ようこそ凡人がいく実力至上主義の教室へ   作:神威 

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第15話 須藤健への不満

 翌日、1年Dクラスの教室には、肌を刺すような不穏な空気が立ち込めていた。

 普段であれば、良くも悪くも騒がしく、和気藹々としたお気楽な雰囲気が漂っているはずの空間だ。しかし、今日に限っては毛色が違った。登校してきた生徒の誰もが、心の中に渦巻く不満や怒りといった負の感情を隠そうともせず、教室全体が重苦しい沈黙と刺々しい私語に支配されている。

 

「あー最悪。マジでやってらんねえよ……。ようやくまともにポイントが入ったと思ったら、そこから5000ポイントも減らされてるんだぜ?」

「マジだよな。おい、須藤のやつふざけんじゃねえよ! なんであいつがやらかした尻拭いを、俺たちがしなきゃなんねえんだ?」

「俺たちが大損こいて、あのCクラスの連中だけが得をするなんて、どう考えても納得がいかねえぜ!」

 

 周囲に聞こえるような大声で不満を露わにしているのは、いつもなら須藤とつるんで馬鹿騒ぎをしているはずの山内と池だった。昨日の今日で、彼らの態度は手のひらを返したように冷淡極まりないものへと変わっている。

 だが、憤っているのは山内や池だけではない。教室を見渡せば、クラスメイトの大半が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、今回の理不尽な結果に激しい不満を抱いていた。

ただでさえ毎月支給されるプライベートポイントが雀の涙ほどしかなく、極貧生活を強いられているDクラスにとって、数千ポイントの剥奪は死活問題だ。今回の減給処分は、彼らにとってあまりにも痛すぎる一撃だった。

 

「席に着けお前たち。朝のSHRをはじめる」

 

 引き戸がガラガラと音を立てて開き、Dクラスの担任である茶柱佐枝が教壇に上がった。その表情は相変わらず冷徹で、生徒たちの動揺などどこ吹く風といった様子だ。

 しかし、席に着いた生徒たちの機嫌の悪さは一向に収まらない。中には露骨に大きな舌打ちをする生徒もおり、教室内には一触即発の火種が燻っている。そんな最悪と言える空気の中、学級委員長格の平田洋介だけは、必死に痛々しいほどの笑顔を浮かべ、穏やかな口調で皆を宥めようと奔走していた。

 

「さて、まずは昨日の審議の結果について公式な報告をしよう。結論から言うと、須藤は二週間の停学処分。そして対立していたCクラスの三人の生徒にも、同様に二週間の停学処分が言い渡された」

 

 茶柱は手元の資料に目を落としたまま、淡々と事実を告げる。

 

「なお――これに伴い、Dクラスは50クラスポイントをCクラスに譲渡することとなった。以上だ。質問はあるか?」

 

 その言葉が教室に響いた瞬間、生徒たちの間で堰を切ったように疑問と反発の声が上がった。

 審議の最終的な結末自体は、堀北から櫛田を通じてグループチャットで共有されていたため、全員が把握している。喧嘩両成敗としてお互いに停学処分が下されるのは、まだ理解の範疇だ。だが、どうしても納得がいかないのは、なぜ被害者面をしているCクラスに対して、貴重なクラスポイントを明け渡さなければならないのかという一点だった。

 平田がすっと挙手し、クラスの代弁者として真っ直ぐな視線を茶柱に向けた。

 

「先生、どうして僕たちがCクラスに50クラスポイントも支払うことになったんですか? お互いに停学処分というペナルティを受けた以上、それ以上のクラスポイントの譲渡までする必要は無かったと思うのですが……」

 

 教室中の視線が茶柱に集まる。茶柱は平田を見据え、どこか突き放すようなゆっくりとした口調で応じた。

 

「それは生徒の怪我の具合、つまり実害の差によるものだ。Cクラス側の生徒は実際に負傷しており、その傷の状況から見ても、生徒会は須藤の行為を『過剰防衛』であると判断せざるを得なかった。よって、その分の補填としてペナルティが課せられることになった。この処置については学校側および生徒会から正式に下された裁定であり、今さら覆すことは出来ない。……他に何かあるか?」

 

