ようこそ凡人がいく実力至上主義の教室へ   作:神威 

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第11話 暴力事件

 翌朝のホームルームのことだった。

 いつも通りに教壇に立った担任の坂上先生は、いつになく厳粛な面持ちで教室を見渡した。

 

「今日は諸君らに、学校側へ提出されたある重要な報告について伝えておく。先日、我がクラスの石崎君、小宮君、近藤君の3名と、Dクラスの須藤君との間に、物理的な暴力トラブルが発生した」

 

 坂上先生の一言が静寂を切り裂いた瞬間、ざわ、と教室内が一気に騒がしくなった。

 すでに噂の段階で察していた者もいたが、担任の口から正式にDクラスの須藤と揉めたことが明言されたのだ。さらに先生の口からは、今後の審議における責任の度合いによっては、相手方の須藤に長期の停学処分、およびDクラス全体のクラスポイントの大幅な削減という厳しいペナルティーが科される可能性が告げられた。

 

「先生、質問です。それほど明確な被害が出ているにもかかわらず、現時点で学校側の結論が出ていないのは何故でしょうか?」

 

 眼鏡を指で押し上げながら、冷静沈着な口調で金田が挙手して質問を投げかける。坂上先生は模造紙を片付けながら答えた。

 

「今回の訴えは、我がクラスの石崎君たちからの被害届が端緒だ。彼らの主張によれば、放課後に須藤君に呼び出され、一方的に暴力を加えられたとされている。この訴えを受理したのが昨日の放課後だ。ところが、学校側が事実関係の確認のためにDクラスの須藤君に質したところ、彼は逆に石崎君たちに呼び出され、先に仕掛けられたので応戦しただけだと主張している。このように双方の意見が真っ向から食い違っており、現時点で真実を裏付ける客観的な証拠がないため、学校側の最終結論は保留となっているんだ」

 

 金田の至極真っ当な疑問に対し、坂上先生は包み隠さず現状を説明した。

 すべては龍園が昨日俺に語ったシナリオ通りだ。石崎たちは昨日の放課後、計画通りに被害者として学校側へ駆け込んだ。本当の真実は「石崎たちが須藤を特別棟へ呼び出して喧嘩を仕掛けた」のが真相だが、そんなことは問題ではない。

 真実がどうあれ、現時点で残されている明確な証拠は、石崎たちの身体に刻まれた痛々しい負傷の事実だけだ。呼び出した場所が人気のない特別棟であり、周囲に監視カメラが設置されておらず、一部始終を完全に目撃した第三者がいない以上、証拠の物量においてDクラスの負けはほぼ決まっている。

 

「それから、この件に関して、当時あの場所の近くで何らかの不審な物音や光景を目撃した者がいるなら、今ここで挙手をして欲しい」

 

 坂上先生の真剣な問いかけに対し、教室内を見渡しても、答えて手を挙げる生徒は一人もいなかった。我がクラスの人間がわざわざ身内を不利にする証言をするはずもない。

 

「……やはり、学内にも目撃者はいないようだね。学校側の最終的な判断は、来週の火曜日に開かれる合同審議にて下されるとのことだ。諸君らが気にしているプライベートポイントの支給については、この事件の事実関係が明確になり、審議が正式に解決するまで一時的に遅れることになる。各自、了承して待っていてくれ。それでは、朝のホームルームを終了する」

 

 坂上先生が教壇を降りて教室を出て行ったのを確認した瞬間、クラスメイト一同の視線が、教室の後方へと一斉に集まった。

 そこには、すべての糸を引いている独裁者、龍園翔の姿があった。彼は周囲の視線を浴びながら不敵に口元を歪めると、ゆっくりと立ち上がって教壇へと歩み進んだ。

 

「今回の件に関して、Cクラスに敗北の二文字はあり得ねえ。クラスポイントが後退することも絶対になしだ。だからお前らは安心しな。当事者以外の奴らは特にやることはねえよ。余計な首は突っ込まず、大人しく静観してろ」

 

 龍園の絶対的な自信に満ちた発言を聞き、クラスメイトたちの顔から不安の影が消え、教室内は少しだけいつもの日常の空気に戻った。龍園はそれ以上言葉を重ねることはせず、事件の当事者である石崎たち3人を顎でしゃくり、連れ立って教室を出て行った。

 

「……大変なことになってしまいましたね、美輝くん」

 

 隣の席から、ひよりが心配そうに声をかけてくる。その瞳には、クラスの行く末に対する微かな懸念が浮かんでいた。

 

「単なる生徒同士の軽い口喧嘩程度なら気にしなくても良かったんだが……。石崎たちのあの怪我の度合いを見る限り、相手の須藤とやらは少々やり過ぎだと思わざるを得ないな」

 

