IS ~蒼穹を舞う願いの翼~    作:バニラアイス

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第5話 ルームメイトはメガネっ子

「はい、ここが職員室ですよ」

 

「ありがとうございます、山田先生」

 

 山田先生に案内されて職員室に辿り着く。結局あの後奮戦虚しく道に迷ってしまった。15にもなって一日に二回も道に迷うとか晒し者も良い所だが、ただでさえ広すぎる学園で、それも下調べとか無しに代り映えしない道が延々と続いたら誰だって迷うと思う。目当ての案内掲示板も無かったし、山田先生にエンカウント出来たのは不幸中の幸いと言うべきだ。

 

 不甲斐なさを抱きつつ感謝の言葉を述べれば『いいえ、先生ですから』と山田先生は答えてくれた。しかし彼女も仕事があるのか、レディース用の腕時計でさっと時間を確認すると足早にこの場を去って行く。用事があるのに嫌な顔一つせず道案内してくれるとは、山田先生の懐は俺の想像よりも深いらしい。

 

 心の中でもう一度お礼をして、硝子越しに職員室を眺める。間違い探しのように視線を彷徨わせれば案外早く目的の織斑先生を発見出来た。

 

 何というか、織斑先生は他の人と違って佇まいが目立つ。雰囲気が違うというか、妙に硬いというか。堂に入っている、というのが個人的に一番近い気がする。

 

「ふぅ……よしって、あれ?」

 

 小さく意気込んで扉に手を伸ばす。しかし手が触れる直前にセンサーが反応、プシュッと扉が動いた。

 ──あぁ、うん、そうでしたね。この学園って自動ドアが標準装備でしたね。アナログな世界で生きてきたものですから忘れてましたよ。

 

 妙な肩透かし感を喰らいつつ歩みを進める。目が合った先生達に軽く会釈を交わしながら目的の場所へ辿り着くと、織斑先生は食後のコーヒーを嗜んでいた。

 

「織斑先生、少しお時間よろしいですか?」

 

「ん……蒼羽か、どうした?」

 

「休憩中にすみません。来週のクラス戦に向けてISについて少しお話を聞きたく来ました」

 

「そうか」

 

 小さく頷くと織斑先生は手に持っていたカップをコースターの上へ乗せる。一つ間を置いて腕を組み直すと口を開いた。

 

「それで、聞きたい事とはなんだ。私はこれでも忙しいのでな、要件は手短に頼む」

 

「手短に、ですか……では、訓練用ISの貸出申請書を頂きたく思います」

 

 話を端折って要件を伝える。訓練用機体の貸出し。それは俺の飛びたいという私欲が詰まったものであると同時に、自分なりに考えた最短ルートで力を身に付けるものでもあった。

 

 ISは凄まじい攻撃力や鉄壁の防御性能を誇っているが、攻撃力だけで評価すれば核兵器に劣るし、音速で打ち出される対物ライフルの弾丸を当てられれば無敵と呼ばれる装甲を削る事が出来る。極端な話IS=完全無欠では無いのだ。

 それでもISが最強兵器と呼ばれ、既存の兵器を遥か過去の遺物へ変えたとも謳われるに至った一番の要因は驚異的な機動性だ。少なくとも主観ではそう思っている。

 

 今まで空を支配していた航空兵器は実のところ多くの制限が掛かっている。戦闘機を例に挙げれば、離陸には加速と推力と、翼の形状から得られる揚力を以って空へと飛び立つ構造上、翼型の主翼が不可欠だし、人間のように回れ右での方向変換は不可能で、来た道を戻るには大きく旋回する必要がある。当然であるが停止すれば落下する、等々。

 

 だがISはどうだろうか。展開後、即離陸が出来る。空中での急加速から急停止などは朝飯前で、旋回する事無く方向を変える事も可能。航空機では不可能であった問題を解決し、尚且つ人間の柔軟性を損なう事無く三次元の動きを再現出来るのだ。

 

 その馬鹿げた機動力がIS同士の戦闘において大きく関わってくるのは想像に難くない。例外はあれど機動力を生かした三次元の高速飛行戦闘が基本となるはずだ。

 

