――
決闘を取りつけた日から、三日が過ぎた。
言い換えれば、アキヒロが自分のガンダムを作り始めてから三日が経ったということでもある。
最初の一日は、ほとんどマサヒロの講義で終わった。
ニッパーは刃を部品へ密着させず、少し余裕を残して切る。残った突起はナイフとやすりで少しずつ削る。接着剤には種類があり、塗った直後に固まるものもあれば、樹脂そのものを溶かして接合するものもある。パテは盛れば終わりではなく、硬化を待って削り、形を整えなければならない。
知識としては、どれも理解できた。
だが、理解したことと、手がそのとおりに動くことは別だった。
「力を入れすぎだって!」
乾いた音がして、細く切り出したプラ板がアキヒロの指先で折れた。
「……脆すぎるだろ、これ」
「プラ板が悪いみたいに言うなよ。そんな握力で挟めば何だって折れる!」
マサヒロが呆れた顔で、折れた破片を拾い上げる。
前世では、機体の装甲板や駆動部を扱った。工具も使ったし、整備の手伝いもした。だが、相手は人の背丈を超える機械だった。指先ほどの部品を、削りすぎないよう少しずつ整える作業とは勝手が違う。
二日目には、どうにか基本的な工具を扱えるようになった。
そして三日目。図面を引き終えたアキヒロは、別の壁へ突き当たっていた。
机の上には、何枚もの方眼紙が並んでいる。
正面。側面。背面。装甲を外した状態。腕部、脚部、胴体の内部構造。背部へ格納する二本の副腕と、それを展開するための駆動部。紙の余白には寸法と材質、関節の可動範囲まで細かく書き込まれていた。
図面だけなら、納得のいくところまで来た。
問題は、これをどうやってプラスチックへ置き換えるかだった。
「……やべぇ」
アキヒロは工具を握ったまま、低く呟いた。
「どこから手をつければいいのかわからねぇ」
「だから言っただろ」
背後から手元を覗き込んだマサヒロが、深いため息をつく。
「いくら図面が描けても、いきなり
「
「そういう問題じゃない。これ、本物と同じ厚さの装甲を、そのまま一四四分の一にしてるだろ」
「駄目なのか?」
「薄すぎて、触っただけで割れる。こっちの関節も、この隙間じゃ塗装したら動かなくなる。あと、この筒は何?」
「
「動力炉……」
「ここから各部へ――」
「ガンプラに本物の動力炉はいらない!」
マサヒロの叫びが部屋へ響いた。
アキヒロは改めて図面を見る。
人型兵器として動かすための構造ならわかる。何十トンもの重量を支え、装甲を纏い、武器を振るうために何が必要なのかも身体で覚えている。
しかし、手のひらほどの模型を動かすための構造は知らない。
十五年間、一度もガンダムへ向き合おうとしなかった。その空白が、ここへ来て一気に押し寄せてきたらしい。
とはいえ、諦めるという考えはなかった。
アキヒロは工具を置き、机の図面を重ね始めた。
「そうだな。一人で悩む必要はねぇんだった」
その言葉に、マサヒロが僅かに胸を張る。
「やっとわかったか。じゃあ、俺のガンプラを――」
「ナナホシ模型へ行くぞ」
「……は?」
「店長なら作業場を使っていいと言ってた。わからないことは聞けとも言ってたからな」
図面と材料を手提げ鞄へ収める。
自分の提案が採用されなかったマサヒロは、不満そうに口を尖らせた。
「結局、店長に頼るのかよ」
「お前も来い」
「俺も?」
「当たり前だ。俺一人で話を聞いても、模型の言葉がわからねぇ。お前が横で説明しろ」
マサヒロは何度か瞬きをした。
それから、嬉しそうになるのを隠すように鞄を肩へ掛けた。
「仕方ないな。兄ちゃんだけじゃ、また動力炉から作り始めそうだし」
「必要ねぇのか、動力炉」
「絶対いらない」
――――
三日前に初めて踏み込んだ模型店へ、今度は迷わず入ることができた。
扉のベルに気づき、カウンターにいた店長が顔を上げる。
「やあ。思っていたより早い再会だね」
金色の髪と緑色の瞳。
やはり、何度見ても前世の男によく似ている。
「いきなりで悪い。……です。助けてくれ」
アキヒロは頭を下げた。
店長は一瞬だけ目を見開き、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「もちろん構わない。そのために、いつでも作業ブースを使ってくれと言ったのだから」
断られるとは思っていなかった。
それでも、誰かへ頭を下げ、素直に助けを求められるようになった自分を、アキヒロは少しだけ不思議に思った。
「イスルギ。しばらく店を頼めるか」
「はい。ですが、あまり長く店を空けないでください」
「善処しよう」
イスルギの諦めたような顔を見る限り、善処されたことはあまりないらしい。
店長に案内され、店の奥にある作業ブースへ入る。バトルシステムの試遊台には今日も数人の客が集まっていたが、その背後に並ぶ机はほとんど使われていなかった。
「随分と空いて、……空いてますね」
「ここで一から製作する客は少ない。バトルで負った傷を、その場で応急修理するために使われることの方が多いね。工具は一通り揃えてある。足りないものがあれば店頭から持ってこよう」
店長は椅子を引くと、期待を隠そうともせず身を乗り出した。
「それで、君は一体どのような機体を作ろうとしているんだい?」
アキヒロは手提げ鞄から図面を取り出した。
「可能な限り、覚えているものを描き出した。……描き出しました。ですが、模型として作る方法がわかりません」
「覚えている?」
「いや、こっちの話だ。……です」
重ねた方眼紙を差し出す。
店長は笑顔で受け取った。
そして一枚目を広げた瞬間、動きを止めた。
先ほどまで浮かべていた余裕のある微笑が消える。
緑色の瞳が、紙の上をゆっくりと辿っていく。
「……これは」
描かれているのは、装甲を外した人型の骨格だった。
胴体の中心へ並ぶ二基の
店長は二枚目を一枚目へ重ね、照明へ透かした。
フレームの線へ寸分違わず装甲が重なり、人型の機体が浮かび上がる。
さらに武装の図面。背後の装甲を取り外し、二枚の刃を持つ巨大な鋏へ変形させる機構。複数の銃器。
紙の上にあるのは、模型の三面図ではなかった。
実際に動き、戦い、人間を乗せることを前提に描かれた、モビルスーツの設計図だった。
「アキヒロ君」
店長の声から、普段の軽さが消えている。
「君は、これを何を参考に描いた?」
「俺の頭に残ってるものだ。……です」
「アニメーションを見た記憶ではなく?」
「違う。……違います」
「では、この二基の炉は?」
