ようこそ凡人がいく実力至上主義の教室へ   作:神威 

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第26話 船上試験2

 午後8時。本日2回目となる夜のディスカッションが開始された。誓約書の件については「未グループのCクラスの生徒は試験途中で解答しない」という内容で署名し、坂上先生に提出した。

 そして考慮する点が1つ。この2回目の話し合いの前に、猿グループの試験終了の通知が届いた。誰が裏切ったのかは分からないし、本当に優待者を当てられているかどうかは最終日の結果までは分からない。ただ、「Bクラス」は努めて平常心を保とうとしており、一見何事にもなかったような様子だ。しかし微かな違和感に俺は見逃さなかった。

 俺は周りを一瞥し、ポケットからトランプを取り出した。

 昼の部で俺が提示した「タイムリミットまでの同時提示ルール」は他クラスに大きな波紋を広げている。網倉が約束通り一之瀬に伝え、それがBクラス全体、ひいては船内全体へ「誰も傷つかない理想の救済策」として急速に伝播しているのを、俺は廊下で行き交う生徒たちの断片的な会話からすでに察知していた。

 一之瀬帆波という存在は、良い意味で周りに影響を与える生徒だ。俺が網倉に与えた『裏切りを不可能にするシステム』という論理は、彼女のフィルターを通した瞬間、聖戦の如き熱を帯びて全グループのBクラス生へと行き渡っている。

 今頃、他グループのAクラスやDクラスの面々は、Bクラスが組織的に展開し始めた「最終日までの徹底した膠着(時間稼ぎ)」の提案に、激しい戸惑いと猜疑心を抱いていることだろう。

 

「……おい、柊。お前、何を取り出してやがる」

 

 長方形のテーブルの向こう側から、戸塚弥彦が低く、刺々しい声を放った。

 彼は夜の部が始まるや否や、こちらを殺さんばかりの視線で凝視していた。その彼が、俺の、いや特別試験の場にはおよそ不釣り合いなプラスチック製の小箱に目を剥くのは当然の反応だった。

 

「トランプだが」

 

 俺は淡々と答え、箱から滑らかな52枚のカードを手のひらに滑り出させた。

 カチャカチャ、と小気味よい音が室内に響く。冷房が効きすぎた密室の中で、その音は奇妙なほどクリアに鼓膜を叩いた。

 

「見れば分かる! なぜ特別試験のディカッション中にそんなものを広げるんだと言っているんだ!」

「昼の部で、俺たちのスタンスは互いに確認し合ったはずだ」

 

 俺は指先でトランプを半分に割り、流れるようなリフルシャッフルを披露した。パラパラパラ、と乾いた音が戸塚の怒声をいなすように部屋の空気をジャックしていく。

 

「念のため、BクラスとDクラスは俺が提案した最終日二回目のタイムリミットまで一切の解答を行わないことに賛成している――それで、間違いないな?」

「うん! 私たちは柊くんの提案通り、最終日まで一切動かないよ」

「Dクラスも同じです。不必要なリスクを負って自滅するつもりはありません」

 

 網倉と王美雨が即座に、迷いのない言葉で同調する。

 網倉と王美雨の淀みのない返答を聞いた戸塚は、まるで自分が包囲網に囚われたかのような錯覚に陥ったのだろう、椅子の肘掛けを指が白くなるほど強く握りしめた。

 

「そして、お前たちAクラスは100%の確証を掴んだ場合のみ、躊躇なく解答するというスタンスだったな。つまり、現時点でその確証がない以上、この場ですべきことは何もない。違うか?」

「くっ……!」

 

 戸塚が言葉に詰まる。

 隣の里中も苦虫を噛み潰したような顔で俺を睨みつけているが、反論は出てこない。彼らが今ここで「いや、話し合いを進めるべきだ」と主張すれば、それはとりもなく「優待者を探り当てて裏切る(結果3を狙う)気満々である」と、網倉や王美雨たち、皆の前で自白するようなものだからだ。

 

「ならば、これからの残り約50分間、ただお互いの顔を睨み合い、時計の針が進むのを待つのは精神衛生上よろしくない。ちょっとした息抜きだ、付き合ってくれると嬉しい」

 

 俺はパラパラと小気味よい音を立てながら、トランプを驚くほど滑らかに片手でスプレッド(扇状に展開)してみせた。

 カジノのディーラーさながらの洗練された指さばきに、緊迫していた室内の空気が一瞬だけ緩み、Bクラスの山形や米津が身を乗り出す。

 