 で、問題なのがその機動力の根幹を成す背部スラスター(カスタム・ウィングというのが正式名称らしい)を操作する方法が従来のような操縦桿で行うマニュアル操作では無い事。教科書先生によれば脳波やらイメージによる操作が基本らしい。

 

 このイメージが厄介な事この上ない。イメージなんて個人で差異が生じるものであって正確性に欠ける。

 

 銃をイメージしろ、と言われれば“グロック”を考える者もいるだろうし“デザート・イーグル”を頭に浮かべる者もいるだろう。あるいは何処かの怪盗よろしく“ワルサーP38”を想像するかもしれないし、拳銃という括りから逸脱して“バレットM82”なんて物騒なものを想像する輩もいるかもしれない。

 

 まぁ、結局何が言いたいのかと言うと。所詮イメージはイメージ、教科書に載っている例えが自分に100%当てはまるなど端から無い訳で。

 

 だからこそ実際に乗ってみて自分の感覚とISの動きの差異を把握したい。実戦に勝る経験無し、極論これに尽きる。

 

「ふむ、訓練機の申請か」

 

 要件を告げると織斑先生は困ったように顎に手を当てた。悩むように整った眉根を寄せている。それほど難題な問いを投げたのだろうか……? 

 なんて事を考えていれば沈黙していた織斑先生が口を開いた。

 

「一つ聞くが、それは来週のクラス戦に向けてか?」

 

「はい。期間は限られていますし、少しでも多くISに触れて慣れておこうかと」

 

「ほう、随分積極的だな。しかし、ふむ……悪いがお前の願いは叶わんやもしれん」

 

 理由を告げて首肯すればまさかの返答。織斑先生は机に向かい直すと手を伸ばし棚に置かれた一冊のファイルを引っ張り出す。何かの資料をファイリングしたものらしく、一瞬見えた背見出しには『訓練機貸出し表』と書かれていた。

 

「ISは体を使って動かす以上、いくら知識を詰め込んだところで実際に動かさなければ何の役にも立たん。その点お前が言う“動いて慣れる”のは的を射ている。しかしいくら学園がISに力を入れ、教育していると言ってもISそのものの数には限りがある。加えて全員がISに関して深い知識を求めているからこそ、訓練機の貸出し倍率は高い」

 

 パラパラとページを捲りながら織斑先生は言う。

 

「今日明日あたりに訓練機を使用する連中は申請を一カ月前からしていてな、いくらお前が特例な立場であろうとその申請を蔑ろには出来ん。意味は分かるな?」

 

 同意を求める視線に頷く事で答える。要は男だからという特別待遇による訓練機の貸出しは期待するなという言い回しなのだろう。実技練習が取り上げられたのはかなりの痛手だが、規則なら従うしかない。俺自身正規の手段で掴み取ったものを蹴り飛ばす程、無粋では無いつもりだ。あくまで自己の勝手な見解だけど。

 

「聞き訳が良くて助かる。可能性は薄いが、もし訓練機に空きが来たらお前にも伝えよう。まぁなんだ、大衆の前で無様な姿を晒したくなければ、勉学然り運動然り、精々手を抜かずに日々を過ごす事だ」

 

「そうさせてもらいます。お時間頂きありがとうございました」

 

「午後の授業も励めよ」

 

「はい。では、失礼します」

 

 軽くお礼を言って俺は部屋を出ようと身体を反転させる。一歩踏み出そうとしたところを織斑先生に引き留められた。

 

「あぁ、すまん、一つお前に言い忘れていた」

 

 ふと思いだしたように言って、振り返る。口調からして忘れても問題ない程度の些細な内容なのだと予想して耳を傾ければ、その予想に反して織斑先生はとんでもない爆弾を投下した。

 

「今回のクラス戦だが、結果がどうであれお前がクラス代表になる事は無い」

 

「……はい?」

 

 予想外の真実を告げられ俺は目を丸くする。鏡が無いので定かではないが、きっとこの時の自分は鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしていたように思う。困惑が抜けきらない頭で事情を聴けば、クラス代表とはその役職上外部の人間と接触する機会があるらしく、極秘裏に入学した俺がその立場に就くのは本末転倒との事。