 茶柱の冷酷な回答を聞いた堀北鈴音は、前を見据えたまま苦々しい表情を浮かべ、血が滲むほどに強く唇を噛み締めていた。

 審議の場では「完全無罪」だと啖呵を切った彼女だったが、相手の訴えを取り下げるという当初の作戦に失敗すれば、こうした妥協案に着地せざるを得ないことは薄々分かっていたはずだ。

 結果として、隣に座る綾小路清隆が裏で誘導したおかげで最悪の事態(退学)だけは免れたものの、もし敵がそれすらも見越して動いていたのだとしたら――やはり自分の考えは甘かったと言わざるを得ない。堀北はそう自責の念に駆られているようだった。

 だが、傍観者である綾小路から見れば、それは仕方のないことだとも言えた。普通、特別棟に偽の監視カメラを設置した自分たちの偽装工作を見破れる奴など、そうそういるはずがない。もし見破れる者がいるとすれば、その手口自体に熟知しているか、異常なほど頭の回転が速い人間に限られる。

 つまり、今回のケースにおいては一概に堀北の無能さが原因とは言えない。シンプルに、敵陣営にいた誰かが、一枚も二枚も上手だった。それだけのことだ。

 しかし、その事実を踏まえた上で、綾小路の胸中には一つだけどうしても解せない疑問が残っていた。

 

 ――Dクラスの仕掛けたブラフに気付いた誰かのことだ。

 

 それほどキレる頭を持っているのなら、当然、こちらが証拠を捏造したという決定的な事実さえも掴んでいたはずだ。審議の場でそれを暴露すれば、須藤を確実に退学へ追い込み、Dクラスにさらに致命的な大打撃を与えることだって出来たはずなのに、なぜそれをしなかったのか。

 あるいは、その弱みを握った時点で、こちらに脅迫紛いの取引を持ちかけ、Cクラスだけに都合の良い莫大なプライベートポイントを巻き上げるような契約を結ばせることも容易だったはずだ。にも関わらず、Cクラス側からそういった強硬な動向が見られないのは、一体どういう理由なのだろうか。

 

 事実として、柊は、完璧な物的証拠を握っていたはずだった。

 審議が延長されたあの日、柊はショッピングモールの閉店20分前という絶妙なタイミングで足を運び、従業員に巧みに頼み込んで防犯カメラの映像をチェックしていた。もちろん、学校側の正規のルールに則り、許可を取りポイントを支払った上での合法的な行動だ。

 さらに柊は、堀北たちが購入した監視カメラの型番や商品番号まで正確に把握していた。プライバシーの観点から流石に購入者の氏名までは開示されなかったようだが、それでも「Dクラスの生徒が、いつ、どの店舗で購入したか」という日時のデータは完全に押さえていたのだ。その上、自分が動いた事実が周囲に漏れないよう、対応した従業員に口止め料としてポイントを支払うという徹底ぶり。まさに完璧な隠蔽と抜かりのない調査だった。

 そこまではっきりと、言い逃れのできない物的証拠を掴まれている以上、Dクラスに勝ち筋など万に一つもなかったと言っていい。

 だが、敵はその決定打を打ってこなかった。なぜ引いたのか。

 Cクラスを率いる龍園翔の、荒々しくも冷徹なやり方にしては、今回の着地点は些か甘すぎる気もする。だが、その甘さこそが、逆に底知れない不気味さを醸し出していた。

 綾小路は、龍園の裏で糸を引いている、あるいは龍園とは全く別の意志で動いている不確定要素が潜んでいるのではないかと、静かな懐疑心を抱き始めていた。

 

(今の段階であれこれ考えていても仕方がないか。今回の件はあくまで前哨戦。本当に知恵の回る奴なら、一旦時間を置いて、こちらが油断した頃合いを見計らって接触してくる可能性もある。ひとまず保留だな)

 

 綾小路は心の中でそう結論づけると、それ以上深く思考の沼に沈むのを止め、いつも通りの無気力な表情に戻った。

 

「……質問は無いようだな。では、これでSHRを終了する」

 

 茶柱は冷淡にそれだけ言い残すと、用は済んだとばかりに早々と教室を去っていった。

 担任の姿が見えなくなった瞬間、張り詰めていた空気が一気に弛緩し、それと同時に須藤への罵詈雑言が爆発した。

 

「ねえ、本当に須藤くんって足でまといだよねー。せっかく今月からポイント生活がマシになると思ったのに、あいつのせいで台無しじゃん」

「ホントそれ! マジで迷惑極まりないんだけど!」

「あいつ一人の暴力沙汰のせいで、クラス全体が50ポイントも失ったんだろ? ふざけんなって感じだよな」

 