「へえ、柊くん、手品ができるんだ?」

 

 網倉が目を輝かせて聞いてくる。一之瀬から『柊くんは信じていい』と言われている彼女たちにとって、この行動は「緊迫した場を和ませてくれる優しさ」に見えているはずだ。多分。

 

「なに、ちょっとした嗜みさ。これでも昔、少しばかり手ほどきを受けたことがあってな」

 

 俺はトランプを一束にまとめ、リフルシャッフル、ウォーターフォールシャッフルの順に流れるようにカードを操っていった。

 石崎から小さな感嘆の息が漏れる。隣に座るアルベルトも、サングラスの奥の目をわずかに見開き、俺の指先の動きを静かに追っている。

 ある程度シャッフルをした後俺はテーブルの上に、裏返した状態のトランプを綺麗に一列に広げた。

プラスチックのカードが滑る摩擦音が、室内の重苦しい沈黙を完全に上書きしていく。

 

「じゃあ網倉。どれでもいい、好きなカードを1枚引いてくれ。俺に見えないように、確認してほしい。勿論、他のクラスの奴らに見せても構わない。俺にだけ、分からないようにしてくれ」

「うん、分かった。じゃあ……これにするね」

 

 網倉は少し楽しそうに、列の中から1枚のカードを抜き取った。彼女がそのカードの数字を山形や米津、そしてテーブルの端にいる王美雨たちに見せると、Dクラスの女の子たちからも「おぉ」と小さな声が漏れる。大地やアルベルトにも見せたようで、大地は「へえ、それか」とニヤリとし、アルベルトは低く短い笑い声を漏らした。

 俺に向ける刺々しい視線は相変わらずだったが、戸塚たちAクラスの4人も、その網膜にはしっかりと網倉の引いたカードが焼き付いているはずだ。

 俺はトランプを再び一つにまとめ、片手で持ち構える。

 

「覚えたか?」

「うん、バッチリ覚えたよ!」

「じゃあ、それを適当に戻したいから混ぜている間に好きな時に『ストップ』と言ってくれ」

 

 俺はカードの束を親指でペラペラと弾きながらオーバーハンドシャッフルし、網倉を促した。

 

「ストップ!」

 

 網倉がタイミングを見計らって声を上げる。俺はピタリと指を止め、束を二つに割ってその断面を彼女に差し出した。

 

「そこに、さっきのカードを戻してくれ」

「うん」

 

 彼女が声をかけた位置でカードを二つに割り、その隙間に網倉が引いたカードを差し込ませる。そのまま束を戻し、何回かカットを繰り返した。

 

「これで何番目にあるか、誰も分からなくなったはずだ」

 

 俺がそう言ってテーブルの中央にカードの束を置くと、室内の視線が自然とその一点に集中した。

 

「よかったら、カットしてみるといい。戸塚、お前からでどうだ?」

 

 俺がカードの束を戸塚の方へと軽く押し出すと、彼はびくりと肩を揺らした。睨みつける視線の奥に、警戒と、そして「乗せられてたまるか」という頑なな拒絶が混ざり合う。

 

「……ふざけるな。そんな子供騙しに付き合っている暇はない」

「そうか。なら里中、お前は?」

 

 隣の里中聡に視線を移すが、彼もまた椅子の背もたれに深く寄りかかり、腕を組んだまま冷ややかな視線を返すだけだった。

 

「俺たちを巻き込むな、Cクラス。お前がどんな演出を見せようと、俺たちがこのグループの動向から目を離すことはない。手品のフリをして、カードの配り方や枚数で身内に何らかのサインを送っている可能性だってあるからな」

「なるほど、サイン、か」

 

 俺は小さく息を吐いた。

 里中のその指摘は、彼らAクラスがどれほど猜疑心の泥沼に囚われているかを雄弁に物語っていた。彼らは今、俺の指先のわずかなスナップ、視線の動き、カードの傾きにまで「裏の意図」を見出そうと、必死に脳内リソースを消費している。

 ただトランプを弄んでいるだけの俺という存在が、彼らにとっては「解読不能な暗号を放ち続ける危険物」に見えているのだ。

 

「そんなに疑うなら、網倉が代わりにカットしてくれないか。何度でも、好きなだけな」

「うん、分かった! じゃあ、しっかり混ぜるね」

 

