自身のイメージが下がっていく感触を肌で感じ取った。
「あっ、あの、ゴメンね。大声出しちゃってごめんなさい。でもね、あのね、今自己紹介を『あいうえお』順でやってるから、次は織斑くんの番なの。自己紹介、してくれるかな? だ、ダメかな?」
「い、いや、そんなに謝らなくても……自己紹介しますから、落ち着いてください」
とても喜んだ表情の山田先生の視線を正面に受けながら、俺は椅子から立ちあがった。くるりと背を教卓に向けると、今まで背中で受け止めていた視線の数々が全て降り注いでくる。これは……想像以上にキツイ。
「お、織斑一夏です。よろしくお願いします」
一応軽く頭を下げて、上げる。『もっと喋ってよ』とか『もう終わりなの?』といった無言の感情を視線に乗せて俺に送ってきているが、残念な事に俺はそれに答える事が出来そうにない。
深く息を吸い、思い切って口にした。
「以上です」
……マジで。何の比喩でもなく数名の女子生徒が椅子から落ちる音が聞こえた。
「あ、あのー」
背後から掛かる山田先生の声。その声が泣きそうに聞こえるのは言うまでもない。
やってしまった、そう思った瞬間だった。
スパァンッ!!
「いぎッ──!?」
突然、脳天に何かが飛来、あるいは落下した。凄まじい衝撃を伴ったソレは、俺の首が亀のように縮んでしまうのではないのかと錯覚してしまう程に強烈たる一撃だった。
しかし、それと同時に身体が、感覚が初めてではないと告げている。尋常ならざる威力、衝撃の来る角度、打ち落とされる速度──それらは俺のよく知るある人物が放つ一撃にとても似ていた。
恐る恐る後方を振り返る。そこに居たのは──
「げぇっ、関羽!?」
片腕を組みながら俺を睥睨する実姉が居た。
「誰が三國の英雄か、馬鹿者」
「あぶっ!?」
再び襲い来る渾身の一撃。いや、当の本人にとっては渾身でもなんでもないのだろう。きっと俺の頭からは空気過熱によって、しゅぅっと煙が出ているはずだ。相変わらずこの人の超人加減は血のつながった弟ながら理解の範疇を超えている。
「あ、織斑先生。会議はもう終わられたんですか?」
「あぁ、クラスの仕事を一方的に押し付けてしまってすまなかったな、山田君」
「い、いえ! 私だってこのクラスの副担任ですからっ! ……あの、それで“あの子”は……?」
「あぁ、今廊下に──」
山田先生と千冬姉が何か話していると、耳を劈くような黄色い歓声が響いた。
「きゃぁぁぁぁっ!! 千冬様! 千冬様よ!」
「ずっと前からファンでした!」
「私、千冬様に憧れてこの学園に入学したんです!」
女子らしいハイトーンなボイスでクラスが騒ぎ始める。千冬姉に憧れて入学とか言ってるあたりこの学園に千冬姉がいる事は周知の事実のようだ。
俺が知りもしなかった事実に驚く中、千冬姉はわかりやすく頭を抱えながら大きなため息を吐いた。ポーズではなく、本当に鬱陶しがっている。
千冬姉は、この世界で最強の称号を授かっている。弟の俺からしてみれば、そんな姉を持つ事は大変誇らしいのだが、本人は迷惑この上ないそう。なんでも女尊男卑の風潮が浸透するこの世界において千冬姉は一種の崇高対象になるらしい。
「静かにしろ。全く……毎年毎年よくもまぁこれだけの馬鹿者を集められるものだ。それとも何か? 私のクラスだけわざと馬鹿者を集めているのか?」
嫌味ったらしく言い放つ。それでも、クラスの歓声は止まらない。
「きゃああっ! お姉様っ、もっと叱って罵って!!」
「でも時には優しくして!!」
「そして二度と付け上がらないように躾して!!」
元気の良すぎるクラスメイトに千冬姉は心底徒労を出すように今日一番のため息を吐くと教卓へ歩いていき、俺の脳天を陥没させかけた鈍器たる端末を置いた。
「諸君、私がこのクラスを担当する織斑千冬だ。いろいろと言いたい事はあるが、まずは口を閉じて私の話を聞け。今から話す内容は他人に漏洩してしまった場合、事と次第によっては諸君らの身柄を強制的に拘束させるハメになる」
身柄の拘束というわかりやすいまでの物騒な単語に、俺を含む全員が瞬時に息を詰まらせた。歓喜に包まれていた教室が困惑と戸惑いへと一転する。
IS学園は、簡単に言ってしまえば何処の国の土地にも属さない無法地帯だ。銃やナイフ、刀の所持なんかも書類を通せば正式に許可される。物騒といえば反論できない程度には物騒な学園と言える。
そんな学園で、これから千冬姉が話す内容を他人に漏らしただけで身柄を拘束される? あまりにもスケールが大きすぎて俺には具体的な想像など出来なかった。
「……ようやく静かになったか。いいか、そのままにしていろ」
ざわめきが消えた教室を見渡してそう告げると千冬姉がドアの方へと足を進める。扉を開けて、入っていいぞと一言。まるで転校生が来たみたいな雰囲気だ。
「失礼します」
そう言って入って来たのは学園の制服に身を包んだ、長くて白い髪の毛が特徴的な女子だった。…………ん、女子?
「……え?」
それは、誰の声だったのだろう。小さく放たれたその呟きは俺の耳を何事もなかったかのように通過して行く。クラスメイトはほとんどが初対面だし、顔も名前もまだ知らない。
他人同然に位置する人が放った言葉が耳に留まる方が少ないはず。でも、俺がその呟きに反応出来なかったのは、今入って来たクラスメイトと思しき生徒に対して、千冬姉の端末落下チョップに勝るとも劣らない程の衝撃を受けてしまっていたからだ。
目の前に立つ少女と思しきその子は、俺と同じ制服を着ている。女子用ではなく、男子用の制服を。
「自己紹介をしろ、
千冬姉の指示に『了解です』と短く告げて、蒼羽と呼ばれた件の生徒は口を開いた。
「
挨拶が終了。拍手による歓迎も会釈もなくただただ静寂がクラスを支配する。どんな反応をしていいのか困っているのがはっきりとわかる。やがて、口火を切るように隣に座る女子が恐る恐る手を上げた。
「……えっ……せん、せい……その、つまり二人目って事ですか……?」
その問いは、このクラス全員が抱いている疑問を総括した代弁だった。何の2人目かは、言葉が抜けていても理解出来る。それは千冬姉も同じだった。
「あぁ、そうだ。此処にいる蒼羽白音は、そこにいる織斑一夏と同じく男性のIS適合者だ」
千冬姉は顎を使って俺を指し示す。その瞬間、シオンという生徒と目が合う。蒼天のような澄んだ瞳が俺を見ていた。
四月某日。この日は俺が高校へ入学すると当時に、2人目の男性IS適合者という存在が明るみとなった驚きの一日だった。