「その機体の心臓だ。……です。一基だけでも動きますが、出力は落ちる。二つを同期させて初めて、本来の性能を発揮します」
「このフレームに使われる材質は」
「そこまでは再現できねぇ。……できません。ですが、壊れにくいです。装甲がなくなっても、最後まで動きました」
店長は黙った。
冗談を言っているのか探っているのではない。
アキヒロの答えを一つずつ、未知の技術資料と照合するように考えている。
「どうだ。……ですか」
沈黙に耐えかね、アキヒロは頬を掻いた。
「できるだけ正確に描いたつもり、……です。ですが、思うようにはいきませんでした。いまいちでしたか?」
「いまいち?」
店長が初めて顔を上げた。
「君はこれで、思うように描けていないと言うのか」
「細かいところまでは覚えてねぇ。それに、中身まで一四四分の一にしたら、マサヒロに動かないと言われた」
「動かないよ!」
黙っていたマサヒロが堪えきれず割り込む。
「プラモデルへ本物の構造を入れてどうするんだよ。動力炉まで作ろうとしてたんだぞ、兄ちゃん」
「なるほど」
店長は図面を見下ろし、ようやく小さく笑った。
「君が壁へ突き当たった理由がわかった。アキヒロ君。この設計図は、モビルスーツを作るためのものとしては、恐ろしいほど完成されている」
指先が、図面の脚部をなぞる。
「少なくとも、描いた人間が巨大な人型機械を動かすうえで、どこへ力が掛かり、何が壊れやすいかを知っていることはわかる。だが、これはガンプラの設計図ではない」
「やっぱり駄目か」
「逆だよ。ここにあるものを、模型として成立する形へ翻訳すればいい」
店長は白紙を一枚取り、図面の横へ置いた。
「実物の装甲をそのまま縮小すれば薄すぎる。ならば、外から見える形を変えず、内側へ厚みを足す。シリンダーをそのまま動かす必要はない。可動軸を一つへまとめ、内装のシリンダーは動いているように見せればいい。二基の炉は動力源としてではなく、胴体の強度を支える構造材に置き換える」
鉛筆が、アキヒロの線を残しながら新しい線を加えていく。
「本物を偽物にするのではない。本物らしさを、模型の中へ残すんだ」
その言葉で、頭の中に道筋が見えた。
アキヒロが描いた設計を捨てるのではない。必要なものを選び、手のひらの大きさへ作り直す。
「兄ちゃん。これなら、俺にも手伝える」
マサヒロが図面を覗き込み、関節の横へ寸法を書き込んだ。
「ここの軸は市販の関節パーツを芯にできる。外側をプラ板で囲えば、形も変わらないと思う」
「フルスクラッチじゃなくならねぇのか?」
「関節まで一から作って、一か月で間に合うわけないだろ! 使える部品は使うんだよ!」
「彼の言うとおりだ。ガンプラ製作に、唯一の正解はない。目的の形を生み出すためなら、既製品も、別の模型も、身近な素材も使えばいい」
「でも、兄ちゃんにできるの?」
マサヒロが不安そうに尋ねた。
「一か月もないんだぞ。図面を全部直して、部品を作って、組み立てて、塗装までしないといけない」
アキヒロは、店長によって新しい線の加えられた図面を見下ろした。
方法がわからない間は、手をつけることさえできなかった。
だが、理屈がわかれば学べる。学んだことは、次へ使える。
「勉強なめんな」
短く答え、鉛筆を取った。
マサヒロは一瞬呆け、それから肩を竦めた。
「それ、自分で言う台詞かよ」
店長は再び図面へ目を落とした。
その横顔が、記憶の中の男と重なる。
「そういや、まだ名前を聞いてねぇ。……聞いていませんでした」
アキヒロが言うと、店長は意外そうに瞬きをした。
「これは失礼した。初対面で名乗りもしないとは、店主として失格だな」
差し出された手が、もう一度アキヒロの前へ来る。
「本名はマクギリだ。ただ、開店した頃に常連の子供が『マクギリス』と呼び間違えてね。それを皆が面白がって、いつの間にか親しみを込めた呼び名として定着してしまった。君もそう呼んでくれたまえ」
今度こそ、アキヒロは言葉を失った。
似ているだけだと思っていた。
顔も声も同じで、呼び名までマクギリスだった。
目の前のマクギリスは、差し出した手を不思議そうに宙へ止めている。そこに以前の記憶がないことは、すぐにわかった。鉄華団も、ギャラルホルンも、自分のことも知らない。
何より、図面へ向ける目があまりにも無邪気だった。未知のガンダムを前に興奮を抑えられず、それでも年長者らしく振る舞おうとしている。ただのガンダム好きの模型店主にしか見えない。
ひとたびガンプラを動かせば、身体が覚えているかのような技量を見せる。その部分だけが、前世から無意識に持ち越されたものなのだろう。
マサヒロもそうだった。
アストンも、きっと。
死んだ者たちは、何も覚えていなくとも、この世界のどこかで生き直しているのかもしれない。
胸の奥に、温かさと、僅かな寂しさが同時に生まれた。
再び巡り会えても、彼らは自分を知らない。
それでいいのだと思う。
血と死に塗れた記憶など、持たずに済むなら、その方がいい。
「どうしたんだい?」
「……いや」
アキヒロは差し出された手を握った。
「よろしく頼む。……お願いします、マクギリスさん」
「ああ。君のガンダムを完成させよう」
――――
それからの日々は、恐ろしく速く過ぎた。
学校が終われば、アキヒロとマサヒロはナナホシ模型へ向かった。
作業ブースへ図面を広げ、まずフレームを作った。
太いプラ材を削り、関節部へ既製品の軸を仕込む。最初に作った肩は、保持力が足りず、自重だけで垂れ下がった。二つ目は強度を求めすぎて、ほとんど動かなかった。三つ目でようやく、重い装甲を支えながら腕を振り上げられる形になった。
「失敗した部品、もうこんなにあるぞ」
マサヒロが机の端に積まれた残骸を指差す。
「次は失敗しねぇ」
「それ、昨日も聞いた」
「昨日よりはましだ」
「それは認める」
マクギリスは、答えを先に教えなかった。
壊れた理由を尋ね、アキヒロ自身に考えさせた。模型としての経験はないアキヒロも、力の掛かり方と材料の性質を理解すれば、次の部品には必ず修正を加えた。
ガンダム・フレームの模型用図面がまとまった日、マクギリスは珍しく遠慮がちに切り出した。
「アキヒロ君。一つ頼みがある。このフレームの図面を、私にも写させてもらえないだろうか」
「この図面を? ……ですか?」
「ああ。これほど合理的で美しい内部骨格は初めて見た。もちろん、君の機体と同じものを作るつもりはないよ。私なりに、このフレームへどのようなガンダムを着せられるのか、考えてみたいんだ」
