ようこそ凡人がいく実力至上主義の教室へ   作:神威 

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第1話 Cクラス

「ここがCクラスか」

 

 引き締まった扉を開け、俺は一歩教室内へと足を踏み入れた。

 周囲に悟られないよう、さり気なく、しかし確実にぐるりと全体の様子を見渡す。入学式前だというのに、既に教室内の大半の座席は埋まっていた。

 俺がこの学校の敷地に足を踏み入れてから、ずっと肌にまとわりついている違和感――その正体の一つが、この教室にもしっかりと存在していた。

 監視カメラ。

 この教室へ辿り着くまでの廊下や階段、至る所に設置されていたそれは、やはりここにもあった。黒板のすぐ真上。まるで生徒の一挙手一投足、呼吸の乱れすらも見逃さないと言わんばかりの絶妙な位置に、レンズの奥の冷徹な光をこちらへ向けて静かに鎮座している。

 防犯の為なのかそれとも他に理由があるのか。

 黒板のすぐ上、まるで生徒の一挙手一投足を見逃さないと言わんばかりの位置に、それは静かに鎮座している。

 普通の高校であれば防犯のためや生徒間のトラブル防止のためという至極真っ当な理由で片付けられるだろう。だが、この学校が纏うあまりにも異質な空気を感じ取っている俺としては、どうしてもそれ以上の、もっと邪悪で合理的な意図を勘繰ってしまう。

たとえば――生徒たちの『品行』や『価値』を、あのレンズ越しにリアルタイムで査定し、数値化しているのではないか、とか。

 

「……ま、考えすぎか」

 

 小さく息を吐きながら呟き、思考のスイッチを一度切り替える。

 今はまだ答えの出ないカメラの謎に頭を悩ませるよりも、まずは自分の居場所を確保するのが先決だ。俺は思考を中断し、自分のネームプレートが置かれた席を探した。

 割り当てられていたのは、廊下側の後ろから数えた方が早い席。

 視界全体を見渡せるこの位置は、個人的には当たりだ。喜ぶべき配置と言える。

 しかし、席に座る前に改めてクラスメイトたちの顔ぶれを眺めてみると、なんとも言えない窮屈さを覚えた。率直に言って、このクラスは随分と柄の悪い生徒が多い。あちこちで足を組んだり、机に突っ伏したりして、早くも不穏なオーラを放っている。

 なるべく目をつけられないよう、平穏無事に過ごすことを心がけよう。

 席に腰を下ろし、カバンを机の横のフックに掛ける。背もたれにゆっくりと体重を預け、ホームルームが始まるまでの僅かな時間を潰すため、先ほどの小説を再び開いた。

 活字の世界に意識を沈め始めて間もなく、不意に、隣から肩を軽くトントンと叩かれた。

 そちらに意識を向けると、そこには綺麗な銀髪を揺らし、どこかふわふわとした儚げな雰囲気を纏った美少女が座っていた。彼女の紫がかった瞳は、俺の手元にある本へと、文字通り興味津々といった様子で向けられている。

 

「あの、失礼します。何の本を読まれているのですか?」

「あ、ああ。これか? アガサ・クリスティのオリエント急行殺人事件というミステリー小説なんだが」

 

 本の表紙が見えるように少し傾けて答えると、彼女はパッと大輪の華が咲いたように目を輝かせた。なんなんだ、この絵に描いたような純粋な反応は。

 

「まあ……! 本がお好きなのですか?」

「ああ、小さい頃から読んでいるからな。活字に触れている時間は落ち着く。本は好きだよ」

 

 俺にとって、本は偉大な存在だ。物心がついた時から、分からないことや知らないことは大体本が教えてくれた。孤独な時も、退屈な時も、幾度となく俺の心を救ってくれたかけがえのない品物。それが本だった。

 

「本当ですか……っ!」

 

 彼女はそう言って、まるで満開の桜が目の前で一斉に咲き誇るような、一切の濁りもない屈託のない笑みを浮かべた。

 その銀髪が教室の蛍光灯を浴びて、淡い光の粒子を纏ったようにきらめく。その圧倒的な透明感と洗練された佇まいは、お世辞にも治安が良いとは言えないこのCクラスの澱んだ空気の中で、完全に浮いていた。

 

「あっ、申し遅れました。私は椎名ひよりと言います」

「俺は柊美輝。よろしくな、椎名」

「はい。よろしくお願いします、柊くん」

 

