殺人を強要されている内に快感を覚えてしまう清純乙女『風』   作:乙女竜

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海辺

 

「お姉様、なんだか今日はぼーっとされていますね」

 

目の前に立つシェーンの声で意識が灯る。私は、海辺の砂浜で沈もうとする夕日を眺めているらしかった。

 

足元の湿った土がひんやりと冷たい。潮の匂いが水平線の向こうから漂ってきて、私の前髪は微かな風に揺らされていた。少し肌寒くて、少し物寂しい。

 

橙色の光をキラキラと反射する黒い波たちを見ていると、私も、無性にその中に混じりたくなる。無意識に一歩、また一歩とつま先が惹かれ出す。

 

黙って私を見つめているシェーンの横を過ぎて、手招きするように満ち干きを繰り返す海へと向かっていく。冷たい風が私の頬を打って、着ている服が行くなとでも言うように音を立てて後ろ向きにはためく。

 

進んでいくほどに水滴や砂粒が眼鏡のレンズに張り付いて、薄く延ばされた波が何度も私の足の裏に触れる。

 

その冷たさに親しみを覚える頃、今度は追い風が私の背中を押して歩を速めた。

 

進まなければ立っていられないほど強く導かれている。波が私のくるぶしや脛に触れる度、潮風が私の肩や背中を撫でる度、懐かしさが胸の内に溢れた。

 

いつまで経っても動かない夕日が煌々と私を照らしている。美しい。暖かい。その気持ちに誘われるまま、彼らに心を開いていく。

 

腰元まで海に抱き締められた頃、不意に、手首を強く引っ張られた。振り返ると、同じく腰まで海水に浸したシェーンが、私を見て困ったような微笑を浮かべていた。

 

「少し、あちらで休みませんか?」

 

細指が私の手を握りなおす。風が止んで、凪が訪れていた。

 

 

 

ゆっくりと抱擁の愛おしい重さから解き放たれていく。前を行くシェーンは私の方を見ないまま、波を立てて早足で砂浜の方へ向かっている。糸のような金色の髪が耳の後ろで緩やかにほつれて、その白い肌が息切れで淡く赤らんでいるのを見せていた。まるで生きているみたいだ。

 

足元から海面が去っても、彼女はまだ海から離れていく。陸の方には石壁の民家が並び立っていて、けれど人の気配は全くなかった。背中から太陽が照らしているとは信じられないほど家々の外壁や向かう先の空は真っ暗で、もうとっくに海から出ている筈なのに、すぐ後ろから波の音がついてきていた。

 

「シェーン……ちょっと怖いよ」

 

「大丈夫です。お姉様は少し疲れているんです。もう少しで明るいところに着きますから、そこで、もう一度夕日を眺めましょう?」

 

振り向かずに彼女が言う。確かに、遠くの方に一つだけ眩しいほど明るく照らされた家が立っていた。それに気がつくと、足元の砂が泥のように柔らかく私を包み込み始める。縺れる足で小走りになりながらその家に近づいていけばいくほど、後ろに迫る波の音が大きくなって、同時に、雲が、他の家々が、前を行くシェーンの艶やかな髪の毛が、夕焼けの金色を強く反射していった。

 

ある時、冷たい空気に混じって、暖かな風が吹く。気がつけば、海の気配は遥か後方に感じられて、足元の砂は白く乾いていた。

 

澄んだ濃い藍色の空を、列を成した鳥が渡っていく。遠くから誰かの楽しそうな笑い声が聞こえる。それに気を取られていた私は、立ち止まったシェーンに軽くぶつかってしまった。

 

手を離して、振り返った彼女が小首を傾げて私を揶揄う。

 

「お姉様、やっぱり疲れてる」

 

一歩私に近づいて、乱れてしまったこの髪を整えてくれる。私の瞳を覗くと、今度は心配そうな顔で小さく口角を上げた。

 

「ああ。見ない間に、こんなに乾いた目になってしまいましたね」

 

……そうなのかな。

手を取って、彼女は終点に歩き出した。

 

 

 

石壁に背を預けて、妹と並んで座っている。重ねられた彼女の手がほんのりと温かい。息遣いと、私の頭を乗せて上下する肩が、沈んでいく夕日にどこか似ている。

 

夕日の下の波打ち際で、ホワイト・クロスのお姉様方がはしゃいでいた。フロワさんがネルさんに水を掛けて、怒った彼女が追いかけ回して。

そうして二人して波に足を取られて転ぶ。ネルさんがフロワさんに覆い被さるような体勢になって、向かってきた大波に頭の先まで水浸しにされる。顔を合わせて笑っている。

 

スタシアさんが裾を持ち上げながら海水に足をつける。冷たさに驚いて小走りで砂浜に戻ってくるのを、シオネさんが腕を組んで見ている。

 