 欠席している須藤を罵倒し、嘲笑する言葉が教室のあちこちから次々と飛び交う。平田はいたたまれないような困り顔を浮かべ、ぽっかりと空いた須藤の席を見つめていた。今日から二週間の停学処分が下されているため、当然そこに彼の姿はない。

 

「ねえ、ぶっちゃけさ……停学になるくらいなら、いっそのことクラスのために退学してくれた方がすっきりしたんじゃない?」

 

 女子生徒の一人が、悪びれもせずぽつりと呟いた。最悪な言葉だったが、それに同調するように、多くのクラスメイトたちが無言で首を縦に振っていた。

 同じクラスの仲間に対してあまりにも酷で、残酷な仕打ちだ。しかし、目先の利益を奪われ、心の余裕を無くした今の彼らの中に、その暴論を咎めようとする者など誰一人としていなかった。

 

「どうせ須藤くんのことだから、今頃部屋でゲームでもしてて、反省なんか一ミリもしてないんだろうね」

「間違いないな。あいつの性格なら『俺は悪くねえ、悪いのはハメてきたCクラスの連中だ』って逆ギレしてそうだわ」

 

 泥沼化していくクラスのやり取りを耳にしながら、平田は複雑極まりない心境のようで、痛々しいほどに悲しげな表情を見せていた。それでも彼は、クラスの崩壊を止めるために声を張る。

 

「みんな、落ち着いて聴いてほしい。確かに、僕たちは今回50クラスポイントという財産を失ってしまった。だけど、須藤くんだって馬鹿じゃない。今回の件を深く重く受け止めて、ちゃんと反省しているはずだよ。だから……お願いだ。停学期間が明けて彼が教室に戻ってきた時は、誰も責めたりせずに、今まで通り明るく迎えてあげよう?」

「反省なんて殊勝なことするわけないだろ。……もし本当に反省してるって言うなら、言葉じゃなくて態度で示してほしいぜ。じゃねえと俺たちは納得いかねえよなあ」

「そうそう。反省してますって態度を見せてくれないと、こっちとしても許せないっていうかさ……」

 

 平田は必死に皆を宥め、クラスの和を取り戻そうとするが、怒りに狂う生徒たちに対してその言葉の効果は薄かった。むしろ火に油を注ぐかのように、須藤に対する拒絶と不満の念は募るばかりだ。

 そんな荒れるクラスの様子を、ただ冷ややかに、しかし激しい屈辱を伴って眺めていた堀北は、自身の作戦の甘さと失態に歯噛みするしかなかった。机の下で握りしめた拳には血の気が引くほどに力が入り、悔しさから僅かに震えている。

 

 そんな時だった。堀北の端末から通知音が鳴る。

 確認してみるとそこには一通のチャットが届いていた。差出人は不明。素性不明の相手からの連絡に堀北は警戒の色を強めながらもチャットを開いた。

 ――その時だった。静まり返る堀北のポケットの中で、端末が短い通知音を響かせた。

微かに眉を動かし、画面を確認してみると、そこには一通のチャットが届いていた。しかし、表示された差出人の欄は『不明』。連絡先を登録していない、まったく素性の分からない相手からの突然のメッセージに、堀北は警戒の色を極限まで強めながらも、促されるようにチャット画面を開いた。

 

『監視カメラを自作して仕掛けるとは、中々面白い発想でした。どうやらBクラスの一之瀬たちと手を組んで揺さぶりをかける算段だったようですが、生憎とCクラス側には最初から全てお見通しだったようですね』

 

 堀北は思わず小さく息を呑んだ。

 なぜ、この差出人は自分たちの隠密行動をここまで正確に把握しているのか。そもそも、なぜ自分の個人の連絡先を知っているのか。脳裏にいくつもの疑問と冷たい汗が湧き上がる中、堀北は動揺を押し殺し、まずは相手の素性を探るべく返信を打ち込んだ。

 

『誰?』

 

 送信した直後、まるで待ち構えていたかのように即座に既読が付き、淡々とした文面の返事が戻ってくる。

 

