ようこそ凡人がいく実力至上主義の教室へ   作:神威 

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今回は須藤の視点で柊が須藤に接触した場面になります。


第19話 無人島試験3ー須藤の回想

 バスケの朝練が体に染みつかせた習慣と、肌にまとわりつくような不快な蒸し暑さのせいで、俺は予定より随分と早く目を覚ました。

 無意識のうちに川辺まで足を運んでおり、目前に広がる冷涼な川面に手を伸ばすと、勢いよくすくった水を顔にぶっかけた。

 

「くさっ」

 

 顔を洗い流した拍子に、ふとベタついたシャツの襟元を嗅いでみる。鼻を突いたのは、部活の練習で嫌というほど嗅いできた、馴染みある自分の泥臭い汗の匂いだった。たまらずシャツを脱ぎ捨て、上半身にまとわりつく不快なベタつきを冷たい川の水で一気に洗い流した。

 

「っふぃーきもちー」

 

 皮膚を覆っていた脂と汗が綺麗に流れ落ち、肌がふっと軽くなる感覚が心地よい。

 

「……ついでに洗っちまうか。夏だし、干しときゃすぐに乾くだろ」

 

 脱ぎ捨てたシャツを掴み、川の水に浸して力任せに揉み洗う。大まかに汚れを落としたところで、両手で雑巾のように強くねじり絞った。

ギュッ、と布地が悲鳴を上げるような音を立て、透明な水が滴り落ちる。

 ポタポタという生易しいものではなく、文字通り大量の水が流れ落ちていく。腕に力を込めるたびに、冷えた水が指の隙間から勢いよく逃げ出し、砂交じりの土を濡らして黒く染めていった。

 仕上げにバサッと大きく振ると、飛び散った細かな水滴が、昇り始めた朝日に反射して一瞬だけキラリと輝いた。

 シャツを広げて状態を確かめる。

 当然、完全には乾いていない。だが、さっきの汗まみれの状態に比べれば何倍もマシだ。

 濡れたままのそれを頭から被ると、冷ややかな布地が容赦なく背中にピタリと貼り付いた。

 その急激な温度変化に、一瞬だけ背筋がゾクッと震える。

 

「……っ」

 

 だが、その凍えるような冷たさが、今の身体にはむしろ悪くない。

真夏の無人島という過酷な環境下においては、このくらいの刺激が頭を冷やすのにちょうどいいくらいだった。

 

「おはよう、須藤くん。早いね」

「んあ? ……平田か。朝練のクセで目が覚めただけだ」

「はは、そうなんだ。隣、失礼するね」

 

 平田は人当たりの良い笑みを浮かべてそう言うと、俺の隣で屈み込み、静かに顔を洗い始めた。持参していたタオルで顔についた水気を丁寧に拭い、息を整える。

 

「須藤くんは昨日、ちゃんと眠れたかい? 僕はどうも、こういう慣れない環境だと熟睡できなくてね。……たたた、腰が痛いよ」

「まあ、お世辞にも快適とは言えねえな」

 

 枕もなければ、敷くためのマットもない。おかげで身体中がバキバキに凝り固まっていて、ろくに眠れた気がしなかった。普段は気に食わない優等生タイプの野郎だが、この劣悪な睡眠環境に関する愚痴については、全面的に同意せざるを得なかった。

 

「……なんだか、須藤くん、少し変わったね」

「はあ? 急に何言ってんだよ、お前」

 

 藪から棒に何を言い出すかと思えば。男にじっと観察されるのは、正直言って気持ちが悪い。

 

「いや、ね。過去の話題を蒸し返すようで本当に申し訳ないんだけど……あの審議での謝罪についても驚いたけれど、それ以降の君は、どこか少し落ち着いたように見えてね。あ、もちろん、凄く良い意味での変化だよ」

「…………」

 

 俺は川面を見つめたまま、小さく鼻を鳴らした。

 