 

「再来週のクラス対抗戦では数名の外部関係者が来賓として招かれてな。そんな中でお前が舞台に立つと不味い事になる。だからお前が代表になる事は無いんだが……すまん、クラスで伝えようとしていたんだが忘れていた」

 

「……あぁ、いえ、大丈夫です」

 

「そうか。引き留めてすまなかったな」

 

 頭の中を漂う意識を何とか現実に引き戻す。そうした頃には既に織斑先生は言う事は言ったと表現するように机へと身体を向けていた。こちらも通路の邪魔をする訳にもいかず、重い影を引きずるようにして職員室の扉へ足を進める。

 

 いや、元からクラス委員なんて大それた役職に就くつもりなんて無かったので、考えようによっては置かれた状況は好都合なはず。……なのに何故だろう、素直に喜べない。……違う。何故だろうとか言いながら、理由など分かりきっている。

 

 織斑とオルコットが火花を散らし、己が誇りと威厳を賭けた決戦の契りを交わしていたクラス戦。この戦いは織斑とオルコット、そしてほとんど空気みたいな俺を含めた三人が競い合い、その中で最も戦績が良い生徒がクラスの代表を担う事が最終目的だ。

 

 しかし、その戦いの根源的な目的たるクラス代表になる資格が俺に無いともなれば、それは戦う目的の無意味化に他ならない。

 たかが目的、されど目的。目的の無意味化は目的遂行に準ずるすべての行動の意味すら無にしてしまう。

人間目的があるから頑張れる。例え仮初だろうが偽りで塗り固められたものであろうが、戦う者にとって目的は精神を維持するために必要なのだ。

 

 ………………織斑先生。

 声を大に──否、盛大にして聞きたいです。

 この戦いに俺が参加する必要、ほんっとにあるんですか?? 

 

 

 

 

 昼食後、二回程控えている授業を終えれば放課後に突入する。学生のお勤め時間などとっくに過ぎているが、教室内が静に包まる事は無い。室内は生徒がほぼ全員退室して一人に近い状況だが、教室に面した廊下には他のクラス、中には学年の垣根を超えた上級生も混じって多くの生徒で賑わっている。

 

 とはいえ休憩時間の時と比べればその人口密度は比較するのも烏滸がましい程薄い。理由は先に教室を脱した織斑が大部分の生徒を連れて行ったからだろう。言い方は悪いが織斑は囮の役割を担ってくれたのだ。

 

 海が太陽の光を照り返し、朱色へ染め上げられた教室の中で俺は騒音から逃れるように教本を読み耽る。出来る事なら一刻も早く撤収したいが、山田先生から放課後は教室に残っているようにと言われている以上、俺には待つ責務が課せられている。10分か20分か、体感的にはそのぐらい経って廊下の喧騒に歪みが生まれた。

 

「あっ、ちょっとごめんなさい、通らせてくださいね」

 

 廊下の喧騒に紛れて聞こえた声は間違いなく山田先生のものだ。教本へ向ける意識を浮上させれば生徒の間を縫うようにして山田先生が書類を片手に躍り出てきた。女子の波に揉まれたせいか服装に乱れが生じていたが、大して気にする様子は無いようで、軽く手で整えるとこちらの席へ向かってくる。

 

「すいません、此処に来るまで少々手間取ってしまって。蒼羽くん、お待たせてしまいましたね」

 

「いえ、山田先生が忙しいのは充分知っていますし、自分自身それほど待ったつもりも無いのでお構いなく」

 

「あはは、なんだか気を遣われちゃいましたね。でも、そう言ってくれると助かります。えっとですね、寮の部屋が決まったので鍵を渡しに来ました」

 

 はい、と差し出された先生の手にはスチール製の鍵がちょこんと乗っかっていた。鍵穴に差し込む部分の上下に凹凸がある事からディスクシリンダー錠だと分かる。扉をロックしている不規則なピンをカギの凹凸で一津に並ばせ、円柱の回転機構を開放する事でロックが解除されるアレだ。

