殺人を強要されている内に快感を覚えてしまう清純乙女『風』 作:乙女竜
私は、物心ついた時には既に両親がおらず、この小さな孤児院だけが世界の全てだった。私の世界は、孤児院は────はっきり言って地獄だった。
この貧しくて泥だらけの住処は教会の運営する孤児院で、私が引き取られた当初は比較的清潔で食事にも困らなかった。世話をしてくれる神父はとても優しくて、親を失って荒んだ子供も彼の言うことなら素直に聞いた。私も、彼のことを本当の親のように慕っていた。
転機があったとすれば、それは魔獣だろう。
ある時から「この一帯の魔獣がいきなり活発化し始めた」という不穏な噂が耳に入るようになった。原因は分からない。ただ、子供たちの中にも漠然とした不安が蔓延していた。魔獣は危険。誰にでも分かることだ。
ただ、神父がそんな私達を見て「たとえここに魔獣が来ても、私のスキルで皆さんを守ってあげますから」と言うので、幾ばくか不安も紛れた。
それが間違いだった。神の祝福を受けた全てのものが持つ『スキル』。矮小な人類でも強力なスキルがあれば自らの何倍も強大な敵を倒すことができる。だから。神父が大丈夫だと言うから。いざとなったらスキルがあるから。
過信していた。神父は死んだ。院に近づく魔獣を止めると言った彼は、私のお父さんは、そのまま戻ってこなかった。
代わりにやって来た男は、私達よりも娼婦で遊ぶ事に興味があるようだった。一日に一度、以前支給されていたものより明らかに少ない食料を床に投げ捨てて、そのまま去っていく。
子供たちの心には『不信』が強く刻まれた。優しい人は死んでしまった。稼ぐ力のない私達は、お互いに奪い合わなければ今日を生きることすら叶わない。私達は、あんなに仲の良かった家族は、結局は保身のために裏切りあう様になった。
スキルを発動できる程に身体が発達しきっていない子供の間では、純粋な暴力だけが力関係だった。私はそれが怖くて、元家族のあいつらの言いなりになった。楽しいことなど何一つない。私は私が最も不幸なのだと思って、毎日神を呪っていた。
私は、誰よりも馬鹿な私は、私が最も不幸なのだと思っていた。
ある日、神父が食料と一緒に子供を投げ捨てた。小柄でやせ細っており、茶色の三つ編みや白い肌が泥で真っ黒になっていた。眼鏡だけは一目見て質が良かったので、どうせ良い家の娘が魔獣被害の不景気で捨てられたとかだろうと思った。
「体裁の為に拾った。お前らで育てろ」
神父はそれだけ言うと、またいつもの様に去っていった。
あの男は何でもない様に言っていたが、私達にとっては一大事だった。食料の配分は変わらないのに、子供が一人も増える。別に分配など今までもしていなかったが、何も食べなければ人は死ぬ。誰かが死ねばそこに虫や獣が寄ってくる。過去に学んだことだ。寄ってきた獣相手に私達が適う筈もない上、神父は体裁を気にする。『殺してはいけない』という暗黙のルールだけは存在していた。
存在していたのに。
彼女はスキルを知らなかった。
おそらく単純に親から教わらなかっただけだろう。スキルは人生の進路を大きく左右するので、夢見がちな子供には教えない親もいるという。
しかし、それは残酷にも『忌み人』の特徴を連想させた。
彼らはスキルを知らず、持たず、代わりに殺すほど強くなり魔獣並の膂力を持つ。神に祝福されなかった人でない人間。
数十年前から不定期に、どこからともなく出現したり、新しく産まれた子供がその性質を持っていたりする。
大抵そういった子供は親に愛されず捨てられてしまう。教徒に販売される教会のタリスマンさえあれば、子供のスキルの有無などすぐにわかるから。
彼女は弱い。細い腕に震える身体で、入ってきて日も短いが食料争奪戦ではいつも負けている。
だから忌み人などではないことなど、皆分かっていたはずだ。
でも、私達の優しいお父さんは、魔獣に殺された。私達の穏やかな生活は、魔獣に奪われた。
魔獣に近い忌み人を思い出させる存在を、誰もがストレスの捌け口にした。彼女は不運にも打たれ強かったので、余計に。
髪を引っ張られて、カビて食べられなくなったパンや、虫のたかる鼠を無理やり口に押し込まれ、泥水で流し込まれる彼女を。それを吐き出す度に殴られて、吐いたものを再び押し込まれる彼女を。私は見ているだけだった。
行為は毎日エスカレートしていった。割れた窓の破片を目に刺さるほど近づけられる日もあった。彼女がそんな中で口にする「お父さん、お母さん」という悲痛な叫びを聞いて、愛されて育ったことを知ったあいつらは、彼女の眼鏡がその形見だと分かると、いつもの『食事』の最中に目の前で踏みにじった。
私は、見ているだけだった。
殴られ続けて動けなくなったある日。もう、彼女はきっと壊れてしまったのだろう。奪い合いの末彼女に与えられた壁に穴の空いた酷く寒い寝床で、芋虫に話しかけ始めた。
夜、あいつらに怯えて眠れない私の耳に入ってきたのは、彼女の昔の幸せな思い出話だった。
話の中には、いつも彼女の両親がいた。
『お父さんが欲しいものを買ってくれた』とか『お母さんが撫でてくれた』とか。どこにでもある普通の家庭の幸せだった。でも、彼女はそれら全てを奪われてしまった。
話の中で、あの眼鏡は彼女のお父さんとお母さんが一月働いたお金を半分も使って買ったものだと知った。
彼女の寝る前の唯一の平穏もあいつらに気づかれてしまった。
虫と話す彼女を見て『人でない生き物と会話をするなど、やっぱり忌み人に違いない』と、今までにない程激しく抵抗する彼女を押しのけて、その心の支えを潰した。
私は、見ているだけだった。
見ているだけだから、まだ許されると思っていた。だって、怖いのだから、仕方ないのだと思っていた。
見ているだけなら、まだ許される余地もあっただろうか。
彼女は壊れていなかった。
壊したのは、私だった。
私は許されないことをした。
いや、許されないことをしていたのだ。
はじめから、ずっと。
何度も目が合っていた。何度も無言の助けを求められていた。それに気づかないふりをしていた。あいつらが怖いからと理由をつけて。私も被害者なのだと理由をつけて。私は、彼女を助けなかった。ただの一度も。彼女の方が弱いというのに。それどころか、私は、彼女に────!
四日間。彼女は、四日間、何も口にしていなかった。もう皆、彼女を殺す気でいた。最後に手を下さなければならなかったのは私だった。
虫。私が、飢えて飢えて動けなくなった彼女に差し出したのは、便所やゴミにたかる虫だった。
一瞬だけ、近づく私を見て、彼女は嬉しそうな顔をしていた。
それを見て胸が痛くなった私の、何たる偽善か。結局私は、保身のために彼女を裏切ったのだ。
少しだけ、本当に少しだけ、弱々しく口角をあげた彼女は、私が差し出したものを見て──。
もう、どこも見ていなかった。
何もなくなってしまった。完全に壊れてしまったのだ。
そうしたのは、誰。
私。
翌日やっと監査に来た教会の使者が私達を移送する時も、彼女は人形のように何も見ていなかった。
感想くださったら泣いて喜ぶし、曇らせ作品を書いてくださったらもっと喜びます。
多分なんですけど、次回くらいから殺人を強要され始めると思います。
追記: やや文章弄っちゃっちゃ。