「これ以上、クラスの連中に迷惑かけるわけにいかねえし、いつまでもガキのままじゃいられねえんだよ。……それじゃ悪いかよ」

「ううん、そんなことないよ。本当に頼もしいと思っているんだ。これからもよろしくね、須藤くん。……まだみんなが起きるまで時間があるし、もし君が良ければ、その心境の変化のきっかけを僕に聞かせてもらえないかい?」

 

 心境の変化、か。

 なぜ俺が、これまでの自分を改めて前を向こうと思えるようになったのか。

 思い返せば、あいつも「誰にも話すな」とは言っていなかった。別に平田に話したところで、不都合があるわけでもない。

 

 あの日――Cクラスとの暴力騒動による、2週間の自宅停学処分を食らっていた週の土曜日のことだった。

 時刻は午前9時半。やるべきことなど何もなく、ただ部屋のベッドに寝転がり、頭の後ろで両手を組んで、退屈極まる天井をぼんやりと眺めていた。

 普段の土曜日なら今頃は部活で汗を流している時間帯だが、停学中の身では部活の練習に参加することすら厳重に禁止されていた。

 

「ちっ、何が過剰防衛だ。あっちが先に仕掛けてきた正当防衛だろ、クソが……」

 

 事件から少し時間が経っているというのに、Cクラスの連中に対するドス黒い苛立ちは一向に収まる気配がなかった。学校側の理不尽な審議結果に、むしゃくしゃした感情を爆発させそうになっていると、枕元に置いた携帯から短い通知音が鳴り響いた。

 

「んだよ、鬱陶しいな……」

 

 苛立ちを隠さずに携帯の画面を睨みつけると、そこには「差出人不明」の一通のメールが表示されていた。何気なくその本文を開いた瞬間、俺の脳内を支配していたイライラは、一瞬で凍りつくような緊張感へと変貌した。

 

『10時に、動きやすい格好で第二体育館に一人で来い。もし時間通りに来なければ、DクラスとBクラスが手を組み、偽の監視カメラを設置して審議に偽装工作を施した証拠を、すべて学校側に提出する。分かっているだろうが、他言無用だ』

 

「は? ……どういうことだよ、これ」

 

 メールに添付されていた画像ファイルを恐る恐る開く。そこには、事件現場である特別棟の偽の監視カメラが設置される前と、設置された後の詳細な対比写真、さらにはそのカメラの型番や商品番号が明確に写り込んだ写真が数枚添付されていた。

 この写真が本物か、それともただの脅しなのか、当時の俺には判別がつかなかった。だが、これが学校の偉い奴らの手に渡れば、俺の停学どころかクラス全体に破滅的なペナルティが下るのだけは、馬鹿な俺でも瞬時に理解できた。

 

「ちっ、Cクラスの薄汚い連中め……どこまで卑怯な手を使いやがるんだ」

 

 差出人は不明だが、こんな陰湿な揺さぶりをかけてくるのはCクラスの奴らに決まっている。

 俺は焦燥感に駆られながら、クローゼットから動きやすいジャージに着替え、指定された場所へと急いだ。

 静まり返った第二体育館に到着し、携帯の時計を確認すると、時刻は9時57分。ギリギリだった。激しく乱れた息を一度深く整え、重い扉を押し開けて中へと足を踏み入れる。

 

「お、来たか」

 

 だだっ広いアリーナの中央、一球のバスケットボールを小脇に抱えて佇んでいたのは、見覚えのない一人の男子生徒だった。

 

「……誰だ、お前」

「取り敢えず、そこにあるシューズを履きなよ」

 

 素性の分からないその男が指差した先には、俺が普段部活の練習用としてロッカーに保管していたはずの、履き慣れたバッシュがぽつんと置かれていた。

 

「なんでここに、俺のバッシュが……」

「詳細はあとで話す」

 

 このメールを送りつけてきた張本人がこいつである以上、大人しく従っておくのが賢明だ。

 俺は不快感を押し殺してバッシュに足を通し、男との距離を詰めた。

 

「よし、それじゃあ1on1といこうか」

「はあ? なんで俺が、お前なんかとバスケしなきゃなんねえんだよ」

「質問は受け付けないよ。お前が先攻だ」

 