 取付コストが安価な反面、仕組みが単純で防犯性の低い機構を採用しているとは。てっきり最新設備を整えている学園だから生体認証みたいな仕組みを想像していたので、こんなところだけアナログなんだな、となんだか面白おかしく感じてしまう。

 

「では寮まで案内しますので付いてきてください」

 

 鍵を受け取ると山田先生がそんな事を言ってくる。話によれば快適性を重視して本校と隣接するように寮は立てられているというが……如何せん俺は昼休みに二回も迷った前科持ち。二度ある事は三度あると言うし、未然に予防する意味合いも込め始めから案内するのだろう。

 

 反論する意思も無いので、読んでいた教本を鞄に突っ込むと鍵を握って立ち上がる。先立って歩く山田先生に付いていけば廊下の人だかりがぱっくりと割れていく。

 背中から視線は感じないが、一応目視で後方を確認すれば織斑の時のようにぞろぞろと付いてきている様子は無い。背中を無遠慮に見られる緊張感が霧散すると同時にほっと安堵の息を吐いた。

 

「どうしたんですか? ため息なんて吐いて。初めての高校生活で疲れちゃいましたか?」

 

 思わず出た息に反応して山田先生が質問してくる。慣れない環境での一日を終える事に対して気が緩んだとでも思ったのだろう。それも少なからず含まれているのだろうが、まぁ安心した点は同じなのであながち間違ってはいない。

 

「大方そんな感じですね。これまでほとんど山の中で過ごしていたので、こう人が多い場所で過ごすのは違和感? みたいなものがありますけど」

 

「ああ、そうでしたね。そうなると織斑くんたちみたいな同年代の子たちと会話するのもあまり経験した事は無いんですか?」

 

「えぇ。ゼロって訳じゃ無いですけど、ここ最近ではありませんね」

 

 思い返してみれば自分と同年代の人間と話したのは酷く久しぶりな気がする。幼少期の頃はむしろ同い年の子と一緒にいる時間は多かったが、養親に拾われる形で一緒に過ごすようになってからはそのような機会はめっきり減った。

 山の中で閉じ籠っていれば当然だろう。それでも何回かは同年代の少女と話す機会はあったが、事務的な話をするのが精々で、先生の言う“会話”とは少々ベクトルが違う気がする。仮に含めても数回程度、大して変わらないだろう。

 そんな事を考えていると横から視線を感じ取る。顔を向ければ山田先生が観察するようにじっと見ていた。

 

「山田先生? どうかしましたか?」

 

「ああっいえ、ただ蒼羽くんってすごく落ち着いているなぁって思いまして」

 

「落ち着いている? 自分がですか?」

 

「はい、なんだか物事を常に冷静に対処出来そうで。私なんかよりずっと大人びていると思いますよ」

 

 山田先生の言葉に眉を顰める。自分が落ち着いている評価など一度たりとも受けた事が無かったので、イマイチしっくりこなかった。

 

「いえ、自分は全然そうだとは思っていません。むしろ逆で自分なんてまだまだです。現に今日だけで二度も学校で迷っていますし」

 

 最後の自嘲には流石の山田先生も苦笑いを浮かべた。

 

「あはは、確かにそうですね。職員室とは真反対の場所で会った蒼羽くんから『職員室って何処にありますか』って聞かれた時はびっくりしましたよ」

 

「でしょう? 結局表面上は冷静に見えるだけで、自分の中身なんて半端者もいいところです」

 

「そう卑下しなくてもいいと思いますよ。蒼羽くんは学園の案内を受けていませんし、実を言えば校内で迷子になる子も結構多いんです」

 

「え、そうなんですか?」

 

 思わぬ事実に目を丸くする。驚いた様子の俺が意外だったのか、山田先生は不覚にも噴き出した笑み何とか取り繕って口を開く。

 

「IS学園はその特性上、秘密情報の塊みたいな場所ですからね。機密保持の為に学園が配布するパンフレットやホームページには施設の概要はあっても詳細な情報は記載していません。万一機密情報を狙うような人たちが来た際にも生徒と情報、貴重なISなど、どれも守れるよう学園には多くの防御システムが備えられています。本校舎に案内表示板が無いのはその一環なんです」

 

「……なるほど」

 