波の音が世界を覆っている。いつも心臓の辺りに溜まっている澱のようなものが、今は何故か少しも感じられなかった。

 

私の腿の上に、一匹の芋虫が乗っていた。手のひらに乗せて少しだけ目を合わせてから、砂の上に下ろしてやる。芋虫は地面に立っても私の方を見るばかりで、一向にその場を動こうとしなかった。

 

シェーンが、少し息を深く吸うのが分かる。耳に好い彼女の声が鳴った。

 

「どうしてって、思いますか?」

 

「……うん」

 

つらいモノに蓋をしたように、朧げな記憶と自我。今はどうしても思い出せないのに、現実とは違うと感じるこの気持ち。

 

シェーンが動く。衣擦れの音。

 

「お姉様は、もう、休んでしまってもいいと思うんです」

 

彼女は西日に向かって指をさす。指の先で、ホワイト・クロスのお姉様方が、並んで、膝を抱えて此方を見つめている。

 

「もう、たくさん殺しました。たくさん働きました。ここで一眠りして、そのまま起きなくたって、いいじゃないですか」

 

彼女が乾いた音で寂しそうに笑う。

 

「こんなに苦しいのに、悲しいのに、そして、生きていたって悲しみを振り撒くだけなのに、何で、皆さん、生きようとするんですか」

 

『死にたくても死ねないからだ』と、心の何処かで他人の私が思う。私は、まだ、黄金の斜陽を眺めている。

 

「……嘘ばっかり。死のうと思えば何だってできる。お姉様はただ勇気がないだけですよ。私の両親を殺して、他にも沢山の人を殺して、子供を殺して、それなのに、お姉様は、自分が死ぬことを恐れている」

 

気が付けば、私の耳に伝わるシェーンの体温は砂のように冷たかった。そうだ、彼女は、死んでいるのだった。

 

「お兄様もですよ」

 

私の手を離れて、彼女が傍らの芋虫を拾う。糸で吊ったようなぎこちない掌が、それを私の前に差し出して語る。呼吸も心音も感じない。

 

「この人を生かして何がしたいのですか。周囲から憐れに思われて、他人に良いように使われて、恨んで、恨んで。それで満足ですか。それで何を守っているのですか。人格も、尊厳も、もはや一片たりとも残っていないのに」

 

芋虫に透かして見る背景の、海岸に並んだ女達は、誰も皆首なしだった。

 

「ああ、ホワイト・クロスのお義姉様方は、みんな死んでしまったようですね。……お姉様も、あれになればいい」

 

言うと、芋虫が微かに揺れる。身体を弱々しくうねらせて、その蠕動は何故か必死な拒絶のように見えた。

 

「……そう。そういうことですか。お兄様は、妹を守ろうというのですね。妹の命ばかりを」

 

言って、芋虫を降ろして立ち上がる。支えのなくなった私の身体は、いとも容易く地に伏せた。シェーンが日を遮って私の前に立つ。その顔は逆光で黒く隠されていたが、私には、微笑んでいるのだと分かった。

 

「私のお父様とお母様もそうでした。……ふふ、お姉様。ううん、フィリア」

 

シェーンが私の手を取って立ち上がらせる。ついに、太陽は水平線を去る直前の一際強い輝きを放ち出した。

 

 

「どうか、この先も苦しんで!」

 

 

────日が沈む。

世界が真っ暗になるのに合わせて、シェーンが遠く、海の方へ駆けていくのが見えた。

 

はっと目が覚める。思考が鮮明になった。胸の澱も、先程よりずっと重く、生々しく、ここにある。そうだ、私は、眠っていたのだった。あの老いた尋問官に連れられて、あの子が私の為に用意してくれた秘儀を為している最中だった。

 

周囲を見回す。けれど、そこには尋問官も、神器も装置もなく、まして部屋の椅子に座っているのでもない。

 

私は、いつか私が大勢を惨殺した路地裏で、杭を打たれ磔になっていた。深夜、閑静な街を白い月が照らしている。

 

 

私の目の前には()()()()()()()死体の山と、()()()()()()細身の死体が投げ捨てられていた。

 

 

その傍らに、私ほどではないが小柄な影が立っている。それは銀色の短剣から垂れる黒い何かを白布で拭いて、そっと懐にしまった。外套に身を包んだ影が此方に振り返る。顔を隠したフードの隙間から──()()()髪が見えた。

 

「ああ、先輩、やっと起きたんですね」

 

無機質な声で此方に語る影がフードを外す。

 

 

 

私の良く知る人だった。

 

 

 

 

 

 






ちゃお。活動報告あげました!特に面白いことはないのですが、「今後の更新ペースももしかしたらこれくらい遅いかも……!」というようなことが書いてあります!その、気長、気楽、気まぐれに待っていただければ、幸いでございます……!何卒!
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