 男はボールを床に一度バウンドさせて俺にパスすると、スリーポイントラインの奥へと移動し、上体を低くしてディフェンスの構えを取った。

 その淀みのないスムーズな腰の落とし方を見て、直感的に理解する。

 

 ――こいつ、経験者か。

 ボールを受け取り、ダム、ダムと床に強くドリブルを刻みながら間合いを詰めていく。じりじりと近づき、一瞬の隙を突いて左へと鋭いフェイントを入れた。男の重心が左へと流れたのを見逃さず、俺はすかさず右側へとステップを踏んで強引に突破した。背後から追いつこうとする気配を感じたが、俺のスピードにはついてこられない。

 そのまま一気に踏み込み、華麗なレイアップシュートをゴールに沈めた。

 

「おい、次はお前の番だ」

 

 ボールを拾い上げ、バウンドパスで男に送り返す。ディフェンスの構えは大したことはなさそうだったが、こいつの攻撃の実力はどうだ。

 俺は膝を深く曲げ、相手の動きを完全に封じ込める姿勢を取る。

 男はゆっくりとドリブルを開始し、左側へのドライブを仕掛けてきた。

 左に見せかけたクロスオーバーか、あるいはそのまま一気に力技で突っ込んでくるか。

 しかし、男はドリブルの速度を一切変えることなく、無防備に突進してきた。あまりにもお粗末な攻め方に拍子抜けしながら、俺が軽く手を伸ばすと、実にあっさりとボールを奪い取ることに成功した。

 なんだ、期待外れだ。口先だけの素人じゃねえか。

 その後も数回、同じように緩い1on1を繰り返しているうちに、俺の胸中には急激な退屈さと嫌気が差してきた。

 

「ちっ、もうやめだ、やめ。お前下手くそすぎて、練習の相手にもなりゃしねえ」

 

 俺はここに呼び出された本来の目的すら忘れ、苛立ち任せにバッシュを脱いで寮に帰ろうとした。しかし、背後の男は、あの監視カメラの写真の存在をちらつかせ、冷徹な声で俺の足を力ずくで引き留めてきた。

 

「――ぶっ潰すッ!」

 

 完全に頭に血が上った俺は、ボールを男に強く投げ渡し、ディフェンスの構えすら取らずに、怒りに任せて男の持つボールを強奪しようと乱暴に手を伸ばした。

 

「――は?」

 

 掴み取ったはずの空間には、ボールの感触がなかった。

 次の瞬間、驚異的な速度のドリブルで俺の脇を一瞬で抜き去った男が、背後のゴールに軽々とシュートを沈めていた。

 待て、今のは単なるまぐれだ。

 そうでなければ説明がつかない。あんな下手くそが、俺の目を盗んで動けるはずがない。

 必死に自分にそう言い聞かせ、今度は俺がボールを受け取り、全力のドリブルで男の突破を試みる。しかし、さっきとは打って変わって、まるで目の前に鉄壁のコンクリート壁がそびえ立っているかのように、一歩も前に進ませてもらえない。

 

「おいおい、どうした? 自慢のスピードはそんなものか。もう疲れたのか?」

「っ、ちぃ!」

 

 安い挑発だと分かっていても、どうしても男を抜けずに焦りと怒りが爆発する。さっきまでの動きとは、文字通り次元が違う。最初から、俺の実力を測るためにわざと手を抜いていたということか。

 

「舐めんじゃねえぞ……!」

 

 左右への高速フェイントで揺さぶりをかけ、即座に上方へ跳躍し、空中で完璧なシュートモーションに入る。誰もがブロック不可能と信じる、俺の絶対的な打点からボールを放とうとした、まさにその刹那。

 視界が影に覆われた。

 あり得ない高さまで跳躍した男の長い腕が伸び、俺の手から放たれたばかりのボールを、無慈悲に空中ではじき落とした。

 

「いい線はいっているけど、まだまだ甘いな」

「はぁ、はぁ、……っ、お前、何なんだよそのジャンプ力は……っ」

 