 そう言って、椎名ひよりは再び嬉しそうに微笑んだ。その一瞬だけ、彼女の周囲の空気だけが綺麗に切り取られたかのような、静謐で穏やかな空間が出来上がる。

 不良漫画の背景にでもなりそうな刺々しい空気感の教室内で、彼女の存在はあまりにも異質で、そして同時にどこか救いでもあった。

 その後、彼女の口からは堰を切ったように本に関する言葉が溢れ出してきた。

 おっとりした見た目からは想像もつかないような、熱のこもったマシンガントーク。俺は彼女の勢いに圧倒され、言葉を挟むタイミングを完全に失ったまま、ただただその話に耳を傾けていた。テンションを上げて身を乗り出す彼女の姿を見るに、よっぽど本という存在を愛しているのだろう。

 

「あ……ごめんなさい、私ったらつい勢いづいてしまって。……迷惑、でしたか?」

 

 ハッと我に返ったように、椎名は頬を少し赤く染めて、申し訳なさそうに視線を落とした。

 

「いや、迷惑だなんてとんでもない。椎名が話す本の話はどれも奥が深くて、実に面白かった。むしろ、今後ともその話の続きを聞かせてくれないか?」

 

 そう問いかけると、椎名は一瞬だけ驚いたように丸い目を見開いた。

紫がかった彼女の綺麗な瞳が、俺の顔をじっと見つめる。からかわれているのか、あるいはただの社交辞令なのかを見極めようとするかのような、微かな戸惑いの揺らめき。だが、俺の言葉に悪意や嘘がないことを察したのだろう。彼女の表情はすぐに、先ほどよりも一層深い、心の底からの喜びを湛えた笑顔へと変わっていった。

 

「――はいっ! ぜひ、喜んで!」

 

 胸の前で小さく両手を合わせ、弾むような声で彼女は答えた。その上品な仕草一つをとっても、どこか育ちの良さというか、おっとりとした気品が滲み出ている。

 しかし、そんな俺たちの穏やかなやり取りを冷酷に遮るように、甲高いチャイムの音が響き渡った。

 新しい学校生活の始まりを告げる、至極ありふれた、それでいて厳格なチャイムの音。

 

「あ……チャイム、鳴ってしまいましたね」

 

 椎名は名残惜しそうに、しかし小さくペコリと頭を下げて、自分の席へと向き直ろうとする。その横顔を見ながら、俺はふと思い立って言葉をかけた。

 

「なぁ、椎名。もし良ければ、今日の放課後にでも一緒に図書館へ行ってみないか?」

「――放課後、ですか?」

 

 俺の突然の提案に、椎名は今度は弾かれたようにこちらを振り返った。その綺麗な紫の瞳が、驚きと、それを遥かに上回る純粋な期待でいっぱいに揺れている。

 

「はいっ、ぜひ! ぜひご一緒させてください。この学校の図書館がどのような品揃えなのか、実は昨日からずっと気になって仕方がなかったのです」

 

 嬉しさを隠しきれないといった様子で、彼女は両手を胸の前で小さく握りしめる。

 お互い本が好きという共通点から、挨拶代わりに図書館へ行こうと誘ってみたが、どうやら大正解だったようだ。

 

「決まりだな。じゃあ、放課後に」

「はい、楽しみにしていますね、柊くん」

 

 彼女はもう一度、今度は少し二人だけの内緒話を共有するような、控えめながらも親密な笑みを浮かべてから、今度こそ前を向いた。

 それとほぼ同時に、教室の前方の扉がガラリと硬い音を立てて開く。

入ってきたのは、仕立ての良いスーツを隙なく身に纏った、一見すると知的な印象を与える大人の男性だった。

 

「新入生の皆さん、入学おめでとうございます。君達Cクラスの担任を務めることになった坂上数馬です。担当科目は数学です。この学校には学年ごとのクラス替えはありませんので、卒業までの3年間は私が担任を務めます。よろしくお願いします」

 

 クラス替えがない、か。その事実だけでも、この学校の閉鎖性と一蓮托生な性質が伺える。

 

「今から1時間後に入学式が行われますが、その前に。入学案内と一緒に配布された資料である程度内容は把握していると思いますが、改めてこの学校の特殊なルールについて記載された資料を配ります。後ろに回して下さい」

 

 前の席の生徒から回ってきた資料を受け取り、自分の分を1枚抜いて、残りの束を淀みなく後ろの席へと回す。

 

「次は学生証カードを配ります。このカードは敷地内にある全ての施設を利用することや、商品をこのカードの中にあるポイントで購入することが可能です。いわゆるデビットカードのようなものですね。そして、学校の敷地内にあるものであれば、ポイントで買えないものはなく、何でも購入が可能です。それから、ポイントは毎月1日に自動的に振り込まれることになっています。君達全員にはあらかじめ、10万ポイントが支給されているはずです。確認のため、振り込まれていない人は申し出て下さい」

 