口調こそ慎重だったが、緑色の瞳は期待に輝いていた。
アキヒロに断る理由はなかった。むしろ、自分の知るガンダム・フレームが、この平和な世界で別の姿へ生まれ変わることに興味が湧いた。
「構わねぇ。……構いません。俺が描いたものでよければ、使ってください」
「ありがとう!」
返事を聞いた途端、マクギリスは子供のような笑顔になり、すぐに複写用の紙を持ってきた。
「店長。仕事を忘れないでください」
カウンターから飛んできたイスルギの声に、マクギリスは図面を抱えたまま露骨に目を逸らした。
イスルギは、マクギリスより現実的だった。
「店長の言うとおりに全部試していたら、時間がいくらあっても足りません」
そう言って、切り出す部品の順番や、接着剤が固まるまでに別の作業を進める方法を教えた。
直線の多い装甲は、曲面ばかりの機体よりプラ板から形を起こしやすかった。それでも、正面と側面の図面どおりに切った板が、立体にした途端に噛み合わないことがある。
紙の上では一本の線でしかない厚みが、現実には別の面とぶつかる。
アキヒロは何度も装甲を作り直した。
表面には削った跡が残った。左右の形も、よく見れば僅かに違う。パテを盛りすぎて重くなり、内側から削り直した部品もある。
だが、内部のフレームだけは妥協しなかった。
四本の腕が互いに干渉せず動くこと。巨大な武器を保持できること。重い上半身を二本の脚で支え、踏み込んだ力を腰から肩へ逃がさないこと。
実際に自分が乗るつもりで、何度も確かめた。
「兄ちゃん、そこまで中身を作り込んでも、装甲をつけたら見えないぞ」
「見えなくても、動きは変わる」
「まあ、そうだけどさ」
マサヒロも、いつしか止めなくなっていた。
むしろアキヒロが形にできない細かな部品を引き受け、塗装の順序を考え、ガンプラバトルで壊れやすい箇所を指摘した。
兄がフレームの強度を上げ、弟が模型としての扱いやすさを加える。
二人の知識が重なったところから、少しずつ機体が生まれていった。
家へ帰ってからも作業は続いた。
夕食の時間になっても部屋から出てこない兄弟を、母が何度も呼びに来た。
「まったく。少し前までガンダムの話もできなかったのに、今度は二人とも夢中になりすぎよ」
叱っているような言葉とは裏腹に、母は嬉しそうだった。
父も、作業机を覗き込んでは感心したように頷いた。
「アキヒロが初めて作るガンプラなら、完成したら父さんにも見せてくれ」
「ああ」
「父さん、期待しない方がいいよ。見た目は結構ひどいから」
「余計なこと言うな」
そんな会話が、当たり前のように食卓へ増えていった。
十日が過ぎた頃、機体は初めて自分の脚で立った。
まだ装甲の半分もなく、頭部もついていない。剥き出しの灰色のフレームだけだった。
それでも四本の腕を背負い、太い脚で机の上へ立つ姿を見た時、アキヒロは長い間、何も言えなかった。
以前の世界で見慣れたフレームとは違う。細部は簡略化され、関節には市販の部品が使われている。
だが、そこに確かに、あの機体の骨があった。
「立ったな」
マサヒロが隣で言う。
「ああ」
「まだ倒れそうだけど」
「支えを直せばいい」
「じゃあ、右足からだ」
二人は同時に机へ向かった。
二十日目。
背部へ折り畳んだ副腕が、初めて最後まで展開した。
途中で装甲へ引っかかり、何度も停止した機構だった。収納状態ではバックパックの一部にしか見えず、動かした時だけ二本の腕として姿を現す。
マサヒロが手動で動かし、主腕と合わせて四本すべてを前へ伸ばした。
「本当に四本、別々に動く」
「そのために作ったんだ」
「これ、操作できるのか?」
「できる」
迷いのない返答に、マサヒロは先日のジ・Oを思い出したのか、苦笑した。
「兄ちゃんにしか使えないガンプラになりそうだな」
「俺のガンダムだからな」
二十五日目。
最大の武器が形になった。
普段は機体の腰を守るリアスカート。左右へ分割された二枚の装甲を取り外し、柄を展開して組み合わせる。装甲の縁が巨大な顎となり、開閉する鋏へ変わる。
前世で最後に握った武器だった。
アキヒロは完成した鋏を手に取り、何度か静かに開閉させた。
プラスチックの小さな音が鳴る。
あの時のような、装甲が潰れ、人間の断末魔が途切れる音はしない。
「兄ちゃん?」
「何でもねぇ」
アキヒロは鋏を閉じ、機体の腰へ戻した。
「こいつは、最後に使う」
期限まで、残り三日。
アキヒロはこの三日間だけ、頭部の作業を家へ持ち帰った。
射撃用の細いセンサー。その装甲の内側へ折り畳む、もう一つの顔。図面にも詳細を描かなかった変形機構を、切り札として自分の手だけで組み上げる。
一度は展開軸の強度が足りず、顔を開いた瞬間に頬の装甲が外れた。二度目は部品同士が噛み合い、閉じた状態へ戻らなくなった。それでも構造を単純にし、軸を太くして、アキヒロは三度目の頭部を完成させた。
イスルギに教わりながら塗装を始めた。
淡い砂色の装甲に、濃い緑と暗い灰色を重ねる。筆と噴霧器の扱いに慣れていないアキヒロの塗装は、決して美しいとは言えなかった。薄い場所と厚い場所があり、表面の削り跡も完全には消えていない。
マサヒロが手直ししようとしたが、アキヒロは首を振った。
「ここから先は俺がやる」
「意地張るところか?」
「お前に教わって、マクギリスさんとイスルギさんに助けてもらった。それでも、最後にこいつを完成させるのは俺の手だ」
マサヒロはしばらく黙り、それから塗料を混ぜるための棒だけを差し出した。
「じゃあ、せめてちゃんと混ぜろ。下に色が沈んでる」
「わかった」
決闘前日の夜。
最後の部品を取りつけた。
机の上へ立った機体を、兄弟は並んで見つめた。
均整の取れた市販品とは違う。装甲には僅かな歪みがあり、塗膜にも粗さが残っている。それでも、分厚い胸部と肩、力強い四肢、背中へ隠された二本の副腕は、アキヒロの記憶にある姿を確かに宿していた。
閉じた頭部は、射撃に適した細いセンサーを前面へ向けている。その内側には、まだ誰にも見せていないもう一つの顔があった。
「できたな」
マサヒロが言った。
「ああ」
「名前は?」
最初から決まっていた。
あの機体と同じでありながら、あの戦場のためだけに存在するものではない。
一度焼かれ、別の姿へ生まれ変わったガンダム。
「ガンダム・グシオンリベイクフルシティ」
アキヒロは、十数年ぶりにその名を口にした。
今度は胸が痛まなかった。
「……長くない?」
マサヒロが、何とも言えない顔をした。
「そうか?」