 男にボールを渡し、今度は俺がどっしりと低い姿勢でディフェンスを固める。

 もう油断はしない。認めざるを得なかった。こいつの実力は、俺なんかよりも遥かに上の領域にある。

 男はボールをキープし、右手側への鋭いドライブから、一瞬の予備動作もなく急激なクロスオーバーを仕掛け、重心を左へと移動させた。

 

「は、速え……っ!」

 

 俺は本能的な恐怖を覚えながら、必死にその影に食らいつこうとした。しかし、男は俺がついてくることを完全に予測していたかのように突如として急停止(急ブレーキ)をかけ、背後を通すクロスバックで、俺の体勢を完全に崩して一瞬で抜き去った。慌てて振り返り、泥臭く追いかけようとしたが、その時にはすでにボールが小気味よい音を立ててネットを揺らし終えていた。

 そこから先は、ただの一方的な蹂躙だった。

 男の繰り出すドリブルとフェイントのキレは、これまで対戦してきたどんな強豪校の選手よりも恐ろしく、シュートの正確性も、こちらの身体を無効化するポジショニングも、何もかもが次元を超えていた。手の打ちようがなかった。

 俺の放つ得意のフェイントはすべて見破られ、必死のドリブルは一歩目で完璧にシャットアウトされる。

 気がつけば、俺はただコートの上で、肩を大きく上下させて荒い息を吐き出すことしかできなくなっていた。

 

「はぁ、はぁ……っ、はぁ……っ!」

「ふぅ、さすがに少し疲れてきたな」

 

 何セットも限界を超えた1on1を繰り返してきたというのに、目の前の男は額にうっすらと汗を浮かべ、呼吸をわずかに乱している程度だった。俺はとうに膝に手を突き、立っているのがやっとだというのに。

 

「……まあ、今日のところはこれくらいにしておくか」

 

 限界を迎えて荒い呼吸を繰り返す俺を見下ろし、男は淡々と告げると、ボールを抱えてコートの外へと歩いていった。

 

「クソがぁ……っ!」

 

 悔しさと無力感で胸が押し潰されそうになりながら、ようやく呼吸が落ち着いた頃、俺はアリーナの入り口付近の冷たい床に腰を下ろした。

 あそこまで化け物じみた実力を持っていながら、なぜこいつはバスケ部に所属していないんだ。

 

「ほら、これでも飲め」

 

 視界が遮られ、顔を上げると、冷えたスポーツドリンクのボトルが目の前に差し出されていた。

 

「安心しろ。毒は入ってないし、俺の奢りだ」

 

 その言葉に甘え、俺はひったくるようにボトルを奪い取ると、キャップを乱暴に捻り開けて一気に喉へ流し込んだ。

 ゴクッ、ゴクッ、と喉が激しく鳴る。

 冷たい液体が、極限まで乾ききって焼けるようだった食道を一気に通り抜けていく。

 ……美味い。美味すぎる。

 脳が歓喜するような感覚に囚われ、思わず二口、三口と貪り飲む。

 肺の奥深くまで冷たい空気が行き渡り、激しく痛んでいた胸の苦しさが、少しだけ和らいだような気がした。ペットボトルを確認すると、残りはもう三分の一程度しかなかった。

 

「……薄々分かっているとは思うが、あのメールの差出人は俺だ」

 

 俺から少し離れた床に腰を下ろし、自身のペットボトルに口をつけた後、男は平然とした様子でそう白状した。

 普段の俺なら、真っ先に胸ぐらを掴んで殴りかかっていただろう。だが、肉体的な疲労が限界を超えており、不思議と怒りを爆発させる気力が湧いてこなかった。

 

「そして、特別棟でお前を陥れようとした石崎たちに、偽の防犯カメラの設置や審議の進め方を入れ知恵した張本人――Cクラスの、柊美輝だ」

 

 悪びれる様子もなく、淡々と真実を告げる男に対し、怒りの炎が再燃する。今すぐにでもこいつをぶん殴ってやりたいと身体が命じるが、思うように足に力が入らず、立ち上がることすら叶わなかった。