 網倉は言われた通り、テーブルの上の束を三つに分け、それをランダムに入れ替えて一つにまとめた。これで俺がカードの位置を完全に把握することは不可能になった。

 

「これでいい? 柊くん」

「完璧だ、ありがとう」

 

 俺は一つにまとまった束を右手に取り、軽く指先で馴染ませる。

 手品の本質とは、観客の視線を意図した場所へ誘導し、自ら進んで「見たい現実」を選択させることにある。相手が賢く、疑い深く、物事を論理的に組み立てようとすればするほど、その性質は牙を剥く。

 

「さて。今から俺は網倉が引いたカードを見つけたい。それで今回は黒いジャックの2枚に協力してもらおう」

 

 そう言いながら、俺はトランプの束を手に持ち黒いジャックの2枚を探し出す。指先で素早くカードをめくり、スペードのジャックとクローバーのジャックを束から抜き出して全員に見せた。

 

「この2枚のジャックが、網倉の選んだカードを見つけてくれる」

 

 俺は再び表の見せながらオーバーハンドシャッフルを施し、また網倉にタイミングを促す。

 

「また好きなタイミングでストップと言ってくれ」

「ストップ!」

 

 網倉の少し弾んだ声が、冷房の効いた室内に響く。

 俺はピタリとシャッフルする手を止め、左手に残った束の上に、先ほど抜き出したスペードのジャックを裏向きにして置いた。その上に、右手に持っていた残りの束を重ねて、カードを完全に埋没させる。

 

「まずは1枚目のジャックが入る。実際、確認してみてくれ」

 

 トランプを裏向きにし流れるように親指でスライドさせ表向きのスペードのジャックを見せる。

 

「うん、確かにスペードのジャックが真ん中あたりに入ったね」

 

 網倉が深く頷く。俺は再びトランプを一つにまとめ、さりげなく束を上下に入れ替えた。

 

「では残りのクローバーのジャックも入れるからまたストップと言ってくれ」

「ストップ!」

 

 再び、網倉の楽しげな声が響く。俺は指先を止め、今度はもう一枚のクローバーのジャックを裏向きの束の途中に表向きで差し込んだ。そのまま何食わぬ顔で束を重ねて、全体を何度か綺麗にカットする。

 

「これで、2枚の黒のジャックがトランプの山の中に完全に消えた。そしてお前たちが自分の手で混ぜたことで、網倉のカードがどこにあるかも、俺には分からない状態だ」

 

 俺は両手を広げて、何の手品も仕掛けていないことを全員に示した。

 室内の空気は、完全に俺の指先に支配されていた。Dクラスの女の子たちは息を呑み、Bクラスの面々は身を乗り出し、そしてAクラスの戸塚たちは「どんなトリックがあるんだ」と、穴が空くほど俺の手元を凝視している。

 

「だが、この2枚のジャックは優秀な捜査官でね。カードの束の中から、ターゲットを見つけてくれる」

 

 俺はテーブル中央に置かれたトランプの束の端を、右手の人差し指と親指で軽く押さえた。

 そして、トン、とテーブルを叩くような微かなスナップを利かせて、束全体を横に一気にスプレッドした。

 シャーー、とプラスチックカードが滑る心地よい音が響き、テーブルの上に52枚のカードが綺麗な弧を描いて広がる。

 

「どうなっているか見てみると先ほどの二枚のジャックが表になって二枚、そして一枚のカードを挟み込んでいる」

 

 俺が指さした先、裏向きのカードがずらりと並ぶ中に、2枚の黒いジャック――スペードのジャックとクローバーのジャックだけが鮮やかに表を向いて並んでいた。

 そしてその2枚の間には、たった1枚だけ、裏向きのカードがしっかりと挟み込まれている。

 

「あ……!」

 

 網倉が小さく声を上げ、口元を両手で覆った。

 室内の全員の視線が、その挟まれた1枚のカードに完全に釘付けになる。戸塚は身を乗り出し、まるでそのカードに仕掛けられた見えない糸でも探そうとするかのように、狂おしいほどに目を凝らしていた。

 

「網倉。お前が引いたカードは、何だった?」

 

 俺が静かに問いかけると、網倉はゴクリと唾を飲み込み、震える声で答えた。

 

「……ハートの、クイーン」

 

 俺は微笑み、2枚のジャックに挟まれたその1枚のカードを、人差し指でゆっくりと表に引っ繰り返した。

 鮮やかな赤。上品なドレスを纏った女王の絵柄。

 紛れもない、ハートのクイーンがそこに鎮座していた。

 