 俺はあえて、事前に龍園から狂言であると聞かされている事実を伏せ、客観的な意見としてそう告げた。いくらなんでもやり過ぎだ。

 仮に審議の場で須藤側の先に仕掛けられたという主張が一部認められたとしても、正当防衛の範疇を遥かに超えている。学校側は確実にそれを過剰防衛とみなすだろうし、須藤自身に重い処罰が下される未来は変わらない。

 

「そうですね。龍園くんも余計な干渉はするなと言っていますし、この件が冷めるまでは、私たちは静かに石崎くんたちの行方を見守ることにしましょう」

「ああ、それが賢明だな」

 

 今頃、窮地に立たされたDクラスの生徒たちは、一体どんな顔をして藁にもすがる思いで動いているのだろうか。

 そんな他クラスの動向に思考を巡らせていると、1限目の授業開始を告げる予鈴のチャイムが鳴る直前、龍園たちが何食わぬ顔で教室に戻ってきた。石崎たちは席につく際、俺の方に向けて「頼むぞ」と言わんばかりの視線を送ってきたが、数秒後には本鈴が鳴るため、彼らも急いで授業の準備を始めるのだった。

 

 

 ねっとりとした蒸し暑さが一層と増してきた放課後。俺は事件の現場となった「特別棟」へと足を運んでいた。

 この特別棟は、家庭科室や視聴覚室、美術室といった特定の授業でしか利用しない施設が集約された古い校舎だ。そのため、通常の授業が終わると生徒の気配はほとんどなくなり、何より館内に監視カメラが一切設置されていない。粗暴な須藤を罠に嵌めるために呼び出す場所としては、まさに打ってつけの舞台だったと言える。

 

「それにしても……暑いな」

 

 額に浮き出た汗を制服の袖で拭いながら、思わず文句が出る。ここの蒸し暑さは異常だ。本来、夏場の学校の廊下なんてこんなものなのかも知れないが、高度育成高等学校の本校舎は基本的に最新の空調設備で快適に温度調整されている。

 一日中冷房の効いた快適な建物の中でぬくぬくと生活していた弊害か、この特別棟の淀んだ空気はより一層暑く、不快に感じられてしまう。

 この特別棟も例外なく冷房設備自体は備わっている筈なんだが、今は放課後の時間帯。既に主電源から冷房は切られており、廊下はまるでサウナのような熱気が満ちていた。

 

「お前たち。昨日言っていた『誰かの人の気配がした』っていう場所は、あの廊下の突き当たりの角で間違いないんだな?」

 

 俺は今回の現場検証のために無理やり連れてきた、事件の関係者である石崎、小宮、近藤の3人に向き直り、最終的な確認を取った。

 

「あぁ……俺の気のせいじゃあなかったら、確実にあの角の向こう側だ」

 

 どこかバツ悪そうに、元気をなくした様子で応じる石崎。

 これは目撃者はいたとして、早急に対策を練る必要がある。

 もしその目撃者とやらに、石崎たちが一方的に暴力を振るわれているフリをしている瞬間や、あるいは自ら喧嘩を仕掛けた一部始終を写真や動画といった言い逃れのできないデジタルデータで撮影されていたとしたら、こちら側は非常に不利な状況に追い込まれる。

 石崎たちから仕掛けた事実が学校側に露呈すれば、間違いなくCクラスの敗北で審議は幕を閉じるだろう。

 それはどうしようもない最悪のシナリオだ。審議の日までにその目撃者を特定し、何らかの手段で証拠を隠滅、あるいは無効化しない限り、こちらに勝ち目はない。

 

「石崎、その人の気配というか、シャッター音が聞こえたのは具体的にどのタイミングだ?」

「確か……俺が須藤の奴に突っかかっていって、胸ぐらを強引に掴まれた瞬間に、あっちの角の方から微かにパシャッとシャッターの音が響いたんだ。だから、絶対にあのタイミングだと思う」

 

 石崎の言っている記憶が本当なら、ひとまず最悪の事態は免れたと見ていいだろう。石崎たちが口頭で挑発して喧嘩を仕掛けた初期のプロセスを見られていないのであれば、写真に写っているのは「須藤が激昂して石崎の胸ぐらを掴み、暴力を振るっている決定的な瞬間」だけということになる。

 これなら、見せ方次第でいくらでも須藤の凶暴性を際立たせる材料に反転できる。

 

「なぁ柊……龍園さんからお前の凄さは色々聞いてるんだけどよ。今回の審議、本当に大丈夫なんだよな……?」

 