「無駄に長いだろ。ガンダム・グシオンまではわかるけど、リベイクフルシティって何だよ。名前だけで必殺技みたいになってるぞ」
「そういう名前なんだ」
「それに、顔もガンダムじゃねぇし」
閉じた頭部の細いセンサーを、マサヒロが指差す。
「兄ちゃん、ロボットを全部ガンダムって言うタイプだろ」
「違う」
「じゃあ、これは?」
「ガンダムだ」
「だから、その顔のどこがガンダムなんだよ」
アキヒロは答えなかった。
閉じた装甲の内側にあるものは、実際に戦う時まで取っておくつもりだった。
「こいつが、俺のガンダムだ」
――――
約束の日、ナナホシ模型は普段の休日以上に混み合っていた。
一か月前に店長と互角近くまで戦った初心者が、たった一か月でフルスクラッチのガンプラを作り、決闘へ挑む。
どこから話が広がったのか、店内には顔見知りではない客まで集まっている。バトルシステムを囲むように人垣ができ、店の隅には携帯端末を構えている者さえいた。
「随分と増えたな」
「そりゃそうだよ。兄ちゃん、あの日から店じゃちょっとした有名人だから」
隣にいるマサヒロは、落ち着かない様子で何度も手提げケースを確認している。
その中には、完成したグシオンが収められていた。
アキヒロより、マサヒロの方が緊張しているらしい。
「お前が戦うわけじゃねぇだろ」
「俺とアストンのガンプラが懸かってるんだぞ。しかも、その機体は俺も手伝ってる。緊張するに決まってるだろ」
「なら、しっかり見てろ」
アキヒロは弟の肩を一度叩き、人垣の中へ進んだ。
対戦相手は、すでにバトルシステムの向こう側で待っていた。背後には、あの日と同じ二人がいる。
卓上へ透明なケースが並べられていた。
見覚えのあるマサヒロのカプル。その横には、アストンが作ったらしい濃紺の機体。他にも数体のガンプラが収められている。
「逃げずに来たな」
アキヒロが声を掛けると、相手は鼻を鳴らした。
「そっちこそ。店長に勝てなかったから、怖くなって逃げるかと思ったぜ」
「あんた、店長との試合を見てたのか」
「後から動画でな。初心者にしちゃ、よく動かせるみたいじゃん。でも、ガンプラバトルは操縦だけじゃ勝てねぇんだろ?」
相手は自分のケースを開いた。
中から現れたのは、橙と白に塗り分けられた細身のガンダムだった。両肩から後方へ伸びる翼と、鋭く尖った脚部。腰には二連装の銃器を備え、背中の推進器は大型化されている。
「アリオスガンダムか」
背後でマサヒロが呟いた。
「ただのアリオスじゃない。飛行形態の速度と大型GNクローの保持力を上げてある。お前に壊された時より、ずっと強くした」
その言葉が向けられたマサヒロは、僅かに顔を強張らせた。
アキヒロは聞き逃さなかった。
「マサヒロが壊したのか」
「……バトルでな」
「それは後で聞く」
今は、先に済ませることがある。
アキヒロも手提げケースを台へ置いた。
蓋を開き、グシオンを取り出す。
店内から、どよめきとは呼べない曖昧な声が上がった。
無理もない。
市販品のように整った表面ではない。板材から組み上げた直線的な装甲には僅かな歪みがあり、塗装の濃淡も完全には揃っていない。背中の塊は大きく、腰のリアスカートは機体の釣り合いを崩すほど重そうに見える。
一か月かけた作品として見れば、よくできているのかもしれない。
だが、完成見本のようなガンプラが並ぶこの店では、粗が目立った。
対戦相手は数秒ほど呆け、それから吹き出した。
「何だよ、それ」
取り巻きも笑い始める。
「まさか、本当に一から作ったのか? 表面はでこぼこ、塗装もむらだらけ。そんな完成度で俺と戦うつもりかよ。なめてんのか?」
アキヒロは答えず、グシオンの足を台へつけた。
立たせるだけでわかる。
重量は両脚から腰へ抜け、背中とリアスカートの重さを真っ直ぐに受け止めている。四本の腕を開いても、この軸は揺らがない。
見てくれが悪いことなど、自分が一番よく知っている。
「笑うのは、動かしてからにしろ」
「言ったな」
対戦相手はアリオスを設置し、自分のGPベースを差し込んだ。
アキヒロも借りたGPベースを入れようとする。
そこで、相手の取り巻きが声を上げた。
「待てよ。それ、ガンプラじゃないだろ」
「は?」
「どの作品の機体だよ。そんなガンダム、見たことない。適当に作ったプラモを、ガンプラバトルへ出していいのか?」
周囲がざわついた。
当然の疑問だった。
この世界に『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』という作品は存在しない。グシオンというガンダムも、誰も知らない。
アキヒロにとっては間違いなくガンダムでも、それを証明するものは自分の記憶しかなかった。
「問題ない」
騒めきを鎮めたのは、マクギリスだった。
今日は店主として、バトルシステムの中央に立っている。
「ガンプラバトルという名称が定着したため、忘れられがちなことだがね。プラフスキー粒子が動かせるものは、ガンプラに限らない」
「ガンプラじゃなくても動くのか?」
「プラスチックモデルであれば、原理上は何でも動く。戦車でも、飛行機でも、自動車でも構わない」
「じゃあ、何で皆ガンプラを使ってるんだよ」
「ガンプラバトルだから、というのが一番大きいだろうね。それに、出典となる作品と機体が確認できれば、GPベースは蓄積されたデータから、その模型の性能や武装を補完する」
マクギリスはアキヒロのグシオンへ目を向けた。
「存在を確認できない機体は、その恩恵を十分には得られない。動かすことはできても、性能は製作精度と素材、そしてファイターの想像力だけで再現しなければならない。正規のガンプラより不利になることはあっても、有利にはならないよ」
「でも、何でプラモなら何でも動くんだ?」
別の客が尋ねた。
マクギリスは一瞬だけ考え、堂々と答えた。
「それは私にもわからない」
店内の何人かがずっこけた。
「理屈のすべてが解明されていないことと、現に動くことは別の問題だ。規則上も、プラスチックモデルである以上、彼の出場に問題はない」
対戦相手は不満そうだったが、自分が有利になると聞いて反論をやめた。
「いいぜ。そんな出所不明の模型ごと、叩き潰してやる」
「始めよう」
アキヒロはグシオンを設置した。
青い光が機体を走査する。
一度、二度。
通常より長く計測した後、操作画面へ文字が表示された。
『MODEL DATA――UNKNOWN』
『CATEGORY――ORIGINAL PLASTIC MODEL』