「う、嘘でしょ!? なんで!? 私、あんなに混ぜたのに……!」

 

 網倉が椅子から半分立ち上がるようにして驚愕の声を上げた。米津や山形も「マジかよ……」「一切触ってなかったよね?」と顔を見合わせ、信じられないといった様子で首を振っている。Dクラスの王美雨たちも、まるでお伽話の魔法でも見たかのように、目を丸くして感嘆の息を漏らしていた。

 

「……おい、どうなってんだ、それ」

 

 石崎が身を乗り出し、まるでハートのクイーンの表面にカンニングペーパーでも張り付いていないかと言わんばかりに顔を近づけた。アルベルトは相変わらず静かだったが、サングラスの奥の視線が、俺の指先からテーブルの上に散らばったカード全体へとゆっくり移動していく。彼なりにトリックを考察しているのだろう。

 

「ただの手品さ」

 

 俺はテーブルの上に美しく広がったカードを、右手で端から滑らかに掬い上げ、パチリと一つの束に戻した。

 トリックには必ず種がある。どれほど不可能に見える現象でも、裏には明確なロジックと仕込みが存在する。だが、種が分からない観客にとっては、それは魔法に見えるのだろう。

 

「すごい……本当に魔法みたい……!」

 

 網倉が興奮を隠せない様子で拍手を送ると、それに引きずられるように山形たちやDクラスの女子生徒からも、パチパチと控えめながらも熱の籠もった拍手が沸き起こった。

 緊迫していた密室は、完全にエンターテインメントの劇場へと変貌していた。

 拍手がひとしきり部屋に響き渡る中、俺はトランプの束を再び静かに小箱へと収めた。カチャリ、と蓋が閉まる音が、劇の終幕を告げる。

 

「……チッ、ふざけやがって」

 

 その温かい拍手を切り裂くように、戸塚が不快げに舌を鳴らした。

 彼の額には、冷房が効いているにもかかわらず微かな汗がにじんでいる。戸塚や里中らAクラスの面々は、俺がカードをめくる瞬間に「Cクラスへの合図」や「不正なマーク」を暴いてやろうと、目を血走らせて凝視していたのは感じ取れていた。しかし、結果として見せつけられたのはただの手品。種も仕掛けも見抜けず、ただ無駄に脳のメモリを消費させられたという事実が、彼らのプライドを激しく逆撫でしていた。

 残念ながら俺が披露した手品にAクラスが考えているような意図は一切含まれてない。純粋に場を馴染じませるための手段にすぎない。

 時計の方をちらりと見やると、長針はまだ30分手前であり話し合いの時間は残り30分以上あった。

 

「ただ、まだ時間があることだし種が知りたい者はいるか?」

 

 俺がそう問いかけると、部屋の空気がもう一度、別のベクトルへと傾いた。

 

「えっ! 種明かし、してくれるの!?」

 

 網倉が身を乗り出す。人間、不可能を見せつけられた後にその裏側を覗けるチャンスを提示されれば、好奇心を抑えられるはずがない。

 

「ああ、構わない。意外とシンプルな構造なんだ」

 

 俺は小箱から再びトランプを滑り出させ、テーブルの上に置いた。

 俺は、披露した手品の種明かしを、実際に手を動かしながら解説し始めた。どのタイミングでカードをコントロールしたのか、その視線の誘導のからくりを淡々と紐解いていく。そして一通り説明を終えると、BとDクラス、大地やアルベルトまでも納得の声を上げ、網倉たちは「種を聞いても自分じゃ絶対にできないよ」と、俺の指先の技術に改めて感心したような表情を見せた。

 一から丁寧にカラクリを見せながら解説したこともあり、大分時計の針は進み、気がつけば残り時間は10分を切っていた。

 

「誰か試しにやってみたい者はいるか?」

 

 俺がそう問いかけ、トランプの束をテーブルの中央へと滑らせる。

 

「Hey, Yoshiteru. Let me try.」

 

 意外なことに、最初に手を挙げたのはアルベルトだった。

 彼はその巨躯を窮屈そうに揺らしながらテーブルに手を伸ばし、分厚い指先で慎重にトランプの束を掴み取った。プロレスラーのような大男が、手のひらに収まる小さなプラスチックのカードを真剣な目で見つめている光景は、どこか奇妙で、同時にこの殺伐とした特別試験の場に奇跡的なシュールさをもたらしていた。