 少し怖じ気づいた様子で、不安そうに尋ねてくる近藤。俺は表情を一切変えず、「問題ない」と短いトーンで伝えて彼を安心させた。

 俺はポケットから携帯端末を取り出し、内蔵のカメラアプリを起動させると、廊下の陰影や距離感が伝わるように至る所から写真を数枚パシャパシャと撮影していった。床にはまだ、昨日の騒動の激しさを物語る微かな血痕が残っていたため、それも重要な資料としてアングルを変えて記録に収める。

 

「そもそも、この特別棟の死角で仕掛けろと具体的に指示を出したのは、やっぱり龍園なんだな?」

「あ、あぁ……。龍園さんに、監視カメラがなくて人が来ないここを選べって言われたんだ」

 

 今度は小宮が、周囲を警戒するように小声でそう答えた。

 

「そうか。龍園らしい選択だな」

 

 俺は頷き、再度特別棟の天井付近を見渡した。注意深く廊下の構造を観察していくと、ある一つの奇妙な疑問点に行き当たった。それは、何もない天井付近の壁面に、不自然な形で「独立した電源コンセント」が設置されていることだった。周囲を見ても、そのコンセントに使われていたような電気機器の形跡は一切ない。

 これが、現時点で監視カメラが設置されていないこと、あるいは今後設置される可能性に関係しているとしたら、この審議をひっくり返す何かの重要なヒントになるかも知れない。

 俺は念のため、その天井付近のコンセントの拡大写真を数枚撮影した。さらに、特別棟の他の廊下を確認すると、やはり同様の位置にコンセントが設置されているのを発見したため、そこも残さずデータとして記録した。

 

「それにしても暑いな。これ以上ここにいても熱中症になるだけだ。必要な要件は終わったし、そろそろ引き上げようか」

 

蒸し暑さと独特の息苦しさが廊下に充満している。こんな不快な場所にこれ以上数分も留まっていたら、暑さで頭がどうにかなってしまいそうだ。

 

「えっ? おい柊、もういいのかよ?」

「良いんだ。今日ここでやれる検証はこの辺で終わりにしよう」

 

 現場の写真も十分に撮ったし、これ以上今この場で手に入る物理的な手がかりはない。俺たちは回れ右をして、特別棟の出口へと向かって歩き始めた。

 

「すまねえな、柊。……いくら龍園さんからの直接の頼みだとしても、こんな面倒なトラブルにお前を巻き込んじまってよ」

 

 帰り道、石崎が申し訳なさそうに頭を掻きながら話しかけてきた。

 

「気にするな。単なる生徒同士の私的な喧嘩ならほっといたさ。だが、流石にあの須藤という男の日常的な暴力行為はやり過ぎだと思っている。これをいい機会にして、彼には少し痛い目を見てもらうつもりだからな」

 

 俺がそう告げると、石崎たちは自分たちのために動いてくれていると勘違いしたのか、どこか照れくさそうに顔を見合わせた。

 

「あ、ありがとよ……! ほんと迷惑かける」

「いいさ」

「中間テストの時に勉強を見てもらっただけでも頭が上がらねえってのに、まさか今回の審議で、俺たちの『弁護役』として一緒に戦ってくれるなんてな――」

 

 ……弁護役?

 俺はその不穏な単語を聞き逃さず、ピタリと足を止めて石崎を振り返った。

 

「ちょっと待て、石崎。俺は一言も、自分が審議の場に出廷して弁護役を務めるなんて言ってないぞ」

「えっ!? そ、そうなのか? てっきりお前が直接、学校の先生たちの前で話し合ってくれるもんだと……」

「龍園から頼まれたのはあくまでお前達のバックアップをして勝たせることだ。俺自身が審議に参加する必要性はどこにもない。主に俺がやるのは、Dクラスが仕掛けてくるであろう策を事前に読み、そのすべての対処法を裏からお前達にレクチャーすることだけだ」

 

 俺が石崎たちの弁護人として生徒指導部などの審議に直接出席すると盛大に勘違いをしていたので、ここで明確に訂正しておいた。

 

「ま、そこまで不安がる必要はない。Dクラスがこの後どう動いてくるかについては、ある程度の手の内はすでに想定しているからな」

「……柊がそこまで言うなら、俺たちは信じるよ」

 

 少し不安の残る表情ながらも、中間テストの勉強会での実績と、これまでの俺への信頼感があってか、石崎たちはそれ以上反論せず素直に俺の言葉を聞き入れた。

 今頃、追い詰められたDクラスは、血眼になってその唯一の希望である目撃者の捜索に奔走している頃だろうな。

 

「あ、そうだ。これを渡すのを忘れてた」

 

 俺は制服のポケットにしまっていた、綺麗に折りたたまれたA5サイズのプリント用紙を石崎の手へと手渡した。

 

「……これ、何だ?」

「昨日、俺が独自に調べた『須藤健の過去の経歴』についてまとめた報告書だ。彼の中学時代の暴力沙汰や、当時の証言者の発言も記載してあるから、客観的な信憑性は抜群だ。審議の場で、彼がいかに暴力的な人間かを証明する材料として有効に使うといい」