ガンダムとは認められていない。
その事実に、胸の奥が僅かにざわついた。
当然だ。この世界の誰も知らない。機械が知らないことも不思議ではない。
だが、アキヒロは知っている。
こいつはガンダムだ。
「両者、GPベースの登録を確認した」
マクギリスが宣言する。
「勝敗は、一方の戦闘不能、場外、またはファイター自身の降参によって決する。決着後、約束されたすべてのガンプラを返還すること。異論は?」
「ねぇよ」
「異論はねぇ」
『Beginning Plavsky particle dispersal』
青白い粒子が、六角形の台へ広がる。
『Field 6, Canyon』
岩壁に囲まれた渓谷が生まれた。
高低差のある岩山と、機体が身を隠せる無数の亀裂。上空は広く開け、遠くには赤茶けた地平線が続いている。
アリオスが空を使うには十分な広さだった。
『Please set your GUNPLA』
二体の機体が、光の中へ降り立つ。
アキヒロの手へ操作感覚が繋がった。
自分で作ったフレーム。自分で削った装甲。わずかな左右差も、重心の癖も、すべてわかる。
グシオンが大地を踏みしめる。
向かい側では、アリオスの翼が展開した。
『Battle Start』
――――
先に動いたのはアリオスだった。
背部の推進器が眩い光を噴き、細身の機体が垂直に上昇する。岩山の高さを一息に越え、そのまま急旋回した。
速い。
店頭サンプルのジ・Oで戦った時とは比べものにならない。
アキヒロはグシオンの両腕へ持たせた長銃身のライフルを上空へ向けた。
照準を重ね、引き金を絞る。
乾いた発射音。
撃ち出された弾は、アリオスの後方を通り過ぎた。
「遅い!」
アリオスが身を翻し、二連装のビームライフルを撃ち下ろす。
グシオンを前へ出す。
反応が鈍い。
操作から機体が動くまでに、ほんの僅かな遅れがある。回避しきれなかった光弾が肩装甲へ命中し、淡い砂色の表面を抉った。
衝撃で巨体がよろめく。
「兄ちゃん!」
マサヒロの声が聞こえた。
アキヒロは機体を岩陰へ滑り込ませる。
おかしい。
関節の動きは何度も確認した。装甲をつけた状態で、想定した荷重にも耐えた。店の簡易試験では、副腕も問題なく動いた。
だが、今のグシオンは本来の動きをしていない。
「設計を間違えたか……?」
呟いた直後、頭上から警告音が鳴る。
アリオスが岩山を越え、急降下してきた。
グシオンはライフルを交差させ、攻撃を受ける。ビームが銃身の一つを溶かし、そのまま胸部装甲へ焦げ跡を刻んだ。
「どうした! 店長と戦った時の方が、まだ動けてたぞ!」
嘲笑と共に、アリオスが再び上空へ逃れる。
追えない。
グシオンの推進器も作り込んだ。だが、GPベースが補完する推進力は、設定の存在するアリオスより遥かに低い。
見た目だけを作っても、機械は中身を知らない。
この世界にない動力炉も、装甲も、アキヒロの記憶にしかない出力も、GPベースにとってはただのプラスチックだった。
「やはり、認識補正が働いていない」
フィールドの外で、マクギリスが低く言った。
「模型そのものの工作精度は高い。だが、システムは彼の設計した機構を、外見以上のものとして理解できていない」
「そんな……。じゃあ、兄ちゃんがどれだけ作り込んでも無駄だったのかよ!」
「いや」
マクギリスは、攻撃を耐え続けるグシオンを見つめた。
「補正がない状態で、あれだけの攻撃を受けてもフレームが崩れていない。彼が作ったものは、確かに機体を支えている」
その言葉どおり、装甲を削られても、グシオンの骨は立っていた。
アキヒロは一挺になったライフルを撃つ。
アリオスは最小限の動きで回避し、反撃する。
右脚へ光弾が当たり、膝の装甲が弾け飛んだ。
グシオンが片膝をつく。
「このまま遠くから削れば終わりだ!」
相手の言うとおりだった。
射撃戦を続ければ勝ち目はない。
ならば、相手の得意な距離で戦う必要もない。
アキヒロは残ったライフルを地面へ突き立て、機体を立ち上がらせた。
「射撃で当たらねぇなら――近づいて殴る」
「できるなら、やってみろ!」
アリオスが旋回し、今度は低空から接近する。
アキヒロは逃げず、真正面から待った。
ビームが飛ぶ。
左肩で受ける。装甲が砕けた。
もう一発。
胸部を僅かに捻り、厚い装甲の角度で逸らす。
足を止めない。
岩壁と岩壁の間、アリオスが翼を畳まなければ通れない狭路へ向かう。
対戦相手も意図に気づいた。
「逃がすかよ!」
アリオスの機体が空中で折れ曲がる。
頭部と胴体が収納され、両肩のバインダーが機首へ伸びる。人型から、鋭い矢のような飛行形態へ。
変形によって空気抵抗を減らした機体が、さらに速度を上げた。
機首を構成する二枚の大型GNクローが開く。
縁へ沿って、GNビームシールドの光が刃のように走った。
「捕まえた!」
回避は間に合わない。
アリオスの大型GNクローが、グシオンの胴体を左右から挟み込んだ。
砂色の装甲へ亀裂が走る。
アキヒロの手元へ、フレームの限界を告げる警告が次々と表示された。
「そのまま真っ二つにしてやる!」
二枚の顎が閉じていく。
アリオスの大型クローも、機体の一部を鋏として使う武器だった。
まるで、あの日の逆だった。
前世の最期、自分は巨大な鋏で怨敵を捕らえた。
今は、自分のグシオンが相手の鋏に挟まれている。
だが、あの時と違うものがある。
この機体には、まだ腕が残っている。
「グシオン」
アキヒロは操作盤を握り直した。
「お前は、こんなもんじゃねぇだろ」
射撃形態を解除し、近接戦闘形態へ切り替える。
隠していた機構を起動する。
閉じていた頭部装甲が左右へ展開した。
細い射撃用センサーが後退し、その奥から二つの瞳と、人の顔を思わせる白いフェイスが露わになる。額から伸びる角と合わせ、誰が見てもそれはガンダムの顔だった。
同時に、バックパックの装甲が割れる。
背中の一部にしか見えなかった二本の構造物が伸び、肘を曲げ、四本目までの腕となって前へ回り込んだ。
副腕の手が、アリオスのクローを外側から掴む。
『MODEL DATA――REASSESSING』
GPベースに、新たな表示が走った。
フィールドを満たす粒子が、一瞬だけ大きく脈動する。
『FRAME TYPE――GUNDAM』
『CATEGORY――GUNDAM』
今まで機体へ掛かっていた重しが、消えた。
四本の腕へ一気に力が満ちる。反応の遅れがなくなり、アキヒロの意思がそのままフレームへ届いた。
初めから、この感覚を知っている。