 配られた学生証は、カードというよりもスマートフォンのような携帯端末に近い形状をしていた。

あえて紙幣を持たせないことで、生徒間の金銭トラブルを未然に防止する目的があるのだろう。あるいは、ポイントの消耗履歴を学校側が一括管理し、生徒がどのような無駄遣いをしているかをチェックするためかもしれない。

 

「振り込まれていない人は居ないようなので、話を続けます。このポイントは、1ポイント=1円の価値があるという認識でお願いします」

 

その言葉が、静まり返っていた教室にダイナマイトを放り込んだ。

 

「10万ポイント……。つまり、10万円分ってことか!?」

「マジかよ、毎月10万!? 最高じゃん!」

 

 担任の坂上先生の言葉が終わるか終わらないかのうちに、教室内は一気に沸き立った。

特に前方の席にいる、いかにも血気の多そうな男子生徒たちは、互いに端末の画面を見せ合いながら、興奮を隠しきれない様子で声を荒らげている。

15歳や16歳の高校生にとって、毎月自由に使える小遣いが10万円というのは、まさに夢のような話だろう。浮足立つなと言う方が無理がある。

 だが、俺は手元の端末に表示された「100,000」という無機質な数字をじっと見つめながら、ゾワリと背筋に冷たいものが走るのを感じていた。

 ふと、視線を前に向ける。

教壇に立つ坂上先生は、騒ぎ立てる生徒たちを窘める風でもなく、ただ冷淡とも取れる薄い笑みを口元に浮かべてその光景を眺めていた。その目は、まるで行き先も知らされていない羊たちが、自ら罠に向かって歓声を上げているのを冷ややかに観察しているかのようだった。

 

「ポイントの支給額に驚く人もいますが、無理もありません。この学校は『実力』で生徒を測ります。これは入学を果たした君達に対するご褒美として受け取ってくれても構いません。それだけの価値と可能性が、今の君達にはあるということです。ただし、卒業後には学校側が全て回収します。現金化は出来ませんので注意して下さい」

 

 今の君達には、か。随分と引っかかる言い回しだ。

 

「また、他の人にポイントを譲渡することは可能ですが、強奪や恐喝のような手段を行うことは厳禁です。発覚次第、重い処分が下されます。いじめなどの非道徳的と思われる行為も同様に処分が下されますので、くれぐれもそういったことをしないように努めてください。学校はいじめ問題には極めて敏感ですので。……何か質問がある人は、挙手をお願いします」

 

 坂上先生の説明が一段落し、教室内を見渡す。

 生徒たちは10万円の使い道で頭がいっぱいのようで、誰も手を挙げようとはしない。

 

「……どうやら居ないようですね。では、1時間後に入学式が行われますので、くれぐれも遅れないようにして下さい」

 

 坂上先生はそう言い残すと、流れるような事務的な動作で教壇を後にし、教室を出て行った。

 先生の姿が完全に見えなくなった瞬間、教室内は先ほど以上の熱気と騒音に包まれる。

 

「おい、本当に毎月10万貰えるんだよな!?」

「何買おうかな、まずは新しいゲームと……!」

 

 周囲の生徒たちは、まるでお年玉を貰った子供のように浮き足立っている。だが、俺の胸の中にある違和感は、彼らの歓声に比例して大きくなる一方だった。

 

 ――この学校は実力で生徒を測ります。

 

 坂上先生は確かにそう言った。そして、この10万ポイントは『入学を果たしたご褒美』だと。

 裏を返せば、これは初期投資に過ぎないということだ。もし本当に実力で生徒を測る学校なら、今後の行動や成果、成績によって、この破格の支給額が変動する可能性は極めて高い。

 そして俺の視線は、再び黒板の上の監視カメラへと戻る。

 

『生徒の品行や価値をリアルタイムで査定している――』

 

 先ほど脳裏をよぎった仮説が、確信めいた不気味さを帯びて脳内で膨れ上がっていく。

もし、この10万ポイントが「無条件」の配給ではなく、何らかの「成果」や「評価」に連動しているとしたら? そして、今こうして教室内で授業中同然の緊張感もなく騒ぎ立て、机に突っ伏している生徒たちの行動が、すべてあのカメラを通じて『減点対象』としてリアルタイムでカウントされているとしたら……。

 俺はブレザーの内ポケットから、疑問に思うことや気になることを箇条書きでまとめているメモ帳を取り出し、小さな文字で書き殴った項目に静かに目を通した。

 

 ・クラス替えはない

 ・この学校内にあるものは何でも購入可能

 ・毎月1日にポイントが支給される(10万?)

 ・この学校は実力で生徒を測る

 

 お世辞にも「実力がある」とは見えない周囲の浮かれっぷりを眺めながら、俺は手元の学生証をポケットへとしまい込んだ。




読んでいただきありがとうございます。誤字やおかしな点がありましたら感想欄で教えてください。
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