『私が誰なのかは、ご想像にお任せいたします。詮索しても意味はありませんよ。それよりも、本題に入りましょうか。

須藤健は停学が明けたその日、クラスメイトたちから針のむしろのような非難を浴びることが容易に予想されます。そうなった場合、彼はクラスで完全に孤立し、楽しみにしていた部活動のレギュラーの件も重なって、より攻撃的になるでしょう。結果として、再び暴力事件を起こし、今度こそ退学処分になる可能性が極めて高い』

 

 堀北はその不吉な予言のような文面を見て、深く眉をひそめた。この人物は一体、何を目的としてこんなことを言ってくるのか。

 この差出人がCクラスの人間、あるいはその関係者であると直ちに断言できる要素は薄い。だが、仮に敵側の人間だとしたら、なぜ敗者である自分に対してわざわざこんな忠告を告げてくるのだろうか。その意図が全く読めない。

 助けを求めるように隣の席の綾小路に視線をやるが、彼は端末を触る風でもなく、ただ退屈そうに頬杖をついて窓の外の景色を眺めているだけだ。やはり、彼もこの状況には気づいていないらしい。

 

『あなたは何が言いたいの?』

『今のあなたには、二つの選択肢があります』

『選択? 私に何を選べと言うのよ』

『一つは、ここで須藤健をこれ以上使い道のない役立たずとして見捨て、切り捨ててしまうこと。もう一つは、彼のあの短気で未熟な性格を改心させるように、あなたが裏から働きかけること。どちらの道を歩むのかは、あなたの自由です』

『意味がよく分からないわ。なぜ見ず知らずのあなたに、須藤くんのことでアドバイスをされなければならないのかしら。私は別に彼と友人でも何でもないし、これ以上彼を助けてあげる義理もメリットも無いはずだけれど』

 

 堀北としては、至極当然の反論だった。なぜ正体も明かさない人間に、須藤を救うようなお節介を焼かれなければならないのか。不気味な差出人が裏で何を意図し、どう自分をコントロールしようとしているのかが分からず、苛立ちが募る。

 

『生徒会長である堀北学が、あなたに対してなぜあれほど冷淡な対応を取るのか。その理由を深くお考えになれば、自ずと答えは分かりますよ』

 

 画面に最愛であり最恐の兄の名前が躍り、堀北は目を見開いた。心臓がドクンと嫌な音を立てる。益々このメッセージの意図が見えなくなってきた。

 

『いい加減にして。なんであなたが兄のことまで知っているのよ』

『昨夜、ケヤキモールの裏で、あなたが偶然堀北学と対峙し、話しているところを見かけましたから……それにしても、噂通り素晴らしい兄妹仲とは言えませんね』

 

 堀北の背筋に冷たいものが走った。昨夜、彼女は確かに兄と緊迫した会話を交わしていた。その途中、兄の視線が僅かに逸れ、様子がおかしくなった瞬間があったことを思い出す。あの時の違和感は気のせいではなかったのだ。まさか、暗闇の中からこの人物に見られていようとは。自分の索敵の甘さに、激しい後悔が押し寄せる。

 

『あなたは一体、何者なの?』

 

 必死の思いで正体を尋ねるメッセージを送ったが、今度はいくら待っても既読は付かなかった。数分が経過しても返事はなく、チャットのやり取りはそこで完全に途切れてしまった。

 正体不明の人物から突然もたらされた、謎に満ちたメッセージ。クラスポイントを50も目減りさせた元凶である須藤健を、このまま切り捨てるか、あるいは救い上げるかの選択。

 画面を見つめる堀北の心境は、複雑に入り組んでいた。これまで仲間や友達といった存在を一切必要とせず、孤高の一匹狼として生きてきた彼女の価値観では、他者を救うという意味が理解できない。

 自分の力だけで問題を解決し、他人に頼らず、ただ己を磨くことこそが正しい。常に完璧な兄の背中を追いかけ、追いつくためだけに努力を重ね、そしてこの高度育成高等学校へとやって来たのだ。

 それが今、クラスという逃れられない小さな社会の中で、かつてない歪んだ問題に直面している。今まで彼女が経験したことのない、個人の実力だけでは突破できない理不尽な現実。

 果たして自分は、どちらの道を選択するべきなのか。

正体不明の差出人の言葉をそのまま鵜呑みにするつもりは毛頭ない。それでも、堀北はそのメッセージが残した重い問いかけについて、真剣に考えざるを得なかった。





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