「まじかよっ……! おいおい、すげえなこれ! 助かるぜ、柊!」

 

 石崎は手渡された紙を見て、目を輝かせて歓喜した。

これで、今日やるべき最低限の仕込みはすべて終えた。

俺たちは特別棟を出たその場で解散し、俺は再び一人になった。現場検証の次は、いよいよDクラスの具体的な動向の把握へと移る番だ。

 

 

 数日後。事件を取り巻く状況は、俺の想定通りに動き始めていた。

 

「美輝くん。今日は部活の集まりがありませんので、もし良ければ一緒に帰りませんか?」

「じゃあ、一緒に帰るか」

 

 放課後、帰りの支度を素早く済ませ、俺はひよりと共に賑わう教室を出た。

 あれから数日間、Dクラスの動向を影から密かに探り続けた結果、いくつかの興味深い有力な情報が得られていた。

 

 窮地に陥ったDクラスの生徒たちは、当然ながら必死になって校内での目撃者捜索を行っていた。一時はBクラスの教室にまで出向き、藁にもすがる思いで生徒たちに声を掛けている現場を俺自身も遠巻きに目撃したが、その際のBクラス側の反応は極めてイマイチで、空振りに終わっているように見えた。

 しかし、そこから彼らが地道に調査を続けた結果、どうやら本当に本物の目撃者を見つけ出したらしい。

 その目撃者の正体は、Dクラスに所属する佐倉愛里という、普段は全くと言っていいほど目立たない、内気な女子生徒だった。

 幸い目撃者がDクラスで良かったと思う。

 なぜなら、身内の生徒による証言というのは、審議の場において「自分のクラスの仲間を庇うために、都合のいい嘘をついているのではないか」という強いバイアスと疑いの目を向けられやすく、客観的な証拠・証言として学校側にそのまま無条件で受け入れてもらうのは極めて難しいからだ。

 これでDクラス側も目撃者を発見し、調査は一旦の着地を見るかと思いきや、ここで一つだけ想定外のイレギュラーが発生した。なんと、一之瀬帆波率いるBクラスが、全面的にDクラスへ協力する姿勢を見せ始めたのだ。

 それからというもの、校内のあちこちの掲示板に「石崎たちに関する情報や、事件の目撃情報を持つ生徒を募集する」という旨の特製の貼り紙が随所に掲示されているのを目にした。

 おまけに、彼らが取った手法は、かつて俺が学校の公式ホームページの匿名掲示板で仕掛けたのと全く同じやり方だった。「有力な情報提供者には、相応のプライベートポイントを支払う用意がある」と明確に記載されていたのだ。

 Bクラスによる資金面・組織面での援助は少々想定外の要素ではあったが、所詮はただの足掻きに過ぎず、こちら側の負傷の事実という絶対的なアドバンテージを覆すほどの脅威にはなり得ない。現時点では泳がせておいて放置で十分だろう。

 そんな思考に耽りながらひよりと並んで歩いていると、ふと、今晩の自炊用の食材を完全に切らしていたことを思い出した。

 

「すまない、ひより。今晩のご飯用の食材をすっかり切らしているのを思い出してな。これからケヤキモールのスーパーへ買い出しに行ってくるから、ひよりは先に寮へ帰っていても大丈夫だぞ」

「そうですか? ……ふふ、実は私も、丁度冷蔵庫のお野菜を切らしてしまっていたところなんです。……あの美輝くん、もし折角ですし、今夜は一緒に食材を買って、どちらかの部屋で一緒にご飯を作りませんか?」

「えっ……? 一緒に作って食べるの、良いのか?」

「はい! 一人で食べるよりも、その方がずっと楽しいですから。では、早速スーパーに寄りましょうか」

 

 ひよりからのまさかの嬉しい逆提案に、俺は内心の喜びを噛み締めつつ、快諾した。早速、俺達はケヤキモール内にあるスーパーへと足を運び、賑わう店内で食材の品定めを始めた。

 

「今夜は何を作りましょうか、美輝くん」

「そうだな……手軽にできて美味い、親子丼なんてどうだ?」

「親子丼、良いですね! 大賛成です。では、新鮮な鶏肉と卵をカゴに入れていきましょう」

 

 ひよりと2人で並んで食材を選ぶ時間は、まるで共同作業か何かのような心地よい錯覚を覚えさせてくれて、事件の調査で少し疲れていた心が芯から癒されていくのが分かった。

 親子丼に必要な材料2人分を漏れなくカゴに揃えたことで、手早く会計を済ませ、俺たちはすっかり日が傾き始めたスーパーを後にするのだった。




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