 

「あ、あれ……身体が動かねえ……」

「無理に動こうとするな。お前が暴力で抵抗できないよう、あらかじめ1on1で限界まで体力を削らせてもらったんだ」

「っ!? お前……」

「そう身構えるな。お前を力ずくで脅そうとか、そういうつもりは毛頭ない」

「……だったら、一体何が目的で俺をこんな場所へ呼び出したんだよ!」

「さあな。まあ、お前があの学校側の停学処分という結果に対して、内心では全く納得がいっていない様子だったからな」

「当たり前だろ! 悪いのは、部活帰りの俺に難癖をつけて、わざわざ喧嘩を吹っかけてきたCクラスの石崎たちの方だ!」

 

 怒号となって体育館に響き渡る。

 俺は絶対に悪くない。狡猾な罠を仕掛けて俺を陥れようとした、Cクラスの連中こそが絶対悪なのだと。

 

「――なあ、須藤。部活動で、お前たちが必死に目指している全国大会出場をかけた、最も重要な試合の前日を想像してみてくれ」

「何が、言いたいんだ……?」

「もしその試合の前日に、今回と全く同じようにCクラスから暴力沙汰の挑発を吹っかけられたとしたら……お前は、また同じように拳を振るう選択をするのか?」

「それは……っ」

 

 言葉が詰まった。男の鋭い眼光が、俺の心の奥底を見透かしているようで、息が苦しくなる。

 

「お前が持つ、瞬間的に沸騰するような激しい感情のエネルギー自体を、俺は否定するつもりはない。ただ、その感情の使い所を間違えるな、と言っているんだ。そうでなければ、お前がどれだけ優れた才能を持っていようと、そのバスケ人生の幕は一瞬で、実にあっけなく閉じられることになる」

「……ちっ。んなこと、言われなくたって分かってんだよ!」

「本当に理解しているか? もし、試合前日に暴力事件を起こせば、お前の部活は出場辞退となり、お前は自らの手でコートに立つ機会をドブに捨てることになる。そして……仮にお前が自制できたとしても、部員の中に一人でも同じように感情を制御できない問題児がいれば、それだけで全員の努力が水の泡になることもあるんだぞ」

「っ……!」

「不貞腐れるな。世の中のトラブルというのは、どちらか一方が『悪い』という単純な白黒論だけで片付く問題ばかりじゃない。事が起こってしまった後に発生する最悪の副産物が、お前自身だけでなく、お前の大切な周囲の人間やクラスにまで、取り返しのつかない影響を及ぼしてしまうということを、よく頭に叩き込んでおくんだな」

 

 こいつの言葉に対し、頭の中ではいくらでも反論の言葉がぐるぐると渦巻いているはずなのに、なぜか喉の奥でつっかえてしまい、外へ出すことができなかった。あいつの言葉の一つ一つが、あまりにも残酷な正論として、俺の未熟な胸に突き刺さっていたからだ。

 

「お前のその、すぐに感情が爆発する悪癖は、一見すれば単なる致命的な短所にしか見えない。だが、見方を変えれば、それは常人には真似できない強力な『長所』にもなり得るんだ」

「はあ? 短所が長所になるって、どういう意味だよ」

「その有り余る怒りや情熱のエネルギーを、他人にぶつけて消費するのではなく、お前自身にとって本当に価値のある有意義なものへと変換すればいい。バスケットボールの技術向上でも、あるいは、苦手な英語の勉強でもな」

「なんでそこで、急に英語なんて出てくるんだよ!」

「お前ほどのプレースタイルを持っていれば、将来的に海外のスカウトの目に留まる可能性もゼロじゃない。その時、言葉が通じなければ、プロの舞台で不便を強いられるのはお前自身だろ?」

 

 海外の、プロリーグ。

 こいつの言う通り、俺の心の中には、将来アメリカのNBAのような最高峰の舞台でプレーしたいという、誰にも言えない大きな憧れがあった。だけど、勉強が大嫌いな俺にとって、英語なんて別世界の学問でしかなかった。

 