グシオンの中で、何度も戦った。
マクギリスが、静かに告げた。
「GPベースが認めたな」
その目は、初めてガンダムを目にした少年のように輝いていた。
「……あれは、ガンダムだ」
「うおおおおおッ!」
アキヒロの咆哮と共に、副腕が開く。
アリオスのクローが、内側から押し返された。
「馬鹿な! 変形したアリオスを、力だけで――!」
クローの接合部が軋む。
片方の副腕へ罅が入り、肘から先が砕けた。それでも残る三本の腕が動きを止めない。
主腕が左右のクローを掴み、残った副腕がアリオスの機首を殴りつける。
一撃。
二撃。
三撃目で、機首の固定が外れた。
グシオンは自分を挟んでいた顎を強引に引き剥がし、地面へ投げ捨てる。
アリオスが姿勢を崩しながらも人型へ戻った。
「まだだ!」
対戦相手が推進器を全開にする。
離脱し、もう一度距離を取るつもりだ。
だが、今度のグシオンは遅れない。
踏み込んだ脚が岩盤を砕いた。
巨体が地面すれすれを突進し、上昇するアリオスの脚を掴む。そのまま力任せに引き下ろし、岩壁へ叩きつけた。
翼が折れ、推進器が火花を散らす。
それでもアリオスは銃を向けた。
グシオンの残った副腕が手首を掴み、銃口を逸らす。主腕の一つが、背後のリアスカートへ伸びた。
腰を守っていた装甲が外れる。
柄が展開し、中央で接続された巨大な一対の顎が開く。
それが何のための装甲だったのか、対戦相手もようやく理解した。
「おい。まさか、それ――」
「挟まれた礼だ」
グシオンはシザース可変型リアアーマーを振り上げた。
巨大な鋏が、アリオスの胴体を左右から捕らえる。
前世の夕暮れが、視界へ重なった。
潰れた操縦席。
血の臭い。
鋏の中でもがく怨敵。
『待て……!』
あの日と同じように、対戦相手の声が聞こえた。
「待て! 降参だ! 俺の負けだ!」
指へ力が入る。
あと僅かに閉じれば、アリオスの胴体は二つに割れる。
以前なら、止める理由はなかった。
敵が生きている限り、味方が殺される。だから、徹底的に潰した。
だが、ここは戦場ではない。
目の前にいるのは、殺さなければならない敵ではない。
これは、自分たちが作ったものをぶつけ合い、終わった後にも互いが残るための戦いだ。
アキヒロは、鋏を止めた。
刃はアリオスの装甲へ深く食い込んでいる。それでも、胴体は繋がったままだった。
『Battle Ended』
終了を告げる音声が響いた。
渓谷が粒子へ還り、二体のガンプラが現実の台へ戻ってくる。
一瞬の静寂の後、店内が爆発したような歓声に包まれた。
アキヒロは操作盤から手を離した。
呼吸が荒い。
掌には汗が滲んでいる。
それでも、前世の最期とは違った。
鋏を握った手を、自分の意思で止めることができた。
――――
粒子が完全に消えると、グシオンの損傷が露わになった。
左肩と膝の装甲は失われ、胸部にはアリオスのクローで挟まれた深い亀裂が走っている。二挺のライフルのうち一つは銃身が溶け、副腕の一本は肘から先が砕けていた。
辛うじて立ってはいる。
だが、あと一度まともな攻撃を受けていれば、フレームまで折れていただろう。
アキヒロは両手で機体を持ち上げた。
一か月かけて作ったガンダムは、初めての戦いで見る影もないほど傷ついていた。
「……ごめん」
誰へ向けた言葉なのか、自分でもわからなかった。
最後まで動いたグシオンへか。
一緒に作ったマサヒロへか。
その両方だったのかもしれない。
「何で兄ちゃんが謝るんだよ」
マサヒロが隣へ来た。
壊れた副腕を見て、一瞬だけ痛そうな顔をする。それでも、すぐに笑った。
「壊れたなら、また一緒に作ればいいだろ」
「また、か」
「今度は一か月しかないなんてこともない。装甲だってもっと綺麗にできるし、副腕も壊れにくくできる。兄ちゃん、作ってる途中で直したいところ、いっぱい見つけてただろ」
「ああ」
「なら、次はもっと強くなる」
機体は壊れた。
だが、失ったわけではない。
直すことができる。
一度目より、よいものへ作り直すこともできる。
前世で失った者たちは戻らなかった。壊れた身体も、終わった時間も、作り直すことはできなかった。
この世界では、違う。
失敗しても、壊れても、もう一度やり直せる。
それがどれほど恵まれたことなのか、アキヒロは知っている。
「そうだな」
傷だらけのグシオンを、ケースへ戻した。
「次はもっと強くする」
「その前に、表面処理もちゃんと覚えろよ」
「そいつは、お前がやれ」
「自分でやるって言ってただろ!」
二人のやり取りへ、周囲から笑いが起きた。
その向こうで、対戦相手がアリオスを拾い上げている。
翼と機首は大きく損傷していたが、胴体は残っている。アキヒロが止めなければ、修理することさえ難しい状態になっていただろう。
相手はしばらく機体を見つめ、それから透明なケースを抱えて近づいてきた。
「約束だ」
マサヒロのカプルと、アストンたちのガンプラが収められたケースを差し出す。
「今まで預かってた分も、全部ある」
マサヒロが自分のカプルを確かめる。アストンも人垣を抜けて駆け寄り、濃紺の機体を大事そうに受け取った。
「ありがとう、アキヒロさん」
「俺は戦っただけだ」
アキヒロは対戦相手へ視線を戻した。
「もう、同じやり方で奪うな」
「……最初に言い出したのは、こいつだ」
相手がマサヒロを指差す。
マサヒロの肩が跳ねた。
「どういうことだ」
「俺がアリオスを作ったばかりの時、こいつと戦った。こいつは俺の機体の腕を折って、頭まで潰した。それで、次に勝った方が相手のガンプラを預かるって条件で再戦を持ちかけてきたんだ」
周囲の視線がマサヒロへ集まる。
「本当か」
アキヒロが尋ねると、マサヒロは俯いた。
「……本当だよ」
「アストンを巻き込んだのも?」
「俺が負けて、取り返そうとして……。一人じゃ勝てないから、アストンに頼んだ」
相手がガンプラを奪ったことは間違っている。
だが、原因のすべてが相手にあるわけではなかった。
マサヒロは家で抱えた鬱憤をバトルへぶつけ、必要以上に相手の機体を壊した。負けを認められず、自分からガンプラを賭け、友人まで巻き込んだ。
アキヒロは大きく息を吐いた。
「マサヒロ」
「……何だよ」
「謝れ」
「でも、こいつらだって――」
「こいつらのやったことと、お前のやったことは別だ」
マサヒロは唇を噛んだ。
以前のアキヒロなら、弟を守ることだけを考えたかもしれない。相手に非があるなら、それを理由にマサヒロの行いから目を逸らしたかもしれない。