 

「お、おいアルベルト、お前手品なんてできんのかよ?」

 

 石崎が目を丸くして身を乗り出す。

 

「Just checking the logic」

 

 アルベルトは低く笑い、俺が先ほど教えた通りの手順でカードをコントロールしようと試みた。だが、やはりその強靭すぎる指先では、カードを密かにトップ(一番上)へと留める繊細な「パス」の技術が上手く機能しない。

 

「Oops... Card fell.」

「おいおい、お前がやるとトランプを力で引きちぎりそうに見えるからハラハラするぜ!」

 

 パラパラとカードをテーブルにこぼしたアルベルトを見て、石崎がゲラゲラと笑う。それにつられるように、網倉や山形、そして端で小さくなっていたDクラスの王美雨たちからも、ふっと緊張の解けた温かい笑い声が漏れた。

 アルベルトが大きな手で不器用にカードを拾い上げる姿は、この緊密な空間に決定的な平和をもたらしていた。

 

「あはは! アルベルトくん、手が大きすぎてカードが小さく見えちゃうね」

「うん、でも一生懸命やってくれてるの、なんか和んじゃうよね」

 

 網倉がクスリと笑い、山形たちもそれに微笑ましく頷く。

 アルベルトは「It's difficult...」と肩をすくめ、丁寧に集めたカードの束を俺の方へと押し戻した。その厳つい顔には、彼なりの満足感が浮かんでいる。

 時計の長針が頂点を捉えようとしていた。残り時間はあと1分もない。

 

「……チッ」

 

 スピーカーのチャイムが鳴る直前、戸塚が舌打ちをし、荒々しく立ち上がった。

 里中、石田、六角もそれに続く。彼らの顔は、昼の部以上に疲弊し、そして深い焦燥に染まっていた。

 1時間。本来なら、誰が優待者かを暴くための貴重な1時間を、彼らはただ俺の指先を睨みつけ、手品のトリックを疑い、Cクラスの巨漢が不器用にカードを落とす様を見せつけられて終わったのだ。

 

『2回目のグループディスカッションを終了します。生徒の皆さんは速やかに退室してください』

 

 無機質なアナウンスが室内に響くのと同時に、逃げるように部屋を飛び出していった。里中たちも俺を一瞥し、重い足取りで後に続く。

 無人島試験の件で一般的な高校生相手に少々大人げないことをしたかもしれないが、あれだけ敵意剝き出しだと少しばかり傷つくものだ。

 

「柊くん、アルベルトくん、石崎くん、また明日ね! 本当に楽しい時間だったよ!」

 

 網倉はすっかり警戒心を解いた笑顔で手を振り、山形たちを連れて部屋を出て行く。一之瀬にこの夜の部の様子が伝われば、船内におけるBクラスの『膠着戦略』はさらに強固なものになるだろう。

 

「柊くん……ありがとうございました」

 

 王美雨も一礼し、井の頭や森と共に退室していく。彼女たちの背中からも、試験に対する過度な怯えは消え失せていた。

 

「ふぅ……! 終わったな。おい美輝、お前あんな器用に手品なんてできたんだな! びっくりしたぜ。アルベルトがカードこぼした時は、マジで腹抱えて笑いそうになったわ!」

 

 全員が退室し、静まり返った室内で石崎がクスクスと肩を揺らした。張り詰めていた緊張の反動もあってか、彼の表情は実に晴れやかだ。

 

「Yeah. Shuffling is harder than striking. But... it was a good time, Yoshiteru.」

 

 アルベルトもサングラスの奥の目を和ませ、大きな手のひらで自身の太腿を軽く叩いた。彼にとっても、あの不器用な手品崩れは良い気分転換になったらしい。

 俺は小箱に収まったトランプをポケットへと滑り込ませ、誰もいなくなった長方形のテーブルを見つめた。

 この2回目のディスカッションで、俺はAクラスの脳内リソースを「手品のトリック解読」と「Cクラスへの過剰な猜疑心」に完全に浪費させた。

 人間は、注視すべき対象が目の前で派手に動いていると、それに意識のすべてを奪われ、その裏で進んでいる本当の仕掛け――すなわち、Bクラスを通じて船内全体に構築されつつある「徹底した膠着の空気」という大局の動きから、完全に目を逸らしてしまう。

 こうして夏季グループ別特別試験の初日は、俺の意図した通り幕を閉じた。

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