「学校のテストで良い点数を取る必要なんてない。ただ、現地でしっかりと意思疎通ができるレベルのコミュニケーション能力さえ身につければいいんだ。まあ、どうしても英語の勉強で行き詰まって困った時は、いつでも俺に相談するといい」

 

 はは……なんだよ、こいつ。俺が将来何を夢見て、何に怯えているのか、全部お見通しってわけか。

 気づけば、あいつに対して抱いていた激しい憤りも、反抗的な態度を取ろうとする無駄なプライドも、すべて綺麗に霧散してしまっていた。

 

「……なぁ。なんでお前、そんなにバスケが上手いんだよ」

「昔、アメリカにいた頃、向こうの親しい友人に叩き込まれたからな。ただの独学だよ」

「そうかよ……。だったら、なんでお前はバスケ部に入らねえんだよ。お前の実力なら、間違いなくうちの部の絶対的なエース、スタメンになれるだろ」

「悪いな。俺は元々、特定の部活に所属して縛られるつもりはないんだ」

「……ふん。だったら、明日もここで俺のバスケの相手をしろや」

「ああ、構わないよ。それじゃあ、また明日、同じ時間に」

 

 男は手元に残ったペットボトルの水を飲み干すと、スッと立ち上がり、そのまま振り返ることもなく体育館の出口へと歩き去っていった。

 柊美輝。

 あいつの名前を、俺は脳裏に深く刻み込んだ。Cクラスの狡猾な連中は今でも大嫌いだが、あの男だけは、どうやら他の有象無象とは一線を画しているようだ。

 

「……ん? なんだ、これ」

 

 脱ぎ散らかしたバッシュを拾い上げ、シューズバッグに収納しようとしたその時、袋の隙間からメモ帳サイズの一枚の紙切れが滑り落ちた。

 慌ててそれを拾い上げて確認すると、そこには柊美輝の連絡先のIDと、そして――『小宮に指示を出し、お前のバッシュをロッカーから確保しておいた。明日の練習もこれを使え』という手書きのメッセージが残されていた。

 

「あいつ……そこまで全部、最初から計算通りだったってことかよ」

 

 どこか清々しい、胸のつかえが取れたような気分に包まれながら、俺はその紙切れをポケットに深く押し込み、体育館の扉を開けて外の光の中へと踏み出したのだった。

 

「――とまあ、あいつと出会ったのは、大体こんな経緯だよ」

「……話してくれてありがとう、須藤くん。ちなみに、その恩人の名前を聞いてもいいかい?」

「悪い、それだけは本人から名前を伏せるようにきつく言われてんだ。これ以上は言えねえ」

 

 あいつからは、名前以外の内容なら話しても問題ないと言われていたが、交わした約束を破るわけにはいかない。

 

「そっか。うん、その人とぜひ一度ゆっくり話してみたいと思っていたけれど、少し残念だな」

 

 平田は肩をすくめ、どこか諦めたような、それでいて嬉しそうな苦笑いを浮かべた。

 

「そのうち、あいつの方からお前の前に姿を現すんじゃねえか? 知らんけどな」

「そうだね。その時が来るのを、楽しみに待つことにするよ。……よし、そろそろみんなが起き出す時間だね。僕は少し、テントの方の様子を見てくるよ」

 

 平田はそう言い残すと、男子生徒たちが眠るテントの方へと静かに歩き去っていった。

 あの日以来、俺はあいつ――柊美輝と関わりを持つようになったが、あいつは世間一般で言われるような悪い奴なんかじゃなく、むしろ誰よりも筋の通った、信頼できる男だ。

 運動神経は化け物じみているし、頭の回転も驚くほど早い。

 とても同い年とは思えないような、静かで圧倒的な落ち着きを放っている。

 

 ――それでも。

 

 これほどまでの実力を持ちながら、なぜあいつがCクラスの明確なリーダーシップを取らず、日陰に身を置いているのか。

 それだけは、どれだけ考えても、俺にはどうしても理解できなかった。




バスケの描写はこれでいいんですかね。難しいです。

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