 話を聞く限り侵入者が容易に校内構造を把握出来ないようにするため、敢えて案内板は設置していないという。道理で探しても見当たらない訳だ。つまり俺は何も知らない侵入者が至るであろう間抜けな結果を体現したという事か。

 

 いや、そもそも離島上に建てられた学園に侵入出来てる時点で、間抜けどころか相当な手慣れなのは確実だろう。そんな輩相手にその対策はどれほどの効果が期待出来るのか……。無いよりはマシだが、実際の効果は心持ちが僅かに軽くなる程度だろう。だったらいっその事、その有名無実な対策をばっさり切り捨てて、学園生活の快適性を向上させて欲しい。

 

「……うん、是非そうして欲しい。今後俺みたいな犠牲者を出さない為にも」

 

 山田先生の耳に届かない程の音量で小さくごちる。とりあえず三回目の醜態を晒さぬよう時間が出来たら校内探索でもして施設の把握に努めようと心に決めた。

 

「あっ、見えてきましたよ、あれが学園の寮です」

 

 山田先生が指さしたのは極力無駄を省いた四角形型のビルディングとは程遠いデザインの建物だった。何となく見上げた窓の配置からおおよそ四、五階建てだと推測する。

 外観は白単色で塗装されているが、それに対して清潔感より先に冷たく無機質な印象を受けるのはきっと、忌まわしい思い出が影響しているのだろう。

 内心自嘲じみた感情を滲ませながら玄関を通って建物の中へと入る。すると一転、外装の簡素な印象とは裏腹に内装は茶色と白のツートンカラーで統一され、電球色の照明と相まって温かみのあるシックな空間を醸し出していた。

 

「寮内には学年ごとに食堂が設けられているので、蒼羽くんは一年生用の食堂を使ってください。あっ、利用時間は夕食は18時から19時です。一応寮内には大浴場が設けられていますが、蒼羽くんは部屋のシャワー室を利用してくださいね」

 

「分かりました。此処まで案内してくれてありがとうございます」

 

 頭を軽く下げれば『部屋まで案内しなくて大丈夫ですか?』と心配されたが入口脇の電子掲示板に寮内の俯瞰図が投映されている。どうやら寮内は校舎のような面倒な有名無実システムを採用していないようで、その俯瞰図を見た限り学園の校舎ほど複雑な造りをしていない。大雑把だが部屋が何処にあるのかも記載されているので迷う可能性は低いだろう。

 

「そうですか。では今日は此処でお別れですね。ちゃんと休んで疲れをとってくださいね」

 

 そう言うと山田先生は学園の方へ歩いていった。俺は電子ディスプレイで階段の位置を確認するとすぐさま向かい二階へと上がっていく。案内図を見た限りでは角部屋だったので突っ切っればそこが俺の部屋となる。

 

「1050室、この部屋か」

 

 廊下を突き当れば鍵の番号と同じ番号が彫られた金属プレートがドア枠に張られた扉が俺を出迎えた。寮の部屋は二人一部屋だと聞いているが、同室の相手は誰だろう的なウキウキ感は無い。相方は同性である以上十中八九織斑だろう。

 しかし当の織斑はというと一週間は自宅から通うらしいので、その期間は実質一人部屋となる。誰の目も気にせず、完全なプライベート空間で過ごせるのは素直に嬉しい。

 先程渡された鍵を鍵穴に刺してみれば、グリスでも塗っているかのような滑らかさで奥まで入った。軽く捻ると、カチャンと音を立ててロックが解除される。

 

「ノックは……しなくていいか」

 

 どうせ一人部屋だし、と胸中に思いながらドアノブを回転させ扉を開いた。

 扉をくぐった俺を向かい入れたのは、誰もいない森閑とした寮室──では無く。奥の学習机に向かっているメガネを掛けた女子。余程集中しているのか、俺が部屋に入ってきた事に気付いた様子は無く、真剣な形相でディスプレイを睨みながらキーボードに指を走らせていた。

 

「……」

 

