殺人を強要されている内に快感を覚えてしまう清純乙女『風』 作:乙女竜
任務から帰ってきた彼女は少女の死体を抱えていた。
言いたい事は沢山あった。『何故そんなことを』とか、『フロワは何処』とか。フロワに対する怒りもあった。彼女を守ると言ったのに裏切ったフロワを許せなかった。でもそんなものはすべて、ふと目に入ったフィリアの顔を見て霧散してしまった。
虚無。彼女の顔にはただパーツがついているだけで、その内面にどんな情動が渦巻いているのか全くわからなかった。ただ黒く濁った瞳や、流れた涙の跡だけははっきりと見て取れた。
フィリアが死体を抱いたまま、遠くの床を眺めて言う。
「防腐処理を」
誰も動けなかった。今まで聞いたことのないほど冷たい声だった。誰も何の言葉も掛けられなかった。普段は甲斐甲斐しく話したり触れたりしている癖に、いま一番動けなきゃいけない私も動けなかった。フィリアが再び言う。
「お願いします。どなたかこの子に防腐処理をしてください」
そんなことできる訳がなかった。弔うべき死者を保存するなど、尋常のことではない。まして私達が手にかけた人にそんなことをしてはいけないと思った。ただ彼女が冷静にそれを聞ける状態でないことはみんな分かっていた。
どうすれば良いか分からなかった。立ち竦む私達に、フィリアは何度も懇願した。
彼女は、そして、暫くの無言のあとに、今度は私達を見回しながら言った。一転して不気味なほど明るい声だった。
「ホワイト・クロスのお姉様方?どうかこの小さな女の子に防腐処理をしては頂けないですか?」
壊れていた。昼の彼女が見せる顔。温厚な笑顔に、鈴のなるような声。さっき迄のことが嘘だったかのように私達を見ている。でもその声色、表情は全て作り物で、余りにも無機質だった。
どれだけ頼まれても何もできない私達を前に、フィリアはいきなり近くにいたシオネを押し倒した。片腕に少女の死体を抱えながら、短剣を引き抜いてシオネの喉元に押し付け、彼女は絶叫した。
「なんで!?なんで誰も何もしてくれないの!?」
抵抗するシオネを押さえつけながら叫ぶ。やっと分かった彼女の内面は、もう言葉では言い表せないほどぐちゃぐちゃで、限界のようだった。
「いつもそう。いつも誰も何もしてくれない。助けて貰ったことなんか一度もない。私がやりたくないことばっかりやらされて部屋に帰れば殴られた!いっぱい色んな人を殺した!私も死ぬかもしれなかった!今日は子供を殺した!なのに!なんで誰も助けてくれないの!?」
全部私達のせいだった。
シオネは彼女の言いなりに、少女の死体を保存した。
一転して優しい顔で「ありがとうございます」という彼女を、私はとても見てはいられなかった。
フィリアは、少し触れば崩れてしまいそうな不安定さがあった。だから私達は、ひたすら彼女の言う通りにした。とても優しい笑顔で、もう死んでしまった少女の世話をする彼女を見るのが辛かった。少女の髪を搔き撫でて笑ったフィリアは、死体の名前を聞いて回った。答えられなくて黙っている時間に比例して表情が崩れていった。次第に震える声で『私が殺した』と言いながら頭を抱えて、ついには目を開いて泣きながら笑い出したフィリアに、ネルが叫ぶように名前を伝えた。するとフィリアはまた優しい顔に戻って少女の方へ向かった。
『私が守ってあげるからね』と死体の頭を撫でながら言った彼女は、フィリアは、その後死んだ少女に絵本を読み聞かせながら何度も不安定になった。
翌日の朝までフィリアは少女の世話をしていた。私達が今日は休むよう呼びかけにいくと、眼鏡を外していたフィリアは自慢げに『私がいなくても寂しくないように眼鏡を置いてあげるんです』と言った。
その後誰が何度止めても『仕事だから』『やらないと』と繰り返して交流へ向かった彼女は強迫観念に駆られているようだった。
昼、貼り付けた笑顔で人形のように交流を熟すフィリアは、もう誰か分からなかった。
帰りに眼鏡屋へ向かった彼女は一見すれば普通の少女だったが、しばらく店の眼鏡を眺めた後、付き添った私に血の付いていない眼鏡はどこにあるか聞いてきた。なんでもないことのように尋ねた彼女には幻覚が見えていた。また何もしてあげられない私が憎かった。
夜になった。フィリアは笑顔で自分がやると言った。とても止められるような状態ではなかったから、せめて彼女がもう誰も殺さないように私も後についた。
もう誰も殺させないつもりだった。
端的に言って、フィリアは強かった。あの場の誰よりも強く、誰よりも速かった。ターゲットを見つけて迷いなく飛び出して一人を無力化した。もう一人を殺した。残った子供は目の前で殺された両親を前に、涙も流せずに立ち尽くしていた。
誰も追いつけなかった。私はまた何もできなかった。
彼女は、殺した母親から眼鏡をすくい取って身につけた。血がこびりついていた。そうしてそのまま子供の方を向き、やっと逃げ出した子供も殺した。
静かだった。
あの場にいた彼女以外の三人、全員が呆然としていた。
彼女は、そして、短剣を取り落として、呻くように謝った。
「…ごめん、なさい」
一歩、二歩。死体から後退った。血のついた自分の両手を眺め、何度も目の前の死体を見た。ひゅー、と掠れた声を出し、やっと我に返ったような顔をしていた。そして、謝りながら────
────彼女は口角を上げていた。
顔を赤らめ、荒い息の出る口元に震える左手を近づけて、嫌々と自分の左頬を引っ掻いた。
「なんで……」
言った後、フィリアは小さく痙攣してその場に倒れるように座り込んだ。
彼女の目から、一筋細い涙が流れた。
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死んだ両親を前に、涙も流せず立ち尽くしていた少女……。フィリアってば自分すら殺しちゃうのね。