だが、それでは弟を守ったことにはならない。
マサヒロはしばらく黙り、やがて対戦相手へ向き直った。
「……悪かった」
声は小さい。
それでも、逃げずに頭を下げた。
「最初のバトルで、調子に乗って壊しすぎた。ガンプラを賭けようって言ったのも俺だ。アストンまで巻き込んだ」
今度はアストンへ頭を下げる。
「ごめん、アストン」
「もういいよ。戻ってきたから」
アストンは機体を抱えたまま答えた。
対戦相手も居心地が悪そうに顔を逸らす。
「……俺も、勝った後に返せばよかった。腹が立ってたから、他の連中から取った分まで返さなかった」
「バトルで壊すのと、終わった後に取り上げるのは違う」
アキヒロが言う。
「戦うなら、戦って終わりにしろ。次に腹が立ったら、またバトルで決着をつければいい」
「兄ちゃん、それだとまた壊し合うことになるぞ」
「壊れたら直せる」
傷ついたグシオンのケースへ手を置く。
「だが、人のものを奪ったままじゃ、そこで終われねぇ」
対戦相手はアキヒロを見て、それからマサヒロへ視線を移した。
「次は、何も賭けない」
「今度は俺が勝つ」
マサヒロが答える。
「その前に、ちゃんと作り直せよ。あのカプルじゃ、また俺のアリオスには追いつけない」
「そっちこそ。翼が折れてるぞ」
「お前の兄貴にやられたんだろ!」
言い争いは始まったが、以前のような険はなかった。
握手をするほど素直ではない。
友人になったわけでもない。
それでも、今日の戦いを次の日まで持ち越さない程度の折り合いはついたらしい。
バトルが終われば、互いに同じ店でガンプラを直す。
この世界の戦いとは、そういうものなのだろう。
――――
客が帰り、店内が少しずつ静かになった頃。
マクギリスは、修理道具より先に分厚いノートを抱えて作業ブースへやって来た。
「アキヒロ君。早速で悪いが、幾つか質問してもいいだろうか」
「ああ。俺に答えられることなら、答える。……答えます」
「まず機体名だ。『グシオン』という名前は、ソロモン七十二柱の悪魔から取っているのかい?」
返事を待つ間にも、鉛筆の先が紙の上で構えている。
「多分、そうだ。……です。俺がつけた名前じゃないので、詳しくは知りません」
「やはりそうか。『ダブルオー』では、エクシア、デュナメス、キュリオス、ヴァーチェと、天使やその位階を思わせる名が同じ系譜のガンダムへ与えられている。『ウイング』なら、デスサイズやヘビーアームズのように、武装や機体の性質がそのまま名に表れる。『シード』では、フリーダム、ジャスティス、プロヴィデンスと、理念や概念を冠したガンダムが多い」
マクギリスの鉛筆が、紙の上を忙しなく走る。
「それに対して、君のガンダムは悪魔の名を持つ。グシオンだけが例外なのか。それとも、同じフレームを持つ機体には、すべてソロモン七十二柱の名が与えられているのかい?」
「ガンダム・フレームは、全部で七十二機あった。……ありました。俺が知ってる名前は、その一部だけだ。……です」
「七十二機!」
マクギリスの声が一段高くなった。
「機体数まで一致するのか! では、悪魔の序列とフレームの製造番号にも対応関係が? グシオンの名は、機体の能力や性質を示しているのか? そもそも、天使ではなく悪魔を冠した理由は――」
「一つずつ聞いてくれ。……ください」
「すまない。興味深すぎて、つい」
「では、リベイクは再生、フルシティは都市を意味するのかな? それとも別の言葉を重ねた造語かい?」
「それも知らねぇ。……知りません」
「胴体の二基のリアクターは、常に同じ出力で同期しているのか? 片方だけを止めた場合、機体制御への影響は?」
「それで一つの質問なのか。……ですか」
「すまない。では、頭部からだ。あの細いセンサーは長距離射撃用で、フェイスオープン後は近距離戦闘用の視野を確保する。そういう理解で合っているだろうか」
「ああ、近いと思う。……思います」
「副腕の操作は、通常のファイターにも可能なのかい? それとも四本を別々に動かせる君だからこそ――」
「店長」
イスルギが、マクギリスの肩へ静かに手を置いた。
「アキヒロ君が困っています」
「む。そう見えるか」
「誰が見てもそうです。それに、二人はこれから修理箇所を確認するのでしょう」
マクギリスは名残惜しそうにノートを閉じた。
「失礼した。私の知らないガンダムが、あれほどの機構を隠していたものだから、つい」
「いや、俺も全部知ってるわけじゃねぇ。……ないです」
「それでも構わない。君が覚えていることだけでいい。修理が済んだら、改めて時間をもらえないだろうか」
「ああ、構わねぇ。……構いません」
アキヒロが答えると、マクギリスはすぐに機嫌を直した。
「ありがとう。では、質問は一旦ここまでにして――君に見てもらいたいものがある」
カウンターの下から、細長いケースを持ってくる。
「グシオンの製作期間中、君からガンダム・フレームの図面を写させてもらっただろう?」
「はい」
「あのフレームを基に、私が理想とするガンダムを設計してみたんだ」
蓋が開かれた。
中に立っていたのは、アキヒロのグシオンとは対照的な機体だった。
無駄のない細身の四肢。白を基調に、胸部や脚部へ深い青を配した装甲。頭部からは二本角が鋭く伸び、背部には翼を思わせる推進装置が左右対称に広がっている。
武器は、黄金色の双剣。
重装甲も、四本の腕も、大砲もない。
ただ二本の剣を携え、誰より速く敵陣へ切り込むためだけに研ぎ澄まされたようなガンダムだった。
「店長。いつの間に、こんなものを作っていたんですか」
イスルギが、今度は別の意味で頭を抱える。
「閉店後の時間を有効活用しただけだよ」
「そのせいで、発注書が三日分溜まっていましたが」
「今は、その話は置いておこう」
マクギリスは露骨に視線を逸らし、すぐにアキヒロへ向き直った。
「まだ名はない。フレームの原案をくれた君に、ぜひ名づけてもらいたい」
アキヒロは、白と青の機体を見つめた。
初めて見るはずがない。
装甲の細部や剣の形は、前世のものと少しずつ違う。それでも、目指した姿は同じだった。ガンダム・フレームへ何を纏わせれば自分の理想になるのか、記憶のないマクギリスが自分で考え、辿り着いた形。
アキヒロの口から、自然と名前が零れた。
「こいつは……バエル」
「バエル」
マクギリスが、確かめるように繰り返す。
次の瞬間、その顔が輝いた。
「素晴らしい! ソロモン七十二柱の第一位、王たる悪魔の名か! グシオンと同じ系譜でありながら、この機体の先駆者としての性格にも相応しい!」