 思わぬ状況に思考が固まるが、それも一瞬。停止していた分を取り戻すかのように回転を始めた頭は現在置かれた状況を分析し始める。

 いの一番に浮かんだ可能性は部屋を間違えたのではないかというもの。しかし鍵の番号と扉の番号は一致していたし、渡された鍵でロックも解除出来たのでその線は薄い。

 ならば相手が部屋を間違えている可能性は──と考えて即座に否定する。そもそも鍵が掛かっている部屋に上がっている時点で回答など決まっているではないか。

 

「……少しいいかな?」

 

「っ!?」

 

 口を開けば少女は肩を震わせてこちらに目を向けた。案の定、俺の存在に気が付いていなかったようだ。

 

「えっと、忙しそうにしてるところごめんね。君はこの部屋の人であってる?」

 

 怖がりな性格なのか。酷く驚いた彼女の姿が恐怖に身をすくませる小動物に思えて。敵意は無いと伝えたかったのだろう、俺は無意識のうちに絞られた柔らかい声で問うた。

 それに対し少女は小さくか細い声音と共に首を振った。横では無く縦に。首肯、即ち肯定──同居人という事実が彼女の方から示された。

 

『そっか』と小さくぼやきながら開けたままにしていた扉を閉めて部屋に上がる。しかし異性が同居人となるのは倫理的にどうなのだろう。それも社会的に未熟な学生の身分で。起こしたく無いし起こす気も無いが万が一の事態を引き起こす可能性もゼロではないだろうに。

 そんな事を考えながら使っていない方の机に鞄を置く。そのタイミングで今度は少女の方から声が掛かった。

 

「……貴方は──二人目の?」

 

 当然とも取れる問いが投げられる。まぁスカートじゃなくてスラックスを穿いてる時点で気付かない方がおかしい。

 

「うん、そう」

 

 短く頷いてから少女の方へと歩み寄り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()そっと右手を差し出した。

 

「蒼羽白音。異性だから色々困る事も多いと思うけど、よろしく」

 

「……よろしく」

 

 軽く触れる程度の握手を交わして、少女は自分の名前すら挙げずにディスプレイへと向き直った。客観的に見れば冷たい反応。しかしそれに対して俺はさほど不快感は覚えなかった。

 彼女が先ほどから目を向けているディスプレイにはソースコードらしき単語が所狭しと羅列していた。何かのシステムプログラムを組んでいるようだが、圧倒的な情報量の違いから普通の代物ではない、精密性の高いシステムを構築しようとしているのが分かる。

 

「……」

 

 ひたすらにキーボードを打ち込む少女の顔には何処か怖くなるような必死さがあった。泣くような、それでいて縋るような。

 一体何がそこまで彼女を駆り立てるのか俺には判断がつかないが、表情からただ事では無い類の問題だと予測する事は出来た。

 冷たい反応も、きっとその問題解決にリソースを割いて周りを気遣う余裕が無いのだろう。

 静かにその場を離れ、卓上に置いた鞄に手を伸ばす。

 

「ちょっと外に出てくるよ。一応鍵は掛けておくから、後はごゆっくり」

 

 そう言って俺は部屋を出た。広いとはいえ他人が、それも性別の違う異物が同じ部屋にいたら意識が散漫してもおかしくない。

 一応最低限の挨拶は出来たし、同居人としての関係を築くのは後からでも遅くは無い。そう判断して部屋を少女へ貸し出したのだが。

 

「どうしよっかな……」

 

 壁に身体を預けて考える。暇つぶしに教本は持ってきたが、問題はその本を何処で読むかだ。流石に人の往来のある寮の廊下で読書に耽るのも無理があるだろう。

 俺はさっき見た寮の俯瞰図を脳内に投映し、適当にいい場所が無いかリサーチして。結果、意外にも最適な場所がある事に思い至った。

 

 確か屋上には休憩スペースが設けられていたはずだ。休憩と豪語するからには腰を落ち着けるベンチの1つや2つあって然るべきだろう。大海に沈みゆく恒星を背景に教本で読書とは、なんとも堅物じみた不審者感が漂うが、想像してみれば意外に笑える。

 きっとこれから1人になれる場所も必要になってくるだろうし、確認も兼ねて行ってみるのも悪くない。俺は屋上へ向けて足を進めた。

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