「そんな意味だったのか。……んですか」
「知らずにつけたのかい?」
「何となく、そういう名前だと思っただけだ。……です」
「ますます興味深い。やはり君の感性とガンダム・フレームには、切り離せない何かが――」
「店長。質問は一旦ここまで、と自分で言いましたよね」
イスルギに遮られ、マクギリスは口を閉じた。
それでも、名を得たバエルを見つめる顔は、初めてガンプラを完成させた子供のように嬉しそうだった。
今ここにいるマクギリスが求めているのは、自分の考えた一番格好いいガンダムを、自分の手で作り、誰かと戦わせる喜びだけだった。
同じ顔と才能を持ちながら、これほど違う道を選べる。
そのことが、アキヒロには素直に嬉しかった。
アキヒロとマサヒロは、作業ブースへ並んで座っていた。
机の中央には、傷ついたグシオンが横たわっている。
マクギリスとイスルギは、バトルで散らばった部品を集めてくれた。失われたと思っていた左肩の装甲も、岩場を模したフィールド部品の隙間から見つかった。
「完全に直せると思うか?」
アキヒロが尋ねる。
マサヒロは副腕の破断面を確かめ、胸部の亀裂を光へ透かした。
「同じ形にはできると思う。でも、前とまったく同じにはならない」
「そうか」
「その代わり、壊れたところは前より強くできる。胸の内側に補強を入れて、副腕の軸も太くする。装甲を外しやすくすれば、次に壊れても直しやすい」
「なら、そうする」
「それと、塗装も全部やり直す」
「必要か?」
「必要だよ! 今日、一番笑われたところだぞ!」
マサヒロは工具箱を開き、紙へ修理箇所を書き出し始めた。
その横顔を見ながら、アキヒロは前世の弟を思い出す。
あの時のマサヒロへしてやれなかったことが、あまりにも多い。
守ることも、助けることも、隣で何かを作ることもできなかった。
今ここにいる弟は、前世のマサヒロではない。
同じ魂を持っていたとしても、違う時間を生き、違うものを好きになった一人の人間だ。
だからこそ、今度は、この弟と一緒に進めばいい。
「俺も、もっと勉強する」
図面へ線を引きながら、マサヒロが唐突に言った。
「ガンプラの作り方だけじゃない。兄ちゃんがやってる数学とか、機械のことも。今日のグシオンを見てたら、俺が知らないことがいっぱいあった」
「無理して俺と同じことをする必要はねぇぞ」
「同じになるためじゃない」
マサヒロは顔を上げた。
「俺は俺で、兄ちゃんのグシオンに負けない、最強のガンプラを作る。今度は借り物じゃなくて、俺にしか作れないやつを」
その目に、もう兄の背中だけを追う色はなかった。
自分の進む先を見つけた人間の目だった。
「そうか」
アキヒロは大きな手を差し出した。
マサヒロが、その手を握る。
「完成したら、俺と戦え」
「最初からそのつもりだよ」
「その後は――」
一度言葉を切る。
以前の人生で、何度も仲間へ掛けた言葉だった。
今度は、戦場へ送り出すためではない。
弟と同じ場所に立つために口にする。
「背中、任せるぜ」
マサヒロは一瞬だけ目を見開き、強く頷いた。
「ああ。任せろ、兄ちゃん」
机の上で、壊れたグシオンの二つの瞳が、店の照明を静かに映していた。
ガンダムは、もう過去の傷を開くためだけの名前ではない。
弟と出会い直し、誰かと繋がり、壊れてもまた作り直せることを教えてくれた。
ここには、まだ見たことのない明日がある。
生きていれば、いいことがある。
いつか死の間際に吐いた言葉を、アキヒロは今度こそ、心からそう思うことができた。
――――
それから数日後。
放課後を迎えた市内の中学校。その校舎の隅にある模型部の部室では、机の上へ工具や塗料、作りかけの模型が所狭しと並んでいた。
窓際の席に、小柄な少年が座っている。
癖のある黒髪。表情の変化は乏しく、手元には青いガンプラの残骸が置かれていた。頭部を失い、右腕は肩から折れ、胸部装甲には深い亀裂が走っている。
「オルガ」
少年――ミカヅキが呼ぶ。
部の備品を整理していた、白い髪の少年が顔を上げた。
ミカヅキとオルガは、二人ともアキヒロと同じ十五歳。今年、高校受験を控えた中学三年生だった。
「何だ、ミカ」
「この前、ナナホシ模型で面白そうな奴を見つけたよ」
「面白そうな奴?」
「うん。でかくて、四本腕のガンダムを使う奴」
「四本腕? アシュタロンか?」
「違ったよ。見たことないやつ」
オルガは手にしていた部品箱を机へ置いた。
「お前が他人に興味を持つなんて珍しいな。そいつ、何て名前だ?」
「知らない。だから、ガチムチ」
ミカヅキは迷いなく答えた。
「ガチムチって、見た目じゃねぇか。名前でも何でもねぇだろ」
「でも、ガチムチだったよ」
「本人の前で呼ぶなよ。喧嘩になるぞ」
「そうしたら、戦える」
「お前なぁ……」
「今度、俺もガチムチと戦ってみたい」
「その前に、自分のガンプラをどうにかしろ。お前、この前ブルーをバトルでぶっ壊したばっかじゃねぇか」
「あれは、相手が思ったより硬かったから」
「だからって、正面から頭突きする奴があるか。ブルーディスティニーが泣いてるぞ」
「もう動かないから、泣かないよ」
「そういう話じゃねぇ」
オルガは呆れた顔で、砕けたブルーの胸部を持ち上げた。直せないことはない。だが、フレームにまで歪みが出ており、次のバトルへ間に合わせるには大がかりな修理が必要だった。
「で、こいつを直すのか。それとも別のを作るのか」
「新しいのがいい。あの四本腕のガンダムと戦えるやつ」
「作りたいのが、店にないとか言うなよ」
「店にはなかった」
「だったら改造するしかねぇな。一から作るなんて言い出すなよ。俺たちは受験勉強もあるんだぞ」
「でも、作れないわけじゃない」
「簡単に言うなあ……」
オルガは呆れたように息を吐き、部室の棚から一冊のガンプラカタログを取り出した。
それでも、ミカヅキの頼みを断る様子はない。
「まずは使えそうな機体を探そうぜ。来年、高校の模型部へ行っても使えるようなやつをな」
「ガチムチも、来年は高校生かな」
「見た感じ、俺たちと同じくらいだったんだろ? なら、どこかの高校の模型部で会うこともあるかもしれねぇな」
「そっか」
ミカヅキは、壊れたブルーディスティニーの隣に置かれていた白いプラ板を手に取った。
「じゃあ、それまでに作る」
「おう。今度は俺も手伝ってやるよ」
二人は一冊のカタログを挟み、机へ並んだ。
開いた窓から吹き込む風が、壁に貼られた高校模型部の合同展示会の案内を、静かに揺らしていた。